新・バスコの人生考察 -14ページ目

大学のサークル選びは死ぬほど考えるべきではないか?の考察~3日目~(パソコン読者用)

※2008年・5月1日の記事を再々編集


 「おい、神林がおらんやんけ!」


 山川さんを中心に、上級生が声を荒げました。


 6時10分をすぎても、神林は戻ってきません。裏山中を探してもおらず、当時は、携帯電話もあまり普及していません。連絡のしようがないのです。


 そこで今回は、「大学のサークル選びは死ぬほど考えるべきではないか?」の考察~3日目~です。


 僕には、神林が脱走したという確信がありました。


 神林は、僕と同じ法学部です。4時限目が始まる前に校舎ですれ違ったとき、あきらかに挙動不審だったのです。


 神林は普段から急に独り言を言ったり、思い出し笑いをしたりと、おかしいです。先ほどすれ違ったときは、視線を宙にさまよわせ、普段以上にぶつぶつ言いながら、校舎を斜めに歩いていたのです。


 僕の予感は的中していました。部室に置いてあった、神林の荷物がなくなっているのが確認されたのです。


 当時は、漫画喫茶などありません。神林は友達が少ないことから、友達の家にかくまってもらっている可能性も低いです。


 神林の実家は、この大学から30分足らずのところにあります。実家に帰っていると推測し、山川さんと、班のリーダーである桜木さんが連れ戻しに行くことになりました。


 正直、僕も逃げようとは思いました。


 毎年、何人か脱走するという話は聞いています。何度も逃げ出すことを考えたのですが、班の仲間に迷惑がかかることから、さすがにできないのです。


 なのに神林は逃げた……。仲間にペナルティーが課せられるのもおかまいなしに逃げた……。


 神林に、殺意にも似た怒りを覚えました。


 同時に、前日よりも増える砂への恐怖に、体が震えてきました。


 カレーのいい匂いがしても、「ヒ素でも入ってたらいいのにな……」と考えるなど、現実を直視できません。ところがそんな僕のことなど露知らず、近くで合宿している忍者が「ニンニンニンニン!」と叫びながら裏山を通過し始めたのです。


 もう何なん、お前ら!頼むから空気読んでくれよ!


 「ニンニンニンニン!ニンニンニンニン!」


 やかましいわ!走りながらニンニン言うな!


 「おー!探検部殿のところから、カレーのいい匂いがしてるでござるな!」


 ござるってなんやねん!忍者は別にござるとか言わへんよ!


 「ござる!」


 「ござるござる!」


 「ゴザル!」


 外人がおった!留学生が楽しそうにはしゃいでやがった!


 「ニンニンでゴザル!ニンニンでゴザル!」


 何してんねんお前、日本に来て!「忍者留学」とか聞いたことないぞ!


 「イガニンニハ、マケタクナイ!」


 ごめん、イガニンって何!?伊賀忍者の略なんやろうけど、外人でこんなん言う奴たまらんねんけど!?


 僕らの前を通過する忍者は、ひたすらワケのわからない話をしています。おかしな奴が多すぎて、見ているだけで疲れてくるのです。


 忍者がいなくなり、しばらくして、沢口さんが声を荒げました。


 「お前ら、俺らのことなめてないか?」


 テントの前で立ち尽くす僕らを、沢口さんはニラみつけます。


 「お前、なめてるやろ?」


 「お前も、俺らをなめてるんやろ?」


 顔面に血管を浮かせて、順番に訊いて回ります。僕らが「なめてません」と返すと、「じゃあ、これはなんやねん!?」と叫んで、あるものを地面に叩きつけたのです。


 それは、ペニスの形をした木彫りでした。


 この中の誰かが装備品のナイフで作ったらしく、「これ作ったん誰や?お前か?」と言って、順番に見せてきたのです。


 この木彫りのペニスは、めちゃくちゃリアルです。尿道の切れ目といいカリといい、岡本太郎が気まぐれで作ったかのような怪作。至近距離で見せられるとたまらず、僕を含めた何人かが噴き出してしまったのです。


 「笑うな!殺すぞ!」


 案の定、沢口さんにキレられました。


 ただ、「私が作りました!」と名乗り出た金山さんという人が、このペニスを装着しそうな、原住民丸出しの顔をしているのです。


 金山さんは、この4月にワンダーフォーゲル部から転部してきた、3年生の新入りです。すさまじい雪焼けをしており、顔の色とペニスの色とがリンクして、二重でおかしいのです。


 その結果、僕はさらに噴き出してしまいました。「なめてんのか、お前!」と、沢口さんにビンタされたのです。


 僕の班と金山さんのいる班は、晩ご飯は抜きになりました。みんながカレーを食べるのを尻目に立たされ、砂も3キロ増やされることになったのです。


 最悪や……。46キロやんけ、明日……。


 僕の班は、シャワーを浴びることも禁止されました。汗臭いまま、シンポジウムが行われる部室に移動したのです。


 時刻は7時30分をまわりました。


 沢口さんから、カヌーをするときの心構えを説明されます。僕は、翌日の歩荷を考えると不安で頭に入ってこなかったのですが、しばらくして、山川さんと桜木さんが戻ってきたのです。


 2人の後ろには神林がいます。予想通り神林は家に戻っており、強制的に連れ戻されたのです。


 思わず、神林に殴りかかろうとする自分がいました。


 諸悪の根源はこいつなので、我慢なりません。


 ただ、NASAに捕らえられた宇宙人のように両腕をつかまれて帰ってきたため、どこか哀れに思えました。


 「すいませんでした!」


 神林は、泣いて土下座をしてきました。その姿が情けなさすぎて、怒りが萎えてしまったのです。


 ですが、謝罪する神林の口がカレー臭いです。こいつのせいで僕はカレーを食べれなかったのに、こいつは家でカレーを食べてきやがったのです。


 腹立つわ、こいつ!こっちは腹ペコやのに!


 「ごめんなさい!ほんまにごめんなさい!」


 カレー臭いねん、お前!ククレを食った責任取って首くくれ!


 それでも、怒ったところで仕方がありません。


 「もう絶対に逃げんなよ、あんた!」


 僕は、ため口で注意することで自分を納得させました。神林も、「ほんまにごめん。明日からはちゃんとがんばるから」と頭を下げてきたので、今回だけは許してあげることにしました。


 「お前ら、気を引き締めていけよ!今度こんなことがあったら許さんからな!」


 下級生たちに、山川さんが怒声を浴びせてきました。ブルーな気持ちを引きずりながら、シンポジウムを終えた僕らは裏山に戻りました。


 テントに入り、僕は横になりました。


 すると隣の神林の足がまた、昨日にも増して臭いのです。「陸軍の人?」というぐらい、シャワーを浴びていないことからも猟奇的に臭いのです。


 何個欠点あんねん、お前!毎日寺子屋に通え、お前みたいな奴!


 「神林さん、足の匂い、なんとかなりません?」


 「えっ?」


 「足の匂い、なんとかなりませんかね?」


 「えっ?」


 「足が臭いんですよ、あんた!」


 「人間だもの」


 相田みつをか!何をかっこよく言ってくれとんねん!


 「ニンニンニンニン!ニンニンニンニン!」


 忍者が出てきた!こんな時間に遊んでやがった!


 「ニンニンニンニン!ニンニンニンニン!」


 ニンニンやないねん!静かにせいや、こんな時間やねんから!


 「ニンニンニンニン!レジェニンが来られたぞ!」


 はっ?はっ?


 「裏山の入り口までレジェニンを迎えに行くぞ!」


 はっ?はっ?


 「急げ!レジェニンが来られた!」


 レジェンド忍者ってこと!?レジェニンってレジェンド忍者のことなん!?


 「レジェンドのOB忍者が参上された!」


 OB忍者ってなんやねん!OB忍者!?なんや、「おそろしくバカな忍者」の略か!?


 僕は、神林の足の匂いと忍者が気になって眠れません。お腹も空いていますし、なにより翌日のことを考えると怖くて怖くて、寝られたものではないのです。


 自分のいるこのテントが、防空壕のように思えました。


 一歩外に出れば、そこは戦場と同じ。僕は目を閉じて、「2日後には終戦なんや!」と自分に言い聞かせました。眠っては恐怖で目が覚めるのをくり返し、防空壕に身を潜め続けたのです。


 やがて、朝がやってきました。


 「起きんかい!いつまで寝とんじゃ、お前ら!」


 山川さんの怒声が朝を告げました。


 僕は前日の疲労が残ったままです。


 とはいえ、つらいのはみんな同じです。このあと外で円になって朝ご飯を食べたときも、誰しもの精神状態を投影するかのように、恐ろしいまでに閑散としているのです。


 話す者など、誰ひとりとしていません。暗闇の中に、アルミ皿にスプーンが当たる音だけが鳴り響いているのです。


 つらいのは俺だけじゃないんや……。みんな俺と同じなんや……。


 僕はこの沈黙を、仲間からの無言のメッセージと解釈しました。無理にでも自分を奮い立たせたのです。


 食事を終えて、僕らは身支度を整えました。


 各班ごとに整列し、それを見た山川さんが叫びました。


 「よっしゃ!じゃあリュックを担げ!」


 かけ声と同時に、下級生たちがリュックを担ぎ始めました。


 僕は奮い立ったものの、体まで強くなるわけではありません。前日同様、ベルトに片手を通すところまではできても、そこから先が上がらないのです。


 昨日は担げなかった奴も、今日は担げています。気がつくと、僕だけが取り残されていたのです。


 「おいおい、お前は今日も担げんのか!?」


 山川さんを中心に、上級生から罵声を浴びせられました。さらし者とはまさにこのこと、40以上もの瞳が僕ひとりを見つめています。


 僕を見つめるたくさんの目は、前日同様、血が通っていません。蔑み、愉快といった負の感情を伴ったものばかりで、砂の重み以上に僕の心に圧しかかってきます。


 結局、この日もサポーターの女性に助けてもらって担ぎました。僕は辱めを受けたことよりも、人間の本質的な心の汚さを知ったことのほうがショックで、前日以上に胸がむかむかしました。


 「じゃあ出発するからな!」


 山川さんの号令のもと、僕らは出発しました。


 時刻は5時。裏山を下りて、校内を進みます。


 今日は雨は降っていません。視界は見えやすいものの、蒸し暑くて体力を奪われます。


 昨日にも増して重くなった砂も、半端ではありません。昨日が「デブの幽霊」なら、今日は「小さい弟、5人を背負って授業に出る戦争孤児」といった感じ。自分との戦いで精一杯なのですが、僕の隣を歩く神林がムダ口を叩いてくるのです。


 「バスコ、昨日は逃げてごめんな」


 「……」


 「昨日はごめんな」


 「いや、もういいですよ」


 「えっ?」


 「気にしてないんで、もういいです!」


 「えっ?」


 気にするわ、やっぱり!うざすぎてもう気にしだしたわ、俺!


 「神林さん、しんどいから、話しかけてくるんはやめてもらえません?」


 「なんでしんどいの?」


 お前がおるからや!お前と一緒やと、たとえ楽園におってもずっと風邪引いてる感じやねん!


 10分ほど歩いて、大学を出ました。


 ここからは、民家のあいだを進みます。昨日とは違うルートで、山川さんは、あえてアップダウンの激しい道を選んでいるのです。


 僕の班は現在、最後尾。同期の河井に体力がないことから、サポーターの女性とともに1番後ろを歩いていたのですが、神林が「小便をしたい!」と言いだしたのです。


 休憩時間以外でのトイレは禁止されています。幸いにも、近くに3、4年生はいません。サポーターの指示で、バレないように近くのミゾで用を足すことになったのですが、ズボンを下ろして用を足し始めるやいなや、背中の重みで後ろに倒れたんですよ。


 チンチン出しながら後ろに倒れたんですよ!しかも焦って自分を見失い、その状態で普通に小便出し続けてるんですよ!


 要介護6か、お前!どれだけ俺らに迷惑かけたら気が済むねん!


 「バスコ、どうしたらいい?」


 死んでくれ!今すぐに自害という選択肢を取ってくれ!


 「とりあえず手貸してくれ!」


 お前もとりあえずズボン上げてくれ!ていうかもうリュック下ろせや!上級生も見てないし、リョックさえ下ろせば自分でなんとかできるやろ!


 このように、やることなすことがおかしいです。その都度迷惑をかけられるなど、神林と一緒にいるだけで異常なまでに疲れるのです。


 神林が戻り、僕らは再び歩き始めました。前の班に置いていかれたことから、沢口さんがきて、僕らは急がされました。


 30分近く、民家の周りをグルグルと歩かされました。すでに体は限界なのですが、全員が大きな道路の前にやってきたのを見て、山川さんが叫びました。


 「お前ら、この歩道橋を上れ!」


 勘弁してくれよ、おい!ほとんど直角やんけ、この歩道橋!


 「手すりは禁止や!」


 ムチャ言うなよ!こんなもん、ババアが双子を出産するなみにしんどいわ!


 それでも、文句など言えるはずがありません。


 7メートルはあろうかという歩道橋を、1人ずつ上っていきます。僕の番がきたので足をかけたところ、きつすぎて、少し上っただけで止まってしまいます。


 止まると傾斜で腰に全体重がかかり、それはそれでしんどいです。転げ落ちそうになる奴などザラで、なかには、「あうー!」と叫んでいる奴までいます。


 僕は数段上っては止まり、数段上っては止まりをくり返しながら、ゆっくりと足を運びました。そしてがんばって上り切り、少し歩いて、近くのお寺に到着したのです。


 お寺の下の駐車場で、休憩を取ることになりました。


 僕は、ポリタンクのポカリをガブ飲みしました。僕は前日同様、リュックを下ろせません。せめてノドだけは潤そうと、班の仲間のことなど無視してガンガンに飲みました。


 休憩中、壁にもたれて、仲間のぐったりしている姿を見ました。


 倒れ込んでいる者、池に頭をつけている者……。誰もが満身創痍で、同期の林に至っては、仰向けになって口から泡を吹いているのです。


 サポーターの女性がチョコレートを配ってくれました。近くの池でタオルに水を含ませて顔にかけてくれたので、少し癒されました。


 ところが休憩を終えてお寺の境内に移動することになった際、山川さんが「境内に至る大階段を上れ!」と言うのです。


 いやいや、無理無理!戸愚呂弟じゃないと無理!


 えげつない階段なんですよ、これ。傾斜は歩道橋よりかはましなものの、100段以上もあるのです。


 「1人ずつ上っていけ!前の奴が真ん中まで上ったら次の奴が上れ!」


 山川さんの号令で、地獄の階段上りがスタートしました。


 自分の番がくるまでは、階段の下でかけ声をします。


 声を出す元気はもうなく、同期の平田なんて、泣きじゃくっています。「お代官様!」と言わんばかりに沢口さんにしがみついて、「もう許してください!」を連呼しているのです。


 上り始めた僕も、「いっそのこと下に転がって死にたい……」と、本気で考えました。体だけではなく、細胞自体が痛く感じられて、足が前に進みません。半泣きになって上っていたのですが、僕の後ろから「れい!れい!れい!」と叫びながら神林がやってきたのです。


 静かにせいや、お前!そもそも上ってる奴はかけ声せんでええねん!


 「れいれれい!れいれれい!れいれれい!」


 狂犬病か、お前!こんなん言う奴、脳が悪いウイルスに犯されてるとしか思えん!


 「バスコ、がんば!れいれれい!れいれれい!」


 すれ違いざまに言うな!お前に話しかけられたら一気に疲れんねん!


 「ニンニンニンニン!ニンニンニンニン!」


 忍者が現れやがった!同じ場所でトレーニングしてやがった!


 「速すぎますよ、レジェニン!」


 レジェニンが出た!で、よく見たらレジェニン、40すぎのオッサンやねんけど!?平日に仕事休んでまでこんなことしててドン引きやねんけど!?


 それでも、僕は死力を尽くしました。疲労からくる腰痛に顔を歪めながらも、なんとか上り切ったのです。


 15分ほど境内を歩いて、そのまま大学に戻ることになりました。


 帰りは前日にも増してフラフラ。石どころか、じゃりでつまづきそうなぐらい、足元はおぼつきません。「お前、下がってないか?」というぐらい、歩くのが遅かったですから。


 もといた裏山に到着し、ようやく3日目の歩荷が終了です。


 幸いにも、テント設営は河井とです。この日は難なくクリアしました。


 時刻は9時をまわりました。


 テントの中で休憩していると、探検部OBの富岡さんという人がやってきました。授業に出ている者以外はテントの前に集合させられ、富岡さんがあいさつすることになりました。


 富岡さんは、めちゃくちゃ熱いです。


 「お前ら、この合宿だけは絶対に手を抜くなよ!」


 このように声を張り上げ、「おい、そこのお前。探検と冒険の違いを言ってみろ?」と、ワケのわからないことを訊いてきたのです。


 なんやねん、探検と冒険の違いって!こんなもん、漢字が違うだけやろ!


 すると、ペニスの木彫りを作った金山さんが、僕の心を見透かしたかのように「漢字が違います!」と答えやがったのです。


 「ふざけんな、お前!」


 富岡さんが怒鳴り、空気が張り詰めました。


 金山さんは、自分が元ワンゲルで体力に自信があるのをいいことに、ちょいちょい仲間を窮地に陥れようとしてきます。歩荷中に股間を触ってきたり、シンポジウム中に妙な落書きを見せてきたりと、いたずらばっかりしてくるんですね。


 「今年の新人は、えらい肝っ玉の座った奴がおるな!」


 こう言って富岡さんは笑ったものの、目は笑っていません。そして、空気の悪さに追い打ちをかけるかのように、山川さんが「お前ら、富岡さんの前で探検部奨励歌を歌え!」と命令してきたのです。


 この奨励歌は、探検部に代々伝わる部歌です。この合宿までに、歌詞を覚えてくるよう命令されていたのですが、歌詞が4番まであるため、うろ覚えなのです。


 僕は列の1番後ろにいるのをいいことに、適当に歌いました。「♪健児が翔ける自治の山」という歌詞に、「♪健児がはらそらきちの山!」と口ずさみ、知っているところだけは得意げに、「♪熱き血潮の若き夢!」と声を張り上げました。


 ですが、上には上がいます。神林です。


 「♪田舎の空気はおいしいな~!」


 このような妙な歌詞を勝手に創作し、途中から、「♪フーフフ、フフーフフ、フフフーフフ!」と、ハミングを口ずさみやがったのです。


 ハミングすんなよ、お前!歌詞知らんことバレバレやろ!


 「♪湖キレイで泳ぎたい~!」


 そんな歌詞ないわ!そんなのん気な歌詞あるか、ボケ!


 「♪フーフフ、フフーフフ、もう5月!」


 それなんやねん、おい!『1年の速さを憂う歌』とかと違うわ、この歌!ていうかハミングで突っ切れよ、そこはもう!余計に怪しいやろが!


 正直、いつバレるかとヒヤヒヤだったのですが、2人して後方にいたおかげでバレませんでした。


 奨励歌終わりで、僕は授業のために裏山をあとにしました。この日は授業が4つもあったので助かりました。


 5時限目を終えて、僕は裏山に戻りました。


 時刻は夕方の6時をまわっています。テントの前に全員が集合し、山川さんが点呼を取り始めたのですが、同期の平田がいません。


 前日の神林同様、6時10分を過ぎても戻ってきません。荷物がないことから、脱走したと結論づけられたのです。


 ですが正直、これはうれしかったです。


 平田の班は、金山さんのいる班です。ペニスの木彫り事件と、漢字が違います発言で、僕の班以上の砂を背負わされることになるでしょう。リュックを担ぐのに苦労していた林もいるので、明日の朝は、僕のように担げない可能性が高いのです。


 立たされる金山さんたちを尻目に、富岡さんが差し入れで持ってきてくれたイノシシの肉もおいしいです。しかも、平田は下宿先に行っても見つからず、金山さんの班は、1年生も5キロのペナルティーを課されることになったのです。


 よっしゃ、これで林は間違いなくリュックを担がれへん!明日恥をかくんは俺だけじゃないんや!


 僕は鼻歌まじりにシャワーを浴びました。


 「あと2日やし、みんながんばろうや!」


 こう言って仲間を励ますなど、俄然、テンションが上がってきたのです。


 ところがです。


 シンポジウムのために部室に移動したところ、先ほどまでいた神林がいません。荷物はあるものの、いくら待っても部室にこないのです。


 あの野郎……。また逃げやがった……。


 この瞬間、増えるであろう背中の弟たちを想像して、「母さん、ごめん。俺には弟たちの世話は無理やわ」と天を仰ぐ自分がいました。


 4日目に続く……。


大学のサークル選びは死ぬほど考えるべきではないか?の考察~3日目~(携帯読者用)

※2008年・5月1日の記事を再々編集

 「おい、神林がおらんやんけ!」

 山川さんを中心に、上級生が声を荒げました。

 6時10分をすぎても、神林は戻ってきません。裏山中を探してもおらず、当時は、携帯電話もあまり普及していません。連絡のしようがないのです。

 そこで今回は、「大学のサークル選びは死ぬほど考えるべきではないか?」の考察~3日目~です。

 僕には、神林が脱走したという確信がありました。

 神林は、僕と同じ法学部です。4時限目が始まる前に校舎ですれ違ったとき、あきらかに挙動不審だったのです。

 神林は普段から急に独り言を言ったり、思い出し笑いをしたりと、おかしいです。先ほどすれ違ったときは、視線を宙にさまよわせ、普段以上にぶつぶつ言いながら、校舎を斜めに歩いていたのです。

 僕の予感は的中していました。部室に置いてあった、神林の荷物がなくなっているのが確認されたのです。

 当時は、漫画喫茶などありません。神林は友達が少ないことから、友達の家にかくまってもらっている可能性も低いです。

 神林の実家は、この大学から30分足らずのところにあります。実家に帰っていると推測し、山川さんと、班のリーダーである桜木さんが連れ戻しに行くことになりました。

 正直、僕も逃げようとは思いました。

 毎年、何人か脱走するという話は聞いています。何度も逃げ出すことを考えたのですが、班の仲間に迷惑がかかることから、さすがにできないのです。

 なのに神林は逃げた……。仲間にペナルティーが課せられるのもおかまいなしに逃げた……。

 神林に、殺意にも似た怒りを覚えました。

 同時に、前日よりも増える砂への恐怖に、体が震えてきました。

 カレーのいい匂いがしても、「ヒ素でも入ってたらいいのにな……」と考えるなど、現実を直視できません。ところがそんな僕のことなど露知らず、近くで合宿している忍者が「ニンニンニンニン!」と叫びながら裏山を通過し始めたのです。

 もう何なん、お前ら!頼むから空気読んでくれよ!

