さて第1部が終わっての来る第2部となる今回の話。出だしがどうなるか気になっていたのですが…

 



ちょっと待ってぇぇぇ!!!今回、完全に逃げ若版『太平記』になっているんですけど!?完全に南北朝のラスボス足利尊氏が主役になっているんですけど!?

主人公の時行くんが完全に不在なんですけど!?

いやむしろ大歓迎なのが困っちゃった所(苦笑)今回の舞台となる1336年はまさに日本史上でもこれほど凄まじいジェットコースターのような勝者が入れ替わる凄まじい逆転!逆転!逆転!はそうはない。そして何よりも

南北朝最高の智将・大楠公楠木正成!!

南北朝最高の勇将・新田義貞!!

そして逃げ若でもまだかまだか出番が待望されていた


日本史最強の貴族・北畠顕家卿が満を持して登場!

という後醍醐帝方を代表する3人の名将が勢揃いするというまさにオールスター回。そりゃ松井センセイもこんなに美味しいネタを放っておくわけがない。今回の話に相当する大河ドラマ『太平記』第35話「大逆転」なんですが、何と今回の1336年の話を1話で尊氏の九州からの再起をやるという凄まじい省略が成されました。おかげで、足利尊氏を語る上で欠かせない多々良浜の戦いが完全カットされてしまうというまさかの大暴挙。『三国志』で曹操を主人公にした物語で、官渡の戦いをカットするようなもの…と言えばどんだけの衝撃かお判りになりますでしょうか。もちろん逃げ若でも流石に詳細まで描けませんが、キチンとその逆転劇を描いているので本当に感動してしまいました。楠木正成、新田義貞、北畠顕家という3将帥が揃って南北朝のラスボスを撃破する…もっとも裏を返せば、これだけの名将が揃ってようやく足利尊氏を撃破できたと言う意味では逆説的には南北朝のラスボス足利尊氏の強大さを示唆する者であったと言えるでしょう。それでは主人公時行くん不在での南北朝のラスボスの七変化をどうぞ(笑)

 

〇暴君と英雄の決裂・南北朝のラスボス泣き喚く

解説「ある少年の一つの乱は…日本の歴史を一気に動かした」

今回は最初の一コマだけに終わってしまった北条時行くん。ただ彼が起こした乱は彼自身も思いもよらない形で日本史を大きく動かすことになりました。その意味で間違いなく「北条時行という少年が歴史を動かした」というのはまさしく事実を正確に言い表しているものと言えましょう。ここからは完全に彼を不在にして、怒涛の1年が始まります。

2年という歳月は長かったのか、短かったのか、少なくとも鎌倉幕府滅亡後にはまるで相思相愛の如く蜜月だった後醍醐帝と足利尊氏に遂に決定的な亀裂を生み出します。時行の乱後も鎌倉に留まり、既に実質的に将軍のように振る舞い、恩賞を分け与えるなどの行為に及んだ尊氏の行為。それは日本全国に自ら以外の権威が君臨することが許せない独裁帝王・後醍醐帝の逆鱗に触れる行為でした。更にタイミングの悪いことに鎌倉に流刑となっていた帝の息子の護良親王を腹黒い弟の直義が殺したことが京に露見。2人の書状のやり取りでは呆気なく2人が決裂してしまい、遂に帝が逆賊として討伐対象にしてしまい、それに対して書状を破り捨てる南北朝のラスボス…で終わってしまいましたが、以下は捕捉

後醍醐帝「尊氏、北条の乱は終息したし、論功行賞は京で行うからいつまでも鎌倉に居座っていないで戻ってこい」

南北朝のラスボス「(時行の生死が分からないし、まだ関東は不安定なんで)ヤ~ダ~」

後醍醐帝「このままでは朕は汝を討伐せねばならぬ。我が息子護良親王を殺した罪も許すし、恩賞も与えるから京へ戻ってこい、な?」

南北朝のラスボス「(直義がダメと止めるから)ヤ~ダ~」

後醍醐帝「このままでは朕は汝を逆賊として討伐せねばならぬぞ!それでもいいのか!」

南北朝のラスボス「ヤ~ダ~」

後醍醐帝「朕の言うことを聞かない尊氏のバカ!もう知らない!(# ゚Д゚)」

 



