新・バスコの人生考察 -9ページ目

死ぬほど嫌いな奴がメンバーにいる旅行はどれだけ大変か?の考察・前編(パソコン読者用)

※2008年・8月29日の記事を再編集


 「オエー!また神林がおらんやんけ!」


 「シャレならんわ!」



 以前、このブログで「大学のサークル選びは死ぬほど考えるべきではないか?」という記事をご紹介しました。


 僕が大学に入学したとき、勢いだけで入部してしまった探検部。春先に行われた、探検部の体力強化合宿の模様をご紹介して、サークル選びの大切さを啓発したのです。


 強化合宿によって感化された僕は、その後、探検にのめり込みました。


 授業そっちのけで、部室に出入りしました。強化合宿で自分の体力のなさを痛感したことから、日々、トレーニングに明け暮れたのです。


 今回のお話は、その体力強化合宿から5ヵ月後。今から13年前にさかのぼります。


 暦は秋に変わり、探検部で、秋合宿が行われることになりました。


 この合宿は、体力強化合宿とは違って、旅的要素が強いです。春夏秋冬で年4回行われ、部全体ではなく、上級生がそれぞれプランを立てて部会でプレゼンし、新入生が好きなものを選びます。


 僕は、春は洞窟に行きました。夏には山に登り、そしてこの秋も春のケービングの楽しさが忘れられず、松山さんという方がプレゼンした洞窟合宿に行くことにしました。


 行き先は春と同じ、岡山県の洞窟です。僕は迷うことなく、松山さんにおともすることにしたのですが、この合宿に、僕の大嫌いな「あの男」も参加することになったのです。


 そいつの名は、神林。


 そう、体力強化合宿の記事でご紹介した、とんでもない奴なのです。


 大学に4浪し、2年生になってから入部してきた、新入生あつかいの奴です。体力強化合宿中に、2度に渡って合宿を脱走したのです。


 僕とは春の洞窟合宿でも一緒で、こいつは洞内植物を入れるために用意したタッパに、自分のウンコを入れたのです。


 こんなもん、頭おかしいでしょ?ライトでタッパを照らしたら、中にウンコ入ってたんですよ!?


 「神林さん、このタッパにウンコが入ってるじゃないですか!?」


 「そうや」


 そうややあるか、お前!何がそうややねん!「我こそ正義」みたいな言い方すんなよ!


 加えて、こいつは補聴器をしています。べらぼうに耳が遠く、話しかけても、「えっ?」を連発してきます。洞窟合宿でも、洞内の湖で泳いで補聴器が壊れてしまい、仲間に迷惑をかけまくったのです。


 僕は、神林のことが大嫌いです。


 体力強化合宿を終えてからというもの、部室や校内で顔を合わせても、僕から話しかけることはありません。神林のほうは気にせず僕に話しかけてきたものの、僕は素っ気ない態度を取って、「お前のことが嫌いですよオーラ」を出しまくっていたのです。


 いずれにせよ、これは困りました。こんな奴が一緒だと、楽しめるものも楽しめないんですね。


 僕は松山さんに、神林を合宿に参加させないようにお願いしました。


 ですが、僕のわがままなど通るはずもありません。松山さんは神林をおちょくるのが大好きらしく、「むしろ楽しそうやん!」と言って、僕の言うことを聞いてくれないのです。


 まあでも、なんとかなるか……。無視してたらいいことやしな……。


 結局、僕は前向きに考えてこの合宿に参加することにしたのですが、僕の判断は甘かったのです。ケービングの楽しさなどどこ吹く風、神林がいたせいで、せっかくの旅行が台なしになってしまったのです。


 そこで今回は、神林シリーズの第2弾、「死ぬほど嫌いな奴がメンバーにいる旅行はどれだけ大変か?」の考察・前編です。


 この洞窟合宿は、2泊3日です。


 行き先は、岡山県の新見市。新見市の山麓一帯に洞窟があります。初日は岡山への移動に費やし、2日目と3日目にケービングをします。


 メンバーは、リーダーの松山さん(3年生)と僕(1年生)、僕と同期の吉田、そして神林(2年生)の4人。


 松山さんはとても頼りになる方で、一緒にいると安心です。


 合宿に至るまで、校内でロープワークの練習をしました。


 SRT(シングルロープテクニック)と呼ばれるもので、救助隊が遭難者をヘリコプターに乗せるときに使う技術です。体にロープとビナ(フックのようなもの)を装着して、低いところに下りて行きます。


 春の合宿はほとんど遊びだったため、SRTを使用することはありませんでした。


 今回は、より深部に進入するため、高度な技術を必要とします。僕は要領の悪い神林にイライラしながらも、練習に明け暮れました。


 迎えた、合宿当日。


 僕は1限目に授業があります。僕の授業終わりに、4人が部室に集合することになりました。


 授業を終えて部室に行くと、松山さんと吉田が装備の点検をしています。


 ですが、神林がいません。忘れ物をして家に取りに帰ったらしく、その忘れ物というのが、探検部のロゴが入ったシャツなのです。


 いらんやろ、シャツとか!なんでわざわざ取りに帰んねん、そんなもん!


 このシャツは通称「赤シャツ」と呼ばれ、保温性にすぐれています。ですが、秋になったばかりなので寒くはなく、今回の合宿には必要ないのです。


 のっけから、イライラしてきましたよ。


 しかも散々僕らを待たせたあげく、戻ってきた神林が、おわびの言葉を口にしなかったのです。


 腹立つわ、こいつ……。で、なんでもう赤シャツ着てんねん……。今から電車に乗って行くのに、めちゃくちゃ恥ずかしいやんけ……。


 装備の点検を終えた僕らは、駅に向かって出発することになりました。


 大学から最寄りの駅までは、歩いて5分。僕らはリュックを背負いました。4人並んで歩き始めたのですが、道すがら神林が、なにやら文句を言っています。


 「松山さん、打ち上げ代を上級生が負担するなんてやめましょうよ!」


 探検部では、合宿終わりに打ち上げを行います。上級生が新入生の費用を負担するルールのため、神林が渋り始めたのです。


 「せめて7:3にしましょうよ!」


 「僕は2年生から入部したので新入生と同じですよ!」


 このように文句を言い、しまいには「5:5にしましょうよ!」って言ったんですよ。


 割り勘やんけ、それ!5:5って割り勘やろ、完全に!


 「バスコも松山さんに言ったってくれ!」


 なんで俺が言うねん!俺はおごられる側やろ!


 「なあ、吉田!?」


 吉田もおごられる側やねん!なんで払ってもらう側の俺らがお願いしないとあかんねん!なんや、「自腹がいいです!」って自分で言わないとあかんのか!?


 このように出発早々、イライラさせられるのです。


 しばらくして、駅に到着しました。


 青春18切符を購入して、電車に乗りました。


 車内は空いています。僕はリュックを棚に載せて座席に座ったのですが、車内が空いているのに、神林が僕の真横に座ってきたのです。


 なんでがら空きやのに真横に座んねん!保護者か!


 「それよりバスコって、おでんの具で何が好き?」


 何の話やねん、いきなり!で、それよりってどれよりやねん!この前に別に話とかしてなかったやろ!


 前に座る松山さんと吉田は、離れて座っています。なのに僕らだけが、トンカツみたいなくっつき方をしているのです。


 「おでんの具で何が好き?」


 「……」


 「なあバスコ、おでんの具で何が好き?」


 「……タマゴですかね」


 「えっ?」


 だるっ、こいつ!訊いてきといて聞こえてへんけ!


 「タマゴです!」


 「やっぱり、タマゴか。松山さんは?」


 「俺もタマゴやな」


 「吉田は?」


 「僕もタマゴです」


 「バスコは?」


 タマゴや!俺発信や、この話!


 「タマゴです!」


 「えっ?」


 腹立つわ、こいつ!もうキレそうやわ、俺!


 「タマゴです!!!」


 「全員、タマゴか。タマゴ、大人気!!!」


 ……なんやねん、それ!言ってどうすんねん、そんなこと!言った先に何があんねん!


 「僕らの1番人気はタマゴ!!!」


 なんやねんそれ、だから!どういう会話の展開を求めてんねん、お前は!


 「それより神林さん、もう少し離れてもらえませんかね?」


 「えっ?」


 「もうちょっとだけ距離を空けてもらえませんかね?」


 「えっ?」


 「僕らの距離が近いんで、もう少しだけ離れてもらえませんかね!?」


 「了解です」


 返信メールか!「了解です」って、返信メールで1番くらうセリフやんけ!ていうかなんで急にそんな他人行儀になんねん!


 このように、いちいち意味がわかりません。ちょっとしたことでもイライラさせられるのです。


 乗り換えの駅までは、まだ時間があります。僕は暇潰しに、真横にある神林の顔を観察することにしたのですが、まあブ男ですよ、こいつは。


 米粒みたいな面長の顔面に、長いアゴヒゲがたくさん生えています。サトウキビと見間違えてもおかしくなく、鼻毛も「それ、全部出てないか?」というぐらい噴出しており、鼻がスペースシャトルみたいなのです。


 なかでも、モミアゲ。


 モミアゲに至っては、モザイクがいるぐらい、小汚いです。キクラゲのように縮れた毛が顔の端でうごめいており、耳を巻き込んでジャングルみたいになっています。耳には黒い補聴器がついているので、「それ、セミが止まってないか?」と訊かれてもおかしくないのです。


 僕は、神林の「顔の博覧会」を楽しみました。顔博で時間を潰し、しばらくして岡山への特急が出ている、新大阪駅に到着しました。


 車内に乗り込むと、ちょうど4人がけの席が空いていました。僕らはそこに座り、到着するまで、しりとりをすることになりました。


 ですが、神林がまた、イラッとする答えを連発してきたのです。


 僕が「オッパイ」と言うと、「伊能忠敬!」と返してきます。「スイカ」と口にすれば「株式!」と答えるなど、知性をひけらかしてきやがったのです。


 腹立つわ、こいつ!俺、1番嫌いやねん、こういう奴!


 「霞ヶ関」


 死んだらええねん!しりとりで霞ヶ関とか言う奴、死んだらええねん!


 「贖罪」


 模範囚か!仮出所系の奴しか使わんぞ、そんな日本語!


 「ファシズム」


 ムッソリーニか!ファシズムて、おい!まさか旅行先でファシズムなんて言葉聞くとは思わんかったわ!


 「神林、かっこつけんな!」


 あまりに知性をひけらかしてくるため、松山さんが怒鳴りました。


 ですが、神林は止まりません。僕は神林を困らせるために、「る」がついたり濁音がついたりと、答えにくい単語を連発してやったのですが、僕が「上手投げ」と口にした瞬間、「ゲッチュアドリーム!」って言ったんですよ。


 何言ってんねん、お前!マジで何言ってんの!?


 「ゲッチュアドリーム!はい、吉田、む」


 言えるか!こんなセリフのあとに言えるか!「無」やわ、絶句して俺ら!


 そうこうするうちに、終点の岡山駅に到着しました。


 ここから目的地までは、バスで移動します。


 時刻は午後4時。僕はジュースを買い、バスを待つあいだ、ベンチに座っていました。


 5分ほどして、神林が大きな紙袋を持って現われました。何ごとかと思いながらもふと中身を見たところ、こいつもう、おみやげを買っているのです。


 テンション上がりすぎた外人か、お前!帰りにせえや!荷物がかさばるやろ!


 「神林さん、なんでもうおみやげを買うんですか?」


 「前回の合宿のとき、帰りに買ってる時間がなかったから今回は先に買っといたんや」


 前回は前回やろ!今回はちゃんと買えるかもわからんやろが!


 「買えるうちに買っておかないと!」


 意味わからん!で、どこにでも売ってるようなまんじゅうやんけ、これ!こんなもん、ダイエーで売っとるわ!お前の地元のダイエーで小太りのオバハンがうれしそうに売っとるわ!「ポイントカードはお持ちですか?」とか言いよるわ!


 僕は神林が嫌いすぎて、やることなすことに腹が立ってきます。


 それはバスに乗ってからも同じで、神林は、熱心なキリスト教信者です。運悪く、バスでも神林の隣に座ることになったのですが、到着するまで、延々とキリスト教の話をしてきたのです。


 「バスコは、イエス様のことをどう思ってんの?」


 「いや、別になんとも思わないですけどね」


 「思ってもらわないと困るわ!今、人類がこうやって平和でいられるんはイエス様のおかげやねんから!」


 なんで怒られないとあかんねん、俺!俺の中でイエスは1位じゃないねん!


 「空気がおいしいのも、イエス様のおかげ。病気が治るのも、イエス様のおかげ。こうやってバスに乗れてんのもイエス様のおかげ」


 運転手のおかげやわ!イエスが1位じゃない俺から言わせれば、それはどう考えても運転手のおかげやわ!


 「俺らが大学に入学できたのもイエス様のおかげ」


 4浪したやろ、お前!その4年間、イエスは何しとってん!?


 「体力強化合宿もそうや。無事にゴールできたのもイエス様のおかげや」


 逃げたやろ、お前!ユダやろ、お前は!


 「とにかくこの世のあらゆることがイエス様のおかげやねん!」


 やかましいわ!で言うとくぞ、お前がなんて言おうと、とんねるずだけはみなさんのおかげやからな!


 神林は、空気も読まずに「イエス様」を連発してきます。時折、首から下げた十字架にキスをしてニヤニヤするなど、すべてがおかしいのです。


 30分ほどバスに乗って、新見市に到着しました。


 バス停から10分ほど歩いて、目的地である、森に入りました。


 この森は洞窟の近くにあり、春合宿のときも、ここに来ました。


 春先に見た同じ風景に、僕のテンションも上がります。「帰ってきたぞー!」と叫ぶ神林を無視して、僕らはそそくさとテント設営を始めました。


 テント設営を終えた僕らは、夕食のバーベキューの食材を買いに、近くのスーパーに行きました。


 今回の合宿の食料係は、僕です。僕の指示で、たくさんの食材を買い込んでいたのですが、ここでも神林は健在。僕らがどのお肉にするか思案する中、「バスコ、イカ食べへん?」と言って、特大のモンゴイカを4匹持ってきたのです。


 朝市か、ここ!仕事終わりの海の男か、俺らは!


 「イカ食べようや?」


 海鮮に手出すな、たかがキャンプで!で、せめて1匹にせいや!なんで1人1匹やねん!


 「神林さん、予算が少ないんですから、海鮮はあきらめてください!」


 「じゃあゲソは?」


 イカやんけ!お前、何を足やったらいいみたいな言い方してくれとんねん!イエスが1番イヤがりそうなことやぞ、そのあざとさ!


 松山さんが注意したものの、神林は結局、自分のお金で買いました。僕らが個人の嗜好品としてアメやチョコレートを買うのを尻目に、1人だけモンゴイカを買いやがったのです。


 買い出しを終えた僕らは、森に戻りました。


 石をイス代わりにして座り、火を起こします。部室から持ってきた網をセッティングして、バーベキューが始まりました。


 昼ご飯を食べていなかったことから、何を食べてもおいしいです。がっつきすぎる神林にイライラしながらも、イカとご飯を交互に食べる神林に首を傾げながらも、僕らはバーベキューを楽しみました。


 午後7時になりました。


 夕食を食べ終え、後片づけを済ませました。


 ここからは自由行動が許されます。


 松山さんはテントでごろごろしており、僕と吉田は食後の運動がてら、地域を散策することにしました。


 振り返ると、神林が僕らについてきています。僕らは神林を無視し、近くの公園でカラオケ大会が行われていたので、ジュース片手に見学することにしました。


 大きなブルーシートを敷いて、村の人たちがドンチャン騒ぎをしています。


 「兄ちゃんたち、こっちにおいで!」


 村の人が、僕らを誘ってくれました。好意に甘えることにしたのですが、僕は無意識のうちに、靴のままブルーシートに上がってしまったのです。


 吉田はちゃんと靴を脱ぎ、遅れてやってきた神林も脱いで上がっています。僕だけが靴のまま上がってしまい、それに気づいた田舎ヤ○ザが、僕に声を荒げたのです。


 「兄ちゃん、靴は?お前、なんで靴を脱がないの?」


 僕は、「あっ、すいません!」と謝罪して、靴を脱ぎました。


 ですが、酒の入った田舎ヤ○ザの怒りは収まりません。首に金のネックレスをした「いかにも」という奴で、「兄ちゃん、ちょっとこっちに来てくれるか?」と言って、僕を別の場所に連れて行ったのです。


 最悪ですよ、こんなもん。


 僕が悪いとはいえ、ブチギレてるんですよ、この人。「お前、どっから来たか知らんけどマナーぐらいわかれよ!」と怒鳴り散らしてきたのです。


 この人には、前歯がほとんどありません。怒鳴られても、なんか笑けてきます。「ドとミしかないハーモニカ」みたく、シューアイスを食べ切れないほどの信じがたい歯抜けなので、怒られてるのか笑わされてるのかわからないのです


 お前、爆笑レッドカーペットに出ろ!「壊れたハーモニカ」あたりの異名でレッドカーペットに出ろ!


 「わかっちぇんのか、お前!」


 お前もわかってんのか!お前は今、俺を笑わしにかかってんねんぞ!?


 しかも、フランケンシュタインなみに、顔にたくさんの傷があります。顔全体に細い横線がたくさんあるので、Excelみたいなんですよ。前代未聞の「Excel顔」なため、僕は笑いをこらえるのに必死なのです。


 田舎ヤ○ザは、顔を紅潮させています。僕の胸を小突きながら声を荒げ、途中で吉田や村の人があいだに入ってくれたものの、その制止を振り切って怒り続けています。


 5分後。


 騒ぎを聞きつけて、田舎ヤ○ザの母親がやってきました。


 「あんた、もう許したり!」


 「母ちゃんは黙ってろよ!」


 2人で言い合いになり、母ちゃんにビンタされた田舎ヤ○ザが急に泣き始めたのです。


 どういうキャラやねん、お前は!どこまで情緒不安定やねん!


