#13 お母さん、ここが●●●●です!  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
   
   
   
…と、ここに伝承して書いてる内容の幾つかは
何か新しいことでも、アホな40歳の珍しい考えでもないし、
哲学でも宗教でも精神分析学でも医学でも なんでもないわけ。
「目の前にある皿の上に幾日か生肉を置いておいて、それを見てると次第に腐ったよ」
そういうことの自然の摂理。物事の道理なの。わりぃけど。
だから、そういう考え方に共感できる・とか「できません」以前の問題。
残りの人生で、今後これから自分の目の前にある、現実に起こることを
認めるかどうかは他人が決めることじゃねぇしな。
今までのように『雑多な本』を読んで何かの謎を探ろうとしても、もう無理だ。
レンズは探れないし、第3の波が来る前に津波の押し寄せた地域では何十万もの人が亡くなってる。
まず、必要以上に無駄な知識を身につける以前の、その肉体に限界がある。
本の知識で人間の何を解る? 
今まで通りじゃないじゃん。どこもかしこも。
一人、自分自身という人間にしても 
昨日と今日の自分では、既に変って前へ進んでるはずなんだ。
そのためにメシ喰ってんだし、クソも小便もする。
セックスして子供だってできる。本来ならな。
どんなに旨い物を喰って、脳味噌が今だけ満足したようなつもりでも、
「あっちが痛い」とか、「こっちが苦しい」とか
ウンコもシッコもロクに出ないような身体の人には、
子供なんてできるわけがないじゃん。
できた人が羨ましいと思っても仕方ない。
もう今は、育つ場所が違う。産まれる前も。産まれたあともな。
それほどまでに今の…この21世紀初頭の、明治・大正・昭和の常識やシキタリを引きずって
カレンダーにまで「昭和81年」なんて、
現実にはありもしない年号を平気で書いて印刷して配ってるような社会では、
男女平等思想も、それを強く訴える教育も、「やればお前にもできる」の努力も、
人間として創られた義務を怠るほどの男女同権とか人権尊重の権利の主張。その偏りも、
みんなと同じようにやりすぎて、みんなと同じではなくなってしまったんだよ。
医療も教育現場も経済も政治も、その中で我々…大日盆栽本帝国の人はとくに
あらゆる教育と宗教を社会にゴッタ返させたことによる被害、公害、犠牲者なの。
誰が?って、あなたも俺も。21世紀初頭の先進諸国に住み飼いしてる現代人てのは。
そのことに反省してたり嘆いてるヒマなんてない。
道で[悔い改めよ]という張り板をドライブ中に発見しても、
目の前に誰かが降り立つわけでもない。
すべてを捨てて、産まれる前からやり直すわけにもいかない。
こんな便利で何でも揃う世の中に飼い馴らされた現代人種は、
心も身体も奇想天外孤独な奇形変形奇天烈大図鑑…。
もう、あと戻りはできない。俺もできない。誰にもできない。
どうすりゃぁいいのか? 
今のこんな世の中…これからのもっと大変になる地球上の限られた生息場所で
心身ともに健やかで、明るく楽しく過ごして生きて生かされるためには
自分自身がまず、いったいぜんたい、どうすりゃいいのか? 
自分は何なのか? 
男なのか? 女だったのか? 
自分自身が「性同一障害だ」と流行りに乗せられて思い込んでるだけの人はともかく、
本当にその問題で悩んで生きてきた人は、どうすりゃいいんだ? 
自分は何なのか? 
女なのか? 男だったのか? 
産まれる以前の、母親の胎内にいたときの
全身筋肉の発育状態はどうだったのか? 
その育つ場所は正常な状態だったのか? 
何による破壊で、産まれたあとの育つ場所や成長する環境までも変えられちまったのか? 
大丈夫、俺の味方は自然界。敵は人間社会の常識(と、お子様の味方)。
   
自分の心で気づいて、その気づいた瞬間が
立ちあがりの、前へ進む第一歩だと思うよ。
肉体も心も、マトモな状態でいられるかどうかは一瞬で変る。
そういうことがもっと判りやすく書かれている内容が…
http://blog.livedoor.jp/assimilate/archives/50675703.html  2006年11月09日
 ☝ このページにもあった! たびたびのリンク、おゆるしください
ここに書かれている内容には体験された具体例が多いので  
読む人によっては色々とあっちこっちに考えてしまう場合もあるかも知れないと思うけど 
本当は現代医学こそが、現代教育こそが、
こういうことを更に前へ進めるべき…だと俺は思う。
…コメント欄での失礼しました!
   