南北朝のラスボス「ワーー!!帝のバーカー!!(´;ω;`)ウゥゥ」

この辺は尊氏のスーパーポジティブさと後醍醐帝の教条主義的頑迷さが最悪の組み合わせになったというべきでしょうか。尊氏としては自分が帝と敵対するつもりは毛頭なく既成事実を積み上げれば、帝も折れるに違いないと読んでいた可能性が高いです。

これはこの後も彼の行動も判る通り、彼の「甘さ」でもあるんですが、しかし後醍醐帝は以前にも触れた通り、エゴイズムの塊のような自分中心でないと気が済まない御方。かくして可愛さ余って憎さ100倍。最早帝には最も恩寵を与えていたこの英雄の「裏切り」を絶対許さず、子々孫々に至る憎悪となってその後の日本史に大きな負の影響を与えることになるのです。


1336年1月、遂に尊氏討伐の命が下された新田義貞が東上を開始し、かくして次なる戦乱が始まります。それにしても新田義貞、強烈な血文字で「?」なのは彼が見ているのは尊氏との決着のみで、政治的意味合いとか歴史上の立ち位置とかはまったくアウトオブ眼中なのを示しています。これに対して、我らが南北朝のラスボス足利尊氏はというと…


南北朝のラスボス「うわああああんやだよおぉぉ朝敵認定されちゃったよおぉぉ 大恩ある帝と戦いたくないよおぉぉ もう死んでお詫びするうぅぅ」

さっきまでの涼しい表情はどこへやら、またしても顔芸晒しながらの「死ぬ死ぬ詐欺」…というか本当に腹切っちゃっているよ!傍の家臣が止めても遠慮なく腹に刀をズブズブ刺しているよ!やはり生命力も人ならざる領域に達しているということか。多分的確に急所は(無意識に)外しているんでしょうが。もちろん言葉上では尊氏が後醍醐帝を敬愛していたこと疑いないのですが、実際にやっている行動はというと…この乖離っぷりがまさに南北朝のラスボスの真意が分かりにくい証拠です。

そこへ執事の高師直が出陣を促すために寺に籠る尊氏の下へ参上します。

高師直「新田義貞は勢いに乗せると手が付けられない」

手越河原の戦いで惨敗し、追い詰められる腹黒い弟の直義。これも腹黒い弟が戦下手という風評被害の一つとなっていますが、正直これ関して言うなら腹黒い弟には酷な話ではないかと。この戦いでは先の通り、北条軍をあっさり撃破するなど強大な戦闘力を見せつけた高兄弟も参戦しており、いかに司令官代理の直義が戦闘指揮官として無能だったとしてもこれほど一方的な敗北を喫し、碌な抵抗も出来ずに追い詰められるのは考えにくい。やはりこれは本来の総司令官である尊氏が指揮を放棄して寺に引き籠っていることによって将兵の士気がガタガタになっていたのではないでしょうか。

南北朝のラスボス「直義は我が愛する分身だ。死なせることは断じてできん!だがやはり帝に弓を引くわけには…」

ブラコンの塊として愛する腹黒い弟を救うか、それとも敬愛する帝に弓を引くか。南北朝のラスボスにとっては究極の二者択一の選択に苦悩する場面…の筈ですが、そこでいきなり話題を変える南北朝のラスボス。いつも髪を結わずに長髪のままの師直の髪型にこの究極の窮状で気になりだす南北朝のラスボス

高師直「髪を結う無駄な時間が煩わしいので。執事は多忙ゆえ」

南北朝のラスボス「いいなそれ!我も煩わしさから解放されたい!」

思わず上手い!!と膝を叩く思いでこの場面を見てしまった。

有名な足利尊氏の肖像画とされるザンバラ髪ヘアの騎馬武者像。髻を切り落とした尊氏は帝に恭順するために事実上世捨て人となる決意を示したと言われています。しかし現在ではこの騎馬武者像は足利尊氏ではなく、実際には高師直ではないかとされ(彼の息子の師詮という説もある)、尊氏に対するイメージを大幅チェンジしつつあります。逃げ若では師直の髪型に倣って…という形で、この尊氏像をアレンジして再現してみせました。従来の通説的イメージを現在の史実研究の成果を踏まえた形で取り入れる。やっぱり逃げ若は本当に素晴らしい。それにしても…

