とても切実な、つらい心の傷を打ち明けた人へのお返事に


「とても不幸な経験をされたんですね」


と慰めている文章を読んで、ふと、自分の感情に変化を感じました。


あれ?

なんだ?この感情

わたし今、なんていうか…「カチン」とこなかった?

……なんで?


これだけのやり取りだと、わかりずらいけれど

決して上から目線というか、蔑むような文章でもなく

かえって、思いやり深いお人柄がにじみ出るような内容だったのに。


なんでだろう?


わたしは自分の心と向き合ってみました。


どんな気持ちになった?

何がそんなに気に障った?

なんて言い返したい気持ちになった?


そうしたら


自分がどんな経験をしようが、他人に不幸呼ばわりされたくない!

わたしは不幸だなんて思ってない!

わたしは一生懸命頑張ってきた、すくなくとも、どうしたら幸せになれるんだろうって頑張ってきた!

わたしの頑張りも知らないで、不幸でしたね、なんて、たやすくいわれたくない!


みたいな怒り方をしていました。


………。


そうとう、わたし、頑張ったんだろうなあ、と自分をほめることにしました。


昔だったら、なんてプライドの高いこと言っちゃってんだろう!恥ずかしい!自分の馬鹿!

ってなるところなんですが、もう、それはやめました。。。


だって、誰かからネガティブな言葉を言われたときに、激しく反応する自尊心は

じつは、そうとうに自尊心がないことと、どうやらイコールなんです。

それは、自分で「自尊心」、という名前をつけてはみたものの、本当は「無価値感」や「自己価値の低さ」、そして「自己嫌悪」だったりします。

本当の自尊心は、誰かに何かを言われたくらいでは、揺らがないのです。

誰かに認めてもらわなければならないものではないからです。

自分の内側から、滾々と湧き出てくる、揺るぎのないものが、自信だったり、信頼だったり、自尊心だったりするから…。


そうとうに、頑張ったのでは、ないかなぁ…と思うのでした。


もし、わたしが、「誰かに対して、不幸だったね、というのは失礼だ!」と強く感じているなら

自分のことを「不幸だった」と感じることも、強く禁止していることになります。

(心理学でいう”投影の法則”であります)


あー、そうかぁ…。


と、腑に落ちました。


子供のころ、私が周りの大人たちに、かわいそうに、かわいそうに、と言われ続けたのは

最近も書いたような気がしますが、その時の私の感情といえば、


「誰か私以外の、違う子のことを言っているんじゃないだろうか」

「わたしは毎日楽しいし、自分をかわいそうだなんて思ったことないけどなあ」


でした。


感情というものは不思議なもので、これ以上感じたら心が壊れる、と本気で心が感じると

感情を抑圧して、感じることの無いように感情の回線を切ってしまいます。

辛い時期のことを、あとから思い出そうとして、記憶があやふやだったりするのはこの為だったりします。

でも、心のつくりは、


ゆってみればミルフィーユケーキのような構造になってるのです。


なので、自分で感じられる感情からひとつひとつ処理して、無意識に選択されてしまうような感情の層まで処理するようになると、むか~しに抑圧して、感じないようにした感情が、ひょっこり顔を出すことがあります。

(それがまた、しんどいんだ。これが。)


どうやらわたしは、悲しい、つらい、さみしい、自分は、恵まれていない子供なんだ、と感じること自体をタブーとしたみたいですね。

自分が元気で、明るく、誰にも迷惑をかけず、お母さんのお手伝いをしながら、なんの悩みもなく過ごすこと。

これが子供のころの私にできる、最大限の、お母さんへの愛情表現だったのでしょう。


いまならわかるのですが、私は同席している誰かが、さみしそうにしてたり、つまらなさそうにしてることに

異様~なほどの「なんとかしなきゃ!」が働きます。。。

笑わせてあげなきゃ!

元気にしてあげなきゃ!

楽しい~ってきもちにさせてあげなきゃ!

みたいな感じです。


誰に求められてるわけでもないのに、勝手にそういう気持ちになるんですね。

そりゃもう強迫観念的に。


笑顔にしてあげられない原因になってしまった…


と感じると、この世の終わりみたいな絶望感を自分に感じておりました。

あほか、と思うのですが

それはきっと、この子供のころの感情パターンの名残だったんですねー

お母さんを笑わせてあげなきゃ!

元気にしてあげなきゃ!

助けてあげなきゃ!


この一心だったんでしょう。


自分と向き合い始めるまでは、自分が感じられる意識としては「母親のようにだけは、死んでもなりたくない」だったので、心は本当に、自分を上手にだますよなぁ…

と、しみじみ。

そして、同時に、そんなにも誰かの為に頑張ってきた自分を

小さなころから、小さいときの頭と体で、一生懸命に愛そうとした心のパターンを


”なんてプライドが高いんだ!自分の馬鹿!最低!”


なんて、いじめることはよそう…

それだけ辛かったんだ、頑張ってたんだ…

よく頑張ったんだから、もういいんだよー…


って、そう感じるようになったんですね。


感情って、日本の学校で、どう扱ったらいいのかなんて

教えてくれるところはどこにもありません。


ただ、日本の伝統の文化があって、”我慢が美徳”という根本的な考え方が

根底に流れているだけです。


でも、どうやら算数や国語と同じように

心にも法則があるみたいなの

です。

自分ではどうにもできない感情を抱えたとき、それをどう処理すればいいのか、日本もそれを健やかな子供たちを、健やかな大人へと成長するために、大切にしてくれたらいいなあ。


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心、感情というものとの付き合い方って、

うんと大事なんだな…って思うようになりました。


人って、心でできてるから。

頭じゃなくて、心で。


「不幸だったね」と言われると、大急ぎでそれを否定する感情が動く私。


それは自分の無価値感、自己嫌悪からくるものではあります。


でも、その先を見てみる。


その無価値感、自己嫌悪を抱えるようになった、最初のパターンを。


そうすると、そこには、小さな子供だった私が、小さいなりに自分の母親を助けようとした姿しかありません。


お母さんが怒ったり泣いたり、悲しそうな様子をたくさん見てきましたから


子供の私は、いっしょうけんめい楽しい自分をお母さんに見せているのに、お母さんを助けてあげられないような気持ちになって、自分を嫌いになり、無価値感や、無力感をもったのでしょうね。。。


だから


自分を責める前に…。


もういいよ

がんばったよ

うんと頑張ったんだから、もっと頑張らなきゃ、って焦らなくていいんだよ

大人になった今なら

もっと違う方法で、あなたの大好きなお母さんを、

助けてあげることだって

できるよ…

幸せなふりをするんじゃなくて

不幸な自分を禁止するんじゃなくて

もっと、違う方法で…


そう言って

自分に優しくしてあげたいなあ…


と思ったのです。


よくがんばったよ


だいじょうぶ、だいじょうぶだよ