白梅の失せし夜の香水辺にて 掌
<アベカン>と親しまれた阿部完市先生。
俳句はやわらかい言葉でつむがれていて、
非常に難解。
評論の緻密さは言うまでもないこと。
阿部完市氏に初めてお目にかかったのは海程の句会。
俳句を始めたばかりの秩父での俳句道場。
全国から海程の同人・会員が集まっての句会でのこと。
このとき問題になった句
「上陸す友人そして鶏も」、
野武士といった感のある関西古参から、
「なぜこんな句を主宰・金子兜太はとるのか!?」と
舌鋒鋭く発言があり、そこから議論の火蓋がきられ、
延々2時間あまりも一句に喧々諤々。
阿部完一氏も意見を求められ応戦。
最初は夕食後ということもあり宿の浴衣姿だったのが、
途中からスーツに着替えられ、論戦に臨む。
この句の作者が<阿部完市>であった。
2年ほど阿部完市先生の講義を受けた。
一回が3時間ほど。
論理・知識を明快に語る。
語り口は穏やかなのだが、中身は辛らつ。
「今の俳壇で俳句がいいのはいない。兜太がまあまあ。
兜太は言葉が剛腕
兜太のすごいのは大ホームランも大三振も平気で発表すること」などなど。
講義中でも俳句が浮ぶと、
中断してサッとメモをとるのが印象的だった。
地名の兼題が出て、
私の提出した句「えいさらえい熊野湯の峰桜騒」、
説経「をぐり」から「小栗判官」の道行きの道中を
さらさらと日本地図を描き解説してくださったことなど
懐かしい。
昼顔やかゆれかくゆれわれも昼顔 完市
この色紙、好きな句を書いてくださるとのことで、
句集『軽のやまめ』からこの句をお願いした。
この「軽」は軽皇子。
四国松山にあるという軽皇子(かるのみこ)の
お墓を教えていただき訪ねたことも。
一見お公家さんのような風貌だが、「貧乏人でした」とも。
合掌。
◆阿部 完市(あべ かんいち、1928年1月25日 - 2009年2月19日)
俳人、精神科医。東京生まれ。
1962年 金子兜太の「海程」4号より入会、同人。
1965年 第2回海程賞
1970年 第17回現代俳句協会賞
1974年より「海程」編集長。
現代俳句協会、国際俳句交流協会、日本ペンクラブ会員。
現代俳句協会の副会長を1997年から2008年まで務めた。
句集『無帽』『絵本の空』『純白諸事』
【曲目】
夕暮れの情緒(モーツァルト)
さすらう若者の歌 から(マーラー)
メーテルリンクの詩による6つの歌(ツェムリンスキー)
2つの日本の子守唄 (細川俊夫)
【演奏】
藤村実穂子(メゾ・ソプラノ)
ヴォルフラム・リーガー(ピアノ)
【収録】2023年9月27日 東京文化会館 小ホール
高崎兜太句会2017年2月16日、
他界される1年前のこと。
じつに颯爽としてらした♪
◆兜太句会、1月はお休みで、2ヵ月ぶり。
金子兜太『いま、兜太は』岩波書店 2016年12月刊の
著作を手にすることができた。
雄渾な「金子兜太」の署名が、たっぷりとした筆で書かれて♪
きょうの兼題は「早春」。
珍しく季節にふさわしい。
じつは12月に句を提出している(!?)
選句はかなりばらけ、4点が三句、
問題句で4点、2点問題句2点の句がある。
冬瓜の白濁は優しい闘志
評:この「白濁」、冬瓜にふさわしいか、どうか。
兜太:可もなく不可もない、どこかあいまいな句。
「冬瓜」でなく、もっと独特なものにかえる。
月のいろして早春の石切場
評:早春の石切場がいい。
その石が月のいろというのも独特か。
兜太:月のいろした石切場がいい。
好感、実感がある。「早春」だとあまい、ほかのものに。
<月のいろして狼の石切場>
と「早春」を「狼」にかえるのは、どうだ。
早春や私の中の犀起きる
評:「犀」がどうか。
兜太:これは「や」でなく「の」。
「早春の」でわかる。
季節と生きものとしての作者が呼応する。
早春あかつき水に眠れる青き鷹
兜太:句に格調がある。
早春「の」あかつき、と「の」をいれる。
青き鷹はわたしの句。
少年のおとがい青み春しし座
兜太:うまい句。「おとがい青み」がいい。
春「の」しし座、と「の」をいれる。
合評のあと、兜太師によりだーっと全73句を講評。
このおりに句の評価がかわることも。
「第一感、実感を信じて、書く」と強く言われた。
若き日の小澤征爾さん、群響を振る!
小澤さん、群馬交響楽団を振っていたのは1957年ころ。
あのスクーターでヨーロッパ「音楽修行」の2年前のこと。
赤城や群馬県内だけでなく北海道へも同道。
群響も若い、小澤さんも若い。
群響50年史を引用いたしますので、ご覧ください。
◆小澤征爾らと若手指揮者たち
「このころの群響メンバーは20人前後で、また入れ替わりも激しかった。
演奏会の指揮はほとんど渡邉暁雄と日比野愛次が担当していたが、
ときには指揮者がいなくて困ったこともあった。
そこで、渡邉から桐朋学園大学創始者の斎藤秀雄を紹介され、
斎藤のもとで勉強中の若手指揮者たちに来てもらうことになった。
小澤征爾、山本直純、岩城宏之、久山恵子ら、
のちに有名になった俊才たちが続々と群響にやってきた。
それにつれて群響にも活気が出てきた。
とくに小澤は、安中、館林、赤城山、やがては北海道まで同行して、
あの独特の指揮ぶりを見せてくれたのである。」 群響50年史より