2年すこし前になりますが、わたしはプライベートで、ものすごい閉塞感と戦っておりました。
でも楽しんでもいたのです。
すくなくとも、楽しんでいるつもりではありました。
今日、ひさびさに昔に書いたブログを読み返して
変わったなあ、わたし
と思ったことがありました。
当時、なにかに夢中になることで必死の抵抗をしていた私は
(今になってみれば、ですけど。。)
自分の心の内を投影するような漫画、銀魂が大好きでした。
(これも、今になってみれば、です。。。)
真心ブラザーズのヨーチが、その主題歌を歌ったことがあるんですが
その歌詞に、とっても心鷲づかみにされていたんですね。
その時の感想をかいた文章がこれです。
『
銀魂の世界観の、ちょっとアンダーな部分にぴったりなこの曲。
そうなんだよな~
銀魂ってそうなんだよな~
逃げて、逃げて、逃げまくってるわけです。
そこが物語として、私のとても好きな部分です。
けど、逃げながら、ちゃんと生活もしていってるわけです。
それってとても人間くさくて、銀時さんを愛しく思えてしまう、ひとつの理由だったりします。
だって、生活するって大変なことなんだよー
それだけで戦いだ。
戦いは、別に戦争なんかしなくたって、日常的に道端に転がっている。
それはいつでも、自分の歩く先にある。
そこかしこに、それはあるんだ。
過去だって、未来だって、じつは現在だって、ぜんぶ戦う相手。
でもそのすべてが愛しいと思えるようになるには、逃げて、逃げて、逃げて、逃げながら、愛して、理解って、抱きしめて。
色々あるんだよ。
ヨーチのこの「遠い匂い」という曲のなかに、暮らしを感じるわけです。
人間くさい弱さと、それでも強くあろうとする姿を、重ねてしまうわけなんですね、勝手に。
』
と、こんなことを書いていました。
心理学でいう、「投影」というものを、銀魂という作品に対して、わたしはしているわけです。
ヨーチがわたしの書いた文章のようなことを、意識してこの曲を書いたかどうかは
定かではないわけです。
ただ、わたしの心が勝手に、この曲からそんなメッセージを感じるわけなんですね。
当時の私にとって、意識していても、そうじゃなかったとしても
(意識はしてませんでしたねー、でも)
生活は、戦いであり
現在も、過去も、未来も自分の味方ではなく、戦うべき相手、敵だったわけです。
それって…
意識はしてなかったけど…
そうとう苦しい生き方だったなあ…って、この当時を振り返って、思うようになったんですね。
逃げて、逃げて、逃げて、それでも、歯を食いしばって、いつも何かと戦っている。
一生懸命だったんです。
あの頃。
もちろん、いまの私も一生懸命ではありますけれど…
でも、ちがうのは
逃げなくなりました。
そして、もうひとつ、大切なこと。。。
戦わないことを選ぶように、なりました。
自分を持たないとか、意見をもたないとか、
人に迎合するということとは、ちがうんですね
むしろ、今の私のほうが、イエス、ノーをはっきりと伝えるようになりました。
そして相手の思いをしっかりと受け止めるのと一緒に
自分の感情を、自分自身で受け止める、勇気をもつようになりました。
(意識はしていないものですが、自分のことって、わりと受け止められてるようで、怖くてできていないものなのです…)
むずかしい表現かもしれませんが、自分と戦わない、ということなのです。
自分と向き合う、ということとイコールでもあります。
もう少し前のことですが、傷心の自分自身をひきずって、沖縄に出かけたときのことです。
サンゴを切り出して作られた
真っ白なお城を見たときの衝撃を、思い出します。
そのお城は、お城であるのにもかかわらず
鉄砲窓も、何もないのです
自分を守るために戦うものを、なにひとつ装備していないお城でした。
わたし、理由はわからなかったけど、なぜか強い衝撃を受けたんですね。
たしかブログに書いた覚えがあります。
自分を守らない。
そのままでいる。
傷つかないおおらかさ、ふところの広さ
本当の強さ
本当の優しさ
自分自身でいる、ということ…
わたしたちの心は、傷つくと、防衛機能のようなものが働きます
男なんて…
結婚なんて…
自分なんて…
仕事なんて…
人生なんて…
あきらめたり、拒否したり、嫌いになったりすることで
距離を取ります
距離があれば、傷つかなくて済むからです。
でも、それは自分の心を、守ることはできても
いつか、さみしくなってしまう生き方でもあるんでしょうね
わたしが、無意識にですが、ぜんぶを戦わなくてはいけないものだ、敵だ、と感じていた時の
生きにくさのように。
あのお城を見たとき
あまりにたおやかで、おおらかで、優しいまなざしと、強い自分らしさ、みたいなものを感じたんでしょうね。。
しなやかな強さとでもいうのでしょうか
でも、それは当時の私には、憧れても手に入らないだろうと
諦めていたものだったのでしょう
そう感じているかどうかさえ、わかりませんでしたが
わからない、ということは、実は、怖いから見たくない。そんな自分に気がつきたくない。
ということとイコールの時が少なくありません
いまなら、あのお城を見たときに
どうしてそんなに強い衝撃を受けたのか…
なんだか、わかるような気がするのです
懐かしい、という表現が、もしかしたら一番しっくり来るかなあ…。
わたしにも、すべてにYES
すべてにOKをだしていた時が、きっとあったのでしょうね
自分自身にも、なににも、YESであること。
気がつかずに自分にNOを出していると、どこかで、生きにくくなってしまうもののようです。
そうそう
そのお城の名前は、首里城、でした。
こんど目にしたら、どんな感情を感じるのかなあ…
2年前のわたしとは、きっと違うことでしょう
違うといいなぁ…。
おわり


