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汽車は相変わらず茫漠たる雪原を走る。
クラスノヤルスクを出て、雪が深くなった。間もなく、4000kmのキロポストが出てくる。



寝台列車では、止まっているときより走っているときのほうが寝やすい。走っていると眠り、止まると起きる。
人が電車でよく眠るのと同じだろう。きっと一定のリズムが良いのかもしれぬ。クラシックコンサートでよく眠れるのも、一定の拍子の楽曲が長く続くからかもしれぬ。
汽車から降りたら、ホテルで眠れないだろうか?

昨晩、私は夢を見た。
古い、6年来会っていない人たちが出てきた。
まず、当時のシチュエーションが再現され、私は背徳のある別れ方をしたので、それがフューチャーされたようなストーリーだった。

汽車が止まり、目が覚めた。

第二部は、彼らが今の私の仕事場で一緒に働く夢になった。

結婚した報告を聞いたりして、こっちの夢はなかなか楽しそうだった。

彼らはいま何をしているのだろうか、私は思った。



人が見た夢の話など、聞かされても迷惑なのだが…


…………

と、書いて送ろうとしたら、電波が悪くなりMail出来なくなってしまった。3日前のことである(笑)

すでに汽車はモスクワまで100キロを割った。

この3日、見る夢はタモリの夢、会社の夢。すべてリアルだった(笑)
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昨夜、モンゴルからロシアに入国し、すでに12月4日が暮れようとしている。

私が乗っている第三列車はイルクーツクを発車、西へ走っている。
列車の時速は60kmを前後しながら、ただ坦々と走る。
ターミナルに着く前にはスピードを落とす。駅に着けば、車掌がデッキの扉を開けて、ホームへ降りる。

時刻表ではイルクーツクには25分停車するから、買い物に行っても大丈夫だと踏んでいた。

ところが初日からなのだが、到着して10分くらいすると車掌がデッキを閉めてしまう。
閉められては入れない。しかも他の客もみんな車内へ入っていくではないか。

乗降という駅に必須な用は持ち合わせないが、私は買い物したり両替をしなければならないのだ。それも大事な駅の役割だと思うのだけれど。

冬のシベリアだ。
今朝のウラン・ウデは-15℃、夕方のイルクーツクは-6℃だった。
デッキにいると扉を閉めていても寒いから、早くドア扱いを止めたいのは分かる。
しかし…これを中国語で説明して交渉する力量は私にはない。
今度は無い。

冬のシベリア鉄道はなかなかハードな様相だ。

汽車は昼間にバイカル湖畔を走っていた。

Mailはできるから、私の元に“メールが来ている”連絡は入る。それを問い合わせれば確認ができる。

ペリフェリーな地域では、やはり電波を捕まえられない。
でもMailがあることは分かるから、いったい何の連絡なんだろうと気を揉む。

暇だから妄想は膨らむ。いやな想像を繰り広げて、昼寝しようと思ったが出来ず、昼からボトルを開けることになった。

モスクワまでまだ5000kmを残す。
あと3晩。
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モンゴルをウランバートルから北上である。

そろそろ記憶が曖昧に、時間の経ち方が波をうってきた。
昨日の事が大変遠くに思える。一昨日の北京着など一週間前のようだ。

このままでは帰国したときには老けてしまうであろう。

今日も既に3時を過ぎた(しかし、現在モンゴル平原。携帯は圏外である。したがって、Mailを送れるのはいつのことか)

モンゴルウランバートルまでは、モンゴル人のビジネスマンと一緒だった。
彼は非常にフランクで数ヵ国語を操る才人だった。酒の付き合いも長けているようで、盛り上げる力を持っていた。恐らく出世頭ではなかろうか?そこまでは聞けなかったが…

隣の部屋にはシンガポール人の青年とドイツ人の女性がいた。

4人で飯を食って、夜は話をした。モンゴルの健康申告書はモンゴル語で書いてあり、私は見せてもらって書いた。

既にウランバートルで、モンゴル人のビジネスマンとドイツ人の女性は下車し、私はシンガポール人の青年と同室となり今に至る。
昨日、中国国境の二連駅からモンゴル人が大挙して乗ってきた。国境で免税の品を買う生活だろうか?
当然彼らはモスクワまで行くわけなく、私のワゴンは2人のみになるらしい。

例え一日でも、ともに過ごした人間同士別れるのは寂しかった。
国内旅行で友人と別コースを辿るために別れるのが寂しい。それと同じだった。

友人でもないし、連絡先も交換していない。
これで良かったのかと思うが、私の語学のつたなさは、コミュニケーションに限界があった。いや、それくらいは喋れるが、私はそうしなかった。

4人で撮った一枚の写真が、私の手元に残った。