4月の13、14日はスリランカでは新年(シンハラ・タミルニューイヤー)にあたります。先日スリランカ出張に行った際、その新年の際に、日本でいう「運動会」のような行事をやる、ということを聞きました。

「アウルドゥ ゲーム」というその行事では、綱引きやパン喰い競争、二人三脚、枕でチャンバラ(ピローファイト)のようなことをするのだそうです。大人も子供も、老若男女そのゲームに参加して、周りではお弁当を広げてゲームを見る、という本当に運動会のような光景が、毎年この日に行われているということです。

この4月13、14日は東南アジアも新年を迎えます。タイではそのお祝いにソンクラーン(水掛祭り)を行います。ミャンマーだとそれはティンジャンと呼ばれます。ラオスではピーマイラオと呼ばれ、町中水かけまくります。
フリーバカンスで、今年のソンクラーンを見に行った社員がいました。

カンボジアもこの日はクメールの正月です。ヒンズーもこの日は祝日にあたるそうです。

東南アジア、南アジアはこの日みんなおやすみ。仏教暦で暮らしていた人々はみんなこの日から新しい日が始まるのです。

「旧正月」というと、中華圏の旧正月(2月)を想像しがちですが、南の旧正月は4月です。爆竹ならす旧正月、水かけまくる旧正月、綱引きやる旧正月。今度、社内の国際交流イベントで「旧正月」をテーマにした異文化交流をやりたいなと思いました。そしていつか私もアウルドゥ ゲームに参加したいと思います。
 

 

 

 

海外研修プログラム「GOAL」は令和7年度「子どもゆめ基金」に採択されました

 

海外研修プログラム「GOAL」が独立行政法人国立青少年教育振興機構の令和7年度「子どもゆめ基金」にて採択されました。

子どもゆめ基金とは (独)国立青少年教育振興機構が運営する、国と民間が協力して子どもの体験・読書活動などを応援し、子どもの健全育成の手助けをする基金です。

当社は「青少年教育に関する事業を行う民間の団体」として審査を受け、審査委員会、各専門委員会での審査結果をもとに、採択する活動及び助成金額の決定を受けました。

令和7年度に採択を受けた他の団体をみると、公益財団法人、NPO法人、一般財団・社団法人などが並んでいます。株式会社や合同会社の形態の団体は、ほんの一部です。

令和7年度 交付決定助成活動一覧
https://yumekikin.niye.go.jp/jyosei/koufu/r07/kantou1.html

当社助成活動
https://pr.yume.niye.go.jp/pr/detail?id=2530322&sub=3


私は、この事実が、助成金を受けたことよりも、より重要な気がしています。

一般に株式会社は営利を目的にした団体です。その会社が、広く社会貢献や社会課題の解決を目的にしている公益財団法人と並んで助成を受けるということは、私たちも社会貢献をしている団体だと世間に認めてもらった気がします。

しかも独立行政法人という、国立機関の審査を受けて通った、ということがさらに公に、当社の活動が社会貢献活動であることを認めているように思われます。当社が社会に貢献する会社であることを国に認めてもらった、気がしています。

採択側にはそんな想いはさらさらないかもしれませんが、お金以上に価値のある評価をいただいたと、個人的に思いつつ、今後も社会課題を解決する活動を進めていこうと思います。

 

海外研修プログラム「GOAL」は令和7年度「子どもゆめ基金」に採択されました

 

先日、クアラルンプール出張の帰りに、フィリピンのマニラに寄ってきました。フィリピンは実は初めてです。

今月社内の国際交流イベントで「フィリピン会」をやるので、その事前知識を仕入れるために、半日だけ、トランジットで寄ってみました。

ネットだと空港から市内へはタクシーが最善だと書いていましたが、電車(LRT)でも行けると書いてあったので、
空港からバスとLRTで市内へ行ってみることにしました。

空港のバスターミナル(とおぼしきところ)で、「LRTに乗りたい」と告げると、あのバスに乗れというだけ。

言われたバスに乗ったものの、運転手は行き先を告げない、バスには行き先が書いていない。
どこに連れていかれるかわからない、ドキドキな感じが、バックパッカーのころを思い出して、不安な反面うれしく感じました。

