お隣の「城」の関係が必ずしも良いとは限りません。北条城城主北条毛利家と安田城城主安田氏もまた近接しており、共に同じ毛利家の一族ではありましたが、戦国時代では非常に対照的な運命を辿りました。さて安田城は北条からは凄い近い距離で、信越本線では北条駅→安田駅という隣の駅にあります。

もっとも信越本線の長岡以西は普通列車の本数が少ないので、キチンと時間計画立てないとなかなかたどり着けません。

安田駅駅舎は北条駅と比較すると立派な駅舎が残っていました。ただ、安田城に関しては余り案内とかがないので自力での探索が必要となります。向徳寺という寺院を目指していきます。

県道73号線沿いに安田城への入口があります。

ここは北条城と比較すると丘城でしかも上方は墓所になっていますので、凄い登り易い城でした。

桝形跡

実城と呼ばれる城の中心部。もっとも案内板の類はなく、かろうじて「本丸跡」の板があるのと東屋が残るのみです。

本丸跡奥

下には二の丸跡があります。

二の曲輪跡は昔には公園となっていたようで、かなり開けた地形です。

城の背後は大空堀跡

ここも桝形の形状をしています。

 

越後安田城は北条城と比較するとかなり後世による改変が著しく、少し規模が小さいものでした。城としての対照的なのはやはり城主同士の対照さが象徴しているように思えます。

 

 

〇同じ北条毛利家と安田毛利家の明暗

城主となる安田家は、南北朝時代に毛利道幸が恩賞として鵜河荘安田条を与えられたのが始まりでした。「お隣」となる北条城の北条毛利家とは同じ一族ながら、長尾…上杉家として仕えていくうちに明暗が分かれます。北条高広と安田景元とはかなり仲が悪く、一説には北条高広が信玄と内通した要因の一つとして安田景元の讒言があったと言われています。もっともこの辺の経緯は「鶏が先か、卵が先か」でこの辺の事情は判明していません。確かなのはその後、北条家は何度も上杉謙信に対して反覆常なき人生であったのに対して、安田家はその後も長く活躍し続けていったのでした。御館の乱では北条が景虎方なのに対して、安田家は景勝方。これが最終的な明暗を分け、安田氏は上杉の会津国替えでも随行し、安田城は廃城。子孫は米沢藩上杉家の重臣として生き残ることに成功したのでした。

 

 

〇アクセス


JR信越本線安田駅から徒歩25分

 

「越後安田城に狼煙が一本…」