
今日は、久しぶりに「朝ドラ」についてのお話です。

私は「あまちゃん」が大好きです。宮藤官九郎さんの脚本や、演出、主演の能年玲奈ちゃんのエネルギー弾ける演技、それを支える周りのキャスト、大友良英さんの音楽、そのすべてが調和されて、素晴らしい物語を紡いでくれました。
詳しくは、是非過去のブログをお読みください

で、今回の朝ドラ「おかえりモネ」の舞台も、宮城県・気仙沼の亀島というところなんです。
「あまちゃん」に続き、「震災」というものをテーマにしたオリジナルストーリー。
「あまちゃん」では、震災前後を描いていますが、
「おかえりモネ」では、震災から10年経った今の人々を描いています。
脚本は、安達奈緒子さん。主演は、清原果耶さん。
で、結論から言ってしまいますと
「視聴者からの評判がすこぶるよくない!」んですw
「おかえりモネ」の視聴者からの感想は、今までの朝ドラの感想とはちょっと逸脱した、尋常じゃないくらいのストーリーに対する怒り、憎しみ、主人公への嫌悪感が伝わってくるんです。
これは、前代未聞のことです。
今までの朝ドラも何度かストーリーが意味不明で、主役がただただ破天荒みたいなものもありましたが、ここまでの批判はなかったように思います。

それは、やはりテーマが「震災」にあるからだと思うんです。
震災の被害に直接あった東北の方たち、直接的な被害にあったわけではないですが、震災というものを目の当たりにした、私も含めた周りの人たち。
あの日、日本にいた全員が、今もどこかに震災の記憶を持っています。
ここで、脚本を手がけた安達奈緒子さんの「おかえりモネ」のインタビューをご覧ください。
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(主役の)百音は10代にして「当事者でありながら、当事者ではない」という難しい立場に立たされた女性です。
たった15歳で強烈に抱いてしまった罪悪感を胸に刻みつつ生きねばならない若者の、しかも19歳から24歳という短い期間を演じることは容易ではなかったと思います。
大人として成長していく、一番みずみずしくまぶしいくらいに輝いている年ごろを「痛み」を伴いながら生きる。しかもその「痛み」は他者から見て分かりやすいものではないので、自分の中に抑えこんでしまったりする。それでも出会った人たちと自身を照らし合わせていくことで、「痛み」と向き合い昇華させていくさまを、清原さんが緻密に、繊細に表現してくださいました。
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ストーリーを知らない人から見ると
モネの「当事者でありながら、当事者ではない」ってなんのことだろう?
と思いますよね。

これは、ストーリーがある程度進んだところで明かされるのですが、
まだ明かされていない序盤から、主役のモネは、なんだか浮かない暗い顔をしています。
というか、今の今までモネが明るい表情をしたことは、ほとんどありません。

基本的には、ずっと↑の顔。視聴者からは「能面モネ」と言われる始末…
これもなんだか前代未聞です。
どんなにストーリーが支離滅裂な朝ドラでも、主演の女の子はエネルギッシュにその役をまっとうしていたように思います。

だけど、モネは眉間に皺をよせて、しかめっ面で、暗い表情で一点をみつめている。
「ありがとう」も「うれしい」もなにも言わず、ただみつめている。
感情の起伏すら許されないほどの罪を抱えているの?
モネの過去に一体なにがあったの?
と思いますよね。
そして、物語中盤でそのモネの暗い表情の理由が判明します。
それは「震災当日、私は仙台にいて島の津波を目撃しなかった」というものでした。
え!そんなこと??
って、思いませんか?
そんなことのために、今までずっと暗い顔していたの??と。

津波を見ていない人は、
みんなモネみたいに罪悪感をもって生きていなきゃいけないの?
モネだって、仙台にいたのなら、ライフラインが止まったり、島に戻るまでにいつも以上に苦労したりしたでしょう。
モネが「津波を見てない」ということに罪悪感を抱く演出は、当時、同じような状況だった人が見たらなにを思うのか。
今ここにきて
「罪悪感を感じていないこと」に罪悪感を感じさせようとしているの?

さらに、モネのお母さんもなんだか震災の傷が癒えていないそう。
その傷をきっかけに、長年やってきた先生も辞めてしまったとのこと。
いったい、なにがあったの?
それも、物語後半で判明します。
震災の日、お母さんは担当していた子供たちを安全な場所に避難させようとしていた。
そして、その時に、目の前の子供たちを差し置いて、自分の娘たちの安否の心配を10分くらいしてしまった。
え!それで先生辞めちゃったの?
っていうか、
仕事中に娘たちの安否を心配することってそんなに悪いことなの?
あの日、家族の安否を心配しながらも、仕事をしていた人たちはたくさんいたでしょう。
そういった人たちがこれを見たら、自分はその仕事をする資格がないの?と落ち込みそうです。
このように、「おかえりモネ」は、
被災して前を向いて歩こうとしている人に、罪悪感をすり込んでいくスタイル
なんです。
これは、辛い。

そして、震災の被害にあった設定のキャストたちがでてくるのですが、その人たちがどんどんひどい目にあったり、
モネに「あなたのことはわからない」と冷たく突き放されるようなシーンがでてきます。
わざわざ、傷口に塩を塗るようなことをしなくてもいいのでは?この主人公いる?
この主人公がいないほうが、島の人たちは明るく前向きに生きていけるのでは?という感想をもつ視聴者が続出しているわけです。
「当事者でありながら、当事者ではない」人が抱く悔しさ、苦しみがこの物語のテーマらしいです。
だけど、「当事者である」とか「当事者でない」とか、その線引きは果たして必要でしょうか?