 「ニンニンニンニン!ニンニンニンニン!」

 やかましいわ!走りながらニンニン言うな!

 「おー!探検部殿のところから、カレーのいい匂いがしてるでござるな!」

 ござるってなんやねん!忍者は別にござるとか言わへんよ!

 「ござる!」

 「ござるござる!」

 「ゴザル!」

 外人がおった!留学生が楽しそうにはしゃいでやがった!

 「ニンニンでゴザル!ニンニンでゴザル!」

 何してんねんお前、日本に来て!「忍者留学」とか聞いたことないぞ!

 「イガニンニハ、マケタクナイ!」

 ごめん、イガニンって何!?伊賀忍者の略なんやろうけど、外人でこんなん言う奴たまらんねんけど!?

 僕らの前を通過する忍者は、ひたすらワケのわからない話をしています。おかしな奴が多すぎて、見ているだけで疲れてくるのです。

 忍者がいなくなり、しばらくして、沢口さんが声を荒げました。

 「お前ら、俺らのことなめてないか?」

 テントの前で立ち尽くす僕らを、沢口さんはニラみつけます。

 「お前、なめてるやろ?」

 「お前も、俺らをなめてるんやろ?」

 顔面に血管を浮かせて、順番に訊いて回ります。僕らが「なめてません」と返すと、「じゃあ、これはなんやねん!?」と叫んで、あるものを地面に叩きつけたのです。

 それは、ペニスの形をした木彫りでした。

 この中の誰かが装備品のナイフで作ったらしく、「これ作ったん誰や?お前か?」と言って、順番に見せてきたのです。

 この木彫りのペニスは、めちゃくちゃリアルです。尿道の切れ目といいカリといい、岡本太郎が気まぐれで作ったかのような怪作。至近距離で見せられるとたまらず、僕を含めた何人かが噴き出してしまったのです。

 「笑うな!殺すぞ!」

 案の定、沢口さんにキレられました。

 ただ、「私が作りました!」と名乗り出た金山さんという人が、このペニスを装着しそうな、原住民丸出しの顔をしているのです。

 金山さんは、この4月にワンダーフォーゲル部から転部してきた、3年生の新入りです。すさまじい雪焼けをしており、顔の色とペニスの色とがリンクして、二重でおかしいのです。

 その結果、僕はさらに噴き出してしまいました。「なめてんのか、お前!」と、沢口さんにビンタされたのです。

 僕の班と金山さんのいる班は、晩ご飯は抜きになりました。みんながカレーを食べるのを尻目に立たされ、砂も3キロ増やされることになったのです。

 最悪や……。46キロやんけ、明日……。

 僕の班は、シャワーを浴びることも禁止されました。汗臭いまま、シンポジウムが行われる部室に移動したのです。

 時刻は7時30分をまわりました。

 沢口さんから、カヌーをするときの心構えを説明されます。僕は、翌日の歩荷を考えると不安で頭に入ってこなかったのですが、しばらくして、山川さんと桜木さんが戻ってきたのです。

 2人の後ろには神林がいます。予想通り神林は家に戻っており、強制的に連れ戻されたのです。

 思わず、神林に殴りかかろうとする自分がいました。

 諸悪の根源はこいつなので、我慢なりません。

 ただ、NASAに捕らえられた宇宙人のように両腕をつかまれて帰ってきたため、どこか哀れに思えました。

 「すいませんでした!」

 神林は、泣いて土下座をしてきました。その姿が情けなさすぎて、怒りが萎えてしまったのです。

 ですが、謝罪する神林の口がカレー臭いです。こいつのせいで僕はカレーを食べれなかったのに、こいつは家でカレーを食べてきやがったのです。

 腹立つわ、こいつ!こっちは腹ペコやのに!

 「ごめんなさい!ほんまにごめんなさい!」

 カレー臭いねん、お前!ククレを食った責任取って首くくれ!

 それでも、怒ったところで仕方がありません。

 「もう絶対に逃げんなよ、あんた!」

 僕は、ため口で注意することで自分を納得させました。神林も、「ほんまにごめん。明日からはちゃんとがんばるから」と頭を下げてきたので、今回だけは許してあげることにしました。

 「お前ら、気を引き締めていけよ!今度こんなことがあったら許さんからな!」

 下級生たちに、山川さんが怒声を浴びせてきました。ブルーな気持ちを引きずりながら、シンポジウムを終えた僕らは裏山に戻りました。

 テントに入り、僕は横になりました。

 すると隣の神林の足がまた、昨日にも増して臭いのです。「陸軍の人?」というぐらい、シャワーを浴びていないことからも猟奇的に臭いのです。

 何個欠点あんねん、お前!毎日寺子屋に通え、お前みたいな奴!

 「神林さん、足の匂い、なんとかなりません?」

 「えっ?」

 「足の匂い、なんとかなりませんかね?」

 「えっ?」

 「足が臭いんですよ、あんた!」

 「人間だもの」

 相田みつをか!何をかっこよく言ってくれとんねん!

 「ニンニンニンニン!ニンニンニンニン!」

 忍者が出てきた!こんな時間に遊んでやがった!

 「ニンニンニンニン!ニンニンニンニン!」

 ニンニンやないねん!静かにせいや、こんな時間やねんから!

 「ニンニンニンニン!レジェニンが来られたぞ!」

 はっ?はっ?

 「裏山の入り口までレジェニンを迎えに行くぞ!」

 はっ?はっ?

 「急げ!レジェニンが来られた!」

 レジェンド忍者ってこと!?レジェニンってレジェンド忍者のことなん!?

 「レジェンドのOB忍者が参上された!」

 OB忍者ってなんやねん!OB忍者!?なんや、「おそろしくバカな忍者」の略か!?

 僕は、神林の足の匂いと忍者が気になって眠れません。お腹も空いていますし、なにより翌日のことを考えると怖くて怖くて、寝られたものではないのです。

 自分のいるこのテントが、防空壕のように思えました。

 一歩外に出れば、そこは戦場と同じ。僕は目を閉じて、「2日後には終戦なんや!」と自分に言い聞かせました。眠っては恐怖で目が覚めるのをくり返し、防空壕に身を潜め続けたのです。

 やがて、朝がやってきました。

 「起きんかい!いつまで寝とんじゃ、お前ら!」

 山川さんの怒声が朝を告げました。

 僕は前日の疲労が残ったままです。

 とはいえ、つらいのはみんな同じです。このあと外で円になって朝ご飯を食べたときも、誰しもの精神状態を投影するかのように、恐ろしいまでに閑散としているのです。

 話す者など、誰ひとりとしていません。暗闇の中に、アルミ皿にスプーンが当たる音だけが鳴り響いているのです。

 つらいのは俺だけじゃないんや……。みんな俺と同じなんや……。

 僕はこの沈黙を、仲間からの無言のメッセージと解釈しました。無理にでも自分を奮い立たせたのです。

 食事を終えて、僕らは身支度を整えました。

 各班ごとに整列し、それを見た山川さんが叫びました。

 「よっしゃ!じゃあリュックを担げ!」

 かけ声と同時に、下級生たちがリュックを担ぎ始めました。

 僕は奮い立ったものの、体まで強くなるわけではありません。前日同様、ベルトに片手を通すところまではできても、そこから先が上がらないのです。

 昨日は担げなかった奴も、今日は担げています。気がつくと、僕だけが取り残されていたのです。

 「おいおい、お前は今日も担げんのか!?」

 山川さんを中心に、上級生から罵声を浴びせられました。さらし者とはまさにこのこと、40以上もの瞳が僕ひとりを見つめています。

 僕を見つめるたくさんの目は、前日同様、血が通っていません。蔑み、愉快といった負の感情を伴ったものばかりで、砂の重み以上に僕の心に圧しかかってきます。

 結局、この日もサポーターの女性に助けてもらって担ぎました。僕は辱めを受けたことよりも、人間の本質的な心の汚さを知ったことのほうがショックで、前日以上に胸がむかむかしました。

 「じゃあ出発するからな!」

 山川さんの号令のもと、僕らは出発しました。

 時刻は5時。裏山を下りて、校内を進みます。

 今日は雨は降っていません。視界は見えやすいものの、蒸し暑くて体力を奪われます。

 昨日にも増して重くなった砂も、半端ではありません。昨日が「デブの幽霊」なら、今日は「小さい弟、5人を背負って授業に出る戦争孤児」といった感じ。自分との戦いで精一杯なのですが、僕の隣を歩く神林がムダ口を叩いてくるのです。

 「バスコ、昨日は逃げてごめんな」

 「……」

 「昨日はごめんな」

 「いや、もういいですよ」

 「えっ?」

 「気にしてないんで、もういいです!」

 「えっ?」

 気にするわ、やっぱり!うざすぎてもう気にしだしたわ、俺!

 「神林さん、しんどいから、話しかけてくるんはやめてもらえません?」

 「なんでしんどいの?」

 お前がおるからや!お前と一緒やと、たとえ楽園におってもずっと風邪引いてる感じやねん!

 10分ほど歩いて、大学を出ました。

 ここからは、民家のあいだを進みます。昨日とは違うルートで、山川さんは、あえてアップダウンの激しい道を選んでいるのです。

 僕の班は現在、最後尾。同期の河井に体力がないことから、サポーターの女性とともに1番後ろを歩いていたのですが、神林が「小便をしたい!」と言いだしたのです。

 休憩時間以外でのトイレは禁止されています。幸いにも、近くに3、4年生はいません。サポーターの指示で、バレないように近くのミゾで用を足すことになったのですが、ズボンを下ろして用を足し始めるやいなや、背中の重みで後ろに倒れたんですよ。

 チンチン出しながら後ろに倒れたんですよ!しかも焦って自分を見失い、その状態で普通に小便出し続けてるんですよ!

 要介護6か、お前!どれだけ俺らに迷惑かけたら気が済むねん!

 「バスコ、どうしたらいい?」

 死んでくれ!今すぐに自害という選択肢を取ってくれ!

 「とりあえず手貸してくれ!」

 お前もとりあえずズボン上げてくれ!ていうかもうリュック下ろせや!上級生も見てないし、リョックさえ下ろせば自分でなんとかできるやろ!

 このように、やることなすことがおかしいです。その都度迷惑をかけられるなど、神林と一緒にいるだけで異常なまでに疲れるのです。

 神林が戻り、僕らは再び歩き始めました。前の班に置いていかれたことから、沢口さんがきて、僕らは急がされました。

 30分近く、民家の周りをグルグルと歩かされました。すでに体は限界なのですが、全員が大きな道路の前にやってきたのを見て、山川さんが叫びました。

 「お前ら、この歩道橋を上れ!」

 勘弁してくれよ、おい!ほとんど直角やんけ、この歩道橋!

 「手すりは禁止や!」

 ムチャ言うなよ!こんなもん、ババアが双子を出産するなみにしんどいわ!

 それでも、文句など言えるはずがありません。

 7メートルはあろうかという歩道橋を、1人ずつ上っていきます。僕の番がきたので足をかけたところ、きつすぎて、少し上っただけで止まってしまいます。

 止まると傾斜で腰に全体重がかかり、それはそれでしんどいです。転げ落ちそうになる奴などザラで、なかには、「あうー!」と叫んでいる奴までいます。

 僕は数段上っては止まり、数段上っては止まりをくり返しながら、ゆっくりと足を運びました。そしてがんばって上り切り、少し歩いて、近くのお寺に到着したのです。

 お寺の下の駐車場で、休憩を取ることになりました。

 僕は、ポリタンクのポカリをガブ飲みしました。僕は前日同様、リュックを下ろせません。せめてノドだけは潤そうと、班の仲間のことなど無視してガンガンに飲みました。

 休憩中、壁にもたれて、仲間のぐったりしている姿を見ました。

 倒れ込んでいる者、池に頭をつけている者……。誰もが満身創痍で、同期の林に至っては、仰向けになって口から泡を吹いているのです。

 サポーターの女性がチョコレートを配ってくれました。近くの池でタオルに水を含ませて顔にかけてくれたので、少し癒されました。

 ところが休憩を終えてお寺の境内に移動することになった際、山川さんが「境内に至る大階段を上れ!」と言うのです。

 いやいや、無理無理!戸愚呂弟じゃないと無理!

 えげつない階段なんですよ、これ。傾斜は歩道橋よりかはましなものの、100段以上もあるのです。

 「1人ずつ上っていけ!前の奴が真ん中まで上ったら次の奴が上れ!」

 山川さんの号令で、地獄の階段上りがスタートしました。

 自分の番がくるまでは、階段の下でかけ声をします。

 声を出す元気はもうなく、同期の平田なんて、泣きじゃくっています。「お代官様!」と言わんばかりに沢口さんにしがみついて、「もう許してください!」を連呼しているのです。

 上り始めた僕も、「いっそのこと下に転がって死にたい……」と、本気で考えました。体だけではなく、細胞自体が痛く感じられて、足が前に進みません。半泣きになって上っていたのですが、僕の後ろから「れい!れい!れい!」と叫びながら神林がやってきたのです。

 静かにせいや、お前!そもそも上ってる奴はかけ声せんでええねん!

 「れいれれい!れいれれい!れいれれい!」

 狂犬病か、お前!こんなん言う奴、脳が悪いウイルスに犯されてるとしか思えん!

 「バスコ、がんば!れいれれい!れいれれい!」

 すれ違いざまに言うな!お前に話しかけられたら一気に疲れんねん!

 「ニンニンニンニン!ニンニンニンニン!」

 忍者が現れやがった!同じ場所でトレーニングしてやがった!

 「速すぎますよ、レジェニン!」

 レジェニンが出た!で、よく見たらレジェニン、40すぎのオッサンやねんけど!?平日に仕事休んでまでこんなことしててドン引きやねんけど!?

 それでも、僕は死力を尽くしました。疲労からくる腰痛に顔を歪めながらも、なんとか上り切ったのです。

 15分ほど境内を歩いて、そのまま大学に戻ることになりました。

 帰りは前日にも増してフラフラ。石どころか、じゃりでつまづきそうなぐらい、足元はおぼつきません。「お前、下がってないか?」というぐらい、歩くのが遅かったですから。

 もといた裏山に到着し、ようやく3日目の歩荷が終了です。

 幸いにも、テント設営は河井とです。この日は難なくクリアしました。

 時刻は9時をまわりました。

 テントの中で休憩していると、探検部OBの富岡さんという人がやってきました。授業に出ている者以外はテントの前に集合させられ、富岡さんがあいさつすることになりました。

 富岡さんは、めちゃくちゃ熱いです。

 「お前ら、この合宿だけは絶対に手を抜くなよ!」

 このように声を張り上げ、「おい、そこのお前。探検と冒険の違いを言ってみろ?」と、ワケのわからないことを訊いてきたのです。

 なんやねん、探検と冒険の違いって!こんなもん、漢字が違うだけやろ!

 すると、ペニスの木彫りを作った金山さんが、僕の心を見透かしたかのように「漢字が違います!」と答えやがったのです。

 「ふざけんな、お前!」

 富岡さんが怒鳴り、空気が張り詰めました。

 金山さんは、自分が元ワンゲルで体力に自信があるのをいいことに、ちょいちょい仲間を窮地に陥れようとしてきます。歩荷中に股間を触ってきたり、シンポジウム中に妙な落書きを見せてきたりと、いたずらばっかりしてくるんですね。

 「今年の新人は、えらい肝っ玉の座った奴がおるな!」

 こう言って富岡さんは笑ったものの、目は笑っていません。そして、空気の悪さに追い打ちをかけるかのように、山川さんが「お前ら、富岡さんの前で探検部奨励歌を歌え!」と命令してきたのです。

 この奨励歌は、探検部に代々伝わる部歌です。この合宿までに、歌詞を覚えてくるよう命令されていたのですが、歌詞が4番まであるため、うろ覚えなのです。

 僕は列の1番後ろにいるのをいいことに、適当に歌いました。「♪健児が翔ける自治の山」という歌詞に、「♪健児がはらそらきちの山!」と口ずさみ、知っているところだけは得意げに、「♪熱き血潮の若き夢!」と声を張り上げました。

 ですが、上には上がいます。神林です。

 「♪田舎の空気はおいしいな~!」

 このような妙な歌詞を勝手に創作し、途中から、「♪フーフフ、フフーフフ、フフフーフフ!」と、ハミングを口ずさみやがったのです。

 ハミングすんなよ、お前!歌詞知らんことバレバレやろ!

 「♪湖キレイで泳ぎたい~!」

 そんな歌詞ないわ!そんなのん気な歌詞あるか、ボケ!

 「♪フーフフ、フフーフフ、もう5月!」

 それなんやねん、おい!『1年の速さを憂う歌』とかと違うわ、この歌!ていうかハミングで突っ切れよ、そこはもう!余計に怪しいやろが!

 正直、いつバレるかとヒヤヒヤだったのですが、2人して後方にいたおかげでバレませんでした。

 奨励歌終わりで、僕は授業のために裏山をあとにしました。この日は授業が4つもあったので助かりました。

 5時限目を終えて、僕は裏山に戻りました。

 時刻は夕方の6時をまわっています。テントの前に全員が集合し、山川さんが点呼を取り始めたのですが、同期の平田がいません。

 前日の神林同様、6時10分を過ぎても戻ってきません。荷物がないことから、脱走したと結論づけられたのです。

 ですが正直、これはうれしかったです。

 平田の班は、金山さんのいる班です。ペニスの木彫り事件と、漢字が違います発言で、僕の班以上の砂を背負わされることになるでしょう。リュックを担ぐのに苦労していた林もいるので、明日の朝は、僕のように担げない可能性が高いのです。

 立たされる金山さんたちを尻目に、富岡さんが差し入れで持ってきてくれたイノシシの肉もおいしいです。しかも、平田は下宿先に行っても見つからず、金山さんの班は、1年生も5キロのペナルティーを課されることになったのです。

 よっしゃ、これで林は間違いなくリュックを担がれへん!明日恥をかくんは俺だけじゃないんや!

 僕は鼻歌まじりにシャワーを浴びました。

 「あと2日やし、みんながんばろうや!」

 こう言って仲間を励ますなど、俄然、テンションが上がってきたのです。

 ところがです。

 シンポジウムのために部室に移動したところ、先ほどまでいた神林がいません。荷物はあるものの、いくら待っても部室にこないのです。

 あの野郎……。また逃げやがった……。

 この瞬間、増えるであろう背中の弟たちを想像して、「母さん、ごめん。俺には弟たちの世話は無理やわ」と天を仰ぐ自分がいました。

 4日目に続く……。

大学のサークル選びは死ぬほど考えるべきではないか?の考察~2日目~(パソコン読者用)

※2008年・4月30日の記事を再々編集


 ザザザザザ!ザザザザザザザ!


 降り注ぐ大雨が、容赦なく顔を殴りつけてきます。


 ゴロゴロゴロ!ゴロゴロゴローン!ザザザザザザザ!


