翔鶴型空母2番艦、瑞鶴は大和などと同じくマル3計画によって誕生した大型空母であり、艦種球型形状(バルバス・バウ)や機関など、設計も大和に通じるものがあった。もちろん改装ではなく、日本軍初の改装ではない最初から空母設計の本格的大型空母であった。
機関に関しては、罐数こそ大和型12基に翔鶴型8基と少なかったが、ボイラー出力馬力はむしろ大和を超え、最高速度は34ノットに及んだ。艦体のわりに滑走路がちょっと短く狭いという評もあったが、赤城や加賀が戦艦の艦体を無理やり空母にしたため滑走路がやたらと広いだけであり、主力空母として世界に誇る大きさと能力を備えていた。甲板装甲こそなかったが、舷側は重巡の砲撃や450kg魚雷の直撃に耐えられるよう設計され、機関部も装甲に鎧われまさに日本空母の代表に相応しい空母であった。
また、通常2番艦は1番艦の公試や実戦での経験を踏まえ、機関砲の数や位置、その他細かい装備の有無など多少の改良が施され、微妙に外観の異なる場合が多いが、瑞鶴は竣工を予定より3か月も早め突貫工事で翔鶴とあまり時期を違わず竣工し、見た目がほとんど同じだった。当の飛行隊搭乗員ですら、空の上から見分けがつかず誤着艦しかける事例もあったという。
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竣工直後の瑞鶴。
皇紀2601(昭和16/1941)年9月25日、神戸の川崎造船所で竣工。1番艦からわずか2か月近く後であった。おかげで、結果として瑞鶴は真珠湾に間に合った。翔鶴と共に他護衛駆逐艦を従え第五航空戦隊(五航戦)を編成。12月6日の真珠湾では主に地上攻撃を担当した。理由は錬度不足であったが、この時期の他国空母と比べてもけして飛行隊の錬度が劣っていたわけではなくむしろ飛行時間では教官クラスだった。一航戦の錬度が凄すぎた。
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真珠湾にて発艦する零戦。
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真珠湾へ向かう南雲機動部隊。瑞鶴より後方を見る。赤城(前)と加賀(後ろ)。
真珠湾奇襲はありえないほどの大成功だったが、米空母を取り逃がし、沈めた戦艦はWW1時代の旧式で、なおかつ基地破壊も油槽所や工場を逃し結果として不完全だった。真珠湾の帰りに分隊しウェーク島攻撃を補佐する案もあったが、それは二航戦(蒼龍、飛龍他)が下命した。
翌皇02(S17/42)年1月5日呉を出港し、ラバウル攻略戦を補佐し、聯合国軍陸上基地を空襲する。
3月には再び一航戦、二航戦と合流。南雲機動部隊としてインド洋方面攻略戦へ参加。4月上旬、セイロン島沖海戦。イギリス東洋艦隊の撃破に貢献。4月14日に艦隊と別れ台湾にいたころ米軍の帝都奇襲「ドーリットル空襲」に接し、米艦隊を探して急ぎ硫黄島方面へ出撃するも会敵しなかった。この時、近隣で動ける日本軍空母は全て出て米奇襲艦隊を探したが、どの艦も発見できなかった。
5月、ポートモレスビー方面攻略部隊に米機動部隊の圧力が加わり、展開していた中型空母祥鳳1隻では護衛しきれなくなり、南雲機動部隊へ増援要請、攻略方面軍が二航戦派遣を希望するも五航戦派遣が決定する。これは五航戦の錬度向上の意味もあったという。5月上旬にはポートモレスビーへ展開。MO機動部隊となる。当初は祥鳳も五航戦麾下にする案が提案されたが、先行する攻略部隊の護衛空母がいなくなるため方面軍により却下された。それが裏目に出る。珊瑚海海戦である。
