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自転車に家族を殺されるということ

交通犯罪犠牲者の命が紙クズ扱いされる司法を変えていきます。フェイスブック・Twitterも発信中。
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2014年1月28日に判決が出て裁判は終わりましたが、私の交通犯罪遺族活動は続いています。

先日、このブログのアクセス数が異常なことになりました。


普段の1日アクセス数は(たまにしか確認していませんが)
数百人単位で安定していましたが、急に万単位に膨れ上がり、
各ジャンル別ランクが1位という異常事態になりました。
(今も1日千件以上のアクセスが続いています・・・)


何が起きているかわからず、気味悪く感じていましたが、
その後しばらくして、理由がわかりました。


読売新聞の取材記事が話題になり、それがきっかけになって、
まとめサイトで、フジテレビのやり口が議論されたようです。


いわゆる「炎上」という現象です。


もちろん、私自身が矛先になったわけではなく、
焼かれていたのはあくまでフジテレビだったわけですが、
こんな一気に見る人が増えることには正直驚きました。


ただ、いつも悲しく、そして残念に思うことは、
こうして関心を持ってもらえることには素直に感謝しますが、
それが実際の自転車遺族の救済に結びつかないことです。


私はたくさんのアクセス数を得ることには興味がありません。


ブログランキング上位になることにも無関心です。


なぜこのブログを続けているかと言えば、
必要な人の目にとまることで、支援の輪を広げたいからです。


自転車遺族がいれば、声をかけるつながりがほしいからです。


声を発し続けることで、司法を、国を、変えたいからです。


それはアクセス数やランキングとは別の話だと考えています。


また別途書きたいと思いますが、今までの活動を通じて、
何人かの自転車遺族と接する機会はありました。


しかし最後まで闘いきることのできた遺族はいませんでした。
一人もいませんでした。


何をしていいかもわからないまま、相談するつながりもなく、
警察や検察に足蹴にされ、裁判所にも適当にあしらわれ、
ふと気がつけば、後悔しか残らないという方ばかりでした。


そんな結果に茫然自失のまま、民事の時効も過ぎてしまい、
損害賠償請求の権利すら奪われてしまった人もいました。


闘うための入口にも立たせてもらえないままの人もいます。


加害者の高笑いばかりが耳に聞こえてきます。


そんな人を一人でも減らしたい思いでブログを続けています。
被害者・被害者遺族の目印であり続けたいと思っています。


だから「自転車に家族を殺されたらしいよ」という人がいたら、

このブログの存在を教えてください。

被害者や被害者遺族からのメールには返答しています。

先週末はお彼岸だったので、母の墓参りに行ってきました。


交通犯罪で母を殺されてから5年がたちましたが、
1月命日、3月春彼岸、8月御盆、9月秋彼岸の年4回は、
墓参りに行くという行為を愚直に繰り返してきました。


彼岸や盂蘭盆にはいろいろな説や意見がありますが、
生者と死者の距離が近くなる時期ということもあり、
またそうした区切りを見つけて、「行く」と決めることに、
墓参りをする意味もあるのかなと自分は考えています。


毎回の愚痴になってしまいますが、やはりお墓は遠く、
今回も、毎年恒例のお彼岸渋滞に巻き込まれてしまい、
行き来に計7時間以上もかかってしまいました。


昼過ぎに出て、結局、夕方の墓参りになってしまいました。




帰りはこんな暗い中で、まだ渋滞に巻き込まれていました。




今は赤ちゃんもいるので、その体調も考える必要があって、
準備もいろいろしなければならず、なにかと大変です。


事件前は、両親に親戚付き合いがほとんどないこともあり、
墓参りなどはずっと無縁なまま過ごしてきました。


しかし、今は年4回以上、欠かさずお墓参りはしている。


事件から、裁判を闘ってきたとか、遺族活動を始めたとか、
自分の人生で、たくさんのことが変わってしまいました。


こうして死者と向き合う行為を繰り返していることも、
事件前に再び戻ることのできないだろう大きな変化です。


能天気な人生、笑顔だけの人生、楽しいだけの人生とは、
今生では未来永劫、無縁になってしまいましたが、
代わりに、同じ悲しみを共有する人たちとの絆の深さ、
本当の人の優しさと温かさを知ることができました。


