明日への轍 -25ページ目

明日への轍

齢五十を過ぎて、ある日大腸がんが見つかる。
手術から回復したと思った一年後、肝臓と肺へがんが転移。
更に続くがんとの付き合いを記録します。

もう三日たったと言うべきか、まだ三日しか経ってないと言うべきか。
今日は非常に順調だった。

朝からお腹の痛みはなかった。
これも、昨日再度麻酔をしたお陰かと思うとそれが切れた時が不安になる。
その時はその時と考えてリハビリに励んだ。
リハビリと言ってもフロアを点滴のスタンドを転がしながら歩くだけである。

B棟の同じフロアを歩くだけではつまらないと別の場所を歩こうと思った。
だが、面倒になって止めた。
点滴のための輸液ポンプがしょっちゅう警告音を鳴らすのである。
バッテリーがない。輸液が流れない。気泡がある。
歩いている途中で警告音が鳴れば看護師に補正をお願いしなければならない。
自分で警告音を止めても怒られる。絶対に触るなと言われているのである。

看護師に責任があるのでそう言うのは当然であろう。
だが、これだとB棟を歩くしかない。

今日は、フロア歩き一回10周を二度やった。
そして、朝からベッドではほとんど寝ていない。
レントゲンにも歩いて行った。

そんなこんなをしている内に夕方になってしまった。
今日、寝れると良いな。


担当医師に聞いてみた。

私:「先生、手術時間が予定より掛かったようですが、何か予定と違う事があった為でしょうか。」
T医師:「いや、予定が四時間ぐらいでしたが四時間五十分ほど、つまり一時間ほど余計に掛かりました。でも、今回の腫瘍が大きかったんで周りを丁寧に取りきるのに時間が掛かっただけですよ。ほぼ、予定通りです。ご安心ください。」

主治医と比べれば、まだ話しやすいT医師。色々詳しくも聞けそうな医師である。
聞いて、また、少し安心した。


今日は昨日と比べて朝からお腹が痛い。
ズッシリと来る痛みに加えて、きりきりくる痛みもある。
堪らず看護師に訴える。

原因は背中からの麻酔の量を減らしているからだと言われた。
結構強い麻酔を使っているため最初は痛みを感じないが、中毒性がある。
だから徐々に減らすのだそうだ。
しかし人により感じかたはそれぞれだから、痛みを感じるならもう少し継続しますとのこと。

もう少し痛みが弱いなら我慢の仕様もあるが、とても我慢できそうにない痛みだった。
麻酔で押さえていただけで、本来はまだまだ痛いんだと実感した。
お陰で頑張って直ぐにでも退院出来そうな勢いがいきなりしぼんでしまった。
再度背中からの麻酔を強くしてもらい、今日も二回フロアを一周した。

少しでも早めに歩いたりすれば大腸の動きが活発になって良い結果となると言われていた。
それなら麻酔が効いている時に少しでも歩いておこうと思った。
ふらついたり目眩がするような事はなかった。

だが、正直言ってこんなにキリキリ痛いと、とてもじゃないが何も出来ない。
それがまだまだ続くと思うと暗くなった。
結局、ただ麻酔が効いていただけの状況を都合の良いほうにばかり期待して居ただけである。

この日の夜も最悪だった。
まずぜんぜん眠れない。おなかの痛いのは麻酔で誤魔化していたけれども、今度は腰である。
三日間、フロアをヨタヨタ歩く以外はずっと寝たままだった。
同じ姿勢ではずっと寝られない。
でも、寝返りを打つと腰が痛い。それに手術した大腸にも影響があるような気がした。
午前零時に看護師に点滴での睡眠剤をお願いしてようやく寝れるかと思った。
結局二時間して目が覚めた。
そしてまた眠れない・腰が痛いが続いた。
辛かった。

翌日の回診で主治医から言われた。
「時間は多少長く掛かりましたけど、予定通り終わりました。」
「問題の箇所を切って、元の部分と縫い付ける。予定通りです。」
そう言われて安心した。
細かいことは聞けないけれども、どうせそのうちに判るだろう。

看護士の話から自分の現在の状況について大体の様子が判った。

管は七本らしい
1 鼻から胃へ
2 尿管へ
3 肛門へ
4 お腹へ
5 背中へ(麻酔)
6 左腕へ(点滴)
7 右腕へ(点滴)

そして体が動かせないため、足をマッサージする機械も取り付けられら。
当初は足で測る血圧計かと思った。

看護師が二人がかりで体を拭いてくれた。
昨日は一晩中熱があり汗をかいた。そして痒かった。
手術前は恥ずかしさもあり、除毛も自分でして居たが、もう何も言えるような状況ではない。
されるがままであり、良いも悪いもない。
看護師と言う仕事は凄いものだ。

