〇田園地帯に保存された史跡公園へ

近代~21世紀にかけて、非常に多くの城館の史跡が姿を消してきました。現代においてもこれら城跡の史跡でも非常に価値が高いと認められる物件でも史跡維持で危機に晒されているのが現状。

そんな中で今回紹介する新潟県三条市にある五十嵐館は元々田園地帯にあり、昭和47年に圃場整備の為に消滅する運命にあったのです。しかし、発掘調査によりその史跡としての価値が認められ、昭和50年に史跡公園として整備されることになったのでした。多くの史跡が近代の開発の中で消滅した中にあっては非常に希有な例であり、今も綺麗に史跡として整備されています。場所は新潟県の内陸部とあって、アクセスが難しいのが難点ですが、それでも行ってみる価値は非常にありました。

五十嵐館があるのは飯田集落西はずれの段丘に位置しています。朝早くに燕三条からレンタカーに乗車して向かい、車も人もほとんどいない早朝に到着。駐車場は近くの公民館に停めて散策へ。

周囲は一面田園地帯にあります。

田園地帯であるため、最初は場所を見つけるのがちょっと一苦労。遠目にようやく「五十嵐館」の看板が見えてようやく「あそこだ!」と直感。それだけ一面田園地帯なので、自然と溶け込んでいます。

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五十嵐館は東西約80m、南北約95mの規模の方形単郭式の館であり、

周囲を土塁で固めた構造となっています。

館内部

 

内部は単なる一国人領主の館としては非常に規模が大きく、全体を写真で収めるのにも一苦労。

池の跡

 

 

櫓跡

虎口跡
五十嵐館の入口であり、キチンとした史跡の解説板も設置されており、極めて史跡公園としては良好でした。

空堀跡

 

 

土塁は一角の一部が折れ曲がった形状をしていました。

虎口外側に桝形状の張り出し部が設けられているなど形状としてユニークなものとなっていました。シンプルな構造の中にも防御施設としての工夫があり、見ていて面白い思いがあります。

このように五十嵐館は非常に綺麗に整備されており、土塁や空堀、虎口などの形状が極めて鮮明に残されているのが素晴らしい印象でした。ここまでは車で走らせて訪問できて良かった。

 

〇鎌倉時代から続く名族五十嵐氏の館

五十嵐川右岸の一部を支配した国人領主五十嵐氏の居館。館主である五十嵐氏氏は鎌倉幕府の御家人として長くこの地を支配し続けました。五十嵐氏の惣領は、代々小文治を名乗り、この館も別名は「小文治館」となっているのはそのため。鎌倉幕府の歴史では和田合戦のときに五十嵐小文治、承久の乱での五十嵐党など重要な合戦には史料上で五十嵐氏の名前が登場していました。これ以降、鎌倉幕府~戦国時代まで4世紀の間に歴史上、登場する。その間、五十嵐館は当主の館として機能し、有事の際には背後の飯田城という要害に籠城する運用でした。五十嵐氏が歴史の表舞台に姿を消すのは戦国後期、天正6年(1578)3月に勃発した越後を二分する内乱の御館の乱で、景虎方に味方して姿を消したと推定されますが、詳細は明らかではありません。

 

 

JR上越新幹線燕三条駅から車で 分

 

「五十嵐館に狼煙が一本…」