〈前回「骨材」からの続き〉

鳥取に着いた私は、そそくさとビジネスホテルに荷を解き、町に出た。


とりあえず腹にたまるものを食べようと思う。かといって、ラーメンとか牛丼で満腹になりたくはない。帰ってから、話が出来るような店で食べたい。

駅の北口から県庁まで、目抜き通りが延びている。私はそこを歩いた。時間は7時。東京近郊の街ならこれから人が溢れてくる時間である。

鳥取は少ない、人がいない。みんな帰ってから食事をするのか、健全である。

しかし私は困る。何か食べたい。ラーメンでごまかしたくない。

裏道・横道の王道


ウロウロしているうちにイタリアンがあった。ホテルに置いてあるフリーペーパーにもある店であり、空席、就中カウンターがあったので、入ってみる。

新しくできたばかりの店で、若いシェフとバイトかもしれないくらいのウエイトレスが二人で働いていた。一人の私はカウンターに座り、ビールを頼んだ。

ポテトフライ批評家の肩書きを持つ私はまずそれを頼み、地の魚を使ったカルパッチョを注文、ビールからワイン、グラッパを頼み、大酔いした。

裏道・横道の王道


ポテトフライはチーズ仕立てであった、うまい。私の出会ったポテトフライの内、3本の指にはいるのはここにあった。
せっかくなので、写真を撮らせて下さいと頼んだら、どちらからと話になった。東京からと答えたが、ちゃんと雑誌その他の取材ではない旨は伝えた。ウエイトレスははみかんでいた様に思うが、私も酩酊が始まっていたので、わからない。

ただし、最後のコーヒーを飲んでいるとき、件のウエイトレスへシェフが「東京とかから来る人が写真を撮ることめ珍しくはなくなるから…云々」と話をしていた。
肝心なところを聞かなかったが、なんとなく胸が締め付けられて、私は店を出た。

もう一件行きたい。洋酒をカウンターで飲ませる店に行きたい。

駅とは遠ざかる方向へ私は進み、市役所前の辺りまで行ったが、どんどん暗くなるので引き返した。進むときは良かったが、帰りを長く感じたのには弱った。

アーケードを曲がり、見当をつけていたバーへ向かう。しかしその店にはちゃんとお客さんが入っていて、しかもカウンターだけが混んでいた。良いバーテンダーが居るのだろう。残念ながら余所者の私は扉を開けられなかった。

困ったが、諦めきれず裏道をウロウロし、目抜き通りの角にバーの看板を見つけた。幸いやっているようだ。店の雰囲気はわからぬが、わざわざ客の入りにくい階上に開いているのだから、幸か不幸かどちらかしかないだろう。
階段を上がり、ガラス張りの戸を開けたら若いカップルたちが川の見える席で呑んでいた。
私はカウンターに座り、グレンフィディックをハイボールで頼んだ。
ウェイターもバーテンダーも若い。30代前後だろうか。

見知らぬ人間が飛び込んできたので、鳥取の人かということから話が弾んだ。
バーテンダーの方は昼はアパレルで働き、夜はシェイカーを振っているという。話を聞けば、東京に出ていたが、東京は人の住むところではないと感じたそうで、故郷鳥取に戻り、がんばっているという。
故郷の無い私には、うらやましい話であった。

ウェイターの彼とも話をしたが、何を話したかをよく覚えていない。
ただ、つまみで頼んだサラミがトーストまで付いてこの値段ですか、と驚いたら、そんなものじゃないですよ、と言われたような気がする。安く飲み、食べた。


裏道・横道の王道

やがて常連と思しき女の子が来て、なぜか私も相づちを打ちながら聞いていた。

2件行ったがともに若い店で、酩酊しつつも幸せにホテルへ帰った。

裏道・横道の王道


明日は二日酔い必至だが、若桜鉄道への列車が9時過ぎだからゆっくりだ。

<前回「回復」の続き>


加悦、小さいながらいい町である。


二車線の表通りには織物の工場があって、往時を伝える。

加悦は室町時代以前より絹織物を盛んにし、江戸時代に京都西陣から縮緬の技術を得て、「丹後ちりめん」の産地となったという(「ちりめん街道」リーフレットより)。最盛期には各種商店や旅館・料理屋がそろい、大変華やかだったという。