 「ごめんよ、母ちゃん!」


 マザコンヤ○ザなん!?旅行先でとんでもない奴と出会ったわ、俺!


 田舎ヤ○ザは、急にシュンとしました。今までのことが何だったかと思うほど低姿勢になり、泣きながら僕に、「たしかに俺も、犬は好きや!」って言ったんですよ。


 何の話してんねん、お前!ちょっと待って、俺、犬の話なんてしてないねんけど!?いくら思い出してもそんな会話一切なかってんけど!?


 「あんなこと言ったけど、俺も本当は犬が好きや!」


 全然意味わからん、こいつ!で、母ちゃんも母ちゃんでこいつに差し歯買ったれよ!ていうかビンタしたら残った歯が取れるから暴力だけはやめたれよ!


 それでも、こいつは酒に飲まれているので、まだ許せます。何が許せないかって、僕が怒鳴られているのもおかまいなしに、神林が歌を歌ってやがるんですよ!


 止めろや、お前!先輩やろ!お前がまっ先に助けにこないとあかんやろ!


 「♪オラと一緒に暮らすのは~ オヨネおめえだと~!」


 なんでオヨネーズやねん!俺は生理的に受けつけへんねん、この歌!


 「♪やんだたまげたな~ 急に何言うだ~!」


 田舎ヤ○ザが入ってきた!女のパートを歌いだしやがった!


 「♪オラも前から松っちゃんを 好きだ~と思ってた~!」


 お前、なんやねん、その変わり身の速さ!ついさっきまで泣きながら犬の話してたやんけ!で、前歯ないから滑舌ボロボロやねん、お前は!


 いろいろなことが絡み合って、本気でイライラしてきました。ムシャクシャした僕は、2人を置いて、そのまま立ち去りました。


 テントに戻って、このことを松山さんに報告しました。


 「ほんまに神林だけはどうしようもない奴やな!」


 「でしょ?ほんまに最悪ですよ、あいつ!」


 2人で神林の文句を言い合い、しばらくしてほかの2人も戻ってきたのですが、神林の足がまた、めちゃくちゃ臭いのです。足単体にお祓いが必要なぐらい、この世のものとは思えないほどの悪臭を放っているのです。


 何個欠点あんねん、お前!さすがのイエスも見捨てるぞ、お前のこと!


 「神林さん、足、臭すぎません?」


 「たしかに今日は臭いかもしれん」


 エブリデイじゃ、お前の悪臭!366日臭いわ!


 「神林、足が臭すぎんねん!」


 臭すぎて松山さんが怒り、冗談半分とはいえ、神林の靴を森に投げ捨てました。


 「やめてくださいよ!」


 靴を投げられた神林は、文句を言いました。仕返しとばかりに靴を投げ捨てたのですが、それは僕の靴なのです。


 「お前、何しとんじゃ、コラ!!!」


 僕は、ついにブチギレました。


 積もり積もったイライラを思い出して、盗撮を現行犯逮捕した警察なみの大声で怒鳴りつけたのです。


 中編に続く……。


死ぬほど嫌いな奴がメンバーにいる旅行はどれだけ大変か?の考察・前編(携帯読者用)

※2008年・8月29日の記事を再編集

 「オエー!また神林がおらんやんけ!」

 「シャレならんわ!」


 以前、このブログで「大学のサークル選びは死ぬほど考えるべきではないか?」という記事をご紹介しました。

 僕が大学に入学したとき、勢いだけで入部してしまった探検部。春先に行われた、探検部の体力強化合宿の模様をご紹介して、サークル選びの大切さを啓発したのです。

 強化合宿によって感化された僕は、その後、探検にのめり込みました。

 授業そっちのけで、部室に出入りしました。強化合宿で自分の体力のなさを痛感したことから、日々、トレーニングに明け暮れたのです。

 今回のお話は、その体力強化合宿から5ヵ月後。今から13年前にさかのぼります。

 暦は秋に変わり、探検部で、秋合宿が行われることになりました。

 この合宿は、体力強化合宿とは違って、旅的要素が強いです。春夏秋冬で年4回行われ、部全体ではなく、上級生がそれぞれプランを立てて部会でプレゼンし、新入生が好きなものを選びます。

 僕は、春は洞窟に行きました。夏には山に登り、そしてこの秋も春のケービングの楽しさが忘れられず、松山さんという方がプレゼンした洞窟合宿に行くことにしました。

 行き先は春と同じ、岡山県の洞窟です。僕は迷うことなく、松山さんにおともすることにしたのですが、この合宿に、僕の大嫌いな「あの男」も参加することになったのです。

 そいつの名は、神林。

 そう、体力強化合宿の記事でご紹介した、とんでもない奴なのです。

 大学に4浪し、2年生になってから入部してきた、新入生あつかいの奴です。体力強化合宿中に、2度に渡って合宿を脱走したのです。

 僕とは春の洞窟合宿でも一緒で、こいつは洞内植物を入れるために用意したタッパに、自分のウンコを入れたのです。

 こんなもん、頭おかしいでしょ?ライトでタッパを照らしたら、中にウンコ入ってたんですよ!?

 「神林さん、このタッパにウンコが入ってるじゃないですか!?」

 「そうや」

 そうややあるか、お前!何がそうややねん!「我こそ正義」みたいな言い方すんなよ!

 加えて、こいつは補聴器をしています。べらぼうに耳が遠く、話しかけても、「えっ?」を連発してきます。洞窟合宿でも、洞内の湖で泳いで補聴器が壊れてしまい、仲間に迷惑をかけまくったのです。

 僕は、神林のことが大嫌いです。

 体力強化合宿を終えてからというもの、部室や校内で顔を合わせても、僕から話しかけることはありません。神林のほうは気にせず僕に話しかけてきたものの、僕は素っ気ない態度を取って、「お前のことが嫌いですよオーラ」を出しまくっていたのです。

 いずれにせよ、これは困りました。こんな奴が一緒だと、楽しめるものも楽しめないんですね。

 僕は松山さんに、神林を合宿に参加させないようにお願いしました。

 ですが、僕のわがままなど通るはずもありません。松山さんは神林をおちょくるのが大好きらしく、「むしろ楽しそうやん!」と言って、僕の言うことを聞いてくれないのです。

 まあでも、なんとかなるか……。無視してたらいいことやしな……。

 結局、僕は前向きに考えてこの合宿に参加することにしたのですが、僕の判断は甘かったのです。ケービングの楽しさなどどこ吹く風、神林がいたせいで、せっかくの旅行が台なしになってしまったのです。

 そこで今回は、神林シリーズの第2弾、「死ぬほど嫌いな奴がメンバーにいる旅行はどれだけ大変か?」の考察・前編です。

 この洞窟合宿は、2泊3日です。

 行き先は、岡山県の新見市。新見市の山麓一帯に洞窟があります。初日は岡山への移動に費やし、2日目と3日目にケービングをします。

 メンバーは、リーダーの松山さん(3年生)と僕(1年生)、僕と同期の吉田、そして神林(2年生)の4人。

 松山さんはとても頼りになる方で、一緒にいると安心です。

 合宿に至るまで、校内でロープワークの練習をしました。

 SRT(シングルロープテクニック)と呼ばれるもので、救助隊が遭難者をヘリコプターに乗せるときに使う技術です。体にロープとビナ(フックのようなもの)を装着して、低いところに下りて行きます。

 春の合宿はほとんど遊びだったため、SRTを使用することはありませんでした。

 今回は、より深部に進入するため、高度な技術を必要とします。僕は要領の悪い神林にイライラしながらも、練習に明け暮れました。

 迎えた、合宿当日。

 僕は1限目に授業があります。僕の授業終わりに、4人が部室に集合することになりました。

 授業を終えて部室に行くと、松山さんと吉田が装備の点検をしています。

 ですが、神林がいません。忘れ物をして家に取りに帰ったらしく、その忘れ物というのが、探検部のロゴが入ったシャツなのです。

 いらんやろ、シャツとか!なんでわざわざ取りに帰んねん、そんなもん!

 このシャツは通称「赤シャツ」と呼ばれ、保温性にすぐれています。ですが、秋になったばかりなので寒くはなく、今回の合宿には必要ないのです。

 のっけから、イライラしてきましたよ。

 しかも散々僕らを待たせたあげく、戻ってきた神林が、おわびの言葉を口にしなかったのです。

 腹立つわ、こいつ……。で、なんでもう赤シャツ着てんねん……。今から電車に乗って行くのに、めちゃくちゃ恥ずかしいやんけ……。

 装備の点検を終えた僕らは、駅に向かって出発することになりました。

 大学から最寄りの駅までは、歩いて5分。僕らはリュックを背負いました。4人並んで歩き始めたのですが、道すがら神林が、なにやら文句を言っています。

 「松山さん、打ち上げ代を上級生が負担するなんてやめましょうよ!」

 探検部では、合宿終わりに打ち上げを行います。上級生が新入生の費用を負担するルールのため、神林が渋り始めたのです。

 「せめて7:3にしましょうよ!」

 「僕は2年生から入部したので新入生と同じですよ!」

 このように文句を言い、しまいには「5:5にしましょうよ!」って言ったんですよ。

 割り勘やんけ、それ!5:5って割り勘やろ、完全に!

 「バスコも松山さんに言ったってくれ!」

 なんで俺が言うねん!俺はおごられる側やろ!

 「なあ、吉田!?」

 吉田もおごられる側やねん!なんで払ってもらう側の俺らがお願いしないとあかんねん!なんや、「自腹がいいです!」って自分で言わないとあかんのか!?

 このように出発早々、イライラさせられるのです。

 しばらくして、駅に到着しました。

 青春18切符を購入して、電車に乗りました。

 車内は空いています。僕はリュックを棚に載せて座席に座ったのですが、車内が空いているのに、神林が僕の真横に座ってきたのです。

 なんでがら空きやのに真横に座んねん!保護者か!

 「それよりバスコって、おでんの具で何が好き?」

 何の話やねん、いきなり!で、それよりってどれよりやねん!この前に別に話とかしてなかったやろ!

 前に座る松山さんと吉田は、離れて座っています。なのに僕らだけが、トンカツみたいなくっつき方をしているのです。

 「おでんの具で何が好き?」

 「……」

 「なあバスコ、おでんの具で何が好き?」

 「……タマゴですかね」

 「えっ?」

 だるっ、こいつ!訊いてきといて聞こえてへんけ!

 「タマゴです!」

 「やっぱり、タマゴか。松山さんは?」

 「俺もタマゴやな」

 「吉田は?」

 「僕もタマゴです」

 「バスコは?」

 タマゴや!俺発信や、この話!

 「タマゴです!」

 「えっ?」

 腹立つわ、こいつ!もうキレそうやわ、俺!

 「タマゴです!!!」

 「全員、タマゴか。タマゴ、大人気!!!」

 ……なんやねん、それ!言ってどうすんねん、そんなこと!言った先に何があんねん!

 「僕らの1番人気はタマゴ!!!」

 なんやねんそれ、だから!どういう会話の展開を求めてんねん、お前は!

 「それより神林さん、もう少し離れてもらえませんかね?」

 「えっ?」

 「もうちょっとだけ距離を空けてもらえませんかね?」

 「えっ?」

 「僕らの距離が近いんで、もう少しだけ離れてもらえませんかね!?」

 「了解です」

 返信メールか!「了解です」って、返信メールで1番くらうセリフやんけ!ていうかなんで急にそんな他人行儀になんねん!

 このように、いちいち意味がわかりません。ちょっとしたことでもイライラさせられるのです。

 乗り換えの駅までは、まだ時間があります。僕は暇潰しに、真横にある神林の顔を観察することにしたのですが、まあブ男ですよ、こいつは。

 米粒みたいな面長の顔面に、長いアゴヒゲがたくさん生えています。サトウキビと見間違えてもおかしくなく、鼻毛も「それ、全部出てないか?」というぐらい噴出しており、鼻がスペースシャトルみたいなのです。

 なかでも、モミアゲ。

 モミアゲに至っては、モザイクがいるぐらい、小汚いです。キクラゲのように縮れた毛が顔の端でうごめいており、耳を巻き込んでジャングルみたいになっています。耳には黒い補聴器がついているので、「それ、セミが止まってないか?」と訊かれてもおかしくないのです。

 僕は、神林の「顔の博覧会」を楽しみました。顔博で時間を潰し、しばらくして岡山への特急が出ている、新大阪駅に到着しました。

 車内に乗り込むと、ちょうど4人がけの席が空いていました。僕らはそこに座り、到着するまで、しりとりをすることになりました。

 ですが、神林がまた、イラッとする答えを連発してきたのです。

 僕が「オッパイ」と言うと、「伊能忠敬!」と返してきます。「スイカ」と口にすれば「株式!」と答えるなど、知性をひけらかしてきやがったのです。

 腹立つわ、こいつ!俺、1番嫌いやねん、こういう奴!

 「霞ヶ関」

 死んだらええねん!しりとりで霞ヶ関とか言う奴、死んだらええねん!

 「贖罪」

 模範囚か!仮出所系の奴しか使わんぞ、そんな日本語!

 「ファシズム」

 ムッソリーニか!ファシズムて、おい!まさか旅行先でファシズムなんて言葉聞くとは思わんかったわ!

 「神林、かっこつけんな!」

 あまりに知性をひけらかしてくるため、松山さんが怒鳴りました。

 ですが、神林は止まりません。僕は神林を困らせるために、「る」がついたり濁音がついたりと、答えにくい単語を連発してやったのですが、僕が「上手投げ」と口にした瞬間、「ゲッチュアドリーム!」って言ったんですよ。

 何言ってんねん、お前!マジで何言ってんの!?

 「ゲッチュアドリーム!はい、吉田、む」

 言えるか!こんなセリフのあとに言えるか!「無」やわ、絶句して俺ら!

 そうこうするうちに、終点の岡山駅に到着しました。

 ここから目的地までは、バスで移動します。

 時刻は午後4時。僕はジュースを買い、バスを待つあいだ、ベンチに座っていました。

 5分ほどして、神林が大きな紙袋を持って現われました。何ごとかと思いながらもふと中身を見たところ、こいつもう、おみやげを買っているのです。

 テンション上がりすぎた外人か、お前!帰りにせえや!荷物がかさばるやろ!

 「神林さん、なんでもうおみやげを買うんですか?」

 「前回の合宿のとき、帰りに買ってる時間がなかったから今回は先に買っといたんや」

 前回は前回やろ!今回はちゃんと買えるかもわからんやろが!

 「買えるうちに買っておかないと!」

 意味わからん!で、どこにでも売ってるようなまんじゅうやんけ、これ!こんなもん、ダイエーで売っとるわ!お前の地元のダイエーで小太りのオバハンがうれしそうに売っとるわ!「ポイントカードはお持ちですか?」とか言いよるわ!

 僕は神林が嫌いすぎて、やることなすことに腹が立ってきます。

 それはバスに乗ってからも同じで、神林は、熱心なキリスト教信者です。運悪く、バスでも神林の隣に座ることになったのですが、到着するまで、延々とキリスト教の話をしてきたのです。

 「バスコは、イエス様のことをどう思ってんの?」

 「いや、別になんとも思わないですけどね」

 「思ってもらわないと困るわ!今、人類がこうやって平和でいられるんはイエス様のおかげやねんから!」

 なんで怒られないとあかんねん、俺!俺の中でイエスは1位じゃないねん!

 「空気がおいしいのも、イエス様のおかげ。病気が治るのも、イエス様のおかげ。こうやってバスに乗れてんのもイエス様のおかげ」

 運転手のおかげやわ!イエスが1位じゃない俺から言わせれば、それはどう考えても運転手のおかげやわ!

 「俺らが大学に入学できたのもイエス様のおかげ」

 4浪したやろ、お前!その4年間、イエスは何しとってん!?

 「体力強化合宿もそうや。無事にゴールできたのもイエス様のおかげや」

 逃げたやろ、お前!ユダやろ、お前は!

 「とにかくこの世のあらゆることがイエス様のおかげやねん!」

 やかましいわ!で言うとくぞ、お前がなんて言おうと、とんねるずだけはみなさんのおかげやからな!

 神林は、空気も読まずに「イエス様」を連発してきます。時折、首から下げた十字架にキスをしてニヤニヤするなど、すべてがおかしいのです。

 30分ほどバスに乗って、新見市に到着しました。

 バス停から10分ほど歩いて、目的地である、森に入りました。

 この森は洞窟の近くにあり、春合宿のときも、ここに来ました。

 春先に見た同じ風景に、僕のテンションも上がります。「帰ってきたぞー!」と叫ぶ神林を無視して、僕らはそそくさとテント設営を始めました。

 テント設営を終えた僕らは、夕食のバーベキューの食材を買いに、近くのスーパーに行きました。

 今回の合宿の食料係は、僕です。僕の指示で、たくさんの食材を買い込んでいたのですが、ここでも神林は健在。僕らがどのお肉にするか思案する中、「バスコ、イカ食べへん?」と言って、特大のモンゴイカを4匹持ってきたのです。

 朝市か、ここ!仕事終わりの海の男か、俺らは!

 「イカ食べようや?」

 海鮮に手出すな、たかがキャンプで!で、せめて1匹にせいや!なんで1人1匹やねん!

 「神林さん、予算が少ないんですから、海鮮はあきらめてください!」

 「じゃあゲソは?」

 イカやんけ!お前、何を足やったらいいみたいな言い方してくれとんねん!イエスが1番イヤがりそうなことやぞ、そのあざとさ!