その線引きをしてしまうと、「苦しい想いを一番した人が勝者」というよくわからないピラミッド構造になってしまいます。
しかも、モネが「一番苦しい想いをした人」なのかといったら、そうではなく、
モネは家も家族も無事で、就職先もスムーズに決まり、イケメンの医者の彼氏もでき、まったくもって順風満帆なんです。
一度、東京でお天気お姉さんのような仕事をしていて、突然、島のほうが楽しそうだから島に帰る!と言うのですが、
「でも、肩書きとデータベースにアクセスしたいから、仕事は辞めたくない」と言い出し、東京の会社から給料をそのままもらいながら、島でスローライフを送るというシナリオ。もう毎日ハッピー♪でも、おかしくないです。
でも、毎日暗い顔して過ごしています。

もし、モネがピラミッドで頂点に立てる世界があるとするならば、
「一番苦しそうな顔をしていた人が勝者」になれる世界。その世界なら、間違いなく一等賞です。
そうか、だからモネは「一番苦しそうな顔をしていた人レース」で金メダルをとりたくて、終始眉間に皺を寄せて、顎を少し上げて、人を睨みつけるような暗い表情ばかりしていたのかと納得です。
でも、そんなレースいります?

お母さんが行方不明になり、漁師のお父さんが現実逃避のために酒に溺れ、それでも漁師を継いで、お父さんにも元気になってもらいたいと、震災の心の痛みパートを一身に背負う、亮ちゃんというキャラクターがいるのですが、
亮ちゃんにモネは「あなたが大丈夫と言うたびに、(私たちは突き放された気持ちになり)傷ついた」と言うシーンもあります。
そんなこと言う必要ある?
しかも、ずっと前に亮ちゃんがモネに悩みを打ち明けた時、「そんなの知らない」って突き放してたよね。
悲しい顔しないといけないレース?

それでいて「人の役に立ちたい」という言葉を呪文のように繰り返すモネ。
人の役に立つと言うのは、なんなのでしょうか?
全国放送でお天気キャスターをやることのほうが、目の前の苦しんでいる人に寄り添うことよりも尊いのでしょうか。
人間ならば、罪悪感という「痛み」を誰しも経験します。
スピリチュアル的に言えば、それも体験するためにこの地球に生まれてきました。
そして、その「痛み」が大きいと「トラウマ」となり、その人の中にずっとあり続けます。

震災をテーマに描いた「あまちゃん」も、その「トラウマ」を描いた作品だったと思います。
だけど、傷ついていたのは能年玲奈ちゃん演じる主役のアキちゃんではなく、母の春子さんや、祖母の夏ばっぱ、
人生経験を積み重ねた人ほど、傷をもち、その傷に囚われて、前に進めなくなってしまっていた。

アキちゃんも、東京にいる時は、感情の起伏のない子でしたが、岩手県久慈市にきて、あまさんを始めた時から変わっていきました。
そして、アキちゃんの明るさとひらめきと周りを巻き込む力で、周りの人たちの傷を癒やし、前に進む力を与え、周りを巻き込みながら、前に進んでいく、そんなストーリーに私は感動しました。
本当は、この世界は「幻想」で、「トラウマ」だって、「傷」だって、全て「幻想」です。
でも、トラウマで悩んでいる人に「それ、幻想だから悩んでたって無駄だよ」と突き放すことは、そこに愛はあるでしょうか?
そんなことを言われた人は、もっと傷つき、その人の言葉に耳をかさなくなってしまうかもしれません。
「トラウマ」に囚われている人は、現実スクリーンとの距離がとても近い状態にあります。
悲しいと感じる自分は「幻想」とは思えない状態です。

最愛の人が突然震災でいなくなり、飲んだくれになってしまった亮君のお父さんのように。
そんな人を現実スクリーンから離すためには、やはりエネルギーを与えて、前を向けるようにするステップが必要です。
マイナスをゼロに戻していく作業です。
ゼロに戻れば、マイナスだった時よりも少し余裕ができて、自分のためにエネルギーを使えるようにあります。
そうして、ゼロを少しずつプラスになったときに、はじめてこの世界は「幻想」だったんだと気づくんです。
そのためには「愛」のパワーが必要。
その「愛」を届けるのは、朝ドラで言うならば、それがヒロイン役の子だと思うんです。

「あまちゃん」のアキちゃんは、その役目を果たしてくれたからこそ、それを観ていた私たちの心にも愛が届いたのだと思います。
しかし、残念ながら「おかえりモネ」のモネは、反対に「愛」を削っていくので、それを見ている私たちの愛もどんどん削がれていきます。
みんなそれぞれ、自分なりに「愛」を見つけ、補充してきた震災からの10年なのに、なんでお前がそれを削ってくるんだ!とみんな、怒っているわけです。
だからこそ、この「おかえりモネ」のメッセージを逆手にとって、
もう、「トラウマを解消する」ステージからもう一歩ステージアップする時がきたのだと感じます。
私たちは震災を経て、10年で「傷つく」→「愛で傷を癒す」までやってきました。
そして、これからは
「傷」を作る現実が「幻想」だったこと
さらには
「傷」を癒さなければ(役に立たなければ)という思考も「幻想」だったこと
に気づくというステージです。
現実のスクリーンに入り込んでいたところから、少しずつ距離を置き、
映画を楽しむように、この現実を楽しむ。
それが、「トラウマからの解脱」であり、
本当の「愛」に気がつくことです。
その「愛」の場所で生きることが、これからの新しいステージなのです。