I want to make friends with manit(o)u only now. | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
   
いまからここに残酷なことを書く。事実だけを書く。
ヤバイ内容なので、今この時点で精神的にも余裕のない人は
読まないほうがいいかも知れない。
最近の俺が書く内容としては、自分自身に対してもかなり重圧だと思っているので
今日ここに、これから書こうとしている内容も
たとえすべてが俺自身のことであっても
読んだ人が どうなってしまうかが視界不良。
だから今日は、心身ともに余裕のない方は、ここは読まないで
ちがう方のページなり、自分の好きな音楽を聴くなりして 
ひとまずは、今日という日を自分として有意義に充実されたほうがいいかもしれない。
と、こんな ただし書きをしてしまうと、
いつもの、わざとらしく、
「絶対に読まないでください」
よりも印象的になってしまい、
「読んでみようかなぁ…」
という気持ちにさせてしまう…既に、なってしまっているかもしれないけど 
ヤバイ。ほんとうに読まないほうがいい。
ということは、決して「読んでもらいたい」という気持ちではありません。
   
おお、この文面に今、デジャヴーを感じたぞ。
このように書いたことを誰かに叱られてるのが視えた! 
ああ、だから…たぶん、ここから書くことは、かなりキツイ内容なんだろうな。
ということで、既に読み進んでしまっている人は
もうどうなっても知らない。
だけど、疲れている人とか、なにか気分転換のように
ここへいま訪れてしまった人は、できることなら、ここでストップして 
またいつの日か、
「今日は大丈夫そうかな…」
などと思える日に読むようにしてください。
って、そんなこと書いても、読む人も書く人も自由なんだし 
べつになにか、誰かの命に別状があるようなことを書くわけではない。
でも、人によってはヤバイかも知れない。
   
ああ、そうだ! 
ひとつだけ。読んでも大丈夫な方法があるぞ! 
今また想いついた。
読む人が、自分自身と決して、俺を比較しないこと。
どこにおいても、何においても、
その約束さえ守れるなら、全然ヤバイことはない。
でも今この時点で、その約束を破るとか破らない以前に 
どうしても自分自身と誰かを比較してしまうようなところがあって 
そうしないことに自信のない人は、やっぱり読まないほうがいい…と思う。
   
ここから書く内容は、すべてにおいて、おそらく、なるべく、
俺自身のことしか書かないと思うんだけど… 
どうしても読みたい人は読んでください。
   
ああ、こんなことを馬鹿丁寧に書いても
全然たいしたことではない。
きっと、人間なら生きていて誰でも必ず思うことだ。たぶん。
   
いや、この云い方もよくないな。
俺だけだよ。こんなことを考えてるヤツは。
たぶん。
   
あああああああああ、ほら、云ったこっちゃねぇだろ。
俺が書くことは、俺自身のことでも、人間についてのことなので 
やっぱりやべぇよ。
だから、今日はまだ自分自身が何者なのか?ということを
難しく考えてしまったりするような方が、もしも今これを読んでいる方なら 
ここから先はもう読まない方がいい。
   
よし、ひとつ対策を打つ。
このまま簡単には読めないように、ここから先の内容は、すべて
文字を反転しておくことにする。
そういうことで、読みたい人のうち、いま現時点で
自分自身がしっかりとしていられる人であるなら、読んでみてください。
読んでみても、
「なんだよ、つまんねぇ! たいしたことねぇじゃん」
とかなんとかなったとしても、怒らないでください。
そういう内容です。
    
