いきなりですが!Revolution!

まったく個人的なんですが、今日はこの曲が聞きたくなったので。
ヽ(゚◇゚ )ノ
The Beatles - Revolution
ザ・ビートルズ・モノ・ボックス(アンコール・プレス)/ザ・ビートルズ

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Revolver/The Beatles

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Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band/The Beatles

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結構レアですよね!!
次はお決まりですが(笑)
Jimi Hendrix- Sgt Peppers lonely hearts club band
KING OF POP IN Christmas!!

私自身、歌やギターを教える事が有るのですが、ひょっとしたらこの人が一番歌が上手いのではないかと思う事がよく有ります。
人それぞれ個性があり、歌い方も色々ですので、誰が一番なんて愚の骨頂みたいな物なんですが、この辺の歌を聴くと本当に才能を感じます!!
Jackson 5- I saw mommy kissing Santa Claus Vo by Michael jackson
マイケルの歌をもう一曲
Michael Jackson - Earth Song Lyrics on the Screen
アース・ソング 訳詞 senri
日の出は
雨は
すべてはどうなる
僕らが手に入れたと 言ってたものは
枯れ行く草原は
時間はあるのか
すべてのものはどうなる
僕らのものだと 言ってたものは
気付いて 立ち止まったことがあったのか
僕らがこれまでに 流したすべての血
気付いて 立ち止まったことがあっただろうか
地球が泣いてる 岸辺が涙を流してる
僕らが この世界にしたこと
何をしたのかを見て
大切なわが子に誓った
平和はどうなる
花咲く草原は
時間はあるのか
すべての夢は
僕らのものだと 言ってた夢は
気付いて立ち止まったことが あったのか
子供たちは 戦争で死んでしまった
気付いて立ち止まったことが あっただろうか
地球が泣いてる 岸辺が涙を流してる
かつては 夢を描いてた
星の遥か彼方を 見てたのに
今はどこにいるのかも わからない
わかるのは 遠く流されてしまったことだけ
昨日までのことはどうなる (僕らはどうなる)
海は (僕らは?)
天が 崩れ落ちてくる (僕らはどうなる)
息ができない (僕らは?)
大地は血を流す (僕らは?)
傷ついてるのが わからないのか (僕らはどうなる)
自然の価値は
この惑星の 子宮であるはずなのに (僕らは?)
動物はどうなる (どうなるのか)
王国を塵と化した (僕らはいったい)
象は (僕らは?)
彼らの信頼を 失ってしまったのか (僕らはどうなる)
泣いている鯨は (僕らは?)
僕らは 海を荒らしてる (僕らはどうなる)
森の小道は
懇願を無視し 燃やしてしまった (僕らは?)
聖なる地は (いったいどうなる)
教義に 引き裂かれた (僕らはどうなんだ)
普通の人は (僕らは?)
なぜ自由にできない (僕らはどうなんだ)
死にかけている 子供たちは (僕らは?)
泣き声が 聞こえないのか (僕らはどうなる)
どこで道を 誤ったのか
だれか教えて (僕らはいったい)
赤ん坊は (いったいどうなる)
日々のくらしは (僕らのくらしは)
喜びは (僕らの喜びは)
人間は (僕らは?)
泣き叫ぶ人間は どうなる (僕らはどうなる)
アブラハムは (僕らではないのか)
またしても 死は
どうでもいいことなのか
(洋楽訳詞集 Contents からご紹介しました)
URLは、下記から
http://plaza.rakuten.co.jp/senri1ri/
HIStory: Past, Present and Future, Book I/Michael Jackson

