瑞鳳 | バカ日記第5番「四方山山人録」

バカ日記第5番「四方山山人録」

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 軍縮条約の余波は、まだまだ留まるところを知らない。

 空母の保有制限を蒼龍と飛龍で使い切ったところで日本軍、秘策に出る。つまり、いつでも空母へ改装できる別種の船をせっせと造るのである。それは高速給油艦だったり客船だったりしているわけだが、まず高速給油艦高崎と剣埼を予算化した。

 高崎級は高速というだけあって、給油艦(タンカー)のわりに大出力でめったやたらに足が速かった。そりゃいつでも空母に出来る身なのだから、足も速くなろうというもの。

 しかし高崎の建造中に条約脱退し、そのまま謎の高速タンカーを造る必要が無くなった。よって、より空母へ改装しやすい潜水母艦へ艦種変更となった。潜水母艦は潜水艦の母艦という意味で、外洋の所定の場所で作戦中の潜水艦と合流し、燃料弾薬、水食糧等を補給する船である。潜水艦が横付けできる機構を備えており、また格納庫を備えるので、タンカーより空母へ改装しやすいのだろう。

 ところがすぐさま、空母へ計画変更。一気に空母となって皇紀2600(昭和15/1945)年、瑞鳳と名を変えて竣工した。満載排水量は14,000トン。中の小ていどの小型空母だった。翌年には第三航空戦隊(三航戦)へ配属、鳳翔他護衛艦と編隊を組む。

 

 


 同年12月の真珠湾の際は、後方の水上部隊護衛の任務を受け、戦艦らとともに対潜哨戒しながら小笠原付近まで出張ったところで奇襲大成功の報を受け帰還した。

 翌02(S17/42)年2月、フィリピンへ零戦を輸送、その後も瀬戸内海で訓練に勤しんだ。4月、米軍決死のドゥーリットル隊東京空襲に際し、慌てて哨戒任務へ出るも敵を発見できなかった。5月、珊瑚海海戦が勃発。姉妹艦の空母祥鳳が撃沈される。日本軍空母喪失第1号だった。6月、ミッドウェー。主力空母4隻が一気に失われた。

 ミッドウェーでは、瑞鳳は鳳翔と共に後方水上部隊の護衛任務に就いていた。敵基地航空隊及び米空母艦載機の追撃を受ける危険があったが、瑞鳳・鳳翔の艦載機は護衛任務ということで元より少なく、しかも鳳翔は旧式艦載機で瑞鳳は敵艦と会うこともなかろうとなんと魚雷を積んでいなかった。仕方も無く艦攻へ爆弾を積んで待機したが、会敵しなかった。

 8月、アメリカ軍がガダルカナルへ上陸し、ガ島攻防戦が勃発。第二次ソロモン海海戦で囮となった龍驤が沈んだ。瑞鳳は作戦へ参加しつつ日本とトラック泊地を往復し、航空機輸送任務に従事した。この際、重巡熊野の偵察機が瑞鳳を「国籍不明空母」と報告し、まっすぐトラックへ向かってくるので泊地では一瞬緊張が走るハプニングがあった。

 10月、南太平洋海戦へ参加。これは珊瑚海と同じく、日米の機動部隊同士の衝突となった。

 時系列とこれまでの記事で登場した艦で云うと、戦艦金剛、榛名によるヘンダーソン飛行場砲撃と、霧島、比叡による第二次砲撃の間に当たる。

 ガ島攻防戦では日本軍が建設途中だった飛行場を米海兵隊に奪われ、日本軍が残していった食料や物資に加え米軍が実用化していたブルドーザーという「新兵器」により逆に米軍基地として完成されてしまい、ガ島への援軍補給物資が完成されたヘンダーソン基地航空隊によりバガスカ沈められて重大な脅威となる始末。日本軍は奪い返そうと夜間突撃を繰り返すも機関銃と戦車で撃退され、総攻撃は全滅失敗の連続。戦艦金剛、榛名による夜間艦砲射撃は一定の効果を上げ、飛行場は一時沈黙した。(それも「ブルドーザー」で1か月そこらで復旧されてしまうのだが。)

