バザラスからのアジアン紀行 -2ページ目

『近代の呪い』渡辺 京二 著(平凡社)

明治から俺達の世代までは、

近代の申し子。

 

何もかもが近代に生まれた

物事を母体にして育って来た。

 

今日よりも明日、

明日よりも明後日、

今年よりも来年を

目指すべき幸せの橋頭保として、

前進、前進、前進あるのみと、

気忙しく生きて来た。

 

資本主義的経営が、常に前年度

の業績を更新しなければならない

ように、我々個人生活も常に現在の

在り様を更新するように、息つく暇も

なく生きなければならなかった。

 

在野の思想史家である渡辺京二さん

(1930-2022)は、そんな近代に疑問

を呈し、人間存在の根源的自由の視点

から反撃を試みた。

 

以下、平凡社のコメント

 

「『逝きし世の面影』の著者が人類史の視点

 から近代を総括する注目の講義録。

 

私たちはどこから来て、どこへ向かおうとして

いるのか──。

 

この混沌たる時代を生き抜く現代人のための

必読の書。 

 

私たちはどこから来て、どこへ行こうとして

いるのか──。

 

無限の経済成長にのみ幸福を見る時代は

終わった。

 

単線的な進歩主義に基づく近代史観から脱し、

人が人らしく生きうる共同社会を取り戻すため

に、近代化の意味を再び問い直すときがきて

いる。

 

豊かさの背後に刻まれた呪いを自覚し、

これからを生きる術を考える。」

 

目次

 

第一話 近代と国民国家──

     自立的民衆世界が消えた
 

     近代の時代区分/「国民」の誕生

      ──中国人留学生が見た日本
 

      民衆への憂い/幕末期の民衆意識
 

      近代の成立要件1──自立的民衆

      世界の解体/市民社会の陥穽
 

      民衆世界の自立性とは何か/近代

      の成立要件2──知識人の出現
 

      近代的知識人とは誰か/管理社会

      への問い
 

      反国家主義の不可能性/国民国家

      における「人間の条件」

第二話 西洋化としての近代──

     岡倉天心は正しかったか
 

     現代社会の様相/「近代化=

     西洋化」図式への批判
 

     世界を制覇した西洋文明/経済化

     された世界
 

      セルジュ・ラトゥーシュと岡倉天心/

      なぜ西洋モデルは普遍化したか

 
      西洋近代の贈り物/特殊を通じた

      普遍の創造

第三話 フランス革命再考──

     近代の幕はあがったのか
 

      大佛次郎を読み直して/フランス

      革命を問い直す


      アンシアン・レジームの特徴/

      絶対王政の時代
 

      貴族の実情/革命のはじまり/

      国民議会の成立


      過激化の要因/「新しい人間」

      から恐怖政治へ


      連鎖する革命の負の遺産/

      右翼・左翼を超えて

第四話 近代のふたつの呪い──

      近代とは何だったのか


      近代の所産を問う/江戸時代の

      人権事情
 

      前近代的自由の自由さ/身分

      制社会における平等
 

      近代に見る人権・自由・平等/

      衣食住向上の意義


      インターステイトシステム/世界の人工化


      科学と科学技術の可能性/

      人間中心主義の帰結


      これからの課題──呪われた

      時代を生き抜くために

つけたり 

大佛次郎のふたつの魂


私の大佛次郎/『ドレフュス事件』


『ブゥランジェ将軍の悲劇』/

『パナマ事件』から『パリ燃ゆ』へ


パリ・コミューン──民衆の共同世界

という夢/保守の情念への目覚め


進歩と伝統が共存する魂/大佛次郎

作品の今日的意義

あとがき

 

驚愕のランチ・プレート 「初音」

500円(税込)で毎週金曜日に

買っている初音おかず弁当。

 

この日は、スパゲティー2食と、

 

これと

 

これの4点。

 

別の日はこれと、

 

ズッキーニの豆腐のチャンプルー

のこれと、

 

とんかつ2点の合計4点。

 

別の日は、大将の愛情メモ入り。

 

これと、

 

これと、

 

これと、

 

これの4点。

 

別の日はこれと

 

これと、

 

これと、

 

これの4点。

 

大将!

毎週、色んな美味しいおかずを

安く沢山作って頂いて、有難うござ

います!!

永遠の今

永遠は、今の中にある。

哲学者、西田幾多郎氏の言葉。

 

瞬間に永遠が宿ると言い換えても

良いだろう。

 

時間は、直線的に流れて

はいない。

 

円環的循環的にこの瞬間に在り、

瞬間的に過去と未来が同時する。

 

今この瞬間の自分に、過去と

未来が宿っている。

 

その瞬間瞬間の流れを、
人間が便宜的に概念化
したのが時間。
 
つまり、時間は人間が作り出した
存在根拠の無い夢幻のような
物。
 
室町の一休宗純和尚は
こう喝破した。
 
世の中は 食うて糞して 寝て起きて 
後は死ぬるのを待つばかりなり(笑)。
 
人間なんて所詮「糞袋だ!」
とも言い放った(笑)。
 
蓋し名言である(笑)。
 
これらの名言の裏には、深い人間愛が
あると同時に、
 
人間の浅はかな生き様を諫める
意も含まれている。
 
貧富貴賤に翻弄される
人間の欲望など「糞くらえ!」
であり、
 
己を「糞袋」と看做せば、
 
平凡な日常とても、有難い
施しに充ち満ちている
ということ。
 
つまりは、永遠は今にあり、
今が永遠なのだとも言える。
 
時間など伸縮自在。
 
心の持ち様によって、薬にもなれば
毒ともなるのだ。

 

