豊臣兄弟!スタッフ「どうだ!お前らが御望みの野盗たちのヒャッハー!なシーンとか首無し死体とか残酷な戦国世界を描いてやったぞ!これで文句あるまい!?」
私「うーん、まあ悪くなかったと思うよ。でもさぁ…素朴な疑問を言っていい?
何で今回のシーン、第1話でやらなかったの?」
ちょっと今回は↑のことばかりが頭の中を占めていました。つうか、これ第1話のぬる~い野盗たちの襲撃シーンは完全に要らんかったし、スライドしてこれを第1話でやればよかっただけじゃん。今回のインパクトある絵図を持ってきた方が遥かに良かったと思うの。記念すべき第1話を単なる無駄な話に終わらせただけと解釈してしまうと「大河ドラマにそんな余裕あるのか?」と甚だ疑問。ついでに言うと兄の藤吉郎のシーンも要らんシーンが多すぎた。一度目は寧々と巡り合わせ、二度目は市に面白い話を紹介する(多分これ、ネタは『武功夜話』でサッルがノッブの愛妾吉乃に卑猥な話をして気に入られたというエピソードだよな)のですが、これもまた唐突で、何で訓練で教官から「失格」とされて留守番命じられただけの足軽が主君の妹の相談相手になっているんだよとかツッコミ満載。こういうシーンに説得力を持たせるためなら武芸の他にちゃんとこういう裏でこういう形で気に入られる描写とか入れる必要があるのだと思うんで、寧々との会話とか今回は要らんと思う。ついでにいうと今回の小一郎が百姓を辞めて兄貴の元へ旅立つキッカケとなったポッと出の犠牲キャラとなった信吉。あんだけ悲嘆にくれていた小一郎が旅立つ時には満面の笑みで出立して、いやちょっと…これ「やはり信吉のように百姓生活に満足していたら理不尽に命を奪われるだけだ!だから俺が安心して能百姓できる環境を作る!信吉のような犠牲を出さないために!」と言って、ドン引きしていた兄貴の下へ悲壮な覚悟で出立するなら分かるけど…あんだけ悲嘆にくれておいて、次には忘れ去ったかのように大はしゃぎで出ていくとか
同期の友人が実は上官(キシリア)の政敵のスパイで同じ仲間を毒殺していたことを、惚れた女(ニャアン)に見抜かれ、自分の目の前で他ならぬその女に蒸発させられる地獄絵図を見せられながら
次の登場シーンではすっかり友人のことなど忘れ去ったかの如く女にプロポーズしていたジークアクスのエグザベ君か!
いやまあ、ジークアクスの場合はそんなエグザベ君に費やする尺は元から無いし、作中時間では結構時間が経過しているんで、多分エグザベ君も色々葛藤して乗り越えていたんだろう…決してサイコパスなキャラじゃないと思う多分。それに比較して、小一郎の方は本当にあっさりしているんだからマジでコイツ、兄貴と負けず劣らずのサイコパスか!
〇オグリン、完成され過ぎ問題
今回のオグリン、もう「尾張のうつけ」というより、前世である闇堕ちしたキノコ執権をそのままにしたかのような初形態からいきなり第六天魔王感。これはちょっと無粋な話なんだけど、この時期のノッブっていきなりこんなキャラじゃないよ。むしろ、この時期のノッブで結構甘々で、意外と後世に伝わる魔王というキャラとは程遠いのよ。弟の信勝の場合は一度許したけど、再度謀反したから流石にやむを得なく粛清したまでで、他は自分に一度敵対したり出奔した兄弟や叔父とか従兄弟とかも普通に帰参ゆるしているからね。後年の一向一揆への対応から逆算しているように見えてならない。それにしてもこんな出だしからキャラが完成されてしまっては、「キャラの成長や変化を楽しむ」という大河ドラマの醍醐味が薄れてしまいそう。