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珊瑚海海戦の様子。
5月7日、米駆逐艦に護衛されたタンカーを空母と誤認、翔鶴と瑞鶴より攻撃隊がいっせいに飛び立つ。タンカーと駆逐艦を沈めたのちも「いるはずの米機動部隊」を探し回って何時間も無駄にしてしまった。しかもその隙に先行中のMO攻略本隊が米空母レキシントンとヨークタウンの攻撃を受け、奮戦空しく多勢に無勢、祥鳳が撃沈される。日本軍空母喪失第1号であった。
祥鳳を失った重巡4と駆逐艦の主力と合流し、攻撃隊を収容した五航戦は薄暮攻撃を敢行したがレーダーにより把握され迎撃されて失敗。翌5月8日、いよいよ互いの主力空母同士が狭い海域で互いの艦載機のみによる世界初の航空攻撃戦を行う。
位置は互いに知れており、早朝より双方攻撃隊発艦、途中で互いにすれ違うも無視して攻撃を行った。翔鶴隊はレキシントンへ殺到、直撃弾2魚雷命中2を与えて航行不能せしめた。レキシントンは救助活動中に気化ガソリンが大爆発し大炎上、総員撤退後、自軍により雷撃処分された。瑞鶴隊はヨークタウンを襲い直撃弾を与えるも魚雷命中が無く至近弾による浸水で燃料が漏れ、ヨークタウンは撤退を余儀なくされる。しばらく戦線復帰不可能と思われたが、米軍は3日で応急修理を終え、ミッドウェーに参加させるという底力を見せた。
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直撃弾2、魚雷2をくらった後、気化ガソリンが大爆発するレキシントン。
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火災は納まらず、総員退艦の後雷撃処分。
いっぽう日本軍も米攻撃隊に襲われたが、瑞鶴はちょうど近くにスコールがありその下へ隠れることに成功。翔鶴と大きく離れてしまった。護衛の重巡や駆逐艦はどちらにつけばいいのか命令が無く、右往左往するという始末。米空母2隻の攻撃隊は翔鶴へ殺到した。翔鶴は命中弾3を受け、ガソリン庫を突き破って大爆発、水平線の向こうから黒煙と火柱が上がり、瑞鶴では翔鶴がやられたと思ったという。
しかしミッドウェーと異なり格納庫がカラだったため、それ以上の爆発が無く機関も無事、翔鶴は燃えながらも大和を超える馬力による最大出力を発揮して戦場を離脱する。しかし第2波攻撃も翔鶴を襲い、爆弾1発命中するも鎮火に成功し助かった。MO攻略は中止となり、日本軍は海域より撤退した。
2隻は日本へ戻り、翔鶴は修理に3か月、瑞鶴は無傷だったが飛行隊喪失多数で実戦復帰は繰り延べとなって、ミッドウェー攻略への参加が見送られた。
これが運命の分かれ道、6月5日、南雲機動部隊はミッドウェーで大敗、主力空母4隻が一気に沈んだ。
衝撃は大きく、この時点で大型主力空母は五航戦の2隻だけ、あとは改装空母と条約にひっかかった小型空母、鳳翔のみだった。日本軍は急ぎ機動艦隊の立て直しに入る。ミッドウェーの勝利により、いよいよ米軍が本格的に反攻を開始、フィリピン奪還を目指し、まずガダルカナルへ上陸する。
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デジタル彩色。
瑞鳳がまだ出渠整備中で、急ぎ新生二航戦(飛鷹、隼鷹、龍驤)より龍驤を引っこ抜いて新生一航戦(翔鶴、瑞鶴、瑞鳳)へ合流させ、臨時一航戦とし、8月より始まったガ島攻防戦へ投入、第2次ソロモン海海戦が始まる。
