それは単なる余り券を貰ったことから始まったのです。
JAPANの解散コンサートのアリーナ席の一番後ろで私は震えていました。
デビシル別にきれいじゃないじゃん、おばちゃんみたい~。でもなんちゅうかっこいいバンド!
本当にもうやめちゃうの?

私はそれまでJAPANのことを、志摩あつこが描いてた8ビートギャグの中で
YMOとやおいチックに戯れる、単なるキワものバンドだと思ってたのよね。
ニューウエーブにかぶれた瞬間でした。
その年はその手のバンドの来日ラッシュ。ロキシーミュージックも来日して、
受験生だったにもかかわらず行ったよ。
NHKFMのサウンドストリートで、坂本龍一が演奏が下手でシラケたと言っていた、
でも私は楽しかったよ。もちろん失敗したけどさ、受験。

70年代の終わり頃から80年代の半ばにかけての音楽業界は、めっちゃ楽しかったな~。
YMOの凱旋コンサートをTVで見て、クラッシックしか聴かない生活におさらばし、
ロッキング・オンやフールズメイトの洋楽ライナーノーツを読み、
クールなミュージシャンを捜して、友達と競争で聴いたものです。
ザ・ベストテンで、宝島やビックリハウスでおなじみの矢野顕子とジューシーフルーツが、
毎週チャートインするというありえない状況にしあわせを噛みしめ、
「い・け・な・い ルージュマジック」のPVの過激さに手を叩いて喜んだ日々。
恥ずかしすぎて泣けてくるっ!

あの頃ヴィジュアル系ってオケバン(お化粧バンド)って言ったんだよね。
ちわきまゆみに教えてもらった。格好も音も最先端だった。
それなのに、同じJAPANでXがつくと何であんな凡庸になっちゃうかな?
確かにやってみたくなるよね、あんな格好
。Xのコスプレして、集団でつるんでコンサート会場に出かける時に、
良識ある世間の一般ピープルの冷たい視線にさらされても、
みんなであのコスプレをしているってだけで、強く美しくなれたような気がするよね。
単純~!まあ単なる勘違いなんだけど。
だから曲調は演歌チックなバラードでも別にいいってことなんだな。
最先端の生き方としてのヴジュアル系はとっくの昔に絶滅して、
おもしろイベントとしてのヴィジュアル系だけが残った。
過激なものが社会的に認知されたってことだよね。よかったじゃん。元総理も好きなバンドだし。
ひとりひとりの個性が認められたってカンジがして。
 
んなわけねえじゃん、なんかすんげえムカつく~。
失恋した時に聴いてグッとくる曲の内容は、あとで振り返るとほとんどが笑えるほど直球なものである。
オレの場合はホール&オーツの「SAY IT ISN'T SO」だったりする。
大変良い曲だが冷静になってみると、かなり照れくさい。タイトルを訳すと「言わずにおいて」だし。

オレはその時自分の感情をどのように整頓したらよいのか、困惑していた。
町を徘徊していて、何となく入った本屋で立ち読みをしていると、
森脇真末味の「おんなのこ物語」の最終巻があったのでページをめくってみた。
「おんなのこ物語」は実力のあるアマチュアバンドが仲違いして解散するまでを、
いつもメンバーの背中を見ながらドラムを叩いていた主人公の目を通して描いた、
画面からロックな音が聞こえてくる、画期的な少女マンガだ。
その物語のラスト近く、もう決定的になったバンドの解散になすすべもない主人公の前で、
少し年長で友人のバンドマンがライブで歌った曲が、
タイトルを忘れたけど暗黒大陸じゃがたらなのであった。その曲の中で
「あんたいい人、どうでもいい人」
という一節があって、オレはガツンと一発くらったような気がしたのだ。

子供の頃やさしい人に囲まれて育った。
しかし世間に出るとそんな人ばかりではない。
自分と他人の間は地続きでなく、いい人は良い人でないことを知る。
どうでもいい人の存在には、孤独を認識し、
耐えていくためのスタートラインに立たされことを思い知らされる。
相手にとって自分はどうでもいい人だったのだと思うことでオレは納得し、
ようやく次に進む気分になれた。