事件を振り返る機会、死者と向き合う機会と同時に、
静かに我が身を見つけ直す機会も増えたように感じます。


今回のお彼岸の墓参りもそんな機会でした。


これからも無理せず、突っ走らず、日常だけに流されず、
できることを少しずつやっていきたいと思っています。

読売新聞で、自分の取材記事が掲載されましたので、
遅まきながら、ここでも報告させていただきます。


「自転車 潜むリスク」
と題した計3回の連載の2回目(上中下の中)の記事で、
3月5日(木)朝刊の社会面に掲載されていました。


あいの会のブログでも、下記のリンクで書きましたし、
詳細は「記事を読んでください」と言うにとどめておきます。


あいの会ブログ
http://blog.livedoor.jp/i_nokai0708/archives/43871668.html


ただ一つ言えば、これまで取材を受けてきたなかでも、
最も丁寧に取材された記者の方だったと感じました。
話を作られたり、使い勝手よく切り貼りされることもなく、
全体的にバランスよく書いてもらえたと感じています。


実際に、昨年から数ヶ月かけて、対面で2回お会いし、
「聞き違いだったらすいません。ここはこうでしたか?」
「こういう理解ですが、間違いはありませんか?」
と電話でも10回以上確認を受けたりしましたので、
読む前から変な記事にはされない安心感はありました。


以前のブログでも書きましたが、悪辣なフジテレビと、
その制作会社によるマスコミ被害に遭った直後だからこそ、
こうした誠実な記者の存在には救われた気持ちになります。


地道に取材を受けて、報道機関を通して
訴えたい実態やメッセージを伝え続けていくことは、
遺族活動の一つとして、大切にすべきことです。


当然、報道機関には報道機関の姿勢や事情もあり、
私たち遺族の広報活動に利用することなどできません。


そんななかでも、真摯な報道関係者がいることも思い、
声を伝えてもらうことに絶望してはいけないと感じました。


※大阪本社版なので東日本では閲覧ができないようです。



3月1日(日)は、あいの会の定例会でした。


当日は、午前中に自宅で新聞社の取材を受け、
午後は義理実家に行ったりで、すぐに夕方になり、
最初から定刻の17時には間に合わなかったので、
事前にお断りの連絡を入れていたにも関わらず、
「では東さんのおごりね♪」
と酷な言葉を投げかけられるなどをしつつ(笑)
なんとか17時半からの参加がかないました。


※というか、みんな、着くのが早すぎ・・・。

 16時前には「着いた」「着いた」のLINEが・・・。


***  ***  ***


あいの会ブログでも書かせていただきました。


あいの会定例会兼懇親会(2015.3.1)
http://blog.livedoor.jp/i_nokai0708/archives/43639084.html


***  ***  ***


ネット上では書けないことも多いので、
この場で話し合った内容については割愛します。


すいません・・・。


でもこれだけは言いたいことは、いざ困った時に、
支え合える人にそばにいてもらえること。


知り合ったきっかけはつらいことであっても、
そういう縁に恵まれたことは幸せだと思っています。


この日は、冷たい雨の降り続ける寒い日でした。

しかしアルコールもあったのでしょうが、

心身とも温かい感覚で、帰途につくことができました。


今月は、私個人の遺族活動としても、
追い追い、いくつか報告が上げられると思います。



タイトルの通りですが、マスコミ被害に遭いました。


発端は昨年にさかのぼります。
再現ドラマ制作にあたって、取材協力がありました。


・自転車事故を起こすとこんな大変なことになる。
・だから自転車でも気を付けて運転すべきだ。


フジテレビで、そういう主旨で再現ドラマをやるので、
インタビューを撮らせてほしいとの依頼でした。


報道とは異なることから、受けるかどうか悩みました。


しかし最終的には、啓発になるのであればと思って、
インタビュー撮影を許可することにしました。


しかし・・・放映されてみたら・・・


想像を絶する酷い内容でした。



・〇〇万円賠償命令という新聞記事がバーンと出た後、
 突然に始まる自分のインタビュー映像


・そして再現ドラマ開始なのですが、最初から、
 あきらかに悪意に満ちた被害者(?)少年とその家族
 (顔に怪我をしたという設定でした)