第1次ソロモン海海戦で日本軍は勝利したが、その後うまい手を打てずいたずらに時がすぎ、米軍は日本軍が放棄したヘンダーソン飛行場を完成させて運用を始めた。この基地より飛び立つ米軍の空襲で日本軍の補給船団がいいように沈められ、ガ島に取り残された日本軍は援軍も補給も無く「餓島」という状況で地獄の戦闘を強いられた。
陸軍は海軍へ基地の沈黙と補給部隊の援護、米艦隊の撃滅を矢のように催促。海軍も受けざるを得ず、ここに日米の半年にもおよぶ悲惨な消耗戦が始まった。日本軍はこの小さな島の攻防戦で、陸軍も海軍も回復不能のダメージを受ける。
ここで龍驤とその護衛を囮とし、その間に翔鶴、瑞鶴が米軌道艦隊もしくはヘンダーソン基地を叩くという、後世からするとかなり無理のある作戦に出る。結果は大空振り。8月24日の第二次ソロモン海海戦において龍驤は見事に米艦載機を引き付けて沈没したが、翔鶴、瑞鶴の航空隊は第1次攻撃は空母エンタープライズ、サラトガに軽微な損害を与えたのみ、第2次攻撃隊は米空母を発見できなかった。米軍は基地航空隊がガ島輸送船団を撃滅し輸送を阻止、勝利した。
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10月25日、延び延びになっていたガ島総攻撃がようやく開始されるに伴い、機動艦隊も南下を始める。日米ともあらん限りの空母を備え、珊瑚海の再現、南太平洋海戦が勃発。日本軍は空母5隻をそろえたが飛鷹が機関故障で戦う前に離脱。翔鶴、瑞鶴、瑞鳳、隼鷹の4隻他高速戦艦4を含む護衛隊。対する米軍は空母ホーネット、エンタープライズの2隻他護衛部隊という陣容だった。
日米とも互いに狭い海域で互いを視認せず、互いの航空戦力のみで海戦が行われた。早朝より索敵機が互いを発見、攻撃隊が発進する。上空で日米の攻撃隊がすれ違って無視しあい、互いの空母を攻撃しに向かったのである。
日本軍攻撃隊は0655エンタープライズがスコール下にあったためホーネットへ殺到、直撃弾3、至近弾1を与えた。さらに魚雷も1発命中させ機関停止、航行不能せしめたものの、レーダーを駆使した効果的な迎撃により大損害を受けた。
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九九艦爆の攻撃を受けるホーネット。
第2次攻撃隊が0815ころエンタープライズ及び漂流中のホーネットを発見、無傷のエンタープライズへ攻撃開始する。直撃弾2を与え、火のついたガソリンが流れ出し大火災発生せしめる。しかしここから米空母の頑丈さが発揮され、なかなか沈まない。戦艦サウスダコタも小破させた。結局ホーネットは漂流中に1530ころ隼鷹の第3次攻撃で直撃弾4をくらい傾斜するも、それでも沈まなかった。夜になり米軍の自沈攻撃でも沈まず、米軍が撤退したのちにホーネットを発見した日本軍の水上追撃部隊の攻撃でもなかなか沈まなかったが、魚雷を何発もくらい翌0135ようやく沈んだ。エンタープライズは撤退した。
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エンタープライズは至近弾により燃料が漏れ撤退。
一方日本軍にあっては、既に0540索敵中のドーントレス2機が瑞鳳を発見、警戒の零戦にも気づかれていないのを良いことにいきなり急降下を仕掛け、甲板後方に直撃弾1発を命中させた。火災が発生し、大事には至らなかったが発着艦不能となり早々に瑞鳳離脱。
瑞鶴はこの時、発艦のため風上へ向かって全速力で突き進み、翔鶴から20kmも離れてしまった。そのため、結果的にまたも翔鶴に米艦載機部隊の攻撃が集中する。翔鶴にレーダーが装備されておりミッドウェーよりは効果的な迎撃ができたが、翔鶴は再び直撃弾をくらって大火災。撤退する。瑞鶴は無傷だった。それぞれ「被害担当艦」「幸運艦」などと呼ばれた。