ところで、どうでもいい存在を認識すると、
混沌の中から自分にとって何が必要で、何が無用なのかがわかってくる。
しかしオレというヤツは、どう考えても無用と思われるものが、
世間で後生大事に有り難がられるのを見ると、無性に一言いってやりたくなるのである。

今オレにとって一番どうでもいい人は、FUNKY MONKEY BABYの変な顔のヤツ。
ブサイクだけど良い人キャラだとでもいうのか?
オメーの魂胆なんぞお見通しだ。世間はどうでもオレは騙されん。
TVに映るな!
クッソぉ~金ねえぜ~!しかし何でこんなにないかねえ。世の中誰が得してるんだろ、神田うの?


全然カンケーないが、真夜中のMTVで、
安室奈美恵の「60'S 70'S 80'S」のPVのメイキングを見ていた。
安室は良いなあ。幼稚な小室の歌を歌わなくなってから、もっと言えば
離婚してからがとても良い。離婚して格が上がるのがたいてい女。
ある時リリー・フランキーが言っていた言葉で
「女は秒速で生きている。」というのを聞いて、はたと膝を打ったのである。
過去を振り返っている暇もなく走り続けているから、どんどん前に進んでいるように見える。
それにしても本当に安室はかっこいいなあ。

安室奈美恵の良いところは過剰な自己主張がないところである。
彼女は大スターなのに、トークでは呆れるほどエキセントリックなところがない。
プロデューサーが求めている人材は、
優れた歌とダンスのテクニックと、独創性に溢れたキュートなルックスを持つ者だ。
まっさらな自分をそっくりそのままプロデューサーにゆだねてしまえるというのは、
自分に相当の自信がなければできることではない。
ジタバタしなくても表現はちゃんと成立するのだ。

そういえば、及川光博のライブに行くと、
やたらトークが長くてイヤになったのだが、そこで彼はしばしば
”ロックとは何ぞや”的なハナシを語っていたりする。
まぁ時々共感する部分もあるものの、出て来る音がそれかよみたいなことが多い。
そのライブで一番良かったのが
少年隊の「君だけに」のカバーだったりする。
見かけは王子なんだし、余計なことは言わない方がいい。恥かくから。
自己顕示欲の固まりみたいなアーティストには、受け入れがたいことかもしれないが、
優秀なプロデューサーにすべてを任せた方がより輝くタイプもあるということだ。

このように、優れた素材を持つ歌手と、面白い企画がぴったりはまると、
より良い表現になるという例をあげてみたが、
特にカバーは、自己満足の安易なものに陥ることが多いので要注意だ。
最近加藤ミリヤが安室奈美恵のカバー「19Memories」を発表したが、
実にこっ恥ずかしい出来である。
PVも道に座り込んで雨に打たれたりして、ケータイ小説みたいな映像。
これもまたこっ恥ずかしい。
さすが脳内高校文芸部の小室が作った曲だ。
それをさらにおこちゃま向けに作り直して、通訳してあげてるカンジ。親切だねえ。

そんなにやさしくしてどうすんの?
自分でいいものをチョイスさせないための嫌がらせつもりかね?
みんなは日本にいて自分の身に何が起ろうと、
淡々と歌い続ける安室奈美恵の姿をいつでもカンタンに見られることに、
感謝するべきである。

誰かオレに教えてほしい。誰が(    )の新譜の発売を待っているのかということを。


カッコ内に入る言葉は、みんなそれぞれにあることだろう。
例えばオレならそこへ”SMAP”と書き入れるところだが。
それはあのグループに今更何を発表する意味があるのかということ。
そして彼らの何を見たいかということである。
はっきり言って、SMAPに時代を牽引する役目はもう終わったのに、アルバムは出るのである。
週刊誌のように。しかしビジネスの構造が出来上がっている以上いまさら降りられないのだろうが、
ああ面白くねえ。
ついでにもう一つ教えてほしい。
誰が(    )の半裸の姿を見たいかということだ。

