作家それぞれの「写楽」。
じつに多くの作家が「写楽」の謎に挑んでいます。
まずは皆川博子「写楽」、映画の原作。
kadokawaから1994年刊
◆江戸の町に忽然と現れた謎の浮世絵師・写楽。
天才絵師・歌麿の最大のライバルといわれ、
名作を次々と世に出すとたった十か月で消えてしまった。
写楽とは何者だったのか。
ひたむきに夢を追う若き芸術家たちを描き切る。
(Amazon 本の紹介より)
皆川博子『写楽』角川文庫 2020年
高崎兜太句会の12月は句会&忘年会。
恒例の兜太先生の<生歌>もこの会ならでは♪
2016年のこと(他界の14カ月前)。
◆そのブログはこちら
兜太句会、今日の兼題は「台風」。
九月の台風続きのときに出された題なので、
ちょっと季節にそぐわない。
三句選&問題句を一句という選句。
めずらしく七点という高得点句があり、その句から合評。
無花果や直情というゆきづまり
評:「直情というゆきづまり」が言い得ている。
兜太:いい句、よくできている。
中七下五に配する「無花果」が働く。
無花果の実がつまっているのが感じられる。
台風北上朝日に甘き山羊の乳
これは六点句。
評:台風が北上して、その朝陽のなかで、
ことのほか山羊の乳が甘い、と。しっかりと書かれた句。
兜太評:緊密にできた句。うまい。
台風来ぎりぎりと人体錆びて
評:焦燥感、台風が来たときの感情、体感が
「ぎりぎりと人体錆びて」で表現されている。
錆びるときの音が「ぎりぎり」
兜太評:上の評がいいな。強張り。
実感としていただけないが、これは問題句だな。
「ぎりぎり」がどうか。
この句は評を書けといわれたら、二ページは書ける。
これは掌の句。
他に選二、問題句四が
蓑虫の軌道修正すーっと河馬へ
兜太:言葉が踊り、中味がない。河馬はやり過ぎ。
兜太先生、エネルギッシュに全句講評。
すこし早めに終リ、忘年会へ。
忘年会からの参加者が二名。
メンバーによる一言のあと、
〆に先生のひさびさの<生歌>。
「特攻隊が、これを歌って、突っ込んでいくんだ」
「イヨッ、TOUTA!」と大向こうもかかる。
「来年もよろしくお願いします」と三本締めで、終了。
篠田正浩監督 映画「写楽」
大河ドラマ「べらぼう」は昨日最終回。
初めて蔦屋重三郎と出会ったのはこの映画「写楽」。
原作・脚色は敬愛の作家・皆川博子。
<写楽研究家>としても知られている
俳優・フランキー堺の念願の<写楽>の映画化。
企画総指揮をとり、その蔦屋重三郎を演じる。
その写楽は真田広之。
この「写楽」は映画館のスクリーンでもう一度、観たい♪
◆写楽は寛政6年から7年にかけて浮世絵界に突如として現れ、
およそ140種の役者絵と相撲絵を残して消えた。
謎の浮世絵師・写楽の、
霧に包まれた正体に迫るドラマ。
1995年公開
原作・脚色:皆川博子
監督:篠田正浩。
撮影:鈴木達夫、
音楽:武満徹。
95年度キネマ旬報ベストテン第5位。
松竹創業100年記念協賛作品。
映画
「写楽」
◉寛政3年(1791年)、
舞台を見ていた大道芸人のおかんは稲荷町役者・「十郎兵衛」が
市川團十郎の上るハシゴに足を潰されて血を流しているのを発見。
役者として使いものにならなくなった彼を大道芸の道に引き込む。
「十郎兵衛」は「とんぼ」と呼ばれるようになる。
おかんたちと一緒に吉原界隈などに現れてはケチな商売をし、
歌舞伎小屋に出入りして書割りを描く手伝いをしていた。
◉山東京伝や喜多川歌麿といった人気浮世絵師を抱える版元の蔦屋重三郎は
京伝の描いた洒落本がお上のご禁令に触れ、手鎖50日の刑に服していた。
将来に不安を感じた「歌麿」は蔦屋を見限り、他の版元へ鞍替えする。
蔦屋は起死回生を図ろうと幾五郎や鉄蔵などを使って役者絵に挑戦する。
ある日、鉄蔵が名もない男が描いたという絵を蔦屋に届ける。
上手ではないが、溢れかえる毒気に魅力を感じた蔦屋は
早速その絵の描き主・十郎兵衛を探し出し、役者絵を描くように説得を試みる。
こうして謎の絵師・東洲斎写楽(幾五郎いわく「人を真似る楽しみ」)が誕生し、
世間や役者たちに反感を買いながらも一世風靡する。
◉歌麿はこの才能に敏感に反応し、自分の地位を危ぶみ、