裏道に入れば、庇を突き出した家々が並んでいる。国の指定する古い町並みの保存地区にも指定されているから、休日になれば混みあうのかもしれないが、十月の終わり、しかも平日に自転車をこぎながら街を巡っているものはいない。


裏道・横道の王道


観光バスの来ないときに、メインルートから外れた小さな街に立ち寄れば、まだまだ忘れられたような景色がある。

先ほどのぞいていた晴れ間も今は隠れてしまって、薄墨色の空に前時代の家々がかえって映えた。


裏道・横道の王道


加悦を訪れる前、北近畿タンゴ鉄道の乗り継ぎの関係で、宮津に降りたが、「縞の財布が空になる」と謳われたほどの活気があった時代があった。

飲食関係の店舗が裏通りに並ぶ佇まいなどは、港を擁し、人々の入れ替わりが盛んであった場所の面影を今に伝えるものであった。


裏道・横道の王道

私の頭には、気候の陰陽の対置はそのまま景気に反映されているという印象が今回の旅をするまではあったのだが、街を歩き建物を見ていると、これは多分に政治的な予算の傾斜配分、重化学工業を重んじた政策に由来しているもののように感じた。


裏道・横道の王道


軽工業、手工業が小さな単位の地域内で完結し、そこに対して十分な対価を支払っていた時代には、日本海側も十分に繁栄していたのである。おそらく、今、その過去とポジティブに向かうべきタイミングをむかえたのではないかと思った。


あまり加悦をうろついていたのでは、13:30野田川発特急列車に間に合わない。立ち寄ればお話を聞かせてもらえると、看板を出した織物工場があって、後ろ髪を引かれながら加悦を去る。

一度離れた加悦鉄道のサイクリングロードへ戻り、自転車をこぐ。


野田川駅には13:20に到着し、無事自転車を返却した。待合室には既におばさんがいて、次の汽車を待っている。お客さんは私を除けば一人だけのようである。

駅前に酒を商っている商店があったので、ビールを買い、やってきたタンゴエクスプローラー1号に乗る。


この列車は新大阪から福知山線を通り、福知山から北近畿タンゴ鉄道の宮福線、宮津から宮津線へ入って豊岡を目指す。そのため、福知山から山陰本線へ入って豊岡を目指す特急北近畿よりも30分ほど余計にかかる。しかも、宮津駅がスイッチバックをしなければ福知山から豊岡へ向かえないので、野田川進入時には客席は後ろを向いている。実際、みんな後ろを向いていて、私もそれに倣った。



裏道・横道の王道


ビールを開けると、いっぺんに酔いがまわり、気がついたら街が大きくなっていて豊岡に着くアナウンスが流れていた。


豊岡からは鈍行列車で二駅進み、城崎温泉でまた乗り換える。

城崎温泉駅ではディーゼルカーの写真を撮ったりしていて、ホームをうろついていた。すると、おばさんに「この汽車は香住を通るか」と聞かれる。もちろん通ることを知っているが、万が一のことがある。

私は地元の人間ではないから、予想外の車両運用をされたりして、途中駅切り離しなどがあるかもしれない。だからあいまいな返事をしておいた。おばさんは「アラ、車掌さんかと思ったのよ」と笑った。


豊岡、城崎温泉では天気が回復したのだが、餘部へ近づくにつれ、また日が翳り、雨も降ってきた。時に、海上へ陽がさすのが見えるが雨はやまない。やまないが、虹が見えた。虹を見るのは久しぶりだった。


裏道・横道の王道


虹もいいのだが、餘部では降ってほしくない。前にも書いたように、今回は余部鉄橋の写真を撮りたいと思ってやってきた。しかし、全天候型のスタンバイをするほどの気合はないし、アマチュアカメラマンである。けれども、重たい思いをして一眼レフカメラを持ってきたのは、余部鉄橋を撮りたいからであった。


余部鉄橋の美しさは、高く聳えつつ組まれた鉄骨、そこに躍り出てくる小さな列車にあると私は思う。したがって、被写体はカメラから必然的に遠くなる。しかも、建替えの工事が始まる前にあった至近距離で橋を渡る列車を押さえられる展望台は今年無くなってしまった。結果、下から仰ぎ見て写さなければならない。レンズを上に向ければ、レンズに雨粒が落ちる。左手で焦点を合わせて、右手でシャッターを切るから、手はもう無い。