 松山さんが注意したものの、神林は結局、自分のお金で買いました。僕らが個人の嗜好品としてアメやチョコレートを買うのを尻目に、1人だけモンゴイカを買いやがったのです。

 買い出しを終えた僕らは、森に戻りました。

 石をイス代わりにして座り、火を起こします。部室から持ってきた網をセッティングして、バーベキューが始まりました。

 昼ご飯を食べていなかったことから、何を食べてもおいしいです。がっつきすぎる神林にイライラしながらも、イカとご飯を交互に食べる神林に首を傾げながらも、僕らはバーベキューを楽しみました。

 午後7時になりました。

 夕食を食べ終え、後片づけを済ませました。

 ここからは自由行動が許されます。

 松山さんはテントでごろごろしており、僕と吉田は食後の運動がてら、地域を散策することにしました。

 振り返ると、神林が僕らについてきています。僕らは神林を無視し、近くの公園でカラオケ大会が行われていたので、ジュース片手に見学することにしました。

 大きなブルーシートを敷いて、村の人たちがドンチャン騒ぎをしています。

 「兄ちゃんたち、こっちにおいで!」

 村の人が、僕らを誘ってくれました。好意に甘えることにしたのですが、僕は無意識のうちに、靴のままブルーシートに上がってしまったのです。

 吉田はちゃんと靴を脱ぎ、遅れてやってきた神林も脱いで上がっています。僕だけが靴のまま上がってしまい、それに気づいた田舎ヤ○ザが、僕に声を荒げたのです。

 「兄ちゃん、靴は?お前、なんで靴を脱がないの?」

 僕は、「あっ、すいません!」と謝罪して、靴を脱ぎました。

 ですが、酒の入った田舎ヤ○ザの怒りは収まりません。首に金のネックレスをした「いかにも」という奴で、「兄ちゃん、ちょっとこっちに来てくれるか?」と言って、僕を別の場所に連れて行ったのです。

 最悪ですよ、こんなもん。

 僕が悪いとはいえ、ブチギレてるんですよ、この人。「お前、どっから来たか知らんけどマナーぐらいわかれよ!」と怒鳴り散らしてきたのです。

 この人には、前歯がほとんどありません。怒鳴られても、なんか笑けてきます。「ドとミしかないハーモニカ」みたく、シューアイスを食べ切れないほどの信じがたい歯抜けなので、怒られてるのか笑わされてるのかわからないのです。

 お前、爆笑レッドカーペットに出ろ!「壊れたハーモニカ」あたりの異名でレッドカーペットに出ろ!

 「わかっちぇんのか、お前!」

 お前もわかってんのか!お前は今、俺を笑わしにかかってんねんぞ!?

 しかも、フランケンシュタインなみに、顔にたくさんの傷があります。顔全体に細い横線がたくさんあるので、Excelみたいなんですよ。前代未聞の「Excel顔」なため、僕は笑いをこらえるのに必死なのです。

 田舎ヤ○ザは、顔を紅潮させています。僕の胸を小突きながら声を荒げ、途中で吉田や村の人があいだに入ってくれたものの、その制止を振り切って怒り続けています。

 5分後。

 騒ぎを聞きつけて、田舎ヤ○ザの母親がやってきました。

 「あんた、もう許したり!」

 「母ちゃんは黙ってろよ!」

 2人で言い合いになり、母ちゃんにビンタされた田舎ヤ○ザが急に泣き始めたのです。

 どういうキャラやねん、お前は!どこまで情緒不安定やねん!

 「ごめんよ、母ちゃん!」

 マザコンヤ○ザなん!?旅行先でとんでもない奴と出会ったわ、俺!

 田舎ヤ○ザは、急にシュンとしました。今までのことが何だったかと思うほど低姿勢になり、泣きながら僕に、「たしかに俺も、犬は好きや!」って言ったんですよ。

 何の話してんねん、お前!ちょっと待って、俺、犬の話なんてしてないねんけど!?いくら思い出してもそんな会話一切なかってんけど!?

 「あんなこと言ったけど、俺も本当は犬が好きや!」

 全然意味わからん、こいつ!で、母ちゃんも母ちゃんでこいつに差し歯買ったれよ!ていうかビンタしたら残った歯が取れるから暴力だけはやめたれよ!

 それでも、こいつは酒に飲まれているので、まだ許せます。何が許せないかって、僕が怒鳴られているのもおかまいなしに、神林が歌を歌ってやがるんですよ!

 止めろや、お前!先輩やろ!お前がまっ先に助けにこないとあかんやろ!

 「♪オラと一緒に暮らすのは~ オヨネおめえだと~!」

 なんでオヨネーズやねん!俺は生理的に受けつけへんねん、この歌!

 「♪やんだたまげたな~ 急に何言うだ~!」

 田舎ヤ○ザが入ってきた!女のパートを歌いだしやがった!

 「♪オラも前から松っちゃんを 好きだ~と思ってた~!」

 お前、なんやねん、その変わり身の速さ!ついさっきまで泣きながら犬の話してたやんけ!で、前歯ないから滑舌ボロボロやねん、お前は!

 いろいろなことが絡み合って、本気でイライラしてきました。ムシャクシャした僕は、2人を置いて、そのまま立ち去りました。

 テントに戻って、このことを松山さんに報告しました。

 「ほんまに神林だけはどうしようもない奴やな!」

 「でしょ?ほんまに最悪ですよ、あいつ!」

 2人で神林の文句を言い合い、しばらくしてほかの2人も戻ってきたのですが、神林の足がまた、めちゃくちゃ臭いのです。足単体にお祓いが必要なぐらい、この世のものとは思えないほどの悪臭を放っているのです。

 何個欠点あんねん、お前!さすがのイエスも見捨てるぞ、お前のこと!

 「神林さん、足、臭すぎません?」

 「たしかに今日は臭いかもしれん」

 エブリデイじゃ、お前の悪臭!366日臭いわ!

 「神林、足が臭すぎんねん!」

 臭すぎて松山さんが怒り、冗談半分とはいえ、神林の靴を森に投げ捨てました。

 「やめてくださいよ!」

 靴を投げられた神林は、文句を言いました。仕返しとばかりに靴を投げ捨てたのですが、それは僕の靴なのです。

 「お前、何しとんじゃ、コラ!!!」

 僕は、ついにブチギレました。

 積もり積もったイライラを思い出して、盗撮を現行犯逮捕した警察なみの大声で怒鳴りつけたのです。

 中編に続く……。

木下さんは何者か?の考察~特別編~(パソコン読者用)

木下さんは何者か?の考察~特別編~(携帯読者用)

出版のお知らせ(パソコン読者用)

 こんにちわ!バスコでございます!


 読者のみなさま、いつも当ブログをご覧になっていただきまして、ありがとうございます。


 今週の3月10日に、僕の2冊目の本が出版されることになりました。


 マガジンハウスさんからの出版で、タイトルは『楽しく生き抜くための 笑いの仕事術』です。


楽しく生き抜くための 笑いの仕事術/


 この本は、お笑いの技術を使った「処世術」の本です。「お笑いの技術を使って職場の人間関係をよくしよう!」をテーマにつくった本で、かなりお笑い色が強いものとなっております。

 来週にも、マガジンハウスでのホームページ、ならびに、アマゾンのページでも、中身が簡単に閲覧できると思います。


 この本の構成は、お笑いの技術そのままに、「ボケ」「ツッコミ」「返し」「間」「ゴマスリ&ヨイショ」の5部構成です。実際の芸人の技術を紹介しながらの文章、ならびに、ちょいちょい小ボケを挟んでいるので、読み物としても充分に楽しめると思います。


 最後の「ゴマスリ&ヨイショ」の章では、「飲み会でどうやったら上司に気に入られるか?」という、かなり踏み込んだことを書いています。いわゆる「太鼓持ち」という奴で、どの本にも書いていない、相当ズル賢いテクニックばかりなので、見所です。


 つきましては、当ブログの読者のみなさまに、なにとぞ、ご購入をお願いしたく思います。


 ならびに、何かマイメディアをお持ちの方は、なにとぞ、宣伝にご協力ください。ブログ、ミクシィ、ツイッター、フェイスブック、伝書鳩、大声……。なんでもかまいませんので、どうか僕に、お力をお貸しください。


 今回、拙著をご紹介いただけた方には、特典があります。


 明日7日の月曜日に、次にご紹介する記事を、アメブロのアメンバー限定でアップします。


 「木下さんは何者か?の考察~特別編~」


 木下さんの記事は、過去の僕の記事のアンケート調査でも、毎回、ぶっちぎりで1位になっています。今回の特別編も、いつもと同じ構成で新ネタを5話、ご用意させていただきました。


 ちなみにその5話は、『ケーキ屋』『ジャンケン』『ミレニアム』『横棒』『感謝の手紙』になります。


 この特別編は、この先、2度とアップしません。いじわるして申し訳ございませんが、僕の出版キャンペーンの一環だと、ご解釈ください。


 ですので、アメブロをやっている方は、僕のブログにアメンバーの申請をしていただければ、と思います。アメブロをやっていない方は、以下にアメブロ登録のURLをリンクしておきますので、アメブロに登録だけして、僕のブログにアメンバー申請していただければ、と思います。


https://user.ameba.jp/regist/input.do?redirectServiceId=10&frmid=1012


 もし、アメブロに入るのはイヤ、もしくは、なんらかの事情で登録できない場合は、僕のEmailに、パソコンからご連絡ください。以下に僕のアドレスを紹介しておくので、ご連絡くだされば、テキストを添付で差し上げます。


basko@ares.eonet.ne.jp


 拙著をご紹介いただける場合は、事前に、ご連絡いただければ助かります。アメブロのメッセージ機能や、僕のメールに直接連絡していただいてもかまいませんので。


 がっちり宣伝してくれた人には、いずれ必ず、お礼をいたします。僕が有名になったときに何倍にもなって返ってくる、と思ってもらってけっこうです。僕への投資だと思ってください。


 僕が本を売りたい理由は、クリエーターとして飛躍を遂げるためです。


 僕はお笑いの裏方をやっていますが、それでも、松本人志の背中を追いかけています。すべての芸人がそうであるように、クリエーターである僕も同じなのです。


 そのためにも、世の中に名前を出さなければなりません。そのきっかけとして、本を売る必要があるのです。


 どうかみなさま、このバスコに力をお貸しください。なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。


 話は変わりますが、当ブログの新規記事は、4月の1週目から再開いたします。


 お待たせしてしまって、本当に申し訳ございません。残り3週間とちょっとで、過去記事の目立ったところを、詰めれるだけ詰め込みます。もうしばらくのあいだ、お待ちください。


 同時に、今月のあいだに何度か、このブログを使って、拙著の紹介をする記事を書く予定です。考察記事と関係ありませんが、どうかご容赦ください。


 最後になりましたが、昨年末にアメブロを退会させられたとき、読者のみなさまからたくさんの応援メッセージをいただきました。心からお礼を言わせてください、本当にありがとうございます。


 僕はこれからも、自分と向き合って前に進みます。応援のほど、どうかよろしくお願いいたします。


 バスコ


出版のお知らせ(携帯読者用)

 こんにちわ!バスコでございます!

 読者のみなさま、いつも当ブログをご覧になっていただきまして、ありがとうございます。

 今週の3月10日に、僕の2冊目の本が出版されることになりました。

 マガジンハウスさんからの出版で、タイトルは『楽しく生き抜くための 笑いの仕事術』です。


 楽しく生き抜くための 笑いの仕事術/

¥1,470
Amazon.co.jp

 この本は、お笑いの技術を使った「処世術」の本です。「お笑いの技術を使って職場の人間関係をよくしよう!」をテーマにつくった本で、かなりお笑い色が強いものとなっております。

 来週にも、マガジンハウスでのホームページ、ならびに、アマゾンのページでも、中身が簡単に閲覧できると思います。

 この本の構成は、お笑いの技術そのままに、「ボケ」「ツッコミ」「返し」「間」「ゴマスリ&ヨイショ」の5部構成です。実際の芸人の技術を紹介しながらの文章、ならびに、ちょいちょい小ボケを挟んでいるので、読み物としても充分に楽しめると思います。

 最後の「ゴマスリ&ヨイショ」の章では、「飲み会でどうやったら上司に気に入られるか?」という、かなり踏み込んだことを書いています。いわゆる「太鼓持ち」という奴で、どの本にも書いていない、相当ズル賢いテクニックばかりなので、見所です。

 つきましては、当ブログの読者のみなさまに、なにとぞ、ご購入をお願いしたく思います。

 ならびに、何かマイメディアをお持ちの方は、なにとぞ、宣伝にご協力ください。ブログ、ミクシィ、ツイッター、フェイスブック、伝書鳩、大声……。なんでもかまいませんので、どうか僕に、お力をお貸しください。

 今回、拙著をご紹介いただけた方には、特典があります。

 明日7日の月曜日に、次にご紹介する記事を、アメブロのアメンバー限定でアップします。


 「木下さんは何者か?の考察~特別編~」


 木下さんの記事は、過去の僕の記事のアンケート調査でも、毎回、ぶっちぎりで1位になっています。今回の特別編も、いつもと同じ構成で新ネタを5話、ご用意させていただきました。

 ちなみにその5話は、『ケーキ屋』『ジャンケン』『ミレニアム』『横棒』『感謝の手紙』になります。

 この特別編は、この先、2度とアップしません。いじわるして申し訳ございませんが、僕の出版キャンペーンの一環だと、ご解釈ください。

 ですので、アメブロをやっている方は、僕のブログにアメンバーの申請をしていただければ、と思います。アメブロをやっていない方は、以下にアメブロ登録のURLをリンクしておきますので、アメブロに登録だけして、僕のブログにアメンバー申請していただければ、と思います。


https://user.ameba.jp/regist/input.do?redirectServiceId=10&frmid=1012


 もし、アメブロに入るのはイヤ、もしくは、なんらかの事情で登録できない場合は、僕のEmailに、パソコンからご連絡ください。以下に僕のアドレスを紹介しておくので、ご連絡くだされば、テキストを添付で差し上げます。


basko@ares.eonet.ne.jp


 拙著をご紹介いただける場合は、事前に、ご連絡いただければ助かります。アメブロのメッセージ機能や、僕のメールに直接連絡していただいてもかまいませんので。

 がっちり宣伝してくれた人には、いずれ必ず、お礼をいたします。僕が有名になったときに何倍にもなって返ってくる、と思ってもらってけっこうです。僕への投資だと思ってください。

 僕が本を売りたい理由は、クリエーターとして飛躍を遂げるためです。

 僕はお笑いの裏方をやっていますが、それでも、松本人志の背中を追いかけています。すべての芸人がそうであるように、クリエーターである僕も同じなのです。

 そのためにも、世の中に名前を出さなければなりません。そのきっかけとして、本を売る必要があるのです。

 どうかみなさま、このバスコに力をお貸しください。なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。

 話は変わりますが、当ブログの新規記事は、4月の1週目から再開いたします。

 お待たせしてしまって、本当に申し訳ございません。残り3週間とちょっとで、過去記事の目立ったところを、詰めれるだけ詰め込みます。もうしばらくのあいだ、お待ちください。

 同時に、今月のあいだに何度か、このブログを使って、拙著の紹介をする記事を書く予定です。考察記事と関係ありませんが、どうかご容赦ください。

 最後になりましたが、昨年末にアメブロを退会させられたとき、読者のみなさまからたくさんの応援メッセージをいただきました。心からお礼を言わせてください、本当にありがとうございます。

 僕はこれからも、自分と向き合って前に進みます。応援のほど、どうかよろしくお願いいたします。

 バスコ


木下さんは何者か?の考察~ベスト版⑦~(パソコン読者用)

※過去の木下さんの記事をごちゃ混ぜにして再編集


 僕の家では、コケを栽培しています。


 コケといっても、小さなプランターに入れたものです。玄関の外に置いて、ちょっとしたインテリアとして飾ってあるのです。


 日を追うごとに成長し、外側の毛がマリモのように変化しました。観察するのが楽しくて、僕の家族はもちろん、僕の家に遊びにくる近所のおじさんまでもが、その成長を楽しみに見守っているのです。


 なかでもこのおじさんは、はしゃぎたおしています。


 「1日しかたってないのに、また大きくなった!」


 「うおー、毛がフサフサになってる!ドライヤーを当てないと!」


 このようにワケのわからないことを言いながら、毎日、僕の家にやってくるようになりました。


 先日のことです。


 時刻は夜の3時。真夜中にもかかわらず、テレビでは世界陸上が放送されています。陸上を見ながら家で仕事をしていた僕は、息抜きがてら、飼っている犬を見に行くことにしました。


 犬は、玄関近くの木の下で眠っています。僕はキャンプ用のイスに座り、タバコを吸いながら犬のかわいい寝顔を眺めていたのですが、なんとなしに人の気配を感じたのです。


 近くには玄関があり、コケのプランターが置いてあります。恐る恐る視線を投げたところ、プランターの前に、そのおじさんが立っていたのです。


 「うわーーーっ!」


 幽霊と勘違いした僕は声を上げました。なにしろ夜中の3時です。驚いた僕はうわずった声で「おっちゃん何してんの、こんな時間に!?」と訊いたところ、このおじさんが「立ってる」って言ったんですよ。


 いやいや、状態聞いてないから!こんな夜中にお前の体の状態なんて興味ないから!


 「夜中に目が覚めたから立ってる」


 説明飛ばしすぎやねん!なんでこんな時間に人の家に来て、ここで何をしているのかきっちり説明せいよ!


 「寝られへんから立ちに来た」


 立ちに来たってなんやねん!「立つ用事」ってどういうことやねん!ていうか、ここに来るまでにすでに立ってるやろ!もう済んでるやろ、お前の用事!


 このおじさんは寝ぼけています。話しかけてもワケのわからないことを口にし、このあと、前代未聞の日本語を僕に投げかけたのです。


 「もうすぐテレビで、陸上の自衛隊の100メートルが世界であるやろ。コケが走るまでここに来たんやわんやわんや」


 ごめん、何言ってんの、自分!?陸上の自衛隊て!コケが走るて!で、やわんやわんやって何!?この常軌を逸した語尾は何がどうなったら出てくんの!?