でもたいていこのパターンは、ちゃんと言ったとおりの場所につくもの。周りの乗客も、男だけでなく女性や学生さんも乗っていたので、変なところに行かない、普通のローカルバスであることはすぐにわかりました。
案の定、バスはしっかり最寄りのLRTの駅に着き、渋滞を横目に、高架のLRTでだいぶ早く、安く、市内に着きました。

「タクシーや空港のバスを使わなくても、ローカルの交通手段で市内にいけるじゃん」という、新しい街を攻略した気になって、初めての街でのちょっとした自信になりました。

この経験は、まさに当社がすすめる「弾丸バックパッカー助成金」の効果そのもの。こういう経験が、その後の仕事の自信にもつながると思っています。やってみて、うまくいったという小さな成功体験を重ねられるのが、旅の一つのいいところだと思っています。

ちょうどバックパッカー助成金はほかのメディアにも取り上げられました。

https://mamorinojidai.jp/interview/alexsol/

ちょっとしたマニラへの弾丸旅行が、社員がバックパッカー助成金を使った時の追体験になりました。こうした経験を重ねれば、きっとその先の仕事に活きます。この先も自信をもって、社員に弾丸旅行を勧めようと思います。


 

 

 

雑誌『経済界』に「人材育成企業」として掲載されました。

記事はこちら→ 

弊社は今年20周年を迎えます。

10周年のときは、私の指揮で、保温マグなどを作成して社員に配りました。
作成したノベルティも、私の一存で、予算を立てて作りました。

そこから10年経った今回は、「20周年委員会」を作り、手上げ制で委員を募り、その委員が話し合いながら、行事の企画を進めています。

私からの注文は、20周年を祝うのは「これまでいっしょに頑張ってきた社員に感謝を伝える」会にしてほしいということ。
それを受けて「来賓やスペシャルゲストを呼んで何かしてもらうのは、社員にとって有益か?」「派手なパーティをするより、20周年手当のほうが現実的にうれしいんじゃない?」などと、作業班に分かれて議論を進めているようです。「OBの動画を取りたい」という話も上がってました。

10周年は代表の私が動いていたことが、20周年は社員の力で動かしている。
そこに当社の組織が成長していることを実感します。

20周年は2026年4月から2027年3月の期間です。
「社員への感謝」をキーワードに、その間に行う様々な行事を、どう創っていくか、今から楽しみです。

 

 

 

 

 

先日、「日中関係悪化で日中唯一の国際フェリー『鑑真号』が中断」というニュースを見ました。

「鑑真号」は大阪・神戸と上海を往復する国際フェリーで、一番安くて2泊3日片道2万5000円で上海に行けます。「鑑真号」は奈良に唐招提寺を建立した唐の高僧、鑑真からとったもの。運賃が安く、かつては出稼ぎから帰る中国人やバックパッカーの大学生などの間で人気の船でした。

ニュースを読んで久しぶりにこの船の名前を見て、大学時代にこの船で中国に渡ったことを思い出しました。

青春18きっぷを使って東京から神戸まで行き、神戸港まで歩いて乗船しました。乗船後パスポートが回収され戻ってくると「KOBE」の出国スタンプがついていました。

フェリーには食堂や大浴場、談話室のようなものがあったと思います。売店もあるのですが、そのときはたしか人民元しか使えなかった気がします。そこではじめて中国のカップラーメンを食べました。人民元は乗船していた中国人客と交渉して両替したと思います。

夕方出発で、しばらくすると瀬戸大橋を越え、そのあとは真っ暗になってしまい、遠くに町の明かりが見えるだけの世界になります。もうやることがなく、飯食ってビール飲んだらあとは早々に寝ていました。

翌朝起きると、大海原。1日中海しか見えない日を過ごします。

3日目の朝、海の色が茶色に変化してきました。茶色はどんどん濃くなっていき、泥のような色になったときに、上海港の入り口に着きました。この茶色は、おそらく長江から流れてくる泥で、まだ上海の町が見えてないところまで泥を吐き出す長江の雄大さに「中国すげえな」と驚いたのを覚えています。