なにより、レーダーによる米軍の迎撃が凄まじく、瑞鶴も航空隊の損耗が著しかった。またこの後に陸上基地への派遣によるさらなる損耗とマリアナでの壊滅的被害によって、日本軍はここで失った航空隊の損害をけっきょく最後まで回復できなかった。
その後、なんと太平洋に展開する米空母は一時的にゼロとなり、日本軍は隼鷹1隻と基地航空隊で水上部隊を援護しつつ、戦艦比叡、霧島による第2回ヘンダーソン基地夜間艦砲射撃を実施。しかし米軍も大和型に匹敵する最新鋭戦艦を派遣し、11月12-15日ガチ夜戦タコ殴り海戦である第3次ソロモン海海戦が発生した。この一連の海戦で比叡と霧島ほか駆逐艦、重巡多数が沈み、米軍も軽巡、駆逐艦が多数沈んだため、海域は「鉄底海峡」と呼ばれた。
11月、機動部隊司令が南雲中将より小澤中将へ交代し、真珠湾以来の栄光と挫折の南雲機動部隊は、小澤艦隊となる。
12月、消耗した航空隊の再編を行い、最新鋭攻撃機天山の発着試験も行った。12月12日、物資輸送任務の空母龍鳳が雷撃を受けて中破、呉へ引き返してきたため、代わりに瑞鶴が龍鳳が輸送予定だった物資を乗せて31日の大みそかにトラックへ向けて出発した。翌皇03(S18/43)年1月7日、戦艦陸奥他の艦艇と共にトラックを発ち、14日呉へ帰還。18日には慌ただしく再び陸奥他軽巡、駆逐艦らとトラックへ向けて出発。トラックでは陸上基地へ航空隊を派遣する。立て続けに起こる航空戦で損耗率がうなぎ上りに上がり、せっかく立て直した航空隊がまた使えなくなる。5月、再び呉へ戻り、修理を終えた翔鶴と合流する。しかし、両艦とも航空隊は錬度著しく低く、上層部は作戦に不安を覚えたという。
このころ、日本の石油備蓄は既に枯渇してきており、聯合艦隊が動くたびに燃料は減る一方であった。にも関わらず、5月から10月にかけて北方や南洋諸島へ出撃しては会敵せずを繰り返し、いよいよ枯渇度合いが酷くなってきた。特にトラック泊地の備蓄燃料は底をつき作戦の遂行に支障をきたし始めた。タンカーのほか、空母にすらドラム缶を積んで燃料輸送した。
皇04(S19/04)年、機動部隊は訓練を開始。下がりに下がって回復せぬ錬度を少しでも上げようと努力する。3月下旬のパラオ空襲で日本軍機密文書が米軍の手に渡る「海軍乙事件」が発生しており、アメリカ軍は日本軍の大規模航空撃滅戦要綱を既に把握していた。
6月19日、海軍は空母9隻をそろえ、他に護衛の戦艦5、重巡11、軽巡艦2、駆逐艦20という大陣容でマリアナ、パラオ沖で米軍との決戦に挑んだが、対する米軍は空母15、戦艦7、重巡8、軽巡12、駆逐艦67という日本軍に倍する超大陣容であった。しかも、日本軍はほとんど全員をそろえたが米軍は太平洋方面軍に過ぎない。特に駆逐艦の差は歴然で、日本軍は米潜水艦に主力空母2隻を沈められ、逆に日本軍潜水艦部隊は被害甚大であった。
19日から20日にかけ、日本軍は空母を3隻ずつ3部隊に分け、第1次から第6次まで随時発艦、米軍へアウトレンジ攻撃を行ったものの、結果は惨憺たるものであった。なにより機密情報漏洩に加え、米軍の優れたレーダー網による攻撃隊の事前把握、最新の対空兵器(VT信管付対空弾)、零戦を凌駕する戦闘機F6Fヘルキャットによる迎撃と、日本軍の攻撃隊は第1次攻撃隊で2/3以上、第2次攻撃隊は3/4以上を失い、総数で半数以上を失うという壊滅的被害を受けた。特に最新鋭の彗星艦爆と天山艦攻は搭乗員の練度不足もあり、ほぼ全滅した。