・そのいやらしい目線が繰り返しアップ


・警察や弁護士の、ギャグでしかない極端な態度
 (実際にこんな警察官も弁護士もいるわけないレベル)


・結局被害者家族は、金銭目当ての当たり屋一家というオチ


・その瞬間に映し出されるゲスト芸人の大爆笑の顔


・締めは「これは悪いヤツが考えてくるわー」という芸人コメント



・・・まったくもって吐き気しかしない内容でした。


当然、こんな内容などとは全く聞かされていませんでした。


実は私はこれまで、自分の出た番組は見たことがありません。
(判決後に記者会見した日の夜のニュース番組は除く)


しかし今回に関しては、あまりに酷い内容だと聞き、
しっかり確認するためにも、吐き気をこらえながら観ました。


低俗とはこういう番組のためにある言葉だと感じています。


こんな番組に遺族のインタビュー映像を出す意味など何もない。


少なくとも、面白おかしく笑い飛ばそうという番組であれば、
遺族インタビュー映像など決して出してはいけないのは当然です。


それを視聴率至上主義のための肉付けのためか知りませんが、
遺族を騙して、映像をかすめ取るなど、ありえない話です。


こういう番組であれば、最初からはっきりと、

「当たり屋にお金を騙し取られる話ですが、いいですか?」

と説明すればよい。

隠していたのは、言えば断られるとわかっていたからでしょう。


関東交通犯罪遺族の会(あいの会)でも話し合った結果、
個人でなく、会として、正式に申し入れすることにしました。


これは、私個人への侮辱・冒瀆であるというにとどまらず、
被害者・被害者遺族全体への侮辱・冒瀆だと判断されるからです。


ですので、内容を検証の上、今後、厳正に対処していきます。


フジテレビと制作会社に対しては、徹底的に追及する予定です。


遺族活動として、余計な仕事を増やしてくれたと呆れています。


しかし、すべては、これからの話となりますので、
詳細については、今のところ書けません。ご理解ください。


ただ、今回こうしてブログに書かせてもらったのは、
番組を見た人がいて、「なんでこんな番組に出ているの?」
と怪訝に思う人もいたかもしれないと思ったからです。


あんな最悪最低な低俗番組と知っていたら、
当然インタビュー映像なんか撮らせるわけがありません。


遺族を侮辱・冒瀆するフジテレビと制作会社は絶対許しません。


またその後は追って報告していきます。



命、そしてその尊厳が奪われる事件が起きました。
例の「イスラム国」による日本人人質殺害事件です。


このブログでは、政治的な事柄や時事的なネタは、
意図して極力触れないいまま、今まで書き続けてきました。


自転車問題の報道からも、極力距離を置いて触れずにきました。
(報道のほとんどがくだらない内容という理由もありますが)


理由としては、遺族活動をしていて、言葉を発している以上、

そうした臭みをまとうことは本意ではないと考えたからです。


ただ今回の事件は、日本って何なんだろうという思いも含め、
いろいろ考えてしまうことがありましたので、少し触れます。


もちろん悪はテロ組織であることが大前提ですが、例えば、
自己責任論と安倍政権批判論、家族へのバッシングの問題、

政治利用、クソコラグランプリ、一部著名人による自決要請や

在日がどうのこうのの発言、追随する世論の二転三転、等々が、
いろいろ考えたことのほとんどですが、ここでは封印します。


ただ命の尊厳は、少なくない人が声を出し続けなければ、
決して十分には守られないし、容易に損なわれてしまうことを、
今回の事件を通じて、あらためて感じました。


後藤さんと湯川さんの命の取り扱い方の違いも、
(まだまだ小さい声のようですが)問題になりました。
後藤さんは人格者だけど、湯川さんは軽率だった・・・等々。


確かにそうだったのかもしれないけれども、
だからと言って、湯川さんを冒涜することは失当だと考えます。


もちろん、命は平等ではありません。


あえて毒を吐きますが、私たち被害者遺族の多くにとって、
もし加害者が悲惨な死に方をしたということを知ったとしたら、
本心としては、それはとても喜ばしいニュースになると思います。
(もちろんそう思わない、真に品行方正な方もいるでしょう)


