オバハン連中と行く山登りはどれだけ大変か?の考察~頂上編~(パソコン読者用)
※2009年・9月15日の記事を再編集
「ヨン様会が全員、六甲の山頂に到着したで!」
「よっしゃーーー!!!」
ケンシロウのかけ声に、オバハン連中は雄たけびを上げました。
最高峰であるこの場所は、360度の大パノラマです。
標高931メートルのこの場所からは、神戸の街並みが一望できます。連なる山々が美しく、雲ひとつない空は、青というよりも、濃い水色。空を見上げていると、スライムの中に閉じ込められたかのような錯覚に陥ります。
周囲は、深緑のブナとクヌギに囲まれています。木々のあいだを縫って吹き抜ける風が、頬をやわらかく撫でてきます。頂上全体が清々しさに満ちており、オバハン連中のテンションが上がり始めました。
ケンシロウは、すっかり元気を取り戻しています。花木さん、岡村さんも元気で、カメラ片手にはしゃぎ倒しているのです。
一方、僕の母親とシーラカンスは、くたくたです。雄たけびを上げる元気もなく、2人して汗だくのまま、その場に倒れ込んでいます。
「2人ともいつまで寝てるんや!そろそろ起きろ!」
クレヨンと徳さんがやってきました。
「ほれっ!立たんか!」
こう言って、僕の母親とシーラカンスに手を貸します。2人とも渋々立ち上がったのですが、クレヨンがそばにいる僕のところにやってきて再び、訳のわからない話をしてきたのです。
「兄ちゃんも、えらい疲れてんな」
「大変でしたもん」
「山登りって、そんなに大変か?」
お前がおったからや!俺はお前の相手に大変やってん!お前と一緒やったらどの山もエベレストや!
「そりゃな、わしも登り始めのころは大変やったよ」
「そうですか」
「でも何度も登ってるうちに、棒になってた脚も、すっかり元気マンよ」
「…………はっ?」
「足も腰も足腰も、骨も体も、今では若い奴に負けへんぐらい、足腰よ!」
ごめん、全然意味わからん!東大卒の通訳いるわ、これ!
「ちょっと、わしのこの、左のフクラハギの筋肉を触ってみ」
「……あっ、すごいですね」
「今度は右のフクラハギを触ってみ」
「……あっ、ここもすごいですね」
「今度はこの太ももを触ってみ」
「ここもすごいですね」
「今度はこの太ももの裏を……」
痴女か、お前!周囲に見られたいタイプの痴女か!どれだけ触らすねん、さっきから!
「今度はこのお尻の筋肉を……」
痴女やんけ!徐々にやばいところ触らしてるやんけ!
「とにかく元気よ、わしは。わしは糖尿やねんけど、こないだ医者が、わしに何て言ったと思う?」
「いや、ちょっとわからないです」
「当ててみ?」
当たるか、そんなもん!お前のクイズ難しすぎんねん、さっきから!
「いいから、当ててみ?」
「血糖値が改善してますね、ですか?」
「ブー!」
「……血圧が下がってますね、ですか?」
「ブー!」
「……すべてがよくなってますね、ですか?」
「ブー!全然、ブー!!!」
腹立つわ、こいつ!プロの仕業としか思えん、このイライラのさせ方!
「その医者な、わしにこう言いよったわ。あなたは、たしかに糖尿病です。でもこれだけ元気があれば、いずれその病は治るかもしれないでしゅ、ってな」
噛んだぞ、おい!散々引っ張っといて決めゼリフ噛んだぞ、こいつ!
「で、頻繁に運動してるから、食事のおいしいことおいしいこと!今では毎日、カツ丼よ!」
「そうですか」
「兄ちゃんの周りにおるか、年寄りでカツ丼食うような奴?」
焼肉がおんねんけど!?それも朝からフルガバニンやねんけど!?
「病気に勝たないとあかんからカツ丼とか、そういうことと違うで!そんなんと違う、そんなんと!ハハハハハ、病気に勝たないとあかんからカツ丼とかそんなんと違う!」
何がおかしいねん、お前!さっきから急にツボに入るけど、それのどこがおもしろいの!?なあ、徳さん!?
「あー、うまい、このたくわん」
たくわん食ってた!俺の真横で1本丸ごとかじってた!ちょっと待って、俺、たくわん丸ごとかじってる奴を初めて見てんけど!?
「それよりも兄ちゃん、わし、ボーリングによう行くねんけど、なんぼ出すと思う?」
「いや、わからないです」
「いいから言ってみ?」
「……100ですか?」
「アホな」
「150ですか?」
「アホな!150ぐらいやったら、わざわざ発表なんてせえへんよ!」
「じゃあなんぼ出すんですか?」
「170や」
あんまり変わらんやんけ!150とあんまり変わらんやろ!
