一日一読~『毒』~ -2ページ目

恩師とともに②

前回は高校時代だったので、今回は私の中学時代の恩師について書くとしよう。
というのも、今日はその恩師(が私の母校から赴任した)の学校のレッスンに行ってきたからだ。もともと彼が母校にいた頃はもちろん、その学校に赴任してからもちょくちょく今まで顔を出していたが、私も当時は学生だったので定期的ではなかった。それから彼が赴任して早4年が経過し、部の組織もだいぶしっかりと彼の方針、やり方に定着し、良い土壌が出来上がってきた。私も一人の社会人となって時間が作られるようになったので、それに便乗して音楽的な面をもっと育ててやりたいなと思ったのである。ある日の何気ない会話の中で、恩師はその計画を快く了承してくれ、その上お前の勉強にもなるだろうからどんどんやってくれとまで言ってくれた。これで私に火が付いたわけである。また、ひとりの教え子やOBから先生としての立場に変わったのである。
そんなこんなで今日のレッスンは5回目だった。その中で、恩師は教育実習の指導教官さながら、目を光らせているので一歩も油断の隙がない。最も彼はとても「人間づくり」を第1に重んじていて、音楽ももちろんなのだが、それ以上に『教育』という面においてとっても勉強になる。さらに、その私のレッスンに対しての色々なアドバイスが的を得ているので、私にとってもいい刺激で成長材料ともなる。私の中で真の教育者と思う内の1人だ。彼からはそういった面を十分勉強させてもらい、吸収しようと思う。
また、子供たちも非常に柔軟で吸収が早い。恩師が面倒を見てるからというのももちろんあるが、もともとの子供の能力が高いというのもある。だから、指導をしていて非常に楽しい。これぞ指導者冥利に尽きるといった感じだ。良くするのも悪くするのもこちら次第。今日もまだやり始めて5回目だったが、なんとも消化吸収が良かった。この先が楽しみである。まだまだ私と彼と彼らの奮闘記は続きそうだ。。。
ここで一言『同郷の子供にたくす思いは我の力となり』

愛猫『クロ』

今日は我が家の猫『クロ』について。彼との出会いは忘れもしない私が小学4年の時。「こうちゃんこうちゃん!生まれたよ」当時飼っていた雌猫チビがお腹を痛めて四匹の子供を産んだ。真夜中2時過ぎ、母に起こされ寝ぼけ眼で見た。なんとも手のひらに収まるほど小さい猫4匹が産声をあげていた。当時子供ながらのわたしも、とても感動したのを今でも覚えている。しかし、母であるチビはしばらくして家から出て以来帰ってこなかった。猫は飼い主に死に目を見せないというが、そうだったのだろうか・・・。また、この子猫たち4匹も、全ては面倒見切れないということで、残念ではあったが、知人、友人に引き取ってもらわざるを得なかった。そんな経緯で我が家に最終的に残ったのが『クロ』である。
あれから早いもので、もう13年の月日が流れた。毛の色がトラのように特徴的だったので、最初は「クロトラ」という名前だったが、徐々に省略されて最後には『クロ』になった。そんな彼も私とともにすくすく成長した。私が子供のときはとっても無愛想で相手にもしてくれなかった彼だったが、ある時を境に彼に大人と認定されたようで、なつくようになった。どうやら人間の子供が嫌いらしい 笑。彼が好きなのは、私のあぐら。そこにすっぽりと体を丸くして収まる。基本的には狭いところが好きなようだ。また、夏は夏で涼しいところを見つけ、冬は冬で暖かいところを探す。だからちょうどこのくらいの時期になると、よく布団の中に入ってきたり、ストーブの前で温まってたりする。そして、自分の中で十分温まったと感じたらそそくさとまた違うところに行く。非常に自分勝手で気分屋なんだが、これがちっとも憎たらしくなく、返ってかわいいとさえ思うのである。そんな彼ももう人間の年齢でいうともういい歳なので、体調のほうは大丈夫かと心配しているのだが、あいにく家猫で外に出ないわけか、まだまだ元気でピンピンしている。これからもずっと健康でいて欲しいと願う今日この頃でした。
ここで一言『愛猫の成長から自分の成長を見つめる』

教員の『おしごと』ってな~に??

