今日はなんか内側から

「もう周りのことを気にせず、もっと自己表現しちゃいなよ!」

と声が聴こえたので、のりさんと勢いでRadioを録りました!

8ヶ月の息子も鼻息荒く出演してます(笑)

 

 

組織に属していると、空気を読んで、周りに合わせるようになっていきますよね。

自分を自由に表現していたら、学校や会社の人から目をつけられて、無視されたりいじめられたりするかもしれない。


嫌われたくないから、周りに合わせようとする。
そうしないと、仲間ができないし、お金ももらえない。

と、強く強く想って今まで生きていましたが…

でも、待てよ?と。

本当にそうか?
本当は逆なんじゃないか?





確かに、自分を表現するって覚悟は必要だと思う。

「自由に自分を表現することを許可する」ということは、
周りの人がどんな反応をするかも自由だということ。

だから、賛同するのも否定するのも自由。

自己表現には否定されることも付き物。
それこそ、集団から排除されてしまうこともあるかもしれない。


でも、それでいいじゃないか。


自分を表現することで、自分が満足するならそれでいい。

だって、現実を創るのは、
周りの人の評価ではなく自分自身のエネルギーだとわかったから。


自分の心地よいエネルギーが、心地よい現実を創る
そのために、私たちは自己表現をしていくのだ。



そんな決意を宣言したRadioでした。


誰も聴いてない、誰も読んでない、それでもいい。
だからこそもっと自由に自己表現できるんです♪
 

 

YouTube第2弾をアップしました!
 

 

今回の主役は、「こころちゃん」です!

 

こころちゃんの声って、言葉じゃないんですよね。

インスピレーションなんです。

人によって表現が違うんじゃないかな。

 

 

私なんかは、映像で見えるタイプです。

それをやっている自分とか景色が映像で観えるんです。

 

その映像をどうやったら観えるのか、あたま君にはさっぱりわからないものもあるんですけど、

ある時突然、「あ、この景色だ」とわかる瞬間があります。

 

あたま君はさっぱりわからなかったけど、ちゃんとこころちゃんの声に導かれてここに来たんだ〜と奇跡を感じます。

 

 

最近でいえば、エネルギーキャラクターたちに、娘が自然と興味を持ってくれて。
 

エネルギーキャラクターの
本を開いてみたり、動画を観てみたり。

あたま君を「パパ!」
たまちゃんを「赤ちゃん!(生後8ヶ月の弟)」って言ったり。


その光景を観て、

「あ、これ私の観たかった景色だ」

と気づきました。

 

 

このエネルギーキャラクターを作ったのは、もう7年前とかなんです。
イラストレーターの佐藤玲奈さんの絵を初めて見たときに衝撃が走って。

 

 

 

「私はこの人に会いにいかないといけない!!」とビビビッときて、

お会いできることになって、エネルギーキャラクターの構想を話し、

これらのキャラクターたちが生まれました。

 

その時から、漠然と「アンパンマン」のような子どもが見るアニメみたいに、

子どもがエネルギーキャラクターたちと触れ合ったり、

 

「ボクのこころちゃんが◯◯したがっているんだ!」みたいに

親御さんと子供のコミュニケーションツールとしてキャラクターたちを使う

みたいな景色が見えていたんです。



 

どうですかね?

こんなカードを作って、子どもと会話するの。

 

「ワクワクすること教えて?こころちゃんなんて言ってる?」みたいな。

 

私はこれを夫のりさんや仲間たちと自然とやっているのですが、

すごくコミュニケーションツールとして便利なんですよね。

 

 

 

それを、親が子どものこころちゃんの声が聞こえるようになることは、

親自身のこころちゃんの声をもっと聞けるようになるということ。

 

子どもとの関わりの中で自然とアセンションされていくなんて、とってもよくないですか?

 

 

今を生きる子どもたちって、そういうお役目も持って生まれてきてくれていると思うんです。

 

子ども自身は、こころちゃんの声なんてもうわかっているんですよ。

でも、このエネルギーキャラクターツールで親とコミュニケーションを取ることで、

子どももこころちゃんを親の前でも表現しやすくなるし、親もこころちゃんを表現できるようになる。

 

そんな世界を、まずは自分の世界から創っていきたいなと思います。

それは、きっと奇跡の世界。

 

 

今日は、久しぶりに「朝ドラ」についてのお話です。

 



私は「あまちゃん」が大好きです。宮藤官九郎さんの脚本や、演出、主演の能年玲奈ちゃんのエネルギー弾ける演技、それを支える周りのキャスト、大友良英さんの音楽、そのすべてが調和されて、素晴らしい物語を紡いでくれました。

詳しくは、是非過去のブログをお読みください


で、今回の朝ドラ「おかえりモネ」の舞台も、宮城県・気仙沼の亀島というところなんです。
「あまちゃん」に続き、「震災」というものをテーマにしたオリジナルストーリー。