 大雨が雷雨に変わりました。カミナリが鳴り響く中、僕はリュックを担げないのです。


 そこで今回は、「大学のサークル選びは死ぬほど考えるべきではないか?」の考察~2日目~です。


 僕は、いつまでたってもリュックを担げません。両太ももの上に乗せ、ベルトに片手を通すところまではできるものの、そこから持ち上げられないのです。


 がたいのいい猛者ばかりの中、僕は174センチ、60キロの細身。気合いごときでは持ち上がらないんですね。


 そんな僕に、上級生たちは野次を飛ばしてきます。


 「早く持ち上げろや!」


 「みんな待ってるから急げや!」


 焦りが焦りを産み、僕の頭の中は真っ白です。かっこ悪い自分に耐えられず、「実は僕、風邪引いてて手に力が入らないんです!」といった大ウソを言おうとまで考える自分もいます。


 そんな僕を見かねて、班のリーダーである桜木さんが、僕を助けようとしてくれました。


 ですが、上級生たちが「桜木、手伝うな!」と、邪魔をしてきます。この合宿は、すべてのことを自分でやらなければならないのです。


 あらゆる点で自分よりも劣っていると思っていた同期の奴でさえ、担げています。


 「なんであんな奴が担げんねん……」


 人間、追い詰められると、人としての器の小ささが露呈します。何の根拠もない、ちっぽけな自尊心が頭をもたげ、それが焦りに拍車をかけるのです。


 極度の焦燥の中でも、無事に担げた仲間の表情が目に入りました。


 彼らは、恐ろしく冷たい目をしています。


 人の不幸を見るのは楽しい、こいつがヘマをしてくれたおかげで、この先、自分がヘマをしても恥ずかしさが緩和される……。


 誰もが血の通わない表情をしています。浪人した友達の予備校を訪ねる大学生のごとく、勝ち組と負け組の縮図を見せられたような気がして、胸がむかむかしました。


 気がつけば、タイムアップ。


 20人中、担げなかったのは、僕を含めて3人だけでした。サポーターの女性に手伝ってもらってなんとか担げたものの、「お前、女の子に助けてもらって情けないの!」と言われて、屈辱でした。


 「じゃあ行くぞ、お前ら!」


 山川さんの号令で、僕らは出発することになりました。


 各班ごとにひとかたまりとなって、裏山を下ります。


 朝の5時なので、周囲は薄暗いです。ヘッドライトで地面を照らし、ぬかるみに気をつけながら進みます。途中で、「伊賀」「甲賀」と看板を分けて寝泊りする忍者のテントが目に入ったものの、空気が空気だけに、無意識のうちに笑いのツボがえぐり取られるのです。


 裏山を下りるだけでも、10分以上かかりました。距離的には50メートルもありません。砂を背負いながらの下りなので、足が進んでいかないのです。


 裏山を出て、校内に入りました。


 僕の班は、最後方を進んでいます。先頭に山川さん、隊の中間地点に沢口さんをはじめとする3、4年生、最後尾にサポーターの女性が陣取り、縦になって進んでいきます。


 早朝なので、ほとんど人はいません。歩くにつれて、僕は次第に冷静さを取り戻していったのですが、冷静になって初めて背中の重さを意識したところ、43キロという砂が、半端ではなく重いことに気がついたのです。「デブの幽霊がとり憑いている」といった感じで、少しでも油断しようものなら、背中から倒れてしまうのです。


 しかも、砂が雨を吸っていきます。デブが大飯をかっくらいながらとり憑いているかのごとく、背中で太っていくのがわかるのです。


 何気に周囲を確認したところ、誰もが悲壮な顔をしています。僕の隣を歩く神林さんなんて、今にも消え入りそうな顔をしているのです。


 大雨のため、神林さんは補聴器をはずしています。周囲の音が聞こえにくいことから、「この合宿は生き地獄だ……」とばかりに、視線がうつろなのです。


 服装は全員、上下ともにジャージです。その上にレインコートを着ているのですが、神林さんはレインコートもろともズボンが脱げかかっています。下のジャージのゴムがゆるゆるで、パンツが丸見えなのです。


 「神林さん、パンツがおもいっきり見えてますよ」


 「えっ?」


 「……パンツが見えてますよ」


 「えっ?」


 「パンツが見えてますよ!」


 「…………ハム?」


 お歳暮渡すか、今!こんな状況で「これからもお願いします!」とか言うか!


 「ハムがどうしたん?」


 ハムじゃないねん、だから!ひと言も言ってないわ、ハムとか!


 「それより話変わるけど、俺の下のジャージ、ゴムがゆるゆるやねん」


 話変わってないわ!さっきからその話一本や、俺!


 「ヒモでジャージを結びたいから、何かいらんヒモない?」


 「ないです」


 「もうヘビ以外やったらなんでもいいから?」


 何言ってんねん、お前!なんでヘビ出してくんねん!意味がわからん!


 結局、サポーターの女性が、テント設営で使う細いロープを渡してくれました。神林さんはそれをジャージに巻きつけたのです。


 15分ほど歩いて、大学の校門を出ました。


 「今から緑地公園に行くから!」


 山川さんが声を張り上げました。


 ここから緑地公園までは30分足らず。僕は最後尾付近を、神林さんと並んで歩き始めました。


 民家を抜けて、川沿いに出ました。


 「お前ら、声出していけ!」


 山川さんが、かけ声を要求してきました。


 このかけ声は、順番に誰かが「そーれ!」と叫び、周囲が「れー!れー!れー!」と続きます。声が小さいと、「もっと声を張れ!」と怒られて、大声を要求されるのです。


 音頭を取る際のスタミナの消費量は、半端ではありません。誰もが体力を温存するために、怒られない程度に声をセーブしているのですが、神林さんだけが、えげつない大声を出しています。「そーう、れいっ!れいっ、れいっ!」と叫び倒しているのです。


 静かにせいや、お前!日の丸背負ってんのか!


 「れいやー!れいやー、れいやー!」


 織田無道か!お前それ完全に織田無道の徐霊やんけ!


 「れい、れれい、れれい!れい、れれい、れれい!」


 織田無道やんけ!霊が手ごわいときの織田無道やんけ!


 大声で奇声を上げる神林さんは、気合いが入っているわけではありません。神林さんは補聴器がなくて、自分の声が聞き取りにくいのです。


 ウォークマンを聴きながらしゃべるときと同じで、自分の声の大きさを客観視できません。この人からしたら普通のつもりで、「もっと声を出せ!」と怒鳴っていたはずの山川さんが、「神林、うるさい!」と逆に怒りました。沢口さんに至っては、「神林、気持ち悪いねん!」と、めちゃくちゃひどいことを言っているのです。


 そうこうするうちに、緑地公園に到着しました。


 山川さんの指示で、10分だけ休憩を取ることが許されました。屋根のある小さな休憩所でリュックを下ろし、僕はその場に倒れ込みました。


 体はすでに疲労困憊。まだ1時間しかたっていないのに、肩は痛いわ、背中は痛いわで、デブの幽霊に散々な目に遭わされたのです。


 側にいるサポーターの女性が、チョコレートを渡してくれました。


 これは癒されます。雨も小雨になってきましたし、テンションが上がったついでに、班の仲間でポカリスエットを回し飲みすることにしたのですが、神林さんがガブ飲みしやがるんですよ!


 何考えてんねん、お前!このあとのことも考えて飲めよ!


 「プハー!うまい!」


 迷惑をかけるのがか!?人に迷惑をかけるんがうまいんか!?


 「神林さん、飲みすぎや!」


 怒った僕は、ため口で注意しました。河井、神林さん、僕の順で飲むのに、神林さんが飲み干すぐらいの勢いでガブ飲みしやがったので、もう先輩も後輩も関係ないんですね。


 結局、僕の段階で、ポリタンクのポカリスエットは半分以上も減っていました。


 災難は続きます。


 休憩が終わり、歩荷が再開されることになったのですが、休憩でリュックを下ろしたため、再び持ち上げなければなりません。下ろしたはいいものの、よく考えたら、また担がなければならないのです。


 案の定、担げません。ベンチの高さを利用してなんとか担いだものの、山川さんに、「物を使って持ち上げていいんは、今回だけやからな!次にそんなことしたら殺すからな!」と怒鳴られてしまったのです。


 最悪や……。次からどうしよう……。


 この精神状態で神林さんを見ると、今までにも増してイライラしてきました。


 「こいつは、なんでこんな顔してんねん!」


 「あー!こいつのレインコートの色が腹立つ!」


 「4浪もしてるくせに俺の前を歩きやがって!」


 このように、神林さんのやることなすことすべてに腹が立ってきたのです。


 僕は最後尾で、神林さんの後ろを歩いています。雨でバレないのをいいことに、背中にツバをかけてやりました。神林さんがぬかるみに足を取られてこけても、サポーターに報告せずに無視し、後頭部にツバを吐きかけてやったのです。


 山川さんを先頭に、公園の中を何度も周回しました。誰もが死にそうになりながらも歩みを進め、途中で、30メートル以上もある急坂を登ることを要求されたのです。


 勘弁してくれよ、おい!無理無理、こんな急坂!


 「声出していけ!まずはバスコや!」


 俺かいや!最悪やんけ、この状況で!


 「そーれ!れー!れー!れー!れー!れー!ハアハア……」


 「れい、れれい、れれい!れい、れれい、れれい!」


 後ろから変なんきたぞ、おい!指名されてもないのに勝手に叫んでるぞ!


 「れれれい、れれれい、れれれれーい!!!」


 それなんやねん、おい!それなんやねん、マジで!?


 「れい、れい、れいれれーい!れい、れい、れいれれーい!」


 がんやわ、もうこいつ!脳に腫瘍ができてるとしか思えん、こんな奴!


 「神林、気持ち悪いねん!お前は静かにしとけ!」


 神林さんが気持ち悪すぎて、沢口さんがキレました。


 30メートルの急坂は、思っていたよりも過酷です。「ちんたらと歩くな、ボケ!」と怒鳴られますし、遅すぎると、スタート地点に戻ってやり直しです。つらすぎて泣いている奴もいますし、同じ班の河井なんて、「ひいひい!」と、本当にひいひいと言っているのです。


 僕は死力を尽くしました。苦しくて嘔吐しそうになりながらも、なんとかこのミッションをクリアし、休憩になったのです。


 ですが、僕はリュックを背負ったままです。下ろすと担げないので背負わざるをえず、休めるものも休めません。ポカリスエットも、神林さんのせいで、たったふた口でなくなってしまったのです。


 腹立つわ、神林……。で、なんでいつも俺の隣に座んねん、こいつ……。


 「なあ、バスコ?」


 「……」


 「聞いてんの、バスコ?」


 「……なんっすか?」


 「えっ?」


 お前も聞いてんの!?そっくりそのままお前のセリフ返すわ、お前も聞いてんの!?


 「なんですか!?」


 「弁当屋の弁当で、どの弁当が1番好き?」


 今答えないとあかん、それ!?見てもらったらわかるとおり俺は死にかけてんねんけど、その質問に緊急性ある!?


 「なあ教えてや、どの弁当が1番好きなん?」


 「……チキン南蛮ですかね」


 「チキン南蛮はええよな!」


 「神林さんは何弁当が好きなんですか?」


 「俺は、たっちゃん弁当!」


 何入ってんねん、それ!たっちゃん弁当とか言われてもわからんやろ、こっちは!


 「たっちゃん、たっちゃん!」


 誰やねんそいつ、ほんで!もうたっちゃんを呼んでこい!たっちゃんを説教するわ、「こんな奴に弁当買われやがって!」って!それぐらいの奴やわ、お前は!


 このように、ちょっと会話するだけで疲れてくるのです。


 「休憩終わり!今から大学に帰るから!」


 山川さんの指示で、大学に戻ることになりました。


 帰りの僕は、フラフラもいいところでした。ゾンビなみにフラフラでしたし、「バスコが三輪車に引かれて死にました!」と言われかねないほど、ボロボロでしたから。


 30分ほど歩いて、大学に到着しました。


 朝の8時を過ぎていることから、ぽつぽつと学生もいます。


 「何なん、こいつら……」


 こう言うかのごとく、僕らに蔑む視線を浴びせてきます。学生の好奇の目が、なんとも言えずつらいのです。


 しばらくして、もといた裏山に到着しました。


 ようやく、歩荷初日が終了です。この段階で雨も止んでおり、デブの幽霊を成仏させた僕は、その場に倒れ込みました。


 ですがホッとしたのも束の間、トレーニングは、まだ続きます。


 ここからは「テント設営」と題して、2人1組になって、2分以内にテントを設営する技術が試されます。地面が雨で濡れていることから、杭を打つのに苦戦するのは目に見えているのです。


 僕はこの日に至るまで、河井と何度も練習してきました。リュックを担ぐのは練習しなかったものの、テント設営だけは練習し、2分以内で設営できていたのです。


 そこで「我々2人でやります!」とアピールするために、僕は河井の近くに移動したのですが、沢口さんの指示で、神林さんと組むことになったのです。


 勘弁してくれよ、おい!こんな奴とやるぐらいやったら俺、かしこそうな犬とやるわ!


 それでも、上官の命令には逆らえません。僕は渋々、神林さんとテント設営を始めたのですが、こいつがまた、めちゃくちゃなのです。


 杭(くい)を反対に打ちつけたかと思えば、シートに足をとられて転倒します。しまいには杭を叩く石が割れたことに焦って、手で杭を叩き始めたのです。


 鉄ですよ、この杭!?すさまじい固さの鉄なんですよ!?


 「痛い!」


 そりゃそうやろ!力道山でも痛がるわ、そんなもん!


 「神林さん、もっとシートを引っ張ってください!」


 「えっ?」


 「もっとシートを引っ張ってください!」


 「なんてなんて?もう一回言って?」


 こっちくんなよ、お前!2分しかないねんぞ!


 「天狗がなんて?」


 言ってへんわ、天狗とか!この状況でどうやったら天狗の話になんねん!


 このようにミスを連発し、なのに僕の作業が遅れたら、「バスコ、まだ?なあ、まだ?」と言ってきやがるのです。


 何なん、お前!マジで何なん!もう何なんとしか言いようがないわ!


 「バスコ、急いでくれよ!」


 なめてんのか、お前!で言うとくぞ、もしお前と2人で無人島に流れ着いても、2日目には殺してるからな、お前のこと!たとえ頼りになるものが何ひとつなくても、24時間もあれば「1人のほうがまし!」ってことに気づくからな!


 気がつくと、僕は完全にため口でしゃべっていました。「それと違うわ!」「お前が遅いんやろ!」と、お前呼ばわりしていたのです。


 僕は孤軍奮闘しました。そしてがんばった結果、6回目の挑戦でなんとか成功したのです。


 神林さんにため口を使ったせいで、僕は沢口さんに怒られました。


 ですが、沢口さんも完全に笑ってました。神林さんの要領の悪さに、声を震わせて檄を飛ばしていましたから。


 いずれにせよ、ようやくトレーニング終了です。


 時刻は9時になりました。


 ここからは事前に提出してあるそれぞれの授業表に鑑みて、授業のある人は授業に行きます。授業のない人は、休憩組、裏山の掃除組、ジョギング組に分かれます。


 何かをやらされるとはいえ、ようやくひと息つけます。僕の授業は昼からなものの、午前中も裏山を掃除するだけなのです。


 掃除ついでに、近くで合宿をしている忍者サークルを訪ねました。


 するとこいつらは、僕ら以上に頭のおかしいことをやってますよ。


 五右衛門風呂に入っている奴もいれば、鋭い視線で、木をナイフで削っている奴までいます。僕が近づいたときなんて、木に登っていた忍者が「敵襲!」と叫び、おもちゃの手裏剣をぶつけてきたのです。


 大丈夫か、お前ら!?ほんまに心配になってきてんけど!?


 「敵襲!集まれ、伊賀の衆!いや、甲賀の衆!」


 どっちでもええわ、伊賀でも甲賀でも!ていうか、せっかく受験戦争に勝ったのにこんなことしててどうすんねん!こんなことがしたくて英単語覚えまくったんと違うやろ!


 同学部の新入生がいたので話しかけたところ、当たり前のように、「拙者は」と言いました。完全に入り込んでおり、「2回生忍者が怖いんだよ!」と、妙な愚痴を始めたのです。


 なんやねん、2回生忍者って!何を当たり前のように意味わからんこと言ってくれとんねん!


 「拙者も早く伊賀に入りてえよ!」


 どういうことやねん!で、伊賀に何があんの、一体!?昨日からやたらと伊賀伊賀言ってるけど、どうすごいの伊賀は!?


 しばらくして、裏山の掃除が終わりました。


 沢口さんに連れ立たれてジョギングをし、お昼になりました。全員で昼ご飯を食べ、僕はテントの中で軽く休憩してから、授業に向かいました。


 この日は4、5時限連続だったので、助かりました。一度も出たことがない授業だったのに、連続で出て、ぐーぐー寝てやりましたから。


 5時限目が終わり、僕は裏山に戻りました。


 カレーの匂いがしたのでテンションが上がってきたのですが、全員が整列し、山川さんが点呼を取り始めたときに事件は起こったのです。


 なんと、神林さんがいないのです。先ほどまで裏山の掃除をしていたのに、集合時間の6時をすぎてもこないのです


 神林さん、いや神林は逃げたのです……。歩荷に恐れをなして、合宿を脱走しやがったのです……。


 46キロに太るであろう幽霊を想像して、卒倒しそうになる自分がいました。


 3日目に続く……。



大学のサークル選びは死ぬほど考えるべきではないか?の考察~2日目~(携帯読者用)

※2008年・4月30日の記事を再々編集

 ザザザザザ!ザザザザザザザ!

 降り注ぐ大雨が、容赦なく顔を殴りつけてきます。

 ゴロゴロゴロ!ゴロゴロゴローン!ザザザザザザザ!

 大雨が雷雨に変わりました。カミナリが鳴り響く中、僕はリュックを担げないのです。

 そこで今回は、「大学のサークル選びは死ぬほど考えるべきではないか?」の考察~2日目~です。

 僕は、いつまでたってもリュックを担げません。両太ももの上に乗せ、ベルトに片手を通すところまではできるものの、そこから持ち上げられないのです。

 がたいのいい猛者ばかりの中、僕は174センチ、60キロの細身。気合いごときでは持ち上がらないんですね。

 そんな僕に、上級生たちは野次を飛ばしてきます。

 「早く持ち上げろや!」

 「みんな待ってるから急げや!」

 焦りが焦りを産み、僕の頭の中は真っ白です。かっこ悪い自分に耐えられず、「実は僕、風邪引いてて手に力が入らないんです!」といった大ウソを言おうとまで考える自分もいます。

 そんな僕を見かねて、班のリーダーである桜木さんが、僕を助けようとしてくれました。

 ですが、上級生たちが「桜木、手伝うな!」と、邪魔をしてきます。この合宿は、すべてのことを自分でやらなければならないのです。

 あらゆる点で自分よりも劣っていると思っていた同期の奴でさえ、担げています。

 「なんであんな奴が担げんねん……」

 人間、追い詰められると、人としての器の小ささが露呈します。何の根拠もない、ちっぽけな自尊心が頭をもたげ、それが焦りに拍車をかけるのです。

 極度の焦燥の中でも、無事に担げた仲間の表情が目に入りました。

 彼らは、恐ろしく冷たい目をしています。

 人の不幸を見るのは楽しい、こいつがヘマをしてくれたおかげで、この先、自分がヘマをしても恥ずかしさが緩和される……。

 誰もが血の通わない表情をしています。浪人した友達の予備校を訪ねる大学生のごとく、勝ち組と負け組の縮図を見せられたような気がして、胸がむかむかしました。

 気がつけば、タイムアップ。

 20人中、担げなかったのは、僕を含めて3人だけでした。サポーターの女性に手伝ってもらってなんとか担げたものの、「お前、女の子に助けてもらって情けないの!」と言われて、屈辱でした。

 「じゃあ行くぞ、お前ら!」

 山川さんの号令で、僕らは出発することになりました。

 各班ごとにひとかたまりとなって、裏山を下ります。

 朝の5時なので、周囲は薄暗いです。ヘッドライトで地面を照らし、ぬかるみに気をつけながら進みます。途中で、「伊賀」「甲賀」と看板を分けて寝泊りする忍者のテントが目に入ったものの、空気が空気だけに、無意識のうちに笑いのツボがえぐり取られるのです。

 裏山を下りるだけでも、10分以上かかりました。距離的には50メートルもありません。砂を背負いながらの下りなので、足が進んでいかないのです。

 裏山を出て、校内に入りました。

 僕の班は、最後方を進んでいます。先頭に山川さん、隊の中間地点に沢口さんをはじめとする3、4年生、最後尾にサポーターの女性が陣取り、縦になって進んでいきます。

 早朝なので、ほとんど人はいません。歩くにつれて、僕は次第に冷静さを取り戻していったのですが、冷静になって初めて背中の重さを意識したところ、43キロという砂が、半端ではなく重いことに気がついたのです。「デブの幽霊がとり憑いている」といった感じで、少しでも油断しようものなら、背中から倒れてしまうのです。

 しかも、砂が雨を吸っていきます。デブが大飯をかっくらいながらとり憑いているかのごとく、背中で太っていくのがわかるのです。

 何気に周囲を確認したところ、誰もが悲壮な顔をしています。僕の隣を歩く神林さんなんて、今にも消え入りそうな顔をしているのです。

 大雨のため、神林さんは補聴器をはずしています。周囲の音が聞こえにくいことから、「この合宿は生き地獄だ……」とばかりに、視線がうつろなのです。

 服装は全員、上下ともにジャージです。その上にレインコートを着ているのですが、神林さんはレインコートもろともズボンが脱げかかっています。下のジャージのゴムがゆるゆるで、パンツが丸見えなのです。

 「神林さん、パンツがおもいっきり見えてますよ」

 「えっ?」

 「……パンツが見えてますよ」

 「えっ?」

 「パンツが見えてますよ!」

 「…………ハム?」

 お歳暮渡すか、今!こんな状況で「これからもお願いします!」とか言うか!

 「ハムがどうしたん?」

 ハムじゃないねん、だから!ひと言も言ってないわ、ハムとか!

 「それより話変わるけど、俺の下のジャージ、ゴムがゆるゆるやねん」

 話変わってないわ!さっきからその話一本や、俺!

 「ヒモでジャージを結びたいから、何かいらんヒモない?」

 「ないです」

 「もうヘビ以外やったらなんでもいいから?」

 何言ってんねん、お前!なんでヘビ出してくんねん!意味がわからん!

 結局、サポーターの女性が、テント設営で使う細いロープを渡してくれました。神林さんはそれをジャージに巻きつけたのです。

 15分ほど歩いて、大学の校門を出ました。

 「今から緑地公園に行くから!」

 山川さんが声を張り上げました。

 ここから緑地公園までは30分足らず。僕は最後尾付近を、神林さんと並んで歩き始めました。

 民家を抜けて、川沿いに出ました。

 「お前ら、声出していけ!」

 山川さんが、かけ声を要求してきました。

 このかけ声は、順番に誰かが「そーれ!」と叫び、周囲が「れー!れー!れー!」と続きます。声が小さいと、「もっと声を張れ!」と怒られて、大声を要求されるのです。

 音頭を取る際のスタミナの消費量は、半端ではありません。誰もが体力を温存するために、怒られない程度に声をセーブしているのですが、神林さんだけが、えげつない大声を出しています。「そーう、れいっ!れいっ、れいっ!」と叫び倒しているのです。

 静かにせいや、お前!日の丸背負ってんのか!