私だって、小躍りして、ガッツポーズくらいはすると思います。
(もちろん人目のあるところで、事実を知って気持ちを聞かれたら、
 神妙な表情を作って、「そうですか。コメントはありません」
 とやり過ごして、「良識ある社会人」の体裁を保つと思います)


断ち切られて喜ぶべき命があるのは事実だと考えています。
例えば、麻原彰晃に天寿をまっとうさせる理由などないはずです。


しかし罪のない人の命は、最大限尊重されるべきと考えています。


当たり前のことですが・・・


しかしその当たり前のことが果たされないこともあります。


湯川さんは、奥様を亡くされ、事業を模索しているうちに、
異国で、一人寂しく、あのような死に方をしてしまった。
その心の孤独を思うと、とても悲しくなります。


後藤さんは、覚悟を決めた最後の表情がいつまでも残ります。


「目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。
 それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。
 そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった。」
https://twitter.com/kenjigotoip/status/23238345864


ここ数日、よく引用される後藤さんの過去のツイッターの言葉。
あの時の後藤さんの表情も祈りだったのか。


残虐に殺され、動画や画像を公開され、遺体も返されない。


残された奥様と幼い娘さん2人の置かれた悲痛を考えると、
面識のない人に対し、こんなことを書くのもどうかと思いますが、
表現しようのない、押し潰されるような気持ちを感じます。


昨年生まれたという娘さんは、うちの娘と将来同学年になります。
その娘さんは、父親のことをどう聞き、どう思って成長するのか。


かつてイラクで殺された香田証生さんの殺害映像は、
今でも、誰でも、簡単に見ることができてしまいます。
ネットに出回った画像や映像は半永久的に流れ続けてしまう。
かつてあるバンド(名前も知らないような泡沫バンド)が
ライブ会場のバック映像にその映像を使い、問題になりました。


吐き気のする、ゲスの極みです。


後藤さんについては、そうしたことのないように祈ります。


また週刊誌で、後藤さんが風俗店経営していたと報じられました。
そして、その風俗店経営者が同姓同名の別人だと公表しています。
http://blog.livedoor.jp/kenji_goto/archives/43128448.html


この方が「言うまでもないこと」と書いているように、別人だとは、
簡単にわかる話なので、意図して悪意ある記事が出されたのでしょう。


その週刊誌編集部より、この風俗店経営者の「後藤さん」のほうが、
はるかに高潔で、常識的で、きれいな心を持っていると感じています。


後藤さんと湯川さんの命は奪われてしまいましたが、
この国において、その尊厳は守られていくことを祈っています。


そして二人の死が、政治的な利用道具にならないことを祈っています。


残されたご家族が、醜悪な二次被害に遭わず、同情ではなく理解を、
そして必要な支援を受けられることを祈っています。


後藤さんと湯川さんのご家族は、犯罪被害者遺族です。

誰からの支援のないままでは、きっと潰れてしまうと危惧しています。


そしてそれは、なんとなくではなく、ご家族を知る具体的な人たちから、
積極的に始めようとしなくては、なされないことだと思っています。


そして月並みで、何も響かない言葉であることを承知の上で、
それでも、後藤さんと湯川さんの冥福を祈りたいと思います。
もしあの世があって、天国と地獄というものがあるとしたら、
二人のいる場所が天国でない理由はどこにもないはずですから。



1月24日は、以前入っていた全国交通事故遺族の会の、
ワーキンググループという会合の同窓会でした。


東京・四ツ谷のポルトガル料理店でのランチ同窓会でした。




遺族の会が20年の歴史に終止符を打って解散してからも、
「これきりはやはり寂しいし、半年に1回は集まろうよ」
という話になり、それが今に続いているというものです。


