自称、凄そうで ぜんぜんスゴクないBLOG (タイトルわ謙虚に。)  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
自分に足りないな、と思うことは?  現在地確認☂ネタ:自分に足りないと思うことわ? 参加させてくれ。  
    
    
いろいろ書いてもマトモに公開してきてない仲に いくつかの創作がある。 
名もなきシガナイ才能こそ今の時代に必要とされる… 
という期待や夢も そっちのけで 
今は喰ってくために働く…というような現実に置かれている民間人の身分であったとしても 
それなりに夢や希望もある。 
いつか必ず海外出版まで こぎつけて 
そのうちの幾つかは ハリウッド映画の原案になる…という目論見。 
日本人で黒沢さん以外のヒトが あんまりやってなくても 
誰にでもチャンスあるなら まず先に俺が摑みたい…という野望。 
    
んまぁ、今んとこは無理だ。 
短編も2~3本しかってねぇし。ひとつは ほぼ完結してる状態でも 
一本は話の展開台本 / 会話文が先へ進まず構想のみ。 
そのほか蛇足の多い駄作で時代に合わない状態。 
スリルがない。読みたい気持ちにならない。 
描いているシーンに映像として浮かぶほどのアイデアと気力がない。 
それ以前に 書いてる本人の日頃の大人気なさと謙虚のなさが 
世界を閉ざしているのか? まず、
今の時代の国際標準語という英文に叩き出すテマヒマや 
挿絵を入れる好みにしても 
「コイツと一緒なら やってみたい!」 
という気持ちになることがない。 
    
  俗語をシンプルに活かせる翻訳者 募集!  
    
というところで止まってる感じ? 
そのうち なんとかなると想ってるんだけど 
肉体あって生きていられる時間は限られてる。 
だからって焦ることもねぇんだけど 
なんつーの…。独りでは無理というか・・・・ 
 
    

 
あのぉ~ 生きていて人間、グリマー・ツインズやU2の4人組バンド構成みてぇに 
交換条件なく それぞれの役割を認めあった関係で 
私生活を超えて充実した結束がビジネスとしても両立させられるっつーもんが
ハッキリ視えてこねぇと どんなことも納得できる形には なんねぇんだよな。 
“酒づくり”という、常に春夏秋冬の“対・自然”である仕事に携わってても 
つくづく そう想う。 
単に小さな自分だけが素晴らしくなっちまうと それで終わりだ。 誰もが。 
もう今の時代はいつの世も?)、そういう風体では何も先へ進まねぇんだよ。 
心身のバランスが ある程度ととのった前提条件は勿論のこと 
それぞれの役割の自己認識と 
それぞれのポジションが現実的にハッキリ自覚できてる人間同士じゃねぇと 
なにやっても巧くいきっこない。 
たとえば 民主党とか社民党の連中みてみても そうだろ。 
あんな苦しそうなツラして 表面的な政治にクビ突っ込んだだけの 
そこいらの主婦やオッサンが 幹事長だろうと党首だろうと肩書はどうあれ 
ほんとは田舎の村落にある役場の下っ端やってるのも無理な器なのに 
どんなときも自分のアタマを基準にしてるだけで 
四六時中、誰かの悪口を叩きながら卑屈に生きることしかできない。 
太郎さんや小沢さん、カクエイさんの娘さんが 世の中のために いろいろ真剣なのは判るけど 
嘘だろ。政治ってのは 宗教や思想の喰い違いを背後に臭わせたり 
腐った派閥の分列とか役立たずな氾濫分子の集まりで 
自分の好き勝手なこと言って終わるだけのもんじゃねぇだろ。 
ましてや大事な試合前の部活動を仮病で休む学生のように総理大臣の席を途中で投げ出してみたり 
ドッヂボールで何回もタマを喰らった野郎が拗ねて外野の白線の端っこに座り込むように 
現職の総理を突然に退いてみたり… 
誰に どこの権力に 踊らされてんのか? 
あの連中の日夜のパフォーマンス覗ってると どうしても 
今の世の中が嘘っぽい人間に仕立てあげられた大人連中を擁護してる風潮に
ただ流されるだけの感じがしてならない。 
腐ったモノを漂白する以前に自分が有害物質に近い思想の持ち主だってことに気づけない。 
マウント・ヒルズさんにしても 赤組や池田組にしてもな。 
呑気な政治家。 ファミリー安泰のための個人的な妥協。 
自分で選んだ仕事なのに命かけられないのか? 
自分さえよけりゃいいと思ってるような低脳な官僚のみなさん? 
氷山の一角から滲み出る汚職の数々のクチ封じに忙しい団体? 
税金おさめてる国民に叩かれ、指示されなくても当然。 
ご注意!公職に疲れておられる、すべての方々が兇いわけではない。) 
こんな国の政治改革という言葉だけの問題に 
間接的にも 独り一人の選挙権をカネで動かしてるような時代。
興味を持つ若者なんて増えるわけがない。 
    
