今は在宅勤務が主の為、いろんなオンラインセミナーに参加しています。
オンラインセミナーのいいところは、もしも内容がこちらの想像したものと違かった場合に、セミナーを聞きながら、横で別の作業ができるところです。

時間を有効に使いつつ、面白い内容だけいいとこ取りできるため、手あたり次第うけまくっています。

いろんなセミナーを受ける中で、「しっかり受けるセミナー」と「横で仕事しながら聴くセミナー」の違いが見えてきました。それは、「説明資料の多さ」と「1ページの文字量の多さ」。

文字量が多いと、ちゃんと資料を見る気にならないし、プレゼンターも資料自体の説明を省くので、話と資料の関係性が分からなくなり、話を聞く気にさせなくなります。これなら、資料無しで話した方がよっぽど頭に入ります。

逆に面白い話は資料がシンプルで、文字が少ない為書かれている文字が覚えられる分、頭に残ります。あたまに残ったものを説明されるので、聞いていてもわかりやすい。

プレゼンターにしてみると、伝えたいことがたくさんあるので、それを資料に全て入れたくなる気持ちもわかりますが、たくさん書けば伝わるというものでもないのです。

私も週2回、会社説明会で当社の説明をしますが、その資料がわかりにくくないか、横で別の作業をしながら聴かれていないか、セミナーに参加することで反面教師になり、それが実はセミナーの一番の収穫になっているかもしれないなと思っています。
 

 

2020年4月の「週刊新潮」の取材を動画にまとめていただきました。

動画はこちら↓ 

 

 

 

 

ある社員が「現場を替えたい」と相談にきました。現場には続けてほしいと慰留されているといいます。悪い現場ではないので、関係性を悪くせずに、現場を抜けるにはどうしたらいいかという相談です。

こういうときに私が話すのは、相談者の意見に対する批判でもなく助言でもなく、「自分が思っていることを率直に言う」ということをしています。

内心を吐露するように、「聞いてなくてもいいんだけどね」という感じで、私はこう思うんだけどなぁという感じで話します。意見でなく「思い」をさりげなく伝えるように話します。

すると、その話を聞いたあとからは、相手は私の思いを念頭において話してくれるので、本人がこちらに賛同をしてもらえるように妥協点を探しながら話をしてくれます。

そこまでくればもう相談の答えは出ているようなもの。相談者は、自分の意見を整理してほしくて話をしてるのです。

相談に来たのだからなにか答えになるようなことを言ったほうがいいのだろうと考えがちですが、「答えを言わない」という答えが実はいいことなのだと、昔気づいて、できるだけ実践しています。

相談内容によっては、「そりゃお前が悪い」と言いたくなることもたくさんありますが、そこで
批判をすると、かたくなになるし、助言をすると、その通りにやってしまうので、自分で答えを見つけるということができません。

自分の意見を押し付けるのでなく、自分の言葉からなにかを感じてもらう、ということを意識して話しています。

その結果がどうでるか?今後のお楽しみです。

 

 

 

 

今月から、本社メンバー間で、Thanksカードを送りあうアプリを導入しました。なにか気づいた小さな感謝を、ちゃんと言葉にして伝えるという文化を社内に作りたく始めたのですが、始めてみると、相手を見る視点が変わって、とても面白いです。相手のいいところを探そうとする中で、相手を肯定的に見る、性善説的にみる視点になっています。

またこのアプリは、ほかのメンバーが送った「ありがとう」も見れるようになっているので、タイムラインで「ありがとう」が並ぶのを見ていると、なんだかこちらの気持ちも明るくなっていきます。

ただ、これを運用していく中で、ひとつ難しい問題が出てきました。それは、ほめることと注意することの境目がわからなくなる、ということです。

なにかをやったことが、「ひと手間をかけたこと」なのか「余計なこと」なのかの境界線です。「世話焼き」と「おせっかい」。この境目がわからない。

前者はほめたいし、ありがとうと言いたい。ただこれが後者にあたるのなら、注意をしたい。おそらく、その行為をしている本人も区別がわかっていないことが多いです。おせっかいに思われていることをほめてしまって、よりおせっかいになってしまう、という悪循環を断つにはどうしたらいいか?