んで、
そういうこと本来の人間の心と身体に供えられた治癒力の活性化の見失いが、
最近の現代人の多くに見られる壊れた肉体(全身の筋肉の異常)とのバランスを失って
人間としてこの世に肉体を持って生息できる感情神につながる魂では
通常の制御、コントロールが利かなくなる ことにも関係している。
そして更には、その人自身が産まれてから、
その過去に必ず在ったはずの、生死を左右した経験により 
その者の本来の意識とは別な者の意識(邪魔立て)にも伴って
ああゆう …不可解で、命の尊厳を無視したような犯罪が勃る。
極めて本人の問題で、肉体の異常が本人の動機以前の原因となってる。
根本的には、あらゆる宗教の教え方、教えた内容の幾つかの誤りを含め、
世の中の教育そのものに問題あったんだけど 
原因の多くには、お産の時の障害傷害?である股関節脱臼…もある。
それが、徐々に人として成長する段階で体型を崩したことによって
全身の筋肉(肝臓の管轄)が異常になったために
結果的に、肉体をコントロールできなくなった自由意志の暴走が
周囲の誰にも、本人でさえも抑えられなくなってしまった結果でしかない。
判りやすく云うなら(?)、人間の肉体…全身の筋肉細胞、血液循環の異常によって
過去に生きた5000の魂の持つ能力支配のバランス統括が不能な状態になる。
それを、あとになってから統計的なデータを基に
いくら馬鹿げた精神鑑定をやってみても無駄だ。
学者の頭で人間が解かるほど、人間は単純に創られてはいない。
いつまでも浅はかな情報に振り回されているだけでは問題は増える一方だ。
   
それほどまでに人間の身体は筋肉で創られた取り決め、道理があり 
人の心も、肉体の問題も、社会の問題も
今までの医学や教育による学問の知識で解り、解決できることではない。
そして、どんな事実を知ったとしても 
誰かを憎み、何かを咎め、
自分の権利を主張したり、躾けも親孝行も、他人と自分の区別なく、
何者かに特定の訴えだけを押し付けることが重要なことではないし、
人は勝手な決めつけの中で苦しんでいる。
それは、他人の言葉による決めつけからではなく 
自分の勝手な思い込みが多い。
「私はこうでなくてはならない」
「絶対にこうしないとダメだ」
そういうようなことも、それが自分自身の未来へ向けて発展的で
生きることに前向きならまだしも、
どんどんどんどん自分を追い詰めていってしまうようでは
肝臓に蓄えられた血液の使われ方も全身の筋肉に対して正常ではなくなってきてしまう。
俺の経験 からしてもな。)
   
教育や医療の現場での原因不明の突然死も
過労死もイジメによる自殺や、拉致や誘拐、兵役による徴集などで
この島国から離れ、海を越えた向こうの大陸で生き別れた家族問題とか…
それこそ、交通事故や災害に見舞われた結果であっても 
そうしたことで残された人たち(世間の言葉でいう被害者や遺族)で集い、
慰めあうことが大切なことではない。 (「泣き寝入りして仕方ないということでもない。)
また、偏った宗教に祀られる神(?)のオボシメシや運命とか宿命を感じて、
特定の場所で信心をしたり、功徳を積むことで我慢や努力をすることも、
その苦労が決して立派でも素晴らしいことでもない。
人間は、人々は、今の人類は、人間の本当の自由を獲り戻すべきだ。
どうすりゃいいのか? 
“己の今”に気づきゃいい。
そして、ダメになった部分を少しでも正常に近い場所で補ってやるしかない。
お母さん、ここが●●●●です!  
心の容器である肉体も壊れやすく、心も常に傷つきやすい人間が 
今日まで。そして明日からも、自分が自分として生きるためには 
何が必要で何が必要ではないのか? 
大丈夫だよ。
ここまで読んでくれたじゃん。こんな俺の書いてることも。
だから、そういうことを一人でも多くの人が
自分自身のために、自分なりに見極められる日が来ることを願って
俺はこの先も、残酷なことを書きつづける。
命ある限り、寝る間もメシを食う間も、子供と遊ぶ時間を惜しんでもな。
ごめんね。
   
