<序>より続く


食堂車のことを中国では“餐車”、モンゴル・ロシアでは“レストラン・カー”と言っている。




裏道・横道の王道

(中国の餐車 @大同)

裏道・横道の王道
(モンゴルのRESTAURANT CAR @ウランバートル)


裏道・横道の王道
(ロシアのPECTOPAH @スヴェルドロフスク)




中国区間では、弁当が出た。

乗車して個室に入り、しばらくすると車掌が二枚のザラ紙を持ってくる。この紙が、弁当の引換券である。

一枚は昼食、もう一枚が夕食だ。




今回は、食堂車で食べる形だったが、これは客が少ないための措置だそうで、もっと乗客がいるとパックの弁当が配給される形になるのだと、ウランバートルまで同室だったモンゴル人ビジネスマンが教えてくれた。

食堂車は特にどうと言うことはなく、食堂だった。

食堂だから、飲み物はどうするか聞かれる。ビールを頼むとハイネケンが出てきた。しかし冷えていなかった。


裏道・横道の王道



昼食のメニューは、なるほど、食事のほうはこれなら折り詰めにしても大丈夫かも知れぬと思わせる、肉団子と野菜の炒め物、そしてご飯だった。私は嫌いな味ではなかったが、肉団子は大きく、そして少し硬かった。

同室のモンゴル人、隣室のシンガポール人と食べた。他のテーブルには白人が二組くらいいて、奥には乗務員たちが溜まっていた。むしろ乗務員のほうが多かったと言える。



裏道・横道の王道



夕食は途中、大同からシンガポール人の部屋に入ったドイツ人の女性旅行者と4人で食べた。彼女は初めて、一回きりの中国国内での食堂車だが、私たちはもう一度昼食と同じメニュー、同じように硬い肉団子でご飯を食べた。

私も同じようにビールを頼み、早く食べ終わってしまったので、もう一本頼んだ。

ハイネケンは1本、50元だった。


裏道・横道の王道



中国北部は平原で、食堂車へ入ったときは山並みが見えていたが、帰るときには青く澄んだ月のみが明るかった。



4人で賑やかな時間を過ごし、まだ話し足りなかったが、給仕のおばさんがテーブルクロスを片付け始めちゃうし、花を持っていってしまうしで、営業終了を態度で示したので退散し、部屋に戻って私が持っていったジャパニーズウィスキーで二次会を行った。






モンゴルの食堂車は、いかめしい。国が変わると、食堂車を付け替えるという話は聞いていたが、こんなに大きく雰囲気が変わるとは思ってもみなかった。

鹿のレリーフが飾られ、座席のモケットはまるで馬にかける衣のようである。



裏道・横道の王道



私はシュニッツェルとビールを頼み、同室の青年もビールと定食のようなものを頼んだ。二人で90中国元だった。けれども、私たちのほかに客は居らず、子供が駆け回っていた。



裏道・横道の王道

シュニッツェル、以前にドイツで食べたような気がして頼んでみた。出てきてみたらタマゴ焼きだった。中にひき肉が入っていた。味付けは塩味で私にとっては好みだった。しかし、私の記憶ではカツレツのようなものだったような気がするのだが、きっと勘違いであろう。



裏道・横道の王道




宮脇さんの文章には写真が無いから、当時のシベリア鉄道の食堂車の様子はよく分からない。

けれども、メニューのほとんどはニエット(無いよ)だったらしい。

私が今回乗った3列車は、ロシア区間を3泊4日で走る。昼食は同室の御仁と乾麺を温めることとしていたので、夕食のみ出かけていった。

10両の車内を抜けると、食堂車である。



裏道・横道の王道

食堂車は3日間、私のほかには客は居らず、ウェイターの白人女性と、厨房らしいやっぱり白人の女性が卓についていた。

最後の晩餐にはウェイターの女性は居らず、厨房担当のおばさんのみだったが、若い男性が卓についており、なんだお客さんが来るのかと思ったら、その息子だった。


車内は、さすがヨーロッパと本格的に接続している国家であり、世界を動かすことの出来る国家である。

ロシア正教の美術、エカチェリーナ宮殿を擁する国家の食堂車だ。



裏道・横道の王道




初日はビーフストロガノフ(250ルーブル)とビール(110ルーブル)。


裏道・横道の王道



二日目はサーモンのムニエルとサラダとビール。


裏道・横道の王道


裏道・横道の王道


三日目は食欲が無かったので、ボルシチを頼んだ。


裏道・横道の王道



車両の半分くらいが食卓になっていて、カウンターもある。カウンターでは、スナック菓子や飲み物を扱っていて、ビールを頼むとこの冷蔵庫から運ばれてくる。

ビールは数種類のボトルがあって、どれが良いのかと聞かれる。




裏道・横道の王道

(食堂車の厨房担当のおばさんとその息子)


その奥がキッチンになっているようで、皿はここから出てきた。他に客がいないからであろうか、待つほども無く食事は出てくる。


裏道・横道の王道



食事の前には、ライ麦パンも出てくる。ボソボソしているが、この酸味は確かにこれだけで食べられる味だ。

ソ連時代にシベリア鉄道を旅し、実体のないメニューを嘆きながら、いくらでも出てくるこのライ麦パンを誉めていたが、その気持ちが分かった。



今回の旅行では、モスクワに着くまで両替が出来なかったので、ロシアルーブルを手にすることが出来なかった。一度、ウランウデのATMで1000ルーブルをキャッシングをしただけで、小銭がまったくない。

