相手の元カレ、元カノって気になる?    …このクチコミねたでいいのか?  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

クチコミネタ:相手の元カレ、元カノって気になる?

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 妻の過去は ほとんど知らない。 
 興味ない…というより、知る必要がない。 
 今しか見ない。 
 
 したがって、過去に誰と、どのような関係 があろうと 
 人間の中身(魂)ってもんは、
 一日一日ずつ利口になってるはずなので 
 そのわずかな時間は今よりも大事なことではない。
 
 ただ、やっかいなのは、妻の両親とも一緒に暮らしていると 
 たましいの過去が視えてきてしまう。 
 視えるのは断片的だけど 
 ハッキリと感じてしまう瞬間… 
 いくつかある。 
 
 人間の薄汚れた部分。 
 とか、 
 先祖代々うけついできてしまった闇とか怨念とかにちかい、
 無念とか、その家系の暗い体質…のようなもの。 
 この家に限ってのことではなく 
 世界中どこにでもあることなので 
 気にすると切りがないんだけど 
 俺は養子として妻の両親の長男になってから結婚したので 
 戸籍上の問題であっても 
 その時点で先祖が入れ替わってることになる。 
 なので、余計に視えなくてもいいものが視えてしまう。 
 
 どうにも何かを赦せない念いがあって 
 人間の姿カタチとして肉体を自分の心で動かしていられる間だけは 
 そこから逃げようとする心もある。 
 でも逃れられない。 
 先祖代々やってるようなので。 
 
 この家の長男、世帯主であっても、
 家族どころか、一般世間から距離を置いて生きているような俺は俺で 
 そんなことに つきあってる暇はないんだけど 
 今から数十年前に妻の父親が、やはり養子として迎えられてから 
 この家系をある程度まで立て直して以降、
 今度は、俺と俺の息子が 
 この家系継承を引きついでいかないとならなくなってる。 
 今のところわ。 
 
 当初は、
 なにが在っても すべてを受け入れるつもりではいたんだけど 
 いざ、そこで生きてみると 
 どうにも納得できないモノがある。 
 
 妻は小学校一年の子供に対し、一緒に宿題をやるにも 
 こだわり、決めつけ、押しつけ… 
 そういうことが、よくある。 
 これは日頃、余裕のない学校担任の魅力ない授業の仕方にも問題あるんだけど 
 そういうことも、他人の所為にすると切りがない。 
 
 決して、今の妻を人間として悪者あつかいするわけではなく 
 これは、いったい、 
 誰の、どこから、はじまっているのか? 
 
 そういうことが、癖なのか? 単なるその人の性格なのか? 
 親から受け継いだものなのか何なのかが 
 瞬時に区別・識別・判別して視えてしまうことがある。 
 
 ここからの話は、
 July 22, 2007  http://ameblo.jp/badlife/entry-10040744881.html
   このページのつづきになるけど…。 
 
 この家系(何世代か前の先祖)に、なにがあったのかは知らねぇけど 
 途中で完全に途絶えるはずだったようなモノを 
 「子供ができたから…」 
 という理由だけで、土地も財産も すべてを引き継いだ妻の父親は 
 最初から ここにいた農村農家の人間に近い状態で生きてきた。 
 稲作も畑仕事も何ひとつとして知らなかったものを 
 今では この界隈では誰よりも旨い米をつくる。 
 「…あんなの(失礼)、俺にできるのか?」 
 というほど、 
 井戸水を利用した田んぼの水の調節… 
 水中ポンプの使い方なんて見事なもんだ。 
 朝おきてから、その朝の気配を感じた時点で 
 畦の草刈りから、肥料を巻く分量から、すべて勘だけでやっている。 
 本人は 
 「まわりの者がやっているのを見ておぼえた」 
 簡単に云っているんだけど 
 世の中には、俺も含めて 
 どんなに見ても聞いても、ミヨウミマネで試してみても 
 一向に身につかない者もいる。 
 やる気の問題なのかもしれないけど 
 どうやってみても、いくら頑張ってみても、同じようにはできない。 
 できる範囲で手伝うだけ。 
 受け継ぐ気はあっても、正直、
 俺の仕事ではない…という気持ちが、今まだ、どこかにある。 
 中途半端にやるなら、やんねぇほうがいいので 
 いつか稲作は辞めちまうかもしれないけど 
 …そもそも、2兆部以下なので、今の時代はもう 
 自分の家(および親戚・友人・知人の小家族)
 年間 食べる米が賄えるというだけで 
 稲作による収入なんてのは、ない…に等しい。 
 季節労働でも、蔵元へ勤めさせてもらっているほうが 
 よほど生活の安定は図れる。 
 趣味で貧乏を演じてるようにしか思えない。 
 という云い方もよくないけど、そういうこった。 
 要するに、今の規模の稲作では、
 自分たちで米を作るより、買って食べるほうが安いということだな。 
 