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俺は、27歳か32歳で死のうと思って それまでを
なにひとつ楽しいこともないまま生きてたんだけど
そういう自殺願望は今日までの間に
突然と消えたわけではない。
いつ頃からだったか、
「ああ、アイツとは、こんなふうにつきあってみたい」
という気持ちとか、
「今の俺は絶対に これが欲しい」
と望んだ時、そういうものは、すべてではないけど
少しカタチを変えても、なんとかして手に入れることができた。
要するに、いま手元にないものでも
「在る」ということを常に、実際に「在る」状態と同じに想って
それがやがて、自分の目の前に実在することを
その存在が現れる前に決めてしまえばいいだけのことだ。
それでも、世の中は決して、そんなに甘いものではなく 
どんなにそれを強く想い描き、そうなることを望んでみても
絶対にどうにもならないことがある。
それは、相手が人間であるなら尚更なことだ。
ところが、憧れとか夢とか、何か形ある物体を望むことや
最近の世間の人が軽々しくも遣う言葉の成功などということとは別に 
俺の中には常に、「こういう自分になりたい」というものがあった。
それに成れなければ、もしも少しでも近づくことも不可能であると理解してしまうなら
そのときは死ぬしかない。自らの手で。
今はもう、子供もいて、人として生きる生活や、
自分が生きている意味を解りかけてきたので
そういう決断はやめて、捨てたつもりではいる。
しかしいつまた、そこへ戻ってしまうかは解らない。
解らないけど、今日この瞬間を自分として生きていない限りは
どうしても、自分という存在そのものが嘘に思えてしまう。
   
ある日、妻と出逢ったとき、
いい女だと思った。
モノゴシも声も、雰囲気も、
「これは俺にピッタリではないか?」
と、そう感じる瞬間があった。
でもそのときは、妻は別な男性とつきあっていて
ハッキリいうと、俺のモノではなかった。
人間は誰でも物ではないので、命というものがあるので
こういう云い方をしてしまうと、なにか誤解をする人もいるかもしれないけど
俺がいま書いていることは、そういうことではない。
これは、判る人には判る。
ある日、仕事の関係上のつきあいから、
俺はその当時の彼女(今の妻)と一緒にメシを喰う機会があった。
カレー専門店。
俺の隣で、シーフードカレーだったか? 喰っていた。
その喰っている顔が、どうしてもいとおしく感じて、
その唇の中へ運ぶカレーの一口がとてもセクシーで  
それ以来、俺は、彼女の存在を忘れられなくなった。 (ご注意! 単にのろけているわけではない。)
その場には、他にも一緒に人はいて
当時は俺にも、何かの目的で間に合わせで付き合わされたような、
そういう彼女なのか何だったのか? まぁ、そういう相手もいた。
たけど、それはいつも一緒にいる関係でも、ハッキリ云って、
俺という人間とは生きる世界がちがう。
雰囲気的に、成長することに欲のない人間とは
もともとつきあいたくのない気質、肌、性格の俺は
どうしても、間に合わせに用意されたような関係や
誰か何者かが敷いたレールの上を歩かされることは
幾らかは妥協して受け入れるものの、結局は時間の無駄だ。
相手の「1」を視て「9.9」までが判ってしまう。
判ってしまうというのは、決して、相手のすべてを解るということではなく 
相手そのものの生き方が、人間としてはダラシがないのではないか!?  
ということや、「おめぇ、便所はいってクソして、ちゃんとケツの穴ふいてんのか?」 
という感じで、その者の口で立派に奇麗ゴトを並べられるほどでもない醜さや、
成長することをおざなり、なおざりにしているようなところが 
たとえわずかなシグサや態度とか、自分本位な振る舞いを見た瞬間に視えてしまう。
どうしても。 
かといって、俺自身がそんな立派なわけじゃないんだけど、
どうしてなのか、どうにも許せなくなってしまう。
それはきっと、自分自身が、「このままじゃダメだ」という思いが常に強いために
その強さが俺以上、もしくは、俺と同等に近くないと苛々してしまう。
男に対しても、女に対しても。
我侭と言えば我侭なんだけど、俺は今日まで生きてきて
俺以外にも、そういう感じの人間が何人かいたことを見て知っている。
ただ、決して同じではなく、やっていることも、みんなちがう。
同じにはできないし、やっていることや追求していること、
取り組んでいることがちがっても、俺には
創られ方の程度にハッキリとした違いがあることを、ある程度は判るので
比較するとか競う、嫉妬するということは、ほとんどない。
ただ、同じ人間として生きていて…
…こういう云い方は誰かにとっては非常に失礼かも知れないけど
資格があるかどうか? 
つまり、ライセンスだ。
俺にとっての資格、ライセンスというモノは、すべてにおいて
「成長」だ。しかも最近の俺が一歩も譲れないのは
常に前へ進むか、もしくは、自分自身が自分として上へ昇ろうとする気持ち。
そういう感覚や、言葉や言動に生きる素直さがない人とは、
つきあいたくもないし、話したくもない。
実際、自分のことをどうでもいいように思ってる人間なんていないはずなんだけど
あきらめるとか、投げ出したり、捨て鉢、開き直り、妥協の繰り返し、保留にしたまんま…
そういうのが嫌なんだよな。嘘っぽい。
んで、それはもうここでは誰かの悪口とかではなく、
そういう部分で、テキトォに出来あがってしまったような人とかに会ってしまうと
どうにも腹が立って仕方ないので、今は、そっちの方へ話を進めるのはよそう。
読んでいる方々も、そういうことは普段の生活で、さんざんに訊かされているようなことだと思うので
さっきのつづき。妻と出逢った瞬間と、俺が間もなくして
あるひとつの決断をしてしまった…ようなことを書く。
   
