東北WWOOF終了
安比高原でのWWOOF生活を終え、秋田経由で札幌にもどります。
ホストの方から今後の事についてもいろいろ参考になるような
話を聞けたし、海外の人たちと話す中で、自分が日本の事や、
生まれた東北のことも、よくわかってないなとつくづく感じました。
知らないということは、何にしても進歩しないなと。
更に修行を続けます!
加代子さん、引田さん、コージ君、グレッグ、リーン、
モナさん、お世話になりました。
またどこかでお会いしましょう。

今日もニュースでは連日普天間の問題が報じられていますが、
沖縄にいた際、、ホストファミリーも米軍には出て行ってほしいと
身近な問題として皆問題意識は高く、報じられていませんが、
ヤンバルの高江にヘリパットの建設計画が進んでおり(普天間の移設とは別に)、
今も反対の座り込み活動が行なわれています。
旅先で知り合った方が、それに関わっていたことを後で知った時も、
やはり無知な自分が恥ずかしいと思ったものです。

最近の中国海軍の沖縄沖での挑発行為が何を意図したものなのか
米軍との間で日本政府に揺さぶりをかけるために水面下で合意してるのでは?
という推測もありますが、個人的には抑止力は必要だと考えています。
しかし、沖縄にだけあんなに負担をかけてもいいのか・・・んーー。
達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)
カナダ人のリーンと台湾人のモナさんを連れて平泉へ。
平日の雨天ということもあり、観光客もまばら。
最初は平泉の歴史と日本の平安時代の雰囲気を
知ってもらうべく江刺藤原の郷へ。
そこから中尊寺、そして近くの石仏と崖の下に建つ
毘沙門堂を見に達谷窟毘沙門堂へ。
中尊寺建立の経緯を知ってもらうには、
藤原清衡の生い立ちを知ってもらわなければなりません。
モナさんは英語、韓国語、北京語が堪能で日本語勉強中。
リーンは英語のみで日本語勉強中。
僕の英語の説明でわかってくれたのかどうか。
その都度モナさんが要約してくれて助かりました。
この岩面大仏は前九年の役、後三年の役で亡くなった
人々を供養するために掘られたと伝えられ、
源義家が馬上から弓張で掘ったとも言われているようです。
この毘沙門堂は坂上田村麿が蝦夷の長・悪路王を倒し、
この地を平定した際に、毘沙門天のご加護を感じ、
京の清水寺の舞台を真似て建立されたと云われます。
東北は平安時代の蝦夷征伐に絡んで、坂上田村麿に関する
信仰が各地に残っています。(田村信仰)