「あまちゃん」では、震災前後を描いていますが、
「おかえりモネ」では、震災から10年経った今の人々を描いています。

脚本は、安達奈緒子さん。主演は、清原果耶さん。

で、結論から言ってしまいますと
「視聴者からの評判がすこぶるよくない!」んですw

「おかえりモネ」の視聴者からの感想は、今までの朝ドラの感想とはちょっと逸脱した、尋常じゃないくらいのストーリーに対する怒り、憎しみ、主人公への嫌悪感が伝わってくるんです。

これは、前代未聞のことです。
今までの朝ドラも何度かストーリーが意味不明で、主役がただただ破天荒みたいなものもありましたが、ここまでの批判はなかったように思います。



それは、やはりテーマが「震災」にあるからだと思うんです。

震災の被害に直接あった東北の方たち、直接的な被害にあったわけではないですが、震災というものを目の当たりにした、私も含めた周りの人たち。
あの日、日本にいた全員が、今もどこかに震災の記憶を持っています。


ここで、脚本を手がけた安達奈緒子さんの「おかえりモネ」のインタビューをご覧ください。

 

 


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(主役の)百音は10代にして「当事者でありながら、当事者ではない」という難しい立場に立たされた女性です。

たった15歳で強烈に抱いてしまった罪悪感を胸に刻みつつ生きねばならない若者の、しかも19歳から24歳という短い期間を演じることは容易ではなかったと思います。

大人として成長していく、一番みずみずしくまぶしいくらいに輝いている年ごろを「痛み」を伴いながら生きる。しかもその「痛み」は他者から見て分かりやすいものではないので、自分の中に抑えこんでしまったりする。それでも出会った人たちと自身を照らし合わせていくことで、「痛み」と向き合い昇華させていくさまを、清原さんが緻密に、繊細に表現してくださいました。
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ストーリーを知らない人から見ると

モネの「当事者でありながら、当事者ではない」ってなんのことだろう?

と思いますよね。



これは、ストーリーがある程度進んだところで明かされるのですが、
まだ明かされていない序盤から、主役のモネは、なんだか浮かない暗い顔をしています。


というか、今の今までモネが明るい表情をしたことは、ほとんどありません。

 

 

 

基本的には、ずっと↑の顔。視聴者からは「能面モネ」と言われる始末…
これもなんだか前代未聞です。


どんなにストーリーが支離滅裂な朝ドラでも、主演の女の子はエネルギッシュにその役をまっとうしていたように思います。
 

 

 

だけど、モネは眉間に皺をよせて、しかめっ面で、暗い表情で一点をみつめている。
「ありがとう」も「うれしい」もなにも言わず、ただみつめている。
 

感情の起伏すら許されないほどの罪を抱えているの?

モネの過去に一体なにがあったの?

 

と思いますよね。

そして、物語中盤でそのモネの暗い表情の理由が判明します。


それは「震災当日、私は仙台にいて島の津波を目撃しなかった」というものでした。


え!そんなこと??

って、思いませんか?

そんなことのために、今までずっと暗い顔していたの??と。

 

 



津波を見ていない人は、

みんなモネみたいに罪悪感をもって生きていなきゃいけないの?


モネだって、仙台にいたのなら、ライフラインが止まったり、島に戻るまでにいつも以上に苦労したりしたでしょう。
モネが「津波を見てない」ということに罪悪感を抱く演出は、当時、同じような状況だった人が見たらなにを思うのか。


今ここにきて

「罪悪感を感じていないこと」に罪悪感を感じさせようとしているの?



さらに、モネのお母さんもなんだか震災の傷が癒えていないそう。
その傷をきっかけに、長年やってきた先生も辞めてしまったとのこと。

いったい、なにがあったの?

それも、物語後半で判明します。
震災の日、お母さんは担当していた子供たちを安全な場所に避難させようとしていた。
そして、その時に、目の前の子供たちを差し置いて、自分の娘たちの安否の心配を10分くらいしてしまった。


え!それで先生辞めちゃったの?
っていうか、

仕事中に娘たちの安否を心配することってそんなに悪いことなの?


あの日、家族の安否を心配しながらも、仕事をしていた人たちはたくさんいたでしょう。
そういった人たちがこれを見たら、自分はその仕事をする資格がないの?と落ち込みそうです。


このように、「おかえりモネ」は、

被災して前を向いて歩こうとしている人に、罪悪感をすり込んでいくスタイル

なんです。

これは、辛い。

 



そして、震災の被害にあった設定のキャストたちがでてくるのですが、その人たちがどんどんひどい目にあったり、
モネに「あなたのことはわからない」と冷たく突き放されるようなシーンがでてきます。

わざわざ、傷口に塩を塗るようなことをしなくてもいいのでは?この主人公いる?
この主人公がいないほうが、島の人たちは明るく前向きに生きていけるのでは?という感想をもつ視聴者が続出しているわけです。


「当事者でありながら、当事者ではない」人が抱く悔しさ、苦しみがこの物語のテーマらしいです。

だけど、「当事者である」とか「当事者でない」とか、その線引きは果たして必要でしょうか?