 「れいやー!れいやー、れいやー!」

 織田無道か!お前それ完全に織田無道の徐霊やんけ!

 「れい、れれい、れれい!れい、れれい、れれい!」

 織田無道やんけ!霊が手ごわいときの織田無道やんけ!

 大声で奇声を上げる神林さんは、気合いが入っているわけではありません。神林さんは補聴器がなくて、自分の声が聞き取りにくいのです。

 ウォークマンを聴きながらしゃべるときと同じで、自分の声の大きさを客観視できません。この人からしたら普通のつもりで、「もっと声を出せ!」と怒鳴っていたはずの山川さんが、「神林、うるさい!」と逆に怒りました。沢口さんに至っては、「神林、気持ち悪いねん!」と、めちゃくちゃひどいことを言っているのです。

 そうこうするうちに、緑地公園に到着しました。

 山川さんの指示で、10分だけ休憩を取ることが許されました。屋根のある小さな休憩所でリュックを下ろし、僕はその場に倒れ込みました。

 体はすでに疲労困憊。まだ1時間しかたっていないのに、肩は痛いわ、背中は痛いわで、デブの幽霊に散々な目に遭わされたのです。

 側にいるサポーターの女性が、チョコレートを渡してくれました。

 これは癒されます。雨も小雨になってきましたし、テンションが上がったついでに、班の仲間でポカリスエットを回し飲みすることにしたのですが、神林さんがガブ飲みしやがるんですよ!

 何考えてんねん、お前!このあとのことも考えて飲めよ!

 「プハー!うまい!」

 迷惑をかけるのがか!?人に迷惑をかけるんがうまいんか!?

 「神林さん、飲みすぎや!」

 怒った僕は、ため口で注意しました。河井、神林さん、僕の順で飲むのに、神林さんが飲み干すぐらいの勢いでガブ飲みしやがったので、もう先輩も後輩も関係ないんですね。

 結局、僕の段階で、ポリタンクのポカリスエットは半分以上も減っていました。

 災難は続きます。

 休憩が終わり、歩荷が再開されることになったのですが、休憩でリュックを下ろしたため、再び持ち上げなければなりません。下ろしたはいいものの、よく考えたら、また担がなければならないのです。

 案の定、担げません。ベンチの高さを利用してなんとか担いだものの、山川さんに、「物を使って持ち上げていいんは、今回だけやからな!次にそんなことしたら殺すからな!」と怒鳴られてしまったのです。

 最悪や……。次からどうしよう……。

 この精神状態で神林さんを見ると、今までにも増してイライラしてきました。

 「こいつは、なんでこんな顔してんねん!」

 「あー!こいつのレインコートの色が腹立つ!」

 「4浪もしてるくせに俺の前を歩きやがって!」

 このように、神林さんのやることなすことすべてに腹が立ってきたのです。

 僕は最後尾で、神林さんの後ろを歩いています。雨でバレないのをいいことに、背中にツバをかけてやりました。神林さんがぬかるみに足を取られてこけても、サポーターに報告せずに無視し、後頭部にツバを吐きかけてやったのです。

 山川さんを先頭に、公園の中を何度も周回しました。誰もが死にそうになりながらも歩みを進め、途中で、30メートル以上もある急坂を登ることを要求されたのです。

 勘弁してくれよ、おい!無理無理、こんな急坂!

 「声出していけ!まずはバスコや!」

 俺かいや!最悪やんけ、この状況で!

 「そーれ!れー!れー!れー!れー!れー!ハアハア……」

 「れい、れれい、れれい!れい、れれい、れれい!」

 後ろから変なんきたぞ、おい!指名されてもないのに勝手に叫んでるぞ!

 「れれれい、れれれい、れれれれーい!!!」

 それなんやねん、おい!それなんやねん、マジで!?

 「れい、れい、れいれれーい!れい、れい、れいれれーい!」

 がんやわ、もうこいつ!脳に腫瘍ができてるとしか思えん、こんな奴!

 「神林、気持ち悪いねん!お前は静かにしとけ!」

 神林さんが気持ち悪すぎて、沢口さんがキレました。

 30メートルの急坂は、思っていたよりも過酷です。「ちんたらと歩くな、ボケ!」と怒鳴られますし、遅すぎると、スタート地点に戻ってやり直しです。つらすぎて泣いている奴もいますし、同じ班の河井なんて、「ひいひい!」と、本当にひいひいと言っているのです。

 僕は死力を尽くしました。苦しくて嘔吐しそうになりながらも、なんとかこのミッションをクリアし、休憩になったのです。

 ですが、僕はリュックを背負ったままです。下ろすと担げないので背負わざるをえず、休めるものも休めません。ポカリスエットも、神林さんのせいで、たったふた口でなくなってしまったのです。

 腹立つわ、神林……。で、なんでいつも俺の隣に座んねん、こいつ……。

 「なあ、バスコ?」

 「……」

 「聞いてんの、バスコ?」

 「……なんっすか?」

 「えっ?」

 お前も聞いてんの!?そっくりそのままお前のセリフ返すわ、お前も聞いてんの!?

 「なんですか!?」

 「弁当屋の弁当で、どの弁当が1番好き?」

 今答えないとあかん、それ!?見てもらったらわかるとおり俺は死にかけてんねんけど、その質問に緊急性ある!?

 「なあ教えてや、どの弁当が1番好きなん?」

 「……チキン南蛮ですかね」

 「チキン南蛮はええよな!」

 「神林さんは何弁当が好きなんですか?」

 「俺は、たっちゃん弁当!」

 何入ってんねん、それ!たっちゃん弁当とか言われてもわからんやろ、こっちは!

 「たっちゃん、たっちゃん!」

 誰やねんそいつ、ほんで!もうたっちゃんを呼んでこい!たっちゃんを説教するわ、「こんな奴に弁当買われやがって!」って!それぐらいの奴やわ、お前は!

 このように、ちょっと会話するだけで疲れてくるのです。

 「休憩終わり!今から大学に帰るから!」

 山川さんの指示で、大学に戻ることになりました。

 帰りの僕は、フラフラもいいところでした。ゾンビなみにフラフラでしたし、「バスコが三輪車に引かれて死にました!」と言われかねないほど、ボロボロでしたから。

 30分ほど歩いて、大学に到着しました。

 朝の8時を過ぎていることから、ぽつぽつと学生もいます。

 「何なん、こいつら……」

 こう言うかのごとく、僕らに蔑む視線を浴びせてきます。学生の好奇の目が、なんとも言えずつらいのです。

 しばらくして、もといた裏山に到着しました。

 ようやく、歩荷初日が終了です。この段階で雨も止んでおり、デブの幽霊を成仏させた僕は、その場に倒れ込みました。

 ですがホッとしたのも束の間、トレーニングは、まだ続きます。

 ここからは「テント設営」と題して、2人1組になって、2分以内にテントを設営する技術が試されます。地面が雨で濡れていることから、杭を打つのに苦戦するのは目に見えているのです。

 僕はこの日に至るまで、河井と何度も練習してきました。リュックを担ぐのは練習しなかったものの、テント設営だけは練習し、2分以内で設営できていたのです。

 そこで「我々2人でやります!」とアピールするために、僕は河井の近くに移動したのですが、沢口さんの指示で、神林さんと組むことになったのです。

 勘弁してくれよ、おい!こんな奴とやるぐらいやったら俺、かしこそうな犬とやるわ!

 それでも、上官の命令には逆らえません。僕は渋々、神林さんとテント設営を始めたのですが、こいつがまた、めちゃくちゃなのです。

 杭(くい)を反対に打ちつけたかと思えば、シートに足をとられて転倒します。しまいには杭を叩く石が割れたことに焦って、手で杭を叩き始めたのです。

 鉄ですよ、この杭!?すさまじい固さの鉄なんですよ!?

 「痛い!」

 そりゃそうやろ!力道山でも痛がるわ、そんなもん!

 「神林さん、もっとシートを引っ張ってください!」

 「えっ?」

 「もっとシートを引っ張ってください!」

 「なんてなんて?もう一回言って?」

 こっちくんなよ、お前!2分しかないねんぞ!

 「天狗がなんて?」

 言ってへんわ、天狗とか!この状況でどうやったら天狗の話になんねん!

 このようにミスを連発し、なのに僕の作業が遅れたら、「バスコ、まだ?なあ、まだ?」と言ってきやがるのです。

 何なん、お前!マジで何なん!もう何なんとしか言いようがないわ!

 「バスコ、急いでくれよ!」

 なめてんのか、お前!で言うとくぞ、もしお前と2人で無人島に流れ着いても、2日目には殺してるからな、お前のこと!たとえ頼りになるものが何ひとつなくても、24時間もあれば「1人のほうがまし!」ってことに気づくからな!

 気がつくと、僕は完全にため口でしゃべっていました。「それと違うわ!」「お前が遅いんやろ!」と、お前呼ばわりしていたのです。

 僕は孤軍奮闘しました。そしてがんばった結果、6回目の挑戦でなんとか成功したのです。

 神林さんにため口を使ったせいで、僕は沢口さんに怒られました。

 ですが、沢口さんも完全に笑ってました。神林さんの要領の悪さに、声を震わせて檄を飛ばしていましたから。

 いずれにせよ、ようやくトレーニング終了です。

 時刻は9時になりました。

 ここからは事前に提出してあるそれぞれの授業表に鑑みて、授業のある人は授業に行きます。授業のない人は、休憩組、裏山の掃除組、ジョギング組に分かれます。

 何かをやらされるとはいえ、ようやくひと息つけます。僕の授業は昼からなものの、午前中も裏山を掃除するだけなのです。

 掃除ついでに、近くで合宿をしている忍者サークルを訪ねました。

 するとこいつらは、僕ら以上に頭のおかしいことをやってますよ。

 五右衛門風呂に入っている奴もいれば、鋭い視線で、木をナイフで削っている奴までいます。僕が近づいたときなんて、木に登っていた忍者が「敵襲!」と叫び、おもちゃの手裏剣をぶつけてきたのです。

 大丈夫か、お前ら!?ほんまに心配になってきてんけど!?

 「敵襲!集まれ、伊賀の衆!いや、甲賀の衆!」

 どっちでもええわ、伊賀でも甲賀でも!ていうか、せっかく受験戦争に勝ったのにこんなことしててどうすんねん!こんなことがしたくて英単語覚えまくったんと違うやろ!

 同学部の新入生がいたので話しかけたところ、当たり前のように、「拙者は」と言いました。完全に入り込んでおり、「2回生忍者が怖いんだよ!」と、妙な愚痴を始めたのです。

 なんやねん、2回生忍者って!何を当たり前のように意味わからんこと言ってくれとんねん!

 「拙者も早く伊賀に入りてえよ!」

 どういうことやねん!で、伊賀に何があんの、一体!?昨日からやたらと伊賀伊賀言ってるけど、どうすごいの伊賀は!?

 しばらくして、裏山の掃除が終わりました。

 沢口さんに連れ立たれてジョギングをし、お昼になりました。全員で昼ご飯を食べ、僕はテントの中で軽く休憩してから、授業に向かいました。

 この日は4、5時限連続だったので、助かりました。一度も出たことがない授業だったのに、連続で出て、ぐーぐー寝てやりましたから。

 5時限目が終わり、僕は裏山に戻りました。

 カレーの匂いがしたのでテンションが上がってきたのですが、全員が整列し、山川さんが点呼を取り始めたときに事件は起こったのです。

 なんと、神林さんがいないのです。先ほどまで裏山の掃除をしていたのに、集合時間の6時をすぎてもこないのです。

 神林さん、いや神林は逃げたのです……。歩荷に恐れをなして、合宿を脱走しやがったのです……。

 46キロに太るであろう幽霊を想像して、卒倒しそうになる自分がいました。

 3日目に続く……。

大学のサークル選びは死ぬほど考えるべきではないか?の考察~初日~(パソコン読者用)

※2008年・4月29日の記事を再々編集


 先日、僕は仕事の後輩2人と、母校の大学を訪ねました。


 3人とも、この大学出身です。「仕事を忘れて郷愁に浸ろう!」というコンセプトのもと、校舎の至るところを歩きました。


 ですが、自分の大学生活を語るとき、3人して表情は暗いです。


 「もっと大学生活をエンジョイするべきだった……」


 「一度でいいから彼女と一緒に図書館で勉強したかった……」


 このようなネガティブ発言ばかりで、いい思い出を一切語らないのです。


 僕らは3人とも、大学生活を満喫していません。中途半端なキャンパスライフで、「大学で何をしていたの?」と訊かれたら、答えられないところがあるのです。


 そこで家に帰った僕は、「なぜ自分の大学生活は充実していなかったのか」「なぜ大学の女の子との思い出が少ないのか」と、その理由を探りました。すると、どう考えても1つのことが主たる原因になっていることがわかったのです。


 それは、「サークル選びに失敗したこと」です。


 僕は大学に入学するやいなや、どのサークルに所属するかを決めるべく、たくさんの部室を訪ねました。


 僕は、中学、高校ともに男子校です。


 「女の子に囲まれた大学生活を送りたい!」


 僕の頭にはこれしかありません。テニスサークル、旅行サークル、古寺探訪研究会など、女の子の匂いのするサークルを中心に訪ね歩いたのですが、気がつくと、「探検部」という無骨集団に所属していたのです。


 なぜ探検部に入ったのかは、今でもよくわかりません。「なんとなく楽しそうだったから」としか言いようがなく、入部に至った明確な理由がないのです。


 それでも、イヤなら辞めればいいだけの話です。折を見て、すぐにでも探検部をフェードアウトしようと考えていたのですが、5月の中旬に、校内で「体力強化合宿」と題して、とんでもない合宿が行われました。そしてこの合宿で仲間と強烈な友情が芽生えた結果、部をだらだらと続けてしまったのです。


 気がつくと、1年が経過していました。女の子に囲まれたキャンパスライフなど夢のまた夢、僕のまわりには汗臭い男たちしかいなかったのです。


 もちろん、2年生になってから、ほかのサークルに入ることもできました。


 ですが、いかんせん、途中入部です。周囲と打ち解けられないんですね。


 事実、いくつか入ろうとはしたものの、「こいつ、あとから入部してきたくせによ……」と、周囲の態度が冷たいのがわかります。その空気に溶け込めず、結局、どのサークルにも入れなかったのです。


 したがって、僕の大学生活が充実しなかった最大の原因は探検部に、なかでも諸悪の根源は、この体力強化合宿にこそあるのです。この合宿で変に感化されなければ、人なみのキャンパスライフを送れたでしょうから。


 大学生活は、出だしが肝心です。なかでもサークル選びをきちんとしておかないことには、僕のような中途半端なキャンパスライフになってしまうでしょう。


 今回は、阿鼻叫喚の体力強化合宿の模様をご紹介して、サークル選びの大切さを啓発したいと思います。


 そこで今回は、「大学のサークル選びは死ぬほど考えるべきではないか?」の考察~初日~です。


 大学に入学した僕は、探検部に所属することになりました。


 入部してすぐに、校舎の裏で花見をしました。ゴールデンウィークには岡山県の洞窟に行ったりと、短期間で部になじんでいきました。


 5月も半ばにさしかかったころ、「体力強化合宿」と題して、校内で部全体の合宿が行われることになりました。


 この合宿は、1、2年生が4人ずつ5班に分かれ、3、4年生がしごきます。中心となるのは、CL(チーフリーダー)の山川さんとSL(サポートリーダー)の沢口さん。この2人を中心とする計5名の上級生が鬼教官となって、下級生をしごき倒すのです。


 日程は4泊5日。体力強化合宿というだけあって、全日程、トレーニングです。


 その中心は「歩荷(ぼっか)」と呼ばれる、リュックで砂を担ぐものです。1年生は40キロ、2年生は50キロで、毎朝5時~8時まで、大学周囲を歩かされるのです。


 合宿の直前にその詳細を聞かされても、僕は楽観的でした。


 大学の裏山にテントを張って寝泊りすることから、「トランプでもしようや!」「怖い話でもしようや!」とばかりに、完全な旅行気分。トレーニングの内容を聞かされても、「むしろ楽しそうや!」と余裕をかましていたのです。


 とはいえ、悠長にかまえる僕にも、1つだけ不安がありました。


 それは、班のメンバーです。


 僕の班は、2年生の桜木さん(リーダー)と神林さん、同期の河井と僕を含めた4人です。ただ、2年生の神林さんというのが、「ぎりぎり健常者」といっても差し支えない、頭のおかしい人なのです。


 サトウキビみたいな顔をした人で、まず、僕の大学はたいした大学でもないのに、この人は4浪しています。天然度も半端ではなく、洞窟合宿のときなんて、洞内植物を採種するために用意したタッパに、この人は自分のウンコを入れたのです。


 何考えてんねん、お前!ヘッドライトで照らしながら見てもうたやんけ、俺!


 「しゃあないやん!」


 何がしゃあないねん!とんでもない大学生活のスタート切ったわ、俺!


 神林さんは、耳が遠くて補聴器をつけています。洞窟合宿でも、補聴器をつけているのを忘れて洞内の湖で泳ぎ、「バスコ、補聴器が壊れてんけど、どうしたらいい?」と半泣きで相談してきたのです。


 俺がどうしたらいいねん、こんなこと訊かれて!ていうか補聴器取れよ、水に浸かるんやから!


 耳が遠いことから、話しかけたら、何回も「えっ?」と返されます。相手をするのが、とにかく大変なのです。


 しかも、2年生になってから入部してきた、僕と同じ新人です。まったく頼りにならず、いやむしろ、僕が面倒を見なければならないほどなのです。


 もちろん、同じ班とはいえ、無視すればいいだけの話です。ですが、話はそう簡単ではありません。


 班の誰かがミスをすると、連帯責任で、担ぐ砂の量を増やされるからです。1年生は3キロ、2年生は5キロ増やされるので、こんな奴と一緒の班だと、何キロ背負わされるかわかったもんじゃないんですね。


 それでも、合宿は楽しいはずです。サポーターと呼ばれる、3年生の女性が助けてくれることからも、僕は楽観的にその日を待ちました。


 迎えた、合宿当日。


 夕方に授業を終えた僕は、同期の仲間を連れ立って、集合場所である、部室の前の広場に向かいました。僕らは授業があったため遅れて集合したのですが、各班に別れて、誰もが引き締まった表情でビシッと整列しているのです。


 「さっさと並べ!ちんたらせんと走らんかいや!」


 到着するやいなや、CLの山川さんが僕らを怒鳴りつけました。


 僕は現場の空気も読まず、ガムを噛んでいます。


 「お前、何をガム噛んどんねん!なめてたら殺すぞ!」


 山川さんは声を荒げ、すさまじい形相で僕をニラみつけてきたのです。


 「すいません!失礼しました!」


 僕は謝罪してガムを飲み込み、気がつくと、自分の班の列に並んでいました。


 このように、のっけから3、4年生が怖いのです。ほとんど口を聞いたことがないのもあって、怖くて仕方がありません。


 なかでもSLの沢口さんの形相だけは、尋常ではありません。


 この顔で冬山を歩いたら、すべての動物が冬眠から目を覚まして正座してきてもおかしくないです。気が弱い奴なら、ニラまれただけで家の権利書を渡しそうなほど、顔面が凶器化しています。ビシッとせざるをえず、先ほどまでの旅行気分が、勘違いだったことに気づかされたのです。


 やばい、何これ……。マジで何これ……。


 あまりに面食らって、体が震えてきました。発作的に、大学を辞めたいと思うほど、びびり倒したのです。


 山川さんが点呼を取りました。そして合宿の注意事項を述べたあと、こう命令してきたのです。


 「この合宿における意気込みを訊いていくから、順番に叫べ!」


 なんやねん、意気込みって……。そんなもん、あるわけないやろ……。なあ、みんな?


 「私は、この強化合宿で自分の弱さを潰したいと思います!」


 えっ?えっ?


 「私は子供心に抱いた冒険心を実現するべく、この強化合宿で探検の心得、ならびに技術を学びたいと思います!」


 なんやねん、こいつら!なんかの宗教みたいやんけ!


 誰もが次々に熱いセリフを口にします。軟派な同期の友達までもが、「私はこの合宿でひと皮向けたいと思います!」と叫んだのです。


 ちょっと待って、ここってこんなに熱いの……。楽しく合宿するだけの集まりと違うの……。


 探検部に入部したことを、思わず後悔しました。


 ですが、叫ばないわけにはいきません。僕は頭の中でセリフを考え始めたのですが、端の列の最後尾にいた僕の目に、忍者の格好をした集団が飛び込んできたのです。


 この集団は、『忍者サークル・SHINOBI』。


 忍者の格好をした、おかしな集団です。探検部と同時期に校内で合宿を開いており、僕らの真横で訓練していたのです。


 これは困りましたよ。こいつらのありえない会話が、絶対に笑ってはいけないこの状況で、僕の笑いのツボを刺激してきたのです。


 「先輩、僕はいつになったら伊賀に入れるんですかね?」


 「お前はまだ早い!お前はまだまだ甲賀だ!」


 どっちでもええわ、伊賀でも甲賀でも!そもそもどう違うの伊賀と甲賀!?