「たまに170出すんや」
たまになん!?偉そうに啖呵切ってたけどたまになんや!?
「この徳さんなんて、毎回、100そこそこや」
「アホ言え!わしかて170出すこともあるわいや!」
「たまにやろ?」
お前もたまにやろ!お前も170出すんはたまにやろ!
「2人とも、アベレージはどれぐらいなんですか?」
「アベレージって何?」
「……平均値です。平均したら、1ゲームでだいたい、どれぐらいなんですか?」
「そうやな。平均にしたら、だいたい100やな」
ヘタやろ、お前!偉そうに言ってたけど、アベレージ100って普通にヘタやんけ!
「わしは100もないな」
ドヘタやんけ!お前に至ってはドヘタやろ!何を2人して偉そうに言っとんねん!
「拓美ちゃんは毎回、70ぐらいやな」
家いとけや、拓美ちゃん!アベレージ70の奴がのうのうと毎回行くなよ!婿養子で家に居場所がないかどうか知らんけどよ!
「兄ちゃんもボーリングとかすんの?」
「たまにしますよ」
「アベレージはどれぐらい?」
「……僕は120ぐらいですかね」
「アベレージで?」
「……ええ」
「ほんまにアベレージで?」
「ええ」
「最高得点じゃなくて、アベレージがほんまに120なん?」
アベレージって言いたいだけやろ、お前!覚えたての横文字使いたいだけやろ!NOVA帰りのサラリーマンか!
「わしなんてもうすぐ、マイボールを買おうと思ってんのよ。すごいやろ、わしはもうすぐ、マイボールを買おうと思ってんねんで?」
買ってから言えや!買おうと思ってるだけやろ、お前は!
「兄ちゃんに1回、わしが投げてるところを見せてやりたいわ」
「ま、まあ、機会があれば」
「しゃあない。今日は特別に、ここで投げるところを見せたるわ」
「いや、また今度でいいですよ!」
「ボールをこうカーッと持ってやな!ボールの穴にこうカーッと指を入れてやな!」
「あー、そうですか」
「ボールをこうカーッと握ってやな!ボールにこうカーッと指先の力を集中してやな!」
どこ説明してんねん、さっきから!ボールの持ち方とかどうでもええわ!投げ方を説明せいや!
「足は開いたらあかん!足を開いて投げたらミゾにはまってしまう!」
「そうですか」
「で、視線は前や!前だけをカーッと見て、ほかは何も見るな!」
「そうですか……」
「目をカーッと見開いて、中央の長い棒だけをカーッと見すえて余計なことは一切考えずに……」
いつ投げんねん、お前!なあ、マジでいつ投げんの!?このままいったら俺が餓死するかお前が老衰するかのどっちかやぞ!
「で、ボールを見て念じるんや!ストライク出ろ、ストライク出ろってな!」
技術関係ないやんけ!お前、足がどうとか視線がどうとか言っといて結局は神頼みかいや!
「で、持ち上げたボールを後ろに回して……」
やっときた!我慢したかいあってやっと投げるところまできた!
「カーッと投げるんや!」
ええ加減にせいよ、お前!全然わからんねん、お前の説明!で、カーッとってなんやねん、さっきから!池上彰ブチギレるぞ、そんな説明してたら!
「それより徳さん、たくわん食ってるやんけ!」
「うまいわ、これ」
「たくわんあるんやったら言ってくれよ!」
「めっちゃうまいわ」
「ひと口よこせよ、この野郎!」
「イヤじゃ」
「いいからひと口よこせよ!」
「落ち着け、落ち着け!」
何のこぜり合いやねん、これ!なあ何、このオッサン同士の気持ち悪いじゃれ合い!?
「ひと口よこせよ、拓美ちゃんところのたくわん!」
漬物屋なん、拓美ちゃんって!?漬物屋に婿養子に入ったん!?未来あんの、その人!?
僕はオッサンの相手に疲れたため、オバハンのほうに移動しました。
ですが、オバハンのほうの相手も大変です。
僕の母親とシーラカンスも、キレイな景色を見たことから、元気を取り戻しています。全員して往路同様、訳のわからない会話を連発しているのです。
そこで今回は、「山の戦い」の最終話、「オバハン連中と行く山登りはどれだけ大変か?」の考察~頂上編~です。
「やっほー!」
「やっほー!やっほー!」
オバハン連中は、やまびこを求めて叫び始めました。
近くには、ほかの登山客もいます。頻繁に大声を出すなど、ここでも周囲を圧倒しているのです。
「やっほー!やっほー!……ちょっとたけちゃん、返ってこおへんねんけど!?」
知らんがな、そんなもん!俺が隊長か知らんけどなんで俺の責任やねん!
