私が就学した当時、今から半世紀近く前のこと。
この当時は食物アレルギー疾患等が社会認知されておらず、
薬害や蜂毒のような稀にみる劇物により肉体が耐えられなかった際に起こる事故、不慮の事故扱いになっていました。
それまでにも粉ミルク事件や食紅騒動はあり、
この時点で経済活動よりも健康重視に舵をきっておれば、
アスベストなどの建築資材による健康被害も防げたかもしれません。
そんな風に、一部の人に起きる不幸な出来事ゆえでしょうか、
「アレルギー疾患は気の病であり虚弱な体質がもたらす事故ならば鍛えたら治る」って独自理論を組み立て、勘違いを起こす賢い人々もいました。
その賢い人々は学校内にもおり、私が教師から言われた非常に不可解なひとことが
「給食を食べたら治るから、食べなさい」
まるで給食は万能薬のような扱い、戦後の食料難時代の風習が高度成長期を過ぎてもバブル期に入っても信じる教員はおりました。
このとき側で聞いていたクラスメイトである一人の男児が
「食べたら具合が悪くなるのに治る(@_@)???」
まったく意味がわからず困惑した彼は、この教師には伝わらないから話しても無駄と思ったようで、以降は何年もにわたり給食ではたいへんお世話になりました。
どれほどの世話かといえば、
高学年になったある日、とうとつに
「これ、ふた口くらいなら食べられるやろ?残り食べたるから、頑張ってふた口だけ食べ」
こう言うので、泣きながら食べた記憶があります(笑)もはや、お母さん状態に。私の給食対策とともに、体調管理まで彼は負っておりました。
本当は他人の給食を食べてはいけません、好き嫌いせず何でも食べられるようにみんなが協力し努力させなければなりません、
ただ彼は午後から急激に元気をなくし保健室へいく私を不可解に感じて、給食が原因の可能性に思い至ったからです。先生の中には見て見ぬフリした、こういう事なかれもあったと思います。私は偶然にも彼がいたから、不幸な事故を回避したかもしれず。
きっと前の発言をした教師は当時のことなど忘れているだろうし、
教師の中にある私のイメージは「好き嫌いの多いワガママで強情な女生徒」のひとりに過ぎないだろうし、
自分が間違いを犯したことすら記憶になく気にせず老後を生きたことでしょう。
イジメ加害と同じく、人は自分に不都合な記憶を忘れます。人間とはそういうものであり、結末を知らずとも善行を働いた気になれます。
決して世の中の人すべてがこの教師同様ではないし、
ご近所には「俺らと違っていろいろなことに敏感な体質で生まれたんやろな、それはそれでこの子にしかわからん辛さがあると思うで」
こう話すおじさんや、賛同して同調するおばさんもいました。
ただ学歴は教師の方が高く博学な自意識があって、学歴のない父兄の意見など無学故の戯言としか聞かず、身近な人の甘やかしとしか認識しません。また、医師の話を伝えた保健教諭は女ゆえに理解に乏しく聞き間違いをしたのであろう、となります。この口論を、私はカーテンがひかれた保健室の奥にあるベッドの上で聞いていました。
男尊女卑とは、優生思想とはこういうものであり、気合いで乗り切るとはこういうことであり、
人類はみな平等であるから「自分の体質」とみんな同じ、違いは鍛え方、
このように自分を称える判断をします。それが自意識の上がる方法。
今、内容を知れば悲劇を超えた喜劇にしか見えませんが、
ちょっと冷静になって考えたら小学生でもおかしな論理を察しますが、
当の小学校教員は自分を至極まっとうで有能な人間だと思っていたはずです。
どうみても、各々方の話を自分の都合と合うようにねじ曲げていますが、本人的には無意識の行動になり、事故を起こすつもりはなく親切のつもりで教育を与えたのでしょうよ。
さて、この教員の意見は「ありがたい説法」ですか?迷惑系の人ですか?
実際、検査法が確立した成人後に私は検査を受け、
血液検査の結果をみたアレルギー専門の小児科医から「今まで、よくぞご無事で」と言われました。軽度のものまで気にしたら生活できないので、これまでなさってきたようにしたらいいです、とも。
決して「気の病」ではなかったし、科学が進歩したら証明できたし、
教師自身は「誤解に基づいた判断」をしたとか努々思いもしないでしょう。真面目に生きたつもりかと思います。
そうして今も、こうした事故はなくなっていません。知識が備わっても、やらかします。
人的災害とはそういうものであり、その災害を未然に防ぐためのシステムを「労働者の暗記力」に頼るばかりだからではありませんか。
これが、暗記教育の素晴らしさです。他にも手立てがないか、管理者も暗記教育世代だから思いつかないのでは?不幸な事故により苦しむ子供をなくそう、痛ましい事故をなくそう、なんてフレーズが白々しく聞こえます。