 このおじさんの名前は、木下さん。僕の近所に住む、「天然の天才」なのです。


 日ごろからおかしなことを連発し、つい先日も、コンタクトレンズを買いに行くことを告げた僕に、「がんばりや!」って言ったんですよ。


 何をがんばんねん、あんなもん!がんばりが必要なんは医者のほうやろ!


 「ファイトやで!」


 ファイトいらんわ、あの検査!いるんは金だけや!


 とにかく、おかしいのです。同じ人間とは思えない、奇人中の奇人なのです。


 そこで今回は、「木下さんは何者か?」の考察~ベスト版⑦~です。


 木下さんは、うちの母親の同級生で64歳。ボロボロの自転車屋を経営し、奥さんとの共働きで、僕の小学校の同級生の息子(サラリーマン・既婚)と娘(フリーター)がいます。


 このプロフィールを踏まえていただき、以下、木下さんにまつわるエピソードをご紹介します。信じがたいお話ばかりなのですが、すべて実話です。


検証エピソード①『ヘチマ』
 これは、8年ほど前のお話です。


 僕は大学時代、1人暮らしをしていました。卒業後に親元である実家に戻り、引っ越してきたその日に、あいさつがてら木下さんの自転車屋に行きました。


 「おっちゃん、俺、帰ってきたわ!またお世話になるからよろしくな!」


 木下さんは、店の前で自転車の修理をしています。僕が声をかけると、「お帰り、たけちゃん!今、家に誰もおらんから中でゆっくり話そうや!」と言ってくれたのです。


 木下さんとは、子供のころから一緒にいます。ですが、自転車屋の中で話すことはあっても、家の中に入ったことはありません。せっかくなので、家に入れてもらうことにしました。


 外観から判断できる木下さんの家は、「ちょっと豪華な犬小屋」です。店に併設された小さな家で、「今どきこんな家があんのか……」というぐらい、ボロボロなのです。


 僕はどこか不安に駆られながらも、木下さんに導かれて自転車屋の中を通り、玄関に来ました。


 「中はちょっと汚いから、これを履いて!」


 こう言って木下さんが僕にスリッパを渡してきたのですが、スリッパ自体がすでに汚いのです。


 もう汚れるやんけ、俺!なんやったら外の靴より汚いねん、このドロドロのスリッパ!


 「足が汚れたらあかんから!」


 もう汚れんねん、だから!ていうか、もと何色、これ!?もとの色がわからんほどドロドロやねんけど!?


 それでも、親切心から言ってくれています。文句を言うわけにはいかず、僕は渋々スリッパを履いたのですが、僕が居間に入るやいなや「たけちゃん、ヘチマいる?」って言ったんですよ。


 はっ?はっ?


 「ヘチマいる?」


 ごめん、何言ってんの、いきなり!?「飲み物は何を飲む?」ぐらいのノリでいきなり何言ってんの!?


 「たけちゃん、ヘチマ好きやったっけ?」


 ヘチマ好きな奴なんておらんよ!おっても未亡人ぐらいやわ、それ!


 「じゃ、じゃあもらうわ……」


 僕はワケもわからず返事をしたのですが、木下さんがベランダで育てているヘチマを引きちぎり、「はい!」と言って生で手渡してきたのです。


 ラグビーか、これ!袋か何かに入れてくれよ!駄菓子屋でもババアの機嫌よかったら袋入れてくれるぞ!


 「どう?」


 答えようあるか、そんなもん!ていうか、なんでヘチマを生で持って帰らないとあかんねん!田舎のフリマか!


 木下さんは、お茶をいれてくれました。僕は腑に落ちないながらもいろいろと話をし、2人でお酒を飲みに行くことになったのです。


 「今日は俺が飲みにつれて行ったるわ!いいお店があるからついといで!」


 「ありがとう!」


 「いくら持ってる?」


 おごってくれへんの!?そんな粋な言い方しといて割り勘なんや!?


 「6000円ちょっとあるわ」


 僕が渋々答えたところ、木下さんは、働きに出ている奥さんに電話をかけ始めました。ですが、電話口でこう言いやがったのです。


 「今日、たけちゃんと飲みに行くから晩ご飯はいらんわ!お金が足らんかったらあかんから、タンスから少しお金借りとくで!今2人合わせて6000円しかないから!」


 俺の6000円や、それ!お前、何を自分も出したみたいな言い方してくれとんねん!お前は0円やろ!


 「それと、たけちゃんにヘチマをあげたで!えっ?あかんの、あげたら?」


 電話口で、奥さんが怒っているのが聞こえてきました。育ちきっていないヘチマだったらしく、それを聞いた木下さんが急に小声になり、「ごめん、俺からも怒っとくわ」と、僕がヘチマを欲しがったような言い方しやがったんで

すよ!


 お前、何を人のせいにしてくれとんねん!ひと言も言ってないわ、ヘチマ欲しいなんて!


 「きつく言っとくわ」


 ええ加減にせいよ、お前!お前のほうこそきつく首絞めたろか!


 もうね、あきれて、怒る気もしなかったですよ……。


検証エピソード②『絵本』
 これは、3年ほど前のお話です。


 僕には「愛子」という名の姪っ子がいます。当時は3歳で、その日、僕の家に遊びにきていました。


 しばらくして、僕の家に木下さんがやってきました。


 木下さんは、愛子のことが大好きです。自分の子供のようにかわいがっており、この日に愛子が来るのを知っていたことから、近所の図書館で絵本を借りてきています。


 「愛ちゃん、おっちゃんが本を読んであげるから、こっちにおいで!」


 言われた愛子は、木下さんがいるソファーの隣に座りました。木下さんは絵本を開き、愛子に読み聞かせを始めたのですが、何気に見たその本が『ウミウシの生態』という、妙な動物図鑑だったのです。


 なんでそれ選んでん、お前!白雪姫とか桃太郎とかあるやろ!


 この本では、ウミウシの写真に説明文が併記されています。僕も隣に座って聞いていたものの、全然おもしろくない読み聞かせなのです。


 「これは、コールマンウミウシです」


 だからなんやねん!誰が興味あんねん、コールマンウミウシとか!


 「ミノウミウシが、ヒドロ虫をエサにしています」


 知らんがな、そんなもん!ファーブルでもヘタしたら興味ないわ、ヒドロ虫なんて!


 「オスとメスが寄り添って交接をしています」


 早い早い!子供には早い、そんなこと!


 それでも、愛子は真剣に耳を傾けています。「この部分はなんでオレンジ色なん?」と質問するなど、意外にも興味津々です。近くにいる僕と僕の母親は、何も言わないことにしました。


 10分後。ウミウシを読み終えた木下さんが、2冊目の絵本を手にしました。


 タイトルは、『魔法使いサンカクスキー』。魔法使いのサンカクスキーが、子供に三角形を届けます。子供の家に行って、いろいろな物を三角形にしていく愉快なお話で、前もって中身をチェックしていた僕は、安心して聞くことにしました。


 ところがです。


 絵本の読み聞かせでは、登場人物のセリフが出てくると、役になりきってセリフを口にします。子供なら子供の声、おばあさんなら少ししゃがれた声で言葉を発するのですが、木下さんの魔女役への入り込み方が尋常ではないのです。めちゃくちゃ高い声で「イーヒッヒッヒッ!寝てたのかい?」とニヤニヤしながら言いやがるので、愛子が引き始めたんですよ!


 何考えとんねん、お前!大人の俺が聞いてても引くわ!


 「イーヒッヒッヒッ!わたしゃ、魔法使いのサンカクスキー!あんたの名前はなんて言うんだい?イーヒッヒッヒッ!」


 気持ち悪っ!何、このねっちょりとした言い方!?


 「レミ。イーヒッヒッヒッ!」


 レミは魔女と違うわ!女の子のほうや、その子は!なんでもかんでもイーヒッヒッヒッ!って言うなよ!


 しかも役に入り込みすぎて、途中から地の文まで魔女の声で言い始めたのです。


 「(ニヤニヤしながら)サンカクスキーは、レミをホウキに乗せて夜空に舞い上がりました、イーヒッヒッヒッ!


 意味わからん!そこは作者のセリフやろ!


 「2人はホウキで山のてっぺんに登りました、イーヒッヒッヒッ!うわー、やっほー、イーヒッヒッヒッ!レミは大喜び、イーヒッヒッヒッ!」


 ごめん、もう何が何かわからん!どれが誰のセリフでどれが説明の文なのかまったくわからん!


 結局、愛子は途中で立ち去りましたからね。木下さんが怖くなったのか、話の内容がつかめず退屈したのか、目に軽く涙を浮かべて、僕の母親のヒザの上に移動しましたから。


検証エピソード③『犬の散歩』
 木下さんは、めちゃくちゃ貧乏です。おこづかいは月に8000円で、自転車の修理代金をくすねたり、奥さんに無理言
ってもらうなどして、なんとか生活しているのです。


 見かねた僕らは、近所の人たちと話し合いました。話し合った結果、交代制で木下さんに何か仕事を与え、その報酬として、お金を渡すことにしたのです。


 僕はこれを、「木下ボランティア」と命名しました。風呂掃除をやれば1000円、肩を叩けば1000円を渡し、僕の家は庭の草引きをやらせて、1000円をあげることにしたのです。


 3年ほど前のことです。


 その日の夕方、僕は家のFAXが壊れたため、近所のコンビニに行きました。


 店内に入ってFAXを入れていると、ガラス越しに、木下さんが2匹の犬を散歩させているのが目に入りました。

 これは木下ボランティアの一環で、この犬は、近所の岡村さんという人が飼っています。岡村さんの代打で散歩させているのです。


 ですが、犬は中型犬です。小型犬2匹ならわかるものの、そこそこ大きい犬なので、2匹同時だと持つのが大変です。木下さんは体をもっていかれており、岡村さんにいいところを見せてまた仕事をもらおうと、2匹同時に散歩させているのでしょう。


 「おっちゃん、手伝ったろか?」


 コンビニを出た僕は、木下さんに近づいて、声をかけました。


 ですが、木下さんはガンコです。「ほっといてくれ!これは俺の仕事や!」と拒んできたのです。


 変に熱いところがあり、僕がいくら言っても聞きません。仕方なく、僕は帰るフリをして木下さんのあとをつけ、離れたところから見守ることにしました。


 犬に引っ張られた木下さんは、前かがみになって歩いています。それでもがんばって散歩させ、しばらくして、電話BOXの前にやってきました。


 木下さんは、電話番号が書かれた紙を手にしています。公衆電話でどこかに電話をかけるのでしょうが、電話BOXの中に、犬を入れようとしています。逃げられないようにと、犬もろとも中に入ろうとしているのです。


 これ、アホすぎるでしょ?どこかにくくりつければ済む話でしょ?


 木下さんは、そのことにまったく気づいていません。犬のほうも入ろうとせず、強引に中に入れても、すぐに出てきてしまうのです。


 ほどなくして、木下さんは作戦を変えました。1匹の首輪をつかみ、足で強引に押して中に入れ、自分も中に入りました。そして、ドアを少しだけ開けておき、もう1匹はヒモをつかんで外に出しておくことにしたのです。犬1匹と自分が中に入り、もう1匹は外に出した状態にして電話をかけることにしたのです。


 犬は、ワンワンと吠えています。


 「静かにしなさい!」


 木下さんは犬に注意して、中の犬のヒモを離しました。ドアの隙間から逃げないように足でブロックし、紙を見ながら番号を押そうとしたのですが、外の犬が体を引っ張るため、指がボタンに届きません。ヒモをたぐり寄せて押そうとするものの、外の犬が逃げようと引っ張り返すので、あと少しのところで届かないのです。


 それでも、なんとか最初のボタンを押しました。


 外に体を出されかけては引っ張り返し、2つ目、3つ目とボタンを押していきます。手にはもう、握力がありません。手をプルプルと震わせ、顔には脂汗をかいています。それでも、「じっとしとけ!」と外の犬に叫んで奮起し、残りのボタンを押していったのですが、ふと電話を見たら木下さん、受話器取ってないんですよ!


 受話器取れよ、お前!何を置いてもまず受話器は取れよ!


 「おっちゃん、受話器取ってないやろ!」


 見かねた僕は、木下さんに近づいて教えてあげました。犬は僕が持つことにし、木下さんに電話をかけさせることにしたのですが、「そもそも何の電話なん?」と訊いたら、こう答えたのです。


 「岡村さんに、体を壊すからもう犬の散歩はこれっきりにしてくれ、と言おうと思ってん」


 散歩終わってから言えよ、そんなこと!なんでこんな苦労してまで今言わないとあかんねん!


 アホすぎてもう、涙が出ましたよ。情けなさとおかしさが同時に込み上げて、本当に涙が出ましたから。


検証エピソード④『おぼん』
 これは、つい先日のお話です。


 その日の夜に、僕は屋台のラーメンを食べることにしました。


 夜の9時ごろに毎日、チャルメラが鳴ります。数年振りに食べることにし、おぼん片手に家を出ました。


 屋台は、近所の団地に止まりました。


 人だかりができており、木下さんもいます。木下さんは手におぼんを持っていたので、てっきり僕のように持って帰ると思っていたのですが、近くのブロックに座って食べ始めたのです。


 訊くと、いつもこの場で食べるそうです。おぼんを持ってくる必要はなく、気になった僕は、「おっちゃん、なんでこの場で食べんのに、おぼんを持ってくんの?」と訊きました。


 すると、自分の失態に気がついたのでしょう。僕にバカにされないようにするため、「いやあの、一応や!」と、ワケのわからない言い訳をしたのです。


 問い詰めすぎると、木下さんは逆上します。カンシャク持ちなので、これ以上は言えません。僕は無理にでも自分を納得させ、ラーメンを持って家に帰りました。


 4日後のことです。


 久し振りに食べたラーメンの味に感動した僕は、おぼんを持って再び、団地に向かいました。すると、僕とほぼ同じタイミングで木下さんもやってきたのですが、またおぼんを持っているのです。


 なんで忘れんねん、俺が言ったこと!4日前やぞ、俺が注意したん!?


 木下さんは、僕に気がつきました。話しかけようとする僕を見て、おぼんを背中に隠したのです。


 失態をくり返してしまったことに気づいて、僕に注意されないようにしたのでしょう。そこで、僕は木下さんにいじわるをするため、この日は、木下さんの隣に座って食べることにしました。


 「おっちゃん、今日は俺もここで食べて帰るわ。ここ、いいか?」


 僕はこう言って、先に座っていた木下さんの隣に座りました。


 木下さんは、僕にバレないように、背中におぼんを隠しています。長方形のおぼんを背中にあてがい、手でさりげなく押さえながら、落ちないようにしているのです。


 ですが、少しでも前かがみになると、おぼんが落ちてきます。背筋をピンとさせながら食べるしかなく、スープを飲むことができません。口数も少なく、僕にバレないように必死で、食事どころではないんですね。


 「ご、ごめん、ちょっとトイレに行ってくるわ!」


 あまりの食べにくさに困った木下さんは、この場を離れました。僕は、くすくす笑いながらおぼんを隠しに行った木下さんの帰りを待っていたのですが、ズボンの後ろにおぼんを入れて戻ってきたんですよ!


 置いてこいや、お前!その場に置いてきたらいいやんけ!なんで持って帰ってくんねん!


 木下さんは、「出し抜いたった!」とばかりに得意げです。意気揚々とスープを飲み始めたものの、おぼんが大きすぎてズボンの隙間からおぼんの先が見えてるんですよ!


 いやいや、隠せてないから!丸見えやから!


 「あー、おいしい!」


 おいしいやあるか、お前!バレバレやねん!


 木下さんは、僕にバレていることに、まったく気づいていません。「あー!あったまるわ!」と急に饒舌になりやがったので、おかしくて仕方がなかったですよ。


検証エピソード⑤『奇跡の5分間』
 僕はその昔、木下さんを殴ったことがあります。今でもしょっちゅうケンカはしていますが、「大ゲンカ」と呼べ
るのは後にも先にも、このときだけなのです。


 その事件は、僕が小学校5年生のときの夏に起こりました。


 僕は当時、非常に肌が弱く、夏場には毎年、体中にあせもができていました。薬を塗っても治らず、僕の母親が、クロレラ、青汁といったサプリメントを飲ましてくれたものの、一向に治らなかったのです。


 腕や脚の関節には、たくさんのブツブツができています。かゆみを我慢できずにかいてしまい、毎日、そこから血が出ていました。


 ある日、木下さんが僕の家にやってきました。


 僕の両親は出かけています。夏休みのため僕の姉もどこかに出かけており、家には僕しかいません。


 木下さんは、手に塩を持っています。あせもに塩が効くらしく、「体にすり込んだら治る!」と言うのです。


 ですが、怪しいです。僕は当時から、木下さんの頭の悪さは知っていました。信用できず、僕の母親もいなかったことから、断ることにしました。


 「おっちゃん、塩はやめとくわ!お母さんが帰ってきてから、相談してみるわ!」


 こう断ったものの、木下さんは言うことを聞きません。


 「絶対に治るから!俺を信用しろ!」


 真剣な表情で、僕にすごんできたのです。


 僕は、木下さんの熱意に負けました。正直、わらにもすがる思いだったので、2人で家のお風呂に入り、木下さんに塩を塗ってもらうことにしたのです。


 全裸になった僕らは、風呂場に入りました。僕はシャワーで体を濡らし、木下さんが体中に塩を塗ってくれたのですが、めちゃくちゃ痛いのです。


 僕の体は、かいた跡だらけです。傷になっているので、傷口にすり込まれる塩がたまらないんですね。


 「痛い痛い痛い!痛い痛い痛い!」


 僕は、たまらず絶叫しました。


 ですが、木下さんは動じません。「痛いのは塩が効いてる証拠や!我慢しろ!」と言って、ガンガンに塗りたくってきたのです。


 僕は木下さんを信じて、我慢しました。「5分間我慢しろ!」と指示されたので、半泣きになりながらもこらえたのです。


 僕は途中で、湯船に浸かる木下さんに訊きました。


 「おっちゃん、疑って悪いようやけど、この方法、誰に聞いたん?」


 木下さんは、何も言いません。その沈黙を不審に思った僕は、「誰に聞いたか教えろよ!?」と語気を荒げたところ、僕にボソッと、こう告げたのです。


 「勘や」


 勘なん!?ちょっと待って、勘なんや!?こっちは死ぬ気で我慢してんのにアホの勘なんや!?