「やっほー!……ちょっと、たけちゃん!?」
わがままもええ加減にせいよ、お前ら!貴族か!
「山の神様が眠っているんと違うか?」
クレヨンが入ってきた!後ろから急に来やがった!
「今日は日曜日。山の神様も休日で……」
「やっほー!」
無視された!オバハンにあからさまに無視された!
「山の神様も人の子。時にはお休みになられる」
「やっほー!」
「体をいたわりになられ、山の神様とはいえ、夏には汗をおかきになる」
「やっほー!」
「そのしずくが雨となって乾いた山々に潤いを与え……」
「やっほー!」
あきらめろや、もう!いじめに近いレベルで無視されてるんやから、さすがにあきらめろや!かわいそうやからもう、俺が聞いたるわ!
「山の神様も、汗をかくんですね」
「山の神様も人の子。汗をかけば用も足される。その汗が雨になり、機嫌が悪いときには嵐にもなる。それが山の神様でそれを受け止めた人間は……」
長い長い!元号変わるわ、もう!
「しかしいい天気やなこんなに晴れてるんやったら布団干してきたらよかったわへへへへへ!」
お前は速い速い!長さと速さのコラボ!
「ところで兄ちゃん、徳さんのたくわん食べへんか?」
いらんわ!なんで漬物回し食いしないとあかんねん!
「あんたは?」
「いりません」
「あんたは?」
「いりません」
「岡村さんは?」
「いりません」
「山本さんは?」
「いらん」
全員に訊くなよ!たくわん丸ごと渡されてかじる奴なんておるわけないやろ!
「あんたは?」
「ちょうだい」
おった!シーラカンスがもらった!
「あっ、これおいしい!」
「そうなんや。じゃあうちもひと口ちょうだい?」
「うちもちょうだい?」
「うちもうちも!」
疎開先か、ここ!配給に群がってんのか!
「(ほかの登山客に)あんたもどうや?」
引いてるやんけ、そいつ!見知らぬ奴にたくわん見せられてドン引きやんけ!
「あんたは?」
俺や!さっき断った俺や、おい!散々相手したった俺や!今日、お前の相手に命削ってがんばったバスコや!
「あっ、兄ちゃんか」
なんで忘れんねん!ケンシロウ、もうそろそろこいつにキレたってくれ!?
「あかん、酒がほしくなってきた」
酒が切れた!怒るとかじゃなくて酒が切れた!
「山本さん、ウイスキーがあるよ」
「いいねえ」
また出た、この会話!どぎつい会話がまた出た!
「あそこに徳さんがおるから効かしといで!」
効かすも出た!悪質なデジャヴやわ、これ!
オッサンとオバハンの会話に巻き込まれた僕は、異常なまでの疲労を覚えました。急に1人になりたくなり、その場を離れました。
僕はここまで、タバコを我慢しています。頂上まで我慢したら、そこで吸うタバコが最高においしいからです。
近くの草むらに入ってタバコを吸ったところ、おいしすぎて卒倒しそうになりました。たくさんの怪物をクリアしてきた充実感からも、泣きそうになるほどなのです。
この季節、眼下に広がる空の青は、目にまぶしいほどです。
一方、近くではススキが風に揺れ、秋の到来を感じさせます。
季節の変わり目をダイレクトに受け止め、その感覚がタバコのおいしさに拍車をかけます。僕は携帯灰皿でタバコをもみ消し、気がつくともう、次のタバコに火を点けていました。
「たけちゃん、記念写真を撮ろうや!」
しばらくして、ケンシロウが僕のところにやってきました。
遠目に見ると、「931メートル」と標記された標柱の前に、全員が集まっています。クレヨンと徳さんもおり、見知らぬ人にカメラを渡して、僕の到着を待っています。僕は駆け足でその場に向かったのですが、全員がもう、あいーんの顔で静止してるんですよ!
何の集まりやねん、これ!なあ何、この妙なカルト宗教!?
「たへちゃん、早く来へよ!」
シャクらせながら言うな!ていうか、顔戻せよ!シャッター押す寸前でいいねん、そんな顔!
花木さんに至っては、またしてもアゴに手をあてるのを忘れています。今度は腰に手をあてて仁王立ちしながらアゴだけシャクらせているのです。
だからどう思われたいねん、さっきから!なんや、お前のことを好きな奴がシャクレフェチなんか!?