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クリスマスソングを!!
SLADEって以前もちょこっと特集したんですが、イギリスでは結構国民的バンドで、1973年頃、日本でも結構人気はあったんですよ!
今回の一曲目は、彼らのクリスマスソング!
Slade - Merry Christmas Everybody 1974
スレイド(SLADE)は、1966年にイギリスウェスト・ミッドランズ州ウォルバーハンプトンで結成されたロックバンドである。1970年代にはグラムロックブームの一翼を担いつつヒット・チャートを席巻し、1980年代に入っても人気を得た。現在はハード・ロックバンドとしての評価もされている。
ボーカル・ギター ノディ・ホルダー(Noddy Holder)
ギター デイヴ・ヒル(Dave Hill)
ベース・バイオリン・キーボード ジミー・リー(Jimmy Lea)
ドラムス ドン・パウエル(Don Powell)
イン・ビトゥインーズ(N'Betweens)名で1966年結成。同年キム・フォウリーのプロデュースでシングルをリリースしているが、この時点では単発に終わる。
その後元アニマルズのチャス・チャンドラーに見出され、1969年アンブローズ・スレイド(Ambrose Slade)名義でファースト・アルバム『ビギニングス(Beginnings)』を発表。このアルバムはスレイドのディスコグラフィーでもファースト・アルバムとして扱われている。
ここまではビート・ロックやサイケデリック・ロックの影響下にあるサウンドを聴かせていたが、チャンドラーの指導によりイメージ改革に乗り出すこととなる。スレイドへの改名、派手な衣装、ポップなメロディーに豪快かつタイトなリズムを合わせたサウンドは、全てこの時期に始められた。
また、時期を同じくしてライブ・パフォーマンスに対する評価が上がり、1972年発表のライブアルバム『スレイド・アライブ(Slade Alive!)』は英国チャート2位まで上昇。すかさず発表したスタジオ盤『スレイド?(Slayed?)』は1位を獲得。ティーンエイジャーから厚い人気を得、以降2枚のアルバムも1位を獲得。シングルも計6枚が1位に入るなど、英国内では1960年代のビートルズと並び称させるほどのチャート人気を得た。 圧倒的な人気に乗りアメリカ進出も目論むが、芳しい成果は得られないまま終わる。英国でも1974年頃からチャートアクションが鈍り始め、1977年にはポリドールとの契約も切られてしまう。スレイドのサウンドと相通ずる面があるパンク・ロック全盛の時代においては、しばらく低迷を味わうことになる。
1980年以降1980年、パンクのブームが終わり、NWOBHMの勢いが増すと、スレイド自体も徐々に人気を取り戻し、レディング・フェスティバルでの演奏も高く評価され、再びシングルがチャート上位に顔を出すようになる。
そしてスレイドの復活を決定的にしたのは、1983年にクワイエット・ライオットが『Cum on Feel the Noize』をカバーして大ヒットさせたことだった(オリジナルは1973年発表。英国チャート1位)。これによってオリジナルのスレイドへの注目度が上がり、『My Oh My』『Run Runaway』が英国チャートトップ10入り。アメリカでも『Run Runaway』が20位に入り、同地では1970年代を超える成功を収めた。
1991年、ホルダーが体力の限界を感じ脱退したことをきっかけに、23年間の活動を終えた。この間一度もメンバー交代を行わなかった。
近年はパウエルとヒルが新メンバーを迎え、スレイド・ツー(SLADEⅡ)名義での活動を行っている
キッスのジーン・シモンズが、スレイドからの影響を公言している。
『Coz I Luv You(コズ・アイ・ラヴ・ユー)』『Skweeze Me Pleeze Me(スクィーズミー・プリーズミー)』など、間違ったスペリングをタイトルに用いた曲が多いが、これは意図的なものである。読み書きが不自由な人が使う、発音通りのアルファベットを並べる表記法を採ったものである。自分らの音楽を労働者階級の音楽だといっている事と関係がある。
1973年のシングル曲『Merry Xmas Everybody』は、現在でも英国内ではクリスマス・ソングの定番として親しまれている。時期に合わせて何度か再発され、そのたびにチャート・インするという、日本における山下達郎の『クリスマス・イブ』のような位置にある曲である。