 「なめてんのか、コラ!!!」


 僕は木下さんの首をつかんで、湯船から出しました。「治るかもしらんやろ!」とむちゃくちゃなことを言われたことからますます怒り、風呂場のドアを開けて外に連れ出したのです。


 洗面所の前で、木下さんは僕を突き放しました。「いいから我慢せい!」と怒鳴ってきたため、怒りが頂点に達した僕は、木下さんにつかみかかったのです。


 2人して体中、塩でヌルヌルです。廊下で何度も転倒するという、ものすごいケンカが始まりました。僕は殴りかかってはこけ、木下さんは僕をいなしてはこけで、気がつくと台所に来ていたのです。


 「お前、もう帰れ!お前なんかこの家に2度と来んな!」


 僕は泣き叫びました。木下さんは「治ったらお礼を言えよ!」と捨てゼリフを吐いて、そのまま靴を履いて出て行きました。


 興奮冷めやらぬままに、僕は風呂場に戻りました。


 石鹸で塩を洗い落として湯船に浸かったものの、木下さんのことを考えるとイライラしてきます。体中がカッカしており、壁のタイルをガンガンに殴りつけました。


 5分後のことです。


 僕の家に向かって、ドタバタと走り寄る音が聞こえてきました。音の主は僕の家に入り、風呂場の前の引き戸を開けたのでドアのガラス越しに見たところ、全裸の男が、カゴに入れてある衣服を手にして立ち去ったのです。


 そう木下さん、全裸で道路に出てたんですよ!先ほど出て行った際、家のガレージの扉が開く音が聞こえたことからも間違いなく、この5分間、フルチンで外にいたんですよ!


 お前、何しとってん、この5分!全裸やと気づくのに何分かかっとんねん!興奮してたか知らんけど、少しでも風に当たったら気づくやろ、普通!


 3日後のことです。


 僕の母親があいだに入ってくれたことで、僕と木下さんは仲直りをしました。そこで、「おっちゃんあのとき、フルチンでどこにおったん?」と訊いたところ、こう答えたのです。


 「気づかんと1回、家に帰ってもうたんや」


 何考えとんねん、お前!で、1回家に帰ってんやったら、家の服を着てから服取りに来いよ!なんでフルチンのまま戻ってくんねん!


 僕らの家のあいだには、たくさんの民家があります。酒屋やクリーニング屋もあり、なにより、警察の派出所があります。問題にならなかったのは奇跡で、僕はこの事件を「奇跡の5分間」と呼んでいるのです……。



 以上が、木下さんにまつわるエピソードです。


 毎度同様、木下さんのアホさだけは、手のつけようがありません。ついさっきも僕の姪っ子が持ってきたカブトムシに、アクエリアスを飲ませていましたから……。



木下さんは何者か?の考察~ベスト版⑦~(携帯読者用)

※過去の木下さんの記事をごちゃ混ぜにして再編集

 僕の家では、コケを栽培しています。

 コケといっても、小さなプランターに入れたものです。玄関の外に置いて、ちょっとしたインテリアとして飾ってあるのです。

 日を追うごとに成長し、外側の毛がマリモのように変化しました。観察するのが楽しくて、僕の家族はもちろん、僕の家に遊びにくる近所のおじさんまでもが、その成長を楽しみに見守っているのです。

 なかでもこのおじさんは、はしゃぎたおしています。

 「1日しかたってないのに、また大きくなった!」

 「うおー、毛がフサフサになってる!ドライヤーを当てないと!」

 このようにワケのわからないことを言いながら、毎日、僕の家にやってくるようになりました。

 先日のことです。

 時刻は夜の3時。真夜中にもかかわらず、テレビでは世界陸上が放送されています。陸上を見ながら家で仕事をしていた僕は、息抜きがてら、飼っている犬を見に行くことにしました。

 犬は、玄関近くの木の下で眠っています。僕はキャンプ用のイスに座り、タバコを吸いながら犬のかわいい寝顔を眺めていたのですが、なんとなしに人の気配を感じたのです。

 近くには玄関があり、コケのプランターが置いてあります。恐る恐る視線を投げたところ、プランターの前に、そのおじさんが立っていたのです。

 「うわーーーっ!」

 幽霊と勘違いした僕は声を上げました。なにしろ夜中の3時です。驚いた僕はうわずった声で「おっちゃん何してんの、こんな時間に!?」と訊いたところ、このおじさんが「立ってる」って言ったんですよ。

 いやいや、状態聞いてないから!こんな夜中にお前の体の状態なんて興味ないから!

 「夜中に目が覚めたから立ってる」

 説明飛ばしすぎやねん!なんでこんな時間に人の家に来て、ここで何をしているのかきっちり説明せいよ!

 「寝られへんから立ちに来た」

 立ちに来たってなんやねん!「立つ用事」ってどういうことやねん!ていうか、ここに来るまでにすでに立ってるやろ!もう済んでるやろ、お前の用事!

 このおじさんは寝ぼけています。話しかけてもワケのわからないことを口にし、このあと、前代未聞の日本語を僕に投げかけたのです。

 「もうすぐテレビで、陸上の自衛隊の100メートルが世界であるやろ。コケが走るまでここに来たんやわんやわんや」

 ごめん、何言ってんの、自分!?陸上の自衛隊て!コケが走るて!で、やわんやわんやって何!?この常軌を逸した語尾は何がどうなったら出てくんの!?

 このおじさんの名前は、木下さん。僕の近所に住む、「天然の天才」なのです。

 日ごろからおかしなことを連発し、つい先日も、コンタクトレンズを買いに行くことを告げた僕に、「がんばりや!」って言ったんですよ。

 何をがんばんねん、あんなもん!がんばりが必要なんは医者のほうやろ!

 「ファイトやで!」

 ファイトいらんわ、あの検査!いるんは金だけや!

 とにかく、おかしいのです。同じ人間とは思えない、奇人中の奇人なのです。

 そこで今回は、「木下さんは何者か?」の考察~ベスト版⑦~です。

 木下さんは、うちの母親の同級生で64歳。ボロボロの自転車屋を経営し、奥さんとの共働きで、僕の小学校の同級生の息子(サラリーマン・既婚)と娘(フリーター)がいます。

 このプロフィールを踏まえていただき、以下、木下さんにまつわるエピソードをご紹介します。信じがたいお話ばかりなのですが、すべて実話です。

検証エピソード①『ヘチマ』
 これは、8年ほど前のお話です。

 僕は大学時代、1人暮らしをしていました。卒業後に親元である実家に戻り、引っ越してきたその日に、あいさつがてら木下さんの自転車屋に行きました。

 「おっちゃん、俺、帰ってきたわ!またお世話になるからよろしくな!」

 木下さんは、店の前で自転車の修理をしています。僕が声をかけると、「お帰り、たけちゃん!今、家に誰もおらんから中でゆっくり話そうや!」と言ってくれたのです。

 木下さんとは、子供のころから一緒にいます。ですが、自転車屋の中で話すことはあっても、家の中に入ったことはありません。せっかくなので、家に入れてもらうことにしました。

 外観から判断できる木下さんの家は、「ちょっと豪華な犬小屋」です。店に併設された小さな家で、「今どきこんな家があんのか……」というぐらい、ボロボロなのです。

 僕はどこか不安に駆られながらも、木下さんに導かれて自転車屋の中を通り、玄関に来ました。

 「中はちょっと汚いから、これを履いて!」

 こう言って木下さんが僕にスリッパを渡してきたのですが、スリッパ自体がすでに汚いのです。

 もう汚れるやんけ、俺!なんやったら外の靴より汚いねん、このドロドロのスリッパ!

 「足が汚れたらあかんから!」

 もう汚れんねん、だから!ていうか、もと何色、これ!?もとの色がわからんほどドロドロやねんけど!?

 それでも、親切心から言ってくれています。文句を言うわけにはいかず、僕は渋々スリッパを履いたのですが、僕が居間に入るやいなや「たけちゃん、ヘチマいる?」って言ったんですよ。

 はっ?はっ?

 「ヘチマいる?」

 ごめん、何言ってんの、いきなり!?「飲み物は何を飲む?」ぐらいのノリでいきなり何言ってんの!?

 「たけちゃん、ヘチマ好きやったっけ?」

 ヘチマ好きな奴なんておらんよ!おっても未亡人ぐらいやわ、それ!

 「じゃ、じゃあもらうわ……」

 僕はワケもわからず返事をしたのですが、木下さんがベランダで育てているヘチマを引きちぎり、「はい!」と言って生で手渡してきたのです。

 ラグビーか、これ!袋か何かに入れてくれよ!駄菓子屋でもババアの機嫌よかったら袋入れてくれるぞ!

 「どう?」

 答えようあるか、そんなもん!ていうか、なんでヘチマを生で持って帰らないとあかんねん!田舎のフリマか!

 木下さんは、お茶をいれてくれました。僕は腑に落ちないながらもいろいろと話をし、2人でお酒を飲みに行くことになったのです。

 「今日は俺が飲みにつれて行ったるわ!いいお店があるからついといで!」

 「ありがとう!」

 「いくら持ってる?」

 おごってくれへんの!?そんな粋な言い方しといて割り勘なんや!?

 「6000円ちょっとあるわ」

 僕が渋々答えたところ、木下さんは、働きに出ている奥さんに電話をかけ始めました。ですが、電話口でこう言いやがったのです。

 「今日、たけちゃんと飲みに行くから晩ご飯はいらんわ!お金が足らんかったらあかんから、タンスから少しお金借りとくで!今2人合わせて6000円しかないから!」

 俺の6000円や、それ!お前、何を自分も出したみたいな言い方してくれとんねん!お前は0円やろ!

 「それと、たけちゃんにヘチマをあげたで!えっ?あかんの、あげたら?」

 電話口で、奥さんが怒っているのが聞こえてきました。育ちきっていないヘチマだったらしく、それを聞いた木下さんが急に小声になり、「ごめん、俺からも怒っとくわ」と、僕がヘチマを欲しがったような言い方しやがったんですよ!

 お前、何を人のせいにしてくれとんねん!ひと言も言ってないわ、ヘチマ欲しいなんて!

 「きつく言っとくわ」

 ええ加減にせいよ、お前!お前のほうこそきつく首絞めたろか!

 もうね、あきれて、怒る気もしなかったですよ……。

検証エピソード②『絵本』
 これは、3年ほど前のお話です。

 僕には「愛子」という名の姪っ子がいます。当時は3歳で、その日、僕の家に遊びにきていました。

 しばらくして、僕の家に木下さんがやってきました。

 木下さんは、愛子のことが大好きです。自分の子供のようにかわいがっており、この日に愛子が来るのを知っていたことから、近所の図書館で絵本を借りてきています。

 「愛ちゃん、おっちゃんが本を読んであげるから、こっちにおいで!」

 言われた愛子は、木下さんがいるソファーの隣に座りました。木下さんは絵本を開き、愛子に読み聞かせを始めたのですが、何気に見たその本が『ウミウシの生態』という、妙な動物図鑑だったのです。

 なんでそれ選んでん、お前!白雪姫とか桃太郎とかあるやろ!

 この本では、ウミウシの写真に説明文が併記されています。僕も隣に座って聞いていたものの、全然おもしろくない読み聞かせなのです。

 「これは、コールマンウミウシです」

 だからなんやねん!誰が興味あんねん、コールマンウミウシとか!

 「ミノウミウシが、ヒドロ虫をエサにしています」

 知らんがな、そんなもん!ファーブルでもヘタしたら興味ないわ、ヒドロ虫なんて!

 「オスとメスが寄り添って交接をしています」

 早い早い!子供には早い、そんなこと!

 それでも、愛子は真剣に耳を傾けています。「この部分はなんでオレンジ色なん?」と質問するなど、意外にも興味津々です。近くにいる僕と僕の母親は、何も言わないことにしました。

 10分後。ウミウシを読み終えた木下さんが、2冊目の絵本を手にしました。

 タイトルは、『魔法使いサンカクスキー』。魔法使いのサンカクスキーが、子供に三角形を届けます。子供の家に行って、いろいろな物を三角形にしていく愉快なお話で、前もって中身をチェックしていた僕は、安心して聞くことにしました。

 ところがです。

 絵本の読み聞かせでは、登場人物のセリフが出てくると、役になりきってセリフを口にします。子供なら子供の声、おばあさんなら少ししゃがれた声で言葉を発するのですが、木下さんの魔女役への入り込み方が尋常ではないのです。めちゃくちゃ高い声で「イーヒッヒッヒッ!寝てたのかい?」とニヤニヤしながら言いやがるので、愛子が引き始めたんですよ!

 何考えとんねん、お前!大人の俺が聞いてても引くわ!

 「イーヒッヒッヒッ!わたしゃ、魔法使いのサンカクスキー!あんたの名前はなんて言うんだい?イーヒッヒッヒッ!」

 気持ち悪っ!何、このねっちょりとした言い方!?

 「レミ。イーヒッヒッヒッ!」

 レミは魔女と違うわ!女の子のほうや、その子は!なんでもかんでもイーヒッヒッヒッ!って言うなよ!

 しかも役に入り込みすぎて、途中から地の文まで魔女の声で言い始めたのです。

 「(ニヤニヤしながら)サンカクスキーは、レミをホウキに乗せて夜空に舞い上がりました、イーヒッヒッヒッ!」

 意味わからん!そこは作者のセリフやろ!

 「2人はホウキで山のてっぺんに登りました、イーヒッヒッヒッ!うわー、やっほー、イーヒッヒッヒッ!レミは大喜び、イーヒッヒッヒッ!」

 ごめん、もう何が何かわからん!どれが誰のセリフでどれが説明の文なのかまったくわからん!

 結局、愛子は途中で立ち去りましたからね。木下さんが怖くなったのか、話の内容がつかめず退屈したのか、目に軽く涙を浮かべて、僕の母親のヒザの上に移動しましたから。

検証エピソード③『犬の散歩』
 木下さんは、めちゃくちゃ貧乏です。おこづかいは月に8000円で、自転車の修理代金をくすねたり、奥さんに無理言ってもらうなどして、なんとか生活しているのです。

 見かねた僕らは、近所の人たちと話し合いました。話し合った結果、交代制で木下さんに何か仕事を与え、その報酬として、お金を渡すことにしたのです。

 僕はこれを、「木下ボランティア」と命名しました。風呂掃除をやれば1000円、肩を叩けば1000円を渡し、僕の家は庭の草引きをやらせて、1000円をあげることにしたのです。

 3年ほど前のことです。

 その日の夕方、僕は家のFAXが壊れたため、近所のコンビニに行きました。

 店内に入ってFAXを入れていると、ガラス越しに、木下さんが2匹の犬を散歩させているのが目に入りました。

 これは木下ボランティアの一環で、この犬は、近所の岡村さんという人が飼っています。岡村さんの代打で散歩させているのです。

 ですが、犬は中型犬です。小型犬2匹ならわかるものの、そこそこ大きい犬なので、2匹同時だと持つのが大変です。木下さんは体をもっていかれており、岡村さんにいいところを見せてまた仕事をもらおうと、2匹同時に散歩させているのでしょう。

 「おっちゃん、手伝ったろか?」

 コンビニを出た僕は、木下さんに近づいて、声をかけました。

 ですが、木下さんはガンコです。「ほっといてくれ!これは俺の仕事や!」と拒んできたのです。

 変に熱いところがあり、僕がいくら言っても聞きません。仕方なく、僕は帰るフリをして木下さんのあとをつけ、離れたところから見守ることにしました。

 犬に引っ張られた木下さんは、前かがみになって歩いています。それでもがんばって散歩させ、しばらくして、電話BOXの前にやってきました。

 木下さんは、電話番号が書かれた紙を手にしています。公衆電話でどこかに電話をかけるのでしょうが、電話BOXの中に、犬を入れようとしています。逃げられないようにと、犬もろとも中に入ろうとしているのです。

 これ、アホすぎるでしょ?どこかにくくりつければ済む話でしょ?

 木下さんは、そのことにまったく気づいていません。犬のほうも入ろうとせず、強引に中に入れても、すぐに出てきてしまうのです。

 ほどなくして、木下さんは作戦を変えました。1匹の首輪をつかみ、足で強引に押して中に入れ、自分も中に入りました。そして、ドアを少しだけ開けておき、もう1匹はヒモをつかんで外に出しておくことにしたのです。犬1匹と自分が中に入り、もう1匹は外に出した状態にして電話をかけることにしたのです。

 犬は、ワンワンと吠えています。

 「静かにしなさい!」

 木下さんは犬に注意して、中の犬のヒモを離しました。ドアの隙間から逃げないように足でブロックし、紙を見ながら番号を押そうとしたのですが、外の犬が体を引っ張るため、指がボタンに届きません。ヒモをたぐり寄せて押そうとするものの、外の犬が逃げようと引っ張り返すので、あと少しのところで届かないのです。

 それでも、なんとか最初のボタンを押しました。

 外に体を出されかけては引っ張り返し、2つ目、3つ目とボタンを押していきます。手にはもう、握力がありません。手をプルプルと震わせ、顔には脂汗をかいています。それでも、「じっとしとけ!」と外の犬に叫んで奮起し、残りのボタンを押していったのですが、ふと電話を見たら木下さん、受話器取ってないんですよ!

 受話器取れよ、お前!何を置いてもまず受話器は取れよ!

