<前回「回復」の続き>
加悦、小さいながらいい町である。
二車線の表通りには織物の工場があって、往時を伝える。
加悦は室町時代以前より絹織物を盛んにし、江戸時代に京都西陣から縮緬の技術を得て、「丹後ちりめん」の産地となったという(「ちりめん街道」リーフレットより)。最盛期には各種商店や旅館・料理屋がそろい、大変華やかだったという。
裏道に入れば、庇を突き出した家々が並んでいる。国の指定する古い町並みの保存地区にも指定されているから、休日になれば混みあうのかもしれないが、十月の終わり、しかも平日に自転車をこぎながら街を巡っているものはいない。
観光バスの来ないときに、メインルートから外れた小さな街に立ち寄れば、まだまだ忘れられたような景色がある。
先ほどのぞいていた晴れ間も今は隠れてしまって、薄墨色の空に前時代の家々がかえって映えた。
加悦を訪れる前、北近畿タンゴ鉄道の乗り継ぎの関係で、宮津に降りたが、「縞の財布が空になる」と謳われたほどの活気があった時代があった。
飲食関係の店舗が裏通りに並ぶ佇まいなどは、港を擁し、人々の入れ替わりが盛んであった場所の面影を今に伝えるものであった。
私の頭には、気候の陰陽の対置はそのまま景気に反映されているという印象が今回の旅をするまではあったのだが、街を歩き建物を見ていると、これは多分に政治的な予算の傾斜配分、重化学工業を重んじた政策に由来しているもののように感じた。
軽工業、手工業が小さな単位の地域内で完結し、そこに対して十分な対価を支払っていた時代には、日本海側も十分に繁栄していたのである。おそらく、今、その過去とポジティブに向かうべきタイミングをむかえたのではないかと思った。
あまり加悦をうろついていたのでは、13:30野田川発特急列車に間に合わない。立ち寄ればお話を聞かせてもらえると、看板を出した織物工場があって、後ろ髪を引かれながら加悦を去る。
一度離れた加悦鉄道のサイクリングロードへ戻り、自転車をこぐ。
野田川駅には13:20に到着し、無事自転車を返却した。待合室には既におばさんがいて、次の汽車を待っている。お客さんは私を除けば一人だけのようである。
駅前に酒を商っている商店があったので、ビールを買い、やってきたタンゴエクスプローラー1号に乗る。
この列車は新大阪から福知山線を通り、福知山から北近畿タンゴ鉄道の宮福線、宮津から宮津線へ入って豊岡を目指す。そのため、福知山から山陰本線へ入って豊岡を目指す特急北近畿よりも30分ほど余計にかかる。しかも、宮津駅がスイッチバックをしなければ福知山から豊岡へ向かえないので、野田川進入時には客席は後ろを向いている。実際、みんな後ろを向いていて、私もそれに倣った。
ビールを開けると、いっぺんに酔いがまわり、気がついたら街が大きくなっていて豊岡に着くアナウンスが流れていた。
豊岡からは鈍行列車で二駅進み、城崎温泉でまた乗り換える。
城崎温泉駅ではディーゼルカーの写真を撮ったりしていて、ホームをうろついていた。すると、おばさんに「この汽車は香住を通るか」と聞かれる。もちろん通ることを知っているが、万が一のことがある。
私は地元の人間ではないから、予想外の車両運用をされたりして、途中駅切り離しなどがあるかもしれない。だからあいまいな返事をしておいた。おばさんは「アラ、車掌さんかと思ったのよ」と笑った。
豊岡、城崎温泉では天気が回復したのだが、餘部へ近づくにつれ、また日が翳り、雨も降ってきた。時に、海上へ陽がさすのが見えるが雨はやまない。やまないが、虹が見えた。虹を見るのは久しぶりだった。
虹もいいのだが、餘部では降ってほしくない。前にも書いたように、今回は余部鉄橋の写真を撮りたいと思ってやってきた。しかし、全天候型のスタンバイをするほどの気合はないし、アマチュアカメラマンである。けれども、重たい思いをして一眼レフカメラを持ってきたのは、余部鉄橋を撮りたいからであった。
余部鉄橋の美しさは、高く聳えつつ組まれた鉄骨、そこに躍り出てくる小さな列車にあると私は思う。したがって、被写体はカメラから必然的に遠くなる。しかも、建替えの工事が始まる前にあった至近距離で橋を渡る列車を押さえられる展望台は今年無くなってしまった。結果、下から仰ぎ見て写さなければならない。レンズを上に向ければ、レンズに雨粒が落ちる。左手で焦点を合わせて、右手でシャッターを切るから、手はもう無い。
雨の降らないことがなによりも希望であった。
この辺りは、海岸線が入り組んでいて、入り江ごとに小さな集落がある。餘部もそのひとつである。地形が入り組んでいるから、トンネルが多い。いくつものトンネルをくぐる。餘部の前の駅鎧を出てからも、それが続いた。幾つ目だろうか、目の前が明るくなり、直下に集落が見えた。餘部鉄橋であった。観光列車ではないから、あっという間に渡り終え、餘部駅に着いた。
降りるのは私一人であろうと思っていたが、数組の客が降りた。しかし、地元の人と思しきはおじさん一人だけで、さっさと麓への坂道を降りていった。私以外には、家族連れ、女同士の二人旅。彼ら彼女らも写真を撮っていたから、観光であろう。時代は変わった。
雨は幸い、やんでいた。
現在の時間は15:40を回ったところである。16:17に餘部を出発する豊岡行きディーゼルカーを撮りたい。小さな集落だが、歩いて撮影場所を探したいので、時間に余裕はなく、雨で濡れた坂道を降りた。気が急くので革靴の私は滑る。なかなか厄介な道で、毎日ここを利用する地域の方はなかなか大変である。
餘部の入り江と、その後背地にわずかな平地を作った川が橋の真下を流れている。と書くと、橋は川に架かるのが当然であるように思われるかもしれないが、餘部鉄橋はあまりにも大きく、集落をひとつ跨いでいるので、家から、国道から、川から、すべてを渡っている。だから、余部鉄橋から強風にあおられた客車が転落したとき、下にあった工場を直撃してしまったのである。そこには、慰霊の観音様が建立されていた。
私は川にかかる小さな橋で列車が来るのを待った。
雨はやんでいるが、秋の山陰は寒い。一人でもあるし、夕方でもある。次の下りも撮影しようと思っていたが、この一本のみで切り上げて、鳥取へ向かおうと決めた。
先ほど一緒に降りた人々は下には降りてこなかった。この列車で戻るのであろうか。
16:15ファインダーを覗きピントを合わせる。列車は現れない。16:17定刻になるもまだ明かりは見えぬ。ここで目をそらせば来るに違いない。絶対に待て。我慢だ。やがて、ゆっくりと赤いディーゼルカーが顔を出し、鉄橋を渡り始めた。一枚、二枚、シャッターを切る。音が次第に近づいて、通り過ぎていく。無我夢中で数枚の写真を撮った。写真に記録されたデータを見ると、1分間の出来事である。列車はすぐにトンネルへと消えていった。
***********











