氣当たり | 希望と光のブログ

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氣当たり

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~疎外感や孤独を感じている人たちへ~

パソコン教室を営んでいる

和田基博と申します

 

 

 

 

 

 

朝晩の神棚に参る時、村社や何処かの神社で、日のうちに5~6柱くらいは

 

参拝していても、体が揺れる、頭がふらふらしたりして氣当たりを感じる

 

という事は余り感じたことはないのですが、

 

最近、神棚と村社での参拝時に感じるのです。

 

 

 

それだけ神の働きを強く感じているという証拠でもあり、

 

嫌な氣や気持ちがして落ち込むこともないので、

 

あるがままに祝詞を奏上して参拝しています。

 

 

祝詞も大祓詞を覚えるようにメッセージを受け取り、

 

日に何十回となく奏上して覚え、空で言えるようになり、

 

毎日奏上していますが、次にタカマパル、アチマリカムといった

 

古代弥生語の祝詞、そして今は大元造化三神報恩之祝詞を

 

神棚でも奏上するようにして覚えようとしているところです。

 

 

 

その祝詞の中に「眼に見えぬ本津(もとつ)氣(け)は百(もも)足らず

 

八十(やそ)の神(かむ)氣(け)を生(な)し給い…」という詞があり、

 

それがしきりと思考に浮かんでくるのです。

 

 

100ほどある宇宙から与えられて在るものから、80ほどの神の氣を持つ敬い、

 

畏(かしこ)むべきもの、目に見えるものとして

 

日は太陽、月、星、また地球(おおつち)といった、太陽系の一部である

 

今いる地球から見て、宇宙に存在するもの、人が見ている植物や生物といった

 

概念を超えたものに根源があり、それを見えて感じること自体が

 

本津と捉えているように私には解釈できるのです。

 

 

 

 

今ではLight Workerとして神仏に祈り、それぞれのワークをして

 

自分軸を意識し波動を高く、振動をより高く、この身を使って

 

やっているわけですが、意識をより高めるということが自分を助け、

 

そして意図しようと、しまいと自然と生きていることに働いて、

 

神や宇宙に仕えているというのが誇りであり、実感なのです。

 

 

詰まるところ、それが人として生きる、息をして体を動かし、

 

その時その時という一瞬の積み重ねを生きること、

 

それは誰でもがやっていることですが、

 

ポジティブにそれがこうだったら良いなと思う理想を思い描き、

 

何かの思い込みやとらわれていることをどんどんそぎ落としていくことで、

 

思考が変化し何かに気づいたことで自己肯定感が上がり、

 

自分を好きになれるという事で心の安心、安寧を得られ、

 

また生きる気力や活力にすることが出来るように感じるのです。

 

 

 

 

しかし不幸な事や嫌な事が起きた時、ネガティブな思考であっても、

 

それは闇を光にするために必要だから起きていることで、

 

その闇は愛と光にするための栄養源だとハイヤーセルフは答えるのです。

 

 

 

時に守護する存在や宇宙は、その人に見合った物事や事象の変化を起こします。

 

 

 

それが自分にとって嬉しいことや楽しいことばかりとは限りません。

 

 

一番いけないことは魂が望むことや愛を発することを無視することで、

 

それは魂を持つものに対して神や宇宙は愛してくれている、

 

何時も幸せを望んでいるという事を忘れないようにし、

 

自己否定や嫌悪しないことが

 

生きる上で大切な事であるとも答えました。

 

 

 

それが信じるという意味でもあると高次の存在は云うのです。

 

 

信仰、とは真に敬い、尊び、畏れ多いから仰ぎ見るもので、

 

何かの宗教といったものに入信するものが全てでは無いと私は考えます。

 

 

 

それを素晴らしいと思う人はどんどんやれば良いし、

 

遣り甲斐、生き甲斐を感じられるならば幸せで、そういった宗教活動を

 

否定するものでもありません。

 

 

 

信心とは私の場合、神や宇宙を信じ、大切に思う家族や周りの私に関わる人々、

 

魂の片割れだと信じているM女史、そして何より自分自身を信じる事、

 

信じようとする心こそが信心、信仰だと思っています。

 

 

自分を信じられないということは何も信じていないし、信用もしていない、

 

結果、上辺はともかく利害関係で付き合いはあっても

 

信用もされないと思うのです。

 

 

 

昨日も夕方、村社へ行き気温も36度まで上がって暑かったこともあって、

 

明星寺のひやけんさんで汲んできた神の水を持って行き、

 

境内神社の祇園神社、甲子神社、天満社の榊の水を替えましたが、

 

天満社の茶器と榊立の水を替えた後、お参りしようとした時、

 

立ちくらみがして合掌したまましばらく治まるのを待ちました。

 

 

しかし不安な気持ちは一切なく、

 

氣当たりだ、心配ない!

 

しかも天神様(菅原道真公)が氣を入れ替えてくれている

 

と思考にハイヤーセルフの声が聞こえてきたのです。

 

 

立ちくらみが治まったとき、明るく元気に二拝、二拍手、一拝で、

 

「~、世のため人のため、尽くさしめ給え、~」

 

と神社拝詞を奏上したのでした。

 

 

 

 

続きは次回以降アップしていきたいと

思いますので

少しでも、何か参考になったとか

興味があるとか気が落ち着いたと

思って下さると幸いです。

 

 

 

 

 

 

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