ひやけんさん水汲みの後に
~疎外感や孤独を感じている人たちへ~
パソコン教室を営んでいる
和田基博と申します
明星寺地区の竜王林道わきにある
「ひやけんさん」に水を汲みに行って帰ろうとした時、
虚空蔵菩薩堂本堂が気になり、入り口まで行ってみました。
誰かがお参りしているらしく一台の車が止まっていました。
車を駐車場に止め、降りると寒かったので仮設トイレを借りて用を足しました。
参道の石段を登って行くと杖を突いた男性が一段ずつ、ゆっくりと下りてくるのが
下の方から見えました。
すれ違うところまできて、「こんにちは」と挨拶し、
「気をつけられて降りられてください!」と声をかけ
境内まで上がって行きました。
毎月13日は、虚空蔵菩薩の日で扉が明けられ、浄土宗の方たちがお参りに来られます。
その日、扉は閉まっていましたが、本堂前に立つと、ワクワク感と
とても落ち着く癒し感を感じていました。
あ、念珠車に忘れたなと思いましたが、なくてもお参りはできます。
一礼して賽銭を入れ、ローソクに火を灯して線香3本に移して香炉に立てました。
般若心経を唱えながら出て来る想念を打ち消さず、そのままに流して感じてみました。
他愛もない事ですが、明星池で水を汲んでいる様子とか、夢で見たのか
何処かで過去にあった人なのか全然知らない人たちの顔が
浮かんできたりするのですが
気持ちは揺らぐことなく安心感を覚えていました。
それから虚空蔵菩薩のマントラを21遍唱え始めましたが、
いつも唱えている私のマントラの発音は
「ナウボウ、アキャシャ、キャラバヤ、オン、アリキャ、マリボリ、スヴァハ」
ですが「アリキャ」が「アリキヤ」へと気づかないうちに発音していて、
いい慣れているはずの「スヴァーハ」が「ソワカ」と唱えたり
息継ぎの個所がいつもと少し違うような感じになっていることに気づきました。
「マントラは数多く唱えて発語することが大切で、繰り返し唱えるところに意味があり、
その意味自体はさほど重要ではない」と、30数年前、当時師匠であった
お寺の和尚から言われたことがありました。
確かに、四国八十八カ所を巡った遍路で、よく他の人が唱えているのを
聞く機会が多かった般若心経も唱えているのとなんか違うと感じたり、
そして不動明王の慈救の咒では、
「バザラ・ダン」、「バザラ・ダ・ダン」「バザラ・ダン・カン」と続けていう人や
「サマンダ」、「サーマンダ」、「サンマンダ」、や「センダ・マカロシャダ」が
「センダン・マカロシャダ」とバリエーションがあり、抑揚も違い、
此処で区切るのかと思ったことも何度かあり、方言みたいなもんだと
思ったことがありました。
しかし、その唱える時の意はみな同じです。
その「意」、思いといった方が分かりやすいでしょうか、
それこそが唱える意味を持ち、実際に発語することにより
音は粒子を震わせ波動となるのです。
コーンと鈴を鳴らして区切り、光明真言、百字の偈を唱えました。
鈴を、鈴棒を下に向け、何度か徐々に強めながら、最後に打ち止めで
大きく鳴らして、音を響かせました。
お灯の火を消して、安全を確かめ、お参りを終えました。
先ほど下のひやけんさんで法螺貝を吹きましたが、それもずっと前の事のように
時が流れているのを感じていました。
境内で法螺貝を吹いて、山に響き渡る音を確かめるように音を伸ばし
吹き上げました。
少しでも、何か参考になったとか
興味があるとか気が落ち着いたと
思って下さると幸いです。
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