ポイントはそれが相手の為の行為なのか、自分のためか、なのだと思います。相手のことより「自分がやりたい」が強く出てくると、それは「おせっかい」で「余計なこと」だと思います。そのとき考えていたのは相手のことか自分のことか?これを本人が反省を繰り返して基準を作ってもらうしかないかと思います。

でもそんなことをくどくど言っていたら、せっかく行動を起こした人がしり込みしてしまうかもしれません。だから今のところは、動いたこと、やった行動はちゅうちょなくほめることを続けようと思います。できれば、その人がかけた「ひと手間」を見極めて、そこをほめて感謝する、という芸当が自分にできるようになるといいのですが。。。

ほめることも案外難しいもんだと思いながら、仕事終わりに社員に感謝を送って、1日を締めくくっています。


 

 

2020年4月の「週刊新潮」の取材を動画にまとめていただきました。

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先日2日間にわたり、Well-being=ウェルビーイングに関するシンポジウムに参加しました。
いろんな方がお話をしていましたが、結局ウェルビーイングな状態って、どんな状態なのか、よくわかりませんでした。

ウェルビーイングって、「幸せ」と訳されることが多いのですが、であれば、英語もHappinessになるわけで、英語で言うhappyなこととウェルビーイングなことというのは、語感的に違うんだな、ということはわかりました。

ではウェルビーイングという言葉はどういう意味か。単語から考えれば、ウェル(良く・うまく)ビーイング(いってる)なので、「うまくいってる」ということです。

「うまくいってる状態」がウェルビーイングな状態。しかもそれが、一時的でなく、持続的にうまくいってる状態。「最近調子良いな」が続いてる状態です。鼻歌や口笛を吹いちゃうような状態が続くことです。

この状態は、人によって千差万別です。ある人によってはうまくいってても、別の人にとってはうまくいってない。仕事はうまくいってても、私生活がうまくいってない。信号で例えれば、交差点で青の人はうまくいってて、赤の人はうまくいってない?これらを同じ指標で表すことはできるのでしょうか?大いに疑問ですが、トライしてみる価値はあると思います。今後の研究に期待です。

しかもシンポジウムでは、企業は社員の「うまくいってる状態」を作る必要がある、と解いていました。そのために地球環境や貧困やジェンダーの問題を解決する必要があるというような話でしたが、関係あるのかな。。。

うまくいってるかどうかは、主観的な、個人的な問題なので、そこを企業が解決できるわけもなく、ただ企業ができることは、うまくいくように環境を整えてあげること。要は「いい会社(Goodな会社)」を創る、ということなのだと思います。できるだけ「いい会社」を創る努力はするけど、「うまくいってる」と思うのは、本人次第。企業にはそこまでしかできないことを理解しながら、いい会社を創っていかなければと思いつつ、シンポジウムを聞いていました。

ちなみにシンポジウムでは、日本が率先してこのウェルビーイングの指標、GDPならぬGDW(Gross Domestic Well-being=国内総充実)をつくると宣言していたので、今後の議論に期待したいと思います。
 

 

雑誌『経済界』に「人材育成企業」として掲載されました。

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私の人材育成方針は、基本的に放任主義です。やってもらうことと目的を最初に話しますが、あとは各自のやり方に任せます。任せますというよりは、やっていることに口を挟まないようにしています。目的がずれていなければ、いずれこちらの望む成果が出るだろうと思うからです。

なので各部署の会議も、週1回、30分ほどのみで、ほぼ進捗確認だけで終わります。新しく本社勤務になったメンバーは、それまでの現場の仕事と全く違う進め方に、最初は戸惑うようです。

