30年目のバリクバヤン  -8ページ目

30年目のバリクバヤン 

「バリクバヤン」とは、フリィピンの言葉で「里帰り」の意味。
1978年にフリィピン人と結婚。今年2月にサラリーマンを卒業。
4月下旬から3週間の里帰りを予定しています。
出会い~結婚~現在までの38年間と里帰りの顛末を綴ります。

家族4人共クリスチャンであるが、教会とは無縁のクリスマスである。

妻は、幼少の時に親戚の家を転々として過ごしているから季節の

行事に対して思い入れはない。

 

従って、フリィピン人にとって、最大の「クリスマス」という行事に対しても殆ど関心はなく、日本に来てからの「日本式スタイル」しか知らない。

子供が小さい時は、部屋の隅に小さなツリーを飾り、子供へのプレゼントをツリーの下へ置く。

イブの食卓にはケーキが置いてあり、皆で食す。

 

昔は、ケンタッキーのフライドチキンやピザの出前を取ったが、最近は家族のリクエストで内容が決まる。昨日は別居している息子が久し振りに帰って来たので、息子の希望で「シャブシャブ」になりました。

 

娘がケーキとシャンパンを用意してくれたので、家族4人でゆっくり

過ごしました。

 

プレゼントの交換も子供が高校卒業と同時に止めました。

妻へは、結婚5年位は行っていましたが、今はありません。

クリスマスに拘らず、思いつくとサプライズで旅行をプレゼントします。来年は、バンコクかベトナムを考えています。

face bookでは、フリィピンの親戚の家で賑やかにパーティーをする映像が流れているのを見るといつかその時期に訪れるのも良いかなと思っています。

昨日の夜、BATOの義姉(10月に来日、我が家に2週間滞在)から妻に電話があった。

季節の挨拶と世間話を1時間くらいしていた。

私は眠くなったので、途中で退席し就寝。

 

今朝、話の内容を掻い摘んで聞いた。今年のクリスマスは、マニラの娘の家に滞在。理由は、3男が今年5月の選挙で、BATOのバイス・メイヤーになったので、自宅に沢山の来客が予想されるので避難するという。中々、発想が素晴らしいと関心する。さすが教員を40年近くやっただけはある。

 

また、妻の亡父と長姉の遺骨移送の話もあったらしい。妻の田舎では、遺体を棺桶に入れ墓地に埋葬するが、数十年後に掘り起こし、骨を集めて小さくまとめて墓地の収納スペースに再埋葬するケースがあるらしい。元々の妻の実家のお墓には、行ったことはないが、妻の話では海岸の近くなので、大きな津波があると墓地のお墓は流されてしまう恐れがあるので、田舎(ミラビガ・カラモラン)から義姉の住むバトの墓地に再埋葬をしたらしい。この話は、昨年4月に里帰りしたときも、10月に来日したときも聞いていた。

 

11月下旬から12月に掛けていよいよ実行し、先日バトの墓地に移送が終了したらしい。この費用は全て義姉が負担してくれたらしい。私としては、義父とお世話になった義姉にあたるので、妻の名前で費用の一部負担を申し出ることを妻と話した。

 

クリスマスが近づき、フリィピンの親戚からは、妻に対しさまざまな

プレゼントの依頼があるようだが、私も妻も毅然とお断りしている。

但し、上記のような筋の通った話ならこちらから金銭的な負担も厭わないつもりです。

 

 

 

 

久しぶりのブログです

12月10日は妻の来日記念日です。

妻に聞いても覚えていません。

女性は現実的で過去の思い出より、今日の生活ですね。

 

私は今でも鮮やかに覚えています。

常夏のフリィピンから夏服でトランクひとつで寒い成田に

到着したことを。

本当にトランクひとつでした。正確に書くとトランクひとつと

化粧ポーチを持っていました。

用意した女性物のコートを成田で渡して着たことを。

 

