淡路島は関西圏内にありながら実際には結構割高で行きにくいという話をしました。それはまず淡路島まで行くには公共交通機関だと高速バスを使うか(明石海峡大橋を通過するので結構高い)か船便しかないとまずここまで行くのが一苦労なのに加えて、
島内移動の公共交通機関がめちゃくちゃ不便
というのもネックになってきます。特に北部と洲本南部の路線バスでの移動は結構不便で、これはもう効率的に回ろうと思ったら、やはり車かレンタカーを使うしかない。恥ずかしながら一度北部の岩屋港から洲本までレンタサイクルで行ってみようと思ったことあるのですが、遠すぎて結局行って帰るだけに終わってしまった…更に2日間の筋肉痛のおまけつきという惨憺たる目に遭いました。やはり島内移動は路線バスに限ります。幸い、津名まで行けばそこからは時計回りのバス路線が1時間に1本の頻度で走っています。しかも料金は一律500円。短距離だと割高ですが、長距離だと結構お得なので時間さえ気を付ければこれはお勧め。
今回紹介する松帆台場は奇しくも明石海峡大橋を挟んで本州側の舞子台場とちょうど挟みあう関係。ここも幕末に黒船来航から日本各地の沿岸部で台場建設ラッシュの一環として構築された台場で、地図を見ても分かる通り、狭くなるこの明石海峡を対岸の明石藩建造の舞子台場と挟み込む形での砲台建設の命を受けた徳島藩が築いた台場です。ご存じの通り、これらの台場は結局無謀な攘夷を実行した長州藩を除けば(薩摩藩の場合は別)、外国船に対して砲門が火を噴くことはありませんでしたが、
誤射で幕府の軍艦を砲撃してしまう事態
が発生。、文久3年(1863年)7月に幕府の軍艦朝暘丸に対して誤射によって舵を破壊してしまう不祥事が発生。この時の台場責任者であった長坂三知は責任を取って切腹に追い込まれています。
津名から路線バスに乗車して目的地の「松帆浦」までバス乗車で1時間20分の旅。バス運転手は「あそこには何もないよ?」と怪訝な顔をされちゃいました(汗)まあ史跡巡りなんてする人間なんてそうめったに出くわすものじゃないよね
バスは淡路島の西部沿岸沿いの道路を疾走していきます。座席に座りながらの夕日はなかなかきれいでした。
バスは一路北へと走っていきますが、どんどんと乗客は下りていき、いつの間にか客は私一人に
「松帆浦」バス停に到着。さて問題はここから先の松帆台場までですが、ホテル「望楼 青海波」の敷地となっていますので、事前に見学の申し出が必要です。訪問する時は注意!
道路を中に進んでいくと
そこはホテル敷地であると同時に散策できる公園のようになっていました。
盛り上がっている部分がかつての松帆台場です。
現在、きちんと遺構が残っているのがこの火薬庫の石垣です。ここだけはきれいに整備されていました。
ホテル「望楼 青海波」とその手前がかつての台場土塁の遺構です。
そして台場の先端部は土塁上がそのまま展望台となっており、
あの明石海峡大橋の向こう側に明石藩舞子台場があり、この狭い海峡を挟み込むには絶好の立地であったことがわかります。
あの船が明石ジェノバラインで明石とここ岩屋港を結ぶ今や定期運航する淡路島と本土をつなぐ貴重な船便です。
台場の先端部には木々の中に石材があり、かつての台場の遺構石垣ではないか?と思うのですが確証はありません。
キチンと史跡整備されていて、洲本城以外の淡路島の史跡を巡れて良かった。さすがに洲本城だけだとちょっと寂しいですからね。
この辺りは沿岸部ということもあってかホテルや旅館もある一帯。近くには温泉もあるし、結構穴場スポットです。
道の駅あわじ、残念ながら18時を過ぎてしまっており、ちょっと休憩しかできなかった。本当はご当地グルメとかも食べたかったんですが…
本当はもっとゆっくり淡路島を見たかったのですが、今日はこの辺で見納めです。
陽が沈むとともに静寂になりつつある淡路島側に対して対岸の神戸は煌々と照明が照らし出す夜景が灯しだしていきました。
松帆台場から約3キロ40分、岩屋ポートターミナル到着!ここが明石海峡大橋以外の本土と淡路島を結ぶ接点です。
明石淡路ジェノヴァラインは1時間に1~2本ある貴重な船足。しかも自転車とかも積んでいけるので今も大事な存在です。これで700円で明石まで行けるのだから実は一番お得
それでは15分ほどですが、展望デッキに腰かけての夜の明石海峡船旅を楽しみます。
大橋下を潜り抜けて
明石の夜景が見えてきました。今回は船で淡路島まで行き、船で淡路島を出る船旅となりました。
〇アクセス
淡路ジェノバライン岩屋港から徒歩40分
「松帆台場に狼煙が一本…」








