「たへちゃんがはやく来へくれないとアゴがおかひくな○△※☆♯○△※#!」
速い速い速い速い!最後もうわからん、ほんで!
「早く来へくれないとイヤヒヤーン!」
お前は黙れ!シャクレながらブリッコすんなよ、気持ち悪い!
「あいーん、兄ちゃん、早くしへえな!」
あいーんっていちいち言うな!ていうかクレヨン、あいーんは、あいーんと言わないとダメって勘違いしてないか!?ケンシロウに指南されたんやろうけど、「あいーんはアゴだけではなく言葉もセットで」と思ってないか!?
「兄ちゃん、アゴが痛ひから早く来へくれ、あいーん!」
やっぱりそうや!クレヨンは勘違いしてる!
僕は恐怖におののきながらも、端っこに陣取りました。
すると横から見たメンバーの口元が、たくわん食べたせいで軒並み黄色いんですよ!「ペンキを主食にしてます!」というぐらい、全員が目をひんむきながら黄色い口をおもいっきり突き出してるんですよ!
何がお前らにそうさせんねん!言うとくけど、今もしB29が来たら、ピンポイントでここ爆撃してくるぞ!それぐらい危険な集まりやぞ、この団体!
シャッターを押してくれた女性は、ずっと半笑いでした。僕もおかしくて肩の震えが止まらないなど、人類史上に残る写真撮影だったのです。
「そろそろ、昼ご飯にしようや!」
「よっしゃー!!!」
時刻は午後2時40分。頂上を少し下ったところにある広場に移動して、遅めの昼ご飯を食べることになりました。
昼ご飯は全員、持参してきています。用意してきていなかったクレヨンと徳さんも誘い、総勢8名で食べることになりました。
僕の母親は僕の分も含めて、たくさんのおにぎりを用意してきています。岡村さんは手作り弁当で、シーラカンスはコンビニ弁当です。
元シェフの花木さんは、仲間のためにたくさんのおかずを用意してきています。サンドイッチ、ハム、から揚げ……。色とりどりのおかずを見て、全員が歓声を上げました。
ところがメンバーに1人、えげつない食料を持参している奴がいるのです。「エサ」と表現しても差し支えなく、まだフタを開けていないにも関わらず、すでに外側から獰猛さが漂っているのです。
その女、いやその男、いやその怪物は、「あー、たまらんわ!」と言って、弁当箱のフタを開けました。恐る恐る見たところ、豚足がびっしり詰まってたんですよ。
勘弁してくれよ、おい!ランチやんな、これ!?出兵する沖縄人の壮行会会場と違うよな、ここ!?
「いい匂いしとるわ!」
完全に怪物が言いそうなセリフやんけ、それ!昔話で、怪物が人間を食おうと鍋煮てるときのセリフやんけ!
中央であぐらをかくこの怪物は、弁当箱を2つ用意してきています。1つは豚足だったので、もう1つはさすがにヘルシーな奴やろ、と高をくくっていたのですが、ふと見たもう1つの弁当箱に、特大のイカメシが3つ入っていたのです。
一揆の前か、お前!そのボリューム、これから戦いに行く奴の飯の量やんけ!
「2人とも遠慮せんと、花木さんのサンドイッチを食べや!」
お前のをやれ!ちょっと待って、1人で食う気なん、これ!?全員でつつくとかは考えてないの!?
