前回の記事から裸にこだわってみました。


私は裸の王様じゃないけれど、裸と言うのは一緒かなぁと思って。


随分前の記事で「私のサイズは一寸法師ほど」と言いましたが。。。

なんで小さいかというと、超気にしいなのです。
何でもいつも、くよくよくよくよ。

いつも悩んだあげく

人格が分かれてみました。
と明るく言えれば良いのだけれど


そんな簡単な病気じゃないのは、十分分かっております。

深刻にしないと言いつつも

こんな事になって、社会復帰出来るのか?と冷静に考えております。


会社は優しくて、戻っても良いと言われておりますが


さて


いいんだろうか。
果たして。


で、最悪
もしダメなら


私の色々な経験を生かし

尼寺にかけこむか
スナック「かけこみ寺」を作るか

そんな想像をして現実から逃避しております。



そんな中


即興演劇
ドクターストップがかかっている演劇


昨日これからの企画の打ち合わせがあった。

私はやらないよ。
しばらくは。
不思議と今やりたいと思わない。
でも関わって行くのだ。


即興をやって目標に向かって、足もとだけ見て

よいしょ、よいしょ

と登っていたら、気がつけば即興演劇とは違う山に登っていた。


おかしいな、目指していたはずなのに。。。 



即興は「鼓舞しあうこと」と言われていたので、ワークショップだけじゃなく、必死になっていろんなところで

「よいしょぉぉぉっ!」

と即興以外でひとりひとりを鼓舞してたような気もします。


だから違う山に登っていたのかしら。


一寸法師サイズの小さい私が、はだかんぼうで現実の苦しい道のりを


よいしょ


と行った先は、精神世界に突入してた。
先輩がいれば、イタコにはなれるかもしれない。


でも恐山は私が登りたい山じゃないので、また足もとをみて先に進む。
目指してもうっかり違う山に登ってしまうから、もういろいろ考えない。
今度進むにはにきちんと何か着ないといけないから、何か着るものを探さないといけない。


そのためには


ロバの耳を持たないといけないのかもなんて思ったりします。


目標の山に行くには


今の山を降りるのか
頂上に登って、頂上から行きたい山への橋を造るのか
それは足もとしか見ていないので、わかりません。

一歩一歩
現実を一歩一歩
人から望まれれば、新しい力を少しずつ出そう。
勇気を持って。


方位磁針は自分からの声じゃなく、周りの人の強くて優しい言葉で目指そう。
はだかんぼうなので傷付きやすいから、私の話を信じてくれて笑って聞いてくれる人のところへ行こう。
今ひとりひとりから、優しい布地をかけられているから大丈夫。


深刻にしなければ、笑顔で生きていけるさ。




「裸の王様の耳はロバの耳」


もし街で子どもに

「あの人裸じゃないか!」

と言われたら

「君にはそう見えるかい?じゃあそうなんだね。
そう見えた君は、これからとても勇敢になるよ。」


なんてさらりと言えたら
きっとすごい人になれるんだろうなあ。
なんて思ったりします。



さて企画のメールでもするとしますか。


たくさんの意味をこめて

ありがとう。