尿管や肛門を管で抑えられており、身動きも自由に出来ない。
言われたとおりに右を向き左を向き、足を上げ腰を上げそして綺麗さっぱりしてもらった。
完敗であり感謝の言葉しかない。


酸素マスクと1、7の管はこの日で外された。
徐々に外されていくらしい。早くそうなって欲しいものだ。
でも、大腸の管は最後とか。

歩けそうなら歩けと言うので実際歩いてみた。
お腹がズッシリ重いけれども歩けない事はなかった。
二度ほどフロアを一周歩いた。
手術予定書に確かに翌日から歩く訓練をすると書いてあった。
なるほど歩けるものだと思った。これなら行けると簡単に考えた。

レントゲン検査があった。ベッドに寝たままの撮影だった。
縫合部分がうまく付いているか心配である。
もしもうまく付いていなければ再度手術もあるとか。

本日歩けたからか、足のマッサージ機械は不要ということとなった。
夢を見ていた気がする。何の夢だったのか。今では思い出せない。

名前を呼ばれて気がついた。
「手術終わりましたよ。お疲れ様でした。」と看護師に言われた。
だが、自分は眠っていただけで、お疲れ様は職員の皆さんだけれど。

何とか口が聞けた。
出た言葉は一言:「今何時ですか」
「4時。午後4時位ですよ」「予定通り終わりましたからね」

そう言われて、
「予定通りか。良かった。」
「でも4時ってことは予定より長く掛かったって事かな。」
「想定外の処理があったって事かな。」
漠然とした不安を感じた。

その後、寒い廊下を通って元の病室B棟へとストレッチャーで運ばれた。
だが、寒くて震えが止まらない。そんな状況が暫く続いた。
布団をかけて貰っても同じだった。
後で聞けば、手術直後はこうした震えが来るらしい。麻酔の影響とか。
初めての体験だった。


直後の自分はと言えば、お腹がズッシリ重い感じはするが全然痛くなかった。
相当強い麻酔が効いているのだろう。
その時は、割と元気だった。
母親と姉貴とカミサンへメールを送った。家族Lineも送った。
「まだお腹痛いけど、元気だよ。」
無事に終わったと言われた安堵感と、緊張から解き放たれた高揚感がそうさせたのかもしれない。


自分で想像していた予定終了時刻は午後1時頃だった。
姉貴にもそう伝えていた。
大体五時間位と聞いたはずだったが、自分の想定よりも四時間も余計に掛かった事になる。
こんなときは悪い方にしか考えないものである。
寝ながら想像する。
もしかしたら人口肛門を作ったか、それか他への転移があって時間が掛かったかの等々。

熱があり一時間で毎に目が覚めるような眠りだった。
いつまでたっても朝が来ない。

左手でお腹に触れてみると何かの装置と管があった。これが何か判らない。
肛門にも違和感があった。痛みはないが何かの処置がされているように思われた。
看護師に「それじゃあ行きましょうか。」と言われて「はい」と答えた。
手術室は診療棟の4階にあり、フロア全体が幾つもの手術室に別れているようだ。
同時に幾つもの手術が行われるようで、一寸見た目だと精密工場のようだ。
また手術室は別棟にもあり、こちらほうが新しいらしい。
そんなことでもチョット嬉しい


名前と生年月日と何処を手術するのかを聞かれる。
手術部位まで聞かれるとは思っていないかった。
青い帽子を被らされた。人目で患者とわかる格好だった。
その後、何人か挨拶されたが、誰が誰やら全く覚えていない。
あの緊張感の中で無理な話だ。


それから一番奥の部屋へ案内された。看護師に案内されて歩いて行った。
学校の教室位の広さがあり、奥にはガラス張りの部屋もあった。
手術室には十数人居ただろうか。
主治医も担当医も居たんだろうが、判らなかった。


狭いベッドに寝かされて、酸素マスクをつけられた。
そして血圧計やら点滴やら心電図やら、もう好きにしてくれって位につけられた。

それから、いよいよ麻酔(硬膜外麻酔)のようだ。横になって指示通りに待った。
背中に打つと聞いていた。しかも当初の説明では骨を貫通するような針を刺すと聞いた。
相当痛いだろうと覚悟した。

だが、思ったようではなかった。 時間も掛かったし、何箇所も刺していたように感じた。
今から思えば部分的に麻酔を打って、その後に硬膜外麻酔をして続いて全身麻酔を打っていたのかな。
途中に、女性の声で麻酔の指示をしている声が聞こえた。
「そう、二ミリ位づつゆっくり打って」「そう、そう そんな感じ」
多分、経験の浅い麻酔医に指導をしているのかなという感じがする。OJT?。

そこまでは、記憶がある。
多分、それから手術が始まったんだろう。