北海道被爆者協会

世界には、知っている歴史よりも

知らない歴史の方が多い。

 

こんなちっぽけな日本国内でも

知らないことが沢山ある。

 

俺は知らなかった。

 

北海道に被爆者協会があることを。

 

1945年8月、広島、長崎に投下された

原爆によって被爆し、その後北海道に

辿り着き、そのまま移住された方達

がいた。

 

被爆者の方達は、周囲から受ける被爆差別や

謂れなき軋轢を避けて、口を閉ざされていた

状況から、確かなことはあまり分かっていない。

 

広島平和研究所のHPによると、

北海道に辿り着いた被爆者の

背景が次の様に説明されている。

 

「第一に、1945年8月以降に親戚や身内を

 頼って北海道に身を寄せた人たち。

 

第二に、就職や転勤、あるいは結婚をきっか

けに北海道に移り住んできた人たち。

 

第三に、広島の陸軍船舶司令部(通称・

暁部隊)に志願し、勤務中に直接被爆した、

あるいは救助に入って二次被爆し、その後

に帰郷を許され北海道に戻った青年たちで

ある。

 

彼らの中には、元々出身地は東北など北海道

以外であるが、故郷に戻っても被爆による健康

被害のために思うように働けず、それによる周囲

との確執を苦にして故郷を後にし、北海道に移っ

てきた人たちもいた。

 

そして第四に、戦後の北海道開拓の労働力

募集に応募してきた被爆者たちである。

 

北海道の僻地では、原爆によると思われる

健康被害を発症しても、「ヒバク」に対する

知識や理解がなく、適切な医療が得られな

かったであろうことは想像に難くない。

 

戦後の北海道には、外地から様々な人々

が入植したり、引き揚げてきたりした。

 

北海道被爆者協会のウェブサイトに掲載

された言葉を引用すると、その中には、広島、

長崎での被爆やそのことによる差別や風評

から「逃げて、逃げて、逃げて、北海道に来た」

という人々が相当数存在したという事実を、私た

ちは決して忘れてはならないだろう。」

 

被爆者に対する過酷な差別状況は、

その過酷さを避ける為に、自分が被爆

者である事を秘していた為に、多くの

事実が知られる事無く、歴史に埋もれ

ていたのだが、

 

原爆投下で街が破壊され、仕事も

ままならない状況に追い込まれ、

就職しようとしても、被爆者である

事を理由に、露骨に不採用となる

ケースが多かったそうだ。

 

また、広島・長崎から逃げるようにして

親と一緒に北海道に渡った子供達は、

地元の子供達に「放射能が伝染(うつ)

るから近寄るな!」と、酷い差別待遇

を受けたともいう。

 

たった13年前の3.11東日本大震災

による福島原発事故の際、近隣地域

は避難指示対象地域とされ、他県に

避難されたが、避難先では上記と

同じ様な差別や風評が生起している。

 

悲しいかな、80年経っても日本人の

民度の低さは何も変わっていない。

 

道内各地には多い時で一千人もの(二千人

という説もある)被爆者が居住していたと考え

られているそうだ。

 

北海道被爆者協会は、戦後80年となる2025年

の3月末に、会員の高齢化で活動の継続が難し

くなっているとして解散する方針だそうだ。

 

 

深川

ここは、深川(現墨田区)にある

西光寺。

 

以下、猫の足あとさんのHP

より。

 

「旧両国橋が架かる半世紀以上も

 前の慶長十一年(一六〇六)、この

 地で土地の開拓と海苔の製造を行

 っていた小林次郎右衛門が、増上寺

 の信誉英松和尚を迎え当寺を創建し

 ました。
 

浄土宗に所属し、江戸時代には寺子屋

を開くなど地域の教育にも貢献しましたが、

大火・震災・戦災など度重なる災害にも

遭遇しました。
 

明治時代後半に第十六世となった渡辺

海旭和尚は、ドイツに留学して仏教学の

研究で博士号を取得し、帰国後は深川

に浄土宗労働共済会を設立して、日本

の近代社会事業の先駆者として知られ

ています。


また、没年まで芝学園の校長を務め

た他、当寺に多くの学生を居留させ、

門下生として著名な仏教者を多数

輩出しました。

 

学者としては『対象新修大蔵経』を

監修発行したことでも有名です。


現在の本堂は、平成七年(一九九五)

に再建されました。」

 

(墨田区掲示より)

 

初代竹本東猿塚。

 

竹本東猿とは、明治時代

の女義太夫の太夫だそう

です。

 

浄土宗の開祖円光大師(法然)

の御詠歌碑。

 

墓地には、歌舞伎俳優七世沢村訥子、

初世沢村宗之助、落語家二世古今亭

今輔などの墓があるそうです。

 

かつての深川ですから

こんな古風な店も残って

ます。

 

隅田川です。

 

2年前には、隅田川の近くで

バイトしていたので、

 

毎日のように隅田川を

眺めていました。

 

川の流れを眺めていると、

 

心の底に溜まった澱を、

 

洗い流してくれるような、

 

清々しい気持ちになれます。

 

水は生命の源でもあるので、

 

鼓動と水の流れの

ハーモニーが、

 

命を運ぶ揺り籠みたいに、

心地よく心身を包み込んで

くれるからかも知れません。