プロ野球内でライバルと呼ばれる人たちは多い。


プロに入ってからのライバル、そしてプロに入る前のライバル。


巨人の坂本勇人と、楽天の田中将大は小中からのライバルであり

レッドソックスの松坂大輔も甲子園時代に戦った他の高校の

ライバル列伝なども語り継がれている。


前回に書いた上原浩治の同期生、二岡智宏もライバル多き。


今や巨人の生え抜きの内野手であり

上原浩治に次ぐ、ドラフト2位で巨人に入団。


新人王は上原に持っていかれたが、打率.289、18本塁打の成績は

他の年なら新人王になっても間違いないものだった。

右中間に流し打つ技術は、球界屈指の打者である。


プロではご存知の通りの成績を残しているが

高校時代は、現阪神の福原忍とチームメートであり

共に甲子園出場を目指した。


しかし、現阪神の新井貴浩率いる広島工業破れ

甲子園出場はならなかった。



ところで、二岡ボックスと言うのをご存知だろうか。



よくプロ野球選手が、自費でシーズンシートを購入し

それをファンに見に来てもらうための企画をする。


それに二岡もシーズンシートを購入し、

「交通事故によって自分と同じような境遇にある子供たちに僕のプレーを見てもらいたい」

という希望により、交通事故で親が死亡したり重い後遺症を背負った小・中学生を対象に、

東京ドームで開かれる巨人主催のプロ野球公式戦の全試合に各試合4人ずつを招待する

(チケット並びに交通費など観戦費用の補助も含む)

