一流の投手と言えば、200勝を達成して名球界を目指す者だろう。
しかし、昔ほど登板数などが固定されたり、
完全分業制(先発・中継ぎ・抑え)が出来た今では
達成するのがなかなか困難な今である。
最近になって、投手の名球界の条件に、250セーブ以上と言う
項目が追加されたのも新しい。
しかし、中継ぎ投手にとっては依然として陽の当たらない成績である事は確かだ。
最も、200勝を上げるには、最低でも10勝を20年重ねなければならない。
18歳でプロ入りし、初年度から活躍する選手はほぼいない。
最近では松坂大輔や、田中将広ぐらいだろうか。
大学を卒業してプロ入りし、仮に20年と単純に数字を出しても、
200勝するには42歳になる。
30後半を過ぎたら力の衰えがあるので、さらに困難になる。
これに合わせて、故障をしないという条件さえプラスされるのだ。
200勝をした投手を見てみると、1980年代までが多い。
中3日、中4日、さらに中継ぎでも登板していたので勝利数は増えている。
記録に残る投手もいれば、逆に記録に残らない
記憶に残る投手も数多くいる。
タイトルを総なめにしたが、奇しくも200勝に届かず
怪我などによって短くしてこの世界を去ってしまった者。
近年では、伊藤智仁という投手がいた。
デビューした年(1994年)に7勝2敗、と言う成績を残した。
後半は故障してしまい、前半戦だけでこの数字だ。
何よりすごいのが防御率。なんと0.91。
単純に9イニングを投げて1点取れるかというほどの安定感である。
そして脅威の奪三振率。
数字だけではわからないところである。
凄さは、150キロを越えるストレート、140キロの高速スライダー。
面白いように三振をとって行った。
変化球の一つにスライダーと言うのがある。
最近では定番したが、これに高速スライダー、そして落ちるスライダーだ。
それの先駆けとして彼はそのスライダーを投げた。
あの古田をして、「今まで受けた中で最高の投手」と言わしめた。
その後、長い故障から復活し、全盛期ほどの球威までは行かないものの
数年の活躍後、また故障をしてしまう。
1億円近くあった年俸も、1000万円を切ってしまう。
最後は全盛期の球威とは程遠く、100キロ台のボールでしか投げられず
引退を決めた。
勝負の世界にたらればは禁物だが、
もし息の長い活躍をしていたら、きっと凄い投手になっていたことには間違いない。