雲鷹 | バカ日記第5番「四方山山人録」

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 有事の際は海軍が徴収することを条件とした補助金「優秀船舶建造助成施設」により、東京オリンピックを見据えて建造された豪華客船、新田丸、八幡丸、春日丸。その3隻とも、太平洋戦線の勃発によって空母に改造されたのだった。


 客船としては新田丸級だったが、短期間ながら新田丸と八幡丸は客船として就航し、最後に建造中だった春日丸がそのまま空母に改造されて、一番早く特設空母春日丸(後に空母大鷹(たいよう))になったため、空母としては大鷹級となる。それが特設空母八幡丸、後の空母雲鷹(うんよう)である。

 

 

 デジタル彩色。


 皇紀2600(昭和15/1940)年の記念すべき年、豪華客船八幡丸として竣工。シアトルへ一往復したのち、サンフランシスコ航路で活躍。翌皇01(S16/41)年、真珠湾も迫った11月22日、海軍は八幡丸を徴用。空母へ改装されることになる。翌皇02(S17/42)年5月31日改装終了。特設航空母艦八幡丸となる。

 

 

 新田丸旧客船。

 

 

 新田丸、八幡丸、春日丸三姉妹のキャンペーンポスター。

 頭文字をとってN.Y.K.ラインと呼ばれた。

 

 


 しかし、元は客船だったため船体強度と機関の関係で速度が20-22ノットと、空母としては格別に遅く、とても機動部隊として作戦行動ができるものではなかったうえ、日本軍は最後まで蒸気カタパルトを実用化できなかったため、大型化する艦載機の発艦にも支障をきたし、空母としてまともに運用できずに、ほとんどの生涯を航空機輸送任務に費やした。その点、カタパルトの運用によりこの大鷹級より小さな空母を護衛空母として集中運用し、時に大和を含めた栗田艦隊と死闘を演じた米軍と大差ができた。たとえ艦載機が20機しかいなくとも、10隻集まれば200機の航空機が襲ってくる。米軍の底力、侮るなかれ。

 同年7月、初任務として護衛の駆逐艦潮、漣を伴い、さっそく航空機輸送任務でサイパンを経てウルシー環礁へ向かう。8月31日、特設空母春日丸と共にそれぞれ軍艦・空母大鷹、雲鷹となる。しかし、その後も航空戦は行えず、ひたすら航空機輸送任務に就く。速度が20ノット程度とはいえ、輸送船としては超高速なうえに航空機を満載できる空母は輸送任務にも最適だった。大鷹級は、最前線の航空戦力の根幹を担う最重要任務を黙々とこなした。
 
 8月にガ島攻防戦が始まると、基地航空隊の航空機需要は高まる一方で、雲鷹も海軍基地へ零戦を運ぶほか、陸軍の一式戦隼も輸送するようになる。しかし、日本軍の輸送部隊は暗号解読により待ち伏せした米潜水艦により、常に狙われていた。

 翌皇03(S18/43)年も、雲鷹は大鷹、冲鷹(ちゅうよう:元新田丸)と共にひたすら航空機を輸送する。時には聯合艦隊の移動にくっついてトラックやマーシャル、ギルバート諸島などに航空機を運び続ける。その間、潜水艦にひたすら襲われ続けるも、運が良かったのか時には不発、目測誤りで艦底通過、他の艦に命中するなどして雲鷹は無事だった。

 11月、瑞鳳、雲鷹、冲鷹がろ号作戦で消耗した航空機を補充するため護衛の駆逐艦と共にトラックへ出発。11月末に到着。30日に日本へ向けて出発したが、12月4日に冲鷹が米潜水艦セイルフィッシュの雷撃で沈没した。

 12月15日、アメリカの護衛空母のように輸送船団を専用に護衛する海上護衛総司令部が設立、日本版の護衛空母として大鷹、雲鷹、海鷹(かいよう:元貨物船あるぜんちな丸)、神鷹(しんよう:元ドイツ客船シャルンホルスト)が配備された。
 
 翌皇04(S18/44)年、雲鷹はまだ聯合艦隊麾下で輸送任務を続けていた。正月明け早々、1月4日に瑞鳳、ほか護衛駆逐艦と共にトラックへ向けて出発。9日トラックへ到着。18日日本へ向けて出発。しかしサイパン沖で米潜水艦3隻に襲われる。潜水艦ハダックの魚雷が3本、雲鷹に命中。機関は無事だったが速度4ノットに低下、瑞鳳隊と別れ、雲鷹はサイパンへ逃れた。サイパンへ工作艦明石から排水ポンプと修理要員が届き、応急修理の後2月2日に日本へ向け出発。なにせ雲鷹が遅いので護衛隊も入れ代わり立ち代わりだった。重巡高雄で曳航する案も悪天候で断念、その間に米潜水艦の執拗な攻撃を受けたがすべて排除し、7日の夜になんとか東京湾へ入り横須賀へ向かった。

 

 

 横須賀へ向かう途中、伊豆諸島沖での航空写真。波浪で艦首を喪失しているという。


 8月、やっと修理の終わった雲鷹は呉へ回航、海上護衛部隊に編入。大規模輸送船団の護衛任務に就く。搭載機は九七式艦攻10機をメインに、補助で複葉機の九三式中間練習機6機であった。それらを駆使して潜水艦を監視しつつ、船団護衛を行う。しかし8月18日、ヒ71船団を護衛していた大鷹がフィリピンで米潜水艦により撃沈される。

 8月24日、ヒ73船団の護衛で日本を出発。9月5日、無事にシンガポールへ到着。9月11日、台湾へ向けてヒ74船団が出発。16日、ルソン島沖でたまたま米潜水艦2隻が海面へ不時着した米機動部隊艦載機のパイロット救出作戦を行っていた。夜になって船団旗艦である練巡香椎より敵潜発見の報を受けるも襲撃はなかった。しかし17日深夜、いきなり潜水艦バーブが襲いかかる。

 まず雲鷹の右舷やや後方を航行中の軍用タンカーあづさ丸が機関室とポンプ室に1本ずつ被雷、爆発、炎上して轟沈。雲鷹が舵を切り、回避運動へ入る。そこへ反転したバーブの艦尾発射管より発射された魚雷が接近、艦中央部と後部に1本ずつ命中した。炎上はしなかったが浸水が止まらず、艦尾沈下が激しくなり夜が明けた0730総員退艦開始。0752軍艦旗降下。そのたった3分後の0755雲鷹は沈没した。乗員と輸送要員1750名中、推定900名が戦死した。

 雲鷹戦闘詳報では、もっと海防艦を増やして潜水艦掃討部隊をつくること、輸送船の速度で進む空母は格好の獲物であるが航空機の哨戒はぜひとも必要なので基地航空隊を増やし護衛空母は廃止すること、護衛したとしても高速を活かし後方をジグザグで進むこと、空母が輸送船と同じ速度で進むのは絶対に不可、などが提言されている。