この旅は、帰りは羽田に飛行機で帰ってきたので、KOBE出国、HANEDA入国というスタンプがつきました。港から歩いて町に向かうときの高揚感は、空港からバスで町へ向かうのとはまた違ったドキドキがあって、そのドキドキをこのニュースを見て思い出しました。

今は一時的に中断しているようですが、いつかまたこの船で、今度は雑魚寝ではなくデラックスな部屋で、上海に行きたいと思います。

 

 

株式会社アレックスソリューションズは“世のため人のため”に事業に取り組む

「ソーシャル企業」に認定されました。S認証第2461330001号

 

今のオフィスに来てなんだかんだもう10年になります。コロナのせいで、ここにいることが長くなってしまいましたが、本当は、コロナ期間のあたりに引越しすることを検討していました。コロナが明けてそろそろと考えていますが、今度はなかなかいい条件の物件が見つかりません。

聞けば、都心のオフィス物件の賃料相場は、去年に比べて1割増しだそう。それだけ需要があるということで、引越しすれば家賃が増えるのは確実なのですが、それでも私は、オフィスは定期的に変えていきたいと考えています。

その理由は以下に挙げられます。
①新しい視点が得られる
席替えもそうですが、物理的に場所が変わると、視点も考え方も変わると思います。

②会社の成長を物理的に実感できる
庶民的な街からビジネス街、雑居ビルから高層ビルに変われば、「うちの会社、成長してるんだな」と誰もが思うはずです。

③東京のいろんなところで働いてみたい
いろんなところで働くことで、東京の中でも土地土地の雰囲気の違いがわかります。一ツ木通り、アマンド前、鳩居堂、骨董通り。住所にない地名がわかるようになるのも「東京で働いている」ということなのではないかと思います。

④荷物の整理、荷物のスリム化
引越しをするたびに、強制的に荷物の整理になり、断捨離になります。

⑤本社社員のモチベーションアップ
「うちの会社、○○にあるんだよ」というのが社員の自慢になります。周辺のお店を知っていることも、自慢の種です。

⑥常駐社員も自慢できる
自分が行ってみたい街にオフィスがあれば、自然と足が向くのではないかと思います。


これまでも私はいろんな場所で働き、そのおかげでいろんな町を覚えることができました。南青山、赤坂、渋谷、新宿、六本木、銀座、横浜関内、大鳥居のガレージっていうのもありました。
当社を立ち上げたあとも、品川、錦糸町、東新橋、大門、溜池と移りながら成長してきました。

この先も移っていきたい場所がたくさんあります。そこに行けるように、そこの家賃を払える会社になるように、成長しながら引越ししていきたいと思います。
 

 

 

 

 

ワーキングホリデーに年齢制限ギリギリの30歳前後で駆け込みで行く人を「ギリホリ」というらしいです。

今の生活に漠然とした不安があるとか、行きたかったけど仕事をしていたらこの年になってしまった、などいろんな理由があるのだと思いますが、理由はどうあれ、今の生活を変える行動をした「ギリホリ」さんの、その決断に拍手を送りたいと思います。

決断に年齢なんて関係ありません。遅すぎるかも、なんて考える必要はありません。

だいたい海外では日本人は比較的若く見られるし、イキイキ過ごしている人は年齢より若く見えます。
自分が考えるよりも、年齢はあまり問題ではありません。

それよりも、せっかく経験を多く踏んでいるのなら、ギリホリさんには、それを最大限に活かしたワーホリをしてもらいたいなと思います。

決断をしていくのであれば、ある程度計画と目的をすでに持っていると思います。
自分の渡航の目的を忘れずに、でも計画通りにはいかないこともあるので、そこは寛大に、なんとなく道はあってる、というくらいの気持ちで進むといいと思います。

また、これまでの生活である程度資金を準備していると思うので、余裕をもって仕事先を探してほしい。とりあえず、で決める必要はないはずなので、自分にとって価値があるか、目的に合致しているかをよく検討して決めるといいと思います。それでもこだわりすぎず、おおらかに、出会いを大切にして決められるといいと思います。

そうやって過ごして帰国後どうするか。ぜひ、当社の門をたたいてください!!