いっぽう、最新鋭の装甲空母大鳳と翔鶴が19日に敵航空機ではなく潜水艦の雷撃によって撃沈され、20日には給油で艦隊が集結したところを100機近くの米軍機に襲われた。空母飛鷹が魚雷を受けて沈没。タンカーも2隻やられた。瑞鶴は直撃弾1、至近弾6を受けて小破、火災が発生した。他、隼鷹が中破、龍鳳、千代田が小破。戦艦榛名と重巡麻耶なども小破した。潜水艦は21隻中8隻が撃破された。航空機の損害は基地航空隊と合わせて両日で470機を超えた。
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マリアナにて空襲を回避する。
一方米軍は空母2、戦艦2、重巡1が小破。航空機は40機ほどが日本軍により撃墜、90機ほどが夜間攻撃による不時着失敗などの事故で喪失だった。
日本軍は「マリアナの七面鳥撃ち」などと米軍に揶揄されるほどの大惨敗による飛行隊壊滅により機動部隊として作戦遂行不可能となり、マリアナ方面は制空権、制海権とも米軍の手に落ちた。
7月、呉へ入り、ガソリン庫の強化、艦内不燃対策、迷彩塗装など細かな改修を受ける。瑞鶴は瑞鳳、千歳、千代田の4隻で三航戦を編成。一航戦は最新鋭空母、雲龍と天城で再編された。9月には戦意高揚映画「雷撃隊出動」の撮影に協力している。
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映画でのワンシーン。
10月、いよいよフィリピンへ迫った米軍を逆に撃滅すべく捷号作戦発動。一連のレイテ沖海戦が勃発する。いまもって史上最大の海戦と呼ばれ、日米とも艦隊をフィリピンへ結集させた。
三航戦は小澤艦隊として参戦するが、航空隊がマリアナで壊滅的被害を被っており、この短期間で回復できるはずもなく飛ぶ飛行機のほとんどいない機動艦隊であった。とうぜん、任務は敵機動部隊を引き付ける囮だった。
小澤艦隊が米機動部隊を引き付け、その間に戦艦大和、武蔵を主力とする栗田艦隊がレイテ島北部よりシブヤン海を抜けてレイテ湾へ侵入、同時に戦艦扶桑、山城を主力とする西村艦隊、重巡那智、足柄を主力とする志摩艦隊が合流し遊撃部隊としてスリガオ海峡を抜けてレイテ湾へ突入、合わせてレイテ湾へ集結した米軍の大輸送部隊及び水上部隊を撃滅するという、空前絶後の大作戦であった。
その主力及び遊撃の水上部隊がどうなったかは、過去記事の戦艦を参照いただきたい。
小澤機動艦隊は空母4(瑞鶴、瑞鳳、千歳、千代田)戦艦2(伊勢、日向)軽巡3(大淀、五十鈴、多摩)駆逐艦6(秋月、初月、霜月、若月、桑、槙)という陣容で10月20日、レイテ島北部へ接近、航空隊は錬度不足により陸上基地へ避難させられる機もいた。24日1130、4空母から出撃したのは、護衛の零戦を含めたったの32機であった。戦果はなく、撃墜や陸上基地へ避難により戻ったのはたったの3機であった。既に同日のシブヤン海の戦いで栗田艦隊は戦艦武蔵を失い、被害大きく反転して陣形を立て直しにはいっており、ハルゼー提督はこの小規模攻撃を受けた小澤艦隊こそ日本軍の主力と判断、北上を開始した。
従って、囮としての小澤艦隊は、この時点で見事にその役割を果たすこととなった。
24日の夜(25日未明)には栗田艦隊の反転を知らぬ西村艦隊が単独でスリガオ海峡へ突入、壊滅する。
25日、エンガノ岬沖を北上する小澤艦隊に米艦載機接近。0815米軍機の空襲開始。小澤中将は全軍宛に「敵艦上機約80機来襲我と交戦中。地点ヘンニ13」という最重要電を打ったが、自軍以外に届かなかった。従って栗田艦隊はハルゼー艦隊の動向を知らずに、レイテ湾突入の機会を逸する。その意味で小澤艦隊の囮任務は失敗である。