 「おっちゃん、受話器取ってないやろ!」

 見かねた僕は、木下さんに近づいて教えてあげました。犬は僕が持つことにし、木下さんに電話をかけさせることにしたのですが、「そもそも何の電話なん?」と訊いたら、こう答えたのです。

 「岡村さんに、体を壊すからもう犬の散歩はこれっきりにしてくれ、と言おうと思ってん」

 散歩終わってから言えよ、そんなこと!なんでこんな苦労してまで今言わないとあかんねん!

 アホすぎてもう、涙が出ましたよ。情けなさとおかしさが同時に込み上げて、本当に涙が出ましたから。

検証エピソード④『おぼん』
 これは、つい先日のお話です。

 その日の夜に、僕は屋台のラーメンを食べることにしました。

 夜の9時ごろに毎日、チャルメラが鳴ります。数年振りに食べることにし、おぼん片手に家を出ました。

 屋台は、近所の団地に止まりました。

 人だかりができており、木下さんもいます。木下さんは手におぼんを持っていたので、てっきり僕のように持って帰ると思っていたのですが、近くのブロックに座って食べ始めたのです。

 訊くと、いつもこの場で食べるそうです。おぼんを持ってくる必要はなく、気になった僕は、「おっちゃん、なんでこの場で食べんのに、おぼんを持ってくんの?」と訊きました。

 すると、自分の失態に気がついたのでしょう。僕にバカにされないようにするため、「いやあの、一応や!」と、ワケのわからない言い訳をしたのです。

 問い詰めすぎると、木下さんは逆上します。カンシャク持ちなので、これ以上は言えません。僕は無理にでも自分を納得させ、ラーメンを持って家に帰りました。

 4日後のことです。

 久し振りに食べたラーメンの味に感動した僕は、おぼんを持って再び、団地に向かいました。すると、僕とほぼ同じタイミングで木下さんもやってきたのですが、またおぼんを持っているのです。

 なんで忘れんねん、俺が言ったこと!4日前やぞ、俺が注意したん!?

 木下さんは、僕に気がつきました。話しかけようとする僕を見て、おぼんを背中に隠したのです。

 失態をくり返してしまったことに気づいて、僕に注意されないようにしたのでしょう。そこで、僕は木下さんにいじわるをするため、この日は、木下さんの隣に座って食べることにしました。

 「おっちゃん、今日は俺もここで食べて帰るわ。ここ、いいか?」

 僕はこう言って、先に座っていた木下さんの隣に座りました。

 木下さんは、僕にバレないように、背中におぼんを隠しています。長方形のおぼんを背中にあてがい、手でさりげなく押さえながら、落ちないようにしているのです。

 ですが、少しでも前かがみになると、おぼんが落ちてきます。背筋をピンとさせながら食べるしかなく、スープを飲むことができません。口数も少なく、僕にバレないように必死で、食事どころではないんですね。

 「ご、ごめん、ちょっとトイレに行ってくるわ!」

 あまりの食べにくさに困った木下さんは、この場を離れました。僕は、くすくす笑いながらおぼんを隠しに行った木下さんの帰りを待っていたのですが、ズボンの後ろにおぼんを入れて戻ってきたんですよ!

 置いてこいや、お前!その場に置いてきたらいいやんけ!なんで持って帰ってくんねん!

 木下さんは、「出し抜いたった!」とばかりに得意げです。意気揚々とスープを飲み始めたものの、おぼんが大きすぎてズボンの隙間からおぼんの先が見えてるんですよ!

 いやいや、隠せてないから!丸見えやから!

 「あー、おいしい!」

 おいしいやあるか、お前!バレバレやねん!

 木下さんは、僕にバレていることに、まったく気づいていません。「あー!あったまるわ!」と急に饒舌になりやがったので、おかしくて仕方がなかったですよ。

検証エピソード⑤『奇跡の5分間』
 僕はその昔、木下さんを殴ったことがあります。今でもしょっちゅうケンカはしていますが、「大ゲンカ」と呼べるのは後にも先にも、このときだけなのです。

 その事件は、僕が小学校5年生のときの夏に起こりました。

 僕は当時、非常に肌が弱く、夏場には毎年、体中にあせもができていました。薬を塗っても治らず、僕の母親が、クロレラ、青汁といったサプリメントを飲ましてくれたものの、一向に治らなかったのです。

 腕や脚の関節には、たくさんのブツブツができています。かゆみを我慢できずにかいてしまい、毎日、そこから血が出ていました。

 ある日、木下さんが僕の家にやってきました。

 僕の両親は出かけています。夏休みのため僕の姉もどこかに出かけており、家には僕しかいません。

 木下さんは、手に塩を持っています。あせもに塩が効くらしく、「体にすり込んだら治る!」と言うのです。

 ですが、怪しいです。僕は当時から、木下さんの頭の悪さは知っていました。信用できず、僕の母親もいなかったことから、断ることにしました。

 「おっちゃん、塩はやめとくわ!お母さんが帰ってきてから、相談してみるわ!」

 こう断ったものの、木下さんは言うことを聞きません。

 「絶対に治るから!俺を信用しろ!」

 真剣な表情で、僕にすごんできたのです。

 僕は、木下さんの熱意に負けました。正直、わらにもすがる思いだったので、2人で家のお風呂に入り、木下さんに塩を塗ってもらうことにしたのです。

 全裸になった僕らは、風呂場に入りました。僕はシャワーで体を濡らし、木下さんが体中に塩を塗ってくれたのですが、めちゃくちゃ痛いのです。

 僕の体は、かいた跡だらけです。傷になっているので、傷口にすり込まれる塩がたまらないんですね。

 「痛い痛い痛い!痛い痛い痛い!」

 僕は、たまらず絶叫しました。

 ですが、木下さんは動じません。「痛いのは塩が効いてる証拠や!我慢しろ!」と言って、ガンガンに塗りたくってきたのです。

 僕は木下さんを信じて、我慢しました。「5分間我慢しろ!」と指示されたので、半泣きになりながらもこらえたのです。

 僕は途中で、湯船に浸かる木下さんに訊きました。

 「おっちゃん、疑って悪いようやけど、この方法、誰に聞いたん?」

 木下さんは、何も言いません。その沈黙を不審に思った僕は、「誰に聞いたか教えろよ!?」と語気を荒げたところ、僕にボソッと、こう告げたのです。

 「勘や」

 勘なん!?ちょっと待って、勘なんや!?こっちは死ぬ気で我慢してんのにアホの勘なんや!?

 「なめてんのか、コラ!!!」

 僕は木下さんの首をつかんで、湯船から出しました。「治るかもしらんやろ!」とむちゃくちゃなことを言われたことからますます怒り、風呂場のドアを開けて外に連れ出したのです。

 洗面所の前で、木下さんは僕を突き放しました。「いいから我慢せい!」と怒鳴ってきたため、怒りが頂点に達した僕は、木下さんにつかみかかったのです。

 2人して体中、塩でヌルヌルです。廊下で何度も転倒するという、ものすごいケンカが始まりました。僕は殴りかかってはこけ、木下さんは僕をいなしてはこけで、気がつくと台所に来ていたのです。

 「お前、もう帰れ!お前なんかこの家に2度と来んな!」

 僕は泣き叫びました。木下さんは「治ったらお礼を言えよ!」と捨てゼリフを吐いて、そのまま靴を履いて出て行きました。

 興奮冷めやらぬままに、僕は風呂場に戻りました。

 石鹸で塩を洗い落として湯船に浸かったものの、木下さんのことを考えるとイライラしてきます。体中がカッカしており、壁のタイルをガンガンに殴りつけました。

 5分後のことです。

 僕の家に向かって、ドタバタと走り寄る音が聞こえてきました。音の主は僕の家に入り、風呂場の前の引き戸を開けたのでドアのガラス越しに見たところ、全裸の男が、カゴに入れてある衣服を手にして立ち去ったのです。

 そう木下さん、全裸で道路に出てたんですよ!先ほど出て行った際、家のガレージの扉が開く音が聞こえたことからも間違いなく、この5分間、フルチンで外にいたんですよ!

 お前、何しとってん、この5分!全裸やと気づくのに何分かかっとんねん!興奮してたか知らんけど、少しでも風に当たったら気づくやろ、普通!

 3日後のことです。

 僕の母親があいだに入ってくれたことで、僕と木下さんは仲直りをしました。そこで、「おっちゃんあのとき、フルチンでどこにおったん?」と訊いたところ、こう答えたのです。

 「気づかんと1回、家に帰ってもうたんや」

 何考えとんねん、お前!で、1回家に帰ってんやったら、家の服を着てから服取りに来いよ!なんでフルチンのまま戻ってくんねん!

 僕らの家のあいだには、たくさんの民家があります。酒屋やクリーニング屋もあり、なにより、警察の派出所があります。問題にならなかったのは奇跡で、僕はこの事件を「奇跡の5分間」と呼んでいるのです……。


 以上が、木下さんにまつわるエピソードです。

 毎度同様、木下さんのアホさだけは、手のつけようがありません。ついさっきも僕の姪っ子が持ってきたカブトムシに、アクエリアスを飲ませていましたから……。

そんなときは夜の散歩ではないか?の考察・後編(パソコン読者用)

※2008年・12月26日の記事を再編集


 時刻は4時になろうとしています。


 見上げた視線の先には、濃淡のある暗い空が広がっています。僕は来た道を引き返し、田中の家に向かって歩き始めました。


 先ほどのお菓子屋の前に来ました。


 学校の帰りに、僕は仲間とここで、お菓子を買いました。田中も一緒だったのですが、「私はお金がないから」と言って何も買わなかったのです。


 僕はそんな田中に対して、見て見ぬフリをしました。


 「友達とはいえ、お菓子まであげる必要なんてない」


 自分さえよければそれでよし。少し分けてあげるだけでいいのに、僕はそれすらもしなかったのです。


 見覚えのある、ドブ川の横を通りました。


 田畑を挟んで、闇に染められた黒い水がチョロチョロと流れています。僕らのグループは学校の帰りに、このドブを跳び越えられるかを競ったのです。


 体の弱い田中は、ずっと横で見ていました。僕は跳ぶのが楽しくて、別のところで遊ぼうや、とは言わなかったのです。


 なのに田中は、ドブにはまった僕に優しいのです。選ばれない側の人間なのに、選ばれた側の人間にさえ手を差し伸べるのです。


 目に入る風景からたぐり寄せた記憶には、すべて田中がいます。そこには器の小さい僕がおり、恵まれない環境に育ったはずの人間が、僕をはるかに凌駕する大きな器で、人間力の差を見せつけてきます。


 自虐の念が際限なく膨らんできました。器の小さい自分を見て、僕は両手で頭を抱え込みたい心境でした。


 次第に、歩くスピードが速くなりました。


 「田中に早く謝らないと!」


 気が急いて、踏み出す一歩に力強さが増していきました。


 ただ、僕は薄っぺらい人間です。気持ちは熱くなっているのに、時間を追うにつれて、やっかいだからやめておこうかな、と考えてしまうもうひとりの自分がいるのです。


 渦巻く後悔と葛藤、そして不安。


 凡を身にまとった人間は、「戦う」ということに対して免疫がありません。「逃げる」という選択肢の気楽さを知っているため、目に見える利益でもないかぎり、刀をつかもうとはしません。


 ですが、戦いを拒もうとする僕を、夜が許してくれません。


 無限に広がった薄暗いお天道さんが、悪いことをした僕を上から見張っています。


 夜は壮大です。小さい器を揶揄するかのごとく、全方位からその大きな器を見せつけてくるのです。


 息遣いなどあろうはずもないのに、静謐なこの空間が生きているかのようです。見えない何かが僕の五感に訴えかけ、その感覚を意識すると、刀をつかもうとする自分がいます。体の内側から純粋な心が頭をもたげ、夜に身を委ねるうちに、僕の邪心が消えていきました。


 歩きながら、こんなことを考えました。


 「自分は今、誰のために謝罪しようとしているのか」


 田中に悪いことをしたのですから、田中のために謝るのが本来の姿です。僕も今の今まで、そう思っていました。


 ですが、今の僕は、自分のために田中に謝罪しようとしているところがあります。


 猛烈な自己反省からくる謝罪なものの、謝罪という行為で僕が手に入れたい優先順位の1は、自分の気持ちがすっとしたい、という自分本位なもの。自分が前を向くための手段にすぎず、田中に謝ることは目的ではないのです。


 この感覚を払拭しようとしたものの、消えません。夜をたぐり寄せて体に通しても、先ほどのように消えてくれません。どこか打算的で、脳裏に浮かぶ「贖罪」という2文字に違和感を覚えます。


 俺は罪な奴だな……。でも、人間なんてそんなものか。ほとんどの人間がそんなもの、いや、全員がそんなものか。この手のことは理屈で考えるものではないのかもしれない。考えすぎずにとにかく行こう。今の自分で勝負しよう


 僕の中で様々な思いが入り乱れ、交錯しました。


 心に引っかかるものを覚えながらも、やがて、田中の団地に到着しました。


 団地の前の広場に立って、建物全体を眺めます。


 僕は大きくを息を吸い込み、目を閉じました。


 ここに田中が……。この箱の中に、あの田中和美が……。


 そこで今回は、「そんなときは夜の散歩ではないか?」の考察・後編です。


 僕は微かに震える自分の体を意識しながら、団地に足を踏み入れました。


 田中の家は5階にあります。僕は階段を上り、田中の家へと向かいました。


 団地の中は、ひっそりとしています。時間を閉じ込めたかのようなコンクリートに自分が囲まれていることを意識すると、体がすくむ思いがします。


 5階に到着しました。表札を一軒一軒確認し、「田中」と書かれた表札を発見したのです。


 部屋の電気は消えています。どことなく見覚えがあり、ひび割れた窓ガラスやボロボロのドアを見ると、この親子の苦労が知られて、なんとも言えない気持ちになりました。


 ドアを開けた田中に、頭を下げる心の準備はできています。


 こんな時間に迷惑だろう、などとは考えず、僕はインターホンを押しました。


 ピンポーン。……ピンポーン。


 反応はありません。いくら押しても物音ひとつせず、中に誰かがいる気配はないのです。


 僕は、田中は、まだこの家に住んでいると思っていました。


 失礼ながら、田中はあんな体です。まだお父さんと一緒に暮らしていると思っていたものの、よく考えれば、結婚しているかもしれません。子供がいてもおかしくなく、この家に住んでいるとはかぎらないのです。


 いろいろと考えた結果、僕は、田中のお父さんの帰りを待つことにしました。


 田中のお父さんは新聞配達をしています。待っていれば、配達を終えて戻ってくるでしょう。


 ただ、ことがことなので、お父さんにどう説明をすればいいかわかりません。時間も時間ですし、怪しいこと極まりないのです。


 そこで、団地の入口に移動することにしました。偶然を装ってお父さんに会い、さりげなく田中の所在を訊きだすのです。


 仮に田中が結婚していて、現在、東京に暮らしていたとしても、すぐに向かいます。沖縄だろうと北海道だろうと、この足で行って謝罪することにしました。


 僕は階段を下りました。


 団地の入口の近くに、ツタとツルが絡み合った、大きな壁があります。僕はその壁にもたれかかり、お父さんの帰りを待ちました。


 敷地の隅では、いつのものなのかわからない湿った落ち葉が、すえた匂いを立ちのぼらせています。


 顔を手でこすると、掌が脂でギトギトと光りました。目を閉じると、意識せずとも、僕の人生の情景が古いフィルムの色合いをともなって流れてきました。


 まぶたの裏には、嫌な思い出ばかりが浮かんできます。


 好きな子に告白できなくて体を壊した、仕事の後輩に追い抜かれた、上司に怒られて仕事をするのが怖くなり、せっかくのチャンスを無駄にすることを選んだ……。


 「ミス」を数えればキリがなく、そこには常に、自分の弱さがつきまとっていました。


 仕事の現場に行く前、僕は怒られるのが怖くて、トイレにこもって震えていました。


 重層的に重なった多くの失敗が、挑戦しようとする気概を奪ってきます。


 失敗した俺を見て、みんなは笑っているのではないか……。後輩はこんな情けない先輩の姿を見て、陰で悪口を言っているのではないか……。


 被害妄想の螺旋にがんじがらめにされ、周囲の視線に怯えます。嫉妬に胸を焦がし、仕事の現場で笑顔こそ浮かべるものの、その多くは作り笑顔だったのです。


 そしてその都度、自分と向き合って自己成長をうながしたのに、時間がたてば弱い自分に戻りました。突発的に熱くなっても、いざその場面に出くわすと、弱い自分が顔を出したのです。


 外の寒さが、急に意識されました。


 頭上では幾重もの枝葉が、薄暗い空に網の目をなしています。自分の呼吸音が目の前の硬い樹皮に跳ね返り、やけに大きく聞こえました。


 心にモヤモヤを抱えたまま、時計の針は5時30分をまわりました。


 遠目に、田中のお父さんが帰ってくるのがわかりました。


 自転車に乗っており、団地の入口ではなく、自転車置き場のほうに行きました。僕はひとまず入口を離れ、お父さんが入口に来るタイミングに合わせて近づき、偶然会った、という見せ方をすることにしました。


 ほどなくして、団地の入口にお父さんが来ました。


 僕は近づきます。少し緊張しながらも、お父さんに話しかけました。


 「田中さんのお父さんですよね?」


 はい、と言いながらも、お父さんはポカーンとしています。


 「どうも、ごぶさたしております。小学校のときにお世話になった、バスコでございます」


 それでも、お父さんは僕を思い出せません。


 「和美さんの誕生日のときに、お父さんの家で誕生日パーティーをしたじゃないですか」


 こう続けたところ、ようやく思い出したのです。


 「あっ、あのときの子か」


 「そうです」


 「こんな時間にどないしたん?」


 僕は、たまたまこの場を散歩しており、見かけたので声をかけた、と説明しました。そして、「和美さんって今、どうされてるんですか?」と訊いたところ、お父さんが答えたのです。



