「あの日 あの時 世界の街角で」バカブンド

「あの日 あの時 世界の街角で」バカブンド

ブラジル移民から世界放浪 若い頃にフラッシュバック
消せないアルバムの話。

店の前は、ポトマック川でヨットハーバーがあった「高級な場所だ」

 

店はそれなりに起動に乗り夏がやって来た。

 

ある日、突然に社長が日本からやって来て「全員を集めてミーティング」

「飛行機に食事を提供する仕事を始める」新しいビジネスの事を説明した。

我々は反対する必要もないが「どうやるのか、人の件はどうするのか」質問が出た。

「現在の人員でやる」その上その責任者は俺。

レストランの方は、天ぷら屋の責任者中心でやると言う。

「初めからこれを考えていたのか」腹がたったが、その時は無表情のまま答えなかった。

 

家に戻り家内に話すと、彼女も話があると言う。

「子供が出来たの」「えっ、本当に」

「嬉しいけれど、これから大変になるけど」子供には罪はない。

女房にもその話をした「忙しくなるね、大丈夫」「子供、どうしようか」「日本で生もうか」

「ばか言え、俺はがんばるよ」俺はその仕事を始める事にした。

 

それから始まる過酷な日々は、想像も出来なかった。

 

その仕事は始まった。

 

昼は通常の営業がある為、我々の新しいビジネスチームは夜中の仕事だ。

内容は飛行機への和食の提供「メンバーは寿司職で親方と合わない奴」

「大学を出て寿司の見習いで、ドライバー兼務の二人」

「都合のいいように俺は使われたのだ」

ビジネスの相手は大企業だが、俺達は瓢箪から駒的な感じでの仕事。

「上手くいけばラッキー、駄目でも痛手が小さい」

 

夜中の仕事は思った以上に辛い、生活が真反対で家族との時間はすれ違い。

その上、年中無休でシフト勤務「責任は全て俺」「どうして、こんな仕事を受けたのかな」

生まれる子供と家族の事を考えると後には引けなかった。

 

「仕事は順調に進んだ」朝方に出来た食事を飛行場に届ける。

 

「飛行場までのフリーウェーは素晴らしい、それと終わった後でのビール」

「普通の人達はその時間に仕事に行く」小さな優越感が自分を支えた。

ある日、事件が起きた。

シャンゼリゼ通りの裏通り、ダルトア通り。

 

ここ通りの小さな和食レストラン、ここに若者が集まる。

 

毎日がドラマの様な青春物語、キャストも千差万別で男も女もだ。

 

ウェーター、フレンチのコック、美容師、ファッション関係、スキープレーヤー

絵描き、バックパーカー族等々。

 

「こんな時間は二度とない、真似も出来ない、お金じゃ買えない、最高の自慢だ」

「あの時の出来事を全部話してみたい」

 

ある日曜日にスキープレーヤーの車で、バックパーカー族、絵描きと自分、

パリ郊外にドライブした。

 

途中の道沿いにイチゴ狩りの畑があった。

 

スキープレーヤーが「イチゴが好きだから食べたい、絵描きも賛同」

皆んな金も無いのに「気楽な連中」「食べ放題だからお昼ご飯だ」

「食べた食べた」どの位食べただろう、そして 笑った笑った。

 

「何を話したかあの時間」青い空、一面のイチゴ畑

 

あの日のあの時間「忘れられない」出来るならタイムトラベルしたい。

出張で来たハワイ「懐かしい」

まさか何度目のハワイでこんな事が起きるなんて。

 

仕事は飛行機に食事を提供する事、親会社は大手航空会社。

その航空会社が、念願のホノルルからの初フライトに、食事を乗せるまで調整する為の出張だ。

 

初フライトの何日前から現地入りし調整「いよいよ明日フライトですね」

一緒に来た航空会社の社員は緊張している。

「明日は社長も来るので 今日は寝れないです」

俺は「まあ 大丈夫ですよ」「普通にやりましょ」

 

ワシントンDCでこの業界の仕事携わったのがきっかけで、この会社に誘われて入社。

入社して何年かで、大手航空会社の念願の仕事を任された。

 

「今日の夜から準備があるので少し休みます」

「ゆっくり休んで下さい 今夜はよろしくお願いします」

「解りました」そう言って別れ、ホテルの部屋に戻りベットに入った。

 

どの位経ったのか「起きて下さい」強くドアを叩く音。

「どうしたのですか」

「大変です 準備していた業者が保健所のチェックでダメに」

「どうしましょ どうにか出来ますか?」

「何でもやります お願いします」泣きそうになる社員。

「飛行機は満席ですよね」

「エコノミーは洋食対応でどうにかなる でも 蕎麦が付く 出汁か」

こんな会話を何分かして「やるしか無いでしょ」

 

それからが大変、ホノルル市内のスーパーで日本食材の大量買い。

その食材を仕込みして、明日のフライトまでに調理する。

 

ワシントンDC時代の経験がここで発揮。

 

そして翌日、昨夜から徹夜で調理した料理を、飛行機に無事に積む事が出来た。

 

「本当にありがとう御座います」目いっぱいの涙の社員。

「俺は疲れたので休みます」流石に疲れた。

 

それから何週間か、何人かの現地ヘルプを使ってこなした。

その後は現地業者を決め、段取りをつけて帰国する事が出来た。

 

世界を周り、やってきた事がこんな形で結び付く。

「俺のハワイ色々物語」