   
して、人間の男も女も、その肉体が正常であろうと 
どこかに何かの障害を抱えていようと 
肺の呼吸と内臓を支える筋肉。血液の循環てのは
生きている限り、とっても重要なことだ。
足腰のどこであろうとも、刃物を振るう腕の筋肉も
怒る形相を醸し出す顔の筋肉も、それこそ内臓も
すべてにおいてが筋肉によって構成されている人間。
365日の間、生きて動いて生命活動をしてる肉体には
365ヶ所の関節があっても、直接的に骨と骨で組まれている場所は一つもない。
すべての骨、骨格、関節が筋肉によって覆われ、
筋肉によって結ばれ、筋肉によってつながれている。
決して、『ホネ骨ロック♪』のようなことはない。
しかも、その全身の筋肉にまんべんなく血液が循環することによって、
産まれる前から備えつけられていた手足が自由に動かせる。誰に遠慮することもなく。
そしてその上で、目が見えるし、耳も聞こえ、言葉を発することもできる。
だから、関節筋肉の中の、どんなに小さな細胞の中にある毛細血管へ流れる血液も
ほんとうは決して、一ヶ所たりとも滞っていたりしては
その肉体をコントロールする心は、健やかではいられなくなってしまう。
小指の先が小さく傷ついても、それが痛い人には絶対に痛い。
頭痛や生理痛がどんなに慢性的になったとしても 
ほんとうは「このままでいい」と思ってる人もいない。
生きることが、もうどうでもいいというなら、
どうしてその心は、自分の肉体の損傷や不具合を
「痛い」とか「辛い」と感じてしまうのか? 
治る方向へ向かうための痛みや熱や化膿なんだってばさ。
その回復のスピード、修復・修繕のコントロールも自分のココロ次第だ。
たとえ手足を失っても人間は生きてゆく。
肉体も心も自分の寿命が訪れるまでは、目に見える形として存在して生きている。
大切なのは、どこまで、自分自身が常日頃、
コロコロと変るココロでコントロールできるか? ココントコが、
「コ」という文字を8回、遣ってもココロが落ち着かないのは 
自分が肉体を持って生きていながら
自分とは別の意識に居座られている場合もある。
ときどきな。
最近では、この問題によっても 
様々な事故や事件、犯罪や災害に思えるような天災も繰り広げられてきた。
   
俺自身は、いつからか物心ついたときから 
「諦める」ということを簡単には受け入れられない人間だった。
すべての人がそうあればいいとは思わない。
でもね、
諦めることが必要なことも生きているうちにはあるかも知れないけど
自分自身という人間の身体と、それを動かす心。
その同時進行にある人間が、この世に生きて生かされるという成長には 
生涯、この肉体を遣ってと同時進行で生きて成長している魂に関して、
「諦める」とか、妥協や保留もありえない。俺にはな。
そういう馬鹿もいるので、
もしも、「あ~あ、もうダメだ…」という気持ちになっちまったときは
想い出してみてね。
保証はできないけど、なにか協力できることもあるかも知れない。
    
と、そういうつもりで
「本来の美脚を獲り戻そうぜ!」
の話をつづける。 まだやってたの?
   
美しい足で大地に立って生きる人間は
「なんでどうして、誰がそんなふうに創ったんだよ!」
と、激怒チックにセンチメートルな気分になっちまうこともあるんだけど 俺はな。
仕方ない。約束は約束。取り決めは取り決め。掟は掟。道理は道理だ。
んで、そういう直立二足歩行の人間は
気がめいったりして呼吸も浅く、肩を落として疲れた雰囲気で歩く以前に
膝を曲げることで猫背になってしまう。
猫背になると更に体型は崩れ、内臓も定位置(本来の正常な場所)ではなくなってくる。
それであっても、人間の股にある筋肉は常に
ピンと張りつめた状態でも、内臓を固定している。
それが、会陰の筋肉だ。
   