 んじゃぁ、なんでやってるのか? 
 「先祖代々、そこに土地があって、田んぼやってたからやってる。」
 というだけで、あとは何もない。 
 伝統だとか、稲作文化の日本民族がどうとか、 
 「朱鷺が舞い降りるデンパタを夢見て」類い…のオメデタイ考えとか、 
 ハッキシ云って、この家系には関係ない。 
 それどころか、この家の先祖は、もともと農家ではないらしい。 
 古くは江戸時代以前にも遡るのか? 
 旅人が山越えをする途中の宿舎を営んでいたという。 
 要するに、山岳地域の名もない旅館。 
 なので、倉の中には旧い時代に客をモテナシタとされる、 
 皿だの徳利だの、骨董品がいっぱいある。 
 誰に貰ったかも知れぬ大型の弓とか… 
 見るヒトが見ると、
 「おお、これわっ!」 
 とかなんとか、石坂先生も喜ぶのかもしれないけど 
 俺は、陶磁器だのスタジオ・ジブタレだの、そんなモノに興味はない。 
 近所の老舗の寿司屋が欲しいというなら、 
 今なら相場の値段で売り捌くことも可能かもしれないけど 
 そんなモノを倉から ひっぱり出す以前に 
 倉の屋根裏にあるスズメバチの巣が恐い! 
 いや、厳寒の風雪に耐えかねて 
 行き倒れになったような旅人連中が遣った皿や茶碗に触りたくない。 
 気味がわるい。 
 たぶん、俺は子供に引き継がせる前に 
 すべて捨てちまうと思う。 
 嫌いなんだよ。 
 もう遣い道のねぇようなモンをいつまでも大事にとっておくことが。 
 
 そもそもは、妻の母親が直径の独り娘として 
 そういうモノを末代にとっては 有りガタ迷惑のように
 守り、保管してきておいて 
 それがいったい、なんであったのか? 
 の、説明がない! 
 というより、本人はもう、完全に
 人間として生きることを放棄した状態で惚けていて 
 自分が先祖から受け継いだ墓であろうと、土地であろうと、 
 どうでもよくなってしまっている。 
 この地球上に肉体を持って生きて、生かされる人間として 
 あれほどまでに生きることに無責任になれるものなのか? 
 
 今日は最近の状態を具体的に書くのは控えるけど 
 …というより、呆れ果てて書く気がしない。同じ人間として。 
 
 んで、自分で自分のことを何一つできなくなった者に 
 毎日毎日たいへんな苦労でつきあっている妻と妻の父親は 
 誰に相談することもなく、
 残り何年を生きるか判らない、あの獣チックな状態のまま、 
 食事から風呂も便所の始末も終日完全完備で至れり尽くせりの
 介護施設へ葬りたいと考えている。 
 ところがなんと、月に7~8万の費用がかかるらしい。 
 5段階中の介護認定のため、 
 マヌケに惚け具合を演じる相手に手がかかるほど、費用が高い。 
 しかも本人は、まだ70歳で、貰ってる年金は月¥1万程度。 
 とにかく惚ける以前も、見た目のマジメ器用さには関係なく 
 あらゆることにイイカゲンな根暗人間だったために 
 若い時分から年金も長期に渡り支払っていなかったらしく  
 自分で自分の面倒を看るためのカネは、 
 わずかに積み立てた農協組合員の保険しかない。 
 どうする? 
 って、俺の親なんだけど、俺は面倒みる気はない。 
 
 人間、何かの憤りや無念を堪えながら、それなりに生きても 
 見栄や体裁を見繕って生きてきた有様の結果がこれだ。 
 「あ~あ、これでいいや」
 そうやって、テキトーに完成して、始末におえない余生。 
 こういうのは現在、日本全国で、妻の母親ばかりではない。 
 そこへもってきて、人権保護だの介護年金だの、 
 俺はアベちゃん入院騒ぎ なんて腹を抱えて笑ってしまう。 
 
 問題は、妻の母親の母親も惚けて死んで 
 同じことを自分でもやろうとしてる。 
 既に行く末は、もう決まったようなもんだけど 
 俺は、それを阻止する構えでいる。 
 このまま簡単には くたばらせない。 
 この家系が継承してきた魂の薄汚れた部分を 
 俺の命の一部を遣って、なんとかして浄化しなければならない。 
 なぜなら、子供がいるので。 
 