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
今回の一曲目は、彼らのクリスマスソング!
Slade - Merry Christmas Everybody 1974
スレイド(SLADE)は、1966年にイギリスウェスト・ミッドランズ州ウォルバーハンプトンで結成されたロックバンドである。1970年代にはグラムロックブームの一翼を担いつつヒット・チャートを席巻し、1980年代に入っても人気を得た。現在はハード・ロックバンドとしての評価もされている。
ボーカル・ギター ノディ・ホルダー(Noddy Holder)
ギター デイヴ・ヒル(Dave Hill)
ベース・バイオリン・キーボード ジミー・リー(Jimmy Lea)
ドラムス ドン・パウエル(Don Powell)
イン・ビトゥインーズ(N'Betweens)名で1966年結成。同年キム・フォウリーのプロデュースでシングルをリリースしているが、この時点では単発に終わる。
その後元アニマルズのチャス・チャンドラーに見出され、1969年アンブローズ・スレイド(Ambrose Slade)名義でファースト・アルバム『ビギニングス(Beginnings)』を発表。このアルバムはスレイドのディスコグラフィーでもファースト・アルバムとして扱われている。
ここまではビート・ロックやサイケデリック・ロックの影響下にあるサウンドを聴かせていたが、チャンドラーの指導によりイメージ改革に乗り出すこととなる。スレイドへの改名、派手な衣装、ポップなメロディーに豪快かつタイトなリズムを合わせたサウンドは、全てこの時期に始められた。
また、時期を同じくしてライブ・パフォーマンスに対する評価が上がり、1972年発表のライブアルバム『スレイド・アライブ(Slade Alive!)』は英国チャート2位まで上昇。すかさず発表したスタジオ盤『スレイド?(Slayed?)』は1位を獲得。ティーンエイジャーから厚い人気を得、以降2枚のアルバムも1位を獲得。シングルも計6枚が1位に入るなど、英国内では1960年代のビートルズと並び称させるほどのチャート人気を得た。 圧倒的な人気に乗りアメリカ進出も目論むが、芳しい成果は得られないまま終わる。英国でも1974年頃からチャートアクションが鈍り始め、1977年にはポリドールとの契約も切られてしまう。スレイドのサウンドと相通ずる面があるパンク・ロック全盛の時代においては、しばらく低迷を味わうことになる。
1980年以降1980年、パンクのブームが終わり、NWOBHMの勢いが増すと、スレイド自体も徐々に人気を取り戻し、レディング・フェスティバルでの演奏も高く評価され、再びシングルがチャート上位に顔を出すようになる。
そしてスレイドの復活を決定的にしたのは、1983年にクワイエット・ライオットが『Cum on Feel the Noize』をカバーして大ヒットさせたことだった(オリジナルは1973年発表。英国チャート1位)。これによってオリジナルのスレイドへの注目度が上がり、『My Oh My』『Run Runaway』が英国チャートトップ10入り。アメリカでも『Run Runaway』が20位に入り、同地では1970年代を超える成功を収めた。
1991年、ホルダーが体力の限界を感じ脱退したことをきっかけに、23年間の活動を終えた。この間一度もメンバー交代を行わなかった。
近年はパウエルとヒルが新メンバーを迎え、スレイド・ツー(SLADEⅡ)名義での活動を行っている
キッスのジーン・シモンズが、スレイドからの影響を公言している。
『Coz I Luv You(コズ・アイ・ラヴ・ユー)』『Skweeze Me Pleeze Me(スクィーズミー・プリーズミー)』など、間違ったスペリングをタイトルに用いた曲が多いが、これは意図的なものである。読み書きが不自由な人が使う、発音通りのアルファベットを並べる表記法を採ったものである。自分らの音楽を労働者階級の音楽だといっている事と関係がある。
1973年のシングル曲『Merry Xmas Everybody』は、現在でも英国内ではクリスマス・ソングの定番として親しまれている。時期に合わせて何度か再発され、そのたびにチャート・インするという、日本における山下達郎の『クリスマス・イブ』のような位置にある曲である。
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
HIP HOP Rapミュージックの起源について