 「和美は死にました」



 頭の後ろを殴られたような気がしました。


 たくさんの感情が同時に押し寄せて、何を言えばいいのかわかりません。何か言葉を発しようとするものの、寒さと動転で歯の根が合いません。


 「……いつ?」


 僕がようやく口にできたのは、そんな短い言葉でした。


 「高校生のときに病気で亡くなったんです」


 こう続けられても、頭が混乱しています。


 「すいません、お線香だけ、あげさせてもらえませんか?」


 僕は訳もわからず、こう口にしていました。


 お父さんに連れられて、エレベーターに乗りました。


 視界に入るものが、どこか作りものめいたものに感じられます。僕はひと言も話すことなく、気がつくと、田中の家の中にいました。


 お父さんにうながされて、僕は仏壇の扉を開けました。


 するとそこには、小さなショートケーキが供えられてあったのです。この家の貧しさを象徴するかのような、小さなクリスマスケーキが……。


 なんでや……。なんで誰も俺に連絡しなかった……。いろいろあったけど、俺と田中は友達やったやろ……。森川、なんでお前は仲間の訃報を俺に教えなかった……。学校が違うだけでもう友達ではないんか……。


 「お父さん、お葬式に、小学校のときの仲間は来ましたか?」


 線香をあげ終えて振り向きざまに訊く僕に、お父さんは答えました。


 「家庭の事情で、お葬式はできませんでした。和美には申し訳ないけど、すごい簡素なもので済ましたんです」


 正座をしたまま、動けなくなりました。この家庭があまりに不憫で、自分が犯した罪の重さを、再認識させられたのです。


 お父さんは続けます。


 「和美は高校2年生のときに、この家で亡くなりました。私が仕事から帰ると、コタツに脚を突っ込んで、仰向けでバンザイをして死んでいました。心臓発作でした」


 田中が亡くなったのは、僕と別れてから5年後。


 彼女はたった17年で、生涯を閉じたのです。誰とも恋愛することなく、人なみの幸せをつかむことなく、彼女は孤独なまま旅立ったのです。


 言葉を失う僕に、お父さんは続けました。


 「でも、君らと一緒やった小学生のときは、本当に楽しそうやったよ」


 田中は僕に罪をなすりつけられたことを、お父さんに言わなかったのです。なけなしのお小遣いを片手に、新しい温度計を買ったのです。こんな卑怯者の僕を、こんな生きる資格のない僕を、最後まで守ってくれたのです。


 気がつくと、僕は、いい奴に仕立て上げられていました。


 お父さんは、僕が田中にしたことを知りません。「君らのおかげです」「よく来てくれました」と、僕への賛辞が止まらないのです。


 自分の犯した罪を体で知ると、邪心など、いとも簡単に吹き飛びます。人に心の底から謝るという感覚を、僕は初めて知りました。


 ふと目に入った田中の小学校時代の写真に、堰を切ったように涙があふれてきました。その写真に、僕が映っていたからです。田中の勉強机の上に、僕らのグループで遠足に行ったときの写真が、写真立てに入れられて飾られてあったのです。


 僕はここで、生まれて初めての土下座をすることになります。


 声にならないほどヒクヒクとしゃくり上げながら、僕はお父さんに頭を下げました。


 「お父さん、僕、そんないい奴じゃないんです。僕はお父さんに思われるような、いい奴じゃないんです。僕は田中と同じクラスだったとき、自分の罪を田中になすりつけたんです。授業で温度計を壊したのに、壊したのを田中のせいにしたんです。田中は僕の罪をかぶってくれたんです。お父さんに会ったのは偶然ではありません。急に思うところがあって、田中に謝罪したくて、お父さんを待ち伏せしていたんです」


 お父さんは何も言いません。正座をして頭を下げる僕に言葉を発しません。怒りもせず、かといって許すこともせず、腕を組んで、じっと僕を見ているのです。


 しかし、その目には涙が浮かんでいるのです。僕を哀れんでいるのか、娘を偲んでいるのか、僕が見たお父さんの目は、すごく悲しい目なのです。


 なのに、どことなく温かいのです。鋭いながらも、どこか慈愛に満ちているのです。数々の障害を乗り越えてきた大人の目で、森羅万象を見てきた、人間の目なのです。その人間の目は温かく、自分を正直にさらけ出した僕の目を、じっと見据えているのです。


 1分ほど見合ったあと、お父さんが沈黙を破りました。


 「まあ、とりあえず、朝飯でも食うか。こたつに入っとき」


 こう言って、僕の腕をつかみました。


 「いいから、泣くな!」


 なおも泣き叫ぶ僕に声を張り上げ、お茶を飲むよう、うながしてくれたのです。


 こたつに入ると、目の前に、温かいお茶が置いてありました。


 すごく温かいお茶でした。体の芯までぬくもり、心まで温かくなってきます。


 時間を追うにつれて、気持ちが落ち着いてきました。


 ふと、部屋の中が雑然としていることに気がつきました。


 食べかけの缶詰、開いたままの新聞紙、裏返しで床に落ちているテレビのリモコン……。


 しばらくして、先ほどお父さんが台所に向かった際、テレビの前に置いてあったアダルトビデオを、僕にバレないように、足で蹴って台の下に隠したことに気がつきました。


 僕は、お父さんの足が当たっただけだ、と思っていました。ですが、気持ちが落ち着いた段階でよく見ると、台の下から茶色がかったテープ、それも「S―614」的なシールが貼られた、裏ビデオ丸出しのテープが頭を出していたのです。


 僕は笑いました。そんな空気じゃないのに、お父さんの妙な人間臭さが、おかしくて仕方がないのです。


 と同時に、思ったのです。漠然としながらも、僕が探し求めていた答えは、この3文字だったということに気がついたのです。



 「ゆとり」



 僕は自分の仕事に対して、ゆとりをなくしていました。同期の奴に負けないよう、後輩に追い抜かれないよう、がんばりすぎていたのです。


 誠実さとゆとりは、反する価値観です。ですが両輪にしなければならず、マジメさの中に遊びの部分がなかったために、僕は心が病んでしまったのです。


 「逃げながらも弓矢を放つ」


 ゆとりをもって働くというのは、こういうことでしょう。それが1番生きやすく、僕の今までの人生を振り返ってみても、どこかゆとりをもって働いていたときのほうが、不思議と、いい結果が出ていたのです。


 この価値観を体に通すと、腹の底からせりあがってくるような高揚感を感じました。どこからともなく活力が湧き、体中の血の温度が上がっていくような気がします。


 鼻の奥に込み上げていた涙をすすると、自分が生きていることを実感できました。


 しばらくして、お父さんが朝ごはんを用意してくれました。


 ただ、お父さんの作ってくれた味噌汁は、まずいです。薄味もいいところで、まったく味がしません。


 僕は、気持ちに余裕ができています。


 「お父さん、これ、薄くないですか?」


 味噌汁の味を指摘したところ、お父さんが口元で微かに笑って、言いました。


 「そうかな……」


 このなんとない会話に、心が洗われました。



 その後、一緒に朝ごはんを食べながら、いろいろと話をしました。


 お父さんは、僕が犯した罪には一切触れません。小学校を卒業したあとの田中について、詳しく教えてくれました


 田中は森川と、その後も仲よくしていたそうです。森川とは高校こそ違う学校だったものの、中学では同じクラスになることもありました。田中は版画を作るクラブに入り、友達を家に連れてくることもあったらしいのです。


 これを聞いて、なんだか救われました。昔に見た彼女の笑顔を思い出して、心が軽くなりました。


 お父さんにお礼を言って、僕は家を出ました。


 階段で1階まで下りると、朝の冷気が顔を叩きました。僕はタバコをくわえ、外の公園のベンチに座りました。


 見上げると、光が射し込み始めた明るい空が目に入りました。


 空は何万年、何億年も前から、この惑星のフタを任されています。昼夜を問わず自然を包み込み、人を包み込み、僕らを守るように、じっとフタをしています。


 するとそのたたずまいが、僕に何かを訴えかけてきました。何も言わず、じっとしているだけなのに、その雄大さに刺激されて、自分の内側から何かが出てこようとしたのです。


 「なんとかなるわ」


 僕の胸に去来したのは、俗っぽさの中にもどこか力強い、この平凡極まりない言葉でした。


 僕のこれまでの人生も、遠回りこそすれ、必ずなんとかなりました。幾度となく失敗してきたもののなんとかなり、なんとかなった証拠に、僕はまだ生きているのです。


 そして、なんとかしてきたのは、僕自身なのです。


 運などではなく、僕が僕の力でなんとかしてきました。僕はやれたのです。やれたからこそ今があり、今があるからこそ、これからもやれるのです。


 それを証拠に、田中のお父さんです。


 田中のお父さんは、どうにもならない不幸な境遇を跳ね返して、今も生きています。やせた頬と、歳の割に多い白い髪に人並みはずれた苦労が垣間見られたのですが、幸せそうに食事をしていました。


 「クリスマスにひとりで寂しくないですか?」


 僕がこう訊いたら、「俺、仏教やから」と、笑いながら答えたのです。


 ふと、自分の紅茶の中に、タバコの灰を入れられたことを思い出しました。


 彼の行為はもちろん、許せません。ただ、僕が同じ立場だったら、もしかすると同じことをしたかもしれません。タバコの灰は入れないまでも、苦しむ誰かの姿を見て、笑っていたかもしれないのです。


 彼が僕にやったことは、僕が田中にしたことと同じです。子供も大人もやってることは同じで、ただ、そこで戦っていかなければなりません。人間をやっていくかぎり、不条理うずまくそのステージから退場することはできないのです。


 戦うのは自分。自分はひとり。ひとりで戦うが、戦い方にゆとりを持つ。がんばるが、がんばりすぎない。みんな同じ人間。人を苦しめるのは人間だが、救ってくれるのもまた人間。


 「なんとかなるわ!なんとかするよ!」


 この価値観を体で会得したとき、自分が生まれ変わったような気がしました。



 夜が明け、分刻みで空が明るくなっていきます。


 僕は無邪気に、そしてどこか無軌道に、家に向かって歩き始めました。


 夜から朝に変わった散歩が、なんとも言えず心地いいです。


 見渡せば街のイルミネーションも、来たときよりも優しげに感じられます。僕は街の空気を胸いっぱいに吸い込み、ゆっくりと空に息を立ち上らせました。


 行きしなに見た、幼稚園の前に来ました。


 倒れているバンビを発見した僕は、ネットをよじ登って中に入り、バンビを起こしました。


 すると、立ちました。壁にこそもたれかかったものの、少し力を貸してあげれば、普通に立ち上がれたのです。


 今日という日が、僕への最高のクリスマスプレゼントになりました。


 そのプレゼントをくれたのは田中のお父さんであり、田中です。心の闇でふさぎ込んでいた僕を引っ張り上げてくれたのは、片手は僕で、もう片方の手は田中だったのです。



 午前8時になりました。


 実に9時間もの旅路を経て、僕は家に到着しました。


 ガレージのドアを開けると、犬が僕にとびかかってきました。


 この何気ない日常の断片がたまりません。臭いはずの犬の体臭も、どこか愛おしく感じられます。


 こんな僕でも待っててくれたのかと思うと、胸がいっぱいになりました。


 顔を洗って、部屋に入りました。憑き物が落ちたかのような虚脱感を感じながら、僕は布団に入りました。


 今日あったことを振り返ると、じわじわと熱いものが込み上げてきました。暖かい涙が首筋を濡らし、僕は心の底からの安堵に包まれて、目を閉じました。



 僕は、仕事をやめることを思いとどまりました。


 すると翌年から、正確には翌年の4月から、仕事が軌道に乗り始めたのです。


 僕は仕事に対して、ギスギスしていません。心にゆとりをもって地道にがんばった結果、仕事が舞い込みだしたのです。


 30歳になった今でも、壁にぶつかることなど、しょっちゅうです。


 僕はそんなとき、いつも夜の散歩に出かけます。闇に身を預けて心をリラックスさせ、ゆとりを持って歩きます。


 歩きながら人生を振り返ると、心が落ち着きます。歩き疲れた体にアドレナリンがあふれ、「明日からもがんばろう!」と、前向きな気持ちになれるのです。


 これは、「自分版ロードムービー」です。


 映画のような不思議なことは、何も起こりません。ただ、落ち着いた気持ちで、起伏をくり返した自らの人生を振り返ると、そこになんらかの答えがあります。家に帰ってきたときには必ず何か答えを持っており、同時にそれが、自分を成長させたことにもなるのです。


 僕の人生は、泥水ばかりを飲まされています。飲まされ続けたせいで、もうそれが泥だと思わないときもあります。


 でも泥を飲み続けてきたからこそ、たまに飲む真水が、人よりもおいしく感じられるのです。


 僕はこれを、むしろラッキーな人生だと思いたいです。心の底からそう思えるためにも、これからの人生に、より一層の「ゆとりのある熱」を込めたいと思っています。


 「2人組を作ってください!」


 心にゆとりがあれば、この言葉も怖くありません。たとえ自分が余ったとしても、今度は余らない人間になろうと、前向きな気持ちで努力できるからです。


 同時に、選ばれる側の人間になれなくても、くだらない側の人間にならないことはできます。たとえ勝たなくても、誰かに手を差し伸べることはできます。選ばれない側の人間に手を差し伸べられる人は心の勝ち組で、心の勝ち組は、いずれ勝ちます。



そんなときは夜の散歩ではないか?の考察・後編(携帯読者用)

※2008年・12月26日の記事を再編集

 時刻は4時になろうとしています。

 見上げた視線の先には、濃淡のある暗い空が広がっています。僕は来た道を引き返し、田中の家に向かって歩き始めました。

 先ほどのお菓子屋の前に来ました。

 学校の帰りに、僕は仲間とここで、お菓子を買いました。田中も一緒だったのですが、「私はお金がないから」と言って何も買わなかったのです。

 僕はそんな田中に対して、見て見ぬフリをしました。

 「友達とはいえ、お菓子まであげる必要なんてない」

 自分さえよければそれでよし。少し分けてあげるだけでいいのに、僕はそれすらもしなかったのです。

 見覚えのある、ドブ川の横を通りました。

 田畑を挟んで、闇に染められた黒い水がチョロチョロと流れています。僕らのグループは学校の帰りに、このドブを跳び越えられるかを競ったのです。

 体の弱い田中は、ずっと横で見ていました。僕は跳ぶのが楽しくて、別のところで遊ぼうや、とは言わなかったのです。

 なのに田中は、ドブにはまった僕に優しいのです。選ばれない側の人間なのに、選ばれた側の人間にさえ手を差し伸べるのです。

 目に入る風景からたぐり寄せた記憶には、すべて田中がいます。そこには器の小さい僕がおり、恵まれない環境に育ったはずの人間が、僕をはるかに凌駕する大きな器で、人間力の差を見せつけてきます。

 自虐の念が際限なく膨らんできました。器の小さい自分を見て、僕は両手で頭を抱え込みたい心境でした。

 次第に、歩くスピードが速くなりました。

 「田中に早く謝らないと!」

 気が急いて、踏み出す一歩に力強さが増していきました。

 ただ、僕は薄っぺらい人間です。気持ちは熱くなっているのに、時間を追うにつれて、やっかいだからやめておこうかな、と考えてしまうもうひとりの自分がいるのです。

 渦巻く後悔と葛藤、そして不安。

 凡を身にまとった人間は、「戦う」ということに対して免疫がありません。「逃げる」という選択肢の気楽さを知っているため、目に見える利益でもないかぎり、刀をつかもうとはしません。

 ですが、戦いを拒もうとする僕を、夜が許してくれません。

 無限に広がった薄暗いお天道さんが、悪いことをした僕を上から見張っています。

 夜は壮大です。小さい器を揶揄するかのごとく、全方位からその大きな器を見せつけてくるのです。

 息遣いなどあろうはずもないのに、静謐なこの空間が生きているかのようです。見えない何かが僕の五感に訴えかけ、その感覚を意識すると、刀をつかもうとする自分がいます。体の内側から純粋な心が頭をもたげ、夜に身を委ねるうちに、僕の邪心が消えていきました。

 歩きながら、こんなことを考えました。

 「自分は今、誰のために謝罪しようとしているのか」

 田中に悪いことをしたのですから、田中のために謝るのが本来の姿です。僕も今の今まで、そう思っていました。

 ですが、今の僕は、自分のために田中に謝罪しようとしているところがあります。

 猛烈な自己反省からくる謝罪なものの、謝罪という行為で僕が手に入れたい優先順位の1は、自分の気持ちがすっとしたい、という自分本位なもの。自分が前を向くための手段にすぎず、田中に謝ることは目的ではないのです。

 この感覚を払拭しようとしたものの、消えません。夜をたぐり寄せて体に通しても、先ほどのように消えてくれません。どこか打算的で、脳裏に浮かぶ「贖罪」という2文字に違和感を覚えます。

 俺は罪な奴だな……。でも、人間なんてそんなものか。ほとんどの人間がそんなもの、いや、全員がそんなものか。この手のことは理屈で考えるものではないのかもしれない。考えすぎずにとにかく行こう。今の自分で勝負しよう。