   ninnmyaku013   tokumyaku014
   
あそこの大切な筋肉は、産後であろうとなかろうと(男女共に) 
人間の内臓の位置を正常に固定するための特殊な硬い筋肉だ。
足のカカトよりも硬い。
それを最近までの産婦人科では、
その看板を降ろす理由が少子化であろうと、
一般家庭の旦那の単身フニンであろうと、
分娩台の上で平気で切って、切った場所を丁寧に縫い合わせるどころか、
ホッチキッスのようなもんで無造作にとめあわせる。簡単だよな。便利な世の中だ。
牛や馬を大切に診る獣医さんでもそんなことはしないよ。
人間じゃん。人間のお産と分娩。人間が妊娠した結果なんじゃん。 なにそれ。
産後はとくに、少なくとも一年間は、
次の生理周期(人間としての受胎態勢の準備)が整うまでは
無理な運動や過激な身動き、過酷な労働をしてはならないことになってる。
休む期間ではなく、次に生きるための準備の期間。
水を触ってもいけないほどだ。
それをまぁ、世の中の常識ってもんは
全国9年間もお勉強の努力で過ごすことを虐げてる義務教育現場に
何万人の保健婦を置いて、どんな性教育の指導をやってきたのか? 
腕だけでの血圧測定 やWHOの献血運動キャンペーンとか
AIDS防止のコンドームやペッサリーの使い方の知識は豊富でも
女性の生理の仕組みひとつ満足に説明できやしない。
(…給食の栄養学の権威の大先生、栄養士さんにしてもおなじだよ。)
人間が人間の子孫を繁栄するために備えられた子宮という特別な臓器。
そこにどんな生理不順があろうと、自分自身が生理のときに
オナカを鷲摑みにされる如くの激痛やめまい、頭痛があろうとも
自分の陰部に染み出るオリモノの色や臭いや痒みがどうあろうと 
「先生!」と呼ばれて振り向くときの髪の揺れる雰囲気の方が大事なのか? 
お子様の味方くんだから誰なんだよ、それは?)もヘア・マニキュアで気取ってる場合ではない。
栗毛カラーに近い茶色いオリモノは腎臓から下る【くだる】
腎臓と膀胱は表裏を成す陰陽の関係にある。
その親と子の密接な関わりにより膀胱の延長線上にある尿道筋肉を通して尿が出る。
子宮が前の方に下垂して尿道筋肉を圧迫してしまうと
膀胱に溜まった尿も、一度からだの外に出ようとした限りは元へは戻らない。
但し、尿道筋肉に吸収されて体内を回ることになる。
何が?って? 残尿が。
オシッコが出にくいとムクムってのは(簡単にいうと)そういうことで
そのために必要以上の水分が細胞内に蓄積されるから筋肉は冷える。
「冷え性」とか「水ぶくれ」の根本はそこにある。
しかも人間の尿には尿酸もあれば尿毒素ってのもある。
そのうち、尿毒素ってのが もしも目の中へ回って入ってしまうと
その人は失明するどこじゃない。24時間以内に必ず死んでしまう。
おっかないねぇ、神様の創った人間というものは…。
朝、目が醒めて鏡を覗いたときに浮腫んで腫れぼったくなってるマブタ。
その原因も尿。オシッコ。小便だ。蚊に刺されたわけじゃない。
それは、腰にある腎臓機能と膀胱の連係プレーの問題。
体型を崩した結果にバランスが悪いの。
たとえば、「バセドー(博士)病」ってのも、膠原病も、糖尿病も、
その関連で、腎臓と膀胱にまつわる筋肉の異常だ。
ホルモンのバランスがどーとか、胃の神経がどーとか、
膵臓【すいぞう】とインシュリンの関係がどーのこーのと
最近の医学では非情に遠回りな人体実験みてえなことやってるけど
人間を頭の天辺から足の爪先まで、トータルに診れる医者がいて…もしもな。)
その、心身ともに人間を解る人が何かを研究しようと言うなら 
西ドイツでもフランスでも、どんどん仲間を増やして突き進めて行ってくれ! 
待てないよ、誰も、もう。救急車が交差点で一時停止することでさえ許せないほどだ。
  