それまでは、上司からの指示があったものを作業して、確認をしながら進め、できたものに了承を受けて次に進む、という流れでやっていたものが、本社に来ると、突然すべてがなくなります。

「この課題を解決したい」という指示はしますが、どうやるかは指示しません。まずは何をしなくてはいけないかから考えなくてはいけないのですが、その訓練をしていない人は、立ち止まって動けなくなってしまいます。

それでも週一の進捗報告の会議はやってくるので、そこでなにかを報告しなくてはなりません。「1週間何も進んでません」とは言えないので、自然となにかを動かなくてはならなくなります。その中でがむしゃらに試行錯誤をしていくことで、次第に「自分で考えて仕事をする」ことができるようになります。

また、現場から本社に来た人は、「まず許可を得る」という発想になることが多いです。そしてその許可を得たことを紋所として、仕事を進めていこうとします。私はその許可を問われると、「自分で考えて必要ならやればいいんじゃないの?」と返します。責任の所在を自分にしたくないという、現場の処世術だとは思いますが、私はこれを否定します。

手荒な方法かもしれませんが、主体的に、自律的に仕事をしてほしいなら、本当に一人で、自分だけしか主体がいない状態で仕事をさせないと、自律的な社員にはならないと思っています。

内容によっては、手助けをするべきかどうか悩むものもあります。その時も、手を出すことがその人にとっての思いやりか、手を出さないことが思いやりかを考えながら、最終的には「放任」します。

オンラインでの業務が主になり、会議でしか顔をあわせないような状態になっても、このやり方を貫いています。ただ、ここまでオンラインが増えていくと、このやり方ではコミュニケーションが少なすぎるのではないかと、最近考えています。

放任がいいのか、多少は手を出したほうがいいのか、オンラインでの仕事が常態化する中で、自律的な社員をつくる最適な人材育成法を、模索しているところです。

 

2020年4月の「週刊新潮」の取材を動画にまとめていただきました。

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先日、久しぶりに友人と会って話をしていたら、「会社立ち上げた頃だったら、社長がこまごまとしたことやるのはわかるけど、もうそんな面倒なことやる必要ないじゃん。もうコツコツやる必要ないんじゃないの?」と言われました。

何気なく言われた一言に、うまく返すことができませんでした。
何で自分は、こんな面倒な経営を続けているんだろう。。ちょっと考えてしまいました。

当社のようなビジネスであれば、人によっては、多くの資本を注入して、例えば、求人広告費を今の10倍かけて、人を10倍採用して、10倍売上をあげる、というようなことをする社長もいると思います。東京だけでなく他地域で一斉展開して一気に全国展開を図る、というようなことを考える経営者もいるはずです。

しかし、私はこの15年、同じコトを少しずつコツコツやって、少しずつ会社を大きくしてきました。15年も経営していれば、会社のビジネスモデルはある程度確立されており、組織の分散化や権限委譲も進んでいます。社長が会社のことを考えなくても、ある程度回っていく仕組みができています。

でも、私は相変わらず、会社の改善点を考え、その策を実行して、次の新たな課題に対応する、ということを、毎日毎日やっています。それが社長の仕事だと思ってやっているのですが、友人に「それやる必要ある?」と言われて、考え込んでしまいました。

なぜこんな面倒なことを相変わらずやっているのか?
それは会社のためではないのかもしれません。

当社は、留学帰国者を採用して、エンジニアに育てることをしていますが、誰でもかれでも留学生を採用すればいいとは思っていません。活かされていない、活躍できていない留学生を活かすこと、が当社のやっていることです。

なので、一番うれしいのは、今まで活躍の場のなかった留学帰国者が活躍している姿を見たとき。その人が成長している姿を見て、幸せと快感を感じます。それがやみつきになって、この仕事をしている。つまり、自分の快感のために、仕事をしているのだと思います。まわりから感謝されたり、「ありがとう」と言われることも快感。そのために、コツコツやるのは苦にならないのです。