昨日、通勤中に 社民党の「もうすぐ選挙ですよ!」そんな宣伝文句わ書いてない。) 
と言わんばかりに畑の脇に何本も立てられた看板の一つが強風で倒れてて 
誰も それを起こそうとしない。 
「ザマミロ。」と想った。 
その他の宣伝の看板みてみても… 
「ブレない政治? 日本復活? 
 敗れない見栄や体裁か? 
  一世一代、オレはやった! 
   そう言い残したいだけの老いぼれ人生の復活か? 
    歳くって仕事にあぶれたような氾濫分子が? 
     政治って 
      テキトーに分裂する連中が騒いで 
       誰の味方につくかが重要なのか?」
 
    
とかなんとか想ってしまう俺がいる。 
    
たとえ誰かヒトが道に倒れていようと 今はもう誰も 
「だいじょうぶですか?」なんて親切に声をかけようともしない。  
「捕まらなきゃナニやってもいい」って感じの大人を見習うフリコメ詐欺の軍団。 
そんな世の中で 昨年まで どうしてあれほどまで 
社会的に定年を迎える団塊世代の大勢のヒトが ネット上にも流れてくる! 
という期待や希望に胸をふくらませ…その他、IT関連業者の見込み客が 
今年2008年という21世紀初頭の幕開けに ネットの世界へ引っぱれなかったのか? 
    
「カネ払わねぇと おまえらの好き勝手にはさせねぇよ」 
という兆しに近くなってきた某ブログサービスにしても 
流行り廃りのタレントを餌にして10代・20代の登録ユーザーを有象無象に集めることはできても 
肝腎な、今の日本の社会が動く中心に位置する世代を 
安心させて呼び集めることができない。 
   
   なぜなのか? 
   
ハッキリ言って 50代・60代・70台・80代のヒトの大半には 
今の日本のインターネット上に なにが書いてあるのか意味が通じないんだよ。 
それでいて連中は 自分達が敷かれたレールに乗っけられてきた常識の範囲内で 
これまでの新聞用語や ご丁寧にも日本語文法の取り決めを基に 
読む側にとっては堅苦しい熟語や言い回しを並べて 
なにかしら やったような気分でいやがる。 
そんなページは もう誰も読んでねぇよ。 
つーか、意味が通じねぇんだよ。 
今の20代・30代の多くのモバイル世代にはな。 
その上、アジアのネットは欧米の一般の方々からすると
ほとんどがクズでゴミタメ扱いだ。 
誰が読むか?!っつーの、日本人の日本語という自己満足の世界なんて。 
国際社会の一員? 黒船来航に驚いたまんまか? 
カビのはえた靴に想い出いっぱいで夕焼け小焼けが日の丸に見えるのか? 
その常識は もう旧いぜ。 今の時代に通用しねぇってーの。 
おんなじこと繰り返しても自分を追い詰めるだけだろ。 
    
    
    つーことで 昨日までの俺自身は 
    こんな考え方の人間でしかなかった。 
    でもな。 生きてると いろいろ工夫してかなきゃなんない。 

    
    