 龍驤を失い基地空襲も不発に終わった第二次ソロモン海海戦の後、日本軍は空母飛鷹、隼鷹、瑞鳳、翔鶴、瑞鶴の5隻を投入。しかし飛鷹が火災と機関故障で日本へ帰還。4隻で米空母群と戦うことになった。10月23日、度重なるガ島部隊の飛行場総攻撃延期に影響されながらも南下を続けていた機動部隊は25日攻撃命令により隼鷹の飛行隊がヘンダーソン基地を空襲した。26日未明より索敵を繰り返し、日米ほぼ同時に互いを発見した。米軍は空母2隻(ホーネット、エンタープライズ)を派遣していた。
 
 互いの攻撃隊が上空ですれ違う互いを視認するほどの近距離であったが、一部交戦があったものの互いにそ知らぬふりをしてやり過ごした。

 0540、索敵中のドーントレス2機が襲来に気づかない瑞鳳へいきなり急降下をかけた。直掩の零戦も気づいていなかった。直撃を食らったが幸いにも甲板後方で格納庫は空だったため、ミッドウェーの二の舞にはならなかった。しかし発着艦ができなくなり戦線を離脱する。

 瑞鳳攻撃隊は瑞鶴へ移り、米空母攻撃へ引き続き参加。空母ホーネットを爆撃で大破せしめる。ホーネットは追撃した日本軍水上部隊が雷撃で撃沈した。

 

 

 九九式艦爆の爆撃を受けるホーネット。

 

 エンタープライズは至近弾で艦体中央部が陥没し浸水して傾斜し発着艦不能となる。日本軍は米主力空母2隻を撃退したが、このころより敵対空砲や戦闘機の迎撃が激しく、味方の損害も著しく大きくなった。

 

 

 至近弾を受けるエンタープライズ。


 この南太平洋海戦で日本軍が勝利したことにより、なんと太平洋に展開する米軍の空母は一時的にゼロとなり、基地航空隊はあるが航空戦力の脅威が減退したとして、危険ではあるが第二次砲撃が決行された。アメリカは大和級に匹敵する最新鋭戦艦2隻(ワシントン、サウスダコタ)を投入し、霧島、比叡隊との深夜のガチタコ殴り海戦が起きた。またエンタープライズも応急修理のみで戦線復帰する。

 翌皇03(S17/43)年、修理を終えた瑞鳳は戦線復帰する。1月にはトラックへ着任し、3月に隼鷹と共に再びガダルカナルへ向かい、陸軍の大規模補給輸送作戦の上空直掩任務に就くが敵航空隊の規模も大きく、護りきれずに補給部隊が壊滅し作戦は失敗した。

 5月にはまた日本へ戻り修理と甲板延長、航空隊の再編を行った。訓練を終え7月にトラックへ戻る。9月から10月にかけて米機動部隊の出現情報をもとにトラックから艦隊が出張っては空振りで会敵せずまた戻る作戦が続き、トラック基地の燃料備蓄が底をつきかけたうえ、瑞鳳の航空隊はまたもガ島上陸作戦の援護で消耗したため、11月から12月にかけて輸送任務に就きトラックと日本を5往復する。この際、僚艦の小型空母沖鷹が米潜水艦に撃沈された。

 そして皇04(S19/44)年、歴史はマリアナとレイテを迎える。2月、瑞鳳は空母千代田、千歳と三航戦を編成。また3月から空母龍鳳と共にグアム、サイパン方面への輸送作戦に就く。5月、戦艦武蔵、二航戦(飛鷹、隼鷹、龍鳳)と三航戦(千歳、千代田、瑞鳳)が他駆逐艦と合流。タウイタウイ泊地へ向かう。しかしタウイタウイは既に米潜水艦出現の多発地帯と化しており、既に駆逐艦が多数撃沈されており、迂闊に訓練もできない危険海域と化していた。

 6月、前衛部隊としてマリアナ沖海戦へ参加。日本軍は鳳翔や大鷹型小型空母以外の残存空母を集め、甲部隊(大鳳、翔鶴、瑞鶴)乙部隊(飛鷹、隼鷹、龍鳳)丙部隊(千歳、千代田、瑞鳳)の9隻を投入。戦艦も5隻(金剛、榛名、長門、大和、武蔵)を投入している。しかし米軌道艦隊の空母数は15、戦艦も最新のアイオワ級4隻を含む7隻であった。しかも、マリアナ沖海戦はパラオ空襲の際に司令官の乗った二式大挺が遭難する事件で作戦概要を記した機密文書が米軍にわたっており、日本軍の作戦は(またも)筒抜けだった。(海軍乙事件という)