その線引きをしてしまうと、「苦しい想いを一番した人が勝者」というよくわからないピラミッド構造になってしまいます。

しかも、モネが「一番苦しい想いをした人」なのかといったら、そうではなく、
モネは家も家族も無事で、就職先もスムーズに決まり、イケメンの医者の彼氏もでき、まったくもって順風満帆なんです。
一度、東京でお天気お姉さんのような仕事をしていて、突然、島のほうが楽しそうだから島に帰る!と言うのですが、
「でも、肩書きとデータベースにアクセスしたいから、仕事は辞めたくない」と言い出し、東京の会社から給料をそのままもらいながら、島でスローライフを送るというシナリオ。もう毎日ハッピー♪でも、おかしくないです。
でも、毎日暗い顔して過ごしています。



もし、モネがピラミッドで頂点に立てる世界があるとするならば、
「一番苦しそうな顔をしていた人が勝者」になれる世界。その世界なら、間違いなく一等賞です。

そうか、だからモネは「一番苦しそうな顔をしていた人レース」で金メダルをとりたくて、終始眉間に皺を寄せて、顎を少し上げて、人を睨みつけるような暗い表情ばかりしていたのかと納得です。


でも、そんなレースいります?

 




お母さんが行方不明になり、漁師のお父さんが現実逃避のために酒に溺れ、それでも漁師を継いで、お父さんにも元気になってもらいたいと、震災の心の痛みパートを一身に背負う、亮ちゃんというキャラクターがいるのですが、
亮ちゃんにモネは「あなたが大丈夫と言うたびに、(私たちは突き放された気持ちになり)傷ついた」と言うシーンもあります。

そんなこと言う必要ある?

しかも、ずっと前に亮ちゃんがモネに悩みを打ち明けた時、「そんなの知らない」って突き放してたよね。

悲しい顔しないといけないレース?

 

 

それでいて「人の役に立ちたい」という言葉を呪文のように繰り返すモネ。

人の役に立つと言うのは、なんなのでしょうか?

全国放送でお天気キャスターをやることのほうが、目の前の苦しんでいる人に寄り添うことよりも尊いのでしょうか。


人間ならば、罪悪感という「痛み」を誰しも経験します。
スピリチュアル的に言えば、それも体験するためにこの地球に生まれてきました。

そして、その「痛み」が大きいと「トラウマ」となり、その人の中にずっとあり続けます。



震災をテーマに描いた「あまちゃん」も、その「トラウマ」を描いた作品だったと思います。
だけど、傷ついていたのは能年玲奈ちゃん演じる主役のアキちゃんではなく、母の春子さんや、祖母の夏ばっぱ、
人生経験を積み重ねた人ほど、傷をもち、その傷に囚われて、前に進めなくなってしまっていた。

 


アキちゃんも、東京にいる時は、感情の起伏のない子でしたが、岩手県久慈市にきて、あまさんを始めた時から変わっていきました。

そして、アキちゃんの明るさとひらめきと周りを巻き込む力で、周りの人たちの傷を癒やし、前に進む力を与え、周りを巻き込みながら、前に進んでいく、そんなストーリーに私は感動しました。


本当は、この世界は「幻想」で、「トラウマ」だって、「傷」だって、全て「幻想」です。

でも、トラウマで悩んでいる人に「それ、幻想だから悩んでたって無駄だよ」と突き放すことは、そこに愛はあるでしょうか?

そんなことを言われた人は、もっと傷つき、その人の言葉に耳をかさなくなってしまうかもしれません。

「トラウマ」に囚われている人は、現実スクリーンとの距離がとても近い状態にあります。
悲しいと感じる自分は「幻想」とは思えない状態です。

 



最愛の人が突然震災でいなくなり、飲んだくれになってしまった亮君のお父さんのように。

そんな人を現実スクリーンから離すためには、やはりエネルギーを与えて、前を向けるようにするステップが必要です。
マイナスをゼロに戻していく作業です。

ゼロに戻れば、マイナスだった時よりも少し余裕ができて、自分のためにエネルギーを使えるようにあります。
そうして、ゼロを少しずつプラスになったときに、はじめてこの世界は「幻想」だったんだと気づくんです。

そのためには「愛」のパワーが必要。

その「愛」を届けるのは、朝ドラで言うならば、それがヒロイン役の子だと思うんです。

 



「あまちゃん」のアキちゃんは、その役目を果たしてくれたからこそ、それを観ていた私たちの心にも愛が届いたのだと思います。

しかし、残念ながら「おかえりモネ」のモネは、反対に「愛」を削っていくので、それを見ている私たちの愛もどんどん削がれていきます。

みんなそれぞれ、自分なりに「愛」を見つけ、補充してきた震災からの10年なのに、なんでお前がそれを削ってくるんだ!とみんな、怒っているわけです。


だからこそ、この「おかえりモネ」のメッセージを逆手にとって、
もう、「トラウマを解消する」ステージからもう一歩ステージアップする時がきたのだと感じます。


私たちは震災を経て、10年で「傷つく」→「愛で傷を癒す」までやってきました。

そして、これからは

「傷」を作る現実が「幻想」だったこと

 

