「あの日 あの時 世界の街角で」バカブンド -2ページ目

「あの日 あの時 世界の街角で」バカブンド

ブラジル移民から世界放浪 若い頃にフラッシュバック
消せないアルバムの話。

シャンゼリゼ通りの裏通り、ダルトア通り。

 

ここ通りの小さな和食レストラン、ここに若者が集まる。

 

毎日がドラマの様な青春物語、キャストも千差万別で男も女もだ。

 

ウェーター、フレンチのコック、美容師、ファッション関係、スキープレーヤー

絵描き、バックパーカー族等々。

 

「こんな時間は二度とない、真似も出来ない、お金じゃ買えない、最高の自慢だ」

「あの時の出来事を全部話してみたい」

 

ある日曜日にスキープレーヤーの車で、バックパーカー族、絵描きと自分、

パリ郊外にドライブした。

 

途中の道沿いにイチゴ狩りの畑があった。

 

スキープレーヤーが「イチゴが好きだから食べたい、絵描きも賛同」

皆んな金も無いのに「気楽な連中」「食べ放題だからお昼ご飯だ」

「食べた食べた」どの位食べただろう、そして 笑った笑った。

 

「何を話したかあの時間」青い空、一面のイチゴ畑

 

あの日のあの時間「忘れられない」出来るならタイムトラベルしたい。

イタリア以来の海外はアメリカでの仕事。

 

成田で会ったメンバーは若者だらけ「こんな感じでやるのか」

 

メンバーの中では俺は歳上組「板長、寿司屋の親父、次が俺」

 

他に俺の歳に近い人と若い奴が二人、サービスは若い女の子が15人位の大人数。

 

「こんな感じで、日本パビリオンの日本食店をやるのか」

 

ニューオリンズでの万博は普通に始まった。

 

仕事はそんなに難しくないが、若い人達との会話に付き合う毎日。

 

「今時の若い女の子は、話のテンポが早い。仕事の愚痴、彼氏の話等々」

 

「毎夜で酒を飲みながらで、馬鹿な話が尽きない」

 

宿舎のそばにも行きつけの店も出来た。

 

ビーフジャーキーが旨いカウンターの店で、女の子達と夜な夜な遅くまで飲む事も度々。

 

「こんな事ばかりでいいのかな」パリ時代以来の感じだ。

 

ある時、映画館でゴーストバースターを見て、その後はディスコ。

 

酒を飲んでいたので、ニシシッピー川の河川敷を朝になるまで歩いた。

 

その時、その子達がユーミンの♩埠頭を渡る風♩をつぶやいていた。

 

♩もうそれ以上 優しくなんて しなくていいのよ♩

 

バーボンにジャズの街は「砂漠の蜃気楼」様に、毎夜のトーキングタイムに溢れていた。

 

トレンディドラマが本当に現実に流れていた「笑える あの時の俺」

朝から、一ヶ月後の店のオープン準備の打合せ。

 

初めて会う人達だ「顔を見るだけで一癖二癖もありそうな人間達」

 

天ぷら担当の責任者と寿司担当の責任者「どう言う訳か石焼ビーフの担当の洋食の人もいる」

どう考えても調和が取れているとは思えない「当分は様子を見ながら考えよう」

 

「天ぷらの責任者が、どうも態度が一番大きそう」「寿司の責任者は、我冠せずのようだ」

「洋食の人は腕がなさそうで、天ぷらの責任者に媚を売っている感じ」

 

初めに起きた問題は、日本での契約内容と違う件だ。

寿司の責任者の給料の内容が、日本で聞いたのとは違うと言い日本に帰ると言う。

 

次に起きた問題が、誰が親方という問題。

天ぷらの責任者が、日本を出る時に社長から親方と言われたと言う。

店の女将は、日本での水商売の経験がないので判断がつかないようだ。

日本の社長に現状を電話して来てもらう事にした「こんな調子で出来るのか」

 

夜になると、それぞれの部屋での作戦会議。

 

俺は家族がいるので、生活が出来る様に準備を始めた。

経理担当の女性が子供が好きなようで、よく部屋に来るようになった。

女房とも気があったのか仲良くなり、おかげで色々と助けてもらった。

ある時、彼女が言った言葉が「どうして、日本から来た人達は仲が悪いのでしょうね」

「仲が悪い訳ではなく、自分の立場をはっきりさせないと、仕事をしないのが職人と言う人種」

と教えたが彼女は理解できないと言う。

 

数日後、日本から社長がやって来た「建設中の店の中でのミーティイング」

 

社長は、責任者の件の話を皆の前で始めた。

「和食の責任者を中心にする。皆も協力するように」

 

その時は皆も解ったような顔をしたが「これからが大変そう」

 

最悪な人間関係は無協力体制の始まり。