このとき、直掩の零戦は空母4隻でたったの18機であり、100機に近い攻撃機を相手に奮戦も空しく艦隊は野ざらしで攻撃されるに等しい有様であった。
0835瑞鳳被弾、0837瑞鶴が甲板中央部に被弾1、また左舷に被雷1、発着艦及び通信不能となり速度22ノットへ低下。0850駆逐艦秋月が突如大爆発して轟沈(原因諸説あり)。0937直撃弾多数で千歳沈没。軽巡多摩も被雷し航行不能、大傾斜。
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米軍撮影。左舷に傾斜する瑞鶴。
瑞鶴では大淀に通信依頼し、引き続き米軍誘因成功を打電するも栗田艦隊には届かず。その後、瑞鶴では指揮が取れず大淀へ旗艦変更準備を進めているうちに米軍第2次攻撃が始まり大淀が離れる。
第2次攻撃では瑞鶴に特段被害はなかったが、千代田が多数被弾し落伍。1054小澤中将が大淀艦載短艇にて将旗を大淀へ移し、全艦へ旗艦変更の通達。このさい、瑞鶴では乗員が「瑞鶴を見捨てるのか!」「それでも司令官か!」と、大騒ぎしたというが、通信設備をやられて指揮が取れないのではどうしようもない。
1100ころハルゼー提督がハワイ総司令部よりレイテへ戻るよう命令されエンガノ岬沖を離れるも、ミッチャー中将麾下の空母部隊とデュポーズ小将麾下の巡洋艦水上部隊を残し、小澤艦隊を追撃させた。
1300ころ第3次攻撃始まる。攻撃は瑞鶴へ集中、左舷へ4本、右舷へ2本魚雷名中、直撃弾4~6発他至近弾多数で大火災発生、左へ傾斜が一気に進み、艦内火災も「手がつけられない状態」となる。対空火器も爆撃でふきとぶか艦内電気不通で操作不能となり、唯一残って射撃を続けていた右舷高角砲も砲身が焼けて使用不能となり、傾斜の増大で旋回も不能、沈黙した。
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空襲を回避する瑞鶴と瑞鳳。
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中央が瑞鶴。右上に瑞鳳。手前は秋月型駆逐艦(資料によっては若月とも)
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魚雷をくらい炎上する瑞鶴。迷彩塗装されていたことが分かる。
1327総員甲板上がれ命令、1355ころ軍艦旗降下、万歳三唱、総員退艦。米軍の攻撃は既に終わっており、この際の高名な写真が残っている。1414-20ころ、瑞鶴は左舷から沈没した。瑞鶴沈没からほどなくして、1526瑞鳳も沈没。落伍していた千代田と他の艦も追撃の米水上部隊の砲撃で沈められ、小澤艦隊の空母4隻は全滅した。
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軍艦旗降下。かなり傾斜し沈没寸前であるのが分かる。
小澤艦隊は航空戦艦伊勢と日向が後部甲板にずらりと並べた対空兵器のおかげか生き残り、残存艦を結集してシンガポールへ撤退した。残ったのは伊勢、日向、大淀、若月、霜月、桑、槙の7隻だった。
栗田艦隊はサマール沖海戦を経てついに突入を断念。これも撤退する。
捷号作戦は失敗に終わり、フィリピンは米軍へ制空権、制海権を奪われたことにより補給が途絶え餓島をはるかに上回る悲劇に襲われた。聯合艦隊は残存艦数及び燃料不足により壊滅。機動部隊もまともに動ける空母がほとんどなく、なにより航空隊が壊滅したことにより、ここに終焉を迎えた。
瑞鶴は真珠湾へ参戦した6隻の主力空母最後の生き残りであった。瑞鶴の沈没は、まさに日本軍機動部隊の最期を象徴するものといえよう。