 6月18日、ミッドウェーの轍を踏むまいと40機もの索敵機を三段階に分けて出し、1500ころ米機動艦隊発見。すかさず第一次攻撃隊発進。しかし、小澤艦隊司令の命令で前衛部隊の第一次攻撃は中止になった。このまま進めば時間的に夜間攻撃になることを危惧したためという。仕方も無く途中で爆弾を捨てて帰投したが、練度未熟のため着艦事故が多発。前衛部隊は暗澹たる空気に支配された。

 6月19日早朝、今度こそ攻撃隊発進。しかし、0840ころ後方の主力部隊(翔鶴、大鳳他)の第一次攻撃隊をよりによって米艦載機と誤認し、対空射撃を行い数機撃ち落とすという失態を演じる。さらに米軍には次世代機であるF6Fヘルキャット戦闘機が配備されており、この零戦をも軽々と撃ち落とす2000馬力級の最新戦闘機とVT信管付対空弾の威力もあって、最新鋭レーダーによって早々に発見された日本軍のアウトレンジ攻撃隊は第1次~第6次攻撃隊の全てが半数以下を失うという壊滅的被害を受け、特に最新鋭の天山艦上攻撃機と彗星艦上爆撃機は全滅に等しい被害を受けた。また、甲部隊では米潜水艦の攻撃で最新鋭の装甲空母大鳳と翔鶴が撃沈された。

 6月20日、最悪なことに補給のため残る全空母他護衛艦と補給艦が集結した地点を米軍に発見され、夕刻に急襲される。米軍でも夜間攻撃になるのを覚悟の出撃で、米機216機中20機が撃墜、その4倍の80機が夜間着艦失敗で失われた。

 機動部隊では迎撃機を上げると共に攻撃機も空中退避させた。艦隊もあわてて海域を離脱したが、補給部隊に連絡するのを忘れ(?)タンカー部隊は置き去りになった。しかし空襲により空母飛鷹が沈没、隼鷹、龍鳳が損傷、前衛部隊では千代田、戦艦榛名、重巡摩耶が損害を受けた。退避機も半数以上被害を受けた。タンカーも2隻が空襲で航行不能になり撃沈処分された。

 「マリアナの七面鳥撃ち」と呼ばれた日本軍航空機部隊の大惨敗により、機動部隊はまともな艦載機とパイロットを失い、組織的な行動ができなくなった。

 それを受け、アメリカ軍がついにフィリピン上陸を開始する。日本軍はほとんど本土待機していた戦艦扶桑、山城をも引っ張り出して巨大水上部隊を編成し、乾坤一擲の大作戦を立て、米軍へ決戦を挑む。捷号作戦である。

 この際、艦載機とまともに戦えるパイロットがほとんど失われ囮にしか使えなくなった小澤機動部隊はまさにハルゼー提督率いる米機動艦隊をおびき出す役割を与えられ、エンガノ岬沖まで南下する。小澤艦隊が敵機動部隊を引き付けている間、栗田艦隊、西村艦隊、志摩艦隊がレイテ湾を挟撃し、米上陸部隊を壊滅せしめるのである。

 小澤艦隊は空母4(瑞鶴、瑞鳳、千歳、千代田)戦艦2(伊勢、日向)軽巡3(大淀、五十鈴、多摩)駆逐艦6(秋月、初月、霜月、若月、桑、槙)という陣容であった。艦載機は合計で100機ほどいたが、錬度未熟のため一部を陸上基地へ退避させている。

 既に10月23日、栗田艦隊がパラワン水道で米潜水艦部隊の執拗な攻撃にさらされ重巡愛宕、高雄、麻耶を失っていた。

 翌24日、シブヤン海で武蔵が激闘9時間の末、撃沈される。栗田艦隊は一時反転し、艦隊再編を余儀なくされる。しかし、ハルゼー提督率いる米機動部隊の空襲がぴたりとやむ。ハルゼー提督は小澤艦隊を発見し、空母4隻を有するその艦隊こそが日本軍の主力と誤認し北上を開始したのである。