とにかく、正常な便通がなくなったのは、いつカラダ? 
小便が出にくい状態になっちまったのは、いつ身体? 
想い出せ! あきらめんな! 自分の身体は自分の心が、よく知ってるはずだ! 
それをおごそかにして、小便を逆流させるようなことは、もう…よそうね。
でも残念。それだけでは済まされない。
徐々に徐々に体内を巡った、その人の身体に必要以上の水分。つまり尿。
臭いオシッコは、やがて体内を循環する血液中の中から、
生きるためには必要以上なので外へ出る。毛穴から、皮膚の上へ。
「汗が臭い」「脇の下が気になるのでデオドラントしなきゃ」ということで
自分の体臭を色々に気にかける人もいるかも知れないけど 
医学にも教育にも人間の創られ方の基本が常識的な知識にないために
その類いの経済産業も、儲かりまんなぁ! 
オシッコが尿道筋肉を通して大量に逆流してるような現代人は
汚れた物を体外へ正常に排泄できないどこじゃない。
あのねぇ、女の人、女性、女の子ばっかしじゃないの。こういうことは。
男の場合にしても、前立腺肥大とか、もう朝立ちもないないようなフニャチンの場合は
人間は、女の人よりも男性の方が尿道筋肉が長いので
ダラダラとしか出なかったオシッコも、水道の蛇口を閉め忘れたとかの問題ではない。
残尿ってのは確実に、尿道筋肉をふやけさせて
そこの細胞にも不純物を溜めるどころか、それ以前から尿が既に
体内を巡りに巡ってる人も多い。…多いなんてもんじゃない。
19世紀よりも20世紀は、20世紀よりも21世紀は、大衆の体臭はキツイぜ! 
電車へ乗っても、レストランの後ろの席でもな。
さぁ、困った! オシッコを正直に出すためには、どうすりゃぁいいんだ? 
それよりもブランドの香水やコロンで臭いをゴマカスのが優先か? 
べつにそれでもいいさ。もう食べ物に含まれるゴミの成分も
時代を追うごとに随分と長い間、人間の体内に蓄積されちまった。
血管内の目詰まりも今に始ったことじゃない。
お母さんもお父さんも、お爺さんもお婆さんも
曾爺さんや曾祖母さんと違って、おいしい学校給食も喰って育ってきた。
教育、晩罪っ! 宗教、混淋ざ~い! 
“育つ場所”は、この世に出てくる前母体の中)も出てきたあと今生の現実社会)
今まで通りではない。
これを立て直す期限は、もうとっくの昔に過ぎてる。
1985年(昭和60年)まで。有効期限切れだ。何を頑張っても、もう遅い。
肉体は心の容器。人々が営む自然界は人間の容れ物だ。
だいぶ壊れてきたよな。今はもう。
人々の精神と肉体のアンバランスは社会の歪みに比例、反映される。
教育の弊害による兇悪犯罪と人災のような天災が繰り広げられる中で
我々人間ひとりひとりは、今後いったい、どう生きてゆくべきなのか? 
整然とした魂の階級を失った人類の魂の無駄遣い。
…すまん。いつものこの書き方だと、みんなには話が通じないね。ごめんね。
俺の独りよがりも、もうやめよう。
長くてもいいだろ。丁寧に書くよ。あまり親切じゃないけどな。
でもここからは、ハンカチかテヌグイ、用意してね。
ネット上からは、その頬に伝わりおちる涙は拭いてあげられないの。ごめんね。
   
アホなこと云ってねぇーで、
どうすりゃいいかって? 
そのために俺は書いてる。
人間の創られ方の道理を書き残してる。
表現の仕方は俺の自由だ。おおめにみてくれ。
でもその根底にあるのは、妄想でも価値観の相違でもない。
酒についても、音楽についても、
まだこの地球上に生息可能な人類について、人間がこの世に生きて生かされ 
自然界に実在できている事実についてを書いている。
そのうちの、どこからでもいいよ。自分の知識と照らし合わせてみても構わない。
どっかの宗教思想や、これまでのどんな学問知識の常識にもなかった
自分の心にビビッとくるとこだけを摑み獲って 
どこかでいつか、自分自身の生活にも役立ててみてみてみてね。
約束する。俺は誰かの心が一瞬でもラクになるのなら 
その一人だけの一瞬のために伝えつづけるよ。
この世に自分の命をつなぎとめておくための一瞬だ。
それはアッシュさんや哲也さん、ストーンズやキース・リチャーズ、その他、
大勢のアーティストからも教わった。
生きてることに損はない! 
俺の文章を読むことに損はある? 時間の無駄か? 
まぁいい。
俺は突っ走るまでだ。サーバーがパンクして消えない限り。削除されない限りはな。
頼むぜ、アメーバさん! べつに酒は飲んでない。心配すんな。) (してねぇーよ!誰も。)
   
