ピエロの独り言
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愛しい娘へ


2月16日の朝、大事な大事な娘わんわんが死んでしまった。




享年13歳。




犬としては寿命を全う出来た方だろうか…





12月半ばぐらいから体調を崩し始め、食欲がなくなったり苦痛の為か寝る事も出来ない日々が続き、たまに眠れた日の後は元気になったりまた悪くなったりの繰り返しの果てに逝ってしまった。




前日の夜仕事から帰ると、いつもに増して苦しそうだった。




帰ると直ぐに娘わんわんに「ただいま」の挨拶をしたら、お米を研ぐのが日課になっているため、お米を研いでついでに洗い忘れたお皿を洗って、洗いカゴに置いただけだったのに真っ二つに割れてしまった。




皿なんぞ何年も割ってないのに、やはり不吉な予感がして、仏壇に行き兄貴とお袋に「まだ連れてかないでくれ!!」って頼んでしまった。




内心もうダメかと思い、寝ずに様子を伺っていました。




朝も9時過ぎた頃になってちょっとだけウトウトしてしまい、気付いて見に行くと今まで何度も「ここに居なさい」って言っても居てくれなかった娘わんわんのベッドに1人で入って横たわり虫の息でした。




近寄ってさすってあげていたら、三度程「オェー」っと言う仕草をして、三度目のその時そのまま息絶えてしまいました。




この子は本当に良い子で最後の最後まで、ここに居ろと言われたベッドに1人で移動して、俺がうっかりウトウトしている間に逝く様な事もせず、お昼も過ぎたら俺が仕事に行かなければならない時間も分かっていたのか迷惑をかけないように、死に場所も死ぬ時間も死ぬ日までも選んでくれたような優しい子でした。




翌日は(17日)は俺が休みだから、職場に迷惑をかけることなくこの子の最後の面倒をみてあげる事が出来て本当に助かりました。




全てこの子が分かっていて選んでくれたとしか思えないタイミングでした。




生後2ヶ月から俺のところにきて13年一緒にいてくれた。




家族や兄弟よりも一番長く一緒に暮らした子でした。




母親が一番長くちょうど13年ぐらいだから、一緒に暮らした日々は一番長かったと思います。




この子には色々な事教えて貰いました。
優しさって何だとか、無償の愛情って何だとか、喜びや悲しみや甘え方までこの子に教えて貰った事は数え切れません。




元気が取り柄でイタズラばかりする子だったけど、本当に手が掛からず優しい良い子だったので悪い思い出が一つも無く、ただただ感謝の気持ちしかありません。




大した事もしてやれず、1人でお留守番させるばかりで、悲しい思いを沢山させてしまう状態だったのに、13年も一緒に過ごしてくれて本当にありがとう。




去年前カノとの別れを選んだ時涙一つ出なかったと言うのに、この子とのお別れは果てしなく絶望的で悲しくてとにかく泣き続けてしまいました。




亡くなってから今で一日半ぐらいだけど、十年分ぐらいの涙を流したと思います。




これを文章にしている今も、沢山の思い出を思い出しては溢れ出る涙が止められません…。




犬を「たかが犬」と思う方には何を言ってるんだと思われるかも知れませんが、自分を犬だと思っている俺に取っては掛け替えのない家族としか思えないんです。




以前ここに俺の人間不信ぶりや、その為にこの先彼女も作らず独りでやって行くんだ…なんて事を書いていましたが、一昨年縁があり何年か振りに彼女を作ってはみたものの、やはり女性特有のワガママや気まぐれな感情に辟易してしまい、些細なキッカケで別れを選んでしまって、女性不信に輪をかける様な事になってしまったけど、その時もその前の女性不信になってしまうキッカケになった彼女との時もこの子が側にいてくれて支えてくれていた。




当時色んな事も重なり、一番辛く投げやりな時この子が居てくれたから乗り切ることが出来今の自分があるので、この子には感謝以外何物もありません。




出来る事なら俺の命が尽きるまで一緒に暮らしていたかったよ。




ありがとうニコニコ




色んな事教えてくれて…




ありがとうニコニコ




辛い時側にいて支えてくれて…




ありがとうニコニコ




沢山の思い出を…




ありがとうニコニコ




ゆっくり休んでねニコニコ




大好きだったよ!




愛しい娘わんわんへ…

秋の夜長

毎年書いてる気がするが、肌寒くなり秋の雰囲気漂うこの時期が一年で一番好きな時期ニコニコ




何でも無いのに何故か物悲しくなってしまう(つд`)




そんな哀愁を感じさせられる時なんだけど意外に好きだったりする音符




しかし今年は何だか、その哀愁感が怖いような気がしてしまうしょぼん




理由は分かってる。。。




もう過去の事なんだから考えてはいけないのも分かってる。。。





でも…











何故今になって心痛めるのだろう!?




いや今まで痛くないフリをしてただけなんだろう。。。





この秋の夜の物悲しさがそれを呼び起こしてしまう!!!!!





華やかな夏が終わってしまった事に恐怖を感じてならない(/_・、)





今日の雨はいつも以上に冷たかった雨





夏よ終わらないでくれ!!

遺書の話

先日 日航機墜落事故についてのお話を書きました。




河口さんと言う方が書き残したメモ書きに心を打たれ、そしてその中で俺の兄貴が同じ事をした話等も書いた訳なんですが…





そのメモ書きは、アメリカで亡くなった兄貴の遺品整理をオフクロと嫁さんがしていて、確か嫁さんが見つけた物だった。




仕事に行く時に使っていたカバンの中にあったとか…?




そのメモ書きの実物は未だに目にした事がなく、これからも目にする事はないだろう?





それは嫁さんに宛てた物だった。




葬式が終わった後オフクロが話してくれたのだが、嫁さんが「これは一生私の宝物にする」と言って渡してくれなかったので、少し貸してくれと言って、目を盗むようにして書き写してきたんだと…




それを読んだ時衝撃が走ったのを今でも覚えている。




余命宣告をされていた訳でもないのに、自分の死を予感して残された家族に何かを書き残す…一体どんな心境で書いた物なのか?




その行為は死を受け入れて初めてできる行為なのではないだろうか?




もちろん答えは知る由もない。





ところで何故改めてこの話を書いたのかと言うと、この前の日曜日ふっと高校時代から付き合いのある先輩が9月の中頃あたりが誕生日だった事を思い出し、メールでもしてみようかと思ったけど正確に何日だったか思い出せない。





そこで当日使っていた手帳がどこかに残ってないかと探していた。




何年も開けていない様な箱や引き出しを探して見たけど見つからない。




諦めようとした時、全く見覚えのない封筒が目に入った。





開けてみると今度は見覚えのある紙切れが一枚入っていた。





そうオフクロが書き写してきたと言う兄貴が残したメモ書きの写しだった。





オフクロが死んで間もなく4年が経とうとしている今…




オフクロの遺品を整理した時に散々探したけど見つからなかったと思ったら、こんな所にあったとは…




十数年振りに読み返してみて、前述の河口さんと同じ様に家族への愛情タップリの内容に自然と涙が溢れかえった。





それと同時に闘病末期にボケ始めたオフクロが、自分がしっかりしている合間に、やはり自分の死を予感してどこかに紛れて分からなくならない様にと、オレの持ち物の中に忍び込ませて置いたんだ…と気づいた俺は涙が止まらなくなってしまった。





家族を持たずに今まで来てしまったオレだけど、改めて愛する事の出来る人には巡り合いたいかな?って思っちゃいましたニコニコ
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