2026年2月1日 日曜日
所属教会のミサにあずかりました。
今日の福音箇所です。
マタイによる福音書 5章1~12a節
イエスはこの群衆を見て、山に登られた。
腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。
そこで、イエスは口を開き、教えられた。
「心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、
その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、
その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、
その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、
迫害され、 身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、
あなたがたは幸いである。
喜びなさい。大いに喜びなさい。
天には大きな報いがある。」
「心の貧しい人々は幸いである」
これはとても有名な聖書の言葉です。
…しかし、この言葉に違和感を覚える人も多いのではないでしょうか。
私もその一人です。
元々はルカ福音書の「貧しい人々は幸いである」に「霊において」を付け加えたものであることが現在分かっています。
福音朗読を踏まえつつ、福音朗読の後に信徒が唱える共同祈願では「貧しい人とともに歩まれるキリストのみ心」とありますので、恐らくあまり難しい事は考えず、素直に「貧しい人々は幸いである」と言う事で問題はないのでしょう。
私の受講したオンライン講座で小田神父様は「貧しい人が幸いであると言われるのは貧しい人が神様の愛を最も必要としている人だからです。」との事でした。
至言だと思います。
「貧しい人は幸いである」
この言葉を踏まえて、私たちクリスチャンは貧しい人々、苦しんでいる人々、立場の弱いお年寄りややもめ、子どもたちの支援活動に熱心に昔から取り組んできました。
日本でおホームレス支援の多くがクリスチャン団体によるものであることはご承知でしょう。
社会福祉活動、あるいは幼稚園、ミッション系の私立学校などもそうです。
日本ではあまり言われませんが、労働組合活動もそうです。
日本のナショナルセンター「連合」の元祖とも言うべき「友愛会」は鈴木文治さんなどのプロテスタント系の社会主義者が設立したものです。
欧米では多くの国で社会福祉、社会保障が充実しているのが当たり前。
それはやはりクリスチャンが多数である事が大きいのです。
また、私たちクリスチャンと同じ神様を信じるイスラム教でも貧しい人、弱い立場の人たちを支援することに熱心です。
「救貧税」と言う信徒の義務があるくらいです。
イスラム教徒(ムスリム)が多数のマレーシア、インドネシアでは寄附が盛んにおこなわれているそうです。
では渡たちの住んでいる日本はどうかと言いますと…。
皆さんの多くは何かかなえて欲しい願い事があるとき、神社に行くでしょう。
その時何を願うのでしょうか。
その時社殿のお賽銭箱にいくらかお金を入れてから
「合格しますように」
「自分の所属するスポーツチームが優勝できますように」
あるいは
「良い会社に就職できますように」
あるいは
「株価が上がって上手く売り抜けてもうけが出ますように」
…さすがにこれは少ないと思いますけどね(^^;
…何と言いますか、見事な現世利益です。
自分が得することが第一。
そのためか日本人は貧しい人を支援することに熱心でない気がします。
ほら、よく「生活保護を受けてるのにパチンコやるとはけしからん」と役所に抗議する人がいると噂になりますよね。
貧しい人がいる事そのものが赦せないのかな、と言う気がします。
「俺たちの税金で働きもせずただ飯食うとはけしからん!」と言う事なのかもしれません。
でも、実を言うと生活保護は簡単にはもらえません。
例えばクーラーをつける事が許されない自治体もあります。
生活に必要なのに車の所有がが許されない事も多いです。
生活保護を受けるためには財産状況を丸裸を徹底的に調べられます。
色々調べられてやっともらえるもの。
それが生活保護です。
さすがに最近はこういうやり方は改善されてきていますが。
そんな状況なので日本では本来生活保護を受けるべき人が躊躇して受けない事も多いと聞きます。
閑話休題。
ミサのあと相模原市の公民館で期日前投票しました。
整理券なくても期日前投票できますし、今日から最高裁判所裁判官国民審査も期日前投票出来ます。
今回の総選挙は本当に投票する気が起きませんでした。
どこの党も「減税しろ!」ばかりでしたから。
インフレ対策とか言ってますが、実のところは有権者がこう思ってると政党が思い込んでいるのかな、と思ってしまいました。
『懐から税金取られてどこかの馬の骨にくれてやるよりも税金を少なくして手元のお金を残してもらい、そのお金で自分で自由に使えるようにしてもらう方が絶対に有権者に喜ばれるはずだ!」
色んな政党に所属する政治家やその支持者の多くは神社にお参りに行ってる人が多そうですし。
あ、公明党は勿論除きます。
彼らは熱心な創価学会員なので。
…でもね。
ちょっと待ってください。
それは違うのではないでしょうか。
最近の権利意識の高まりに伴い、社会保障、社会福祉への関心は間違いなく高まっています。
だから高い税金を払う事は良い社会保障、社会福祉を受けるためには必要である、と言う考えの人も明らかに増えています。
例えばこの方の本に対する関心、そして本の著者の考え方に対する関心も高まっています。
私の尊敬する財政社会学者井手英策さんの「ベーシックサービス」
井手さんの考えは欧米では当たり前です。
余談ながら井手さんはミッション系の高校に通っておられましたが、その時に学んだキリスト教の考え方、すなわち貧しい人、弱い立場の人たちを支援する教えが井手さんの「ベーシックサービス」の考えに大きな影響を与えている事はご本人との会話のの中で確かめています。
「
山上の垂訓」から今回の総選挙での各党の公約についての話に飛んでしまいました。
最近私の頭を占めているのがこの各党の減税公約なものですから。
私のかつての仕事、そして今の仕事に関わる事であり、切実な問題なおのですから。
あまり脈絡のない話になりましたが、参考になれば幸いです。
今週も皆様に神様の恵みがありますように。










































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