仕事夢中強化週間でございます。




一所懸命がんばっています。

何にがんばっているかと言われると、そう大した事も無く、ただ淡々とこなしているだけなのだけれども。


仕事の事なので、あまり詳しくは書けませんが。。。


私の仕事のポイントは三つあって


一つは「人の話を聞くこと」
二つは「話の内容を握ること」
三つは「フットワークを軽く、早く動くこと」


東京中をあちこちまわり、人の話を聞いてその人の心を軽くしたり、やる気を持たせたり、時には悩んでいるその相手にその人の気持ちを伝えたり。


結構、いやかなり泥臭い仕事でございます。


この三つをがんばってやると、必ず私の「癖」が出るのよね。


「このやり方でいいんだろうか。この聞き方でいいんだろうか。このアドバイスでいいんだろうか。。。。」


必ず迷うのよね。


某大手派遣会社の女社長が「毎日が勉強、迷いの連続だからこそ、成長・達成した時の喜びは大きい」というけれど。。。。


・・・・・・・・・・


この仕事を始めて7年目。


何に成長したのかまた、悩み始めます。。。。


お叱りの言葉を受けたり、話を聞いていて、いつの間にかお悩みの方向が私に向けられたり、結構散々な思いをする私。





そんな中




「ありがとう」


と言われた時の嬉しさったら、もう。





余談だけれども。

私のチームのメンバーは、報告相談すると、必ず最後に「ありがとうございます」って言うの。


これも嬉しい。
でもって「ありがとう」の言葉は感染するのよね。




「ありがとう」と言う言葉を頂く。
それが私にとって「達成」なのかしらねぇ。。。



目の前にいる人を、色眼鏡をかけずにまっすぐに見つめる。



人って思い込みが激しいから、これが難しい。



等身大の自分が、その相手の話をただただ聞いて、どう前向きに取り組めるか、一緒に悩みながら話を進めて行く。


チームのメンバーに「はっ!そう言う事か!」と教えてもらいながら、どうにかここまで来れたかなぁ。



悩み癖。。。。。
毎日が勉強の連続です。



そう、結局は

私は悩みながら、いま東京中をあちこち回っています。





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仕事夢中強化週間実施中


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ブログを書く暇なしっ。


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風呂上りすっぴん等身大の私。
いろんな意味で公開するのは、これが限界。


等身大となると、こんな顔なのよね。
無理に笑顔はできないわ。
あえてアンニュイ(これが言いたい)な感じで。
アンニュイ。
ウフフ。



鏡の前に立つと、否応無く嫌いな自分と向き合う。
メイクをしても何をしても、さえない自分が大嫌いだわ。



でもって、昔からそんな自分が大嫌いで大好きだったわ。



そんな等身大の自分。
あえて載せてみたわよ。



ネタ切れかしらん。


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人の事を悪く書くと、後味悪いわね。


「反抗者」の記事に芝居の批判をたっぷりしたら、後味悪くて。



だから今まで書かなかったんだけど。
でももう我慢できなかったんだよね。



「イエスって言わないとダメ」「相手に必ずイエスって言わないとインプロ(即興)出来ないよ」と言う言葉の呪縛にかかっていた私は、当時それに反抗するのに必死だったような気がするわ。




インプロのゲームなんて、上手くやらなくていい。
自分を相手を引き出せたシーンが出来ればそれでいい。



自分を出す=良い仕事が出来る。と思っている私は、自分を出すことによって、いいシーンが創れると思ってる。



そうなると「反抗者」だったわね。



即興(インプロ)は相手と楽しく関わる心を持たなくちゃ。
誰に対しても。
即興だけじゃ無いわね。
仕事でも生活でも何に対しても「楽しむ」心を持たなくちゃ。



でも学んだわ。
人の批判すると、後味が悪いって事。



良い芝居が観たいと言うより、真摯に演技してる役者が観たいわ。
私が観たいのは、私の目線でその人が「役」としてちゃあんと出ているかどうかだわね。
自分に「役」を被すんじゃなくて、自分の先に「役」があるんだと思っているの。
だから「自分」がしっかりと出てないと、その人のいい味は出ないわ。



私の人の見え方って、きっとみんなには理解してもらえないんだろうなぁ。



きっときっと、世の中良い芝居も溢れているというのに。
残念だわ。



さて

後味の悪さを忘れて。



今日は即興のワークショップです。
演劇中止の私は、また見学に行って来ます。
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過去に拘りすぎると、前に進めなくなる。


加害者はそのこと全てを忘れて行ってしまうけど、被害者はその事をずっと忘れない。と言うか、忘れられない。







起こった事全てを、ネガティブに変えて、そこからきっと「念」の力で相手を殺すこともできるかもしれない。





「念で人を殺せると思ってるんだ私は」

仕事の仲間から、そう言われた時はピンと来なかったけれど、でも人の念じる力って相当強い。







いま思えば、離婚当時元夫がケガばかりしていたことを思い出して


「私のあんたキライ念が行っとったわ」


と思う私。




そう言う経験もあって、今更ながら「念」って、相当強いんだって思うのよね。





調べた訳じゃないから、わからないけれど


呪いや念は霊の力を強くするんだと思っているの。


霊はその人の感情に憑き、その呪いの気持ちを大きくさせると私は思っているわ。


その人の心が弱いと、その霊はその人にのりうつるようになるとも思っているの。






私の親族は霊感が強く、のりうつった経験がある人たちが多くて、それでいて私の母もおばあちゃんもひいおばあちゃんも「念」を送るのが相当強いと言われているの。




父は母の「念」の強さを本当に信じているわ。





だから私がこんな風になったのも、おかしくは無いのよね。


たくさんの霊が私に憑いた当時は、私は相当弱かった。


そして私の中に出ては入る霊達は、それぞれ自分の言いたい事しか言わない。





この一年、前に進むことばかり考えて来て、「霊」を「声」として病気として考えてきたけれど、今では病気の「声」、霊達の「声」の違いがわかって来たような気がするの。





過去に拘りすぎると、前に進めない。
起こったことを忘れないでいると、「念」を送るように、自分の思考から離れない。




私の目的は、幸せを感じて生きて行くこと。
どんな境遇でも幸せを感じていないと、幸せじゃないから。
幸せは自分の中にある。




そう



ありふれた毎日に身を委ね、幸せを感じて行く。



不器用にしか生きることが出来ない私は、幸せを掴んで行くより、幸せを握って行くような気がする。






「霊がやっていることは、一生懸命生きろっていう事だ」

必ず霊達は、そう確実に必ず私にメッセージを送って来る。

これは神さまからもらったメッセージだと思って。




たくさんの経験から学んだ、私のあふれる感情をどうやって使っていくか。







前に進むことを考えて。
自分が娘たちが、関わる人たちが幸せであるために。





「声」は神さまからもらった、溢れんばかりの両手一杯の贈り物。



こぼれないよう持っていなくちゃ。



前に進むために。


幸せの「念」を送れるように。




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