30歳前後でIT未経験でも、それ以上に当社はあなたの「決断力」を評価します。
当社が海外経験者に求めるのは、実は英語力やコミュニケーション力ではなく、この「決断する」力を持っている人、なのです。

決めるというのはとてもパワーが要ります。決めた後のその後の行動を考えると不安と憂鬱になります。そこをあえて決めて行動に移す、その力が、その先の仕事や生活で必ず必要になるのです。

当社はその力を活かしたい。決められる人の、壁を超える力、行動する力があれば、かならず仕事はうまくいきます。当社はその力を発揮できるフィールドを用意しています。
ぜひギリホリさんの力を当社で活かしてほしいです。

 

株式会社アレックスソリューションズは“世のため人のため”に事業に取り組む

「ソーシャル企業」に認定されました。S認証第2461330001号

先日受けたセミナーで、久しぶりにドラッカーの「石切り職人」の話を聞きました。ドラッカーの「マネジメント」にでてくる、石切り職人のたとえ話です。

建築作業をしている三人の石切り職人に「あなた方は、何をしているのですか?」と尋ねました。

1人目は「カネを稼いでいる」と答え、
2人目は「技術を磨いている」と答えました。そして
3人目は「教会を建てている」と答えた、という話です。

ドラッカーは、この3人のうち、3人目だけがマネジメント(成果を上げられる人)であると語っています。


これをうちの営業会議で伝えました。

うちの営業をこの話に例えるとこんな感じになる。

1人目は「SESをやっている」と答え、
2人目は「会社の業績をあげている」と答えました。そして
3人目は「留学生を活かしている」と答えました。

当社の営業は3人目であってほしい。たしかにSESと呼ばれる業態ではありますが、それを「SESをやっている」と思っていたら、社会に対する成果は上げられません。

「カネを稼いでいる」人も「教会を建てている」人もやっていることは、石を切ることです。その行為にどれだけ意味を見出せるか。「でも結局石を切るんじゃないですか」とみんなが思うのなら、うちはただ「石を切る会社」になるだけです。でも私はそんな会社にはしたくない。うちの会社はSESをやっている会社でなく、留学生を活かしている会社だと思うからです。

どれだけ「留学生を活かしている」と思っている人がいるか。それがいないのなら、当社の存在意義はなくなります。

 

 

 

雑誌『経済界』に「人材育成企業」として掲載されました。

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現在開催中の大阪万博。1970年の大阪万博との比較の中で、70年時の中心的人物として、小松左京や岡本太郎が最近よくTVに登場しますが、そこになぜ、私の尊敬する人物「梅棹(うめさお)忠夫」という人が出てこないのか、不思議に思っています。私はこのひとこそが1970年大阪万博を作った人だと思っています。

梅棹忠夫さんは、日本の文化人類学、民族学の先駆者の一人で、1957年に「文明の生態史観序説」という論文を発表しました。私が読んだのは大学時代でしたが、「日本と西欧は同じような発展を遂げてきた同レベルの文明国だ」、「アメリカは西欧のコピーの国なので日本よりも文化レベルは下がるのだ」というような論旨を見て、1957年の時点でこういうことを考えられるこの人はすごい人だと、感じたものでした。

またこの人が書いた「知的生産の技術」という本は、たしか小学校の教科書にも掲載され、それを読んだ私は、そのあとから作文を書くときは、ここにでてくる文章のまとめ方を使って、作文を書いていました。

作文の時間に、まわりのみんなが一斉に作文用紙に向かっているところに、私だけ先生からわら半紙を数枚もらいそれをカードの形に切って、書きたい内容をカードに一つずつ書き出し、それを組み合わせるという作業をしていました。

その組み合わせを授業時間中に終えれば、あとは宿題で文に起こすだけで作文完了です。そのほうが早く、しかもしっかりした内容の作文ができたので、できあがった文はよく先生に褒められました。授業中に作文を書かない大野がなんで褒められるんだと、まわりからは思われたかもしれませんが、それは梅棹忠夫さんの「こざね法」のおかげです。

