障害と偏見
そういう事に奮闘中。


社会に出ればたちまち冷たい風に晒される。


ふんっ!


気を強く持ってゆかねば、たちまち不安がまとわりつく。


元気元気


強くて逞しいことをアピールせねば、自分が死んでしまう。
小さい傷跡にたくさん傷をつけてくる。
そう思うこと自体が、病気なんだけれど
しかたあるまい、一寸法師サイズで小さいんだから。



時には自分に正直になって

ばーか

と心で相手を罵るくらいの自分がいなければ、強く生きてゆけないのさ。


小学生みたいな罵り方しか出来ませんが


会ってくれる人は私の事を「大丈夫」と思ってくれる。
でも書類上は重い病気なのだ。


今日対応してくれた人も、お偉い人との間に立って奮闘中。
「説得が難しいのよね」と言われた。
わかるけれど、こっちは生きるのに必死だよ。


この間
えらーいえらーい職業の方に

「人格が分かれるくらい優秀なのよ」

なんて言われた時はびっくりしたさ。


いいね。
前向きって。


病気は
怖い怖いと言えば、全てが怖くなる。
大丈夫大丈夫と言えば、大丈夫なんだ。



偏見


そこから離れたくて、今までいろんな事から逃げていたような気もします。

世の中、偏見のせいで自ら命を落とした人もいるよ。
自分のせいじゃなくても。


私は赦さないといけないところばかり。
私に悪い感情が生まれないように。

せめて自分は偏見を持たないようにしよう。
どんな事があっても。

まずは病気になった自分を赦そう。

今日はちょっと弱気なので、枕でも抱っこして寝ますか。
飼っていた猫が懐かしいよ。

前向きに休養中。
時には自分も心に守るための短剣を持たねば。
自分を知るいい機会だった。


今日の担当者のお姉さん。
病気なのに、強い強い私を認めてくれて、本当にありがとう。


ありがとう。
精進せねば。

前回の記事から裸にこだわってみました。


私は裸の王様じゃないけれど、裸と言うのは一緒かなぁと思って。


随分前の記事で「私のサイズは一寸法師ほど」と言いましたが。。。

なんで小さいかというと、超気にしいなのです。
何でもいつも、くよくよくよくよ。

いつも悩んだあげく

人格が分かれてみました。
と明るく言えれば良いのだけれど


そんな簡単な病気じゃないのは、十分分かっております。

深刻にしないと言いつつも

こんな事になって、社会復帰出来るのか?と冷静に考えております。


会社は優しくて、戻っても良いと言われておりますが


さて


いいんだろうか。
果たして。


で、最悪
もしダメなら


私の色々な経験を生かし

尼寺にかけこむか
スナック「かけこみ寺」を作るか

そんな想像をして現実から逃避しております。



そんな中


即興演劇
ドクターストップがかかっている演劇


昨日これからの企画の打ち合わせがあった。

私はやらないよ。
しばらくは。
不思議と今やりたいと思わない。
でも関わって行くのだ。


即興をやって目標に向かって、足もとだけ見て

よいしょ、よいしょ

と登っていたら、気がつけば即興演劇とは違う山に登っていた。


おかしいな、目指していたはずなのに。。。 



即興は「鼓舞しあうこと」と言われていたので、ワークショップだけじゃなく、必死になっていろんなところで

「よいしょぉぉぉっ!」

と即興以外でひとりひとりを鼓舞してたような気もします。


だから違う山に登っていたのかしら。


一寸法師サイズの小さい私が、はだかんぼうで現実の苦しい道のりを


よいしょ


と行った先は、精神世界に突入してた。
先輩がいれば、イタコにはなれるかもしれない。


でも恐山は私が登りたい山じゃないので、また足もとをみて先に進む。
目指してもうっかり違う山に登ってしまうから、もういろいろ考えない。
今度進むにはにきちんと何か着ないといけないから、何か着るものを探さないといけない。


そのためには


ロバの耳を持たないといけないのかもなんて思ったりします。


目標の山に行くには


今の山を降りるのか
頂上に登って、頂上から行きたい山への橋を造るのか
それは足もとしか見ていないので、わかりません。

一歩一歩
現実を一歩一歩
人から望まれれば、新しい力を少しずつ出そう。
勇気を持って。


方位磁針は自分からの声じゃなく、周りの人の強くて優しい言葉で目指そう。
はだかんぼうなので傷付きやすいから、私の話を信じてくれて笑って聞いてくれる人のところへ行こう。
今ひとりひとりから、優しい布地をかけられているから大丈夫。