遺族の会だからといって、交通事犯ばかりの話ではなく、
今回もお互いの身辺を気軽に語り合う場になりました。




今はもうない全国交通事故遺族の会は巨大でしたが、
全国あちこちで、いろいろな団体が活動しています。


殺人と異なり、交通事犯はケースもさまざまで、
なかなか皆が一枚岩になれない率直な事情もあります。

今やっているあいの会も壁に突き当たる時があります。


そんな時はふと、やはり全国交通事故遺族の会には、
存続していてほしかったという思いは時に生じます。


私はもう遺族の会解散が内々で検討されていた頃に、
無理やり頼み込んで、加入させてもらいました。

たしか入会者としては私が最後だったと聞いています。


そんなで会の末席に加えてもらっていた身ですが、
今でも気軽に相談できる繋がりをもらえていることは、
自分にとって、とても大切な財産だと思っています。

1月17日(土)は、あいの会の新年会に出てきました。


その内容は、下記のあいの会ブログに書かせていただきました。


あいの会ブログ「新年会」
http://blog.livedoor.jp/i_nokai0708/archives/42955933.html


つくづく思うことは、これは交通犯罪被害者遺族に限らず、
何かの被害やトラブルに遭った人全般に言えることですが、
そうなってしまったら、一人になってはいけないということです。


一人になって、知るべきことを知らず、すべきことをしないまま、
不完全な結果に終わってしまったら、一生後悔を引きずります。


今回も、あくまでお酒の入った新年会の席ですし、
とりとめのない雑多な話題を次々に楽しむ場になりましたが、
それでも「これはそうだったのか」という新発見がありました。


いや、あいの会の集まりに参加するたびに、
設立時の最初からずっと、そうした新発見は毎回経験しています。


そして「自分があの時こうしたことを知っていたら」と思いますし、
他のご遺族には「これは今のうちに知ってほしい」と思います。


だから、あいの会でも今、「支援」ということに力を入れています。


近いうちに、きちんと書こうと思っていますが、
昨年、何人かの自転車遺族の方と話す機会がありました。


支援のないまま、沈むところまで沈んでしまったご遺族もいました。

自転車遺族は、そういう方がほとんどだと感じています。


そうした方と接するたびに、被害に遭って、一人でいることが、
どれだけ全力で避けるべきかを痛切に感じてしまいます。


今回だって、新年会は、どこまでもただの新年会です。
でもこうしたつながりは、生涯の大切な財産だと思っています。



※写真は二次会の様子です。

 (あいの会ブログでは一次会のものだったので別写真にしました)

本日1月15日は母の5年目の命日でした。


平日でしたが、会社は有休を使わせてもらって、
(こうした理解があることに感謝しなければなりませんね)
せめてと思い、墓参りだけはしてきました。


荒天の上、気温もかなり冷え込んだ中での行き来となり、
水も凍るようで、厳しい環境での墓参りになりました。


墓地には、他の墓参者は誰もいませんでした・・・。


本日やっと、初めて、
昨年生まれた娘の顔を見せることができました。


ずっと懸案だったので、これで肩の荷が一つ降りました。


毎回ですが行くたびに、そのあまりの遠さに疲弊し、
早く別の墓地を見つけて改葬しなければと思いつつ、
進められずにいる現状を思い知る機会でもあります。


(母の生前、両親が私に何も知らせないまま、
 下手な「買い物」をしてしまったものです。
 元々、買い物のとても下手な両親だったこともあり、
 「息子に心配をかけたくない」思いが災いしました。
 生前に墓を用意しておきたいという人は、
 必ず子供に相談の上、近くに求めることを勧めます)


被害者遺族となり、被害者遺族として動いている身としては、
やはり殺された故人の命日は大きな一区切りになります。


「私はある日突然、こういう運命に巻き込まれてしまった」
ということをあらためて思い起こす日でもあります。


そして加害者への怒りと憎しみを新たにする日でもあります。


私の加害者も、今日で無謝罪5年目カウントを更新しました。


事後で都度報告していきますが、もちろん訴訟が終わったから、
加害者との関係は終わりとするなどというつもりは毛頭なく、
近く「何を考えている?」と連絡してみるつもりです。


1年前に書いた「ゴミ掃除」も、実は少しずつ始めています。


交通犯罪被害者の命が粗末に扱われる司法の現状もありますが、
同時にその周辺で、我慢ならない「茶番」の横行も多すぎます。


今までは「仕方ないこと」と思われてきてしまっていたことなので、
私から率先して、これらのゴミを掃除しようと決意を固めています。

(現時点ではどうしても曖昧な言い方になりますが、ご容赦ください)