 「くー!まだ甲賀かよ、拙者は!」


 拙者とか言うの!?正直たまらんねんけど、そんなこと言う奴!?


 僕は、「こいつら、こんな天気のいい日に何をやってんねん……」と考えて、笑いそうになります。見てはいけないと思いつつもちらっと横目で見たところ、おもちゃの刀でチャンバラをやっているのです。


 チャンバラすんなよ、キャンパスで!で、互角に渡り合うな!その互角の感じがたまらんわ!


 「やるの、お主?」


 平成やんな?念のために訊くけど、今、たしか平成やんな!?


 「お主こそやるの?」


 「ありがたき幸せ!」


 大丈夫!?もう大丈夫って訊くわ、俺!


 「(神林が)私の意気込み!私の意気込みは夢を叶えることです!」


 それなんやねん、おい!日本語の意味がわからん!


 「私の意気込みである自分の夢は、それはもう大きな意気込みです!」


 何言ってんねんお前、さっきから!そんな国語力やったらそりゃ4浪もするわな!


 「いつかボートで大きな湖を一周したいと思っています!」


 公園行けや!でかい公園行ってちょっと金払ったら今すぐにでも叶うわ、お前のその夢!


 このように、忍者と神林さんがおもしろすぎるのです。


 それでも、笑うわけにはいきません。僕は「中尾ミエの裸、中尾ミエの裸……」と考えて気を逸らし、「私は自分の弱さと向き合うために探検部に入部しました!」と叫ぶことに成功しました。


 ところがです。


 全員が叫び終わって山川さんが合宿への意気込みを語り始めるやいなや、山川さんの後ろを大量の忍者が忍び足で通過し始めたんですよ!


 勘弁してくれよ、おい!お前ら、水団の術とかええから空気読む術を学んでくれよ!


 「忍び足やぞ、みんな!」


 「ラジャー!」


 英語やんけラジャーって!忍者が英語使うなよ!


 「ラジャー!」


 「ラジャー!」


 「イエッサー!」


 外人かぶればっかりやんけ!忍者が1番やったらあかんことと違うんか!


 「もっと忍べよ、お前ら!」


 どういうことやねん、それ!もっと忍べってなんやねん!


 忍び足をしながら、妙な会話の連続です。その結果、僕と僕の隣にいた同期の奴が噴き出してしまったのです。


 そんな軟派な僕らを、上級生は見逃しません。沢口さんが、僕のほうにゆっくりと近づいてきました。


 「なめてんのか、お前!」


 声を荒げ、僕の胸倉をつかんできたのです。


 ですが、沢口さんも、ちょっと笑っています。忍者の会話が耳に入ったからでしょう。僕とは言わないまでも、微かに目尻が下がっているのです。


 そこで思わず、「沢口さんもちょっと笑ってるじゃないですか!」と口にしたところ、おもいっきりビンタされました。沢口さんは100キロ近くもある大男。神妙にせざるをえないほどのすさまじいビンタが飛んできたのです。


 僕は悟りました。


 「ここは軍隊だ!」と。


 それを証拠に、沢口さんは「おい、山川!今笑った奴のいる班、砂を増やしてくれ!」と山川さんにお願いし、僕の班のリーダーである桜木さんにもビンタをしたのです。


 この瞬間、僕からジョークという概念は消え去りました。合宿中、仲間を笑わせようといろいろと考えていたのですが、そんな軟派なことなどできるわけがありません。


 このあと、合宿の拠点となる裏山に移動しました。裏山にテントを張っている忍者とすれ違い、口に手裏剣をくわえて流し目をしているその表情を見ても、僕は笑わなかったのです。


 いずれにせよ、体力強化合宿のスタートです。


 時刻は夕方の5時。各班に別れて、裏山にテントを張ることになりました。


 竹や笹に囲まれた10メートル四方の更地に、5つの班がそれぞれテントを張ります。3、4年生は、僕らがテントの中で悪さをしていないかをチェックできるよう、中央部に自分たちのテントを張りました。


 テントの設営を終えて、明朝から行われる歩荷のために、リュックに砂を入れに行きました。


 今日の食事係である僕らの班は裏山に残り、晩ご飯の支度を始めました。


 僕らの班の4人は、誰ひとりとしてムダ口を叩きません。キリスト教の信者である神林さんの妙な独り言がおもしろいものの、誰も笑いません。空気が殺伐としているのです。


 そして、「まずいやんけ、この肉じゃが!」と、上級生に怒鳴られながらもなんとか食事を終え、シャワーを浴びに体育館に移動しました。


 体育館に、3、4年生はいません。同期のメンバーを中心に、自然と口が緩みました。


 「めちゃくちゃやな、あいつら!」


 「沢口、マジで殺したいわ!」


 誰もが3、4年生の悪口を口走ったのですが、神林さんだけは違います。


 「そんなこと言うなよ、みんな!これも人生の試練やねんから!」


 変に熱いところがあり、いちいち腹が立つんですね。


 シャワーを浴び終えた僕らは、部室に移動しました。ここからはシンポジウムで、探検部における技術を学びます。


 部室はピリピリとしています。要領の悪い奴が怒られるのはもちろん、神林さんがトイレに行かしてくれとお願いしたところ、「だからお前は5浪もすんねん!」と、べらぼうな暴言が飛んできました。なのに神林さんがまた、「4浪です!」と、いらんこと言いやがるんですよ。


 空気読めよ、お前!そんなことどうでもええやろ、今!


 「どっちでもええわ、4浪でも5浪でも!」


 沢口さんがキレて、空気が張り詰めたのです。


 時刻は夜の9時になりました。シンポジウムを終えて、消灯時間になりました。


 僕らはもといた裏山に戻り、テントに入りました。


 班の4人が川の字になって寝転びます。ただ、靴を脱いだ神林さんの足が、めちゃくちゃ臭いのです。「お前、足だけゾンビか?」というぐらい、常軌を逸した臭さなのです。


 「自分の鼻が腐っているのかな……」


 こう疑うほどの悪臭で、洞窟合宿のときも僕はテントの外で寝ましたし、一緒にいた新入生の女の子に至っては、臭すぎて泣き出したのです。


 ええ加減にせいよ、お前!何がどうなったらそんなに臭くなんねん!


 「あれっ、なんか臭くない?」


 お前や!臭いんはお前の足や!


 「臭いんは神林さんの足ですよ」


 「えっ?」


 「臭いんは神林さんの足ですよ!」


 「えっ?」


 「いやだから、臭いんは神林さんの足なんですよ!!!」


 「…………カヌー?」


 どんな耳してんねん、お前!その情報からどうやったらカヌーにつながんねん!


 いずれにせよ、臭すぎて眠れそうもありません。同じ班の河井がテントの外に顔を出しているのを見て、僕もマネをすることにしました。


 ですが運悪く、途中から雨が降ってきたのです。


 匂いがつらいとはいえ、僕はテントに顔を戻しました。鼻の上にタオルを載せて、無理にでも眠ることにしたのです。


 ザザザザザ!ザザザザザ!


 しばらくして、大雨になるのがわかりました。僕は時折、「明日は大雨の中、43キロもの砂を担ぐのか……」と不安になりながらも、朝を待ちました。


 迎えた、翌朝。

 

 「起きろ!起きんかい!」


 尖った雨がテントに打ちつける中、外から山川さんの怒声が聞こえてきました。


 時刻は4時。テントを出ると、今日の食事当番である班が、朝ご飯を用意してくれていました。大雨のため、テントの中で食べることになったのですが、ゾンビの足があるため、腐った味しかしません。


 ほとんど寝つけなかったことから、体もだるいです。テントの中とはいえ周囲は雑木林。体中を蚊に刺されており、体調は最悪なのです。


 「なんとかなるわ!命まで取られるわけではないんや!」


 僕は自分にこう言い聞かして、食事をかきこみました。レインコートを羽織り、外に出たのです。


 3、4年生を前に、各班ごとに別れて、横に整列します。


 歩荷は今日が初日のため、山川さんが注意事項を口にしてきます。


 「砂の重みで腕が麻痺するかもしらんから、リュックのベルトにタオルを通せ!」


 「休憩中以外はトイレに行くなよ!黙って行ってるのを見つけたら殺すからな!」


 「ポリタンクに入った2リットルのポカリスエットを班で回し飲みしろ!3時間という時間を計算して飲めよ!」


 聞いてるだけで恐ろしく、体が震えてくるのです。


 ザザザザザ!ザザザザザザザ!


 雨が一段と強くなってきました。雑木林が歪むほどの風も吹き始めました。僕は、「大学にきて俺は何をやってるんやろ……」という迷いを生じながらも逃げ出すわけにはいかず、ほどなくして山川さんが叫んだのです。


 「よっしゃ!リュックを担げ!」


 山川さんの号令と同時に、20人の男たちが、両太ももに砂の入ったリュックを固定しました。そしてベルトに手を通し、ゆっくりと担ぎ始めたのです。 


 ところが、僕は担げません。両腕の力が弱く、「事前にトレーニングをしておけ!」と言われても悠長に構えた結果、担げないのです。


 周囲は苦戦しながらも、担ぐのに成功しています。神林さんでさえ担ぎ、ベルトのあいだにタオルを挟みながら、僕を見ているのです。


 雨は、今までにも増して強くなってきました。


 大雨は焦燥という名の冷酷な現実を載せて、油断していた僕の体に打ちつけてきたのです。


 2日目に続く……。


大学のサークル選びは死ぬほど考えるべきではないか?の考察~初日~(携帯読者用)

※2008年・4月29日の記事を再々編集

 先日、僕は仕事の後輩2人と、母校の大学を訪ねました。

 3人とも、この大学出身です。「仕事を忘れて郷愁に浸ろう!」というコンセプトのもと、校舎の至るところを歩きました。

 ですが、自分の大学生活を語るとき、3人して表情は暗いです。

 「もっと大学生活をエンジョイするべきだった……」

 「一度でいいから彼女と一緒に図書館で勉強したかった……」

 このようなネガティブ発言ばかりで、いい思い出を一切語らないのです。

 僕らは3人とも、大学生活を満喫していません。中途半端なキャンパスライフで、「大学で何をしていたの?」と訊かれたら、答えられないところがあるのです。

 そこで家に帰った僕は、「なぜ自分の大学生活は充実していなかったのか」「なぜ大学の女の子との思い出が少ないのか」と、その理由を探りました。すると、どう考えても1つのことが主たる原因になっていることがわかったのです。

 それは、「サークル選びに失敗したこと」です。

 僕は大学に入学するやいなや、どのサークルに所属するかを決めるべく、たくさんの部室を訪ねました。

 僕は、中学、高校ともに男子校です。

 「女の子に囲まれた大学生活を送りたい!」

 僕の頭にはこれしかありません。テニスサークル、旅行サークル、古寺探訪研究会など、女の子の匂いのするサークルを中心に訪ね歩いたのですが、気がつくと、「探検部」という無骨集団に所属していたのです。

 なぜ探検部に入ったのかは、今でもよくわかりません。「なんとなく楽しそうだったから」としか言いようがなく、入部に至った明確な理由がないのです。

 それでも、イヤなら辞めればいいだけの話です。折を見て、すぐにでも探検部をフェードアウトしようと考えていたのですが、5月の中旬に、校内で「体力強化合宿」と題して、とんでもない合宿が行われました。そしてこの合宿で仲間と強烈な友情が芽生えた結果、部をだらだらと続けてしまったのです。

 気がつくと、1年が経過していました。女の子に囲まれたキャンパスライフなど夢のまた夢、僕のまわりには汗臭い男たちしかいなかったのです。

 もちろん、2年生になってから、ほかのサークルに入ることもできました。

 ですが、いかんせん、途中入部です。周囲と打ち解けられないんですね。

 事実、いくつか入ろうとはしたものの、「こいつ、あとから入部してきたくせによ……」と、周囲の態度が冷たいのがわかります。その空気に溶け込めず、結局、どのサークルにも入れなかったのです。

 したがって、僕の大学生活が充実しなかった最大の原因は探検部に、なかでも諸悪の根源は、この体力強化合宿にこそあるのです。この合宿で変に感化されなければ、人なみのキャンパスライフを送れたでしょうから。

 大学生活は、出だしが肝心です。なかでもサークル選びをきちんとしておかないことには、僕のような中途半端なキャンパスライフになってしまうでしょう。

 今回は、阿鼻叫喚の体力強化合宿の模様をご紹介して、サークル選びの大切さを啓発したいと思います。

 そこで今回は、「大学のサークル選びは死ぬほど考えるべきではないか?」の考察~初日~です。

 大学に入学した僕は、探検部に所属することになりました。

 入部してすぐに、校舎の裏で花見をしました。ゴールデンウィークには岡山県の洞窟に行ったりと、短期間で部になじんでいきました。

 5月も半ばにさしかかったころ、「体力強化合宿」と題して、校内で部全体の合宿が行われることになりました。

 この合宿は、1、2年生が4人ずつ5班に分かれ、3、4年生がしごきます。中心となるのは、CL(チーフリーダー)の山川さんとSL(サポートリーダー)の沢口さん。この2人を中心とする計5名の上級生が鬼教官となって、下級生をしごき倒すのです。

 日程は4泊5日。体力強化合宿というだけあって、全日程、トレーニングです。

 その中心は「歩荷(ぼっか)」と呼ばれる、リュックで砂を担ぐものです。1年生は40キロ、2年生は50キロで、毎朝5時~8時まで、大学周囲を歩かされるのです。

 合宿の直前にその詳細を聞かされても、僕は楽観的でした。

 大学の裏山にテントを張って寝泊りすることから、「トランプでもしようや!」「怖い話でもしようや!」とばかりに、完全な旅行気分。トレーニングの内容を聞かされても、「むしろ楽しそうや!」と余裕をかましていたのです。

 とはいえ、悠長にかまえる僕にも、1つだけ不安がありました。

 それは、班のメンバーです。

 僕の班は、2年生の桜木さん(リーダー)と神林さん、同期の河井と僕を含めた4人です。ただ、2年生の神林さんというのが、「ぎりぎり健常者」といっても差し支えない、頭のおかしい人なのです。

 サトウキビみたいな顔をした人で、まず、僕の大学はたいした大学でもないのに、この人は4浪しています。天然度も半端ではなく、洞窟合宿のときなんて、洞内植物を採種するために用意したタッパに、この人は自分のウンコを入れたのです。

 何考えてんねん、お前!ヘッドライトで照らしながら見てもうたやんけ、俺!

 「しゃあないやん!」

 何がしゃあないねん!とんでもない大学生活のスタート切ったわ、俺!

 神林さんは、耳が遠くて補聴器をつけています。洞窟合宿でも、補聴器をつけているのを忘れて洞内の湖で泳ぎ、「バスコ、補聴器が壊れてんけど、どうしたらいい?」と半泣きで相談してきたのです。

 俺がどうしたらいいねん、こんなこと訊かれて!ていうか補聴器取れよ、水に浸かるんやから!

 耳が遠いことから、話しかけたら、何回も「えっ?」と返されます。相手をするのが、とにかく大変なのです。

 しかも、2年生になってから入部してきた、僕と同じ新人です。まったく頼りにならず、いやむしろ、僕が面倒を見なければならないほどなのです。

 もちろん、同じ班とはいえ、無視すればいいだけの話です。ですが、話はそう簡単ではありません。

 班の誰かがミスをすると、連帯責任で、担ぐ砂の量を増やされるからです。1年生は3キロ、2年生は5キロ増やされるので、こんな奴と一緒の班だと、何キロ背負わされるかわかったもんじゃないんですね。

 それでも、合宿は楽しいはずです。サポーターと呼ばれる、3年生の女性が助けてくれることからも、僕は楽観的にその日を待ちました。

 迎えた、合宿当日。

 夕方に授業を終えた僕は、同期の仲間を連れ立って、集合場所である、部室の前の広場に向かいました。僕らは授業があったため遅れて集合したのですが、各班に別れて、誰もが引き締まった表情でビシッと整列しているのです。

 「さっさと並べ!ちんたらせんと走らんかいや!」

 到着するやいなや、CLの山川さんが僕らを怒鳴りつけました。

 僕は現場の空気も読まず、ガムを噛んでいます。

 「お前、何をガム噛んどんねん!なめてたら殺すぞ!」

 山川さんは声を荒げ、すさまじい形相で僕をニラみつけてきたのです。

 「すいません!失礼しました!」

 僕は謝罪してガムを飲み込み、気がつくと、自分の班の列に並んでいました。

 このように、のっけから3、4年生が怖いのです。ほとんど口を聞いたことがないのもあって、怖くて仕方がありません。

 なかでもSLの沢口さんの形相だけは、尋常ではありません。

 この顔で冬山を歩いたら、すべての動物が冬眠から目を覚まして正座してきてもおかしくないです。気が弱い奴なら、ニラまれただけで家の権利書を渡しそうなほど、顔面が凶器化しています。ビシッとせざるをえず、先ほどまでの旅行気分が、勘違いだったことに気づかされたのです。

 やばい、何これ……。マジで何これ……。

 あまりに面食らって、体が震えてきました。発作的に、大学を辞めたいと思うほど、びびり倒したのです。

 山川さんが点呼を取りました。そして合宿の注意事項を述べたあと、こう命令してきたのです。

 「この合宿における意気込みを訊いていくから、順番に叫べ!」

 なんやねん、意気込みって……。そんなもん、あるわけないやろ……。なあ、みんな?

 「私は、この強化合宿で自分の弱さを潰したいと思います!」

 えっ?えっ?

 「私は子供心に抱いた冒険心を実現するべく、この強化合宿で探検の心得、ならびに技術を学びたいと思います!」

 なんやねん、こいつら!なんかの宗教みたいやんけ!

 誰もが次々に熱いセリフを口にします。軟派な同期の友達までもが、「私はこの合宿でひと皮向けたいと思います!」と叫んだのです。

 ちょっと待って、ここってこんなに熱いの……。楽しく合宿するだけの集まりと違うの……。

 探検部に入部したことを、思わず後悔しました。

 ですが、叫ばないわけにはいきません。僕は頭の中でセリフを考え始めたのですが、端の列の最後尾にいた僕の目に、忍者の格好をした集団が飛び込んできたのです。

 この集団は、『忍者サークル・SHINOBI』。

 忍者の格好をした、おかしな集団です。探検部と同時期に校内で合宿を開いており、僕らの真横で訓練していたのです。

 これは困りましたよ。こいつらのありえない会話が、絶対に笑ってはいけないこの状況で、僕の笑いのツボを刺激してきたのです。

 「先輩、僕はいつになったら伊賀に入れるんですかね?」

 「お前はまだ早い!お前はまだまだ甲賀だ!」

 どっちでもええわ、伊賀でも甲賀でも!そもそもどう違うの伊賀と甲賀!?

 「くー!まだ甲賀かよ、拙者は!」

 拙者とか言うの!?正直たまらんねんけど、そんなこと言う奴!?

 僕は、「こいつら、こんな天気のいい日に何をやってんねん……」と考えて、笑いそうになります。見てはいけないと思いつつもちらっと横目で見たところ、おもちゃの刀でチャンバラをやっているのです。

 チャンバラすんなよ、キャンパスで!で、互角に渡り合うな!その互角の感じがたまらんわ!

 「やるの、お主?」

 平成やんな?念のために訊くけど、今、たしか平成やんな!?

 「お主こそやるの?」

 「ありがたき幸せ!」

 大丈夫!?もう大丈夫って訊くわ、俺!

 「(神林が)私の意気込み!私の意気込みは夢を叶えることです!」

 それなんやねん、おい!日本語の意味がわからん!

 「私の意気込みである自分の夢は、それはもう大きな意気込みです!」

 何言ってんねんお前、さっきから!そんな国語力やったらそりゃ4浪もするわな!

 「いつかボートで大きな湖を一周したいと思っています!」

 公園行けや!でかい公園行ってちょっと金払ったら今すぐにでも叶うわ、お前のその夢!

 このように、忍者と神林さんがおもしろすぎるのです。

 それでも、笑うわけにはいきません。僕は「中尾ミエの裸、中尾ミエの裸……」と考えて気を逸らし、「私は自分の弱さと向き合うために探検部に入部しました!」と叫ぶことに成功しました。

 ところがです。

 全員が叫び終わって山川さんが合宿への意気込みを語り始めるやいなや、山川さんの後ろを大量の忍者が忍び足で通過し始めたんですよ!

 勘弁してくれよ、おい!お前ら、水団の術とかええから空気読む術を学んでくれよ!

 「忍び足やぞ、みんな!」

 「ラジャー!」

 英語やんけラジャーって!忍者が英語使うなよ!

 「ラジャー!」

 「ラジャー!」

 「イエッサー!」

 外人かぶればっかりやんけ!忍者が1番やったらあかんことと違うんか!

 「もっと忍べよ、お前ら!」

 どういうことやねん、それ!もっと忍べってなんやねん!