深刻にしなければ、笑顔で生きていけるさ。




「裸の王様の耳はロバの耳」


もし街で子どもに

「あの人裸じゃないか!」

と言われたら

「君にはそう見えるかい?じゃあそうなんだね。
そう見えた君は、これからとても勇敢になるよ。」


なんてさらりと言えたら
きっとすごい人になれるんだろうなあ。
なんて思ったりします。



さて企画のメールでもするとしますか。


たくさんの意味をこめて

ありがとう。
人格が分かれる前から必死で調べた。


「唯識」


今でもあまり意味がわからず。


一時期こわいこわーい幻聴に悩んだ時、それはいつも思い通りに行かなくて悩んでしまう自分の中想いのせいだと思い、どうにかして取りたかった。


で何故か

「唯識」

難しかった。。。。



強い強いフラッシュバックを乗り越えた先で、自分の思い癖考え癖が悪いんだと思って、私なりにたくさん調べて勉強した。


人間って深いよ。
経験から学習するからね。


学習する記憶
ん?記憶から学習するのか?


脳にこびりついた記憶
産まれる前からの記憶


今生きていることが大事なので、産まれてから自分の傷だけを考えていたけれど、結局は随分前からの記憶もあるんだ。

考えないようにしても、映像となって記憶に残っている。


脳ってすごいね。

見えるもの。
見えないもの。
思い込み。


想像力のちから。
良くするのも悪くするのも使い方次第だ。


いまを生きる上で必要なのは
目の前で見えていることに、首を縦に振って前に進むこと。

出来なかったり、うまくいかなくても
さらりと流せる自分を作ること。

悪意と言う名の言葉の玉が自分に来ても、それを受け取り触ると自分にべたついて、しばらく取れなくなるから、そんな玉はかわすこと。


今起きていることは今を生きる上での課題

だから

しっかりと受け止めて、思い通りに行かなくても、次の良い方法を考えよう。

あと

時折自分を守るために吐いてしまう毒は、全部自分に返ってくるのだ。


そういえば

昨日ブログを書いたら、声がほとんど消えた。
呼び出せばいつでも戻ってくるけど。

言うことが無いからか、矛盾していた自分が無くなって来たからか「ほんとにほんと」ばかり


いま

妻の鎧も脱いで
お母さんの鎧も時折しかつけず

思えば

今まで鎧の下はあまり着てなかったから、スースーして風邪ばかりひいていたわ。
寒くて暇さえあれば、いつも毛布にくるまってた。


ちょっと前までよく文の書き方で怒られたなぁ。
書き出したときはこんなばらんばらんで、自由に書ける自分に慣れると思わなかった。



「自由」


宇宙を感じて
自分の中の意識に問う
そうすれば、自分がきちんと出せる
それだけでとても幸せ。

人に迷惑をかけなければなんでもいいと思うくらいがいいのだ。


今の私は
生きる執着も死ぬ執着もない
ただただ受け入れるだけ


生きている以上は、楽しんで前向きに生きればいいのだ。
目の前にある事をきちんと見つめればいいのだ。
希望を持って、夢があれば想いを胸に秘めればいいのさ。


インターネットって宇宙のように広いね。
そして誰が見ているか分からない。

でもって、病気なのか憑依なのかなんだか分からないまま自分を出し続けた。


そんな私は
はだかんぼうさんだ。


風邪をひかないように、早めのパブロンせねば。


とにかく深刻にしない。
それが一番のくすり。


これからも自由に書くぞ。
でもって自由で真面目ではだかんぼうな自分に、笑顔で生きるのだ。
今まで病気のこと、霊のこと、神さまのこと全部深刻に書いてきたけれど


声が落ち着いて冷静に声を分析すると


ネットとか本とか、一般的に書いてあることと逆なのです。



強引に入ってきた霊なのか人格なのか分からないけれど

自分の中の矛盾が大きくなって、怪現象になったのかもしれないけれど

まず私の中にいる人格はへんな事ばかり言う。



テレビを見てクイズに真剣に答える女性
銭湯に行くと「おばあちゃんの裸は見るな」という男性


本格的な金縛りにあって
自分で何が起こったか考えると

「ん?なんのことなの?」

とすっとぼける人格たち。


いろいろ考えていると、しつこくしつこく問いただして、私を冷静になるまで落ち着かせる人格。


最初はすごく私を怖がらせたけれど、もう慣れて

時々
「の・ろ・う・ぞ」

と言うけれど、全然怖くなく

私も慣れて来たからか