   
さて、腎臓機能が半ばぶっ壊れても、人間はスグに死んだりすることはない。
幸い、腰にある腎臓 (神様ぁ! なんで人間の腰に腎臓を背負わせたんだぁ~っ!)
は通常の人間には二つある。
先天的に異常がある以外は、それが腰に位置して
腰の筋肉ってのは、人間の腎臓機能を常に守ってる。
「腰は腎の要壁なり」ってことだ。
んで、この腎臓と膀胱の関係ってのはやっかいなもんで
両足の小指から外クルブシ、アキレス腱、ふくらはぎ、膝の裏、太腿の裏
尻と脚の境にある線の中央、腰、背中、肩、首、後頭部から頭上を辿り、
両目のマブタの筋肉。
これがすべて、人間の膀胱と、その延長線上にある尿道筋肉に関わっている。
たとえばそれを、今の日本の文部科学省などが奨励してる鍼灸学校で教えてることとは別に
古来からの正しい鍼灸学上では…
   
   konron7  7taiyoue 
   人体経絡図 07.足の太陽膀胱経(一部省略図正式図
   
この画像にあるように、人体には経絡【けいりゃく】ってもんがある。
緑色のヴィヴィッド・ラインで示してるところが、さっき云った、
両足の小指から外クルブシ、アキレス腱、ふくらはぎ、膝の裏、太腿の裏
尻と脚の境にある線の中央、腰、背中、肩、首、後頭部から頭上を辿り、
両目のマブタの筋肉に実在する血液と気の循環経路を表してる。
これがまずもってして、人間の腰にある腎臓と膀胱の密接な関わりに
大きく左右する流れになってしまってる。
しかも、この太陽膀胱経【たいようぼうこうけい】ってのは、
人間の臓器。
心臓・肺臓・肝臓・腎臓・脾臓という五臓のほか、心臓を包む幕も、
大腸・小腸・膀胱・胆嚢・胃という五つの腑【ふ】と、
三焦【さんしょう】と呼ばれる経絡との関連。
そして、いずれまたどこかで 丁寧に説明するけど
八寥【はちりょう】という、腰にある左右八つの、
人間の下半身と上半身の気の上昇を調節する大切な経穴【ツボ】
すべて、この経絡線上に並んでいる。
   
母親の胎内から産み落とされ、やがて物心ついた頃には
二足歩行で立って歩いて物事を考え、行動し、食べたり排泄できたり 
翌日に目覚めることは誰との約束を交わしているわけでもないのに
平気で眠ったり起きたりできるという正常な人間が、男女を問わず 
もしも、呼吸が浅いとか、もう大人なのに下腹部が幼児体型のように
ポコっと膨れて出ているとか、
足腰が痛い、だるい、重い。ふくらはぎが攣れる。膝の裏が痛い。
太腿の裏や背筋が張る、背中の肩甲骨の辺りが痛い。
肩が凝って気持ちが悪い。首が痛い、重い、辛い。
後頭部も痛い、重い、目も疲れやすい…などと
もうそんなことは、どこの新聞の広告欄や
わざわざ健康雑誌を覗いてみるまでもなく 
現代人には特有の症状や日常の支障であって 
   
   naizoukasui&yohoro
   
こんな体型。俺の手書きで極端だけど。
判りやすいところでは、病院の待合室には、
こういう格好で歩いて、足を引きずって辛そうな人が大勢いる。
…デズ●ーランドに集まってる人も俺には同じように見えるけどな。)
これでは、最初の図(足の太陽膀胱経)に示した陽の線が
すべて、ひん曲がった状態になっちまう。
こんなヨホロ を曲げた格好では
お医者様に、どんな病名をくっつけられても文句は言えないほどだ。
その医者にさえ、年齢を問わず、こんな体型で頼りなさそうな人もいる。
何かの開業医の大先生や博士さんばかりでなく 
「よぉ~し、オレはコレで客(患者)を捌いてメシを喰ってくぞ!」
と意気込んで何かの資格を取った治療士さんのほとんども 
それが文部科学省の奨励であろうと
厚生労働省の許認可であろうと
自分の健康の不具合や支障…
心身のバランス…肉体を動かす心に余裕がない限りは
患者を診て触るような資格も何もあったもんじゃない。
   
よしっと、
今日はね、この先も、まだだいぶ長いよ。
ここまでを読み返すかどうかも自由だけど
ちょっと休憩しようね。
俺も珈琲、飲んでくる。
   
   
   つづいちゃうんですねぇ。
   すんまへん。 
   
            ☞ 甘い物が好きな人の理由。など。
               http://ameblo.jp/badlife/entry-10022540799.html