さらには

「傷」を癒さなければ(役に立たなければ)という思考も「幻想」だったこと

に気づくというステージです。
 

 

現実のスクリーンに入り込んでいたところから、少しずつ距離を置き、

映画を楽しむように、この現実を楽しむ。

 

それが、「トラウマからの解脱」であり、

本当の「愛」に気がつくことです。

 

 

その「愛」の場所で生きることが、これからの新しいステージなのです。

 

 

フリーランスの経験からわかったことなのですが、
仕事をすると、その対価としてお金をもらうのが、今のこの地球のしくみですよね。

フリーのデザイナーとして働いている場合、
なにか制作物に対して値段をつけて、その制作物をお客様に渡す対価としてお金をもらう

こういう仕組みですよね。

 



では、みなさん質問です。

このお金は誰からもらっているでしょうか?

あたまで考えると、「お客様」からもらいますよね。


では、もう一つ質問です。

もし、お客様があなたが考えるより
「低い金額」のお金しか渡してくれなかったらどうなるでしょう?


お客様に値段を上げてもらうようお願いする?

自分にはその程度の価値しかないのだと諦める?


人によって答えはまちまちだと思います。



フリーで働く時、私はこの値段交渉というのがどうも苦手で、
我慢しちゃうタイプだったんです。

で、もうやだー!と思ってその仕事を辞めちゃうみたいな。




でも、この考えは根本的に間違っていたことがある時わかりました。


まず最初の質問の答え。
「仕事のお金は誰からもらっているでしょうか?」

これは、お客様ではないんです。

お客様は「幻想」なんです。

実は、お金を運んでくるのは、「自分」なんです。

この現実を創るハイヤーセルフの自分です。


もし「自分にはその価値に見合うだけのものが手に入る」と思っていれば、
その通りにお金は運ばれてきます。

 

そういう現実をハイヤーセルフの自分が創り出すんです。


ただし、手段はそのお客様本人から運ばれてくるという形だけではない場合があります。

例えば、お客様が「50,000円」を制作物の対価として支払ってくれたとして、
本来のエネルギーがそれ以上だった(今回は80,000円とする)場合、
30,000円分は、別の形で支払われることもあるんです。

 

私の場合は、実家に行ったらお母さんにお小遣いもらったとか。

払いすぎていた税金が戻ってきたとか。

予想もつかない方法でお金が入ってきます。

これ、信じられます?
私も、体験を通して知ったことなんですけど。

だから、お客様に値段交渉して無理矢理釣り上げる必要もないんですよ。

 

むしろ、値段に対して「ムキー!」となっている時は、「自分にはその程度の価値しかない」という負の観念と、「自分にはもっと価値があるのに、なんでわかってくれないんだ!」という正の観念の二極が同時に存在しているので、「その程度の価値の自分」を感じられる現実が創られます。

 

その観念を外せば、お金は自然と流れてきます。

どんな形の現実を創るかは、その人のエネルギー次第なんです。





私は、これを実感してから、肩の力が抜けました。
無理に良く見せようとしなくても、無理に自己卑下しなくても、
自分の出したエネルギー分だけ、対価が与えられることがわかったので。

だから、どんなお仕事がきても、その対価は自分が出したエネルギーだと思い、
心を込めて、ひとつひとつ創るようにしています。

お客様は神様です
という言葉がありますが

真実は、

自分が神であることを思い出せば
その神である自分が創り出した
お客様も神様である


ということなんです。

 

みなさん、ハウリングって知っていますよね?

マイクとスピーカーが同じ空間にあるときに、スピーカーから発している音をマイクが拾ってしまうことがあります。
このマイクがスピーカーから拾った音をアンプが増幅して、さらに大きな音でスピーカーが拡声します。
また、その大きな音をマイクで拾って、アンプが増幅して、スピーカーがさらに拡声して…。
この無限ループような状態をハウリングといいます。


この世界は自分の周波数が作っています。
自分の好きなものを「選ぶ」ことをすれば、「好きだな〜」という周波数が、さらなる現実を創っていきます。

で、私のあたま君は考えたんですよ。

題して、「好きなものハウリング作戦」

好きなものを自分で創れば、それを創っている間も、創り終わったものを眺める時も、ずーっと「好きだな〜」という気持ちが持続するわけです。
そして、その「好きだな〜」というエネルギーが次の創造性の源泉となり、また「好きだな〜」というものが創れる。そして無限ループへ

だからこそ、特大の「好きだな〜」ってことをやろう!と決めました。

周りの誰かに笑われてもいい。見向きもされなくてもいい。
ただの超自己満足。でも、私はめっちゃワクワクする。

その世界を表現したいと思います。
 

 

 

わーい!!たまちゃんが動いてる〜!!