雨の降らないことがなによりも希望であった。


この辺りは、海岸線が入り組んでいて、入り江ごとに小さな集落がある。餘部もそのひとつである。地形が入り組んでいるから、トンネルが多い。いくつものトンネルをくぐる。餘部の前の駅鎧を出てからも、それが続いた。幾つ目だろうか、目の前が明るくなり、直下に集落が見えた。餘部鉄橋であった。観光列車ではないから、あっという間に渡り終え、餘部駅に着いた。



裏道・横道の王道


降りるのは私一人であろうと思っていたが、数組の客が降りた。しかし、地元の人と思しきはおじさん一人だけで、さっさと麓への坂道を降りていった。私以外には、家族連れ、女同士の二人旅。彼ら彼女らも写真を撮っていたから、観光であろう。時代は変わった。

雨は幸い、やんでいた。


現在の時間は15:40を回ったところである。16:17に餘部を出発する豊岡行きディーゼルカーを撮りたい。小さな集落だが、歩いて撮影場所を探したいので、時間に余裕はなく、雨で濡れた坂道を降りた。気が急くので革靴の私は滑る。なかなか厄介な道で、毎日ここを利用する地域の方はなかなか大変である。



裏道・横道の王道


餘部の入り江と、その後背地にわずかな平地を作った川が橋の真下を流れている。と書くと、橋は川に架かるのが当然であるように思われるかもしれないが、餘部鉄橋はあまりにも大きく、集落をひとつ跨いでいるので、家から、国道から、川から、すべてを渡っている。だから、余部鉄橋から強風にあおられた客車が転落したとき、下にあった工場を直撃してしまったのである。そこには、慰霊の観音様が建立されていた。

私は川にかかる小さな橋で列車が来るのを待った。



裏道・横道の王道


雨はやんでいるが、秋の山陰は寒い。一人でもあるし、夕方でもある。次の下りも撮影しようと思っていたが、この一本のみで切り上げて、鳥取へ向かおうと決めた。

先ほど一緒に降りた人々は下には降りてこなかった。この列車で戻るのであろうか。

16:15ファインダーを覗きピントを合わせる。列車は現れない。16:17定刻になるもまだ明かりは見えぬ。ここで目をそらせば来るに違いない。絶対に待て。我慢だ。やがて、ゆっくりと赤いディーゼルカーが顔を出し、鉄橋を渡り始めた。一枚、二枚、シャッターを切る。音が次第に近づいて、通り過ぎていく。無我夢中で数枚の写真を撮った。写真に記録されたデータを見ると、1分間の出来事である。列車はすぐにトンネルへと消えていった。


裏道・横道の王道

裏道・横道の王道


裏道・横道の王道


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帰って拡大した写真を見て、自分には写真の才能が無いことを嘆いた。

前々回『疾駆』の続編です。

……

北近畿タンゴ鉄道野田川駅は、“うらにし”に包まれて薄暗かった。

駅を降りるとマイクロバスが止まっていて、それが加悦町役場までゆく乗り合いであった。運転手以外に人はいない。何かを書き込んでいて、乗車口に立つ私に気づかなかった。

定刻を1分ほど過ぎて発車した。やはり私以外に人はいない。私はいないも同然だから、10月の終わり、しかも月曜日に観光客がいないのは当然としても、普段は空っぽなんだろうか。

駅を出ると左折し、タンゴ鉄道の線路をわたる。車窓の左には田園を一筋に白い柵が続いているのが見える。昭和60年に廃止になり、今はサイクリングロードになった加悦鉄道跡に紛れもない。
この行き着くところに加悦鉄道で使用した車両を保存するSL広場がある。とうとう来たなと私は思った。

バスが走る道は古びた木造の家が軒を並べている。細かくバス停があり、終点まで乗る余所者の乗客に停留所の名前を放送する。もとより降りる客はいないし、乗ってくる客もない。
途中ショッピングモールに寄ったりして、バス停に人はいるのだが乗らない。

古い町並みが続いて、珍しくもないレンタルビデオ屋があったりして、熟まずに車窓を眺めていたら、目の前に真新しい建物が現れて、加悦町役場の終点だった。結局、最後まで客は私一人きりだった。