自己満ではありますが、自己満でいいので、自分の快感のために、これからもコツコツ続けていこう、と思いました。

 

 

雑誌『経済界』に「人材育成企業」として掲載されました。

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「計画された偶発性理論」というキャリアに対する考え方があります。

スタンフォード大学のジョン・D・クランボルツという先生が提案したキャリア論なのですが、
この先生の調査によると、「個人のキャリアの8割は予想しない偶発的なことによって決定される」ということです。
そしてその偶然を計画的に設計し、自分のキャリアを良いものにしていこうと主張しています。

自分の目標とする仕事に就くためや、自分にとって最適なキャリアを積み重ねるには、「偶然」を上手く利用しなければなりません。利用するということは、この偶然の出会いをポジティブに捉え、自分の計画に組み込んでいくということなのだと思います。これは、まさに当社の唱える「バックパッカー精神」そのものです。
バックパッカー精神は、キャリア理論で言えば、「計画された偶発性」を仕事に活かしていこうという考え方になります。

「計画された偶発性理論」によって偶然を利用してキャリアを形成するには、次の5つの行動指針を持つ必要があるといいます。

1 「好奇心」新しい学習機会を模索する

2 「持続性」困難があっても努力し続ける

3 「柔軟性」態度や行動など環境や状況の変化に応じて変えていく

4 「楽観性」新しい機会をチャンスと捉える。

5 「冒険心」結果が不確定でも行動に移す

キャリアの形成には偶然の要素がたくさん含まれている。しかしこれらの5つのポイントを実践すれば、それらの偶然を”計画的に利用する”ことができる。大事なのは、この5つの気持ちを常に持ちながら仕事をするということ。このような心持で日々過ごしていれば、偶然を自分の味方につける事ができるのです。そしてこの心持を、当社では「バックパッカー精神」と名づけています。

どう表現するのが最適かがわからず、私の経験からこのような考え方をバックパッカーの考え方に近いと考え、「バックパッカー精神」と言っていましたが、これが理論としても成立していることに自信をもって、今後も「バックパッカー精神」を唱えていきたいと思います。

 


 

 

昨年来のコロナ禍で、リモートワークが定着し、オンラインで会議をしたり情報共有することが当たり前になってきました。そのためのツールやクラウドサービスもさまざまな種類のものがみられるようになってきたし、電子契約や電子書名での締結作業も少しずつ増えています。また、そのオンライン上のデータは、個人情報や顧客情報保護の観点から、国内で管理運用するのが好ましい、という流れになっています。

これらの流れにあわせて、今日本には、システムやデータを管理運営する「データセンター(DC)」が多く作られています。

DCは、当初は通信会社が運営するものが多かったのですが、しだいにAmazonやGoogleなどの米系クラウドサービス会社が運営するDCが増えてきました。そしてこの1年は、シンガポールやインドの会社が日本でDCを新設するという話が上がっています。

米系企業やアジア系企業のDCにトラブルが起これば、その復旧作業は、日本国内だけの作業ではとどまりません。本部のDCとも連動して作業をする必要があるため、その連動には英語を使っての作業が多くなると思います。つまり、外資系のDCが日本に増えれば、その分英語とITがわかる国内エンジニアが必要になり、その分当社の事業領域を増やすチャンスがあるということです。

いままでは、日本のDCでは運用コストがかかるので、海外DCにデータを移転するという話が多かったのが、コロナ禍を経てこれが国内回帰してきています。

コロナ禍は悪い話ばかりでなく、当社がこれからさらに伸びるきっかけを与えてくれているのかも知れません。アフターコロナに向け、このチャンスを捉えられるように、準備を着々と進めていこうと思います。
 

 

雑誌『経済界』に「人材育成企業」として掲載されました。

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2020年4月の「週刊新潮」の取材を動画にまとめていただきました。

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最近、Well-being(ウェルビーイング)という言葉をよく聞きます。「ウェルビーイング」(well-being)とは、身体的・精神的・社会的に良好な状態にあることを意味する概念で、「幸福」と訳されることもあります。

海外では、企業がより良い組織運営を行うためには、社員がウェルビーイングな状態であることが必要不可欠であると言われています。つまり社員が「幸せであること」が必要ということですが、そもそも社員としての幸せ、会社としての幸せとはなんでしょうか?