嬉しい〜!!!

 

これをずーーーーーーっとやりたくて。

このお話はもう7年前?もっと前から構想はあったんですけど、私の技術が追いついていけてなくてできなかったんです。

 

でも、今は動かす技術も簡単にできるようになって、ついに私の頭の中にあるものが具現化できました!!

嬉しい〜〜〜!!!!

 

結局、私の表現したいことはエネルギーコンサルタントを始めた7年前から変わっていなくて。

それが、ついに表現できた喜びがあります!!!!

 

 

 

LINEスタンプができたんで、もうこれはYouTube動画で、たまちゃんたちを動かすしかないだろう!と、決意しました。

 

これからも、この浮かんできたワクワクをただただ表現していくだけなんだと身に染みました。

 

不定期配信でエネルギーYouTubeやっていきたいと思います♪

 

夢を具現化しよう♪♪

 

ひぇぇぇぇぇぇ!!

は、すいません!動揺してしまいまして!!

毎度ながら、スターシードkuさんのブログにはいつもはっとさせられます。
今日もシェアさせていただきます。

 

今回のkuさんのブログでは「いまここ」について、とてもわかりやすく、でも難解に書かれています。

「いまここ」の意識

これこそが、宇宙意識であり、奇跡を生きるために、必要な状態です。

ただ、kuさんはいきなりこう書かれています。
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ただ、言葉にした瞬間から「いまここ」ではなくなります。
この幻想世界の中では、実は、いまここは語られないのです。

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あちゃー!「いまここ」ってなんだろう?って考えていたばっかりでした!
その瞬間、「いまここ」じゃないなんて!じゃあ、どうすれば!

あ、今思考が動いているから、これは「いまここ」じゃない!うわー!!(混乱)


そして、kuさんは「いまここ」をこう解説しています。
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本当の意味で自由となる・・・・

つまり、幻想の中で幻想とわかって過ごせる
余裕の生き方の最高の在り方が「いまここ」なのです。

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ひとことで言います。
「いま とは 時間」「ここ とは 空間」

時間と空間から解放された自分が「いまここ」なのです。

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なんとわかりやすい・・・!!
そして、あたまではなんと難しい・・・!!



だって、「時間」と「空間」を感じているものはあたま(思考)ですから、
完全に思考の枠の外に出たところに「いまここ」はあるということです。

わかっていたけど、自分(思考)が完全にハブられたところに「いまここ」があると知り、
私のあたま君は、なんだか寂しそうです・・・


そして、kuさんは確信を突きます。

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たとえば、眼をつむって、瞑想らしきものをしているとします。
はい、眼をつむって、あなたの魂からどんどん大空に舞い上がります。
その大空には○○の神がいました。
その神さまと いまあなたは一体化していきます。

という瞑想があるとします。
これは いまここ でしょうか?



違います。
この瞑想は時間とともに流れています。
いつも瞑想の中の主人公という自我がいたはずです。

これはあなたという自我が、ストーリーの中に入って行ったので、普通の快楽にすぎません。
悪い事ではないですが、残念ながらまだ幻想の中にいます。


目を開いている目の前の事も、眼をつむって崇高な事をしていても、「いまここ」ではありません。

いまここ は、時間と空間から出ることです。
ですからこのようなストーリーは瞑想という名であってもいまここではないのです。

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あちゃーーーーーー!!目から鱗!!!!

これ以外にも、いくつか例を載せてくださっています。

①自分が◯◯の神と一体化するような瞑想をすること
②自分の内側にあるものを、ひとつひとつクリアにすること
③過去世の傷を癒すこと
④幸せなことをひとつひとつ思い出していい気分になった

これらは全て「いまここ」っぽそうで、「いまここ」ではない状態。
どれも私には「これもかー」ということばかり。

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このあたりにハマってしまうと、中級のスピからでれません。
このあたりで、スピといえども思考にまだ惑わされてしまって、ストーリーから出られないのです。

スピリチュアル幻想ストーリーです。

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いやぁ、本当にこれは目から鱗でした。

私はまさに、ここにハマっていました。


ただ、こういったことが“間違ったこと”だとkuさんは言っているわけではないと思います。
①〜③をやることで、「あたま君が絶望し、暴走モードに入り、破滅パターンの幻想を作り出す」ことは回避できる気がします。

ただ、それは幻想の中身を変えることはできても、幻想から抜け出す状態ではないということ。
幻想の中で、理想の幻想(現実)が創られればそれでいいと考える人は、「いまここ」がなくても満足かもしれません。


ただ、私が今回この地球でやりにきたことは「人間の状態で、次元を上昇し、宇宙意識で生きること」
だから「いまここ」の世界をもっともっと見たいという根源的欲求があります。

スピリチュアルを知りたいだけならそれでいいですが、私はその先が知りたい。

 

もっと教えて!kuさん!