その当時、彼女がつきあっていたのは、かなり歳上の男性で
会社を経営して、社員もあり、妻もあり、子供もいたと思う。
詳しいことは知らないけど、俺の妻は当時、その人の愛人だったわけだ。
なんでその人とつきあっていたのかも知らない。
ただ、俺と最初に逢った日から、彼女の横には、その存在があった。
でもその人は、それから間もなくして癌で死んでしまった。
あっけなく、50代だったと思う。
彼女…今の俺の妻(…なんだか、この云い方もヘンだな。俺は一回しか結婚してないのに。)は、
その当時、そうとうな哀しみで、世の中のすべてが終わってしまったような感じだったけど
俺は決して同情するわけではなく、 (最近はようやく、この同情問題の疑いによる夫婦喧嘩もしなくなった。)
既に彼女を手に入れることを それ以前からに望んで、決めていたので、
「いいよ、俺がいるから…」という気持ちがあった。(カッコつけてるわけじゃねぇぞ。)
   
であっても、当時の俺としては、自分が生涯をかけてやりたい仕事に取り組むにあたり 
どうしても、別の相手と一緒にいる時間を大切にすることを虐げられていたので
そんなことは政略結婚でも何でもなかったんだけど
んまぁ、ある意味、覚悟の問題だった。
先日の3月18日のページ にも書いたけど、仕事が優先で、女は二の次。俺がやるべきことは、
俺という人間が何者なのかということの答えを出すことだった。
ところが、俺の周りの人間は、そういうことが、どうも理解できなかったらしい。(妻は今、かろうじて理解してくれている。)
で、そういう人たちと一緒にいなければならない窮屈な日常を
俺が勝手に捨てることが許されなかったんだけど
間もなくして、相手の方(当時つきあっていた年下の女性)が 
俺の存在を無視するように、以前、幼いときに自分が想いを寄せた相手と
再び、「どうしても結ばれたい」と望んで、その我侭を絶対に譲れないと心に決めたわけ。
俺は焦ったよ。
結局、俺の存在が邪魔になるってことは、俺に仕事がなくなってしまうってことだ。
俺が生涯をかけて成し遂げようとした仕事。
人間と自然界の関係を完全に訊きだして、俺の手で文章に書きあげることが
俺にとっては唯一、自分自身が何者であるのかの答えを出す手段だった。当時はな。
   