南北朝のラスボス、お前豹変しすぎだろ

ついさっきまで「死んでお詫びする」と泣き叫び、「愛する腹黒い弟か、敬愛する帝か」と苦悩していたその次の瞬間には師直の髪型が気になった途端に態度が変わり過ぎ。一度に考えられるのは一つのことだけ疑惑があります。

 

そしてその髻を切り落とした姿を見て「殿はたとえこの戦に勝っても武士を辞めて、世を捨てる覚悟だ!」と勘違いした足利の将兵たちはすっかり士気を回復。その姿を見た尊氏は

南北朝のラスボス「…なんだ師直。皆やる気じゃないか。

仕方ない。天下を獲るしかないか」


カリスマ的指導者というのはその行動は傍目から見ると不合理極まりないものがあります。それこそ常人が行えば、間違いなく破滅するようなおかしな言動・行動を取っていたとしても、カリスマを前にすると人々は勝手に都合の方に解釈し、従う。まさに南北朝のラスボスもそんな感じ。その真意はどこにあるのかが見えず、つい先ほどまでとは全く異なる行動原理で動いてしまいます。

 

一方の師直はこのことを見越したかのように反撃の一手を用意していました。新田義貞軍にはさっきまで尊氏のズッ友として行動していた判官殿こと佐々木道誉が降伏していましたが、これも偽装降伏であり、端緒から寝返る気満々。尊氏が出馬するとすっかり士気が逆上昇した足利軍の前に新田軍は一気に崩壊してしまいます。ハイ、二度目の逆転ですね。

かくして今度は足利軍が後醍醐帝のいる京まで攻め上ります。しかしそこに…

 

〇最強貴族・北畠顕家卿参戦!

解説「だがその時、稲妻のような進軍速度ではるか奥州から帝を護りに駆けつけた貴族がいた」

武田信玄に先駆けること2百年早く「風林火山」の旗を掲げ、羽柴秀吉の「中国大返し」を遥かに上回る進軍スピードで東北から一気に畿内までの進軍を成し遂げるという有名な戦国武将に匹敵する凄まじさを発揮した貴族。戦闘力においては圧倒的強さを誇る高兄弟ですら「迅い」「強い」と言わしめ、実際彼が通った後には凄まじい矢で射かけられた足利の兵士の死体の山ができるほどのその貴族の名前は…


ついに…ついに…北畠顕家卿キター!!

もうこれも完全にぶっ飛んだキャラ描写で完全に松井センセイ好みのビジュアルでやりたい放題。金髪のロングヘアに、ゴージャスな衣装、まるで宝塚スターの如く中性的な美貌。もう史実の北畠顕家じゃないよね!というキャラデザインですが、勿論松井センセイがそんな史実ガン無視しているわけはなく、その内面はキチンと顕家の本質をちゃんと掴んだ見事な描き方をしています。それはまたおいおい語っていくことにしましょう。いずれにせよ、その強烈なビジュアルだけで読者の心を見事に掴むことに成功した逃げ若の北畠顕家卿でした。

 北畠軍の来援で再び窮地に追い込まれた足利軍。南北朝のラスボスは冷静に現在の戦況を分析します。

南北朝のラスボス「時行の乱から兵の消耗が続きすぎた。補充せねば戦はできん」

このセリフ、結構重要です。尊氏はそれまで時行くんのことを徹底的にその存在を無視しようとしていました。乱の名前でも「諏訪頼重の乱」と執拗に呼ぼうとしたりした言動がありましたが、やはり事実としては動かしようがなかったを認めざるを得ない状態に追い込まれたのでしょう。以前にも言いましたが、中先代の乱では北条軍は尊氏の足利軍の前に短期間で敗れたと言う事からあっさり敗れ去ったというイメージがありますが、実際には足利軍の士官クラスの戦死者は決して無視できぬ数があるという厳然たる事実があります。そこから僅か1年で更に今回の戦乱ときて、足利軍の消耗も激しく、継戦不可能と見て取った南北朝のラスボス


おおう、またしてもブラコン魂で弟ラブで、それ以上に弟Disを見せつける尊氏(笑)

腹黒い弟はそんな兄の性格が手に取るようにわかるから、これが「100%善意」からくる言葉であることが分かっています。ただそれでも面と向かって言われると腹黒い弟といえど、やはりどこか平静ではいられないのは汗だくの描写でも明らかですね。多分、これもまた後々大きな禍根になりそうです。そばにいるという赤松という武将に兵4千を預けて時間稼ぎを命じます。〇に心という鎧からも

