あけまして、おめでとうございます。

先月の1日、北京へ出発し、一月が経ちました。



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北京発モスクワ行き3列車の旅、特筆すべきは国境ごとに行われる食堂車の付け替えであろう。

中国国内では中国車両の食堂車、モンゴル国内ではモンゴル、そして最後はロシアの食堂車になる。



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日本の現状では寝台列車に乗る以上に、食堂車で食事をするという経験は、稀少なものになってしまった。




客の回転の悪さ、水場を持つ、火を扱うなどの機能面でのメンテナンスの煩わしさ、コック・給仕などを別に雇わなければならない人件費の問題…理想で存続させることの出来ない現実であろうことは分かる。




しかし、汽車に乗っていて食事をいただき、酒を嗜むことを欠かせては、楽しみが半減する。

汽車に乗る前に飲んでいても、汽車に乗ったらまた飲もうと思ってしまう。

店で飲むのと、列車の中で飲むのとでは同じ酒でも違う味がする。




もちろん駅弁を買って、座席で食べるのも悪くはない。

悪くはないし、ビールを買って乗り込めば、飲み屋より幾分安い。

最近は駅弁を扱う駅も、日本では減ってきて、窓も開かない列車も増えて、駅弁を食べながらの鉄道旅行も贅沢になった。



そもそも、駅弁も価格と質や量を比べれば贅沢な代物である。



その究極の贅沢が、食堂車なのかもしれない。


私は日本の食堂車は、“北斗星”で乗ったことしかない。それでも、普通の客車との雰囲気の違い、「食堂」ではなく「レストラン」を目指している空気が漂っていたのは覚えている。列車内なのだから、食べられるだけで充分なのではなく、ファーストフードやうどん蕎麦屋のそれではない。

テーブルクロスや花、カーテン、照明にこだわりがあった。和風旅館の上げ膳据え膳ではなく、洋式ホテルのレストランを目指しているのだと思った。


幸い今でも、“北斗星”には乗ることが出来る。


その“北斗星”にあった洋式ホテルの空気は、この小さな国が開花期を迎え、憧憬としていた欧州諸国の空気を列車に取り入れたものなのかもしれない。


駅弁が和食主体のお弁当なのに、食堂車はあくまでもレストランなのは対照的ではなかろうか。



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食堂車のことになると、阿房列車の内田百閒先生はまことにやかましい。


食堂車で4時間以上居座って、花を咲かせてしまう。
隣の客と盛り上がってしまう。
給仕に理屈を述べて、メヌウ(メニュー)と交渉を始める。

確か、百閒先生の文章だったと記憶しているのだが、原典が見当たらない。けれども、こんなセンテンスがあったと思う。

  なぜ食堂車がおいしいか?

  お皿やお酒が時速80キロで飛び交ってゆくような食堂は汽車の食堂車以外には存在しない…




宮脇俊三先生も書いている。

白鳥に乗ったときは、2度食堂車へ行き、食堂車のウェイトレスを誉めている。

食堂車が連結されている列車に乗った際には、ほとんど出かけている。

子供の頃、初めて乗った岡山行き夜行列車に乗る際には、食堂車が連結されているにもかかわらず、お弁当で海苔巻きを作ってきたお母さんのことを記している。


そして、シベリア鉄道に乗ったときも毎日毎日食堂車に行った。


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食堂車のことを中国では“餐車”、モンゴル・ロシアでは“レストラン・カー”と言っている。


<実>へ続く