あのねぇ、今これを読んでいる人の中には
なにを云ってるのか意味が通じねぇような人もいたり、人によっては、
「あんた、随分と都合のいいように自分の人生を語れるもんだねぇ」
などと思ってしまってる人もいるかもしれないけど
俺にはそんなつもりはない。つもりはないけど、念のため断っておく。
自分自身が「このままじゃダメだ」という思いが常に強いために
その強さが俺以上、もしくは、俺と同等に近くないと嫌なだけだ。
その相手が男であろうと女であろうと、年齢の上下にも関係なくな。
なんせ、俺には覚悟があったからな。
憧れとか夢とか、成功とか幸福になりたいとか、何か形あるモノを望んだりすることとは別に
常に、「こういう自分になりたい」という目的、目標があったので
それに成れなければ、もしも少しでも近づくことも不可能であると納得してしまったとき
自分から死ぬという覚悟があったの。わりぃけど。
んじゃぁ、その「こういう自分になりたい」というのは、
どういう自分なのか? というと、それは、今の俺だ。今日の俺。 
   
と、ここまでを書いて、この意味も、判る人には判る…と思う。
   
俺はもう、自分で勝手に死ななくて済んだんだ。
これからはどうなるか判らない。
でも、妻…美由紀という“人間の女”を手に入れることができて
一龍という息子。自分の子供。自分の世継ぎ。人類の後継者ができたことで
俺は自分という人間が何者かの答えを出せるライセンスを取り戻せたわけだ。
資格、ライセンスは手に入れる必要はない。そんなのは、
人間なら、誰にとっても最初からある。
努力や勉強とか、修行ということとは一切、関係がない。カタチではない。
でも、その大切なライセンスを放棄してしまうような人も大勢いる。
   
ああ、ごめんね。これは本当にかなり残酷な云い方だ。
こんな解釈に決めつけてしまうと、
他のページを読んでも悩んでしまう人もいるかも知れないし 
もう今日はまた、誰もコメントしてくんないかも知れない。
でもこのことは、とっても大事なことなんだ。
「ライセンス」という言葉が的確ではないかもしれないけど 
この世の中には、人類には、男と女しかいない。
中間や中性は本来、絶対にありえないことだし、あっては許されないことなんだ。 
それでもそれは俺の考え方ではなく、紛れもない事実なので 
俺がその事実を知って、俺が俺として生きることにより、
誰かが死ぬわけでもない。俺にはそんな力はない。
生きるしかないんだ。
そしてそれはもう決して、今まで通りではない。
誰の生き方も否定はしないけど、今の世の中には、
先天的にライセンスを取り戻すことが不可能に近い人まで存在してしまっている。
重症というより、完全なる障害者。先天的に無理が多い。
そして、完全に開き直ってしまったときは最期。もう…略。 
でもそれは、決して間違って産まれ出てきたわけじゃないんだ。 
ただ単に、女としても、男としても、
どちらかしか存在しなかったはずの人間としては生きて行けないだけだ。
そのまま、それなりの状態で生きていくしかないんだけど、問題は 
死んだあとが大変になっちまう。 
でもこのことは、今これを読んでいる読者のことではない。 
そういう存在もいてしまうような世の中になっちまったっていうことだ。
しかも、今なお、ここしばらくは増え続ける傾向にある。
その先は、どうなるか解らない。 
なんせ、今までの人類が経験したことのないような事態にあるわけだからな。
   