ヒップホップの起源として一番始めに世の中で有名になったラップミュージックはシュガーヒルギャングのRappers Delightだと思います。
この曲はシックのGoodTimesをサンプリングコピーしてラップを乗せた物で、おそらく一番始めのラップミュージック、HIP HOPサウンドだと思います。
Chic & Sugarhill Gang - GoodTimes & Rappers Delight
ヒップホップの起源
オールドスクール・ヒップホップとは、1970~1980年代のニューヨーク市で行われていたブロックパーティから登場してきたヒップホップ黎明期を意味する言葉。1970年代、クールハークやグランドマスターフラッシュなどに代表される、ブレイクビーツを流すDJが登場し始める。ブレイクビーツとは、ファンクのレコードなどに録音されている間奏を繋げることで、踊りやすい音を創り上げることである。現代、オールドスクール・ヒップホップという言葉は、BETを含むテレビ局やラジオ局などのマスメディアによって、1990年代初めよりも前のヒップホップを言及する言葉として使われている。本項では、マスメディアの用法ではなく、最初に定義した通り、より狭義なオールドスクール・ヒップホップについて記述する。
ヒップホップの人気が高まっていくに連れ、音楽が流れている間に、マイクを取って言葉を挟む人々が登場し始める。所謂、MCと呼ばれる人々の登場である。グランドマスター・フラッシュ&フューリアスファイブのメンバーであったメリーメルは、自らMCを名乗った最初の人間である。当時、パフォーマーたちは、単調な4ビートの拍子、基本的なコーラスと共に、即興で何時間にも渡りMCを続けた。初のMC集団であったクール・ハーク&ハークロイズに続くように、全国から続々とMC集団が登場してくる。それに伴い、MCの言い回しや拍子の取り方に多様性が見られるようになり、簡潔に韻を踏む行為も行われ始めた。但し、その内容は性的、または猥褻なことが多かった。彼らが取り入れた韻を踏む歌詞は、アフリカ系アメリカ人の文化から取り入れたものであった。
オールドスクール・ヒップホップでは、ディスコ、ソウル、ファンクなどの音源をサンプリングすることが多かった。シュガーヒルギャングの場合、生の演奏をサンプリングして活用した。しかしながら、すぐにオールドスクールのアーティストたちは、ドラムマシーンや、人気の間奏部のサンプリング済みの素材集などを活用するようになった。このようなサンプリングされた間奏部を有効に活用するために、ミックス技術やスクラッチ技術が発達していく。スクラッチは、1977年にグランドウィザード・セオドアの手によって考案され、グランドマスターフレッシュがレコードの中で使っている。スクラッチという技法の登場は、後のヒップホップ界におけるリミックスの隆盛に繋がっている。1985年には、マーリーマールが登場してきたことで、エレクトロの隆盛が始まり、後のヒップホップにも大きな影響を及ぼすことになった。後に登場してくるニュースクール・ヒップホップと比べると、オールドスクール・ヒップホップで行われるラップは、韻律や抑揚の点で素朴であると言える。
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原曲と成ったCHICのサウンドです。
Chic - Good Times (12') (1979)
シック (chic)
シック(Chic)は、1977年にデビューしたアメリカ合衆国のファンク、ディスコ・バンドである。中心メンバーはギターのナイル・ロジャースとベースのバーナード・エドワーズ。英語でのバンド名の発音はIPA: /ˈʃiːk/ であり、「シーク」に近い。
1970年代後半のディスコ・ブームを牽引したアーティストのひとつである。
代表曲は、"Le Freak"(日本語曲名:「おしゃれフリーク」)と"Good Times"(日本語曲名:「グッド・タイムス」)。共に全米No.1ヒットしている。
ディスコブームの終焉と同時にバンドとしての活動は停滞していったが、ナイル・ロジャースとバーナード・エドワーズはプロデューサーとして活躍し、マドンナやデヴィッド・ボウイ、ダイアナ・ロスなどのアーティストをプロデュースし、曲をヒットさせた。
ドラムス担当のトニー・トンプソンはその後ザ・パワー・ステーションなどで活動したが、1992年の活動再開には参加せず、その後、2003年に逝去。
1996年日本武道館公演の翌日にバーナード・エドワーズが急死したため、現在はナイルが唯一のオリジナルメンバーである。
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Good Times /Chic