 忍び足をしながら、妙な会話の連続です。その結果、僕と僕の隣にいた同期の奴が噴き出してしまったのです。

 そんな軟派な僕らを、上級生は見逃しません。沢口さんが、僕のほうにゆっくりと近づいてきました。

 「なめてんのか、お前!」

 声を荒げ、僕の胸倉をつかんできたのです。

 ですが、沢口さんも、ちょっと笑っています。忍者の会話が耳に入ったからでしょう。僕とは言わないまでも、微かに目尻が下がっているのです。

 そこで思わず、「沢口さんもちょっと笑ってるじゃないですか!」と口にしたところ、おもいっきりビンタされました。沢口さんは100キロ近くもある大男。神妙にせざるをえないほどのすさまじいビンタが飛んできたのです。

 僕は悟りました。

 「ここは軍隊だ!」と。

 それを証拠に、沢口さんは「おい、山川!今笑った奴のいる班、砂を増やしてくれ!」と山川さんにお願いし、僕の班のリーダーである桜木さんにもビンタをしたのです。

 この瞬間、僕からジョークという概念は消え去りました。合宿中、仲間を笑わせようといろいろと考えていたのですが、そんな軟派なことなどできるわけがありません。

 このあと、合宿の拠点となる裏山に移動しました。裏山にテントを張っている忍者とすれ違い、口に手裏剣をくわえて流し目をしているその表情を見ても、僕は笑わなかったのです。

 いずれにせよ、体力強化合宿のスタートです。

 時刻は夕方の5時。各班に別れて、裏山にテントを張ることになりました。

 竹や笹に囲まれた10メートル四方の更地に、5つの班がそれぞれテントを張ります。3、4年生は、僕らがテントの中で悪さをしていないかをチェックできるよう、中央部に自分たちのテントを張りました。

 テントの設営を終えて、明朝から行われる歩荷のために、リュックに砂を入れに行きました。

 今日の食事係である僕らの班は裏山に残り、晩ご飯の支度を始めました。

 僕らの班の4人は、誰ひとりとしてムダ口を叩きません。キリスト教の信者である神林さんの妙な独り言がおもしろいものの、誰も笑いません。空気が殺伐としているのです。

 そして、「まずいやんけ、この肉じゃが!」と、上級生に怒鳴られながらもなんとか食事を終え、シャワーを浴びに体育館に移動しました。

 体育館に、3、4年生はいません。同期のメンバーを中心に、自然と口が緩みました。

 「めちゃくちゃやな、あいつら!」

 「沢口、マジで殺したいわ!」

 誰もが3、4年生の悪口を口走ったのですが、神林さんだけは違います。

 「そんなこと言うなよ、みんな!これも人生の試練やねんから!」

 変に熱いところがあり、いちいち腹が立つんですね。

 シャワーを浴び終えた僕らは、部室に移動しました。ここからはシンポジウムで、探検部における技術を学びます。

 部室はピリピリとしています。要領の悪い奴が怒られるのはもちろん、神林さんがトイレに行かしてくれとお願いしたところ、「だからお前は5浪もすんねん!」と、べらぼうな暴言が飛んできました。なのに神林さんがまた、「4浪です!」と、いらんこと言いやがるんですよ。

 空気読めよ、お前!そんなことどうでもええやろ、今!

 「どっちでもええわ、4浪でも5浪でも!」

 沢口さんがキレて、空気が張り詰めたのです。

 時刻は夜の9時になりました。シンポジウムを終えて、消灯時間になりました。

 僕らはもといた裏山に戻り、テントに入りました。

 班の4人が川の字になって寝転びます。ただ、靴を脱いだ神林さんの足が、めちゃくちゃ臭いのです。「お前、足だけゾンビか?」というぐらい、常軌を逸した臭さなのです。

 「自分の鼻が腐っているのかな……」

 こう疑うほどの悪臭で、洞窟合宿のときも僕はテントの外で寝ましたし、一緒にいた新入生の女の子に至っては、臭すぎて泣き出したのです。

 ええ加減にせいよ、お前!何がどうなったらそんなに臭くなんねん!

 「あれっ、なんか臭くない?」

 お前や!臭いんはお前の足や!

 「臭いんは神林さんの足ですよ」

 「えっ?」

 「臭いんは神林さんの足ですよ!」

 「えっ?」

 「いやだから、臭いんは神林さんの足なんですよ!!!」

 「…………カヌー?」

 どんな耳してんねん、お前!その情報からどうやったらカヌーにつながんねん!

 いずれにせよ、臭すぎて眠れそうもありません。同じ班の河井がテントの外に顔を出しているのを見て、僕もマネをすることにしました。

 ですが運悪く、途中から雨が降ってきたのです。

 匂いがつらいとはいえ、僕はテントに顔を戻しました。鼻の上にタオルを載せて、無理にでも眠ることにしたのです。

 ザザザザザ!ザザザザザ!

 しばらくして、大雨になるのがわかりました。僕は時折、「明日は大雨の中、43キロもの砂を担ぐのか……」と不安になりながらも、朝を待ちました。

 迎えた、翌朝。

 「起きろ!起きんかい!」

 尖った雨がテントに打ちつける中、外から山川さんの怒声が聞こえてきました。

 時刻は4時。テントを出ると、今日の食事当番である班が、朝ご飯を用意してくれていました。大雨のため、テントの中で食べることになったのですが、ゾンビの足があるため、腐った味しかしません。

 ほとんど寝つけなかったことから、体もだるいです。テントの中とはいえ周囲は雑木林。体中を蚊に刺されており、体調は最悪なのです。

 「なんとかなるわ!命まで取られるわけではないんや!」

 僕は自分にこう言い聞かして、食事をかきこみました。レインコートを羽織り、外に出たのです。

 3、4年生を前に、各班ごとに別れて、横に整列します。

 歩荷は今日が初日のため、山川さんが注意事項を口にしてきます。

 「砂の重みで腕が麻痺するかもしらんから、リュックのベルトにタオルを通せ!」

 「休憩中以外はトイレに行くなよ!黙って行ってるのを見つけたら殺すからな!」

 「ポリタンクに入った2リットルのポカリスエットを班で回し飲みしろ!3時間という時間を計算して飲めよ!」

 聞いてるだけで恐ろしく、体が震えてくるのです。

 ザザザザザ!ザザザザザザザ!

 雨が一段と強くなってきました。雑木林が歪むほどの風も吹き始めました。僕は、「大学にきて俺は何をやってるんやろ……」という迷いを生じながらも逃げ出すわけにはいかず、ほどなくして山川さんが叫んだのです。

 「よっしゃ!リュックを担げ!」

 山川さんの号令と同時に、20人の男たちが、両太ももに砂の入ったリュックを固定しました。そしてベルトに手を通し、ゆっくりと担ぎ始めたのです。 

 ところが、僕は担げません。両腕の力が弱く、「事前にトレーニングをしておけ!」と言われても悠長に構えた結果、担げないのです。

 周囲は苦戦しながらも、担ぐのに成功しています。神林さんでさえ担ぎ、ベルトのあいだにタオルを挟みながら、僕を見ているのです。

 雨は、今までにも増して強くなってきました。

 大雨は焦燥という名の冷酷な現実を載せて、油断していた僕の体に打ちつけてきたのです。

 2日目に続く……。

馬券負けた奴の発言はどれだけ凄まじいか?の考察~ベスト版③~(パソコン読者用)

※過去の「ロストシャウト」の記事をごちゃ混ぜにして再編集


 最近、競馬場とウインズに寄るのが日課になりました。


 平日は帰宅の道すがらにある、地方競馬場に寄ります。休日出勤のときは大阪のウインズに、休日に仕事がないときも地元の阪神競馬場に行くなどして、「あるもの」を徹底的にリサーチしたのです。


 そう、「ロストシャウト」です。


 僕は競馬場の野次、罵声、嘆息など、ひっくるめてロストシャウトと定義しています。最近では調べるのが日課になり、「ロストシャウト帳」なるネタ帳を常時、携行するようになったのです。


 人間は、お金が絡むと本性が出ます。馬券をはずした怒りで我を忘れ、とんでもない言葉をシャウトするのです。


 なかでも、地方競馬のロストシャウター。


 本当にこいつらだけは、常軌を逸してますよ。キャラも濃く、毎日開催されていることから人生を賭けた猛者ばかりで、キレっぷりが尋常ではないのです。


 そこで今回は、「馬券負けた奴の発言はどれだけ凄まじいか?」の考察~ベスト版③~です。


 以下、競馬歴25年の僕が過去に聞いた、とんでもないロストシャウトの数々をご紹介します。


①「逃げるんやったら、ひと声かけろや!」 40代・男性
 しょっぱなから凄いのがきましたよ。


 こいつは、「三浦皇成」という新人ジョッキーに腹を立てています。大方の予想に反して逃げたことに怒り、この発言のあとに「三浦、ブログ荒らすぞ!」と叫んだのです。


 地味やねん、お前!キレっぷりと行動が合ってないねん!


 「そもそも新人のくせにジョッキーになんなよ!」


 意味わからん!新人の段階ですでにジョッキーやろ!ジョッキーになったからこそ新人で、新人のジョッキーに新人のくせにって、ようわからんわ!この言葉の意味を俺にひと声かけてくれ!


 あとまったくの余談ですが、こいつは持ってきたキャンプ用のイスが小さすぎて、5分に1回、後ろにこけてました。


②「おえー!結局、この4頭の3つどもえかよ!」 50代・男性
 意味わからん!1頭どこ行ってん!


 「(僕に)なあ、兄ちゃん?」


 俺を巻き込まんといてくれ!俺にバカ田大学の願書を渡してくるんはやめてくれ!


 この日は6月の終わりで、このオッサンは、鼻をズルズルと言わせています。鼻にティッシュを詰めており、「花粉症、いつ終わるんやろ……」と呟いたのです。


 まだ花粉症なん!?もうすぐサマーやのにまだ花粉症なんや!?


 「(僕に)なあ、兄ちゃん?」


 だから俺を巻き込むなよ!そもそもなんで俺が花粉症やと思うねん!「杉山」とかと違うぞ、俺!


 本当に勘弁してほしいですよ、こんな奴。


③「老後に楽したいからがんばってるのに!老後に楽したいからがんばってるのにーーー!」 50代・女性
 知らんがな、そんなもん!老後に楽したかったらそもそもギャンブルなんてすんなよ!


 「お茶を無料にしたり、阪神競馬場にはいいところもあるのにーーー!」


 のにのにうるさいねん!ノルマあんのか!


 「でもここのから揚げは、前はもっと安かってんけどな」


 そこは「のに」と違うの!?「安かったのにー!」とか言わへんの!?


 ちなみにこのオバハンは、携帯電話に、ぬいぐるみのストラップを5個つけています。馬2、コアラ2で、残り1個は、いかりや長介でした。


④「(直線のゴール付近で)クーラー入れんかい!」 60代・男性
 むちゃ言うなよ、お前!なんで外にクーラー入れないとあかんねん!温暖化や言うてもそこまではできんぞ、この
国!


 凄いんですよ、このジジイ。ゴール付近に陣取り、新聞、専門誌、オッズシートを撒き散らすなど、その付近一帯を我が物顔で使用しているのです。


 元貴族のホームレスか、お前!陣取り方に謙虚さを持てよ!


 「うちわだけではこの暑さはしのげんぞ、JRA!」 


 中に入れや、じゃあ!中はクーラー効いとんねん!効きすぎて寒いぐらいやねん、こっちは!


 このジジイは馬券をはずすと、新聞にグルグル巻きになって転がって行きます。ですが転がりすぎて一度、近くにあったベビーカーの角で頭を打っていました。


⑤「誰や、わしの赤ペンのフタ盗んだん!?」 70代・男性
 盗むか、そんなもん!フタ専門のコソドロなんておるか!


 「正直に言えよ!」


 だからおらんねん!疎開先でもおらんわ、そんなしょうもないコソドロ!


 フタをなくしただけなのに、こいつはブチギレています。探しても探しても見つからず、結局、隣に座るオッサンの脱いでいた靴の中に入り込んでいたのです。


 ちゃんと探せや、お前!お前と糸井重里はちゃんと探せや!


 「靴が泥棒やったか!ハハハハハ!ハハハハハハハ!」


 何がおもろいねん!で、よく見たらお前、耳毛凄すぎんねんけど!?耳に門番おるみたいやねんけど!?


 もうワケがわかりませんよ、こんな奴。


⑥「あかん、負けすぎて、金玉の裏がギューンってしてきた!」 60代・男性
 何言ってんねん、お前!どんな状態やねん、それ!


 「2玉ともギューンってしてきた!」


 うどんか!麺類と睾丸類を一緒にすんな!


 「上下ともギューン!」


 左右と違うの、お前の金玉!?上下派とかあんの、金玉に!?なんや、枝豆みたいな感じか!?多少黒ずんでるからだだちゃ豆のほうか!?


 あとまったくの余談ですが、隣にいたこいつの奥さんは、きりたんぽにそっくりでした。


⑦「勝たぬなら 勝つまで待とう メイショウシャフトとダイナミックグロウ!」 50代・男性
 最後どうなってんねん、おい!空前絶後の字余りやんけ、最後!


 「差さぬなら 差すまで待とう メイショウトウコンとアロンダイトとダイナミックグロウ!」


 もっと増えた!ちょっと待って、1、2、3、4……って26もあるやんけ下の句だけで!家康も待ってくれんぞ、そんなに長かったら!


 ちなみにこのオッサンは、オッサン仲間3人と一緒にいます。横一列に4人で並んで座り、「く~!たまらん!」と言いながらソフトクリームを舌先で転がしてました。


⑧「(全身ピンクのオカマが)シャレならんわ!」 60代・男性
 お前もや!お前もシャレならんねん!お前が世界で1番シャレならんねん!


 「世の中、狂ってるな!」


 お前を先頭にな!この狂った世の中の先頭にいるんはお前とさっきの金玉や!


 こいつは阪神競馬場にいつく、「キチ○イ四天王」の1人です。全身がピンクで、下はミニスカートを履いています。一度、警備員に連行されていたので何気に見たところ、スカートの後ろを破ってお尻を露出させていたのです。


 死刑やわ、もう!懲役とかそんなんじゃ無理、もう死刑、お前みたいな奴!なんやったら署名集めるわ、俺!


 ちなみにこいつは、阪神競馬場の東ウイングの2階にいます。心臓の強い方はぜひ、声をかけてみてください。


⑨「(売店で)ジュウギョウインサン、コノクシアゲセットヨンテンモリニ、ゲソハ、ハイッテイマスカ?」 20代・外国人
 外人やんな?「ゲソ」とか言ってるけど、自分、外人やんな!?


 「ゲソは入ってません」


 「ソウナノ……」


 何なん、お前!なんでそんなにゲソ食いたいねん!


 「ゲソガナイナラ、ドテヤキニシマスワ」


 ドテ焼きて、おい!ちょっと待って、外人がドテ焼き食うの!?しかも、当たり前のように七味振ってんねんけど!?おいしい食い方知っててびっくりやねんけど!?


 競馬場には、たくさんの外国人がいます。なかには妙な日本語を使いこなす奴がおり、聞いてて恐ろしいものがありますよ。


⑩「副業で、カイワレでも育ててみるか!」 40代・男性
 儲かんのか、それ!?カイワレが儲かるとか聞いたことないねんけど!?


 「カイワレ栽培で一発当てるぞ!」


 「よっしゃー!」


 ブラジルに流れついた移民か、お前ら!「この荒野を前に誓う!」とかそういうことか!?


 このオッサン集団は、ずっとカイワレの話をしています。「この時代にはカイワレしかねえ!」と真顔で叫ぶなど、本当に意味がわかりませんでしたよ。


⑪「(テレグノシスという馬に)テレグノ、テグレノ、テグレノシス来い!テガレノ、テレグノ、テグレノキッス来い!」 60代・男性
 最後全然違うやんけ!舌あんのか、お前!


 「来い、テアレノキッツ!」


 手荒れの季節って言ってない!?聞きようによればそう聞こえんねんけど!?


 これは、僕の父親です。家のテレビで観戦しているとき、興奮しすぎて毎回、噛みたおすのです。


 なにしろ一度、「ストラデティックチョイス」と「ファビラスラフイン」という2頭を応援していて、「差せ!ストラデ、ストラデ、ストラデファビラス!ファビラス、ファブラス……」とごちゃ混ぜになり、「ストラデストラーデとファブラチュラヒュインとか!」って言ったんですよ。


 何言ってんねん、お前!ていうか、チュパカブラって言葉入ってない、それ!?「未確認」やけど、どことなくチュパカブラが入ってる感じがするんやけど!


 自分の父親とはいえ、聞いてて恐ろしいものがありますよ。


⑫「今日の星座占い、5位やったのに!」 20代・女性
 5位やから負けてん、それ!5位ごときで諭吉をつかめると思うな!


 「なんで占いが5位やったのに負けるんですかね、バスコさん?」


 俺は1位やってんけど!?1位の俺がお前以上に負けてるんやけど!?


 ちなみに余談ですが、この子は僕の女友達で、放送業界で6年働いています。要領が悪くていまだにADで、その昔、女優の大地真央さん用に手配した豪華な弁当とスタッフ用の弁当を取り違え、大地真央に350円のシャケ弁当を渡しました。


⑬「(僕に)おい兄ちゃん、ZIPPOのオイル持ってないか?」 40代・男性
 持ってるか、そんなもん!持ち歩いてるわけないやろ!常時狙う放火魔か、俺は!


 「持ってるんやったら、岩本さんに貸したってくれ!」


 誰やねん、岩本さんって!で、岩本さん、服ださすぎんねんけど!?上が皮ジャンで下がネズミ色のジャージって、バラで服もらった難民みたいやねんけど!?


 「すいません、ZIPPOのオイルは持ってないです」


 「誰か持ってる奴を知らんか?」


 知ってるわけないやろ!何がどうなったら知りようあんねん、そんな情報!?


 ちなみに岩本さんですが、その後、手にしたアイスクリームのコーンを、外側の紙ごと口に含んでました。


⑭「パドックで炊き出しせいや!」 20代・男性
 むちゃ言うなよ、お前!ヤカラの被災者か!


 こいつはずっとマークしていたのですが、まあ強烈でしたよ。負けた腹いせに、騎手に「死ね!」と叫ぶのはもちろん、目の前に現われた騎手に「死にまくれ!」と叫んだのです。


 1回で許したれや、死ぬんは!来世のデスまで現世で命令すんなよ!


 ですが、口の悪さとは裏腹に、めちゃくちゃ弱そうな奴です。ひょろひょろで髪の毛も天然パーマなので、「自分、耳かきか何かか?」と、僕はノドまで出かかってましたから。


⑮「(イスに座る僕に)なあ兄ちゃん、トイレが混みすぎてるんやけど!?」 50代・男性
 知らんがな、そんなもん!知るかいや、そんなこと俺に報告されても


 マジで意味わからないんですよ、このオッサン。一面識もない僕に逐一話しかけ、得意げに「なあ兄ちゃん、わし今日、『アタック25』を録画してきてん」と報告してきたのです。


 ごめん、何言ってんの、自分!?俺はどう返したらいいの、そのコメントに!?ていうか、あれ録画してんの!?俺、生まれて初めて出会ったわ、アタック25を録画して見てる奴に!


 この人は、「鳩サブレ」と書かれたお菓子を箱ごと持ってきています。途中で、近くの人に1枚ずつ配り始めたのですが、ほぼ全員に「いらん」と断られてました。


⑯「(最終レースが終わって)♪この支配からの 卒ぎょぎょ、業」 30代・男性
 噛んだぞ、おい!かっこつけたのに噛んだぞ、最後!


 「卒ぎょぎょぎょ……」


 尾崎を噛むなよ、お前!そこは行儀よくまじめにしてくれよ!


 こいつは僕の友達で、死ぬほど滑舌が悪いです。この日も、「マークチート」「第6レーチュ」などと噛みたおし、帰りに寄った食堂で、「ご飯のおかわぎください!」って言ったんですよ。


 おかわぎて、おい!お前それ、ヤフーで検索しても36件しかなかったぞ!大川義五郎さん関連しか出てこんかったぞ!


 あとまったくの余談ですが、こいつはその昔、ドラクエⅢの「ルイーダの酒場」の存在を知らず、ボス戦直前まで1人パーティーでやってました。


⑰「もうすぐ母の日やねんで!?」 50代・女性
 知らんがな、そんなもん!で、当日に言えや、言うんやったら!今日は関係ないやろ!


 この人は園田競馬場にいつくオバハンで、とにかく凄いです。毎回、スイカやリンゴといった柑橘類を持参しており、一度、食べ終わったスイカの皮を、目の上に載せて昼寝を始めたのです。


 どんなアイガードやねん、それ!紫外線よりもたち悪いぞ、その汁!


 顔が青白くてホクロも多く、チョコミントにそっくりです。スイカを目の上に載せてたときなんて、ほとんどパフェでしたから。


⑱「兄ちゃん、競馬で絶対に勝つ方法を教えたろか?」「いいです」 70代男性と20代男性
 聞いたれよ!相手したれよ、ちょっとぐらい!


 「聞いてや?」


 「いいです」


 「聞いてや?」


 「いいです」


 聞いたれよ!ジジイがプライド捨ててお願いしてるんやから、聞いたってくれよ!


 「それは、馬券を買わんことや」


 自分で言った!あきらめて自分で言いやがった、このジジイ!


 「あー、そう」


 冷たっ、こいつ!生理中のママハハか!


 ちなみに、僕はこのジジイを2日連続で見かけたのですが、前日、左から2番目の前歯に挟まっていたニンジンが、翌日の午後4時をすぎてもまだ挟まってました。


⑲「お父さん、僕は次のレースから、複勝を転がすわ!」 11歳・男性
 小学生やんな?なあ、自分、小学生やんな!?


 「複勝転がしのほうで攻めるわ!」


 11歳で複勝転がしは早すぎるぞ、お前!お前それは、離乳食にヒラメの縁側食うようなもんやぞ!


 僕の仕事の先輩の子供なのですが、もの凄いんですよ、こいつ。父親の影響で競馬に詳しく、「京都のダートは先行が有利!」「福永は9レースから調子を上げる!」などは当たり前、「なんでその馬を買うの?」と訊いた僕に、「母の父がキンググローリアスやから」と返したのです。


 子供がキンググローリアスですよ、キンググローリアス?外国産馬の血統をスラスラとしゃべってるんですよ!?