 24日1158小澤艦隊は基地攻撃隊と協力し米艦隊を空襲したがあまり効果はなかった。この空襲によりハルゼー提督は北上を決意した。

 24日深夜、状況を掴めぬ西村艦隊が単独でスリガオ海峡へ突入。壊滅する。それを受け、志摩艦隊は突入を断念。反転する。

 明けて10月25日、小澤艦隊は囮任務のため反転しエンガノ岬沖を北上。ハルゼー艦隊を引き付ける。その打電は栗田艦隊に届かなかった。0815ついに米機動主力艦隊の空襲が始まる。第1次攻撃隊は180機だった。まさにハルゼー艦隊が小澤艦隊に誘引された確証たる「敵艦上機約80機来襲我と交戦中。地点ヘンニ13」はしかし、やはり自軍以外のどの部隊にも届かなかった。

 猛烈な空襲に直掩18機の零戦ではどうにもならず、艦隊はいいように攻撃される。

 0835瑞鳳被弾、0837瑞鶴被雷、通信不能。0850駆逐艦秋月が突如大爆発して轟沈(原因諸説あり)。0937直撃弾多数で千歳沈没。軽巡多摩も被雷し航行不能、大傾斜。

 

 

 エンガノ岬沖で被弾した瑞鳳。米軍撮影。

 

 


 第1次攻撃の後、通信途絶した瑞鶴から旗艦を軽巡大淀に移す最中に第2次攻撃隊襲来。1000ころ無傷だった千代田に直撃弾、大火災。多摩は復活し生存者救出しつつ落伍。退避する。1054空襲の合間をぬってようやく小澤中将ほか艦隊司令部が大淀へ移乗。このさい、「瑞鶴を見捨てるのか」「それでも司令官か」と乗員が大騒ぎしたというが、通信途絶した状況で指揮をとれるはずもなく、仕方のないことである。

 しかし1000過ぎ、ハルゼー提督がハワイの太平洋艦隊司令ニミッツ提督より「いまどこで何をしているのだ、いますぐ戻れ」という意味の電報を受け取り、激怒しつつも1100ころにはレイテへ戻ってしまった。しかしミッチャー中将麾下の空母部隊とデュポーズ小将麾下の巡洋艦水上部隊を残し、小澤艦隊を追撃させた。

 

 傾斜する瑞鶴と手前は秋月型駆逐艦、右上が瑞鳳っぽいとのこと。米軍撮影。


 1258第3次空襲。100機襲来。先日に武蔵を沈めておきながら、どんだけ飛行機がいるんだという感じだが、瑞鶴と瑞鳳に攻撃集中。瑞鶴は7本の魚雷と直撃弾4発、多数の至近弾を受け1414ついに沈没。

 瑞鳳も魚雷2本と直撃弾4、至近弾多数で傾斜炎上、主機関全停止。被雷により艦体が切断され大浸水し、1510総員退艦、1526沈没した。駆逐艦桑、戦艦伊勢が生存者救助に当たった。

 

 

 

 

 デジタル彩色。迷彩塗装されていたことがよく分かる。識別のため甲板後部に「づほ」と書かれている。「づゐほう」の略。

 

 

 沈没直前の瑞鳳。前部甲板がもう波間に沈みかけているのが分かる。


 第4次空襲の後、水上部隊に補足され、千代田、初月、多摩が砲雷により撃沈された。残ったのは伊勢、日向、大淀、若月、霜月、桑、槙の7隻だった。

 空母4隻を失いつつも小澤艦隊は米機動部隊誘引に成功したかに見えたが、その連絡は栗田艦隊に届かず、栗田艦隊が一時退避している間に大惨敗したうえ、ハルゼー艦隊主力は早々に引き上げて再び南下したのであまり効果はなかった。

 栗田艦隊は進撃を諦めなかったが、サマール沖海戦を経て、事ここに到り、ついにレイテ湾突入を断念、反転し北上した。作戦は失敗し、多数の艦を失い、または傷つき、動かす油も無く、聯合艦隊は壊滅。日本海軍は組織的な戦闘の継続が不可能となった。

 あとは翌05(S20/45)年の4月に大和の沖縄特攻を最後に、各艦浮遊砲台としてささやかな抵抗をするのみであった。

 

 


 瑞鳳の写真がかなり少ないのに驚きました。