謎の人物を探し、ようやく十郎兵衛であることを突き止める。
十郎兵衛を見た歌麿はたびたび吉原に
姿を現していた大道芸人であったことを思い出し、
しかも自分の贔屓(ひいき)の花魁・花里と
懇意であったことから嫉妬の炎を燃やす。
二人を江戸から追放させようと画策。
「世の中は地獄の上の花火かな」と逃げる二人はすぐに追っ手に捕らえられ、
十郎兵衛は拷問を受け、花里は薄汚い女郎屋に売られてしまう。
◉寛政9年(1797年)、蔦屋の葬儀の日、
立派な行列や見物人の中に歌麿や幾五郎(十返舎一九)、鉄蔵(葛飾北斎)、
そして大道芸人に戻った十郎兵衛の姿があった。
オペラ「ルイーズ」シャルパンティエ作曲
エクサンプロヴァンス音楽祭
2025年7月3・11日 アルシュヴェシェ劇場
NHKBSプレミアムで放送されたもの。
指揮はジャコモ・サグリパンティ
管弦楽はリヨン国立管弦楽団。
シャルパンティエはプッチーニと同時代のフランスの作曲家。
ヒロインはお針子、恋人は詩人で、
まさにプッチーニ「ボエーム」と同じ設定。
ルイーズを歌うエルザ・ドライシヒをはじめ、
歌手たちはとても聴きごたえがある。
このオペラは「いつまでも両親に子ども扱いされ、
籠の中の鳥のように愛されて苦しむルイーズの物語。」
父娘の共依存というか、近親相姦を匂わせるような演出。
そのクリストフ・ロイの演出、場所がすべての幕を通して現代の病院。
この読み替え演出、意図はそれとしても、
ごく稀にしか上演されない(日本では?)このオペラ、
もっと明解であってほしかった・・・
皆川博子『昨日の肉は今日の豆』河出書房新社 2025
12月9日、昨日発行です♪
敬愛の作家・皆川博子最新作品集。
小説の女王の短編・詩・俳句・歌詞・長編のスピンオフ、
ことばの織りなす多様な作品が収録されて。
雑誌やアンソロジーなどで拝見していましたが、
こうして纏めた作品集は繊細にして、
言葉のすみずみまで麗しい。
現世と幻想の地が自在にゆきかう・・・
俳句ではこちら好きです。
夜がわたくしをみつめる鏡のように
月光をたてがみとして白馬(あお)疾驅(はし)る
泰山木よあなたの前に額(ぬか)づきます
装丁は柳川貴代さん、
装画:カイ・ニールセン「太陽の東、月の西」
こよなくうつくしい書籍です。
◆本紹介はこちら(Amazonより)
敗戦の喪失、感染症の混乱。
反転する社会のなか、独り生き続ける人々が見つめるものは――。
幻想、ミステリ、詩歌を自在に横断し、言葉と物語の極致へ。皆川博子最新作品集。
・
物語の女王が統べる幻想の王国へ
・
戦時下の日常と古代の戦乱が共鳴する「牧神の午後あるいは陥穽と振り子」、
豆化症に罹った夫と暮らす老女の明日は……「昨日の肉は今日の豆」、
花々の香りが戦火の記憶を呼び覚ます「香妃」、
家に子供を奪われた叔母が覗いた夜の夢「Lunar rainbow」――
短篇・俳句・詩27篇と書き下ろし短篇「ソーニャ 序曲」(『ジンタルス RED AMBER』スピンオフ)を収録。
現世と彼方融け合う、幻想作品精華。
【目次】
薊と洋燈
藤棚の下で
椿と
罌粟の家
壜の中
川のほとり
夏を病む
ララバイ
君よ、帰り来ませ
『希望』
あやとり
牧神の午後あるいは陥穽と振り子
試作1
靑へ
泰山木
忘れ螢
人形の家
しらない おうち
主さん 強おして
昨日の肉は今日の豆
ソーシャル・ディスタンス
夕の光
風よ 吹くなら
香妃
哀歌
Lunar rainbow
Fragments
ソーニャ 序曲
解説・篇:日下三蔵
「ゴースト」見えないものが見えるとき」
アーツ前橋で観てきました!
諏訪敦作品を目当てでしたが、
じつに意欲的な現代美術作品の展示がずらりと並ぶ。
そのなかには丸木夫妻の屏風に描かれた
広島の図、衝撃でしばらく動けませんでした。
諏訪敦作品は舞踏家・大野一雄の
「ラ・アルヘンチーナ頌」を継承するダンサーを描く。
あわい灰色の濃淡に腕が、身体が、足が動く、
その浮遊感、時間すら二次元に落とし込む。
12月21日(日)まで
◆アーツ前橋 ホームページ
◆ゴーストをキーワードに現代美術の表現を紹介する展覧会「ゴースト 見えないものが見えるとき」が前橋にて開催 |