最近の山口智子はあまり働いていないが、
出てくるとなぜか寝起きのようなヘアスタイルに、ノーブラのタンクトップ姿で、
てかったシーツの上に寝そべっているか、裸足で歩き回ったりしている。
この間、冬のヨーロッパ紀行番組なんかでは
薄手の露出多めのワンピースにトレンチコートをはおり、
素足にローヒールのパンプスを履いていたような気がする。寒いのに。
本当はそんな格好をしていなかったのかもしれない。
しかし問題はそのようなイメージを持たれるということである。
彼女のセールスポイントは昔も今も、ナチュラルさである。
そこでもう一度聞くが誰が山口智子のハダカが見たいのだ?

ナチュラルで場がもつのは若い女や男で、
そうではない者が同じ土俵で戦おうとしてもイタいだけである。
ナチュラルさを追求するあまり困ったことも増えた。
「飾らない本当の自分」という信仰である。
その弊害は今でも続いていて、
音楽でも演技でも独りよがりな自分らしさにこだわった表現ばかりが目立つ。
飾らないのが良いことなら、
お客に出すのに採れたての土がついたジャガイモ状態でもいいのかというハナシである。

しかしすでに時代は外側だけのナチュラルを欲してはいない。
いつまでもナチュラルメイクをしているとトシがばれる。
マスカラはばっちりつけるが、
餃子は自分ちの畑で採れたにらを入れた自家製の物を食べるのがイマドキである。
それに餃子の餡はよく練った方がうまいぞ。
三月は別れの季節である。みんな、卒業式ではいっぱい泣いたかい?


ところで今年もサクラ関係の歌真っ盛りだあね。
でもさあこの季節の頃サクラが咲くのは沖縄ぐらいで、フツーは梅なんだよ。
でも梅についてはみんな歌わないな。何でだと思う?
それはみんな、自分の思い出を3割増美化したいからさ。

オレが大学を受験した年は記録的な豪雪で、
東京人は雪かきしないもんだから、一日中日が当たらない場所なんかアイスバーンになっていた。
月並みだがよく滑って転びそうになって、
永遠に冬が終わらないような気がして、イヤになったもんだ。
ようやく入れた大学は第五志望くらいで、
それでも上京できることになって晴々とした気分になれた。
うれしさはもうひとつあった。ようやく片想いの相手を追って行けるからだ。
春ラララである。
しかし三月は別れの季節である。
オレは「期待には答えられない。」と言って振られた。春なのに。

しかし突然の別れで、オレの元には
そいつから借りたままの中島みゆきのLP5枚が残った。
それまでの薄暗い性格から卒業したかったオレは、
自分の二十歳の誕生日の前日にそれを返却しに行った。
そいつの住むアパートまでの道のりで、オレの頭の中ではずっと
「わかれうた」が流れていた。ーと言いたいところだが、
道に倒れて誰かの名を呼び続けることもなく、
受験の頃来た雪道とのあまりの違いに道に迷った。
現在過去未来で、ようやくたどり着いた頃にはもう怒りしか残っておらず、
重たいLPをドアの前に置いた時には
「畜生っっせいせいしたぜ!」という気持ちでいっぱいなのであった。

別れは美しくない。
桜のようにすっきりと潔く散ることはない。
どんな別れもみっともなくて悲しく、そして少し滑稽なのである。
みんなそこの所をなかったことにしようとしてはいないだろうか?
別れは梅のように、花が終わってもいつまでも花びらが枝にくっついたまま、
汚らしく枯れていくものだ。
みんなが同じように美しい別離という欺瞞を歌っている。
冷たい人と言われても、そんな卒業式でオレは泣くものか。

別れたそいつとその後どうなったかというと、
それぞれの場所でそれぞれの生活を送っているが、数十年を経て、
見苦しくお互いを罵り合う付き合いが続いていたりする。
青春は美しくない。しかし人生は不思議だ。
いつになったらオレは何から卒業するんだろう?

散り際は美しくないが、梅は桜よりも大きい実を結ぶのである。