 競馬に詳しくない人にわかりやすく説明すれば、これは、言葉を覚えたての赤ん坊が「議員内閣制!」と口にするぐらい、ありえないことです。末恐ろしすぎてその後、僕は競馬に集中できないほどでしたから。



 そして、最後。これは、知り合いの馬主さんから聞きました。園田競馬場の「伝説」になっているらしく、文句なしに殿堂入りです。


⑳「(見知らぬ家のインターホンを鳴らして)ピンポーン!」「はい?」「すいません、競馬で負けたんですけど、今晩、泊めてもらえませんかね?」 年齢未確認・男性
 なめてんのか、お前!どこのどいつが「いいですよ!」とか言うねん!家のヒッチハイクなんて前代未聞やぞ!


 僕の地元にある、園田競馬場。競馬場の前にある大通りは、通称「オケラ街道」と呼ばれ、その昔、こんな不躾な奴が何人もいたそうなのです。実際にインターホンを鳴らされた人にお話をうかがったところ、一度、「せめて、おにぎりをください!」と言われたらしいのです。


 ふざけんなよ、お前!山下清でもそんな大胆なお願いはせえへんぞ!あいつでももうちょっと謙虚さはあるぞ!


 これは正直、ひどすぎます。厳密に言えば競馬場でのシャウトではないのですが、あまりにもひどいので、殿堂入りとさせていただきます。



 以上が、今回の考察です。


 ちなみに、⑲でご紹介した、子供。


 一緒にその後、近くの銭湯に行きました。ところが若干11歳にして、大人顔負けの巨根だったのです。


 あー、末恐ろしい……。



馬券負けた奴の発言はどれだけ凄まじいか?の考察~ベスト版③~(携帯読者用)

※過去の「ロストシャウト」の記事をごちゃ混ぜにして再編集

 最近、競馬場とウインズに寄るのが日課になりました。

 平日は帰宅の道すがらにある、地方競馬場に寄ります。休日出勤のときは大阪のウインズに、休日に仕事がないときも地元の阪神競馬場に行くなどして、「あるもの」を徹底的にリサーチしたのです。

 そう、「ロストシャウト」です。

 僕は競馬場の野次、罵声、嘆息など、ひっくるめてロストシャウトと定義しています。最近では調べるのが日課になり、「ロストシャウト帳」なるネタ帳を常時、携行するようになったのです。

 人間は、お金が絡むと本性が出ます。馬券をはずした怒りで我を忘れ、とんでもない言葉をシャウトするのです。

 なかでも、地方競馬のロストシャウター。

 本当にこいつらだけは、常軌を逸してますよ。キャラも濃く、毎日開催されていることから人生を賭けた猛者ばかりで、キレっぷりが尋常ではないのです。

 そこで今回は、「馬券負けた奴の発言はどれだけ凄まじいか?」の考察~ベスト版③~です。

 以下、競馬歴25年の僕が過去に聞いた、とんでもないロストシャウトの数々をご紹介します。

①「逃げるんやったら、ひと声かけろや!」 40代・男性
 しょっぱなから凄いのがきましたよ。

 こいつは、「三浦皇成」という新人ジョッキーに腹を立てています。大方の予想に反して逃げたことに怒り、この発言のあとに「三浦、ブログ荒らすぞ!」と叫んだのです。

 地味やねん、お前!キレっぷりと行動が合ってないねん!

 「そもそも新人のくせにジョッキーになんなよ!」

 意味わからん!新人の段階ですでにジョッキーやろ!ジョッキーになったからこそ新人で、新人のジョッキーに新人のくせにって、ようわからんわ!この言葉の意味を俺にひと声かけてくれ!

 あとまったくの余談ですが、こいつは持ってきたキャンプ用のイスが小さすぎて、5分に1回、後ろにこけてました。

②「おえー!結局、この4頭の3つどもえかよ!」 50代・男性
 意味わからん!1頭どこ行ってん!

 「(僕に)なあ、兄ちゃん?」

 俺を巻き込まんといてくれ!俺にバカ田大学の願書を渡してくるんはやめてくれ!

 この日は6月の終わりで、このオッサンは、鼻をズルズルと言わせています。鼻にティッシュを詰めており、「花粉症、いつ終わるんやろ……」と呟いたのです。

 まだ花粉症なん!?もうすぐサマーやのにまだ花粉症なんや!?

 「(僕に)なあ、兄ちゃん?」

 だから俺を巻き込むなよ!そもそもなんで俺が花粉症やと思うねん!「杉山」とかと違うぞ、俺!

 本当に勘弁してほしいですよ、こんな奴。

③「老後に楽したいからがんばってるのに!老後に楽したいからがんばってるのにーーー!」 50代・女性
 知らんがな、そんなもん!老後に楽したかったらそもそもギャンブルなんてすんなよ!

 「お茶を無料にしたり、阪神競馬場にはいいところもあるのにーーー!」

 のにのにうるさいねん!ノルマあんのか!

 「でもここのから揚げは、前はもっと安かってんけどな」

 そこは「のに」と違うの!?「安かったのにー!」とか言わへんの!?

 ちなみにこのオバハンは、携帯電話に、ぬいぐるみのストラップを5個つけています。馬2、コアラ2で、残り1個は、いかりや長介でした。

④「(直線のゴール付近で)クーラー入れんかい!」 60代・男性
 むちゃ言うなよ、お前!なんで外にクーラー入れないとあかんねん!温暖化や言うてもそこまではできんぞ、この国!

 凄いんですよ、このジジイ。ゴール付近に陣取り、新聞、専門誌、オッズシートを撒き散らすなど、その付近一帯を我が物顔で使用しているのです。

 元貴族のホームレスか、お前!陣取り方に謙虚さを持てよ!

 「うちわだけではこの暑さはしのげんぞ、JRA!」 

 中に入れや、じゃあ!中はクーラー効いとんねん!効きすぎて寒いぐらいやねん、こっちは!

 このジジイは馬券をはずすと、新聞にグルグル巻きになって転がって行きます。ですが転がりすぎて一度、近くにあったベビーカーの角で頭を打っていました。

⑤「誰や、わしの赤ペンのフタ盗んだん!?」 70代・男性
 盗むか、そんなもん!フタ専門のコソドロなんておるか!

 「正直に言えよ!」

 だからおらんねん!疎開先でもおらんわ、そんなしょうもないコソドロ!

 フタをなくしただけなのに、こいつはブチギレています。探しても探しても見つからず、結局、隣に座るオッサンの脱いでいた靴の中に入り込んでいたのです。

 ちゃんと探せや、お前!お前と糸井重里はちゃんと探せや!

 「靴が泥棒やったか!ハハハハハ!ハハハハハハハ!」

 何がおもろいねん!で、よく見たらお前、耳毛凄すぎんねんけど!?耳に門番おるみたいやねんけど!?

 もうワケがわかりませんよ、こんな奴。

⑥「あかん、負けすぎて、金玉の裏がギューンってしてきた!」 60代・男性
 何言ってんねん、お前!どんな状態やねん、それ!

 「2玉ともギューンってしてきた!」

 うどんか!麺類と睾丸類を一緒にすんな!

 「上下ともギューン!」

 左右と違うの、お前の金玉!?上下派とかあんの、金玉に!?なんや、枝豆みたいな感じか!?多少黒ずんでるからだだちゃ豆のほうか!?

 あとまったくの余談ですが、隣にいたこいつの奥さんは、きりたんぽにそっくりでした。

⑦「勝たぬなら 勝つまで待とう メイショウシャフトとダイナミックグロウ!」 50代・男性
 最後どうなってんねん、おい!空前絶後の字余りやんけ、最後!

 「差さぬなら 差すまで待とう メイショウトウコンとアロンダイトとダイナミックグロウ!」

 もっと増えた!ちょっと待って、1、2、3、4……って26もあるやんけ下の句だけで!家康も待ってくれんぞ、そんなに長かったら!

 ちなみにこのオッサンは、オッサン仲間3人と一緒にいます。横一列に4人で並んで座り、「く~!たまらん!」と言いながらソフトクリームを舌先で転がしてました。

⑧「(全身ピンクのオカマが)シャレならんわ!」 60代・男性
 お前もや!お前もシャレならんねん!お前が世界で1番シャレならんねん!

 「世の中、狂ってるな!」

 お前を先頭にな!この狂った世の中の先頭にいるんはお前とさっきの金玉や!

 こいつは阪神競馬場にいつく、「キチ○イ四天王」の1人です。全身がピンクで、下はミニスカートを履いています。一度、警備員に連行されていたので何気に見たところ、スカートの後ろを破ってお尻を露出させていたのです。

 死刑やわ、もう!懲役とかそんなんじゃ無理、もう死刑、お前みたいな奴!なんやったら署名集めるわ、俺!

 ちなみにこいつは、阪神競馬場の東ウイングの2階にいます。心臓の強い方はぜひ、声をかけてみてください。

⑨「(売店で)ジュウギョウインサン、コノクシアゲセットヨンテンモリニ、ゲソハ、ハイッテイマスカ?」 20代・外国人
 外人やんな?「ゲソ」とか言ってるけど、自分、外人やんな!?

 「ゲソは入ってません」

 「ソウナノ……」

 何なん、お前!なんでそんなにゲソ食いたいねん!

 「ゲソガナイナラ、ドテヤキニシマスワ」

 ドテ焼きて、おい!ちょっと待って、外人がドテ焼き食うの!?しかも、当たり前のように七味振ってんねんけど!?おいしい食い方知っててびっくりやねんけど!?

 競馬場には、たくさんの外国人がいます。なかには妙な日本語を使いこなす奴がおり、聞いてて恐ろしいものがありますよ。

⑩「副業で、カイワレでも育ててみるか!」 40代・男性
 儲かんのか、それ!?カイワレが儲かるとか聞いたことないねんけど!?

 「カイワレ栽培で一発当てるぞ!」

 「よっしゃー!」

 ブラジルに流れついた移民か、お前ら!「この荒野を前に誓う!」とかそういうことか!?

 このオッサン集団は、ずっとカイワレの話をしています。「この時代にはカイワレしかねえ!」と真顔で叫ぶなど、本当に意味がわかりませんでしたよ。

⑪「(テレグノシスという馬に)テレグノ、テグレノ、テグレノシス来い!テガレノ、テレグノ、テグレノキッス来い!」 60代・男性
 最後全然違うやんけ!舌あんのか、お前!

 「来い、テアレノキッツ!」

 手荒れの季節って言ってない!?聞きようによればそう聞こえんねんけど!?

 これは、僕の父親です。家のテレビで観戦しているとき、興奮しすぎて毎回、噛みたおすのです。

 なにしろ一度、「ストラデティックチョイス」と「ファビラスラフイン」という2頭を応援していて、「差せ!ストラデ、ストラデ、ストラデファビラス!ファビラス、ファブラス……」とごちゃ混ぜになり、「ストラデストラーデとファブラチュラヒュインとか!」って言ったんですよ。

 何言ってんねん、お前!ていうか、チュパカブラって言葉入ってない、それ!?「未確認」やけど、どことなくチュパカブラが入ってる感じがするんやけど!?

 自分の父親とはいえ、聞いてて恐ろしいものがありますよ。

⑫「今日の星座占い、5位やったのに!」 20代・女性
 5位やから負けてん、それ!5位ごときで諭吉をつかめると思うな!

 「なんで占いが5位やったのに負けるんですかね、バスコさん?」

 俺は1位やってんけど!?1位の俺がお前以上に負けてるんやけど!?

 ちなみに余談ですが、この子は僕の女友達で、放送業界で6年働いています。要領が悪くていまだにADで、その昔、女優の大地真央さん用に手配した豪華な弁当とスタッフ用の弁当を取り違え、大地真央に350円のシャケ弁当を渡しました。

⑬「(僕に)おい兄ちゃん、ZIPPOのオイル持ってないか?」 40代・男性
 持ってるか、そんなもん!持ち歩いてるわけないやろ!常時狙う放火魔か、俺は!

 「持ってるんやったら、岩本さんに貸したってくれ!」

 誰やねん、岩本さんって!で、岩本さん、服ださすぎんねんけど!?上が皮ジャンで下がネズミ色のジャージって、バラで服もらった難民みたいやねんけど!?

 「すいません、ZIPPOのオイルは持ってないです」

 「誰か持ってる奴を知らんか?」

 知ってるわけないやろ!何がどうなったら知りようあんねん、そんな情報!?

 ちなみに岩本さんですが、その後、手にしたアイスクリームのコーンを、外側の紙ごと口に含んでました。

⑭「パドックで炊き出しせいや!」 20代・男性
 むちゃ言うなよ、お前!ヤカラの被災者か!

 こいつはずっとマークしていたのですが、まあ強烈でしたよ。負けた腹いせに、騎手に「死ね!」と叫ぶのはもちろん、目の前に現われた騎手に「死にまくれ!」と叫んだのです。

 1回で許したれや、死ぬんは!来世のデスまで現世で命令すんなよ!

 ですが、口の悪さとは裏腹に、めちゃくちゃ弱そうな奴です。ひょろひょろで髪の毛も天然パーマなので、「自分、耳かきか何かか?」と、僕はノドまで出かかってましたから。

⑮「(イスに座る僕に)なあ兄ちゃん、トイレが混みすぎてるんやけど!?」 50代・男性
 知らんがな、そんなもん!知るかいや、そんなこと俺に報告されても!

 マジで意味わからないんですよ、このオッサン。一面識もない僕に逐一話しかけ、得意げに「なあ兄ちゃん、わし今日、『アタック25』を録画してきてん」と報告してきたのです。

 ごめん、何言ってんの、自分!?俺はどう返したらいいの、そのコメントに!?ていうか、あれ録画してんの!?俺、生まれて初めて出会ったわ、アタック25を録画して見てる奴に!

 この人は、「鳩サブレ」と書かれたお菓子を箱ごと持ってきています。途中で、近くの人に1枚ずつ配り始めたのですが、ほぼ全員に「いらん」と断られてました。

⑯「(最終レースが終わって)♪この支配からの 卒ぎょぎょ、業」 30代・男性
 噛んだぞ、おい!かっこつけたのに噛んだぞ、最後!

 「卒ぎょぎょぎょ……」

 尾崎を噛むなよ、お前!そこは行儀よくまじめにしてくれよ!

 こいつは僕の友達で、死ぬほど滑舌が悪いです。この日も、「マークチート」「第6レーチュ」などと噛みたおし、帰りに寄った食堂で、「ご飯のおかわぎください!」って言ったんですよ。

 おかわぎて、おい!お前それ、ヤフーで検索しても36件しかなかったぞ!大川義五郎さん関連しか出てこんかったぞ!

 あとまったくの余談ですが、こいつはその昔、ドラクエⅢの「ルイーダの酒場」の存在を知らず、ボス戦直前まで1人パーティーでやってました。

⑰「もうすぐ母の日やねんで!?」 50代・女性
 知らんがな、そんなもん!で、当日に言えや、言うんやったら!今日は関係ないやろ!

 この人は園田競馬場にいつくオバハンで、とにかく凄いです。毎回、スイカやリンゴといった柑橘類を持参しており、一度、食べ終わったスイカの皮を、目の上に載せて昼寝を始めたのです。

 どんなアイガードやねん、それ!紫外線よりもたち悪いぞ、その汁!

 顔が青白くてホクロも多く、チョコミントにそっくりです。スイカを目の上に載せてたときなんて、ほとんどパフェでしたから。

⑱「兄ちゃん、競馬で絶対に勝つ方法を教えたろか?」「いいです」 70代男性と20代男性
 聞いたれよ!相手したれよ、ちょっとぐらい!

 「聞いてや?」

 「いいです」

 「聞いてや?」

 「いいです」

 聞いたれよ!ジジイがプライド捨ててお願いしてるんやから、聞いたってくれよ!

 「それは、馬券を買わんことや」

 自分で言った!あきらめて自分で言いやがった、このジジイ!

 「あー、そう」

 冷たっ、こいつ!生理中のママハハか!

 ちなみに、僕はこのジジイを2日連続で見かけたのですが、前日、左から2番目の前歯に挟まっていたニンジンが、翌日の午後4時をすぎてもまだ挟まってました。

⑲「お父さん、僕は次のレースから、複勝を転がすわ!」 11歳・男性
 小学生やんな?なあ、自分、小学生やんな!?

 「複勝転がしのほうで攻めるわ!」

 11歳で複勝転がしは早すぎるぞ、お前!お前それは、離乳食にヒラメの縁側食うようなもんやぞ!

 僕の仕事の先輩の子供なのですが、もの凄いんですよ、こいつ。父親の影響で競馬に詳しく、「京都のダートは先行が有利!」「福永は9レースから調子を上げる!」などは当たり前、「なんでその馬を買うの?」と訊いた僕に、「母の父がキンググローリアスやから」と返したのです。

 子供がキンググローリアスですよ、キンググローリアス?外国産馬の血統をスラスラとしゃべってるんですよ!?

 競馬に詳しくない人にわかりやすく説明すれば、これは、言葉を覚えたての赤ん坊が「議員内閣制!」と口にするぐらい、ありえないことです。末恐ろしすぎてその後、僕は競馬に集中できないほどでしたから。


 そして、最後。これは、知り合いの馬主さんから聞きました。園田競馬場の「伝説」になっているらしく、文句なしに殿堂入りです。

⑳「(見知らぬ家のインターホンを鳴らして)ピンポーン!」「はい?」「すいません、競馬で負けたんですけど、今晩、泊めてもらえませんかね?」 年齢未確認・男性
 なめてんのか、お前!どこのどいつが「いいですよ!」とか言うねん!家のヒッチハイクなんて前代未聞やぞ!

 僕の地元にある、園田競馬場。競馬場の前にある大通りは、通称「オケラ街道」と呼ばれ、その昔、こんな不躾な奴が何人もいたそうなのです。実際にインターホンを鳴らされた人にお話をうかがったところ、一度、「せめて、おにぎりをください!」と言われたらしいのです。

 ふざけんなよ、お前!山下清でもそんな大胆なお願いはせえへんぞ!あいつでももうちょっと謙虚さはあるぞ!

 これは正直、ひどすぎます。厳密に言えば競馬場でのシャウトではないのですが、あまりにもひどいので、殿堂入りとさせていただきます。


 以上が、今回の考察です。

 ちなみに、⑲でご紹介した、子供。

 一緒にその後、近くの銭湯に行きました。ところが若干11歳にして、大人顔負けの巨根だったのです。

 あー、末恐ろしい……。


『散髪屋を変えます』と報告するべきではないか?の考察(パソコン読者用)

※2006年・8月19日の記事を再々編集


 先日、近所の散髪屋のご主人が亡くなられました。


 人づてに聞いたので、詳細はわかりません。少し前から大病を患い、ここしばらくは店を閉めていたらしいのです


 このお店は、『ヒロタ』という名の大衆床屋。僕が3歳から高校を卒業するまでずっとお世話になった、非常に思い出深いお店なのです。


 僕が18歳のときのことです。


 大学の進学に合わせて、僕は大阪で1人暮らしをすることになりました。


 散髪をするためだけに帰るわけにもいかず、大学の近くの美容院に行くことにしたのです。


 なにより、色気づく18歳の男です。この歳になってまで、さすがに大衆床屋に行くわけにはいかなかったんですね。


 もちろん、店を変えるのは客の自由です。そのことを、お店の人に報告する義務などありません。


 ですが、美容師さんとのお付き合いが長い場合、そして、ほかにいい美容院を見つけたからではなく、引越しのようなやむをえない事情がある場合には、「今回が最後です」と報告すべきなのです。言わないことには、その人が亡くなった場合、一生消えない心の傷になるかもしれないのです。


 とはいえ、これがなかなか言えません。


 散髪屋にかぎった話ではなく、近所の弁当屋さん、行きつけの飲み屋さん……。その店の人のことを好きであればあるほど、寂しくて言えないものなのです。


 僕は最後にヒロタに行ったとき、ご主人に「今日で最後です」と言えませんでした。


 言えないままに月日は流れ、実家に戻った今でも、お店が近所の商店街のはずれにあることから一度もお会いすることなく、今回の訃報を知ったのです。


 あのとき、店のおっちゃんにお別れを言っていれば……。「今までお世話になりました!」と、ひと言でも口にしていれば……。


 そこで今回は、「『散髪屋を変えます』と報告するべきではないか?」の考察です。


 僕の近所にある、『フィンガークラブ ヒロタ』。


 名前から想像できるような典型的な床屋で、店内には2席しかありません。鏡にはヒビが入っており、周りから「よくあんな店に行くな」とバカにされたのですが、僕にはなぜか居心地がよかったのです。


 僕が高校3年生のとき、正確には、3月末のことです。


 大学進学のため、僕は町を離れることになりました。「ヒロタに行くのは今日で最後だ」と決めて、いつものように自転車で店に向かいました。


 店に到着し、自転車を停めて、店のドアを開けました。


 中に入ると、誰もいません。


 「すいません!」


 僕が声を張り上げたところ、「ごめん、たけちゃん!あと10分だけ待って!」と、店主のおっちゃんの甲高い声が聞こえてきました。


 店内には、ほかに客がいるわけではありません。従業員であるおっちゃんとおばちゃんが、奥の部屋で食事をしているのです。


 ヒロタは食事中に客がきたら、食事が終わるまで待たせます。ふざけた態度なのですが、これが大衆床屋の味といえば味なんですね。


 僕はおっちゃんの食事が終わるまで、待合席で時間を潰すことにしました。


 ですが時間を潰すにも、待合席にはルービックキューブとコロコロコミックしかありません。


 しかもこのルービックキューブが、びっくりするぐらいカチコチ。「完成させたら腕がつる」と言っても過言ではなく、手が出ません。


 鏡の横には、『男闘呼組』の前田耕陽のポスターが貼ってあります。時代錯誤も甚だしいのですが、おっちゃんにとっては前田耕陽こそが永遠のイケメン。「髪型を変えたい」と言おうものなら、「どれにする?」と、いつも男闘呼組の写真集を見せてくるのです。