「ばーかばーか」

と自分の中の人格に答える私。


最初の怪現象
娘たちも「不思議だわ」と声をそろえて言った夏。
自分の力と違う獣みたいな声も出したわ。
私も怖かった。
娘たちはもっと怖かっただろうなぁ。



今は激しい現象は無いし、今はもう声に振り回されるのはたくさんだと思うけれど、人格の声と合わせて、体が動いたり無意識にお腹がけいれんする。


やっぱ霊かしら

と思うけれど、だいたい

「もぐもぐして食べろ」とか
「姿勢を正して」とか
「もう一回やって」とか

たいした話は出てこない。


ただ
自分に自信を持つこと
目の前にいる人を愛すること


そう言うことはとても厳しく言われる。



「自分に素直になれなくて、自分を出してなかった。根性が曲がってるわ」

と言われているから、自分を責め続けて辛かった自分が、新しい自分を作ってしまったのかしら。


と思う反面


小さい頃「ひとり言が多くて前世の事をよく話していた」と家族から言われたと言うことは、実は昔から人格が分かれていたんじゃ無いかと思うと


霊なんだか
人格なんだか


でも全部自分なのだ。


友達に「物語として書いてみれば」とアドバイスされたけれど、本を読まなくて書く習慣の無い私は全く書く気が起きず。


なんだか文がぐちゃぐちゃだけど
いろいろ考えて、気がつけば

堅い堅い職業の夫と最愛の娘たちと別れて、今ではひとり暮らし。

良い妻、良い母にはなれなかったからなぁ。
ごめんよ元夫、娘たち。

ここまで不思議ちゃんだったのを自分でも分からなかったよ。
花の断面図を天国と地獄にわけて、彼女の小宇宙を延々としゃべり出す中学生の娘を思い出して

「不思議ちゃんの子孫、残したなぁ」

としみじみ思った。


娘たちとはいつでも会える。
深刻にしないぞ。


妄想だと言われてもいいさ。
現実にやってもうた。

それだけ強い力だったよ。
それは家族が証明するさ。
いつか元家族が笑って話すときが来ると信じよう。



人生はドラマだ。
何があるか分からない。


でもこの話を笑って聞いてくれる人たちにまずは

ありがとう


結構、真剣に悩んだけど


結局は不思議ちゃん誕生?
いや再生か?



他にもいろいろ楽しい現象があるのよね。

潜在能力
人間の脳って、前向きに取るとすごいね。


自分を楽しむとしますか。
現実と社会と折り合いをつけながら。
医者からあと2ヶ月の休職を言い渡され、演劇もしばらく辞めるように言われて約数週間。


そんな中、ともガチと企画した出張ワタリーショップの発表会が10月30日にありました。



演劇はこれでもう辞めると思った発表会



ワークショップの期間中にたくさんの事が起こって、生きるか死ぬかを行ったり来たりだったけれど、そんな中で唯一の優しくて安心な場所


たくさんの良い出会いを実感する機会だったし
自分をたくさん知ることが出来た。


発表会では


初めて一人で人前で踊って
参加者それぞれの個性を感じ

等身大の自分もなんとなく分かったような気がする。


それよりなにより


優しい空間の中、人前で飛び込めた。


企画したときに目指した目標よりも、高いところにいた自分も分かった。



楽しかった。


たくさんいろいろ教えてくれた渡さん。
ありがとうございます。



人格が分かれて


最初にカウンセラーにぎゅっと手を握られて
「つらかったね」と言われて何も感じなかったこと。


友人に手を握られて
「君は一人じゃないからね。大好きだよ」
と言われて意味が分からなかったこと。


一番大変な時に、娘に添い寝してもらったこと。


古い友人から励ましてもらったこと。


悩みの相談に乗ってくれた人。


そんなことを思い出し


たくさんの人にステキな優しくて嬉しい言葉を頂いて、前向きな言葉を頼りにここまで来たなと実感しました。



それに一番


大変な企画にひとりで対応してくれたともガチ。


本当に本当にありがとう。


私は信念をもって、ゆっくりと遠回りしていくよ。
趣味まで奪われたら大変だ。
人生を楽しまねば。


自分を回復するまで、一個一個解決していく。

ひとつひとつ、丁寧に


これからの道は遠回りなようで、実は近道

道はくねくねぐるぐるしても、辿りついた先にはまわった事が全て自分についてくる。


焦らずにじっくりと


まずは自分を信じる事
それから社会復帰


ひとつひとつ


ありがとう