 肉体が見事に、人間バナレして変形した状態でヒクヒクと生きていて 
 その、自分で自分をどうすることにも投げやりで面倒な肉体は 
 何に操られているのか? 
 魂は ほぼ奇形。本人としての本来の魂を邪魔立てして 
 何重にも別なモノのクタバリ損ないの意識が 
 干からびた肉体を乗っ取り、支配しようにも 
 もともとソイツ等に与えられた肉体ではないので不都合が多い。 
 単なるアルツハイマー博士の名前を譲り受けた症状ではない。 
 モノを喰うにも手掴みが主流。 
 目の前に用意された皿を嘗め回して、食い物を啜る。  
 何を喰っているのかも、喰わされているのかも解らない。 
 床を蜘蛛のように這って歩いて、 ホントは、2本足で歩けるのに歩かない。 
 誰の顔を見ても言葉を交わせないどころか 
 人間として声を発することを忘れないようにしようとも心がけられない。 
 暗闇にボーっと蹲ってる気配なんて恐ろしいぞ。 
 気づいてゾっとする。 
 ありったけの衣服をひっぱり出して、
 部屋の片隅に巣ヅクリを始めるようなこともある。 
 ここ数ヶ月は、その他、奇怪な行動は多々めだつようになってきたけど 
 ある日、妻が本人に問い質すと、真顔で 
 「わたしにも考えがあってやってる」 
 ということで、家族に迷惑をかけることが仕事らしい。
 
 そういう、人間のようで人間ではない姿を 
 俺の子供は見て育ち、もう2年が経過する。 
 不味いよな。こういう環境でわ。 
 
 「みなさん、ごめんなさい。 
  …でも、人間として産まれて生きてきて善かった。 
  こんな人生でもワタシは幸せだったよ…
 
 
 というふうに死んでもらいたいんだけど 
 今のままでは無理。 
 そんなマトモな人間としては死ねないし、 
 このままでは再び、何世代にも亘って 
 この自然界に生かされるヒトとしての魂を汚染させることになる。 
 何事も悔いを残せば、必ず正常な死を迎えることもできないし 
 死んだあとも、この世に中途半端に残る。 
 あの世に受け入れられないのではなく 
 人間として創られ、産まれ、育ち、死に逝く…という自然界の道理の中で 
 肉体を与えられた人間として生きることに叛した部分が多いために 
 再生可能な状態に分解される摂理にそぐわない。 
 自殺でも他殺でも事故や災難、病死でも 
 実際に産まれる以前に決められた寿命までの間、 
 自分自身が何者であったのかを納得できずに 
 本来きめられた時期とは別な状況で肉体を失うと 
 それは、『♪還ってきたヨッパライ』のようにはいかない。 
 ほぼ永遠に肉体を失った瞬間の場所の 
 時間概念も空間概念もなく身動き獲れず、
 そこへ置き去りになったまま、彷徨いつづけてしまう。 
 誰に救われ解放されることもない悔いの中に留められて。 
 そのくせ、現実に生きている者の肉体の不具合に潜り込んで 
 そこへ居座ったり、居座ろうとしたり…
 まぁいろいろだ。クタバリ損ないのシデカスことってのはな。 それが地獄ではない。) 
 
 だからねぇ、 たとえば…余談になるけど。 
 昨年末からサンザン書いてきた月刊育つ場所がちがう の各所にある通り、 
 人間の細胞が生きるために必要な酸素供給の源である呼吸も満足にできず 
 全身の筋肉の血の巡りが、ところどころにも滞ったり鈍くなってるような 
 肉体の異常の度合いによっては、 
 行く先々の場所によっては、修学旅行であろうと 
 何かがおとなしく眠っていた海・山・川を切り崩した開発地域であろうと 
 男も、女も、自分の肉体が
 この自然界に創られた人間として完全な健康体でないと 
 何にボディジャック されるか判らない。 
 そのために、変な犯罪も勃る。 
 最近はとくに、年齢が若ければ若いほど、 
 産まれついて筋肉が変形してたり、
 この世に産み落とされる以前の、母親の胎内にいるときから 
 血液循環がよくない状態で生まれ育って  
 全身の筋肉が硬いために、別な次元とも頻繁に関わりやすいヒトも多くなってきた。 
 俺もそのうちの一人なんだろうけど。 
 このことについて、今の時代、具体的に説明できる者がいない。 
 どんな宗教の教祖であろうと、どこのカウンセラーや 
 なんの資格を御立派に連ね構えた治療士や学者先生であろうと 
 イッケねぇんダぁ!問題作」の関係者でも、無理。  
 人類意識の革命、改革、改善は、 
 20世紀と21世紀ではちがうの。わりぃけど。既に。 
 今の日本人なんてとくに 
 今の社会の担い手になるはずの我々戦後産まれ世代では 
 人間の肉体の変形や奇形と、それに伴う魂の役割の乱れが 
 戦争体験者世代が懸命に戦後も生き抜いた、
 あの正常な人間ぽく生きた時代とはちがう。 
 この自然界に、人間として産まれる前も、産まれたあとも、育つ場所がちがう。 
 