ための席として設けられることとなったのだ。


この背景には

高校2年の秋季大会の準決勝、

前日に試合を見に来てと両親に二岡は話をした。


当日、試合に向かった両親は交通事故を起こす。


「何故両親は来ないのか…」


と言う悪い予感は当たってしまった。

母親は無事だったものの、父親は意識不明の重体。


彼は試合終了後に病院に向かい、一晩中父親に付き添った。


そのまま翌日の決勝戦に向かう。


試合は8-0でエース福原の完封ペースだった。


しかし、最後の一人の場面で

当時の監督は、ピッチャーを二岡に交代した。



涙ながらに魂を込めた球は、父親も後押しをするかのように

3球三振で打者を打ち取った。



父親はその後、帰らぬ人となった。




彼の愛嬌の良さはとは裏に、常に勝負の世界で戦っている。

多くのライバルがいて、多くのファンがいる。


誰かの為に彼は戦い続ける。







プロ野球選手と言えば、誰もがスター人生を歩んでプロになると言う姿を描いている人は多い。

中学・高校と、推薦で上がって行き、プロではドラフト指名で多額の契約金を手にするなど。


その逆で、プロ入りまで全く陽の光を浴びずにプロで活躍する選手もいる。


そんな選手を見る度に、まだまだチャンスはあるなんて思うものである。



巨人の上原浩治は、後者であると言えよう。



今年の成績は度外視だが、

入団1年目から、20勝を上げ、投手の様々なタイトルを独占し

今では巨人のエースの位置にいる。


座右の銘は「雑草魂」


去年は故障により抑えに回ったが、

元々は先発で、ドラフト制移行では松坂大輔と並んで

最速で100勝と言う、離れ業をやってのけた。


では、これほどまでの投手、高校・大学の時の成績はどれほどのものだったかと言うと…


高校時代はなんと、2番手投手であった。

エースがいて、その投手は日本ハムに在籍する建山義紀。

甲子園出場もなかった。


その後、上原はなんと一浪後に大阪体育大学に一般受験で入学するのだ。


後はご存知の通り、国際大会でキューバの151連勝を止める活躍が光り

ドラフト1位で巨人に入団。


エリート街道まっしぐらと言う道ではない、異色の経歴である。


浪人時代を経験した事で、「雑草魂」が生まれ

今日の彼を支えている。








一流の投手と言えば、200勝を達成して名球界を目指す者だろう。

しかし、昔ほど登板数などが固定されたり、

完全分業制(先発・中継ぎ・抑え)が出来た今では

達成するのがなかなか困難な今である。


最近になって、投手の名球界の条件に、250セーブ以上と言う

項目が追加されたのも新しい。

しかし、中継ぎ投手にとっては依然として陽の当たらない成績である事は確かだ。


最も、200勝を上げるには、最低でも10勝を20年重ねなければならない。

18歳でプロ入りし、初年度から活躍する選手はほぼいない。

最近では松坂大輔や、田中将広ぐらいだろうか。


大学を卒業してプロ入りし、仮に20年と単純に数字を出しても、

200勝するには42歳になる。

30後半を過ぎたら力の衰えがあるので、さらに困難になる。

これに合わせて、故障をしないという条件さえプラスされるのだ。


200勝をした投手を見てみると、1980年代までが多い。

中3日、中4日、さらに中継ぎでも登板していたので勝利数は増えている。


記録に残る投手もいれば、逆に記録に残らない

記憶に残る投手も数多くいる。

タイトルを総なめにしたが、奇しくも200勝に届かず

怪我などによって短くしてこの世界を去ってしまった者。



近年では、伊藤智仁という投手がいた。


デビューした年(1994年)に7勝2敗、と言う成績を残した。

後半は故障してしまい、前半戦だけでこの数字だ。

何よりすごいのが防御率。なんと0.91。

単純に9イニングを投げて1点取れるかというほどの安定感である。

そして脅威の奪三振率。


数字だけではわからないところである。

凄さは、150キロを越えるストレート、140キロの高速スライダー。

面白いように三振をとって行った。


変化球の一つにスライダーと言うのがある。

最近では定番したが、これに高速スライダー、そして落ちるスライダーだ。

それの先駆けとして彼はそのスライダーを投げた。

あの古田をして、「今まで受けた中で最高の投手」と言わしめた。


その後、長い故障から復活し、全盛期ほどの球威までは行かないものの

数年の活躍後、また故障をしてしまう。


1億円近くあった年俸も、1000万円を切ってしまう。


最後は全盛期の球威とは程遠く、100キロ台のボールでしか投げられず

引退を決めた。


勝負の世界にたらればは禁物だが、

もし息の長い活躍をしていたら、きっと凄い投手になっていたことには間違いない。







プロ野球選手と言う職業は夢を与える職業である。


誰が言ってたかは忘れたが

「プロ野球選手になったではなく、させてもらった。

 今度は夢を与えて行く、育てて行く番である」


と言われるように、受けた事を恩返ししていくのである。


グラウンドで魅せる試合中のプレーもあれば、

グラウンド外で魅せるプレーもある。


最近で言えば、観客を楽しませる企画を次々と行った新庄が良い例だ。


テレビで見せる顔と外で見せる顔が違う人もいるのは事実である。

そんな人は、先々が大変だろう。


そういう意味では、私が見た中での一番良き人は桑田真澄である。


よく新聞などで見かけるのは、人柄が良いと記事になることがある。

コーチで来て欲しいなどと言われる事も沢山ある。

それだけ教え方も上手く、何より他の選手の手本になるのである。


巨人時代で丁度故障をして2軍にいた頃だ。

2軍は1軍よりも選手とファンが触れ合う機会が多い。

子供達は選手を見かけるとサインをねだる。

選手にして見れば練習中などに来るので、断る事もよくある。


しかし桑田はファン全員に気前よくサインをしていた。

練習終了後で疲れているにもかかわらずである。

邪魔にならないところに腰を掛けて笑顔で接している。

子供達が囲むように群がれば、キチンと一列に並ばせて順番に。


極めつけは、ある子供がペンを雨水を流す金属のギザギザの下に落としてしまった。

しかし、重い金属を担ぎ上げてペンを拾ってそれでサインをした。


ここに桑田の愛される理由があった。


小さい身体ながらも、173勝と言う勝ち星を積み重ね

絶望と言われた肘の故障から蘇る不屈の精神。

最後は夢だったメジャーリーグで勝ち星を増やす事は出来なかったが

野手でも代走でも出たいと言う、その気持ち。

野球が好きでたまらない姿を教えてくれました。


愛される桑田真澄は、プロの中のプロだと思います。







世界の王貞治といえば日本では愚か、

野球の発祥地であるアメリカでも知らない人はいないほどである。


世界記録である868本の本塁打はあのベーブ・ルースやハンクアーロンを凌ぐ記録だ。

アメリカの本塁打打者も日米野球で来日をしては、王さんの下に挨拶に向かう。


そんな王さんと僕の繋がりは地元が共通である。


高校が早稲田実業と言うのは有名な話。

選抜でエースとして出場し、優勝投手として巨人に入団したが

後に打者に転向したのだ。


その早稲田実業に入学するのも裏があったという話である。


地元である某高校に入学するはずだったが、

野球をしてる時にたまたま見に来ていた巨人のコーチの目に留まり

早稲田にスカウトされたという話だ。


いろいろな推測や逸話が残っているのが、当時その高校を受けたが受験失敗したという話。

落ちた後に早稲田実業に合格したというのも考えにくい話である。


もしそのコーチに出会っていなければ、私の母校の先輩になっていた王貞治がいたかもしれない。


だが、もし母校に行っていれば、今の王貞治は存在していなかったかもしれない。


運命とはどこで何があるかわからない。