俺のように ネットのゴミでしかないスパム問題と 
悩める乙女の便秘問題をMIXさせて 
その、クソも味噌も一緒にした違和感を消臭するようにBLOG書くアホなヤツ
なんてのも珍しいかもしんないけど 
この世の中に この地球上に 
1950年代にロックが誕生してから 60年代に産まれ 
大人の世界の動向を疑って生きてきた世代…それ以外はもう 
日本のインターネットを世界へ拡張できる可能性は皆無に近い。 
ハッキリ云って 世の中の大人ぶった顔つきの連中には無駄に知識が多すぎる。 
知識の肥満が魂の不平不満をも膨張させる。 
その、生きるために役に立たなくなってきた教育常識や社会の植え込み知識に 
今なお騙されつづけて ケータイ画面やゲーム器のモニターを覗きながら 
本来の己が持つ能力を発揮できなくさせられている若い世代。
2chだろうと JAPPYな動画サイトだろうと 
土手に囲まれた河原で騒いでるような そこいらの政策政党と同様に 
世界へ取り残され 小さくまとまって終わるのが堕ちだぜ。 
今のままでわな。 
  
  ロックに産まれてロックに散り急ぐ! 
  
ポイントはここだ。あとはない。 ただし 俺の場合な。)
社会的にドロップアウトした者の理想と現実の狭間に 
どんなに それなりの センス・バランス・タイミングが注目される瞬間が在っても 
それはせいぜい15分程度でしかない。 
誰もが翌日には 2次元の電脳世界にいた意識を消し去ってしまう。 
それを これ以上くりかえしても 
退屈しのぎに厭きる者適当なアクセス訪問者の肉体も今まで通りではない。 
ケータイのボタンを押す時間にも限りがある。 
正常なソーラー電池でもないかぎり充電にもカネかかるしな。 
人間として呼吸できて 
全身の細胞に血が巡って 
自分の力で喰ったり飲んだりしたモノを 
自分の力で排泄処理できる時間に 限りがあるってことだよ。 
お天道様の下にいてな。  
    
だからこそ いっときの瞬間に生きてるエネルギーが重要になる。 
ネット広告のクリックよりも検索。検索よりも日常のスリル。 
スリルよりも今日を生きるために必要な情報。 
それをスルドイものにするか? 
わずかな行数に起爆剤を用意させるかは その1ページ次第。 
俺の場合は常に 
いま自分が生きていられる世界のありがたさに興味を抱かせることに懲りすぎだけど 
そうじゃねぇ書き方が もうできなくなっちまった。 
なんせ、アクセスしてくれる多くが 便利なケータイ世代なもんで。 
 
たとえば こうだ。
 
  「ええ、さて。 今日のゲストわ、イギー・ポップさんです! 
   IGGYさん、意義あるところで 
    さいきんの若者に ひとこと! …おねがいします
」 
  「ハーイ! 日本のワカモノのみんなぁ! 
   どうした?! そんな湿気たツラして? 
    ごきげんナナメなのかい? 
     えっ? リスカ? 
      カミソリの遣い方、
       
       ちがうんじゃね? 
       
  」 
  「なるほど。
   でわ一曲おねがいします!」 
  「歌っていいのか?」 
  「はい、ご自由にどうぞ。」 
  「…そうか。なにがいいかな?」 
  「おまかせしますが 元気でる一発で。」 
  「よし! 栗とリスで行ってみようか?!」 
  「甘栗デスカ? 」 

  「いや、全世界のオンナの解放 だ」 

  「ちと旧くねぇすか?」 
  「んだな。」 
  「もっとモッコリさせた感じがいいっス!」 
  「そうかい?」
 
    
    Wild America  
    http://www.youtube.com/watch?v=RuA49bCrgmk&fmt=18
    
    
    
    
    屈折しすぎてるわけではなく 
    俺も単に 世間常識に合わせた立派な大人になりたくないだけだ。 
    42歳にして。未だに。 
    
    ちょっと以前には こんなことも書いてた。 
 
 
    February 10, 2006   http://ameblo.jp/badlife/entry-10008931710.html
   
一口に、ニートと云っても、その連中の生活スタイルも様々で、
人間について判ったフリをしてる学者や医学の言葉でいうところの、
自閉症とか、学習障害、LD児…などという問題も含め、
“ひきこもり” や “登校拒否”、“出社拒否”。
また、かつての、「あの不良グループ」などと言われた世の中とは別に、
硬派な不良グループとしては決して つるめない連中の社会的な犯罪…
青少年凶悪犯罪の激化・激増、
家庭内不和や教職者との確執から生じるイジメや自殺、心身障害、
更には災害被災地の復興後における心の闇…
という具合に、全国のニートな連中の生活背景には、
昭和60年頃から平成の世に明けた今日に至るまで様々な問題がある。
そんな、ニートな連中の(とくに生きる目的を失ってるような男連中の)
得意分野は何か?
無論、ゲームと“あにめ”だ。
それをつくったのは今の大人たちだ。
 