現在、私は色々な地域の「教育現場」(中学、高校)において、音楽の指導の仕事で関わらせて頂いている。私にとっては、非常に貴重な勉強の場になっていて感謝しているのだが、どうしても前々から抱いていた疑問、憤りがある。
それは教員の『おしごと』って何なんだろう?・・・・。
とっても単純で何を?または、教師でもない若造に何がわかる?色々叩かれるかも知れないが、今日はそんなことは一切構わず無礼講でバンバン言わせていただく。最近「毒」も書いてないことだし・・・笑。
まずは憤り。各々の現場に行って思うのだが、どうも先生方が本気で生徒と向き合い、そして闘い、人間形成をしているように思えないのである。それが事実、今日の世間を震撼させる異常な事件の低年齢化として顕著に表れているではないか。まあこれは日記だし、私はジャーナリストでもないので偉そうに文学的に言うことでもないのだが・・・。現場の実態や雰囲気を見た一個人、社会人として色々感じ、思うのである。もちろん全部が全部そうではない。しっかりと『おしごと』をまっとうしてらっしゃる素晴らしい先生もたくさんいる。
では、なぜ私が関わっているほんの一部の現場で、こうもギャップが生じるのだろうか??・・・。これが疑問。
これは子供の地域性と一言では済まされないことだと思う。各地域で経済状況、家庭状況、能力などの差はあっても、子供自体は変わらないと思う。となると、やっぱり子供の心、力を育て、伸ばしていく教員が、その働きかけをしていないのではないだろうか・・・。極端な言い方だが、それをやる先生、やらない先生が各地に点在しているということは確かだ。これは子供にしてみたら非常に迷惑だし、可愛そうなことである。中学、高校と学校は選べても先生までは選べないのだから・・・。
部活動という場においても、ボランティアだからって適当にしかやらない先生、逆に自分の時間と金を削ってまでトコトン生徒と付き合う先生と色々いる。だいたい前者の場合は、学校の公務さえ適当だ。後者の場合は、その学校の重要な立場にいたりする。だいたい教員なんて世間一般の『おしごと』感覚じゃ出来ないと思うし、それがわからないならやるべきではないと思う。子供が大人になるまでの重要な人間形成をつかさどっているのだから・・・。生意気かも知れないが、それくらいの自信と責任、覚悟はある。
私の場合はというと、幸いにも本気で向き合ってくれる先生ばかりだったので
非常に助かったし、今こうして意見が持てるのも諸先生方のおかげだ。だいぶ長くなって疲れてきたのでここらへんで強制まとめに入ろう。
私も将来的には教員を志すものとして、これからも今の各現場でしっかり自分自身をみつめ、「教育とはなんぞや」という命題を日々考えながら、かつそこにおける音楽の働き、役割を果たしたいと思う。ひとりでも多くの子供たちを素晴らしい人間にするために・・・。なんか無理矢理だな~。もう眠いのでお許し下さい。
ここで一言『音楽よ、人類を救い給え!』

O型気質~部屋編

私はホント片付けられない人間。部屋があれよあれよと物で溢れかえってしまう。O型の人!そうじゃありませんか? 片付けようと思ったころにはもうすでに手遅れで、めんどくさくなってしまって後回し。結果、ひどいありさまになる。しかし、一度片付けをし始めると隅から隅までトコトン綺麗にしないと気がすまない。だから、時間がかかるのを察知して見すごし、結局は年に一回、そう、ちょうどこのくらいの時期、年末あたりに、一年間のちらかりを大掃除する。年越しクリーンアップ大作戦である。毎年どこから手をつけていいのかわからないくらい溜めすぎてしまうので、ちょっぴり厄介ものなんだが、終わった後のあの綺麗さとすがすがしさのために、また今年も一つ頑張るとしよう!刻一刻とそのときが近づいてきているので、そろそろ計画を立てなければ。。
ここで一言『溜める者、貯まるべからず』

無限の可能性

私は現在、中学生から高校生、そして社会人に至るまで、仕事の現場で様々な人たちと関わりがある。その中でも特に中学生、高校生は扱いがデリケートで難しいが、非常に興味深いし、関わっていて面白い。一番面白いのは、地域によって、その子たちのキャラクター、生活感、言葉使いなどが全く違うことだ。だからもちろん、その子たちにあったやり方、発言をこちら側がセレクトして打診しなければならない。これはとっても重要だし、慎重にならないといけないので、えらくエネルギーを使うが、頭の固い私には非常にいい勉強になる。思考回路の柔軟体操だ。しかし、かといって決して妥協はしない。そこのところは非常にシビアに、大人と子供ではなく、対人間としての本気の付き合いをする。なぜなら、彼らのちょうど今の血気多感な時期には、良くも悪くもいくらでも変幻自在の柔らかさを持ち合わせており、その繊細な感性をくすぐることで大人以上の『無限の可能性』を開花させることができるからだ。彼らを生かすも殺すも私たち次第。彼らの今後の人生を左右するくらいの重大な責務があるのと同時に、非常に仕事冥利につきる。もうある程度固まった我々大人たちは、その柔軟な子供たちを育てることでまた教わるのである。また明日からも私と中高生との奮闘は続きそうだ。。
ここで一言『子供たちは、ダイヤの原石』