 まずもってして、教育によって破壊された母体の、 
 生理という、ある一定の取り決めからして、日本全国の女性が狂いに狂わされている。 
 この高齢化と少子化が激化するオンボロ文明国家の、 
 発展過剰・大日本盆栽帝国では、 
 これを元通りの創られ方に戻すには、かなりの時間がかかることになる。 
 
 んで、話の本線日本海を元に戻すけど 
 たとえば、妻の母親は、二人の娘を産む以前に 
 その子供を宿すための自分の子宮の位置が正常ではなかったために 
 妊娠と出産、産後の肉体(全身の筋肉)にも異常があった。 
 妊娠中は、胎児がとんでもない位置で育って 
 その産後も満足な産休もなく、働きヅクメで 
 日本の高度経済成長期に貧しい農村農家に生きてきた。一生懸命に。 
 ところが、自分の人生の目的意識が 
 半ば中途半端に「人並みでいいや」から 
 なにかを強く念じるように投げ出したことにより 
 その肉体の老化は、地球規模で著しく悪化する異常気象にも追いつかなくなっちまった。 
 もっと簡単にいうと 
 自分の命を自分で守る真剣身がなくなっちまったってことだ。 
 現に今、そういう悪い決断をした心の醜さが肉体に反映している。見事に。 
 だから、とくに女性の場合は、 
 月に一度、人類の母体としての子宮壁に充血する血液を 
 生理の汚血【おけつ】として身体の外へ出したときも、そこから数日後も  
 それまで全身の筋肉が生きるために必要な血液が蓄えられていた肝臓も 
 腰にある腎臓の濾過機能も含め、その他モロモロ… 
 肉体が動くための燃料としての、ある程度の血液量が不足したり 
 全身の血の巡りにも色々に変化がある。 
 その肉体の変化、その日その時、その季節の状態が、大きく、精神状態にも左右する。 
 
 それが最近の日本の現代人の場合は、 
 もう見渡す限りにメチャクチャな状態だ。 
 そのために今日も、社会で様々な犯罪が激化して、 
 人々の心を震撼させたり、「明日は我が身か…」の状態で 
 人間そのものが肉体が苦しいために心が病んで 
 自分自身がヒトとして生きるための日常に余裕もゆとりもなく 
 虐待とかイジメとか、性犯罪、自殺、躁鬱…etc. 
 というワケのワカラン世の中になっちまってる。 
 政治も経済も、教育現場も医療現場も、
 結果的な現象ばかりを追うマスコミに振りまわされてな。 
 こんな地獄図の中で生きることを誰が、これ以上つづけたいのか? 
 俺は嫌だよ。 
 自分の身近な部分でも嫌だ。 
 ひとつとして、自分自身でさえも、このまま醜く生き凌ぎたくはない。 
 自分の子供のことを想えば なおさらだ。 
 
 
 ああ? 
 
 いきなり 「♪何を書かれて、いるんですか?  
 
 よくわからないヒトは、何日、何時間かけてもいいから、 
 
    その Permanent Vacation も なんとかなるかも! 2007 summer  
 
    死ぬには善き日だ。 2007 spring  
 
    冷たい冬の稲妻 2006 winter  
 
 これらのページを自分なりに読んでみて。 余裕あるときにね。) 
 まだ編集中のところも幾つかあるけど 
 人間なら必ず、どこかで、自分自身のこととして思いあたるようになってる。 
 
 俺が書いたわけじゃない。 
 俺が書いたんだけど、書かされている。 
 今も。 
 この人類が、少しでも元の状態に近く戻れるために。 
 
 
 
 
 …ああ、今日は随分と正直に書いたね。 
 
 でも、これで終わらない。 
 終わりにはできない。 
 
 
 莫大なカネになりそうな思案や雑念が 
 ネット上の密かな恋心のようなもんで終わっちまうのか?
 ??? 
 このまま友達もいない人生 を独り満喫するような格好で 
 かつての夢や希望も老いぼれゆく脳味噌の記憶に薄れかけて消えるのか? 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
     いいわけねだろ。 今のまんまでわ。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今日は朝から稲刈りだった もう寝よ。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 I wait for your communication that wants to burn out together as far as this life continues. 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 http://ameblo.jp/badlife/entry-10048059582.html