その日に誓ったのです。この妻を必ず幸せにすると。

その誓いが守られたかどうかは、妻に聞かないと不明なのですが。

私が自信を持って言えるのは。今の処、楽しい人生だった。

妻と結婚してよかったということです。

 

40年前にマニラで出会い、単純に思った「この人と人生を

共にしたら楽しいだろうな」という直感は当たっていたのです。

 

日本に来て38年になり、殆ど日本人化していますので、

フリィピン妻との面白いエピソードは皆無です。

 

普通の初老の日本人夫婦と変わりません。

そのため、ブログを書く新しいテーマが見つかりませんので、

過去に感じた事を思い出しながら時々書いていくつもり

 

今度、渡比するのは、結婚40周年の2018年夏の予定です。

 

 

一人残った義姉を京都に連れて行きました。


10月26(水)09:50 東京発 のぞみに乗車。今回は大奮発で

我々も初めてのグリーン車に乗車。京都まで約2時間15分。


着後、タクシーで宿(二条城の近く)へ向かい、チェックインには早いので荷物を預けて二条城を見学。写真を取り捲り、大盛り上がりの妻と義姉。1時間ほどで見学終了し、宿へチェックイン。しばし休憩後、

夕食のため、無料送迎バスで京都駅に向かい、和食の夕食をとる。


10月27日(木)ホテルで朝食のビュッフェを済ませ、10:00に迎えに来たタクシーに乗り観光へ。今日は貸切のタクシー観光。

清水寺へ向かい。約1時間ほど見学を行い、その後金閣寺へ。この日も写真撮影に夢中。途中で何度も国の留守家族へ送信。

15:00頃、年齢と歩きすぎで足が痛いと言い出し、ホテルへ戻る。


10月28日(金)前日のタクシーの運転手さんが非常に感じの良い方なので、この日も貸切を依頼。11:00にチェックアウトを終え、平安神宮・銀閣寺・三十三間堂を見学し、京都駅に戻る。

遅い昼食をとり、お土産を購入し、17:05分ののぞみで帰京。


20:30に自宅へ戻る。


10月29日(土)妻と義姉で1日中、荷造りを行う。途中制限重量の件で、妻と口論になる。毎度思うことだが、フリィピン人は何故自分で

調べて正確な情報を集めて判断しないのだろうか?

今回、足を痛めた義姉のためにエアーサロンパスを購入したが、大変気に入り、故郷に持ち帰るという事が判ったので、どこの荷物に入れたか妻に質問したら預け荷物にいれたとのこと。私が航空会社の職員に確認すべきだと言ったら、多分大丈夫との妻の返事。確認したら

手荷物に入れてくださいとの事でした。


そんなこんなもありましたが、2週間が無事に終わり、本日11:41の

セブパシで帰国しました。次回2018年7月から8月の渡比を約して。


明日からの仕事再開に備えて今日は早く寝るつもりです。


成田空港から戻る車中はタガログで大きな声で会話。

自宅に戻り、いろいろお土産を頂く。

小魚の揚げたやつ、大きめなバナナ(フライにすると美味)、

その他お菓子多数。


10月19日(水)浅草観光と東京スカイツリー訪問。

写真とりまくりのお喋りに花が咲く。


10月20日(木)東京ディズニーランドへ、通勤ラッシュを避け、10:00到着。ハロウィーン期間のため、1日4回のパレードがあった。

平日のためか予想より混雑は少なく、ファストパスを使い、さまざまな

アトラクションを楽しんだ。昼食も事前予約したのでスムーズに食事が

できた。夜のパレードを鑑賞し、20:00に帰路に着く。


10月21日(金)15:00に自宅近くのラーメン屋に行き、遅い昼食。

その後、ホームセンター・ヨーカ堂で買い物。


10月22日(土)午前 1名台湾へ帰宅。


10月23日(日)午後より、上野アメ横へ。お土産用の「和」デザインの

Tシャツが1枚1000円で売っており、10枚買う。他では、2,500円程度であったので格安であった。


10月24日(月)午前 2名マニラへ帰宅。


つづく