 僕の中で様々な思いが入り乱れ、交錯しました。

 心に引っかかるものを覚えながらも、やがて、田中の団地に到着しました。

 団地の前の広場に立って、建物全体を眺めます。

 僕は大きくを息を吸い込み、目を閉じました。

 ここに田中が……。この箱の中に、あの田中和美が……。

 そこで今回は、「そんなときは夜の散歩ではないか?」の考察・後編です。

 僕は微かに震える自分の体を意識しながら、団地に足を踏み入れました。

 田中の家は5階にあります。僕は階段を上り、田中の家へと向かいました。

 団地の中は、ひっそりとしています。時間を閉じ込めたかのようなコンクリートに自分が囲まれていることを意識すると、体がすくむ思いがします。

 5階に到着しました。表札を一軒一軒確認し、「田中」と書かれた表札を発見したのです。

 部屋の電気は消えています。どことなく見覚えがあり、ひび割れた窓ガラスやボロボロのドアを見ると、この親子の苦労が知られて、なんとも言えない気持ちになりました。

 ドアを開けた田中に、頭を下げる心の準備はできています。

 こんな時間に迷惑だろう、などとは考えず、僕はインターホンを押しました。

 ピンポーン。……ピンポーン。

 反応はありません。いくら押しても物音ひとつせず、中に誰かがいる気配はないのです。

 僕は、田中は、まだこの家に住んでいると思っていました。

 失礼ながら、田中はあんな体です。まだお父さんと一緒に暮らしていると思っていたものの、よく考えれば、結婚しているかもしれません。子供がいてもおかしくなく、この家に住んでいるとはかぎらないのです。

 いろいろと考えた結果、僕は、田中のお父さんの帰りを待つことにしました。

 田中のお父さんは新聞配達をしています。待っていれば、配達を終えて戻ってくるでしょう。

 ただ、ことがことなので、お父さんにどう説明をすればいいかわかりません。時間も時間ですし、怪しいこと極まりないのです。

 そこで、団地の入口に移動することにしました。偶然を装ってお父さんに会い、さりげなく田中の所在を訊きだすのです。

 仮に田中が結婚していて、現在、東京に暮らしていたとしても、すぐに向かいます。沖縄だろうと北海道だろうと、この足で行って謝罪することにしました。

 僕は階段を下りました。

 団地の入口の近くに、ツタとツルが絡み合った、大きな壁があります。僕はその壁にもたれかかり、お父さんの帰りを待ちました。

 敷地の隅では、いつのものなのかわからない湿った落ち葉が、すえた匂いを立ちのぼらせています。

 顔を手でこすると、掌が脂でギトギトと光りました。目を閉じると、意識せずとも、僕の人生の情景が古いフィルムの色合いをともなって流れてきました。

 まぶたの裏には、嫌な思い出ばかりが浮かんできます。

 好きな子に告白できなくて体を壊した、仕事の後輩に追い抜かれた、上司に怒られて仕事をするのが怖くなり、せっかくのチャンスを無駄にすることを選んだ……。

 「ミス」を数えればキリがなく、そこには常に、自分の弱さがつきまとっていました。

 仕事の現場に行く前、僕は怒られるのが怖くて、トイレにこもって震えていました。

 重層的に重なった多くの失敗が、挑戦しようとする気概を奪ってきます。

 失敗した俺を見て、みんなは笑っているのではないか……。後輩はこんな情けない先輩の姿を見て、陰で悪口を言っているのではないか……。

 被害妄想の螺旋にがんじがらめにされ、周囲の視線に怯えます。嫉妬に胸を焦がし、仕事の現場で笑顔こそ浮かべるものの、その多くは作り笑顔だったのです。

 そしてその都度、自分と向き合って自己成長をうながしたのに、時間がたてば弱い自分に戻りました。突発的に熱くなっても、いざその場面に出くわすと、弱い自分が顔を出したのです。

 外の寒さが、急に意識されました。

 頭上では幾重もの枝葉が、薄暗い空に網の目をなしています。自分の呼吸音が目の前の硬い樹皮に跳ね返り、やけに大きく聞こえました。

 心にモヤモヤを抱えたまま、時計の針は5時30分をまわりました。

 遠目に、田中のお父さんが帰ってくるのがわかりました。

 自転車に乗っており、団地の入口ではなく、自転車置き場のほうに行きました。僕はひとまず入口を離れ、お父さんが入口に来るタイミングに合わせて近づき、偶然会った、という見せ方をすることにしました。

 ほどなくして、団地の入口にお父さんが来ました。

 僕は近づきます。少し緊張しながらも、お父さんに話しかけました。

 「田中さんのお父さんですよね?」

 はい、と言いながらも、お父さんはポカーンとしています。

 「どうも、ごぶさたしております。小学校のときにお世話になった、バスコでございます」

 それでも、お父さんは僕を思い出せません。

 「和美さんの誕生日のときに、お父さんの家で誕生日パーティーをしたじゃないですか」

 こう続けたところ、ようやく思い出したのです。

 「あっ、あのときの子か」

 「そうです」

 「こんな時間にどないしたん?」

 僕は、たまたまこの場を散歩しており、見かけたので声をかけた、と説明しました。そして、「和美さんって今、どうされてるんですか?」と訊いたところ、お父さんが答えたのです。


 「和美は死にました」


 頭の後ろを殴られたような気がしました。

 たくさんの感情が同時に押し寄せて、何を言えばいいのかわかりません。何か言葉を発しようとするものの、寒さと動転で歯の根が合いません。

 「……いつ?」

 僕がようやく口にできたのは、そんな短い言葉でした。

 「高校生のときに病気で亡くなったんです」

 こう続けられても、頭が混乱しています。

 「すいません、お線香だけ、あげさせてもらえませんか?」

 僕は訳もわからず、こう口にしていました。

 お父さんに連れられて、エレベーターに乗りました。

 視界に入るものが、どこか作りものめいたものに感じられます。僕はひと言も話すことなく、気がつくと、田中の家の中にいました。

 お父さんにうながされて、僕は仏壇の扉を開けました。

 するとそこには、小さなショートケーキが供えられてあったのです。この家の貧しさを象徴するかのような、小さなクリスマスケーキが……。

 なんでや……。なんで誰も俺に連絡しなかった……。いろいろあったけど、俺と田中は友達やったやろ……。森川、なんでお前は仲間の訃報を俺に教えなかった……。学校が違うだけでもう友達ではないんか……。

 「お父さん、お葬式に、小学校のときの仲間は来ましたか?」

 線香をあげ終えて振り向きざまに訊く僕に、お父さんは答えました。

 「家庭の事情で、お葬式はできませんでした。和美には申し訳ないけど、すごい簡素なもので済ましたんです」

 正座をしたまま、動けなくなりました。この家庭があまりに不憫で、自分が犯した罪の重さを、再認識させられたのです。

 お父さんは続けます。

 「和美は高校2年生のときに、この家で亡くなりました。私が仕事から帰ると、コタツに脚を突っ込んで、仰向けでバンザイをして死んでいました。心臓発作でした」

 田中が亡くなったのは、僕と別れてから5年後。

 彼女はたった17年で、生涯を閉じたのです。誰とも恋愛することなく、人なみの幸せをつかむことなく、彼女は孤独なまま旅立ったのです。

 言葉を失う僕に、お父さんは続けました。

 「でも、君らと一緒やった小学生のときは、本当に楽しそうやったよ」

 田中は僕に罪をなすりつけられたことを、お父さんに言わなかったのです。なけなしのお小遣いを片手に、新しい温度計を買ったのです。こんな卑怯者の僕を、こんな生きる資格のない僕を、最後まで守ってくれたのです。

 気がつくと、僕は、いい奴に仕立て上げられていました。

 お父さんは、僕が田中にしたことを知りません。「君らのおかげです」「よく来てくれました」と、僕への賛辞が止まらないのです。

 自分の犯した罪を体で知ると、邪心など、いとも簡単に吹き飛びます。人に心の底から謝るという感覚を、僕は初めて知りました。

 ふと目に入った田中の小学校時代の写真に、堰を切ったように涙があふれてきました。その写真に、僕が映っていたからです。田中の勉強机の上に、僕らのグループで遠足に行ったときの写真が、写真立てに入れられて飾られてあったのです。

 僕はここで、生まれて初めての土下座をすることになります。

 声にならないほどヒクヒクとしゃくり上げながら、僕はお父さんに頭を下げました。

 「お父さん、僕、そんないい奴じゃないんです。僕はお父さんに思われるような、いい奴じゃないんです。僕は田中と同じクラスだったとき、自分の罪を田中になすりつけたんです。授業で温度計を壊したのに、壊したのを田中のせいにしたんです。田中は僕の罪をかぶってくれたんです。お父さんに会ったのは偶然ではありません。急に思うところがあって、田中に謝罪したくて、お父さんを待ち伏せしていたんです」

 お父さんは何も言いません。正座をして頭を下げる僕に言葉を発しません。怒りもせず、かといって許すこともせず、腕を組んで、じっと僕を見ているのです。

 しかし、その目には涙が浮かんでいるのです。僕を哀れんでいるのか、娘を偲んでいるのか、僕が見たお父さんの目は、すごく悲しい目なのです。

 なのに、どことなく温かいのです。鋭いながらも、どこか慈愛に満ちているのです。数々の障害を乗り越えてきた大人の目で、森羅万象を見てきた、人間の目なのです。その人間の目は温かく、自分を正直にさらけ出した僕の目を、じっと見据えているのです。

 1分ほど見合ったあと、お父さんが沈黙を破りました。

 「まあ、とりあえず、朝飯でも食うか。こたつに入っとき」

 こう言って、僕の腕をつかみました。

 「いいから、泣くな!」

 なおも泣き叫ぶ僕に声を張り上げ、お茶を飲むよう、うながしてくれたのです。

 こたつに入ると、目の前に、温かいお茶が置いてありました。

 すごく温かいお茶でした。体の芯までぬくもり、心まで温かくなってきます。

 時間を追うにつれて、気持ちが落ち着いてきました。

 ふと、部屋の中が雑然としていることに気がつきました。

 食べかけの缶詰、開いたままの新聞紙、裏返しで床に落ちているテレビのリモコン……。

 しばらくして、先ほどお父さんが台所に向かった際、テレビの前に置いてあったアダルトビデオを、僕にバレないように、足で蹴って台の下に隠したことに気がつきました。

 僕は、お父さんの足が当たっただけだ、と思っていました。ですが、気持ちが落ち着いた段階でよく見ると、台の下から茶色がかったテープ、それも「S―614」的なシールが貼られた、裏ビデオ丸出しのテープが頭を出していたのです。

 僕は笑いました。そんな空気じゃないのに、お父さんの妙な人間臭さが、おかしくて仕方がないのです。

 と同時に、思ったのです。漠然としながらも、僕が探し求めていた答えは、この3文字だったということに気がついたのです。


 「ゆとり」


 僕は自分の仕事に対して、ゆとりをなくしていました。同期の奴に負けないよう、後輩に追い抜かれないよう、がんばりすぎていたのです。

 誠実さとゆとりは、反する価値観です。ですが両輪にしなければならず、マジメさの中に遊びの部分がなかったために、僕は心が病んでしまったのです。

 「逃げながらも弓矢を放つ」

 ゆとりをもって働くというのは、こういうことでしょう。それが1番生きやすく、僕の今までの人生を振り返ってみても、どこかゆとりをもって働いていたときのほうが、不思議と、いい結果が出ていたのです。

 この価値観を体に通すと、腹の底からせりあがってくるような高揚感を感じました。どこからともなく活力が湧き、体中の血の温度が上がっていくような気がします。

 鼻の奥に込み上げていた涙をすすると、自分が生きていることを実感できました。

 しばらくして、お父さんが朝ごはんを用意してくれました。

 ただ、お父さんの作ってくれた味噌汁は、まずいです。薄味もいいところで、まったく味がしません。

 僕は、気持ちに余裕ができています。

 「お父さん、これ、薄くないですか?」

 味噌汁の味を指摘したところ、お父さんが口元で微かに笑って、言いました。

 「そうかな……」

 このなんとない会話に、心が洗われました。


 その後、一緒に朝ごはんを食べながら、いろいろと話をしました。

 お父さんは、僕が犯した罪には一切触れません。小学校を卒業したあとの田中について、詳しく教えてくれました。

 田中は森川と、その後も仲よくしていたそうです。森川とは高校こそ違う学校だったものの、中学では同じクラスになることもありました。田中は版画を作るクラブに入り、友達を家に連れてくることもあったらしいのです。

 これを聞いて、なんだか救われました。昔に見た彼女の笑顔を思い出して、心が軽くなりました。

 お父さんにお礼を言って、僕は家を出ました。

 階段で1階まで下りると、朝の冷気が顔を叩きました。僕はタバコをくわえ、外の公園のベンチに座りました。

 見上げると、光が射し込み始めた明るい空が目に入りました。

 空は何万年、何億年も前から、この惑星のフタを任されています。昼夜を問わず自然を包み込み、人を包み込み、僕らを守るように、じっとフタをしています。

 するとそのたたずまいが、僕に何かを訴えかけてきました。何も言わず、じっとしているだけなのに、その雄大さに刺激されて、自分の内側から何かが出てこようとしたのです。

 「なんとかなるわ」

 僕の胸に去来したのは、俗っぽさの中にもどこか力強い、この平凡極まりない言葉でした。

 僕のこれまでの人生も、遠回りこそすれ、必ずなんとかなりました。幾度となく失敗してきたもののなんとかなり、なんとかなった証拠に、僕はまだ生きているのです。

 そして、なんとかしてきたのは、僕自身なのです。

 運などではなく、僕が僕の力でなんとかしてきました。僕はやれたのです。やれたからこそ今があり、今があるからこそ、これからもやれるのです。

 それを証拠に、田中のお父さんです。

 田中のお父さんは、どうにもならない不幸な境遇を跳ね返して、今も生きています。やせた頬と、歳の割に多い白い髪に人並みはずれた苦労が垣間見られたのですが、幸せそうに食事をしていました。

 「クリスマスにひとりで寂しくないですか?」

 僕がこう訊いたら、「俺、仏教やから」と、笑いながら答えたのです。

 ふと、自分の紅茶の中に、タバコの灰を入れられたことを思い出しました。

 彼の行為はもちろん、許せません。ただ、僕が同じ立場だったら、もしかすると同じことをしたかもしれません。タバコの灰は入れないまでも、苦しむ誰かの姿を見て、笑っていたかもしれないのです。

 彼が僕にやったことは、僕が田中にしたことと同じです。子供も大人もやってることは同じで、ただ、そこで戦っていかなければなりません。人間をやっていくかぎり、不条理うずまくそのステージから退場することはできないのです。

 戦うのは自分。自分はひとり。ひとりで戦うが、戦い方にゆとりを持つ。がんばるが、がんばりすぎない。みんな同じ人間。人を苦しめるのは人間だが、救ってくれるのもまた人間。

 「なんとかなるわ!なんとかするよ!」

 この価値観を体で会得したとき、自分が生まれ変わったような気がしました。


 夜が明け、分刻みで空が明るくなっていきます。

 僕は無邪気に、そしてどこか無軌道に、家に向かって歩き始めました。

 夜から朝に変わった散歩が、なんとも言えず心地いいです。

 見渡せば街のイルミネーションも、来たときよりも優しげに感じられます。僕は街の空気を胸いっぱいに吸い込み、ゆっくりと空に息を立ち上らせました。

 行きしなに見た、幼稚園の前に来ました。

 倒れているバンビを発見した僕は、ネットをよじ登って中に入り、バンビを起こしました。

 すると、立ちました。壁にこそもたれかかったものの、少し力を貸してあげれば、普通に立ち上がれたのです。

 今日という日が、僕への最高のクリスマスプレゼントになりました。

 そのプレゼントをくれたのは田中のお父さんであり、田中です。心の闇でふさぎ込んでいた僕を引っ張り上げてくれたのは、片手は僕で、もう片方の手は田中だったのです。


 午前8時になりました。

 実に9時間もの旅路を経て、僕は家に到着しました。

 ガレージのドアを開けると、犬が僕にとびかかってきました。

 この何気ない日常の断片がたまりません。臭いはずの犬の体臭も、どこか愛おしく感じられます。

 こんな僕でも待っててくれたのかと思うと、胸がいっぱいになりました。

 顔を洗って、部屋に入りました。憑き物が落ちたかのような虚脱感を感じながら、僕は布団に入りました。

 今日あったことを振り返ると、じわじわと熱いものが込み上げてきました。暖かい涙が首筋を濡らし、僕は心の底からの安堵に包まれて、目を閉じました。


 僕は、仕事をやめることを思いとどまりました。

 すると翌年から、正確には翌年の4月から、仕事が軌道に乗り始めたのです。

 僕は仕事に対して、ギスギスしていません。心にゆとりをもって地道にがんばった結果、仕事が舞い込みだしたのです。

 30歳になった今でも、壁にぶつかることなど、しょっちゅうです。

 僕はそんなとき、いつも夜の散歩に出かけます。闇に身を預けて心をリラックスさせ、ゆとりを持って歩きます。

 歩きながら人生を振り返ると、心が落ち着きます。歩き疲れた体にアドレナリンがあふれ、「明日からもがんばろう!」と、前向きな気持ちになれるのです。

 これは、「自分版ロードムービー」です。

 映画のような不思議なことは、何も起こりません。ただ、落ち着いた気持ちで、起伏をくり返した自らの人生を振り返ると、そこになんらかの答えがあります。家に帰ってきたときには必ず何か答えを持っており、同時にそれが、自分を成長させたことにもなるのです。

 僕の人生は、泥水ばかりを飲まされています。飲まされ続けたせいで、もうそれが泥だと思わないときもあります。

 でも泥を飲み続けてきたからこそ、たまに飲む真水が、人よりもおいしく感じられるのです。

 僕はこれを、むしろラッキーな人生だと思いたいです。心の底からそう思えるためにも、これからの人生に、より一層の「ゆとりのある熱」を込めたいと思っています。

 「2人組を作ってください!」

 心にゆとりがあれば、この言葉も怖くありません。たとえ自分が余ったとしても、今度は余らない人間になろうと、前向きな気持ちで努力できるからです。

 同時に、選ばれる側の人間になれなくても、くだらない側の人間にならないことはできます。たとえ勝たなくても、誰かに手を差し伸べることはできます。選ばれない側の人間に手を差し伸べられる人は心の勝ち組で、心の勝ち組は、いずれ勝ちます。