梅棹さんは、1970年の大阪万博が決まる前から、所属する京都大学の若手学者たちと「万博を考える会」を主宰し、学者の意見として万博のコンセプトを自主的に考えていました。そのコンセプトが国に採用され、万博の正式なコンセプトになりました。その会にいたのが小松左京さんで、そのコンセプトで万博をプロデュースする人として岡本太郎さんを指名したのです。

つまり、1970年の大阪万博の本当のプロデューサー、グランドデザインの総指揮者は、梅棹さんなのです。しかし、最近の報道にはその名前は全く出てきません。

ちなみに、万博のコンセプトを国に提供する代わりかどうかはわかりませんが、万博の跡地には国立の文化人類学の博物館をつくることを国に認めさせます。「文化人類学」という学問がまだ国民に認知されていない時期に、国立の施設を作らせる、しかも万博の広大な跡地を民間で活用したい企業の思惑もあったはずですが、それをはねのけて実現させる実行力・国を動かす政治力は、学者の能力を超え、事業家としての能力を多分に感じる人でした。

また、岡本太郎の「太陽の塔」の地下には世界の仮面や道具が展示されていましたが、それは若手の民族学者を世界に派遣して収集にあたり、そこで集めたものを万博後の「国立民族学博物館(みんぱく)」のメイン展示資料としました。国のお金で学者の研究を支援し、学者の夢を実現する、そのあたりのみんぱく設立の経緯を読むと、すごい剛腕な人だなと感心します。

そんな学者の枠を超えた剛腕さがゆえに、メディアに扱われないのかもしれませんが、その構想のスケールの大きさや考え方の大きさに、私は学者としても、ものごとをすすめる事業家としても、梅棹忠夫さんを尊敬しています。

インタビューで「尊敬する人は?」とか「座右の書はありますか?」と聞かれると、「梅棹忠夫です」「文明の生態史観です」と応えます。そのたびに上記の説明をしないといけないのですが、それでも、自分がスケールが狭いなと感じたときに読む本はこれです。

ぜひこの先、今の万博が終わるまでに脚光をあびてほしいと思います。

 

 

「他社との差別化を図れ」といろんな本で書かれていますが、私は差別化よりも「異色化」を目指すべきだと思っています。

異色化(差異化でもいい)とは、『他社のサービスと当社のサービスは「別物」』と認識されるということです。異色化ができれば、他社はまねできず、自然に独自のポジションを確立することができます。

異色化のポイントは「他社がやらないことをやる」ということです。経営学者の楠木 建さんは「他社ができないことをやる、他社がやらないことをやる、これが競争戦略の原理原則です。」と言っています。アップルのスティーブ・ジョブズは「Think different」と唱えていました。different(異)を考えろ、ということです。better(差)ではない。

思えばこの考え方は、私自身が子供のころからなんとなく考えていた自分のポジショニングの考え方に似ているなと、思います。
周りが野球やサッカーをやっているときに自分はラグビーを選び、留学先も欧米ではなく、中東にいきました。勉強したのも英語でなくアラビア語です。語学が役に立つかどうかではなく、他者と違う存在になることを目指していたような気がします。

起業をしたこともここからの発想かもしれません。当社を創業した時の動画でも「one of themにはなりたくない」と言っていました。いつも「周りと同じじゃつまらない」と考えていた気がします。

その結果、当社は「社員全員が留学経験者のIT企業」とか「1ヶ月の特別有休を出す企業」「スリランカで採用する企業」「アジア中東へ研修に行くIT企業」「無料の社外事業を行う企業」など、他社がやらないことをやる企業になりました。それでもまだまだ異色な存在とは言えません。

ただのあまのじゃくとか、ひねくれてるだけかもしません。でも「異色な存在になるにはどうしたらいいか」に対する答えは、自分の考え方からすると案外簡単に出てくるかもしれないなと思っています。

他より優れている存在でなく、異色な存在を目指す。「アレックスはIT業界で異色の存在です。」と社会から認知されることを目指してこれからも経営していきます。
 

 

 

 

株式会社アレックスソリューションズは“世のため人のため”に事業に取り組む

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