そんなわけで、本日は、死と悲劇をあらためて見つめることと、
加害者への憎悪の間を揺れ動く一日を過ごしました。


また明日から日常が再開されます。


日常とのバランスを崩さず、全てをうまく進めたいと思っています。




気がつけば、とっくに日付が変わってしまいましたが、
(どうしても深夜になってからのブログ書きになるので、
 毎回毎回ブログ更新のたびに、必然的にこの言い訳が多くなる)
今年の1月10日で、事件から5年目となりました。


私の事件の場合、母は深夜に意識を失い、途中で脳死状態となり、
5日間生死をさまよった末、最終的な心肺停止が1月15日だったので、
本当の意味での命日がいつと言えるのか微妙なところがあります。


皮膚感覚としては、命日は5日間ずっと続くというのが実感です。


ただ悲嘆してこの5年間を過ごしてきたかといえば大嘘になります。


殺されたことは殺されたこととして、しっかりと抱き抱えたまま、
未来は未来として、築き上げていきたいと考えています。


時に趣味も楽しみますし、心から笑うことも少なくありません。


前回、親を奪われることと、配偶者を奪われるということと、
我が子を奪われることは、同一視できないということを書きました。


親でも、子でも、配偶者でも、奪われた命に重いも軽いもない。


それはその通り。真実です。


しかし・・・


最愛の妻や我が子を殺され、明るいはずだった未来も奪われ、
しかしそれでも日々を生きていかなければならない人たちと接して、
言葉にならない思いがあふれてどうしようもない時があります。


あるとても近い遺族の方が言っていた言葉があります。


親を殺されることは過去(思い出)を奪われること。
配偶者を殺されることは今を奪われること。
我が子を殺されることは未来を奪われること。


その人は奥様を奪われた方です。


しかし実際は、今だけでなく、未来も全て奪われてしまっています。
その人の未来は、最愛の奥様とも一緒に歩むはずだったものだから。


私が、全国交通事故遺族の会に入っていた時を振り返ると、
周りを見渡せば、我が子を殺された親としての遺族の方ばかりでした。


そして子を殺された親の思いの烈しさは、別次元と感じていました。
少なくとも私とは抱えているものが違うというのが正直な思いです。


親を殺された子としての遺族は、今でも数人しか知りません。
親を殺された遺族は沈黙しやすいのが現実だと感じています。


遺族になったから、世の中を変える義務が生じるわけではない。
沈黙する遺族もいるでしょう。そのことを悪くは言いません。
ただ私はその選択肢を取らなかったというだけの話です。


昨年息子を奪われ、刑事公判を見事に戦い抜いた遺族がいます。


「母は鬼の心を持たないと闘えない」


その人がご自身のブログで書いている言葉です。


私は一度も鬼にはなっていない。

事件直後も、刑事公判の時も、その後も、そして今も。
時に、私ごときが遺族を名乗っていいのかとの思いもよぎります。


もちろん以上書いてきた内容はあくまで私のケースの話です。

いろいろな親子の姿、いろいろな夫婦の姿があります。


私の遺族活動の源は、悲嘆ではなく、怒りです。


交通犯罪で奪われた命があまりに軽く扱われる司法への怒り。
そしてその周辺で繰り広げられる冒涜的な数々の茶番への怒り。


私憤でないこの怒りは、不動明王の激しく神聖なカルラ炎となって、
こうした醜い諸々を焼き尽くす、そう信じて動いてきました。


いろいろな遺族と接してきて、もし自分ならとても耐えらえないだろう
大きな思いを抱え、それでも日々闘っている遺族を間近にして、
時に申し訳ないような気持ちでいっぱいになることがあるのですが、
それでも私の怒りの炎が、交通犯罪被害者遺族を苦しめ続ける
愚かさ、醜さ、汚さ、浅はかさを少しでも焼き払っていければいい。


命日期間に突入し、そんな思いで遺族タスク表を整理していました。


この連休中に作らなければいけないお手紙がたくさんあります。
追って報告していきますが、この連休は有効に使いたいと思います。