 ともあれ、僕はいつものように、数ヶ月前のコロコロコミックを読んで時間を潰すことにしました。


 しばらくして、おっちゃんの食事が終わりました。


 「お待たせ、たけちゃん!ここにレッツゴー!」


 口をモゴモゴさせながら、間違った英語で僕は席にうながされました。


 僕は席に座ります。ただ、「おっちゃん、俺、今日で最後やねん……」と、いつ言おうかと考えて、気が気じゃありません。


 「いつもぐらいにお願い」


 「あいよ」


 こんな会話こそなされたものの、僕がどこか緊張していることから、普段のように会話が弾みません。「もうすぐ春やな」「そうやな」と、月並みな会話をするので精一杯なのです。


 そこで別れ話はひとまず置いて、今日で最後なことから、おっちゃんの散髪の技術を観察することにしました。


 今までは、僕が男子校だったこともあって、自分の髪型に興味はありませんでした。「何でもいいわ」と気にとめていなかったのですが、大学デビューの前のこの時期に、美容師の技術というものを、真剣に観察することにしたのです。


 すると、このおっちゃんの技術がありえないことに気づかされたのです。


 まず、つかむ毛の量が、めちゃくちゃ多いです。


 普通は、つかんでも10本まででしょう。なのにこのおっちゃんは、毎度のハサミに、100本近くつかんできます。切るというよりも完全に刈っており、農家の人が稲を刈るぐらいのボリュームで、バッサバッサと刈り込んでく

るのです。


 ロン毛の男性でも、「短めにしてください」とラフな言い方をしようものなら、10回切って、いや10束ちぎって終わりです。バリカンを持たせた日には、羊の毛を刈り取るようにガンガンにくるので、スーパーサイヤ人の悟空がきても10分かからないでしょう。事実、僕は毎回、5分そこそこで散髪を終えられていたのです。


 「髪の毛を減らしさえすれば客は納得する」

 おっちゃんからすれば、こう考えているのでしょう。文句を言われたとしても、「髪を散らしたよ!=散髪したよ!」とは言えますからね。


 加えて、「時代はテクノやで!」と言って、毎回、テクノカットにしてきます。「やめてや!」と僕が反論しても、「前田耕陽もテクノやから!」と訳のわからないことを言って、強引にバリカンを入れてくるのです。


 なにより、美容師のくせに不潔です。


 高校に入学してから、「たけちゃん、もういい大人やねんから、そろそろ整髪料つけてカッコよく決めや!」と言われたのですが、それを言うおっちゃんが毎回、寝ぐせがついています。「女の子を意識して少しは小ギレイにしいや!」と口にするおっちゃんの首元が、毎回、フケだらけなのです。


 おそらく、いや十中八九、美容師の免許は持っていなかったでしょう。完全な我流で客から髪をむしり取り、技術のなさを、憎めない人柄でカバーしていたのです。


 今回の散髪で、僕は、おっちゃんの技術のなさを確信しました。


 「ほかの店に行ったら、俺はもっとかっこよくなるんや!こんなふざけた店にきてる場合と違うんや!」


 自分にこう言い聞かせたのですが、前歯にネギとニンジンのついた、焼き飯食べたのが丸出しの顔を見ると、言えなくなります。憎めないその人柄に触れると、言葉が奪い去られてしまうのです。


 僕は気持ちを悶々とさせながら、言えるタイミングがあることを信じて、待つことにしました。


 ほどなくして、稲刈りが終わりました。


 ここからは、顔剃りです。


 ですが、この顔剃りがまたひどく、顔に塗る泡の量が少なすぎるのです。「ほとんど直で剃っている」と言ってもおかしくないほど、猟奇的なまでに泡が少ないのです。


 夏場は店内にクーラーがなくて汗だくなので、顔に流れる汗を利用して剃るなんてこともありました。何度か注意して泡を増やしてくれたものの、おっちゃんは気まぐれなので、この日は泡少なめでした。


 しばらくして、髪の毛を洗ってもらうことになりました。


 今思えば、僕はこのためだけに、ヒロタに通っていたのかもしれません。こんなハチャメチャなおっちゃんでも、髪の毛を洗うのだけはうまいのです。


 時間にして10分、念入りに洗ってくれます。髪をこする際、「カシャカシャカシャ!カシャカシャカシャ!」と口ずさむのは気になるものの、それを差し引いても、めちゃくちゃ気持ちいいのです。


 ところが、このあとに再び、地獄が待っています。


 ヒロタは、マッサージのときにおっちゃんからおばちゃんに交代するのですが、このおばちゃんの爪が、めちゃくちゃ長いのです。


 3回に1回ぐらいの割合で「当たり」のときがあり、長い爪が頻繁に首筋に当たってきます。「10秒に1回、ウォーズマンがベアークローで突っ込んでくる」といった感じで、とにかく痛いのです。そして運悪く、今回は当たり月だったのです。


 とはいえ、「この痛みもこれで最後か……」と思うと、それほど痛みは感じられませんでした。僕の心に、何とも言えない寂しさが漂っていたので、地獄の時間も、あっという間に感じられました。


 残されたのは、髪の毛を乾かすときのみ。


 チャンスはもう、ここをおいてありません。話を切り出すのは、今しかないのです。


 ですが、言えません……。今しかない、ということはわかっていても、僕は言えないのです……。


 このとき、僕は初めて、この散髪屋が心の底から好きだったことに気がつきました。


 時代遅れの前田耕陽の話、洗髪の際のカシャカシャ、帰り際に渡してくれる、1人1枚ではなく、半分に切ったガム、1時~5時というありえない営業時間、前田耕陽の隣になぜか貼ってあった、藤波辰巳とのツーショット写真、壊れて手で上げるイス、ひび割れた鏡、そして、おばちゃんのベアークロー。


 形作るすべての要素が「ヒロタ」であり、ヒロタだからこそ、僕は好きだったのです。


 僕は最後の最後にして、このことに気づかされました。僕はヒロタが大好きだったのです。


 結局、僕はさよならを言えないままに、ヒロタをあとにしました。


 ですが、おっちゃんは気づいていたでしょう。


 前の月に、大阪の大学に合格した話はしていたので、僕が1人暮らしをすることに気づいていたはずです。普通なら、「どうや、大学生になる気分は?」と訊いてくるはずなのに、その話がまったくなかったことを考えると、僕の性格を見抜いて、あえて言わなかったのです。


 「たけちゃん、またな!」


 帰り際に言われたこの言葉、今思うと、ジーンとします。おっちゃんは寂しがりやの僕の性格を考えて、この短い言葉こそが、幕引きとしてふさわしい、と考えたのでしょう。


 自転車のタイヤにかけたチェーンをはずしているとき、僕は、ふと透明のドア越しに店の中を見ました。


 するとおっちゃんは、腰の後ろに手を回して、僕を見ていました。やわらかい笑みを浮かべ、まるで僕の門出を祝ってくれているかのようだったのです。



 その日から、10年。


 薄情にも、おっちゃんのことなど一度も考えることなく、先日、僕は訃報を知りました。


 知らせを聞いて、久しぶりにヒロタに行ってみました。


 店のドアには、「事情により閉店させていただきます」と書かれた貼り紙がしてあります。ドア越しに中を見たところ、さすがにもう前田耕陽のポスターはなかったのですが、藤波辰巳と並んで笑うおっちゃんの写真が飾ってあったのです。


 久しぶりに涙が出ました。


 同時に、月に一度顔を合わせただけの人に、これほどの感情を抱くのかと、驚きもしました。


 あのとき、「散髪屋を変えます!でも、また会いにきますから!」と言っていれば、僕の涙はなかったかもしれません。


 僕のこの涙は、おっちゃんが死んだことに対する涙ではありません。自分の子供のようにかわいがってくれた人に、感謝の言葉もなしに去って行った自分に対する、後悔の涙だからです。僕はお世話になった人に、とても不義理なことをしてしまったのです。


 こんなふうに自分を情けなく思えたとき、周りの風景が客観的に見えました。


 寂びれた商店街に木霊する魚屋さんのかけ声、つぶれかけの文房具屋さん……。


 みんな、僕の顔見知りです。でも大人になった僕は、どこか冷めているところがあり、彼らに会おうとはしません。


 あんなにお世話になったのに、あんなにかわいがってくれたのに……。


 「人間関係において、筋をとおす」


 人生において、これほど大切なことはありません。


 「魚屋のおっちゃん、久しぶりやな!えらいかわいがってもうたのに、最近、顔出せんとごめんな!」


 「おー、お前か!あいかわらず、汚い顔してんの!」


 これでいいのです。この小さな会話だけでいいのです。


 僕の母親の話によると、ヒロタは名前を変えて、兵庫県の川西市で、おばちゃんと娘さんとで美容院を続けるそうです。


 場所は遠いですが、今度、その美容院に行ってみることにします。


 久しぶりにベアークローをくらいに。


『散髪屋を変えます』と報告するべきではないか?の考察(携帯読者用)

※2006年・8月19日の記事を再々編集

 先日、近所の散髪屋のご主人が亡くなられました。

 人づてに聞いたので、詳細はわかりません。少し前から大病を患い、ここしばらくは店を閉めていたらしいのです。

 このお店は、『ヒロタ』という名の大衆床屋。僕が3歳から高校を卒業するまでずっとお世話になった、非常に思い出深いお店なのです。

 僕が18歳のときのことです。

 大学の進学に合わせて、僕は大阪で1人暮らしをすることになりました。

 散髪をするためだけに帰るわけにもいかず、大学の近くの美容院に行くことにしたのです。

 なにより、色気づく18歳の男です。この歳になってまで、さすがに大衆床屋に行くわけにはいかなかったんですね。

 もちろん、店を変えるのは客の自由です。そのことを、お店の人に報告する義務などありません。

 ですが、美容師さんとのお付き合いが長い場合、そして、ほかにいい美容院を見つけたからではなく、引越しのようなやむをえない事情がある場合には、「今回が最後です」と報告すべきなのです。言わないことには、その人が亡くなった場合、一生消えない心の傷になるかもしれないのです。

 とはいえ、これがなかなか言えません。

 散髪屋にかぎった話ではなく、近所の弁当屋さん、行きつけの飲み屋さん……。その店の人のことを好きであればあるほど、寂しくて言えないものなのです。

 僕は最後にヒロタに行ったとき、ご主人に「今日で最後です」と言えませんでした。

 言えないままに月日は流れ、実家に戻った今でも、お店が近所の商店街のはずれにあることから一度もお会いすることなく、今回の訃報を知ったのです。

 あのとき、店のおっちゃんにお別れを言っていれば……。「今までお世話になりました!」と、ひと言でも口にしていれば……。

 そこで今回は、「『散髪屋を変えます』と報告するべきではないか?」の考察です。

 僕の近所にある、『フィンガークラブ ヒロタ』。

 名前から想像できるような典型的な床屋で、店内には2席しかありません。鏡にはヒビが入っており、周りから「よくあんな店に行くな」とバカにされたのですが、僕にはなぜか居心地がよかったのです。

 僕が高校3年生のとき、正確には、3月末のことです。

 大学進学のため、僕は町を離れることになりました。「ヒロタに行くのは今日で最後だ」と決めて、いつものように自転車で店に向かいました。

 店に到着し、自転車を停めて、店のドアを開けました。

 中に入ると、誰もいません。

 「すいません!」

 僕が声を張り上げたところ、「ごめん、たけちゃん!あと10分だけ待って!」と、店主のおっちゃんの甲高い声が聞こえてきました。

 店内には、ほかに客がいるわけではありません。従業員であるおっちゃんとおばちゃんが、奥の部屋で食事をしているのです。

 ヒロタは食事中に客がきたら、食事が終わるまで待たせます。ふざけた態度なのですが、これが大衆床屋の味といえば味なんですね。

 僕はおっちゃんの食事が終わるまで、待合席で時間を潰すことにしました。

 ですが時間を潰すにも、待合席にはルービックキューブとコロコロコミックしかありません。

 しかもこのルービックキューブが、びっくりするぐらいカチコチ。「完成させたら腕がつる」と言っても過言ではなく、手が出ません。

 鏡の横には、『男闘呼組』の前田耕陽のポスターが貼ってあります。時代錯誤も甚だしいのですが、おっちゃんにとっては前田耕陽こそが永遠のイケメン。「髪型を変えたい」と言おうものなら、「どれにする?」と、いつも男闘呼組の写真集を見せてくるのです。

 ともあれ、僕はいつものように、数ヶ月前のコロコロコミックを読んで時間を潰すことにしました。

 しばらくして、おっちゃんの食事が終わりました。

 「お待たせ、たけちゃん!ここにレッツゴー!」

 口をモゴモゴさせながら、間違った英語で僕は席にうながされました。

 僕は席に座ります。ただ、「おっちゃん、俺、今日で最後やねん……」と、いつ言おうかと考えて、気が気じゃありません。

 「いつもぐらいにお願い」

 「あいよ」

 こんな会話こそなされたものの、僕がどこか緊張していることから、普段のように会話が弾みません。「もうすぐ春やな」「そうやな」と、月並みな会話をするので精一杯なのです。

 そこで別れ話はひとまず置いて、今日で最後なことから、おっちゃんの散髪の技術を観察することにしました。

 今までは、僕が男子校だったこともあって、自分の髪型に興味はありませんでした。「何でもいいわ」と気にとめていなかったのですが、大学デビューの前のこの時期に、美容師の技術というものを、真剣に観察することにしたのです。

 すると、このおっちゃんの技術がありえないことに気づかされたのです。

 まず、つかむ毛の量が、めちゃくちゃ多いです。

 普通は、つかんでも10本まででしょう。なのにこのおっちゃんは、毎度のハサミに、100本近くつかんできます。切るというよりも完全に刈っており、農家の人が稲を刈るぐらいのボリュームで、バッサバッサと刈り込んでくるのです。

 ロン毛の男性でも、「短めにしてください」とラフな言い方をしようものなら、10回切って、いや10束ちぎって終わりです。バリカンを持たせた日には、羊の毛を刈り取るようにガンガンにくるので、スーパーサイヤ人の悟空がきても10分かからないでしょう。事実、僕は毎回、5分そこそこで散髪を終えられていたのです。

 「髪の毛を減らしさえすれば客は納得する」

 おっちゃんからすれば、こう考えているのでしょう。文句を言われたとしても、「髪を散らしたよ!=散髪したよ!」とは言えますからね。

 加えて、「時代はテクノやで!」と言って、毎回、テクノカットにしてきます。「やめてや!」と僕が反論しても、「前田耕陽もテクノやから!」と訳のわからないことを言って、強引にバリカンを入れてくるのです。

 なにより、美容師のくせに不潔です。

 高校に入学してから、「たけちゃん、もういい大人やねんから、そろそろ整髪料つけてカッコよく決めや!」と言われたのですが、それを言うおっちゃんが毎回、寝ぐせがついています。「女の子を意識して少しは小ギレイにしいや!」と口にするおっちゃんの首元が、毎回、フケだらけなのです。

 おそらく、いや十中八九、美容師の免許は持っていなかったでしょう。完全な我流で客から髪をむしり取り、技術のなさを、憎めない人柄でカバーしていたのです。

 今回の散髪で、僕は、おっちゃんの技術のなさを確信しました。

 「ほかの店に行ったら、俺はもっとかっこよくなるんや!こんなふざけた店にきてる場合と違うんや!」

 自分にこう言い聞かせたのですが、前歯にネギとニンジンのついた、焼き飯食べたのが丸出しの顔を見ると、言えなくなります。憎めないその人柄に触れると、言葉が奪い去られてしまうのです。

 僕は気持ちを悶々とさせながら、言えるタイミングがあることを信じて、待つことにしました。

 ほどなくして、稲刈りが終わりました。

 ここからは、顔剃りです。

 ですが、この顔剃りがまたひどく、顔に塗る泡の量が少なすぎるのです。「ほとんど直で剃っている」と言ってもおかしくないほど、猟奇的なまでに泡が少ないのです。

 夏場は店内にクーラーがなくて汗だくなので、顔に流れる汗を利用して剃るなんてこともありました。何度か注意して泡を増やしてくれたものの、おっちゃんは気まぐれなので、この日は泡少なめでした。

 しばらくして、髪の毛を洗ってもらうことになりました。

 今思えば、僕はこのためだけに、ヒロタに通っていたのかもしれません。こんなハチャメチャなおっちゃんでも、髪の毛を洗うのだけはうまいのです。

 時間にして10分、念入りに洗ってくれます。髪をこする際、「カシャカシャカシャ!カシャカシャカシャ!」と口ずさむのは気になるものの、それを差し引いても、めちゃくちゃ気持ちいいのです。

 ところが、このあとに再び、地獄が待っています。

 ヒロタは、マッサージのときにおっちゃんからおばちゃんに交代するのですが、このおばちゃんの爪が、めちゃくちゃ長いのです。

 3回に1回ぐらいの割合で「当たり」のときがあり、長い爪が頻繁に首筋に当たってきます。「10秒に1回、ウォーズマンがベアークローで突っ込んでくる」といった感じで、とにかく痛いのです。そして運悪く、今回は当たり月だったのです。

 とはいえ、「この痛みもこれで最後か……」と思うと、それほど痛みは感じられませんでした。僕の心に、何とも言えない寂しさが漂っていたので、地獄の時間も、あっという間に感じられました。

 残されたのは、髪の毛を乾かすときのみ。

 チャンスはもう、ここをおいてありません。話を切り出すのは、今しかないのです。

 ですが、言えません……。今しかない、ということはわかっていても、僕は言えないのです……。

 このとき、僕は初めて、この散髪屋が心の底から好きだったことに気がつきました。

 時代遅れの前田耕陽の話、洗髪の際のカシャカシャ、帰り際に渡してくれる、1人1枚ではなく、半分に切ったガム、1時~5時というありえない営業時間、前田耕陽の隣になぜか貼ってあった、藤波辰巳とのツーショット写真、壊れて手で上げるイス、ひび割れた鏡、そして、おばちゃんのベアークロー。

 形作るすべての要素が「ヒロタ」であり、ヒロタだからこそ、僕は好きだったのです。

 僕は最後の最後にして、このことに気づかされました。僕はヒロタが大好きだったのです。

 結局、僕はさよならを言えないままに、ヒロタをあとにしました。

 ですが、おっちゃんは気づいていたでしょう。

 前の月に、大阪の大学に合格した話はしていたので、僕が1人暮らしをすることに気づいていたはずです。普通なら、「どうや、大学生になる気分は?」と訊いてくるはずなのに、その話がまったくなかったことを考えると、僕の性格を見抜いて、あえて言わなかったのです。

 「たけちゃん、またな!」

 帰り際に言われたこの言葉、今思うと、ジーンとします。おっちゃんは寂しがりやの僕の性格を考えて、この短い言葉こそが、幕引きとしてふさわしい、と考えたのでしょう。

 自転車のタイヤにかけたチェーンをはずしているとき、僕は、ふと透明のドア越しに店の中を見ました。

 するとおっちゃんは、腰の後ろに手を回して、僕を見ていました。やわらかい笑みを浮かべ、まるで僕の門出を祝ってくれているかのようだったのです。


 その日から、10年。

 薄情にも、おっちゃんのことなど一度も考えることなく、先日、僕は訃報を知りました。

 知らせを聞いて、久しぶりにヒロタに行ってみました。

 店のドアには、「事情により閉店させていただきます」と書かれた貼り紙がしてあります。ドア越しに中を見たところ、さすがにもう前田耕陽のポスターはなかったのですが、藤波辰巳と並んで笑うおっちゃんの写真が飾ってあったのです。

 久しぶりに涙が出ました。

 同時に、月に一度顔を合わせただけの人に、これほどの感情を抱くのかと、驚きもしました。

 あのとき、「散髪屋を変えます!でも、また会いにきますから!」と言っていれば、僕の涙はなかったかもしれません。

 僕のこの涙は、おっちゃんが死んだことに対する涙ではありません。自分の子供のようにかわいがってくれた人に、感謝の言葉もなしに去って行った自分に対する、後悔の涙だからです。僕はお世話になった人に、とても不義理なことをしてしまったのです。

 こんなふうに自分を情けなく思えたとき、周りの風景が客観的に見えました。

 寂びれた商店街に木霊する魚屋さんのかけ声、つぶれかけの文房具屋さん……。

 みんな、僕の顔見知りです。でも大人になった僕は、どこか冷めているところがあり、彼らに会おうとはしません。

 あんなにお世話になったのに、あんなにかわいがってくれたのに……。

 「人間関係において、筋をとおす」

 人生において、これほど大切なことはありません。

 「魚屋のおっちゃん、久しぶりやな!えらいかわいがってもうたのに、最近、顔出せんとごめんな!」

 「おー、お前か!あいかわらず、汚い顔してんの!」

 これでいいのです。この小さな会話だけでいいのです。

 僕の母親の話によると、ヒロタは名前を変えて、兵庫県の川西市で、おばちゃんと娘さんとで美容院を続けるそうです。

 場所は遠いですが、今度、その美容院に行ってみることにします。

 久しぶりにベアークローをくらいに。