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Good Times /Chic

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Dance, Dance, Dance: The Best of Chic/Chic

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The Very Best of Chic/Chic

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最後に、Sugarhill Gangの Rapper's Delightを当時の映像でご覧下さい。
おそらく、ラップミュージックの起源の曲です。
Sugarhill Gang - Rapper's Delight
Rapper’s Delight /The Sugarhill Gang

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Rapper’s Delight /The Sugar Hill Gang

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The Best Of SugarHill Gang: Rapper’s Delight/The Sugarhill Gang

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Rapper’s Delights/Sugarhill Gang

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こんな時期に成っちゃいました。大変だ〜!(笑)

世の中、クリスマス一色になっちゃいますね~
意外と多いクリスマスソング!
ちょっと特集しちゃいます!
Last Christmas - Wham!
Last Christmas/Wham!

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The Final: Best of the Best Gold/Wham!

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最近、あまり話題に成らないですが、この人の歌唱力は素晴らしい!!
White Christmas - Michael Bolton
Greatest Hits 1985-1995/Michael Bolton

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Swingin’ Christmas/Michael Bolton

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Playlist: The Very Best of Michael Bolton/Michael Bolton

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マイケル・ボルトン
1953年2月26日、コネチカット州ニューヘイヴンのユダヤ系の家庭に生まれる。幼少期より歌やサックスを嗜み、11~12歳の頃には作曲もするようになっていた。やがてクラブなどで歌い始めた彼は15歳の時に初めてのレコード契約をエピック・レコードと結ぶ。この時は本名のマイケル・ボロティンの名義で、2枚のシングルをリリースしたがヒットには結びつかずドロップされる。その後RCAレコードと契約して2枚のアルバムをリリースするが、これも大きな成果にはならなかった。
ヒットに恵まれなかったためソロ活動をやめ、1970年代末に新たにハードロックバンドのブラックジャックをブルース・キューリックらと結成。ポリドール・レコードと契約して1979年にデビューする。バンドは『Blackjack』『World's Apart』と合計2枚のアルバムを発表、オジー・オズボーンとツアーを行うなど積極的な活動をするものの、短命に終わる。
再びソロ・アーティストに戻ってコロムビア・レコードと契約し、名義をマイケル・ボルトンに変更してアルバム『マイケル・ボルトン』(1983年)を発表。当時の邦題は『大いなる挑戦』で、キャッチコピーは「ひとりメタル」であった。
同時期に他の歌手への曲の提供も手がけるようになり、ローラ・ブラニガン「ウイズアウト・ユー - How Am I Supposed to Live Without You」(1983年)は彼にとって初めてのメジャー・ヒット作品になり、ポップ・チャート最高12位、アダルト・コンテンポラリー・チャートでは3週連続トップという大ヒットになった。以後もバーブラ・ストライサンド、キッス、ケニー・ロジャース、ケニー・G、ピーボ・ブライソン、パティ・ラベルなどに供している。
アルバム『いざないの夜 - The Hunger』(1987年)ではハードロック的要素を避け、オーティス・レディングの「ドック・オブ・ベイ - (Sittin' on) the Dock of the Bay」をカバーして自分のルーツを明らかにした。この曲はトップ40に入り、後の大ヒットへの足掛かりになる。
転機になったのはアルバム『ソウル・プロバイダー』(1989年)で、初のトップ10入り、400万枚を超える売り上げになり、シングルも5曲がトップ40入りした。特にセルフ・カバーした「ウイズアウト・ユー」は初のナンバー・ワン・シングルになり、グラミー賞では Best Male Pop Vocal Performance を授与された。続く『タイム、ラブ・アンド・テンダネス』(1991年)も売り上げが600万枚を超えるヒットになり、パーシー・スレッジのカバー曲「男が女を愛する時 - When A Man Loves A Woman」(2度目のグラミー賞受賞)を含む4曲のヒット・ソングが生まれた。しかし「ラブ・イズ・ア・ワンダフル・シング」がアイズレー・ブラザーズに著作権侵害で訴えられてしまう。
以後もカバー曲集やオリジナル・アルバムがいずれも数百万枚の売り上げ、トップ10に入るシングルヒットも多数出し続けている。さらに音楽活動と並行して1993年に Michael Bolton Foundation(現在のMichael Bolton Charities, Inc.)という基金を設立。貧困、心理的虐待、身体的虐待、性的虐待に苦しむ人たちを援助し、370万ドルを超える額を供与している。その他にも様々なボランティア機関のメンバーを務めている。
(以上ウィキペディア(Wikipedia)参照)
AMERICAN WOMANという曲