その怪物は素手で豚足をつかみ、骨ごとゼラチン質にむしゃぶりついています。イカメシも素手でつかむなど、女性色は皆無、それこそ人間色も皆無な、完全なるケモノなのです。
なのに驚く僕を尻目に、オバハン連中は意に介しません。
「事務総長のいつものエサやで!」
こう言うかのごとく、そのことに一切触れません。ゲラゲラと笑いながら食事をしているのです。
「事務総長、豚足を1個、いただいてよろしいでしょうか?」
「1個だけやで」
「ありがとうございます!」
「それにしても事務総長、よく食べますね?」
「当たり前やろ。歳いってきたら、食べてなんぼやで!」
「ほんまやな。ハハハハハ!」
「ハハハハハ!」
「プゥ!」
「またオナラかいや!ハハハハハ!」
「ハハハハハハハ!」
この連中を見ていると、価値観が変わります。ことの良し悪しは別にしても、人間らしい自分が顔を出すのです。
僕は今日1日をとおして、抱き続けていた1つの感覚がありました。山に登りながらも常に、その「何か」を考えていました。そしてその答えが何なのか、この連中の笑顔を見て、はっきりとわかったのです。
それは、「おおらかさ」です。
全員が全員、腹の底から笑っているのです。
汚い顔したオバハンも、脇毛を生やすオバハンも、ブリッコをするオバハンも、早口のオバハンも、オッサンみたいなオバハンも、今というこの瞬間を心底楽しんでいるのです。
こんなオバハンといえども、この人たちはこの人たちで、背負っているものがあります。
僕の母親は、娘夫婦の関係で悩んでいます。離婚するしないでもめており、そのことを考えると、食事がノドをとおりません。
岡村さんの家は、めちゃくちゃ貧乏です。幼少のころからずっと貧しく、人生を通じて、まともな生活をしたことがありません。
花木さんはバツイチです。旦那と別れ、同時に、勤めていた大阪のレストランもつぶれました。昨年、中学生の子供と一緒に、実家のある尼崎市に帰ってきたのです。
シーラカンスには子供がいません。「養子に入らへんか?」と僕に頼んできたこともあるぐらいで、子供ができないことを悲しみ、今でも子供の話になると、目に涙を浮かべて話すのです。
ケンシロウに至っては、6年前に、旦那さんを病気で亡くしています。
僕は今でも忘れません。お葬式で、ケンシロウが旦那の棺桶から離れなかった姿を。
「おとうちゃーん!」
泣き叫ぶその姿は、まるで旦那のぬくもりを搾り出そうとしているかのようで、いまだに僕の網膜から離れないのです。
オッサン2人もそうです。
話をするうちに、2人は若き日に、同じ工場で働いていた同僚だということがわかりました。
クレヨンは持病の糖尿が悪化して2年前にやめ、徳さんは途中から工場を経営し始めたものの、昨秋に潰れて現在は無職。借金が3000万円あり、クレヨンは健康改善に、徳さんはイヤなことを忘れるために月に1度、この六甲の山を登っているそうなのです。
みなさん、こいつら見てくださいよ。こいつらの人生、見たってくださいよ。
こんな奴らが、ゲラゲラと笑っているのです。背負う十字架を引きちぎって、人生を謳歌しているのです。
食事中も、この連中は、ひたすらくだらない話をしています。
「あんた、借金、3000万もあんの?」
「そうや。何回、自殺考えたことか」
「どうするんよ?」
「知らん。何とかなるやろ。それよりもわしは、下山してからのビールのことで頭がいっぱいや!ハハハハハ!」
「笑いごとと違うやろ、あんた!」
「それよりあんた、男みたいな顔してんな。金を貯めて、整形とかしたら?」
「やかましいわ!」
「ハハハハハ!」
「ハハハハハハハ!」
クレヨンに至っては60すぎの病人にも関わらず、ケンシロウの巨乳をちらちらと見ているのです。
バカ話を繰り返す中、シーラカンスが言いました。
「みんな欠点ばっかりやな!ハハハハハハハ!」
人間は、みんな欠点だらけです。欠点だらけで、悩みごとだらけです。ただそれでも、今日1日を笑えたら、こんなすばらしい人生はないのです。
ここにいる連中の視線は、そう語っています。年輪を経た深みのある視線が、語らずとも、若僧である僕にそう語っているのです。
このことに気づいたとき、ここにいる人間が全員、山の神様に見えました。
なにしろこの連中、これから下山するというのに、いつまでもゲラゲラと笑っています。再び苦難が待ち受けているというのに、誰もが幸せそうに笑い続けているのです。
それはほかの登山客も同じで、年配の方が多い中、誰もが笑っています。人生にくたびれている素振りも見せず、今この瞬間という時間に、青春しちゃってるんですよ。
その姿を見ていると、何とも言えず、心地いいです。自分のことのようにうれしく、「俺は今、生きているんだな!」と、自分の人生すらも輝いて見えるのです。
「山の神様というのは、山にいる人間のことである」
誇張でもなんでもなく、僕は心の底から、こう思いました。
むき出しのおおらかさを見せられると、自分の悩みごとがアホらしく思えてきます。体中の血流がたぎり、何だか空も飛べそうな気がしました。
食事を終えた僕らは、下山することになりました。
みんなで弁当箱を片付ける中、僕の母親が僕に訊きました。
「今日、ありがとうな。いろいろと大変やったやろうけど、今日の登山、どうやった?」
僕はこの「山の戦い」で、いろいろと苦しめられました。言いたいことがたくさんあったのですが、この連中のおおらかさにやられて、当たり前のように、こう口にしていたのです。
「楽しかったわ!」