バザラスからのアジアン紀行 -30ページ目

最近の頂き物

毎々年、

 

盆と暮れに頂戴している。

 

送り主は、俺の故郷・宮崎の

大先輩。

 

高校生の時に知り合って、

 

色んな世界を教えて頂いた

大恩人。

 

大恩人なのに、恩返しを

するでなく、逆に律儀に

お中元とお歳暮を頂戴し

ている。

 

感謝の気持ちだけでなく、

形にして表さないとね。

 

こちらは、大学サークルの先輩から。

 

先輩の故郷・秋田の佃煮。

 

この佃煮も、

 

年に2回、頂いている。

 

色んな食材を使った、

贅沢な佃煮。

 

何のお返しもしていないのに。

恐れ入ります。

 

月水金に働いている

会社のオフィスが入って

いるビルのオーナーから。

 

いつも買っている

タバコ屋さんから。

 

皆さま、いつもいつも

有難うございます!!

 

 

最近のアジア飯

毎週火曜日と木曜日のランチ処。

 

セットドリンクは、赤ワインをチョイス。

 

2つしか無いレギュラー・メニューの

ひとつ。

 

何回食べても美味い。

 

具沢山の大椀味噌汁も、

ここをランチ処にした

ポイント。

 

小鉢も付いている。

 

毎週の楽しみは、週替わりの

ランチ・メニュー。

 

凄いボリュームです。

 

ボリュームが凄いのに、

8割は女性客。

 

女性には、大食いが多いという

証(笑)。

 

オーナーシェフとホールの女性

とのツー・オペレーション。

 

オーナー・シェフは、和食の出身と

の情報があったが、

 

料理は、和洋中なんでもござれで、

どれも美味しい。

 

2つあるレギューラーメニュー

のひとつ。

 

凄い豚バラの量なんです。

 

男の俺でも食い応えが

あります。

 

さて、ワインも飲んだし、

午後からのバイトを頑張

ろう!(笑)


1300年を旅してきた その10

ここは、埼玉県日高市の

高麗神社。

 

今月初め、3回目の訪問です。

 

なぜこの地に高麗神社があり、

 

高麗神社直ぐ脇の聖天院に、

 

高麗若光王の陵墓があるのか?

 

その訳をこの10日間に亘って

解説して来た。

 

以下、1300年前より明治29年まで

高麗郡だったこの地の高麗神社

HPより。

 

「高麗郡の郡長となった若光は郡民

 を指揮し未開の地の開拓を進めま

 した。

 

近代に至り、この史実に惹かれ、政治家、

文学者、歴史家ら多くの参拝者が訪れます。

 

更に参拝後に内閣総理大臣に就任した

政治家が相次いだことで、「出世明神」と

称されるようになりました。

 

現在では様々な分野で活躍を目指す人々

の崇敬を集めております。

 

また、御祭神 高麗王若光の子孫である

高麗氏は、1300年・60代に渡り家系

血脈が続いており、代々当社の祭祀を

司ってきました。

 

こうした若光の子孫の由来に因みから

当社は「子孫繁栄・子授け祈願」はもと

より、「安産・初宮・七五三・成人奉祝・

年祝」など人生儀礼での参拝も多く、

篤い崇敬を受けております。」

 

今回の連載記事で、再三述べて

きましたが、

 

古来、日本と朝鮮半島の国々とは、

愛憎半ばの感情を超えた、強い

国造りの結び付きがありました。

 

隣邦との友好こそが、

平和な国造りには

必須な条件です。

 

その為には、お互いの歴史を

長いスパンで深く知らなけれ

ばなりません。

 

我々現代日本人は、受験歴史は

記憶しても、生きた歴史を学ぶ

機会はありません。

 

しかもその歴史は、西洋史観

に基づいており、決して中立的

で多元的な歴史ではありません。

 

お隣の韓国中国の地獄の様な

受験戦争を見れば、隣邦も受験

歴史を記憶するためだけの歴史な

のでしょう。

 