戦後の経済成長期の打算にも色々あるけど、
この日本において、アスベストの馬鹿騒ぎに並んで、
ニートな連中をほったらかしにしている社会常識は
昨日も今日も明後日も、ゲームと“あにめ”を中心にしたメディア戦略が
若者をフヌケにして、ファッションも学校教育も、
本来の人間の生き方には、
不具合、不似合い、不釣合いを生じるばかりになってる。
本人達は、たとえ どっかへ就職しても、ほとんど役に立たない状態。
立派に勉学に勤しみ、それなりの知識も身につけているはずなのに、
仕事や人付き合いも、マニュアルにないことから外れると
実践では応用が利かない。
常に、その時点での仕事や作業とは別のことを考えてしまう。
話も通じないような者もいれば、
「おめぇ、息してんのか !?」というほど、精気がない。
どうすりゃ いいのか?
簡単な方法としては、ある特定の年齢に達した時点で、
兵役訓練でもやりゃせりゃいい。
…もっとも、こんなことを云うと、また赤組の連中とかが煩そうだけど。
別に戦争に行く、行かせるわけじゃない。
今の日本社会で、無駄なテマヒマ、コストをかけて世間に揉まれるよりは、
自衛隊とは別の軍事訓練として、死ぬか生きるかの意識で演習に参加した方が、
根性を叩きなおすには、遥かに最短距離…かも知れないけど
・・・・やっぱ、それは無理だな。 (…何十年か先には国が取り組むと思うけど。)
んで、
「自分には何ができるだろう?」
「僕の能力は、もっと違うところで活かされるべきだ」
という具合に、小さく過信して、デッカク勘違いした若者の幾人かは
20世紀末、オウムと呼ばれた“子供騙し教団”でサットヴァ・ドリンクを飲んでしまった。
兵隊訓練でもさせてりゃぁ、そんな くだらない暇はなかったかも知れない。
もっとも、あの教団を立ち上げた者でさえ、
もともとは今の世間に蔓延るニートでオタッキーな連中と変わりなかった。
今は断食のやり過ぎで肉体と精神がちぐはぐになっちまって、
脳味噌の異常も悪化の一途を辿ってるようだけど、
視覚障害者として生き延びるために鍼灸師の資格を取った時。それまでは まだよかった。
よせばいいのに、できるはずもない「悟りや解脱の“つもり”」を繰り返して、
他人様の精神に不釣合いな肉体の歪みから、あらゆる邪気を吸い取るだけ吸い取って
パァになったアタマで、とうとうあんなとこまでイっちまった。
人を導くにも、日本ではあまり知られていない知識をヒケラカシタ仕掛けづくりの背景には
どこの代議士や財団幹部が後押ししてたのかは闇雲にされてるけど、
“不幸せの科学”も “溜池多問題作先生様の団体”も似たようなもんだろ。
明治・大正・昭和の時代錯誤を引き摺ったどんな信仰宗教の野望や目論見も
21世紀の明日の世には繁栄しない。
人々はもう、誰の話にも耳を傾けないし、一連の“騙り部”に心を開くこともない。
滅びるんです、かつての信仰宗教はすべて。な。
 
現代社会の街角に有象無象に這い回り、彷徨いつづけてるニートな連中の
心の問題、精神衛生面についてを どーのこーの言う、それ以前に、
その本人達に肉体的に問題があることについては
誰も何も云ってないし、
本人達でさえも自分自身の肉体と心の不釣合いについては判っていないし、
その事実を詳しく丁寧に教えてあげられる者もいない。
誰も何も気づけないまま、また集団で、
新たなるカルト教団のターゲットにされちまうようなことにはなるなよ。情けねぇーぜ。
 