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できるだけ、わかりやすく「 いまここ 」を言ってみます。

今あなたは、スマホやパソコンを触っています。
その触っている感触だけを感じてください。

今あなたは、スマホやパソコンを触っています。
その触っている感触だけを感じてください。

感触だけに意識を向けてください。

数十秒でも できれば30秒でもいいです。思考が出ません。

その感覚だけに意識を向けて、なにか自分と自分の周囲と一体感があったとします。

何か時間がとまった感覚、ぴたりと何か止まった感覚があるはずです。

それが、「いまここ」です。

もっと言えば、感触と感触の間に隔たりがなく、一体化しているような感覚です。

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なるほど。
この感覚は、前に身に覚えがあります。



このブログでも書いたのですが、娘と公園で川遊びをしていた時の川の煌めき

 

 

森からこぼれる光の眩しさ、その全てが私の世界を取り巻き、一瞬、時が止まったような気がしました。

それが、「いまここ」なんですね。
確かに、思考が入る余地がありませんでした。

よく、あまりの美しさに「ハッと」した。
というような表現がありますが、この「ハッと」の部分がまさに「いまここ」の状態なのかもしれません。


うーん、と腕を組んで悩んでいる時、私は答えは思考の中にあると思っていました。
しかし、答えはそこになく、答えがあるとするならば、「腕の感触を感じる」ことにあるのだと。


これは、全くの盲点!

まさに、幸せの青い鳥状態!


「いまここ」を感じてみます!(これも思考なんだけどね)
 

 

 

キングオブコント2021面白かった〜!!
空気階段優勝おめでとう〜!!


有吉の壁が大好きで、そこから「空気階段」と「きつね」推しになって、
そこから「空気階段の踊り場」ラジオも聴いて、2人のことをずっと応援してきたからこそ、
結果をワクワクドキドキしながら見守ってました(現実スクリーンとの距離は近いけどねw)

お笑いには興味がないけど、そのお笑いを作る人たちには興味があって、今回のキングオブコント2021も、内容についてというよりは、それを演じた芸人の皆さんにクローズアップして見ていました。

※ここからネタバレしまくりなのでキングオブコント2021をご覧になってから見るのをオススメします

 

 

今回のキングオブコント2021を一言で表すと、

まさに”「愛」に気づき笑いが生まれる世界”を表現する方々が印象的でした。

 

蛙亭とザ・マミィのネタなんて、設定は違えど、表現している「愛」の形はとても似ていたように感じます。



蛙亭→女科学者と人造人間のコント

最初、人造人間をただの検体として見ていなかったが、人造人間の人側に心を動かされ、最後は2人手を取り合い研究所を脱出する

 

 

ザ・マミィ→アブナイおじさんに道を訊く青年のコント

アブナイおじさんになんの警戒心も抱かず道を聞く青年に、おじさんのほうが動揺し、少しずつ愛を知っていく


「人造人間」も「アブナイおじさん」も、変な人が出てくるというのはコントではよくある設定ですが、今回は、その変な人や周りの人が「愛」を知り、さらに世界が広がっていくという内容。

この展開は、今の時代ならではだと思いました。
平成の時代にこれやったら、「なにが面白いの?」とポカーンとされていたかもしれない。

でも、今これを見れば、お笑いの中にある「愛」のエネルギーに共鳴し、笑いを感じながらも、心の奥が暖かくなる、そこに「このコントが観られてよかったな」と高評価を感じるようになったのだと思います。
みんな、少しずつ愛をキャッチできるようにアップデートされてきたんです。

人の感性がアップデートされれば、笑うポイントも変わってきます。

今までは「変なやつ」とレッテルを貼り、「こいつ変なやつや!アホや!」と攻撃することが笑いになっていました。
(ニューヨークは披露宴打合せのコントをしましたが、ある意味、この今までの笑いを貫いた印象でした。でも、それは評価につながりませんでした)

しかし、今回のキングオブコントでは、「変なやつ」だと、最初思っていたけれど、コントが進むにつれて、そのキャラクターの中身がどんどんわかってきて、愛着が湧き、応援したくなり、最後心がほっこりするようなオチにつながる、そして、ほっこりした気持ちで笑いが起きる。そんな今までのお笑いとは違う、新しいお笑いを見せてくれたと思います。

その時代のエネルギーを意識的にか無意識的にかキャッチし、それを今キングオブコントにもってくることがすごい!
と、勝手にひとり興奮しておりました!!

