バザラスからのアジアン紀行

目アジア各国のお酒と食べものや面白い話、流行、時事問題などのホットな情報から奥深い歴史の話など、皆様と共にアジアな関係を築いていきますクラッカー

http://bazarasu.jp/index.html
合格こちらもご覧下さい合格

アジアのお酒と食べ物のことなら-BAZARASU-

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

はっぱ村のなが足ウサギ その2

はっぱ村のなが足ウサギ その1

友人が2冊目の絵本を出したからと、

送ってくれました。

 

2冊目と言っても、この絵本は

表表紙から始まる話と、裏表紙から

始まる話の、二つの物語が展開され

ますので、1冊で2話楽しめます。

 

では、何日かに分けて紹介しますね。

 

あ、英語の勉強にもなりますよ。

 

 

 

 

 

 

 

つづく。

 

最近のアジア飯

 

5年位前まで、

 

俺のランチは、

 

こんな感じだった。

 

週に1日はラーメンを食べていた。

 

日替わりで、

 

洋の店に行ったり、

 

和の店に行ったり、

 

中の店に行ったり・・・。

 

今では、菓子パン食ったり(笑)、

 

弁当買ったり、

 

テイクアウト専門の寿司

食ったりと、

 

ランチ事情が激変した。

 

店で食うこともほとんどなくなった。

 

食いたいものや、

 

どうしても行きたい店が、

 

全く無いのだ。

 

歳をとるって、コスパ抜群!(笑)

お江戸不思議発見!(笑)

ベタだけど許す(笑)。

 

かつての和彫りは美しかった。

 

日本原住民は、皆入れ墨を施して

いたとの古文も残る。

 

入りたくない(笑)。

 

色んなBARがあるね。

 

中国で流行のショート・ドラマでは、

AI俳優がジャンジャン起用されて

いるそうだ。

 

生身の俳優は失業していくのか?(苦笑)。

 

俺は、紙巻きたばこラヴァーだが、

 

水煙草は好きじゃない。

 

特に花やフルーツ&スイーツ系。

 

駐輪場に仏塔!?(苦笑)

 

世界の郵便局は、e-mailやSNSに

凌駕されて、経営が成り立たなくなっ

ている。

 

強そうなラーメン屋さん(笑)。

 

使えるのか?(笑)

 

歩道沿いにいきなり現れて

びっくり!(笑)

 

意味深(笑)。

 

上を見たら豚がいた(笑)。

東大散歩 その3

ここは、東大本郷キャンパスです。

 

以下、歴史群像 デジタル歴史館HP

より。

 

チャールズ・ウェストは、1847年にアイル

ランドのダブリンで生まれました。

 

大学で機械工学を修めたのち、製鋼所

で働くかたわら造船技術を修得していま

す。

 

日本政府の招きで明治15年(1882)に

来日。

 

工部大学校講師として機械工学、造船学を

教えました。

 

周囲を海に囲まれた日本においては、

産業の根幹となる機械工業の発展と

同時に造船と海運の近代化もまた急務

であり、チャールズ・ウェストの教壇で学

んだ学生の多くがこれらの分野に巣立ち、

その近代化に邁進しました。

 

来日後はそのまま日本に滞在しましたが、

1908年、惜しまれつつ世を去っています。
 

銅像は、台座付きの胸像で彫刻家・

沼田一雅(ぬまたいちが)の手による

ものです。

 

像の周囲にはライトが設置されており、

夜間はコンドル像とともにライトアップさ

れますが、胸像でライトアップの設備を

持つものは非常に珍しいといえるでしょう。

 

なお、この像の原型となった石膏像も

工学部機械工学科に所蔵(非公開)され

ています。

 

ジョサイア・コンドルは、1852年にイギ

リス・ロンドンに住む銀行員の子として

誕生。

 

父の死後、建築家を志します。

 

ロンドン大学などで建築学を学んだのち、

1876年にイギリスの名建築家に因んだ

ソーン賞を受賞したことをきっかけに、日

本政府の招きを受けて明治10年(1877)に

来日しました。

 

日本では工部大学校(現在の東大

工学部建築学科)などで教鞭を執っ

た後に建築事務所を開いて数多くの

建築物を手がけました。

 

手がけた作品の多くは解体・震災や

空襲などによる損壊で失われましたが、

1891年竣工のニコライ堂や、三菱財閥

の岩崎久弥本邸(現在は旧岩崎庭園内

の建築物として現存)など、重要文化財

になっている建築物を数多く手がけまし

た。

 

有名な鹿鳴館(1940年に解体)も代表的

な作品です。

 

日本の建築学の発展に多くの足跡を残し

たジョサイア・コンドルは1893年に日本人

女性と結婚、1914年には工学博士号を取

得しましたが、1920年に脳溢血で世を去り

ました。
 

 銅像は、没後2年の大正11年(1922)に、

長年の功績を称えて製作が決定し、翌年

除幕されました。

 

製作は新海竹太郎で、東大内の銅像では

比較的数が少ない台座付きの立像になっ

ています。

 

また台座には2体の邪鬼も描かれています。

 

古市公威(ふるいちこうい)は、幕末に

姫路藩士の子として誕生し、開成学校

(元は旧幕府学問所)を初めとして学業

の道に進みました。

 

20歳を過ぎて新政府派遣の海外留学生

としてフランスに渡り、欧州の進んだ土木・

工学を学んで帰国。内務省(建設省、国土

交通省の前身)の技師として職務に就くか

たわら、東大講師として教鞭を執りました。

 

後に統合により東大工学部となる工科

大学の初代学長に就任。日本の土木の

技術・行政面の近代化に大きな足跡を残

しました。

 

また日本初の工学博士でもあります。

 

技師(土木工学技術者)は、技術・行政全

般に通じ、兵ではなく将帥、指揮者でなけ

ればならない。将に将たる人であれ、と説

いたことでも知られています。
 

銅像は、長年の業績を称えて製作され、19

37年に建立。

 

堀進二製作の像は、杖を持ちソファーに腰を

かけた姿を描いており、穏やかな表情が印象

的な像です。

 

正門を入って左、工学部11号館横に置かれ

ています。

 

浜松ホトニクス製「20インチ光

電子増倍管」の野外展示


2002年のノーベル物理学賞・小柴昌俊博士

(カミオカンデ計画では1,071本を使用)、

 

2015年のノーベル物理学賞・梶田隆章博士

(スーパーカミオカンデ計画では11,129本を使用)。

 

正門前の路地は民家が密集していて

長屋のように見えます。

 

東大が出来た明治の初めから、

昭和まで、ここ本郷地域は色んな

業界が活況を呈していました。

 

今は寂しいけれど(苦笑)。

 

お終い。

 

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>