久しぶり


学生のころ、季節が変わることにとても胸が揺さぶられるのを感じていました。


春が来ますね




あいかわらず、一歩、一歩、のまいにちを暮しています。

でも、たくさん泣くこと、たくさんたくさん、楽しい、うれしい、かなしい、くるしい、さみしい、そして


”わたしは、怒ってるよ”


ってこと


いろんな感情を、きちんと、じぶんのものとして感じられる

心のタンクに、雨水みたいにちょっとずつ、生きている実感をとりもどしています


じぶんでふりかえっても、感情の豊かだったわたしは、

とてもエモーショナルなエネルギーで、せいいっぱい、自分の感情を殺してきたようで…

とくに、怒る自分というものを、自分に許さなかったみたいです


カウンセリングを受けてね、

いちばん驚いたのは、わたしがこんなに怒っていた、悲しんでいた、ってことに

じぶんが気が付かなかったこと


自分らしさをとりもどしていく過程で…

ふつふつとわきあがる怒りの感情には、自分でもとても戸惑ってしまいました


怒ってるっていうのは…


それは、言い換えれば、さみしかったということ。

悲しかったということ、

それを、わかってほしかった

助けてほしかった、ってことなんだね…


それだけ、心を寄せていた、ってこと。

大切な存在、ってこと。


いつでも、自分は自分を、ほんとうに上手にだましてしまうね


自分の本音に気がついてしまうのは

あまりにも怖すぎるから。

きっと、本能的に見ないふりをしてしまうのね…


ありがとう


よかった


感謝してる


嵐ばかりなのは、わたしが、穏やかな草の原にいくことを、どこかで怖がっていたからだと気がつきました。


幸せになっちゃいけないなんて、もう、思わないよ

『幸せになってもいいんだって』


毎日、毎日、まるで、横に並んで座って、一生懸命に話しかけてくれる友だちのように、

じぶんに話しかけています


ちょっとこわい?笑


でも、効果あるんだよ(^^)



カウンセリングは、わたしの、考え方の癖

心の感じるパターンをきづかせてくれるきっかけになりました


なにが私の石ころだったのか…

わかって嬉しいよ


親子関係のルーツは、ほんとうに子ども心を深く傷めるんだね…

わたしは父親がいないことなんて

ちっとも問題だと思ってなかったし、さみしいとも感じたことないと思ってた。


でも違った


さみしさを感じさせないように、心は、耐えられなくなると感情のスイッチを切るという

そうとうに高等なことを、子供だからこそ、するらしいのです

だから感じなくなります

それが当然のようになって、でもしまいこまれたその感情は

大人になるころ、まるで感情のオバケみたいになって、生きにくく、生きづらく、させていくみたい…

昔に抱えたままの心の傷は、

心の感じ方のパターンとして、わたしたちの行動や感情、ものの捉え方ぜんぶを選択させていくから…


とくに

父親との距離は、異性との距離の取り方になるそうです。

わたしがある日、父親に対してなにも感情が動かないことに疑問を持って

自分と向き合うことをしてみたとき


そこにあったのは

まるで人間ではないもの、生ゴミのようにわたしを蔑視して立ち去る、父親の顔をした

じぶんとは違う生き物(イメージだと女性ではないもの、って感じ)でした

すごくひんやりとした、ひとりぼっちで、捨てられて、孤独だけどだれも私の心のうちなどわからない

そんなイメージがあふれてきて、ちょっとゾッとしたのを覚えています


だからなのか、わたしは男の人、というと

普段は大丈夫でも、感情的になると男性を宇宙人のように感じたり、怖くて、わけがわからなくて、いやらしいだけの気持ちの悪い生き物、と嫌悪感丸出しになることがありました。