赤松円心であるのは明らかですね。

山賊のような厳つい表情のオッサンなのも『太平記』の渡辺哲さんオマージュっぽさ満載。元は護良親王の配下であった彼に残存する兵の大半を預けてしまうのはあの師直ですら躊躇してしまうのですが、そこをやってのけるのが南北朝のラスボスの豪胆さ。

南北朝のラスボス「なんとなく九州にでも行ってみよう。敵ばかりだがたぶんすぐ味方になるさ!」

持ち前のスーパーポジティブさを発揮して今後の展望を明るい表情で語り出す尊氏。かくして大激戦の果てに足利軍が最終的に九州へ落ち延び、帝方が勝者となりました。

南朝三大名将勢揃いとなる京。何しろこの3将帥が揃うのはこの時が最初で最後です。ここで肩を並べ、互いの将として実力を讃え合う大楠公と顕家卿。


嘘のような本当の話。

敢えて一度は奪還したかに見えた京を再度放棄し、そこに足利軍を入れることで油断させ、そのうえで偽装死体をもって「楠木、北畠、新田らが死んだ」という偽情報を流すことで、これにまんまと引っかかった足利軍が主力を出撃させている間に本陣を強襲することで、足利軍は総崩れになったのでした。ご丁寧に信じ込んだ足利軍は彼らの「首」を晒しものにすると、「これは似た(=新田)首なり。まさしげ(=正成)に書ける嘘事(そらごと)かな」とまで一句まで添えたと言うオチまでつきました。もちろん「おいしいうどんあります」というのは本作の大楠公らしさ満載ですが、「帝尊氏の事好きらしいよ」とか大爆笑ww案外本当に流されていたかもと思ってしまいました。それにしてもこんな偽情報にあっさり引っかかってしまう南北朝のラスボスもどうよ(笑)

北畠顕家卿「花の都を罠場に使った不届き者め」

貴族らしい嫌味を言いながらもその智略ぶりを讃える顕家卿。相変わらず卑屈な笑顔でヘコヘコする大楠公。ああ、この2人がきちんと将才を発揮する場面があれば…と思わないでもありません。しかし、この後顕家卿は再び奥州への帰還を告げます。後醍醐帝としては勝敗はついた…と判断。結果的にはこの時、南北朝のラスボスを仕留めきれなかったことが後々命取りとなります。それは2人の将帥の独白からも明らかです。尊氏が健在なままの状況に危惧を抱く2将。特に大楠公は気がかりな光景を目撃していました。

大楠公「敗走する尊氏に…勝った我が軍から兵が離反しついていく。尋常ではあり得ん事だ。英雄にして怪物、一時の敗北などものともするまい」

かつて時行くんが見た不気味な光景を同じく目撃することになった大楠公。史実でも勝った帝方から多くの将兵が足利方に寝返るという常識的には考えられない現象が起きていました。史実的には西国に落ち延びる途中の尊氏が「元弘没収地返付令」という土地に関する布告が多くの武士の心を引き付けたとされています。それは建武政権下で没収された土地を鎌倉幕府時代に戻すというもので、これが土地問題で建武政権不満を抱いた武士にとって人気が集まった…もちろん合理的に解釈すればそうなるんですが、現実に敗軍の将が発表した布告などどれほど現実的効果があったか?というのは重要な疑問。逃げ若ではそこに南北朝のラスボスの人外の能力によるカリスマによってそれらを自然な形にしてしまいました。恐るべし南北朝のラスボス。

 

そして落ち延びた筑前多々良浜…

うぉぉぉ!まさか『太平記』でカットされた多々良浜の戦いを観れる日が来ようとは(涙)

多々良浜には九州における帝派の武将菊地武敏が大軍を引き連れて待ち構えていました。

菊地武敏「愚かなり足利尊氏千騎足らずで儂の3万騎と戦うつもりか」

あ、それは「勝ったなガハハ」という完璧なフラグのセリフです(笑)少数ながら全く動じない足利軍の将帥、腹黒い弟、高師直・高師泰兄弟、判官殿。そして南北朝のラスボス

 

解説「歴史に残る逆襲劇。怪物英雄が再びその名を轟かせる」

ゴメンナサイ、今回は情報量が多すぎてお腹一杯。やはり南北朝のラスボス足利尊氏が出てくると一気に面白さが3倍増しになってしまうのは困ったことかな(笑)