私が考える幸せは、「人に感謝をされること」、「人にありがとうと言われること」です。人に「ありがとう!!」と言われたときの、嬉しくて気恥ずかしい気持ち。これが幸せな気持ちだと思います。

感謝をされると、幸せになる。これは会社も同じです。社会から感謝をされれば会社だって幸せになります。だから会社は、社会から感謝されることをしなければなりません。その想いからでてきた当社の理念が「留学生を活かす」です。

なるべくたくさんの留学生を活躍させることで、社会から感謝される。そのために当社は存在します。そして「留学生を活かす」ことで、会社、社員双方がwell-beingな会社になるのが、当社の理念です。

考えてみれば、こんなことは日本企業は数十年前から提唱しています。例えば、松下幸之助さんは1946年に「この世に物心一如の繁栄をもたらすことによって、真の平和と幸福を実現する道を探究しよう」と、謳っています。稲盛和夫さんは、京セラの経営理念を「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に人類、社会の進歩発展に貢献すること」と1961年に定めています。当社でさえ、この経営理念は設立時から15年にわたり謳い続けています。

日本企業にとってはwell-beingはごく当たり前な概念ですが、これが世界で言われ始めたことが、日本的な企業価値観が世界で認められてきたことの証なのではないか、と感じています。
 

 

 

 

2020年4月の「週刊新潮」の取材を動画にまとめていただきました。

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IT用語に「fault tolerance(フォールト トレランス)」という言葉があります。ITパスポート試験や基本情報処理技術者試験にも出てくる、システム設計の考え方の言葉です。

faultは「障害」、toleranceは「耐久力」という意味で、くっつけると「障害耐性」を意味します。「障害に対してどのように備えているか」の考え方とそれを実現する技術をまとめて表す言葉です。

それに対して、「fault avoidance(フォールト アボイダンス)」という用語があります。フォールトトレランスが「障害が発生したとき」の備えなのに対し、フォールトアボイダンスは「障害を発生させないため」の備えです。

この二つは、「障害」に対する考え方が根本的に違います。フォールトトレランスは、「障害は起こるもの」と考え、アボイダンスは「障害は起こらないもの」と考えます。

私は、社内の仕組みを「フォールト トレランス」な仕組みとして設計を考えています。つまり、ミスは起こるもの。起こることを想定してそれでも運用していける仕組みを創るということです。

4月からはじまった新しい評価方法も、フォールトトレランスな考え方を入れています。それは「できないものもある」という考え方です。「できないものがあるから評価しない」でなく、「できないものはあるけどその代わりにこれができるからいい」という評価基準です。

ミスやできないことは誰にでもあります。これを咎めたりチェックを厳しくすることにパワーを使うのであれば、ミスがあっても最低限の項目ができていれば作業は進められ、あとからミスを修正したものを加えられるような仕組みを考えます。そのほうが無駄なく効率的にパワーを使えると思うのです。

これでは作業者のチェックが甘くなり、作業の質がどんどん下がるという意見もあります。しかしそれよりも、「ミスをしちゃいけない」という気持ちで作業をすることより、「ミスをしても取り返せる」という気持ちで仕事をしたほうが気持ちよく作業ができ、作業にも身が入る気がします。そんな気持ちを創りだすことに重きを置いています。
 

 

 

雑誌『経済界』に「人材育成企業」として掲載されました。

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