 

 

そうした時代を表したコント内容を評価してくれた審査員の方々もすごいなと思いました。

今年から審査員が一新したのですが、その評価もきちんとコント技術に対しての評価されていて、どれも納得の採点でした。



そして、優勝を決めた空気階段の1本目のSMクラブでの火事のコント。
これをキングオブコントでやろうとしたのは、本当にギャンブラーだなと。
逆に言えば、大博打に出て、本当の本当に優勝をとりにきた気合を感じます。

 

 


こちらも、一見SMクラブに来ていた変な人だったけど、実は消防士と警察官で、正義感あふれる、愛にあふれる対応で、火事のピンチを切り抜けるという展開。

空気階段がすごかったのは、今までの昭和から続く「ザ・お笑い」という「ベタ」な要素も入れながら、今の時代を象徴とするような驚きの展開で、お客さんをあっと言わせながら、大笑いさせてもらった渾身の内容でした。

 

↑動画は、キングオブコントではなく、おそらくよしもと∞ホールでのものだと思うけど、この時からさらに改良し、キングオブコント本番にあの爆発力のものをもってきたのは、本当に努力の結果だと思います。

 

 

結果は、過去最高の点数で決勝に進出しました。

 

私としては、去年のキングオブコント空気階段の決勝のコントがすごい好きで。

ちょっとこれ観てみてください。

 

 

面白いのに、短編小説を読んでいるような世界観。
こんなに面白いものがあったんだと、私は驚き、そこから空気階段の大ファンになりました。




そこから踊り場ラジオをずっと聴いていたので、水川かたまりさんの今回のキングオブコント2021に対する気合の入り具合はすごく伝わっていたし、キングオブコント前のラジオの最後でも、「僕たちは月50本舞台に出てきました。その場数の多さが、自信になっています」と言っていて、この舞台に至るまでに、さまざまな試行錯誤をしてきたことも伝わってきました。


今回、コントというものをちゃんと見て、面白さにつながるためには、設定の緻密さなども大切ですし、その世界観を表現するための声の出し方、表情の作り方などの演技力の大切さなど、さまざまなことが合わさって、その世界に観客たちを引き込み、笑いが生まれるのだと感じました。

 


コント全然関係ないですけど、空気階段の鈴木もぐらさんがやっているYouTube番組「くずパチ」も大好きで。
パチンコというものをこんなに楽しくやっている姿を見せられると、ついつい見入ってしまう。
そして、水川かたまりさんも、キャラ濃いめ&ヤバめの方なので、その魅力をこれからも追いかけていきたいと思います。



改めて、空気階段、優勝おめでとう!!

 

みんなー!見て見て〜!!

エネルギーキャラクターたちがLINEスタンプになったよ〜!!

 

 

エネルギーキャラクターLINEスタンプ

 



可愛い〜!!

嬉しい〜!!



ずーーーーと作りたいと思っていたんだけど、

ついにそのタイミングが来ました!!
 

 

そして、この可愛いエネルギーキャラクターたちは、イラストレーターの佐藤玲奈さんが描いてくださいました。

 

 

もう、本当にこのキャラクターたちを作ってくださったからこそ、私は今もこうしてエネルギーのことをワクワクしながら伝えられているといっても過言ではありません!

 

玲奈さん、本当にありがとうございます♡

これからも大切にエネルギーキャラクターたちを使ってエネルギーについて伝えていきます♡


心地よさをベースに生きる
と決めて、毎日ゆったりと暮らしているんだけど、
その生活に変えて一番なにが変わったかというと、

「これやりたい!」と思って、行動を起こして、

形にするスピードがめちゃ上がった!!


「これやりたい!」と思っても、なかなか行動に踏み出せない人というのは、
怠惰なわけではなくて、単純に「疲れている」とか「忙しくて余裕がない」とか、
エネルギーが少なくなっているんじゃないかと思います。

その時は、もう「休む」ことが一番大事。

そして、少しずつ元気になってきたら、必ずそれができる日がくるから。


やりたいことが自由にできる喜び!

そして、その喜びのエネルギーがこれからの現実を作る!!


エネルギーの循環がこんなに気持ちがいいことはないよね!!


ということで、エネルギーキャラクターのLINEスタンプ、みんなも是非使ってね!!

 

 



いきなりですが、この世界は幻想です。
全ては大いなる私が創り出した幻想の世界。

私のエネルギーが変われば、その現実を映し出すフィルムも変わり、現実も変わります。





ただいま、「キムタクが如く2」こと「ロストジャッジメント」にハマっていまして。

そんな幻想のこの現実でゲームをするということは、幻想の中で幻想を生きるという感じでちょっと面白いですw

しかもこの「ロストジャッジメント」は、リアルな歌舞伎町や横浜の街並みが再現されています。

それが、一層「現実はこのゲームの中の街並みのように幻想」だということに気づかせてくれます。

ゲームの中のキムタクも幻想

 



そして、現実世界のキムタクも幻想w



で、YouTubeでたくさんお金を稼げる方法を教えてもらい、今、私のキムタクは400万円くらい所持金があるんですw



回復アイテムもリアルで、コンビニでサンドイッチとかお弁当を買って、食べるとHPが回復します。値段もリアルです。

このゲームはのりさんと一緒に遊んでいるのですが、2人ともお金のクセが露骨に出てて面白いんです。

 



回復するために、飲食店に入るのですが、毎回「吉野家」に行っちゃうんですよw

のりさんは「よーし!吉野家のメニューを全部制覇するぞー!」って張り切ってますw
リアルすぎるww

これ、ゲームの中なんだからもっと高級焼肉店とかに行ったっていいんだよ!w
お金はいっぱいあるんだから!!