なんで最近は、こんなことばっかり書いているのか? 
書きたいから書く…というより、事実なので書いてしまう。
   
   
ただね。さっき、俺の子供、一龍が、いつもはお母さんと一緒に
楽しく絵本を読んでから、なにかしら楽しくじゃれあってから眠るんだけど
なぜか、夜中のお昼頃に起きてきて
わざわざ俺の顔を見に来て、
「ここでねる。」
と云って、ソファーへ横になってた。
決して笑顔でもなく。
「なにかまた、恐い夢でもみたのか?」
と尋ねても首を振っていたので、ちがうと思うけど
俺もそれ以上のことは考えたくもない。
以前に、(数日まえのことなんだけど)
「今日は さっきなぁ、お父さんは、スンゲェ恐ぇ夢を観て目が覚めたよ」
と云った朝に、
「それはきょうだけ? 一回だけ? なんかいもみたの? 
ボクなんて、いままでに、いっぱ~いっ、こわいゆめをみたよ!」
そのときは、笑顔なのに真実を話す顔だったよ。
なんか嫌なんだよなぁ、そういうのは。
だからそれ以上のことは考えたくない。
なにごとも今まで通りではなく、すべてにおいて前向きな方向へ決断した方がいいんだ。
もう二度と、俺はヘンな方向へひっぱられるような自分でいたくない。
   
日中は、なにかを根こそぎ吹き飛ばすような風が吹いていて 
それもやんでしまい、夜の12時ジャストから、神社の祭囃子がはじまった。
年に何度か行われる神社の奉り行事で 
ここ一ヶ月は、鬼太鼓【おにだいこ】と呼ばれる民間の伝統行事を島内の人達が練習している。
今日一日は、それが、ほぼ24時間に渡り、近所の一軒一軒の庭をまわり歩く。
そういう神社の行事がある。もしかすると、
一龍は最初から、なにかがはじまる気配を感じて、それを観たかったのかも知れない。
   
妻が心配して迎えにきて、また素直に あっちへ戻ったけど 
そんなことは今までになかった。
俺がいつも、四六時中ほとんど、こうして何かを書いてるんだけど
そういうことも一龍は、お父さんの大切な仕事であることを理解してくれていると思う…
というか、カネにもならないんだけど、親が勝手にそう想わせているようなもんだな。
   
もうしばらくすると、俺はこれまで書きかけていた未完成の小説や創作を
ひとつひとつ完成に近い状態へ持ってゆけることになる。
今はそれも視えてきた。
そこには、肉体的にも精神的にも今まで以上に、周囲の者にも
負担や犠牲になることも多いかもしれない。
なるべく自分以外の他人にも、自分自身にも、迷惑にならないようにやってゆきたいけど
ある程度の時間という、限られた命を遣って
俺が必ずやると決めたことを成し遂げるためには進まなければならない。
成長しなければならない。
決して、儚くして終わるような死へ向かっているわけではない。
それは、自由という形の無いモノなのか? 
言葉ではないんだよな。
「ああ、これで善かったな」と、心からそう思える最期の瞬間のため…だな。
人間の男として。 
言葉にするなら、そして再び、またスグにでも、必ず、
自分の子孫に受け継がれる別な人間の肉体の中へ宿されて 
この世の中へ出てくるんだよ。
今度こそは、あまり遠回りはせずに。 ( まぁ今までが、たいした遠回りではないにせよ。)
それが人間というものだと理解している。
それが事実であることを確信している。
ちょっとだけだけど、悔いを残さず生きた何人かの人の生涯も見た上でな。
最近は、そのように人間の正しくあるべき姿を知ることができた。 
俺はな。
   
   
   
   
今日は随分とまぁ、自分自身の今について書いた。
これが間違っているかも知れない。
でも何か間違っていても、こうして書いておかないと
俺は馬鹿なので、昨日の自分を忘れてしまうかも知れない。
今日の自分を書きとめておくことで
それがいつか自分自身に役に立つことなら、
俺は何でも書き残しておく。それは、俺という人間を含む、今後の人類のためでもある。
そしてあとで、何日か、何ヶ月か、何年かして読み返してみて
過去の自分と現在の自分を比較してみる。正常に。
他人と自分とは比較しない。必要ないので。無意味なので。
そういうことの積み重ねでもいいだろ。俺の場合は。
   
しっかしまぁ、ほんと、リスキーな時代に産まれたもんだ。
神様の野郎は、どこで何をやってるのか? 
   
いや、何もしていないのかもな。
人が神に対して何か口にできるほど、立派ではないんだ。
既に自分の周りや自分の中に在るんだからな。
俺がこの世に誕生する以前から。