なお、“加悦町”という自治体はすでになく、周辺と合併して“与謝野町”となり、この建物は加悦支所である。サイクリングも与謝野町のネットワークで行われている。
さて、自転車を借りよう。加悦町役場の前にかつての加悦鉄道加悦駅を利用した観光案内所がある。異質な洋館だからすぐにわかった。


裏道・横道の王道


近寄ると人の気配がない。扉が閉まっていて、“本日休館”とあるではないか。月曜日は休みらしい。


裏道・横道の王道


自転車の窓口は観光案内所だから開いていなければ借りられない。
借りられなければ、さらに2キロ弱奥にあるSL広場に行けないし、加悦に何をしにきたのかわからない。
借りられなければ、野田川駅13時30分の特急に間に合わなくて余部鉄橋が危うい。
加悦に来てしまったおかげで、今回の日程が崩れるではないか。
借りられないでは困るのである。

窮した私は役場に戻り、商工課に行った。観光案内所の所管事務取扱があるのではないかと思ったのである。

昼前でちょうど窓口はあいていた。窓口の一番近くに座っている女性が私に気づき声をかけてくれた。
東京から来た旨、観光案内所が開いていない事情を話すと、別のその方面に明るい人に声をかけてくれ、その人は観光案内所まで見に行ってくれて、自転車を事実上貸し出している自転車屋にも連絡をしてくれた。

しかし、観光案内所はやはり休みで、ここでの貸し出しは難しいという。私も半官半民の世界に生きているから、無理を通されればイヤな思いをするし、事情はわかる。

しかし話は親切で、ここの観光案内所は月曜休館だが、SL広場脇にある道の駅での貸し出しは今日もやっている、野田川駅での乗り捨ても可能だという。
ならば答えは簡単で、SL広場まで行けばよい。タクシーの連絡先を教えてもらい、役場を辞した。

無理をされれば恐縮してしまうし、けんもほろろだったら憤慨もしようが、有り難かった。適当な官のサービスだと思った。

タクシーの運転手は、現役時代の加悦鉄道を覚えていて、SLが走っていた頃、秋にはきれいだったという。車窓にみえる白い柵に汽車を重ね、タクシーに乗って良かったと思った。
料金を支払うとキャンデーをくれた。

とりあえず道の駅で自転車を借り、道路の向こうにみえる、SL広場へ行く。
客が少ないのか、本来の窓口は閉じていてお土産屋で入場料を支払う。

狭いながら、大切に手を入れられた客車や汽車がいる。一目で見られる範囲にたくさんいる。古びた蒸気機関車、客車。子供連れできている親は写真を撮る。私も撮る。
あの親は代休なのだろうか?あの親子に私はどう映っているのだろう。

荷台をつけた気動車、郵便を運ぶスペースを設けた気動車、車輪が3軸の気動車…

雲の切れ間から光がさす加悦谷に佇む古い車両。眼福であった。


裏道・横道の王道-加悦SL広場の気動車




広場に併設されて、電車を改造した食堂があるので、入ってみた。
洋食が得意なようで、私はペペロンチーノを頼んだ。
観光地にあるから、遊山客への食事かと思っていたら、作業着のおっさんが入ってきて、“いつもの”を頼んだ。
加悦鉄道の後継であるカヤ興産は今でも広場に接してあり、野田川からのバスも、SL広場も運営している。関係者のようだった。


裏道・横道の王道


ペペロンチーノは美味しく、時間が経つにつれお客さんの数が増えたところをみると流行っている店なのだろう。
カウンターに座っているとヨーロッパの食堂車はさもありなん、という気になる。


裏道・横道の王道


この小さなテーマパークには、鉄道博物館にはないものがある。一台一台の客車が青天の下にあり、走り出しそうな雰囲気は鉄道博物館以上だ。その分、現役を外れてから四半世紀を経る彼らの維持は甚だしいものがあるに違いない。
この食堂車も腐食しないようにするのは大変であろう。

事情をしらなくても楽しいだろうが、知っていればきっともっと楽しい。

文化としての齢を重ねた鉄道がここにはある。

会計を済ますと、マスターがキャンデーをくれた。

私のポケットには4つのキャンデーが残った。