 

 



あと、このゲームでは、移動する手段として

・徒歩(無料)
・ダッシュ(無料/徒歩より早い)
・スケボー(無料/ダッシュより早い)
・タクシー(有料/目的地まですぐ着く)

があるんです。
所持金400万円あるんですから、タクシー使えばいいじゃないですか。

 



でも、のりさんはスケボーで目的地まで行こうとします。

お金を使うのを無意識に躊躇ってしまう自分がいたんです!ゲームなのに!w

私も、こういうゲームでお金が減るのが嫌で、節約しちゃう癖があって。

でも、お金を使いすぎて所持金0円になったことなんてないんですよね。

だから、ゲームは私たちの無意識のお金のブロックに気づかせてくれる良い機会にもなっています。

必要なところにはどんどん使っていって、所持金0円になったっていいじゃんの精神。

まずはゲームの中で、あたま君のお金のブロックを解除していく練習です。


でも、こうやってゲームの中でお金のブロックを外す練習は、現実でも活かされていくと思います。

だって、どちらも幻想ですから。

ゲームも現実も、やることは同じです。

そして、ゲームの中で自由に動き回れるように、現実世界でもどんどん自由になっていきます♪

 

いやー、やることいっぱいあって大変ですわ。

え?仕事が忙しいのかって?

まぁ···実は···

 


「キムタクが如く」こと「ロストジャッジメント」のゲームをやっていまして、メインストーリーも進めなくちゃならないし、サブストーリーもやらなきゃだし、大変なんですよ!

 

このあいだ、第1作目「ジャッジアイズ」が100円で1週間だけプレイできる期間があって、試しにやってみたら、あまりのストーリーの面白さにどハマりしちゃって、第2作目を買っちゃったんですよ!もう制作会社の思惑どおりですよ!(聞いてない)

え?仕事しろって?
(私のあたま君が言ってます)

これも大事な仕事ですよ!
私のこの地球での仕事は、「次元を上げる」ことなんですから!楽しむのも大事な仕事なんです!(ドヤ)

でもね、このゲームをやることは、魂の浄化的に私に今必要なことだなと感じるんです。

 



このゲームの内容は、キムタク扮する八神隆之さんという探偵が、高校に蔓延るいじめ事件を解決していくというようなストーリーなんです。




なので、ゲームの中で複数の高校生たちが寄ってたかって1人の学生を虐めるようなシーンが多々でてきます。

ゲームだとわかっていても、そんなシーンを見て心地よくはないですよね。

でもこれって、なんか今見せられてるなぁ···って思うんです。

 

 


前回書いたブログでは、子供の虐待について自分の中にトラウマ的な感覚があって、それを浄化するタイミングがきているということを書きました。

今回のゲームの中で虐めシーンを見させられることも、私の中に残っているトラウマ的な感覚に目を向けるためにハイヤーセルフが創った現実なのだと気づいたのです。

(今回は、冷静に現実スクリーンとの距離が取れました)

で、自分の中にあるなにが現実を創り出しているのか内観してみたんです。

 

 



そして気づきました。
私の中にいるあたま君が、虐待をし、いじめをするようなDV男だったということに。

人によって、あたま君の性格は違うと思うんですよね。神経質で理屈っぽいあたま君とか、私のように暴力的で恐怖や不安でコントロールしようとするあたま君とか。

なので、私はいつも私(あたま君)にいじめられ、虐待を受けていたんです。

そして、私があたま君に乗っとられ、暴走モードになった時、暴力的で恐怖や不安でコントロールするようなことを周りの人にもしていました。

殴ったりすることはないですが、自分の思い通りにいかないと、言葉で相手が触れてほしくないことをあえて言ったりすることはありました。私、性格悪いんですよ。

そして、私の周りの人でも、高圧的で言葉の暴力で人を傷つける人が出てきていました。

これも、私のあたま君のエネルギーが創り出していたわけです。

だけど、今はその人との関係も切れ、私も心地良さを重視して生きるようになってからはあたま君の暴走モードになることがないので、そういうことはしていません。

だけど、私の暴力的なあたま君はまだ生きているわけで。

そのあたま君の暴力性に私自信が目を背けていては、ずっと闇の中であたま君は生き続けるでしょう。

だから、しっかりあたま君と向きあって、私の光で闇を照らし続けます。

今まで怖くてずっと腫れ物に触るように距離を置いてきたあたま君に、今初めて光を充てようと思います。

 

 

 

ということで、何回か「ロストジャッジメント」話が続きますw

 

スピリチュアルな気づきだけでなく、ストーリー自体もすごく面白いです!