中国や北鮮は、一党独裁に

都合の良い歴史解釈を

国民に押し付けている

だけでしょう。

 

そういう歴史観を持てば、

隣善友好など絵に描いた

餅です。

 

自国の歴史や、隣邦の歴史、

自国と隣邦との関係史を

深く知らなければ、表面的な

差異ばかりを問題化して、

安易な反中・嫌韓といった

ようなヘイト・クライムに

陥るだけです。

 

歴史は、現代と深く結び

ついています。

 

だからこそ、歴史認識の深浅が、

現代社会を形づくります。

 

長い歴史の中、その歴史に深く

入り込んで、現代的価値観で

正否を判断するのではなく、

それぞれの時代に生きた

人間の目で価値判断する

教養が必要となります。

 

この歴史の旅は、まだまだ

続きそうです。

 

お終い。

 

1300年を旅してきた その9

ここは、埼玉県日高市。

 

真言宗智山派

高麗山聖天院(しょうでんいん)

勝楽寺

 

今月初めの訪問です。

 

慰霊塔(在日韓民族慰霊塔)

 

以下、HPより。

 

「終戦前三六年間に亡くなった

 在日韓民族無縁仏の慰霊・

 供養を願い、尹炳道氏が私財

 を投じ造成建立。

 

基壇を合わせ高さ十六米の石塔は

日本最大級、下部に納骨室を備えて

いる。

 

域内には朝鮮様式の八角亭、檀君、

広開土大王、王仁博士など韓民族の

偉人の石像が並び、異国情緒豊かな

霊域となっている。」

 

古来、日本と朝鮮半島との

交流は、今では想像出来ない

ほどに密接頻繁に行われてい

た。

 

朝鮮三国時代(4世紀~7世紀)、

 

日本は、高句麗・新羅・百済

の三国と、時代状況にの変化

と共に、同盟を結んだり、

干戈を交えたりしていた。

 

常に朝鮮半島を版図に加えようと

していた中国の隋・等の影響も大きく

三国の盛衰に関係している。

 

当時の中国は、東アジアの超大国で

先進国。

 

陸続きの朝鮮半島は、その中国の

先進文化文明の直接的影響下に

あった。

 

朝鮮の各国が攻防の末に

亡国となる度に、多くの朝鮮

王族・貴族・官僚そして各種

の技術者たちが日本に

逃れて来た。

 

その渡来人がもたらした先進文化・

文明は日本の国造りに大いに貢献

する。

 

日本は、ユーラシア各地域から

渡来して来た人々と交わり、

その人々がもたらしたユーラシア

文化・文明と日本の風土に育まれた

知性とが混交したハイブリッドな国柄

なのだ。

 

つづく。

1300年を旅してきた その8

高麗(こま)=高句麗

若光王。

 

ここは、埼玉県日高市。

 

真言宗智山派

高麗山聖天院

勝楽寺

 

今月初めの訪問。

 

この地域は、1300年の昔から

1896年(明治29年)まで

高麗郡だった。

 

1300以前、朝鮮半島は

三国時代。

 

高句麗、新羅、百済が鼎立しながら

対立もしていた。

 

新羅は中国・唐と結んで(唐・新羅の同盟)、

660年に百済を668年に高句麗を滅ぼした。

 

これによって朝鮮半島は

新羅が統一。

 

その新羅も中国・唐と幾度も

干戈を交えている。

 

9世紀末になると、新羅の国力は

衰退。

 

そして百済と高句麗の再興を目指す勢力

が台頭し、後百済、後高句麗との三つ巴

の抗争(後三国時代)へと移行。

 

最終的に、新羅は後高句麗から

興った高麗に帰順し、その歴史を

終える。

 

その過程で、国破れた高句麗=高麗(こま)、

百済、新羅の王族・貴族・官僚等が日本に

亡命し、日本各所に振り分けられて移り

住むことになった。

 

つづく。