今回は懐かしいナンバーを再びアップします。
ゲース フーというバンド。カタカナで書くと何となく間抜けです。
THE GUESS WHO なんですが、多分一回は聞いた事が有るはずです。
THE GUESS WHO - AMERICAN WOMAN - LIVE (1970) - HQ
最近ではレイニークラビッツがカバーしています。
Lenny Kravitz - American Woman
レニー・クラヴィッツ(Lenny Kravitz、1964年5月26日)
1964年、ニューヨークに生まれる。父親はユダヤ系でNBCテレビのプロデューサー、母親はバハマ出身で、後に女優となるロキシー・ローカー (Roxie Roker) 。1974年に母親の仕事の都合で一家はロサンゼルスに移住、その後ビバリーヒルズ高校 (Beverly Hills High School) に入学する(同級生にはスラッシュやマリア・マッキーがいた)。当時からすでに音楽的才能を発揮していたレニーは、やがてセッションミュージシャンを志すようになり、高校を中退。
高校中退後は、セッションミュージシャンをこなす傍ら、自身のデモテープを制作してレコード会社へ売り込む生活を続けていた。1985年に女優のリサ・ボネットと出会い、その後1987年に結婚し、1991年に娘(女優のゾーイ・クラヴィッツ)をもうけるが、1993年に離婚している。
1989年にアルバム『レット・ラヴ・ルール』でヴァージン・レコードからデビューを果たす。その後、マドンナのアルバム『ジャスティファイ・マイ・ラヴ(Justify My Love)』のプロデュースで注目を集め、1991年に発表した2枚目のアルバム『ママ・セッド』のヒットによってブレイクした。
で、このレニー・クラヴィッツ結構な家庭ですよね!ロックミュージシャンが子供のときは、貧乏な時代は終わってるな~ッて思いました。(笑)
ライヴ [DVD]/レニー・クラヴィッツ

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スペインと言う曲とAl Di Meolaというギタリスト

今回は、ちょっと毛色を変えてちょっとジャズっぽい曲をセレクトしました。
Chick Corea のSPAINです。
いくつかのアーティストでピックアップしてみました。
CHICK COREA - SPAIN
次は アルディメオラ、ラリーコリエルのバージョンで
Super Guitar Trio - Spain
ロック好きの人でもこのバージョンは好きじゃないでしょうか?
おまけと言っては何ですが、この人たちを忘れる訳に行かないので、
Paco De Lucia, John Mclaughlin et Al Di Meola
Elegant Gypsy/Al di Meola

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Casino/Al di Meola

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Friday Night in San Francisco/Al di Meola

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ロイ ブキャナンって知ってますか?

Roy Buchanan
1940年(41年,39年との説もあり)9月23日アメリカのアーカンソーで牧師の息子として生まれる。
1943年カリフォルニアへ移住。カントリー、ポップス、ファンキーなゴスペル・サウンドを聞いて育つ。
1949年9歳の時にスティール・ギターをはじめ、音楽理論も勉強するようになる。
1954年14歳でジャズ・ギタリストに憧れ家を出てロスやサンフランシスコ周辺をさまよう。
1957年ジェームス・バートン(後エルヴィス・プレスリーのバックを努めることになる)と出逢い意気投合し、いっしょに暮らし始める
1957年バートンの紹介で「スージーQ」で知られるデイル・ホーキンス(ロックンロールの伝説的ヒーロー)と出逢い、初のレコーディングを体験。以降3年間共に演奏旅行を続ける。
また、その途中カナダで後にザ・バンドを結成するのロニー・ホウキンスと出逢い、バック・バンドにいたロビー・ロバートソンから絶賛される。
1959年ジュディと結婚し、ワシントンへ移り住む。
1960年代前半、長い演奏旅行に嫌気がさし、ワシントン近郊の小さなクラブを中心に、ダニー・デンバー&サウンド・メイカーズのメンバーとして活動。
1960年代後半、独立して自らのバンドを率い、クロスロード・クラブで演奏するようになると、ロイを見にエリック・クラプトン等が足繁く通い出す。
1969年ローリング・ストーンズからブライアン・ジョーンズの後釜として加入要請があったが断る。
1971年単独初のコンサート・ツアーを行い、デビュー・アルバムを完成させる。また、TVで「世界で最高の無名なギタリスト」と紹介され一躍有名になる。
1972年ポリドールと契約し正式なレコード・デビュー。
1975年ジェフ・ベックが「哀しみの恋人達」という曲のクレジットに「この曲をロイ・ブキャナンに捧げる」と添えたことから、世界的に人気が爆発。
1976年「マイ・フレンド・ジェフ」という曲を作りベックにお返しをする。
1977年6月初来日公演を行う。そのうち6/14,15の郵便貯金ホールでのベスト・テイクをライヴ・アルバムとして発表。
1980年(?)自らのレコード会社「ウォーターハウス」を設立するが、すぐに倒産。
1986年二度目の来日公演
1988年首吊り自殺にて永眠
roy buchanan - the messiah will come again
Jeff Beck - Cause We've Ended as Lovers哀しみの恋人達
A Street Called Straight/Roy Buchanan

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Blow by Blow/Jeff Beck

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