ああ、これが理由の一つだったのかもね…って

すこし、そう思ういました


嬉しい報告が一つ。


母親が、はじめて、わたしの父親について話してくれたのです。

母に父の話の深いところをするのは、私にとっての絶対のタブーでしたが

カウンセリングで母親との心の距離をやさしいものへと変えていけていたので

きっと準備ができていたのかもしれません


初めて聞きました。


『ふたりが離婚を決めたときね、いい?初めてあなたに言うよ』

『お父さんはね、あなたを抱いて、”この子は俺が育てる”って言ったのよ』

『あなたを嫌ったり、捨てたりしたんじゃない。逆よ、うんと子煩悩だった。とてもお金の少ない人だったから、お母さんにはあまりなかったけど…、いつも、あなたには何か小さなものでも、買ってきてくれていたのよ』


わたしは泣きました

はじめて、父親のことで泣いたのです

自分でもびっくりするほど、まるで子供みたいに、しゃくりをあげて泣き続けました


父親に、自分が愛されていたことなど

ずっとわたしは信じていなかったのです

それどころか、嫌われていたのだと、そう感じていたのです


でも、両親を嫌うことは、子供の心にとって、あまりにもあまりにも、大きくて、深すぎる傷になるのだそうです。


だから、子供はその小さな心の回線を切ります

さみしさを感じる、その感情を…

自分のありったけのエネルギーで、なかったことにするのです。


じぶんでも、そんなものがあったことを忘れてしまうくらいの心の奥深いところに仕舞い込んで

そして、大人になって、男性とうまくゆかないパターンだけが、残っていくそうです…


提案型のカウンセリングは、日本では少ないけれど

恋愛、対人関係、親子関係、仕事…

いろんなものに効果があるようです


怒り、悲しみ、わかってもらえなかった、愛されなかった、という誤解かもしれないことで

すこしづつ自分の生き方のもとになってきた

”心のパターン”

これが、感謝に書きかえられたとき、はじめて人は、そのパターンから抜け出して

すこしだけ、楽な生き方になるのかもしれないな…って思いました


わたしも、パートナーとの問題を抱えているけれど

でも、パートナーシップって、不思議なくらい、自分のパターンが変わると、相手も変わるんです…。

それくらい、心って共鳴しあうみたいで…まるで、音叉みたいに。


いまはね、本当にふたりとも、幸せになる自分、ていうものが怖くて仕方ないんだけど…

幸せは、まるで、絵に描かれたものなら怖くないけど

本気で手に入れようとすると、まるで猛獣の口に手を突っ込むような感覚がするくらい、怖いもののようです

最初はわからなかったけど

すごくそれを、わかるようになりました


わたしのパートナーも、パートナーシップで起こる問題は、

”問題”なのではなくて

ひとりで生きてきたときに表面化しなかった、気付かないようにしていたことに、”気が付くときがきたよ。。”というヒント、または、チャンスを与えられてるんだと、思うようになったそうです。


一人で生きていても、生きづらいな、うまくいかないな、と感じることはあるけど…

自分一人なら、無視しようと思ったらできるもの…。

でも、自分以外の人を大切にしようとすると、とつぜんうまくいかなくなるのね

自分の抱えている課題が、表面化してしまう。

だから、誰かを愛そうとしたときは、それは、きっと、自分自身としっかりと向き合う時期がきたのかもしれない。

そう思います。


いつごろからか、体は自分の一番古い相棒、そう思うようになっていたけれど…

心も、もうひとりの相棒だったんだなぁ…って

さいきん、ようやくわかってきました


そしてその心の動きで、わたし、という思考回路が動いて、それを実現するために、体が、今度は動き出すのね…


思考からスタートさせて

心を置き去りにすることが、知らず知らずのうちに多くなっていたんだね…


そう思うようになりました


まだまだ自分の感情に振り回されてしまいそうになる時も

それがプロセスだということを信頼するように、すこし、なってきたように思います


渦中にいるときは、とてもじゃないけどそうは思えないことも多いけど…


けど、もう、一人で頑張ろうって、思わないよ…

みんなありがとう


お母さん、お父さん、わたしの大切な人たち…


みんなみんな、ありがとう

私らしさを取り戻すたびに、一歩一歩、元気になっていくからね


みんなみんな、ありがとう