んで、先月(2006年1月)、このウェブログ内に一時掲載して、現在は未公開にしてるけど、
世の中の性犯罪と教育によって破壊された母体の関係について …。
この問題は今後、具体的に丁寧に書いてゆく覚悟で、
今のところは編集中だけど・・・・そのうちに、な。
 
まぁ、“ネットのクズ”にも屑なりに活かせる方法を
俺は編み出してゆく。
あまりヤバクない程度にな。
 
じゃぁな。

 
 
    とまぁ、3年前も昨日までも たいして替わりねぇんだけど 
    さいきんは 戦争やテロとか暴動とかデモとか 
    社会への微力な反抗や それに似た諸団体の運動、義務を伴わない権利の主張ほか 
    どんな犯罪も 宗教の行き詰まりも癌も 細胞の腐敗も 奇病も 難病も 
    この地球上で繰り広げられる いろんな災害問題や疫病・伝染病の流行も含め 
    そういうことがすべて 
    今の人類が導き出した結果に過ぎない。 
    気象も地殻の変動も 地平線の見えない場所で寝起きを繰り返す人間の眼には解らなくても 
    自然界のエネルギーによる制裁、必要以上のモノの処分や整理整頓には 
    もう歯止めが効かず、成すがまま従うままに手も足も出ない人類。
    であったとしても 
    今の人類が このまま地球上の癌細胞になっちまうような世界にいて そこで終わりたくない。 
    世の中の なにが そこに生きる意識を改善させる方向へ転換できるか… 
    要は いつか死ぬときに 少しでも多くの人間が 
    「人間やっててヨカッタ!」って気持ちになれるか・どうか… 
    ということを真剣に考えた末、ひとつには
    “音楽” ってもんが重要なカギであることにハッキリと気づいた。 
    気づいた…というか、気づかされた んだけど 
    数字に追われて追い回されるだけの音楽業界って枠組が 
    それを邪魔するように 音楽をカネ儲けの手段に留まらせてしまってる。 
    今この国では とくに  
    その他、文学とか美術とか 細かく分類しなくても いわゆるアート、
    芸術って世界の中のひとつに 演劇や映像芸術がある。 
    以前は その分野で生きて行こうとした俺も 
    「自分には向いてない」ってことが判ってから 興味あっても今は 
    あそこへ戻る気はしない。 役割がちがう。 
    現場は好きだよ。撮影現場ってのは どんなに つまんねぇドラマであっても 
    そこで生きている自分たち人間の能力の可能性と限界がハッキリ視えて愉しい。 
    でもね。 
    なにが人間を変えるか?…というか 
    なにが そのとき素のままの自分に気づかせるか? 
    ってことになってくると 
    やっぱ音楽ってもんの速効性に勝るモノはねぇな。 しかも LIVE! 
    ただ その世界へ前進するためには 文章だろうと絵画だろうと 
    材料なんて なんでもいいんだけど 
    キッカケってもんが必要だ。 
    
    それだけだよ。 
    ただそれだけで俺は書いてる。 
    
    
    んで、このつづきをもっと丁寧に書こうと想ったんだけど 
    もう眠い。 そのうえ今日もまたゴタク能書がナゲェぜよ! 
    
    眠いけど 
    ひとつ重要な問題の結論を書き残しておかねぇとな。 
    
       橋渡し  
    
    これが今、もっとも重要なテーマだ。 
    そういう意味で この一年間、 
    
       あにきの本。』 November 28, 2007~  
    
    このページ を未来日時設定でTOPエントリーへ掲げてきた。 
    
    でも、明日で その設定機能が廃止されることになった。
    なので 
    今後は はじめて訪問されたヒトのうち 
    社会的にも精神的にも余裕ある世代のうち 
    様々な本を読み漁ることが趣味なヒト達の目につくように 
    
       ♪Books & Magazine  
    
    このカテゴリーの中へ入れさせてもらって 
    
       あんたら わ、次の世に なにを橋渡しできるんだい? 
    
    っていう挑戦的な構えでいこうと思う。 
 
    ####
 
    次の世の中に生きる人間が 
    今よりマトモな人間の世界に生きられるようにすることを目的としてな。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 log in     http://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventrylist.do?entry_ym=xxxxxx