ロシアの第一夜、食堂車で支払いをしようと思ったら、小銭の用意がなかったようで、隣の車両まで行ってどこからか小銭を用意してきてくれた。


<結>へ続く

あけまして、おめでとうございます。

先月の1日、北京へ出発し、一月が経ちました。



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北京発モスクワ行き3列車の旅、特筆すべきは国境ごとに行われる食堂車の付け替えであろう。

中国国内では中国車両の食堂車、モンゴル国内ではモンゴル、そして最後はロシアの食堂車になる。



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日本の現状では寝台列車に乗る以上に、食堂車で食事をするという経験は、稀少なものになってしまった。




客の回転の悪さ、水場を持つ、火を扱うなどの機能面でのメンテナンスの煩わしさ、コック・給仕などを別に雇わなければならない人件費の問題…理想で存続させることの出来ない現実であろうことは分かる。




しかし、汽車に乗っていて食事をいただき、酒を嗜むことを欠かせては、楽しみが半減する。

汽車に乗る前に飲んでいても、汽車に乗ったらまた飲もうと思ってしまう。

店で飲むのと、列車の中で飲むのとでは同じ酒でも違う味がする。




もちろん駅弁を買って、座席で食べるのも悪くはない。

悪くはないし、ビールを買って乗り込めば、飲み屋より幾分安い。

最近は駅弁を扱う駅も、日本では減ってきて、窓も開かない列車も増えて、駅弁を食べながらの鉄道旅行も贅沢になった。



そもそも、駅弁も価格と質や量を比べれば贅沢な代物である。



その究極の贅沢が、食堂車なのかもしれない。


私は日本の食堂車は、“北斗星”で乗ったことしかない。それでも、普通の客車との雰囲気の違い、「食堂」ではなく「レストラン」を目指している空気が漂っていたのは覚えている。列車内なのだから、食べられるだけで充分なのではなく、ファーストフードやうどん蕎麦屋のそれではない。

テーブルクロスや花、カーテン、照明にこだわりがあった。和風旅館の上げ膳据え膳ではなく、洋式ホテルのレストランを目指しているのだと思った。


幸い今でも、“北斗星”には乗ることが出来る。


その“北斗星”にあった洋式ホテルの空気は、この小さな国が開花期を迎え、憧憬としていた欧州諸国の空気を列車に取り入れたものなのかもしれない。


駅弁が和食主体のお弁当なのに、食堂車はあくまでもレストランなのは対照的ではなかろうか。



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食堂車のことになると、阿房列車の内田百閒先生はまことにやかましい。


食堂車で4時間以上居座って、花を咲かせてしまう。
隣の客と盛り上がってしまう。
給仕に理屈を述べて、メヌウ(メニュー)と交渉を始める。

確か、百閒先生の文章だったと記憶しているのだが、原典が見当たらない。けれども、こんなセンテンスがあったと思う。

  なぜ食堂車がおいしいか?

  お皿やお酒が時速80キロで飛び交ってゆくような食堂は汽車の食堂車以外には存在しない…




宮脇俊三先生も書いている。

白鳥に乗ったときは、2度食堂車へ行き、食堂車のウェイトレスを誉めている。

食堂車が連結されている列車に乗った際には、ほとんど出かけている。

子供の頃、初めて乗った岡山行き夜行列車に乗る際には、食堂車が連結されているにもかかわらず、お弁当で海苔巻きを作ってきたお母さんのことを記している。


そして、シベリア鉄道に乗ったときも毎日毎日食堂車に行った。


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食堂車のことを中国では“餐車”、モンゴル・ロシアでは“レストラン・カー”と言っている。


<実>へ続く














モスクワに着いて、シベリア鉄道で同室になったシンガポール人の青年と別れた。

地下鉄で最後の挨拶をして、ホテルに入った。そのとたん、急激な孤独をあじあわざるを得なかった。

私はこれまで恵まれていたと思った。人と旅をするということはなんと有難いことなのであろう -

言葉の通じぬ北の国、頼れる人はいない。
それを求めたのか?
いや、汽車に乗りたい。どこまでも乗りたい。その夢の果てにあったのは、孤独のもたらす現実であった。
まずは風呂に入れなかったので、シャワーを浴びた。
カランからシャワーにする方法がわからなかった。
誰にも尋ねようがない。その時、孤独がピークになった。
笑える。ハハハ。


疲れて、ベッドに倒れたかったが、モスクワの夜は唯一日である。

私は街に出た。

今日は月曜。
モスクワの劇場は月曜が休館日らしい。
しかし、ツーリストセンターはやっている劇場を教えてくれた。

雪の街を彷徨い、いい加減歩いて、漸くチアートル(劇場)を見つけた。

バレエを初めて見た。

時差が6時間もあって、日本なら既に日付が変わっている頃でしょうに、不思議と眠らなかった。

私が不思議…

私はいま、夕食の卓にいる。